「広島市青少年センターコンサートを辞退しました」・・・2015/10/07更新


広島フォーク村は

広島市青少年センター50周年事業

「広島市青少年センターが広島の音楽シーンに与えた多大なる影響それは広島フォーク村から始まった!!」

のコンサート出演を見合わせることになりました。

僕の立場で報告というのもへんだし、詳しくもわかってはいないのですが

前回の記事で、このコンサートの告知をした責任もありますし少し書かせてください。

9月の3日でしたか、青少年センターのホームページに第一回目の告知がでたのは。

あれ見て、、ん?ん?あれれ??と個人的には思ってたのですが。

なんだか最初の話と方向性が・・・。

いえいえそんなことが理由ではないようですが。

遠目で見ながら、フォーク村のみなさんが運営上のことでお困りの様子が漂ってきました。

主催は財団法人であり、いわばお役所様。

堅く決まった仕事をしようとする方達と、自由で心が今でも青春している人達では

話がかみ合わなかったということでしょう。

どちらが正しいとか間違ってるとかではないと思います。

立場も生き方も違ったということでしょう。

たくさんお客さん集めてわくわくして楽しいコンサートをしたいだけなのです、広島フォーク村は。

もともと計画の意味合いの解釈が違ってたのかもしれません。

これに乗っちゃうと広島フォーク村の根っこの独自性が失われる。

尊厳を守ったということではないでしょうか。

魂を貫いたということだと思います。

僕はそう理解したのでその決断に大賛成ですし誇りにさえ思います。

48年前に、自分たちの手で面白いコンサートをつくろう!と結成された広島フォーク村。

自分たちでチラシをつくり自分たちでチケットを売り、自分たちで満杯にし自分たちで面白いコンサートをする。

それが全国へ広まった○○フォーク村の原点でした。

そこからプロになった吉田拓郎氏により、その魂は曲作りやコンサートツアー、イベント、レコード会社と

独自に発展し、日本の音楽シーンを開拓していきました。

その生き様、奔放さに僕達ファンは熱狂したのです。

そして、広島という田舎からたくさんのミュージシャンが生まれ育つ土壌を作り上げたのは

間違いなく広島フォーク村の活動があったからです。

その主人公達がこのコンサートは参加できない、、と判断したのですから受け止めましょう。

今回は、結成当時の中心メンバーがたくさん参加される予定だっただけにとても楽しみではありましたが、

きっと近い将来にまた「自分たちの手で面白いコンサートをする」日がくると信じております。

その時には、好きなように運営して気持ち良く演奏してください。

何か役に立てることがあれば何でもさせていただきます。

実現したらまたみなさんも全国から見に集まってくださいね。

そろそろ拓郎さんも里帰りしなきゃだめですよっ。

1968年、開村コンサートで配られた巻物

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