私は松山維新の会の一員として一般質問を致しますので市長はじめ理事者の皆様方の明確なるご答弁をよろしくお願いします。

先般、東雲小学校6年生の皆さんを招いて行われた松山こども市議会、野志市長は、来賓挨拶の中でこう話されています。

「皆さんは笑顔の人としかめっ面の人どっちが寄って行きやすいですか?笑顔の人がいいよね、しかめっ面の人の方へ寄って行くとなんか文句を言われちゃうんじゃないかと思いますよね、笑顔の方が人を集めますよね、人が集まるといろんな事ができますよね、これをね、笑顔の力って言ううんです」

これを聞いて正直はっとしました。最近、私の後援会の幹部の方から「議員も笑顔をつくらないかん、にこっと笑いなさい」と言われていたのですが、市長の言葉で意味がよくわかりました。「笑顔の人の所に人が集まる」ということですよね。

市長!野志市長は、「どんなまちづくりをしたいですか?一言でお答え下さい」と尋ねられたら、どんな答えをしますか?多分「笑顔のまちづくり」とお答になると思います。

これから私の考える笑顔のまちづくり7カ条について質問を致しますのでご答弁の程よろしくおねがいいたします。

 

 

本年は、瀬戸内海が全国で初めて国立公園に指定されて80周年、道後湯之町の初代町長 伊佐庭如矢氏(いさにわゆきや)が就任に際して、自らは無給とし、その給料分を費用に充てて改築された道後温泉本館が、120周年、四国では古くから「おせったい」というお遍路さんへおもてなしをする生活文化があります。その四国八十八ヶ所霊場が開創されて1200年。

また本市が観光庁の新ゴールデンルートにも認定され、野志市長のトップセールスを先頭に積極的に営業をされた結果、大型誘客キャンペーンが実施され、Hospitality おもてなし 日本一の観光都市を目指されていることと存じます。

いで湯と城と文学のまち松山、昔からのキャッチコピーではありますが、なかなか趣のあるコピーであります。その「いで湯」、道後の活性化についてお伺いします。

先般、新聞紙面を見ておりますと、『ドアを開けるたびに見知らぬ国のような、あるいは美術館をいくつも巡っているような。地元旅行は、想像以上に楽しかった』と、書かれたコラムが目に留まりました。

今年、道後温泉本館は、改築120周年を迎えますが、このコラムは120周年を記念して開催されるアートイベント『道後オンセナート2014』を紹介したもので、昨年12月に一部先行オープンした宿泊できるアート作品である『ホテルホリゾンタル』を巡った感想が綴られていました。

最後に、『ホテルの玄関から客室までの距離も、大通りを1本それた路地も小さな旅。見慣れた景色が違って見える瞬間を、また味わいに行こう。』と結んでいました。

これまで道後温泉は、歴史と文化を中心に紹介されることがほとんどではなかったかと思います。そして良質な日本最古の温泉と、明治27年に改築されたあのシンボリックな建物によって、道後は全国にその名を馳せています。

道後オンセナート2014は、国内外の多くのアーティストが参加すると聞いていますが、温泉地でアートという新しい分野に挑戦する姿勢に、地元の方々の活性化にかける熱い思いを感じた次第であります。

道後の活性化のため、新たな道後の魅力を引き出す手法として、日本最古の歴史を持つ温泉地を舞台に、最先端のアートを融合させるというイベントコンセプトは、一見不釣合いな組み合わせにも思えますが、実際に歩いて、見て、体験をすると、コラムでも紹介されていたように思わぬ発見があるのはないでしょうか、その成果が期待されるところであります。

そこでまずお伺いしますが、410日のグランドオープンも間近に迫ってきていますが、道後地区でどのようなアートイベントが展開されるのか、概要をお示しください。また、市内、県内だけでなく、全国からも集客をするには、このイベントを多くの方々に知っていただくことが重要であると思いますが、PR活動はどのように行うのかお伺いします。

(答弁)

次に、今回のイベントの中心となります道後温泉本館ですが、市長は愛媛国体が終了した後に、本館修復工事に着手したいとの考えを示されました。本館修復は工事期間が長期に及ぶため、観光産業事業者へ大きな影響を及ぼすとも言われており、多くの課題があるものと思われます。今議会に椿の湯の改築関連の事業費が提案されておりますのも、本館修復中の入浴客を受け入れるためのものであると思われますが、本館修復について、どのような計画で進めていかれるのかお示し頂きたいと思いますが、提案があります。

平成1610月から平成1811月末まで松山城の重要文化財である天守などを保全するための「平成の大改修」といわれた大規模な修復工事が行われました。私が副議長の時でありましたが、平成17年818日に修復工事の現場を見学させて頂きました。普段は絶対に上がることのできない天守の上に上がることができ、その天守の上から見る松山市内の眺望は大変素晴らしいものでした。これも修復工事をしている時期だからこそ、できた特別なことであります。参加した議員や市の幹部の方々からは、絶賛の声があがっておりました。

誰しもが次の改修まで天守の上には上がることができない訳ですから、こんな一生に一度しかないめずらしい稀有なことなのでしょう。この話を姫路の人にしたからではないと思いますが、これの上をいったのが姫路城の改修であります。

天守をすっぽりと覆った姫路城大天守修理見学施設「「天空の白鷺」なるものを作ってしまいました。天守の高さは地上から46.35m、13階建のビルの高さに相当しますが、エレベータが設置されていて上部に上がると修復作業が手に取るように間近で見ることができました。この素屋根工事は杭を打たずに立てられているとの事でありました。平成241月に松山市総合計画調査特別委員会視察の際に見学させていただきましたが、現在は、素屋根・構台の解体工事のため、天空の白鷺は閉館してみることができません。

道後温泉本館修復の際に本館をすっぽりと素屋根で覆い、観光客にも見学できるようにしてはどうかと思いますが、ご所見をお伺いいたします。

また、松山城天守修復工事の記念イベントとして平成17年10月1日からの天守の入場者に対し天守に吹き替える瓦に名前を記入することができるサービスをされました。一枚に8名の氏名記入で3000枚の瓦を用意したとのことであります。寄付が500円と記憶していてえらい安いなぁと思っていましたが、確認すると寄付ではなく入場料でありまして寄付はいただいてないそうであります。

しかし、道後温泉本館の修復の際には、瓦一枚に1万円くらいの寄付はしていただけると思いますが、そのお考えがないか併せてお伺いいたします。

余談になりますが、地元産の瓦も県窯業試験場の指導の下、品質も向上しておると聞き及んでおりますこと申し添えております。

(答弁)

また、全国の観光地間では誘客に向けた激しい競争が繰り広げられています。道後には本館をはじめ、多くの魅力ある観光資源が点在していることから、これら資源を結んで町全体をステージにした総合的な取り組みが

必要であると思いますが、今後の道後の活性化に向けた方針についてお尋ねします。

(答弁)

 

 

次に魅力ある都市景観の形成について質問を致します。

Infrastructure まちづくり その名の通り都市とは、整備しなければ活動ができない構造になっています。首都東京ですら天災に弱い都市とされています。安心安全は勿論のこと、都市景観など十分に配慮したインフラ整備を図らなければいけないと私は考えます。

美しい街並みや歴史・文化の薫り高い景観は、市民の生活に潤いを与えるともに、市外から来訪する人が松山の素晴らしさを実感できる地域固有の宝であり、今後も大切に保全していく必要があると思います。

しかしながら、都市の発展とともに、まちの景観は絶えず移り変わってきており、建築物や工作物などが、周辺の景観と調和していない状況が見受けられます。

そうした中、平成22年には、松山城への眺めが保たれている『松山市役所前榎町通り』と温泉情緒の雰囲気が溢れた『道後温泉本館周辺』において景観計画を策定し、地域住民の協力のもと、建物の高さや色彩などのルールに沿った建築等が行われ、松山らしい景観が保たれていることは評価しているところであります。

平成25年度からは、中心地区約100ヘクタールにおける景観計画を検討されているようですが、城下町400年の歴史を継承する県都・松山市の顔となる中心地区にふさわしい景観誘導策が構築されることを望むものであります。

そこで質問ですが、まず、魅力ある都市景観を守り、育てるためには、それぞれの特性を活かした地域ごとの景観形成の方針が必要であると考えますが、松山城、城山を中心とする中心地区のあるべき姿を本市はどのように考えておられるのか、お尋ねいたします。

(答弁)

また、中心地区においては、戦災復興後に建築された築30年以上の建築物が集中しており、これらの建築物のほとんどが新耐震基準以前の建築物であり、一斉に老朽化していることや、木造建築物が数多く混在する地域もあり、景観の向上、防災上の観点からも、建築物の更新を進める必要があると考えています。

そこでお尋ねいたしますが、民間の再開発事業を誘導していく中で、都市景観の向上と併せ防災面の配慮も必要と思いますが、本市はどのように考えておられるのか、お示しいただきたいと思います。

(答弁)

 

 

次に「環境モデル都市」について伺います。

「も・っ・た・い・な・い」を提唱した ノーベル賞受賞者のワンガリ・マータイさんを御存じの方は多いと思います。ワンガリ・マータイさんは、ケニア出身で20041210日、「持続可能な開発、民主主義と平和への貢献」により、環境分野の活動家およびアフリカ人女性として史上初ノーベル平和賞を受賞した人物であります。

MOTTAINAI』との出会いは、20052月に京都議定書関連行事のため、毎日新聞社の招聘により日本を訪問し、その時、同社編集局長とのインタビューで「もったいない」という言葉を知ったとのことであります。

「もったいない」は"wasteful"と同じ意味であって、両方の言葉は環境問題を考えるに重要な概念と話したと言われ、同年217日に、当時の内閣総理大臣・小泉純一郎と会談した際、"wasteful"という言葉を使用したが、「もったいない」という言葉を使ったと報道されました。同年3月には国連女性地位委員会で出席者全員に「もったいない」と唱和させたりするなど、世界へこのことばを広めました。

『世界一受けたい授業』(日本テレビ系のテレビ番組)などで語った所によると『MOTTAINAI』を世界共通の言葉とする理由について「もったいない」に感銘を受けた後、この意思と概念を世界中に広めるため他の言語で該当するような言葉を探しましたが、「もったいない」のように、自然や物に対する敬意、愛などの意思(Respect)が込められているような言葉を他に見つけられなく、消費削減(Reduce)、再使用(Reuse)、再生利用(Recycle)、尊敬(Respect)の概念を一語で表せる言葉も見つからなかったので、そのまま『MOTTAINAI』を世界共通の言葉として広めているとのことでありました。

この日本人の美徳を表す言葉「もったいない」の精神を再考し、更なる省エネルギーの取り組みなどで低炭素社会の実現を図っていかなくてはいけないと考えます

折しも、本市は、松山サンシャインプロジェクトやゴミ減量の実績が認められ、平成25315日に、温室効果ガスの大幅な削減など低炭素社会の実現に向け、高い目標を掲げて先駆的な取り組みにチャレンジする「環境モデル都市」に選定されました。

また、今年度中には、「環境モデル都市」として平成26年度から平成30年度までの具体的なスケジュールと削減目標を定めたアクションプランを策定すると

伺っており、本市は、「環境モデル都市」としてふさわしい取り組みを積極的に推進していかなければならないと考えます。

そこで、まず1点目ですが、「環境モデル都市」のアクションプランで目標を掲げるだけでなく、目標達成に向け、市の施策として重点的に取り組む必要があると考えますが、今後具体的に取り組むアクションプランの内容をお聞かせください。

(答弁)

2点目は、「環境モデル都市」として取り組む4本柱のひとつとして「スマートコミュニティの推進」を掲げていますが、私は、スマートコミュニティの構築が、省エネの推進や自立分散型電源の確保など地域でエネルギーを創り、蓄え、融通し合うといったエネルギーの地産地消も実現出来る重要な取り組みであると考えますが、「スマートコミュニティの推進」の方向性についてお聞かせください。

(答弁)

3点目は、「環境モデル都市」が目指す低炭素社会の実現のためには、温暖化防止や省エネ、再生可能エネルギーなどの施策のほか、まちづくり施策など、広い分野での取り組みが必要であり、それを着実に推進していくためには、企業や大学はもとより市民の皆様との協働が必要不可欠と考えますが、産学民との協働やそのための組織づくりについてのお考えをお聞かせください。

(答弁)

 

 

次に防災について質問致します。

2006年頃は「この30年間で起こる確率が50%の東南海地震」、今では「南海トラフ巨大地震」と呼ばれ、2010年からは確率も60%−70%にあがり、50年以内となると90%とも言われております。このような中、昨年愛媛県が公表した「愛媛県地震被害想定調査結果」によると、南海トラフ巨大地震の場合、本市においては、最大震度7、最高津波高3.9mと想定され、建物の倒壊や火災などが発生し、死者

約700名、負傷者約5700名と甚大な被害をもたらすと予測されており、過去1400年の地震発生頻度をみると直近で発生した19461221日の南海地震から約100年から200年周期で発生すると考えられ、いつおきてもおかしくない状況にあります。

いざ、起こった時、頼りになるのは、結成率100%の自主防災組織であろうと思われます。地域では、日頃から防災訓練や研修に励まれておりますが、実際に起こった時に迅速かつ実効性のある対応ができるのは自主防災組織の質の向上と組織づくりが課題ではないかと思います。

Organization 組織作りとはひとりひとりの力を繋ぐ事により、大きな問題に立ち向かう事の出来る大きな力の結集と考えます。来るべき南海トラフ巨大地震に備え、地域の防災力を高めなければならないと思います。

そこで質問ですが、この地域に根差している自主防災組織が今後、各自の研鑽や意識の向上をどのようにして図るのか。また住民同士の連携強化や資金調達手段への配慮など組織づくりをどのようにしていくのか、お尋ねを致します。

(答弁)

2011年(平成23年)311144618秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートル、仙台市の東方沖70キロメートルの太平洋の海底を震源とする東北地方

太平洋沖地震が発生しました。地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震であります。震源は

広大で、岩手県沖から茨城県沖までの南北約450キロメートル、東西約200キロメートルのおよそ9万平方キロメートルという広範囲すべてが震源域とされて

います。最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・栃木・福島・茨城の436市町村と仙台市内の1区で震度6強を観測しました。

この地震により、場所によっては波高10メートル以上、最大遡上高40.1メートルにも上る巨大な津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害が

発生しました。2014年(平成26年)110日時点で、震災による死者・行方不明者は18,524人、建築物の全壊・半壊は合わせて399284戸が公式に確認されております。震災発生直後のピーク時において避難者は40万人以上、復興庁によると、2014213日時点の避難者等の数は267419人となっており、避難が長期化していることが特徴的であります。

今でも避難生活をされている方にお見舞いを申し上げます。

3年前の311日は、確か市民福祉委員会が開催されており、休憩中にマスコミの方から東北地方で巨大な地震が発生して大変なことになっていますと聞いてすぐさま控室のテレビをつけると福島原発を襲う津波が映し出されていました。

それからの未曾有の惨事は、私がここで筆舌を尽くすまでもなく、皆様ご承知のことだと思います。昼夜を問わないあの様々な報道の中で信じがたい目や耳を疑ったことは、避難所に食糧がない、足りないという現実でした。

本来、地域防災計画には、水や食料の備蓄が決められているはずなのに備蓄の食糧は、どうなったのか?なぜ救援物資はとどかないのか?非常に歯がゆい思いをしたのを覚えています。

そこでお尋ねを致しますが、松山市の災害に備えた備蓄はどのようになっているのか?何人くらいの避難者を想定され、一日の食事の回数や何日程度の生活ができるくらいのものをどこに備蓄をされているのか、流通在庫等による調達体制を含めてどうするのかお答え下さい。

またあわせてアレルギー疾患の方への対応や慢性疾患の方の治療薬などの医薬品についても現状がどのようになっているのか。お尋ねします。

(答弁)

 

 

次に、市民と行政の協働のまちづくりについて質問します。

昨年策定された第6次松山市総合計画では、まちづくりの理念として「様々な世代の人が、つながり、支え合い、いきいきと暮らせる街を目指す」、「夢や理想を抱き、挑戦し続けるまちを目指す」、「魅力や活力にあふれ、持続的に発展するまちを目指す」を掲げ、将来都市像である「人が集い 笑顔広がる 幸せ実感都市 松山」の実現に向け、「市民参画を推進する」こととしており、今後、この総合計画に基づき、住民主体のまちづくりに向け、いっそうの取組みが進められるものと考えております。

私は、こうした市民と行政の協働のまちづくりを実現するのに際し、何よりも基本とすべき概念として、ご承知の方も多いと思いますが、Social Capitalを高めることが大切であると考えています。

このSocial Capitalは、人々の協調行動が活発化することにより社会の効率性を高めることができるという考え方のもとで、社会の信頼関係、規範、ネットワークといった社会組織の重要性を説く概念であり、人々が持つ信頼関係や人間関係(社会的ネットワーク)のことであります。

信頼できる人間関係は人生において最高の宝物ではないでしょうか。市民主体の活力ある地域社会を目指すためにも、ひとりひとりの信頼関係の構築こそが大切なものだと私は考えます。

野志市長は、就任直後からタウンミーティングにいち早く取り組まれ、41校区を2年ですべて回り終え、現在は2巡目に入り、先月15日に開催した雄郡地区で20地区ともう半分実施した事になります。私も地元雄郡でしたから後ろの方で拝聴させていただきました。子どもたちも含め、多くの参加者から活発な意見が出され、参加者の皆さんからも、有意義な会であったとの感想をお聞かせいただきました。

市長は、所信表明で「地域の魅力や課題などの現状を市民の皆様と共有し、地域と行政との役割分担を踏まえたまちづくりを一緒に考え、実現可能なご意見から事業化するなど、市民の皆様の声を市政に反映させてきました。こうした取り組みが、市民の皆様の市政に対する信頼感やまちづくりへの参加意識を醸成し、そのことがひいては市民と行政の協働のまちづくりの推進につながるものと考えております。」と申されております。全く同感であります。

そこで、まず、質問の第1点目として、市民からの提言を誠実に実現することは、市民との信頼関係を構築する基本であると考えます。タウンミーティングをどのように評価しておられるのかお聞かせください。

(答弁)

また、第2点目として、タウンミーティングでいただいた意見を、どのように新年度の事業に反映しているのかお聞かせください。

(答弁)

また、国の調査では、Social Capitalは、市民活動と相互に影響しあい、育むことで、ボランティア活動を活性化し、犯罪発生の低下など、地域社会の安全安心や安定などの各方面に好ましい効果をもたらすものとされています。

そこで、第3点目として、地域社会において住民同士が信頼関係を築くために、どのようにSocial Capitalを育んでいくのかについて、ご所見をお示しください。

(答弁)

 

 

次の質問に入ります。

History歴史と文学のまち松山。

俳句の世界で正岡子規はあまりにも有名ですが、夏目漱石までも子規の手ほどきで一句詠んでいます。「俳句」は世界最短の定型詩とされ、近年その評価は世界中で高まっています。大切にしたい松山の財産です。

私達が大切にしなければならない歴史的財産が松山にはいろいろあります。

今は、もうありませんが、二番町4丁目にきどや旅館跡がありました。

夏目漱石が、松山中学校の英語科の教師として赴任して来たとき、最初に宿泊したのが城戸屋旅館であり、小説「坊っちゃん」に出てくる「山城屋」のモデルにもなっており、当時松山では一流の旅館でありました。

また子規の親友・秋山真之が、自分の乗っている軍艦「筑紫」が呉に寄航したとき休暇を利用して、松山で療養中の子規を見舞いに戻ってきたときも、この城戸屋旅館に宿泊しています。

きどや旅館は、松山空襲で焼失し、昭和28年頃に再建されたとのことでありますが、焼失前のまま再建されたかどうか定かでありませんが、きどや旅館跡を保存して

いれば当時の面影を忍べたのにという懐かしむ声も聞かれました。

今はその建物はなく、マンションが建設されております。

随分昔の話になります。私が大学を卒業するころと記憶していますが、地元の先輩が帰省した私を歓迎してくれるということで道後に連れて行ってくれました。

道後温泉本館の正岡子規や夏目漱石が明治の時代に、はいったであろう湯に浸かり、旅の疲れを癒したところで階上に上がると坊っちゃん団子とお茶をいただきました。

余談になりますが、今の坊っちゃん団子は、三色ですが、当時は、湯ざらし団子で、赤餡と白餡の団子を三つ串に刺したものであったようです。

帰りには、うどんのとしだで店主のお勧めは、素うどんとちくわとのことでしたが、私はここの肉うどんが大好きでおいしくてたまりませんでした。肉汁といりこのだしがあい絡まって何とも言えない旨みを醸し出していて今でも忘れえぬ味であります。

最近でもないですが、同級会の終宴、飲み屋界隈でよく聞く話ですが、うどんのとしだもそうですが、千舟町にあった「かめ」の焼きそばが懐かしいとか、湊町3丁目にあった「かめや」のうどんがおいしかったとか、その後継店もあるにはあるが・・・などで、よもやま話に花がさいておりました。

私も自称グルメでありまして以前から食べ物でまちおこしができないものかと

考えておりまして旅に出たときには、その土地、土地の名物、今でいうところのご当地グルメを食すなど、視察のテーマ自体もB級グルメB-1グランプリ発祥の富士宮市やつい最近では、館山市のご当地グルメを創作してまちの活性化を図る取り組みを見て参りました。里見八犬伝にちなんだ「八色丼」なるもので仁・義・礼・智・忠・信・考・悌の八つの小丼ぶりに伊勢海老やサザエ、季節の魚や野菜・果物がのった豪勢な昼食の1800円は少々痛かったですが、勉強にはなりました。さて質問ですが、食べ物でまちおこしができないかについてお尋ねを致します。

ひとつには名代復活、各地で各種のグルメグランプリなども開催されこれだけグルメブームになっている訳ですから一時的でもいいですからもう一回あの名店の味を味わうことができないかそれを行政がきっかけになって進めることができないかについてお伺いを致します。

(答弁)

もうひとつには、野志市長には県下のグルメの情報や経験も持ちあわせておられますので「松山ならでは」に、こだわる必要はありませんが、先頭になって松山の名物料理を創作するプロジェクトを作るおつもりがないかお伺いを致します。

 

 

結びの質問に入ります

時代はノーマライゼーションからインクルージョンヘ、Inclusionは、通常「包括」と訳されますが、私は心から愛情を持って包み込む社会づくりと捉えました。市民の誰もが地域社会の一員として希望を持って生活できる協働による人にやさしいまちづくりが必要と考えます。

本年21日、20136月に成立した障害者差別解消法を広める内閣府主催のフォーラムが子規記念博物館でありました。このフォーラムは障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律の成立を踏まえ、地方公共団体との連携の下、学識経験者,障害当事者,事業者等によるシンポジウム等を通じて、地域の障害のある人や関係者の意見を広く聴取し、障害者差別解消法の円滑な施行に資するとともに、各地域における取組の促進と気運の醸成を図るために開催されたものであります。

新聞によると内閣府の障害者政策委員長で全盲者である石川准・静岡県立大学教授らが内容を解説。聴衆約200人に「建設的な議論で対応を進めよう」と呼び掛けたとのことであります。

そこで質問ですが、21日の内閣府主催のフォーラムに本市関係者も出席されていたと思いますが、どのようなご感想をお持ちなのかお聞かせ下さい。

(答弁)

障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律とは、障害者基本法の基本的な理念に則り、全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有することを踏まえ、障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本的な事項、行政機関等及び事業者における障害を理由とする差別を解消するための措置等を定めることにより、障害を理由とする差別の解消を推進し、もって全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の

実現に資することを目的とする、日本の法律であるとされています。

この法律は、20164月から施行されますが、これから本市が取り組むべき姿勢はどうあるべきかお示し下さい。

(答弁)

この法律制定に並行して地方でも障害者差別禁止条例の制定・施行が進んでおり、千葉県が最初に「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」を20077月施行し、北海道が「北海道障害者及び障害児の権利擁護並びに障害者及び障害児が暮らしやすい地域づくりの推進に関する条例」を2009331日に施行、岩手県は、「障害のある人も共に学び共に生きる岩手県づくり条例」を201171日より施行、熊本県は、「障害のある人もない人も共に生きる熊本づくり条例」を20124月1日より施行、長崎県は、「障害のある人もない人も共に生きる平和な長崎県づくり条例」を、沖縄県も「沖縄県障害のある人もない人も共に暮らしやすい社会づくり条例」をともに201441日より施行する予定であります。

市関係では、さいたま市が「誰もが共に暮らすための障害者の権利の擁護等に関する条例」を 201141日施行、八王子市が「障害のある人もない人も共に安心して暮らせる八王子づくり条例」を 201241日施行おります。

私が、インターネットで調べられる範囲はこのくらいでありました。条例制定となるとまだまた先進的な取り組みではありますが、本市における条例制定へむけてのご所見をお聞かせ下さい。

(答弁)

 

 

以上で私の質問は終わります。

ご静聴ありがとうございました。

宇野浩の平成26年3月議会一般質問

  ※質問のみ掲載しました。一部発言の内容と異なる部分があります。