2004年の読書日記

書名・著者・出版社 感想・内容など
女王と海賊
 茅田砂胡作
 中央公論新社
一月十一日
  「暁の天使たち」シリーズ第五巻、昨日2ヶ月ぶりに図書館に行ったらほぼ入れ食い状態で読みたい本があり、本を読んでいる時間があまりとれないのに七冊びっちり借りて真っ先にこの本から読んだ。それでも読み終わるまでに二日もかかってしまっているのは、昔の私からすれば考えられないほど遅いのだが赤子がいるから仕方がない、読めるだけでももっけの幸いである。他の本もどれだけ読めるだろうか、なるべく読みたいなーーー。
ヴィクトリア朝のアリスたち・ルイス・キャロル写真集
 高橋康也著
 新書館
一月十二日
 この本昔読んだことあるんじゃないだろうかという気がしていたが、刊行されたばかりであった。多分、同じシリーズの「少女への手紙」を岐阜の市立図書館で借りて読んでいたと思われる。大昔から私の趣味は変わっていないんだなと実感した。
 これもまた上野の図書館で借りた本なのだが、買ってもいいくらいだ、1800円は安すぎる!ヴィクトリア朝のイギリスの少女服やポーズの資料にもなるし、不思議の国のアリスの世界が好きならばこういう本にしては重めの文章にも納得出来る。
 私にはルイス・キャロルことチャールズ・ドジソンと気ちがい帽子屋はイメージが重なる。
終わらざりし物語(上)
 クリストファ・トールキン編
 山下なるや訳
 河出書房新社
一月二十一日
 指輪とシルマリルに関する遺稿を御子息がまとめて、物語あるいは補足説明のかたちに書下ろしたものであるが、指輪を三回、シルマリルを二回読んでいる私でも充分混乱した。指輪物語のファンとしてはまだまだひよっこであることが判明したわけである。
 物語の詳細、物語の中では語られない部分を少しでも知りたい人にはお勧めできる。私としてはケレボルンはどうしてあんな怖い奥方(ガラドリエル)を娶ったのかが不思議だったのだが、出会い等大雑把なことは書いてあるものの、残念ながらラヴロマンスは書かれていなかった。
終わらざりし物語(下)
 同
一月二十七日
 なんとか下巻も読めた。一番興味深かったのはイスタリについての記述である。彼らが何者でどこから来たのかは指輪やシルマリルにも書いてあり、物語に出てこない残り二人の行方が気になっていたのだが、まさかそんなことになっているとは!
 おもしろいのでここで紹介してしまおう…ネタバレが嫌な人は読まないように。
 東方に進んだ残りの二人の名はアラタールとパルランド、オロメと関連がある青の魔法使いであったが、クルニーア(人間の言葉でサルマン)とともに東方に進み、二度と戻らなかった。東方の地で使命を果たし力つきたのか、あるいはサウロンの罠にはまり下僕となったのか、その使命を忘れて悪い魔術の始祖となったのか分からない。
 だいたいこんなかんじである。作者も決めてはいなかったようだ。
スイス時計の謎
 有栖川有栖作
 講談社
一月二十九日
 こんなものを読んでいる時間があるのならばもっと有意義に使え!と理性は警告するのだが推理小説を読み始めると止まらない。いいじゃないかおもしろいんだから。しかし、おもしろいだけで後に何も残らないのがジョブナイルの悲しさよ。
 「国名シリーズ」の七冊目、短編集であるがひさしぶりにアリスや火村先生に会えてうれしい。アリスの高校生時代のほろ苦い思い出話が少しだけ載っているが、火村先生の高校時代はどんなだったんだろう?
 「シャイロックの密室」の最後の一行が火村先生のすべてを語っているような気がする。
ふしぎ猫プドレンカ
 カレル・チャペック作
 小野田若菜訳
 ブロンズ新社
一月三十日
 同じシリーズで「子犬の生活 ダーシェニカ」という本も出ていた。
 実際のところ私は猫と暮らしたことがないので猫のことはよく分からないけれど、猫というのは命の集合体ではないか…というような気になってしまう本。むろんそんなことはなくて、猫一匹はかけがえのない一匹の猫なのだけれど、ほら、七つの命を持つというし。
 この本とは全然関係がないが、近所にオレンジ色の毛足の長い猫が住んでいて、ハーマイオニーの猫はこんなかんじだろうかと密かに思っている。ハンサムだけどとにかく威厳があるのだ。
魔女の死んだ家
 篠田真由美作
 講談社
二月二日
 あの「くらのかみ」と同じ「講談社ミステリーランド」の第二回配本のなかの一冊であったことに後から広告を見て気がついた。
 装丁がこっているが、特に波津あきこ(あきという字が出てこない)先生の挿絵が内容にぴったりあっていて美しい。
 その内容だが、最初は耽美小説かと思ったよ…しかしそうではなく、作者のシリーズの中ではおなじみの例のあの顔を前髪で隠した人が出てくる謎解きであった。しかしこの人と子供たちとの接点がこの本の中では何も語られていなくて私にとってはそちらのほうが謎である。
 未読の本にでも載っているのだろうか。
またたび
 さくらももこ著
 新潮社
二月十日
 楽しく旅行するには事前の計画と準備と何よりも一緒に行く人が誰かが大切だと思うのだが、私の場合著者とは全く気があわない、全く駄目だろうと思われる。ブランドものには興味がないし二時間も三時間も御土産もの屋でねばられたらまずキレるし何よりすべての準備が編集者まかせで贅沢三昧というのが庶民として大変気が食わない、単にうらやましいだけかもしれないけれど。
 しかし、ちびまる子ちゃんの作者というだけで「ああそれもありやね」となんとなく許せてしまう、おそるべき力があるのもまた事実。
盗まれた記憶の博物館(下)
 ラルフ・イーザワ作
 酒寄進一訳
 あすなろ書房
二月十四日
 上巻を読んでからずいぶん間があいてしまったが、とにかく読めた、読めただけでもう満足である。
 細かい謎解きとか注意深くゆっくり読んでいけばもっと楽しめたと思うのだが、残念ながら筋を追うだけでせいいっぱいであった。
 しかし作者の言いたいことは分かる、人間は忘れる、忘れなきゃ人生やっていけないことも多いし忘れることはとても便利ではあるんだけど、忘れちゃいけない記憶っていうのは個人としても社会としてもとてもたくさんあるんだな。
もっとどうころんでも社会科
 清水義範著・西原理恵子絵
 講談社
二月十五日
 育児の片手間に少しずつ読んでいた本、これもやっと読めた。
 文章とあっているような全くあっていないようなサイバラさんの漫画が楽しい。
西の善き魔女外伝3 真昼の星迷走
 荻原規子作
 中央公論新社
二月十九日
 まさか外伝の三巻が出ているとは思わなかった。ノベルス版が出ていて書き下ろしが入っているといううわさは聞いていたのだが、これがその書き下ろしの物語らしい、たっぷり新書版一冊あるじゃないか!なんだか得した気分である。
 謎の多いこの世界、世界の謎に翻弄されつつも報復に出かけそれを完遂する主人公は流石としか言い様がない。それとは全く別にレアンドラお姉様はやっぱり素敵だ。
魔法博物館の謎
 ジョン・ペレアーズ作
 三辺律子訳
 アーティストハウス
二月二十一日
 表紙の挿絵を見て一言「ルイス、また太ったんかい…」。
 中学生になったルイスとローズ・リタ、中学生になっていきなり格好よくなるわけでも美人になるわけでももちろんなくて、二人とも悩み多き日々を送っているのが思春期を遠く離れた大人の目から見るとほほえましく懐かしい。子供時代というのは恥ずかしいものなのだ!大人になっても恥の多い人生をおくっているわけだが。
 でもこの二人には良き大人がついているから大丈夫、しかもその大人は魔法使いだしね。
神様
 川上弘美作
 中央公論社
二月二十三日
 少し前に谷山浩子さんがラジオドラマに出演してその作品が何かの賞をとった、その原作がこの本なので一度読んでおかねば、と思っていたのだがこのたびやっと読めた。
 ビジュアル的にオッケーな少年少女が出てきたならばそのまま絵にしてしまおうという不埒なことを実は考えていたのだが、その期待は見事に裏切られた、なにせくまである。初めと終わりがくまなのだ この本は短編集なのだが、全ての話がくまにつつまれたような不思議なかんじがする。そのくまはとても料理が上手で礼儀正しい、だけどくまだから不思議なのである。
ロッタちゃんのひっこし
 リンドグレーン作
 山室静訳
 偕成社
二月二十四日
 「長靴したのピッピ」シリーズを読んでから、この作者とはもしかして相性があわないかも…と思っていたのだがロッタちゃんシリーズは楽しく読めそうである。なぜならうちにもちいさいロッタちゃんよりもっとちいさな困ったちゃんが一人いるからだ。
 なぜピッピが苦手かというと、その物語の終わり方が個人的に苦手だからなのだ。大人になることをここまで否定して終わる物語は珍しいのではないだろうか。そういう意味ではピッピはけして世界一つよい女の子ではないと思う、しかしロッタちゃんの破壊力その他は世界一かもしれない。
ちいさいロッタちゃん
 同
二月二十四日
 そういえばこの前衛星放送か何かでロッタちゃんの映画をやっていたが、この本を読む前だったので見なかった。惜しいことをした、ちらりとでも見ておけばよかったかも。
 小さなロッタちゃんは小さな女の子のいる家庭に一人ずついて、毎日いろんなことをしでかしてくれます。
中世の城日誌 少年トビアス、小姓になる
 リチャード・プラット作
 クリス・リデル絵
 長友恵子訳
 岩波書店
二月二十七日
 どこかで見た絵だと思ったら「崖の国物語」シリーズの挿絵の人だった。あのシリーズでは不気味さばかりが際立っていてあまり好きになれなかったけれど、この本では丁寧に描きこまれた中世の城の様子がわかりやすくて見やすい。
 一人の少年が小姓になるため家を出て、休暇で家に帰るまでの一年の出来事を日記のかたちで書いてある。
金曜日の砂糖ちゃん
 石井駒子作
 偕成社
三月四日
 薄くて小さな詩画集、なんという技法で描かれているのかはよく分からないけれど、不思議できれいでちょっと怖く淋しい(ここのところが上手く言い表せないけれど)本である。
 特に最後の「夜と夜のあいだに」が好き、子を持つ親にとってはこれは恐怖だけれど。
絵描きの植田さん
 いしいしんじ作
 植田真絵
 ポプラ社
三月八日
 某友人の日記で紹介されていて読んでみたくなった。
 世の中には悲しいことも悔しいことも汚いことも山のようにあるんだけれど楽しいことも美しいことも確かにあるんだよ、という話だと思った。
 挿絵が本当に絵描きの植田さんであることに、今やっと気がついた。
千の風になって
 原詩者不明
 日本語詩・新井満
 講談社
三月二十日
 朝日新聞のコラムで紹介されていて、その後書評にも載っていた。
 言葉、特に詩には人の心をなぐさめたり励ましたりする力があるけれど、昔からたくさんの人々をなぐさめてきた一編の詩が紹介されている。
ダレン・シャン外伝
 ダレン・シャン作
 橋本恵訳
 小学館
四月五日
 やっと手に入れた外伝だが、忙しくてまだ一回しか読んでいない。
 作者のホームページに載っていた短編の一部とその解説がまとめられているのだが、やはりガブナーの例のパンツの話が一番印象に残っている。まさかあんなシリアスな展開だったとは思わなかった。
終の神話・地号の章
 霜島ケイ作
 小学館キャンパス文庫
四月十六日
 封殺鬼二十七巻である。二十六巻には次号で終わりと書いてあったのだが、終わらなかった…。
 登場人物の皆さんが、いろいろな問題を乗り越えながらあるべき場所へと落ちつきつつあるのだが、三吾のお兄さんと高良だけは例外だった…。お兄様の方はまだだけれど、高良の方はなんとなくこのまま生きていけると思っていたから、まさかああなるとは思わなかった。
 物語の展開が想像どうりにならないのは楽しいことだけれど、まさか主人公二人は死なないでしょうね?
ダレン・シャン10 精霊の湖
 ダレン・シャン作
 橋本恵訳
 小学館
五月一日
 ダレンシリーズは通して読んでいるわけだが、今まで一度も予測された展開になったことがない、今更ではあるけれども読んでいてしみじみとおもしろかった…。今回はバンパニーズとの戦いはちょっとお休み、ハーキャットとダレンの旅であるが、それがまた普通の旅ではなく、ハーちゃんの正体を捜すための旅なんだな…。場所も普通でなければ時間も普通でない、特に時間にはしてやられたわ!
 ハーキャットの正体は友人の同人誌であらかじめ知っていたけれども、もう一度彼に会えたのは正直言ってちょっとだけうれしかった。また彼がハーキャットに生きる権利を譲ったところが彼らしくていさぎよい。
神、人を喰う 人身御供の民俗学
 六車由実著
 新曜社
五月二日
 とどのつまり人身御供がかつての日本で本当に行われていたのか、ということについてはどちらかというと否定的である。(人柱については肯定的であるけれどもそれはおいといて)。物語や説話を元にした人身御供という伝説がいかにして作られ、それが社会の中でどのような役割を果たしているかを丁寧に考察している論文である。だから趣味は良くてお上品であり、三面記事的なおもしろさは期待してはいけない、それなりにおもしろかったけど。
川原泉の本棚2
 川原泉・選
 白泉社
五月三日
 川原泉さんは、白泉社系では佐々木倫子さんと並んで好きな漫画家さんであるのだが、あいかわらずこの人とは読書傾向が合わないなと思っていた…(ちなみにこの本は川原さんお勧めの本の中の物語がそのまま載っているアンソロジーである)思っていたのだがしかし!
 一番最後に紹介されていた「ムスティク砂漠へいく」は、私が子供の頃眠る前に繰り返し読んでいた物語ではありませんか!表紙のとれかけた、おそらく誰かからのおさがりの本が子供の頃実家にあって、読書少女だった私はまたそれを何度も何度も読んでいたことを覚えている。それにしてはオチを忘れていたけれど、とても懐かしかった。
左手のパズル
 萩尾望都作
 東逸子絵
 新書館
五月三日
 萩尾先生の書かれた小説というか物語であるのだが、どうせなら御本人の漫画で読みたかった。東さんのイラストはもちろん非の打ち所のないほど美しいけれども。ポーの一族みたいな感じになるんじゃないかな。
七人の魔法使い
 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作
 野口絵美訳
 徳間書店
五月七日
 あいかわらず何人もの登場人物がそれぞれにアクが強くて困ったちゃんでそれぞれの目的のために手段を選ばずひどいことをしている物語であった…。
 終盤で誰が味方で誰が世界征服をもくろむより困ったちゃんかはっきりしてくるのだけれど、その解決方法がまたひどい。これまで読んだ物語の中でもここまですごいのはめったにないのではないだろうか。
 何も考えずただ楽しんで読むべし、ただ、「それから皆平和に暮らしました」ではけして終わらないだろうな、日常こそがある意味戦いだから。
アテルイ
 中島かずき作
 論創社
五月八日
 何年か前に何かの賞をとって、ちょっと観たいかもと思っていた劇団・新感線の劇の小説(戯曲)である。なるほど、こういう話だったのね。
 ただの冒険活劇と思いきや、もっとずっと奥が深かった…。田村麻呂とアテルイ、二人の英雄と神殺しの物語である。
 やはりお芝居は劇場で観るに限るな…本て゜読むよりもずっとかっこいいと思うの。
天使の舞闘会
 茅田砂胡作
 中央公論新社
五月九日
 「暁の天使たち」シリーズ完結編、とはいってもやっと登場人物たちが出揃い、これから!というところで終わってしまった。
 ただ、ルウとリィは本当に恐い人達なんだということと、シェラもやはりただの聖霊予備軍ではなさそうだということがなんとなく分かってきた、最初からそうだといわれればそれまでだけれど。続編を期待する。
メロンパンの真実
 東嶋和子著
 講談社
五月十一日
 そのものずばり、メロンパンの研究書である。
 私には昔から疑問に思っていることがあった。自分がメロンパンだと信じ込んでいる丸い形のあのパンが、他の地方では「サンライズ(あるいはサンライス)」と呼ばれていると言う噂ははたして本当なのだろうか。そして、ラグビーボールの形をして中に白あんの入ったパンがあって、それこそが正しいメロンパンと言われる地方があるというのは?
 この本の著者はそれらの疑問にまっこうから立ち向かい、そして玉砕した…。関西方面には確かに一般的な丸いメロンパンをサンライズと呼ぶところもあるし、ラグビーボール形のメロンパンも最近ではこのあたりでも見かけるのだが、真実はすべて藪の中なのである。
 だからといってこの追求が無駄だったということではけしてない。少なくともこの本が出たことに私は深く深く感謝している、ビバ!メロンパン。メロンパンは素晴らしい!
壊れたおねえさんは、好きですか?
 中村うさぎ著
 フィールドワイ
五月十一日
 読んでいても全く無駄だと分かっているのについつい全部読んでしまった本、私はセックスにもフェロモンにもまるで興味はないんだけど、著者がけっこう好きなんだよな…。
 オヤジ雑誌に連載されたエッセイをまとめたもので内容もやはりオヤジ化しているけれど、それでもそこを切り口にして人を語っている、けどやはりオヤジだな。
おちゃめなパッティ
 ジーン・ウェブスター作
 遠藤嘉子訳
 ブッキング
五月十三日
 かのはらさんお勧めの一冊、どのくらいお勧めかと言うと、彼女がオーナーになって復刊ドットコムで復刊されたくらいである、まさに根性、おめでとうかのはらさん!
 それはさておき、私は同じタイトルでもう少し子供向けに訳された本も読んだことがあるのだが、やはりこちらのほうが断然おもしろかった。
 舞台は古き良きアメリカの女学校(全寮制)、作者は「あしながおじさん」と同じウェブスターときたらこれはもう読むしかないではありませんか!少女小説としてはやはり最高クラスであろうかと思われる。
 この話に出てくる少女達は少女というよりは乙女、昔は大人になるのが今よりも早かったからだろうか、だからこそその時代が輝くのだ!
マライアおばさん
 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作
 田中薫子訳
 徳間書店
五月十四日
 最近、ポチにあわせて夜更かししないようにしているのだが、久しぶりに時間を忘れて一気に読んでしまった。
 ファンタジーの醍醐味は、予想も出来ない人々が予想も出来ないことをしでかして予想も出来ないようなやり方で解決することにあると思うのだが、DWJ作品はそういうことにおいては外れなしである。
 マライアおばさん、というものすごく困った魔法使いのおばあさんが登場するのだが、実在の人物がモデルっていうのがすごいかも。作者も困っていたんだろうな。でもこういう人って時々いる、そして自覚がないんだよね。
アルテミス・ファウル 北極の事件簿
 オーエン・コルファー作
 大久保寛訳
 角川書店
五月十九日
 「アルテミス・ファウル」シリーズ第二作、前回敵対した妖精達とアルテミスが今度は手を結んでそれぞれの利益のために爆走する。のはいいのだが、アルテミスがだんだん物わかりのいいいい奴になってきそうな気配がある、普通の児童文学ならばそうでなきゃいけないのだが、アルテミスに関してだけは実はそうなって欲しくないのだ。どんな困難を乗り越えても、どれだけ素晴らしい仲間たち(この場合は妖精達)に出会っても、わがままで高慢でティーカップよりも重いものを持たないでいて欲しいと思ってしまうのは…なぜでしょう?
102
 アリス・ダウンズ作
 橘高弓枝訳
 偕成社
五月三十日
 ディズニーの実写版映画102の小説化されたもの、ディズニーアニメはどちらかというと苦手なのだが、実写は案外好きなのだ。
 とはいうものの、101の方はテレビで何度か放映されてそのたび何度も見たのだが、102は見損ねたままである。もうテレビをゆっくり見ている時間なんてどこにもないんだよね。
ロリヰタ
 嶽本のばら
 新潮社
六月二日
 この本には二本の話がおさめられていて、両方とも私の嫌いなタイプの人間ばかりが出てくる。あんたたちみたいにうじうじしていて視野が狭くてナルシストでわがままだったら、人の言うあたりまえの幸せなんて手に入れられなくて当然よ!ちょっとは周りを見まわして自分がどれだけ恵まれているか、どれだけ他人の迷惑になっているか考えてみなさい!と説教してやりたいものである。
 毎回多かれ少なかれこう思うのに、、なんとなくこの作者の本を読んでしまうのはなぜでしょう?
魔女の宅急便その4 キキの恋
 角野栄子作
 福音館
六月四日
 とうとうキキも十七才である。だけどこの十七才はまさに青春まっただなかの美しく豊かな十七才なのだ。
 物語や小説の中でさえ、こんなに素敵な十七才という季節は久しぶりのような気がする。この世の中は悲しいこともつらいこともみっともないことも多いんだけれどやっぱり素晴らしいんだよ、というメッセージを年甲斐もなく受けとってしまったような、そんな本。
ポリアンナの青春
 エリナー・ポーター作
 谷口由美子訳
 岩波少年文庫
六月二十一日
 「少女ポリアンナ」の続編なのだが、この時代の女性の幸せは家柄のちゃんとしたお金持ちでハンサムな男性と結婚することだったんだなあ…としみじみと思った。少女の時代の輝きや魅力を持ったまま大人になるのは難しく、またそうなれたとしても子供時代のように魅力的ななままではけしていられない。ポリアンナはすばらしい女性になりはしたけれど、登場人物達の恋愛が物語の中心に移り変わった分、おもしろくなくなってしまったような気がする。
蟹塚縁起
 梨木香歩作
 木内達朗絵
 理論社
六月二十二日
 書き様と終わり方によってはとんでもなく暗く陰惨になる話なのだが、そこはそれ、この作者だからこそ美しく昇華された物語になっている。なんでこの話でこうも美しくほのぼのと終わるかな、と思うくらい。
 でも「オマエガソノウラミヲテバナサナイカギリ」という六部の言葉にはぎくりとさせられる。
トマト魔女の魔女修行
 柏葉幸子作
 フレーベル館
六月二十二日
 この作者の本は出来ることなら子供の頃に帰ってもう一度読みたいといつも思う。
 夏休みの自由研究のために育てたプチトマトがいきなり魔女になって(しかも五人も、もちろん大きさはプチトマトクラス)しかもそろいもそろってガミガミおばさんときているのだからおもしろくないわけがない。この一冊、一話で終わっているのが本当に惜しいくらい。
 敵役のおさげの魔女の女の子も、その使い魔のおかまの(?)ハゲタカもとても素敵、小学生の頃に読んだらもっと素敵だっただろうな。
きものが欲しい
 群ようこ著
 世界文化社
六月二十八日
 「着物本2」に参加する前に、あまりにも着物のことを何も知らないのでちょっと勉強してみるかと思いこの本と着付けの本を借りてみたのだが、本当に着物に関して私はど素人だということがよーーーく分かった。まず用語がよく分からない、着物の種類も分かっているようでよく分かっていないのだ。
 ただ、一通り自分の好みのものを揃えたあとはディティールに凝ってしまい、結局終わりなき買い物地獄にはまっていくというのは、なんのことはないカネコ服と同じだ!
 この本の中で一番笑えたのは著者のお母様による著者の銀行預金を用いての「30分500万お買い上げ事件」なのだが、自分がお金持ちになったら母親にいろいろなものを買ってあげたいという気持ちは分かる、しかし女の着物にかける欲望はものすごく、母を駄々っ子に変えるほどである。貧乏でよかったよ、私は。
虹果て村の秘密
 有栖川有栖作
 講談社
六月三十日
 「講談社ミステリーランド」の中の一冊である。新本格派ミステリの作家さんの本はそれなりに読んでいると思うのだが、アリスはその中でも読みやすく面白いと思う。
 特にこの本は殺人事件が起こっているにもかかわらず爽やかで、主人公の二人の子供もまわりの大人達も犯人でさえ、普通の良い人々なんだな。とんでもないトリック、突拍子もない動機で起こる事件の物語もいいけれど、こういう普遍的な事件を丁寧に魅力的に描くことはかえって難しいのではないだろうか。
おちゃめなパッティ大学へ行く
 ジーン・ウェブスター作
 内田庶訳
 ブッキング
七月一日
 この前読んだ「おちゃめなパッティ」の続編のように見えるが、実はこちらが先に書かれていたらしい、そのせいかいたずらがこっちのほうが小作りで人が悪いことこの上ない。けして敵にはまわしたくないタイプなのだが、友達にすると充実した学生生活がおくれることはほぼ間違いないであろう。
 しかし、この時代の女性が年をとって大人になっていくのにネガティブな感情を持っているのには驚かされる。少女や乙女の時代の若さや輝きなんてものはもちろんなくなっていくものだけれど、年をとるのもそんなに悪くないのに。年をとらないとわからないこともあるのね。
村田エフェンディ滞土録
 梨木香歩作
 角川書店
七月三日
 この作者は、少女または少女が分別だけをつけてそのまま大人になったような女性が主人公の小説を書く人だと思っていたのだが、この物語の主人公は男性である。(蟹塚縁起もそうだったが)。しかしどうしてこの人の書く人物はこうも純粋なのか、困ったことを困ったままに受け取れることがどんなに大切であるか、作者が何故今この時期にこの時代のこの国の革命と遺跡の物語を書いたのか、やくたいもないことをちょっとだけ考えてしまった。
魔女からの手紙
 角野栄子作
 ポプラ社
七月十一日
 ポチの絵本、何かないかなーーと寄った本屋で自分のために絵本を買ってしまった。
 ある日、少女のもとに古ぼけた手紙が届く、それは奇妙な友達が多かったという曾おばあさんにあてた手紙で…というはじまりの物語、二十人の画家それぞれの魔女のイラストと手紙文がとても素敵である。
白い兎が逃げる
 有栖川有栖作
 光文社
七月十九日
 火村助教授シリーズの中編集であるが、どうやら私は犯人に対する火村先生とアリスの態度と考え方が好きだということに、今ごろ気がついたようだ。
 火村先生もアリスも、よくある名探偵のようにけして犯人を前にして得意げに推理を語ったりしない、どちらかというと苦しそうに、けれども「絶対許さない」という石のような意志で犯罪を暴いている(ような気がする)。そういうところが好きなんだよね。
こうちゃん
 須賀敦子作
 酒井駒子画
 河出書房新社
七月十九日
 最近酒井駒子さんがマイブームである、それで借りてみたのだが、痛い本であった。
 自分に子供が生まれて、もう一度子供の時間が取り戻せるかもと最初はほんの少し期待したものだったがやってきたのは親の時間のみだったとか(あたりまえだ)、誰の中にも悲しい淋しい子供が一人いて忘れることも取り戻すことも出来ないだとか、本当に子供のときいじめてしまった誰かを思い出すとか、そういうよく分からない痛い気持ちにさせられる本、きれいだけどね。
コルセットの文化史
 古河令子著
 青弓社
七月二十日
 本を読む時間も充分にあるわけではないのに、時々「これ、なんのために読んでいるんだろう」と思いながらも読んでしまう本があるのだが、これもそんな一冊。そもそもなぜ図書館で借りたのか、特にコルセットに興味があるわけでもないし。女性の下着の歴史にはそれなりの興味があるから、そのせいかも。
 まじめなコルセットの研究書、お好きな方はぜひ読むべし。
きものがたり
 宮尾登美子著
 世界文化社
七月二十二日
 これも、「着物本」の参考になるかと思って読んでみたのだが、正座して「結構なものを拝見しました」とお礼を言った後尻尾をまいて逃げだしたくなるような本であった。著者手持ちの着物や小物の写真とそれにまつわる思い出話などがおさめられたエッセイなのだが、着物の歴史は女の歴史、しかも宮尾登美子であるので、とても素人がたちうちできるものではない。参考にはもちろんなったが、コンテの切りなおしが必要になってしまった…。
 しかし、これのカネコ版なら私、描けるかもしれない。写真ではなくイラストで、エッセイのかわりに実録とトークで、ただし絶対描きたくないが。そんなもの描いたら寿命が縮んでしまうであろう。
ワニ
 梨木香歩作
 出久根育絵
 理論社
七月二十ニ日
 いつものことながら文章と絵の相性がいい、このお話にしてこの絵ありというかんじがする。
 ワニの脳ミソはかすんだ脳ミソ、ワニはものを考えず自然のままに暮らしていました、なぜならそれが自然だったから。しかし、「なぜナカマを食べたらいけないのか」「どこまでがナカマなのか」という問いかけは「なぜ人を殺してはいけないのか」という人間の永遠の疑問につながっていると思う。動物は考えない、けれど人間は考える、ワニなみの頭でね。
魔法の声
 コルネーリア・フンケ作
 浅見昇吾訳
 WAVE出版
七月二十五日
 どっしりした手触りの児童文学を久しぶりに読んだような気がする、内容ももちろんおもしろかった。
 朗読した物語の登場人物が出てくるのならば、まずは指輪物語のレゴラスとギムリを呼び出したい(間違えてオークが出てきたら大変だが)。まずはとっておきのお茶でも入れて、冒険の話(かけあい漫才)を聞かせていただくのだ。そしてすみやかにお帰り願おう。
 続編が出るのならば、次は本の世界へ入ってしまった作者のジイサンに作者の特権を活かして大暴れをしていただきたい。だまって登場人物に収まっているようなタマじゃないでしょ?この物語の中で一番ダンディで頑固で素敵なジジイだと思われる。
高野優のおひさまランドセル
 高野優著
 講談社
八月一日
 実家では「岐阜新聞」をとっているのだが、そこに連載されていた子育てエッセイ漫画がまとまって本になっていたので読んでみた。ほのぼのとかわいいイラストなのだが三人の女の子のお母さんだけあって赤子の泣き顔の描写ががすんばらしい。
 子育てにかける思いはみな同じ、でも子育ては一人として同じじゃないんだよね。
きものでわくわく
 大橋歩著
 マガジンハウス
八月二日
 まずは理論武装してどうなるとも思いつつ、これも着物本の参考のために読んでみたのだが、武装にはなりそうもない軽めのエッセイであった。
 着物を着ようとすると、まずは着て行く場所と着つけしてくれる人とそれにかかわる時間が必要なのだが、今のところそのどれにも縁が無い。着物本の原稿はますます訳がわからなくなってきた…。
ダヤンとタシルの王子
 池田あきこ作
 ほるぷ出版
八月二日
 ダヤンシリーズの長編ファンタジー四作目にしてジタンの正体、その他過去に起こったいろいろなことが明らかにされる。わちふぃーるどはほのぼのと平和に見えるのだが、実はこの世界は一度ぶちこわれているのだ。
 一番の驚きは大魔女「セ」の若いころの姿である。
パーラ・沈黙の町 
パーラ・古城の秘密
 ラルフ・イーザワ作
 酒寄進一訳
 あすなろ書房
八月二日
 上下巻のラルフ・イーザワのファンタジーであるが、この作者の本にしては一日でさくっと読めてしまった。
 エンデの「モモ」とちょっと似ていて、モモで奪われるのは時間だが、この世界では言葉が奪われてしまう。それを取り戻しにいく少女の冒険と成長の物語である。この少女が黒髪巻毛で青い瞳の美少女なのはポイントが高いが、対決する相手もジジイならば最後の最後で主人公を助けるのもジジイというジジイポイントが高い物語でもある。ハンサムな青年も幼馴染(日に十回プロポーズしてくる)もいるのだが、ジジイの前では影が薄い。
 
危ない間取り
 横山彰人著
 新潮社
八月六日
 私にしてはめずらしく実用書を借りて読んだ。実はそろそろ家を建てることを考えはじめているのだが、どうせそんなに高級な注文住宅は建てられない、けれども何も知らないよりはマシと思い、まず手始めにとっつきやすそうな本を選んだわけなのだ。
 参考になりました。
橋の下の怪物
 ジョン・ベレアーズ作
 三辺律子訳
 アーティストハウス
八月八日
 「ルイスと魔法使い協会」シリーズの八冊目、まずルイスとローズ・リタに一言言いたい。「なんであんたたちはそんな危ないことに顔をつっこむかな」。
 しかし彼らが行動しないと今回は世界が滅びてしまう予定だったのだから、行動してもらわないと困るんだけど。何度危ない目にあってそれをくぐりぬけても、ルイスはあいかわらずぽっちゃりさんの臆病者だし、ローズ・リタが中学生になって色気がでるなんてことも全くない。そこがいいところでもあるんだけど、あんたたちちょっとは進展しなさい。
着物は楽しい
 大橋歩著
 文化出版社
八月九日
 やっと「着物本」のコンテが出来た、合計三回コンテの切りなおしをしたので、実録原稿にしては多い方である。
 この本のいいところは、「着物はお金がかかる」とはっきり書いてあるところだ。そのかかりようは天井知らず、着物にはまろうとすると余程のお金と根性がいるものだとしみじみ分かったような気がする、当分はまる予定ないけれど。
南の島の恋の歌
 Cocco作
 河出書房新社
八月十八日
 歌うのをやめたかの歌姫こっこの描いた絵本、この本に同封されているミニアルバム購入のための振り替え用紙欲しさに買ったのだが、絵本としてもかなりきれいである。
ダレン・シャン11 闇の帝王 
 ダレン・シャン作
 橋本恵訳
 小学館
八月二十日
 児童文学にしては暗黒で容赦のないところが気に入っていたのだが、もうすでに児童文学の範疇を超えてしまった…ほとんどバイオレンスアクションミステリーと言っても過言ではないだろう…。ちょっとこれはひどいんでないかい?あんまりじゃないか!
 次で最終巻の予定だが、どんな終わり方になるのか大変不安である。
舞闘会の華麗なる終演
 茅田砂胡作
 中央公論新社
八月(?)
 記録忘れに気がついた。
 「暁の天使たち」シリーズの外伝一巻、あの騒動の収拾の物語なのだが、宇宙を滅ぼす力を持った人物が宇宙を滅ぼしかかっている最中よりも、主人公の美しい少年が宇宙船の台所でお菓子を作っている最中の方が恐怖と緊張感があるのはどうしたものか。ほのぼのである。
豆腐小僧双六道中
 京極夏彦作
 講談社
八月二十九日
 まるで大ぶりの豆腐のような愛らしい壮丁にひかれて図書館で借りてきたのだが、京極作品なだけに読むのに時間がかかってしまった。
 妖怪が自分の存在意義についてうんちくをたれあい、ついでに人助けもするというとんでもない話、読後はすきっとさわやかである。
ゲド戦記外伝
 ル・グウィン作
 清水真砂子訳
 岩波書店
九月二日
 児童文学もファンタジーもそれなりにいろいろ読んではいるけれど、やはり読むたびに「物語としての格が違う」と思ってしまうのがゲド戦記のシリーズである。
 今回は短編集、主人公たちの物語ではないが、アースシーの世界と魔法に興味があればきっと楽しめると思う。
ハナさんのおきゃくさま
 角野栄子作
 福音館
九月二日
 どうも私はこの作者の書かれる作品が好きらしい。
 何が好きかというと、たぶんうれしいときの言葉の使い方だと思われる。
ショッピングの女王FINAL 最後の聖戦
 中村うさぎ著
 文藝春秋
九月六日
 結局この「ショッピングの女王」シリーズは全部読んでしまった…果てしなく時間の無駄と思いながらも出るたびに読んでしまう悪魔の書であった。
 著者のあまりにもあんまりでいっそ気持ちがいいほどのお金の使いっぷりと、見栄と自己探求のためならば何でもやるその根性には脱帽する、絶対真似したくはないが。
コロボックルそらをとぶ
 佐藤さとる作
 村上勉絵
 講談社
九月六日
 子供の頃読んでおいてよかった!と思う本はたくさんあるのだが、佐藤さとるのコロボックルシリーズはまぎれもなくその中の一冊である。
 これはシリーズとは別に出た「コロボックル絵童話」の新装版であるらしい。忘れかけていた懐かしい彼らにもう一度会えた。
ハリーポッターと不死鳥の騎士団
 JKローリング作
 松岡佑子訳
 静山社
九月十一日
 今まで秘められていたさまざまな謎が解明される巻…なのだが、一番印象に残ったのは例のアレである。アレの印象があまりに強く、他のすべてのエピソードがかすんでしまったほどだ。
 英国の現代の児童文学では、パンツネタがトレンディーなのだろうか、若かりし頃のスネイプ先生のパンチラの話といったら、涙なしでは語れるものではない。先生が父親そっくりのハリーに恨みを持つのは当然だということがよく分かった。スネイプ先生、あなたは正しい。スネイプ先生、私はいつでもあなたの味方だ!
 しかし、先生も自衛策としてローブの下にジャージをはくとかするべきではあったと思う、せめて限りなく優美で華麗なパンツをはいて、彼らを驚かせるほどの茶目っ気があればよかったのに。
 しかし、そういうところに頭がまわらない頑固でにぶちんでお馬鹿さんなところがまた先生のいいところでもあるし、それは大人になっても少しもかわっていない、なんて可愛らしい殿方であることか。もし作中の登場人物になれるならば先生の妻の座を渇望する。そして時々紅茶に塩をまぜて、ものすごく嫌な顔でにらんでもらうのだ。そうしたら「あら、あなたを驚かせたかったのよ。」とか言ってにっこり笑うのに、ふふふふふ。
 あともうひとつ、意外な伏兵だと思ったのがジニーである。ロンよりもいろいろな面で強いのではなかろうか。
百器徒然袋 風
 京極夏彦作
 講談社ノベルス
九月十五日
 京極堂シリーズの中編集、図面引きの本島さんが主人公(被害者)で榎木津が大暴れする話ばかりである。
 「榎木津にかかわるとすごい勢いで馬鹿になる」だのなんだのかんだの数々の名言がちりばめられたありがたい一冊、確かにエノさんは悪漢のみならず警官も相手に大立ち回りを繰り返し、下僕どもを不幸のどん底に突き落としながらも、けっこう楽しそうだ。
 しかし下僕どもも、京極堂に話をきいてもらったり話をきかされたり、千鶴子さんの手料理をいただいたりしているのだからある意味たいへんおいしい立場であり、非常にうらやましいぞ!けして一味にまざりたくはないが。
カワイく着こなすアジアの民俗衣装
 森明美著
 河出書房新社
九月十七日
 私は時々自分でも「こんな本読んで何の役にたつのだろうか」と思われる本を借りてきて読んでしまうのだが、そういうのが案外おもしろかったりする。
 この本も、アジア諸国のさまざまな民俗衣装(たとえばチャイナドレスとかアオザイとかチマチョゴリ)の着方とか着こなし方とかが写真で載っていて目に楽しかった。あえて着てみたいのはアオザイかな。
世界の民話館 魔法使いの本
 ルース・マニング・サンダース著
 西本鶏介訳
 ブッキング
九月十八日
 「民話」というのは不思議な物語である、伝説伝承そのものでもないし、昔話でもない。
 私は小学生の頃からこのジャンルが好きで、各都道府県の民話シリーズなどは小学校卒業までにほとんど読んだものであった。
 この本は復刊ドットコムから復刊されたシリーズもので、今回は魔法使い、その次は竜とテーマごとに続いて出る。出来る事なら全部読みたい。
昼メシの丸かじり
 東海林さだお著
 朝日新聞社
九月十九日
 前々から読んでみようと思っていたこのシリーズにとうとう手を出してしまった。
 著者によるイラスト入りの食べ物エッセイである、本来オヤジの読み物なのであろうが、オヤジでなくても十分おもしろくかつおいしそうである。
 ちなみにこの本は「丸かじりシリーズ19」、まだ1から18までと続刊があるってことやね。
後巷説百物語
 京極夏彦作
 角川書店
九月二十一日
 八月の終わりからこの一月の間に、毎日ぶっ倒れそうなほど忙しいにもかかわらず京極夏彦氏の本を三冊も読んでしまった、馬鹿である。
 この三冊を読まなければ、その間いったいどのくらい原稿が進んだことか、どのくらい他の本が読めたことか、考えると腹が立つのだが、読み始めるとどんなに分厚くても終わりまで読まなければ気になって仕方がないのがまた腹立たしい。しかも読んでいる最中は大変楽しいのだからたちが悪い。
 巷説百物語のシリーズの最終巻、ドラマ化もされていてその一部をずいぶん前に友人の好意で見ることが出来ていたので大変イメージがしやすかった。
 ちなみに今年の直木賞作品なのだが、やはり小説は純文学より娯楽に限るな!
ぱんぷくりん 亀之巻 
 宮部みゆき作
 黒鉄ヒロシ絵
 PHP出版
九月二十三日
 ものすごくストレスがたまって誰かに当り散らしそうになったときに開けてみるとちょっと毒気が抜かれる本、小さくてかわいい装丁である。
 小さくてかわいくて幸せな話が三本載っていて、しかもあっというまに読める。
時の町の伝説
 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作
 田中薫子訳
 徳間書店
九月二十五日
 時は第二次世界大戦真っ只中、疎開の汽車が駅について…というところから始まる異世界ファンタジー、どたばた喜劇である。
 英国で疎開で汽車というと、どうしてもナルニアを連想してしまうのだが、それとこれとは全く違う物語なのに同じところがひとつだけある、主人公が帰ってこないところだ。
 私は物語は基本的に「行きて帰りしもの」だと思っているので主人公が異世界に行きっぱなしというのには少々抵抗があるのだが、作者が戦争続きの現実社会に嫌気がさして、物語の上だけでも主人公たちを戦いのない世界に送り出したくなったのかもしれないと考えると、帰ってこない物語も納得出来るような気がする。
呪われた首輪の物語
 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作
 野口絵美訳
 徳間書店
九月二十七日
 読み始めた時には妖精たちと巨人のファンタジーかと思ったのだが、だまされた。種族と外見と生活する場所は違えども、基本的には人間しか出てこないし物語中で起こっている問題とその解決方法は現実的であった。
 しかし、普通の人間から見ればあんたたちはほとんど妖精に見えるよ。
おしゃべりなカーテン
 安房直子作
 講談社
九月二十九日
 安房直子さんは小学生のころから読んでいる作家さんの一人である。 その物語はいつも悲しく去る死ぬ消える帰らないの連続だったような気がするのだが、久しぶりに読んだこの本の主人公は陽気で元気なおばあさんで、物語も終始明るく楽しかった、こういうのもいいかも、
ぱんぷくりん 鶴の巻
 宮部みゆき作
 黒鉄ヒロシ絵
 PHP出版
十月三日
 宝船、招き猫、鳥居と続くおめでたいかわいい物語集である。
 作者がこんな短い話を書くという事実が一番の驚きかもしれない。
紺極まる
 長野まゆみ作
 大和出版
十月四日
 なんだか久しぶりに読んだような気がする長野まゆみ、次々と新刊が出るので油断しているとすぐに未読本がたまってしまう。
 私はどちらかというとボーイズラブにはうといのだが、ボーイズラブと文学作品の違いはどこにあるんだろうか?おっさん(三十男はもうおっさんである)と少年のリリカルラブなのだが青いぞ!あんたたち。
どぜうの丸かじり
 東海林さだお著
 朝日新聞社
十月八日
 丸かじりシリーズ二十一、何度も書くようだが実際読んでいて時間の無駄であるのだが、おもしろいんだよな、こういうのが。
 夜寝る前の原稿が終わった後とか、家事育児の間のちょっとした休憩時間なんかに読むと適当に気が抜けて大変およろしい。
 しかし、「スタバのお作法」はけして人のことを笑えないな…。一度しか行ったことがないけれど、チンプンカンプンだったぞ、あの店。
兄弟天気図
 長野まゆみ作
 河出書房新社
十月九日
 作者によって得手不得手なジャンルというものはもちろんあると思うのだが、児童文学と長野まゆみというのは合いそうでいて全く合わないのではないだろうか、作者の本はたくさん読んできたつもりなのだが、今まで読んだ中では物語としては一番精彩を欠いていると思う。
透明人間の納屋
 島田荘司作
 講談社
十月十二日
 「講談社ミステリーランド」の中の一冊、やっぱりミステリーランドはいいし、島田荘司もいいなあ!
 子供向けミステリーのシリーズなのだが、子供だましな作品は今のところ私の読んでいる中では一人も書いてないし、かといって子供向けではないということは絶対にない。
 島田氏はともかく、後味最悪の作品で有名なあの作家とかあの作家が、どんなものを書いてくれるのかとても楽しみだ。
シング・ソング童謡集
 クリスティーナ・ロセッティ著
 安藤幸江訳
 文芸社
十月十四日
 十九世紀の女流詩人が残した詩、童謡集なのだが、ほとんどナースリーライムのようである。
 子供を亡くした母親を歌ったものが結構多くて、この当時のイギリスはまだ子供の死亡率が高かったんだなと思わせる。
 挿絵はアーサー・ヒューズ。
赤い蝋燭と人魚
 小川未明作
 いわさきちひろ画
 童心社
十二月某日
 ずっと前本屋でいわさきちひろのフェアをやっているときに買っておいた本。赤い蝋燭と人魚ならば、文庫版でも持っているのでしばらく積読だったのだが、依頼原稿で人魚ネタを描くためにやっと読んだ。
 この絵本がいわさきちひろの絶筆であることをはじめて知った。
ダレン・シャン12 運命の息子
 ダレン・シャン作
 橋本恵訳
 小学館
十二月十九日
 ダレン・シャンシリーズもとうとう最終巻、当初は20巻まで続くという話だったが、案外早く終わってしまった。ダレンかスティーブかどちらが生き残ってもやってくる未来は同じ、と聞いた時からもしかしたらこうなるんじゃないかなーーーと薄々考えてはいたが、やっぱりやったな、ダレン!しかし、あの戦いで結局ダレンが勝ったということが意外といえば意外であった。
 その後、エバンナさんの思わぬ活躍もあって物語は意外なほどきれいに終わる。最後にダレンがたとえ少しの間でも生きて舞台にたっているラーテンに出会えたことが、私としては何よりもうれしかった。


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