「ラスト3回のオールナイトニッポン」・・・2013/09/8 


えぇ〜ん!ラジオ終わっちゃうじゃない、、涙

あと3回だって。

うお〜ん。

9/99/239/30の3回だぁ。(9/16はお休み)

4年近く生活の一部となっていたのでさみしいったらありゃしない。

思えばしんどそうな声と緊張感からスタートした番組でした。

数々の名シーン、、、、んんん、、、そんなこと今ここではふり返らなくってもいいですね。

あと三回はどんな感じで締めるんだろう、。何を語るのでしょう。何を歌うのでしょう。かかる曲は何?

、、とまぁありきたりの想像もやめておきましょう。

では

前回のオールナイトニッポンの
ラスト三回でもふり返ってみましょう、、笑笑

それは1980年10月〜1982年4月3日

僕は高校一年〜二年でした。

枕元にラジカセを置き、120分テープをセットし1時の時報と同時に録音スイッチを押す。

ウトウトしながら眠気と戦ってなんとか2時まで聴いてテープをひっくり返して再び録音ボタンを押して

安心して眠りに付き、翌日の夜にゆっくり後半を聴くということを繰り返していました。

しかし不覚にも2時までに眠ってしまった場合、ほとんど聴けなかった回も。

オートリバース録音の機能があの頃あればよかったのにね。

録ったテープは次の週には上から重ねて録音するから手元にほとんど残ってない。涙

あの頃の高校生にとってはテープ一本でも貴重でした。

ラジオで語る拓郎さんのメッセージは、16才から17才の僕にとっては、

おそらく歌やステージ以上の影響力でして、それこそ感性が出来上がる思春期バリバリのタイミングでしたから

拓郎さんのオールナイトニッポンは、それはそれは影響受けました。

身体にぶっとい芯でも入れられような感じといっても大げさではないでしょう。

送り手本意のハチャメチャな自由トークしかり、視聴者のハガキをビリビリ破く奔放さ。

往復ハガキが来ると全員にサインを書いて送り返してくれる優しさ。

頑固な少数派意見の大切さや想い。

…こうであれ、…こうでなきゃいかん、曲げない一本気。

社会や世の中の流れに向かって、角度を変えて言い放つ視線。

思春期の男が影響受けないわけありません。

おかげで不器用な男に仕上がってしまいました。

いや、僕だけじゃなくて、たくさん。ね。

ゲストも多かった。

中村雅俊・草刈正雄・五十嵐淳子・小室等・森下愛子・竹田かおり・高中正義・かまやつひろし・南こうせつ・

榊原郁恵・甲斐よしひろ・矢沢永吉・チェリーズ・岡本おさみ・中島めぐみ・バンドメンバー全員・中尾ミエ・

オフコース・山田パンダ・婦人科医の先生 ビートボーイズ、、等々。

ビートボーイズの「マンなんて」は生涯忘れられないくらい笑った。

正月明けの話は面白かったなぁ。

聞き手無視の電話かけまくりの個人買いの週はあっけにとられましたし。

浅野さんに殺された週なんてとんでもなかったし。

今じゃ考えられない奔放な番組でした。

二度のギター教室はたくさん歌ってくれました。

「言葉や「制服」「さすらい日本」「蒼い夏」「証明」「僕の唄はサヨナラだけ」、、、たくさん、たくさん。

‘泣くなよ’って言って歌い始めた「家族」は圧巻だった。

ライブ音源も何度も流してくれました。

「この次はこの街で」は良かった。詞を書き出し何度も練習しました。

そんな思春期の僕にとって、ラジオが終わると聞いた時のショックは、今回の比べものにならないくらい衝撃でした。

あの時はたった一年半の放送でしたが、時間が今と比べて何倍もゆっくり流れていましたから。

ラストの三回は保存版に。

タイトルを読んでもらえばわかると思いますが、あと三回のとき(1982/3/20)には「LP特集」と題して

アルバムから一曲ずつ選曲して流されたんですよ。アルバムのエピソードを交えながら。

曲目は

古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう 広島フォーク村
「イメージの詩」

青春の詩
「こうき心」

オンステージともだち
「もう寝ます」

人間なんて
「自殺の詩」

オンステージ第二集
「人間なんて」

元気です
「祭りのあと」

伽草子
「ビートルズが教えてくれた」

LIVE73 
「落陽」

今はまだ人生を語らず
「人生を語らず」

明日に向かって走れ
「ひとつの出来事」

クリスマス
「風に吹かれて」

ぷらいべえと
「夜霧よ今夜もありがとう」

大いなる人
「あの娘に逢えたら」

ローリング30
「無題」

TOUR1979
「知識」

TOUR1979 vol.2落陽
「爪」

Shangri-la
「街へ」

アジアの片隅で
「いつも見ていたヒロシマ」

無人島で…
「この指とまれ」

そしてラスト二回の週(3/27)は「シングル特集」(朝日ソノラマ含む)

レコーディング時のエピソードを交えながら紹介。

「基地サ」

「僕一人」

「青春の詩」

「今日までそして明日から」

「結婚しようよ」

「旅の宿」

「おきざりにした悲しみは」

「伽草子」

「金曜日の朝」

「シンシア」

「となりの町のお嬢さん」

「明日に向かって走れ」

「チークを踊ろう」

「Voice」

「カンパリソーダとフライドポテト」

「舞姫」

「流星」

「春を待つ手紙」

「あの娘といい気分」

「いつか夜の雨が」

「元気です」

「サマーピープル」

「サマータイムブルースが聴こえる」

「唇をかみしめて」

そして最終回(4/3)は、いろんなテーマごとに想いを語り、そのテーマに合う曲が流されました。

教育について
「教訓」加川良

愛の詩について 
「イマジン」ジョンレノン

女性について  
「ウーマンウーマン」Gary Puckett and The Union Gap

自分の性格について
「この指とまれ」吉田拓郎

新曲について  
「旧友再会フォーエバーヤング」山本コータロー山田パンダ

深夜放送について
「スーナ・オア・レイター」ボブディラン

そして最後の言葉

いよいよ終わりになりましたが、本当にね、長い間お騒がせしました。

ほんとにお騒がせしましたっていうのが当たってますが。

送り手本意、、と言いながら、吉田拓郎のオールナイトニッポンでした。

いろんなことがありましたが、そういうのも全部ですね、まぁ、長いか短いか知りませんが

人生の中のほんのひとコマでありますから、そういうほんのひとコマひとコマが結局積もり重なってね

大げさに言うと人生みたいなものが形成されるわけですから、、そのひとコマひとコマにもですね

やっぱりいつも熱い視線というか、熱い想いを込めていたいもんだと思います。

そうはいってもなかなかね人間ですからね、時には気持ちを抜いてたりね、手を抜いたりします。

僕もですねラジオを聴いてるみんなも、誰もですが まだまだ生きてる限りはですね 

やんなきゃいかん、いけないことがたくさんあるわけですから、、それでまたやらなきゃいけないわけですから

できるだけね、その一回一回のそのひとコマひとコマの度にですね 熱くなれるようにね。

それから 心とか胸を いつもときめかしていたいと思ったりします。

やっぱりね、考えてみると 僕らがしっかりやらんとね、、

誰かに任せておきましょうってあるでしょう(そういう風潮がダメという意味) 

いつも胸をときめかせていたいと思います。

また逢おうぜあばよ。

「また逢おうおうぜあばよ」レコードがフルコーラス流れる

CM〜提供読み上げ

えーみなさんですね、人にどこかで会いますとですね 僕らも含めてですが

「元気ですかー?」ってやっぱり「元気ですよ!」って答えたい。、、そういう歌ありましたなどっかで。

ほんとにね、いつも「元気ですよ!」って答えましょう。

またね、どこかでお会いすることがあると思うしコンサートもありますし。

また会ったら「元気か?」って声かけてください。

こっちからもですね、みんさん「元気ですか?」っていつも声をかけたい気持ちでおりますし

その時にやっぱり「元気だ!」って言われるとやっぱり気持ち良くってね。

そういう再会をまたどっかで願っております。

それではみなさんさようなら!

--今日までそして明日からのインスト--

これ32年前、のラジオの最後のコメントですよ。拓郎さん35才。

今月の9/30の最終回に67才で同じこと言われてもピッタリきますね。

むしろ合いすぎて泣いちゃいますね。

端的にまとめると、

‘ひとコマひとコマに熱い想いを込める’

‘やらなくてはいけないことがたくさん’

‘心とか胸をときめかして’

‘僕らがしっかりと’

‘また逢おうぜあばよ’

そして

‘いつも「元気です」と答えよう’

東京オリンピックが今朝決まりました。

何か将来に楽しみがあるというのは絶対的にいいことだと思います。

心を高揚させて生きていきましょう。

その年も吉田拓郎さんのギターを持つ姿が見られますよう、心から。

前回の東京オリンピックの年に生まれたそらまめです。

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