セッション・グループワーク
体験談など





2007/9/21


ロータスさんがヒプノセッションの体験談を書いてくださったのでご紹介します。
今回はゲリーボーネルさんに指摘された過去世をさかのぼるというセッションでした。
1回のセッションですが、ご自身で体験を深め、沢山の記事を書いてくださいました。

9月18日 ヒプノセッション体験 1 「糸を解く」

先日、ヒプノセラピーを受けてきた。

カルマにしろ今生のテーマにしろ自分自身で確かめたい。
と、思ったから。

ゲリーのセッションで聞いていたから
先入観が影響したらいやだなぁ…と、思いつつ。

しかし、実際に現れた過去世は…
やはり、インドの過去生だった。

過去生での私は鼻の下にヒゲをはやした中年の男の人。
頭に布を巻いて白い丈の長い上着にズボンを穿いている。
先の尖って上にそったサンダルを履いている。

身なりはキチンとしていて、着ているものも良いもののようだった。

彼は埃っぽい町の通りを一人で歩いているところで
通りの脇には露天のお店が並んでいる。

野菜やフルーツのほかに籠に入った鳥が印象的。

町の人は、頭に布を巻いているけれど
上半身裸で清潔とはいえない感じ。

彼はイライラしたような気分でその通りを歩いている。

道で働いている人達を見て
「どうしようもないな…」というような
「自分とは違うんだ…」という冷たい目で見ている。

その背後にはカーストでのランク分けが社会的にあるのだけれど、
カーストで彼の家柄が受けている優遇に
感謝の気持ちが無く当たり前と思っている。

自分より下のカーストの人達に対して
差別的な気持ちが無意識的に身についている。

この人の意識では、神さまが人間を分けている。
恵まれている人とそうでない人、それが当たり前。
そんなふうにとらえている。


ここで、セラピストにどんな人かと聞かれて
言いたくなかったんだけど、「傲慢な感じ」と…。

口にしたら、言葉にスッっとエネルギーが乗る感覚があった。

生まれたときから社会的にも生活的にも代々身分がそうだし
人に仕えたり貧しさの経験が無いから、人に対する思いやりが無い感じ。

弱者に対する共感やそういう生活に苦しむ人への理解が無い。

けれど、何か貧しい人達を見て
彼の気持ちをイライラさせるものあがある。

それは自分が気がつきたくない、
拒絶しているものを見せられる気がするから。


彼は大きなヤシの木農園の農場主の息子。
年老いて、頑固で支配的な父親が実権を握っている。

彼には若くておとなしい妻がいるが心の通い合いが無く
奥さんというよりは家政婦のように扱っている。

家も立派だし、使用人もいっぱいいるけど
男人はあまり楽しそうじゃない。

気分がいつもモヤモヤして
怒りをため不満をためているような感じ。

お父さんが、押さえつけていて
自分がこうしたいという考えがあるのに認めてもらえない。

社会的風習で父親が絶対的という。

彼はすでに物質的なものは持っていて
土地を増やすとか収入を増やすとか、そういうことは考えるけど
人間的に成長しようという意識が欠けている。


子供が亡くなるのだけれど
彼は、あまり悲しいというような気持ちではなく
「籠の鳥になるくらいなら、産れてこないほうがいい」
と、冷ややかな気持ちでみている。


父親も亡くなり、財産を相続して自分の自由になり
押さえつけられる感覚は無くなるけど
空気が抜けた風船みたいな、
何を動力に生きていけばいいのかわからないという感じ。

「けっきょくは籠の鳥で、出られないということは変わらないんだな…」
と思っている。

最初に見えていた路上で、
そこにいる人達と籠に入った鳥を見てイライラしていたのは
籠の鳥が籠の鳥を売っている、皮肉さみたなものを感じていたようだった。

そして、町で働く人よりは上の立場の自分も
所詮、カーストの中では籠の鳥だ、ということを
無意識的に感じさせられる気がしていた。


晩年、寺院のようなところで
ハトを買って空に放すのを見ている。

自分に対しても出来なかったけど、自分以外の人に対して
やろうと思えばできたんだよなって気持ちで見ている。

青い空に鳥を放っている人を見ている。


奥さんとは一緒に住んでいるけど他人のような感じで
奥さんもただ使えているだけで、それ以上の期待を彼に持たず
夫婦の愛情という関係は得られなかった。

農場主という立場でも、雇う人たちに対して
思いやりや理解というものをまったく持たずに接してきた。

彼は裕福だったけれど、人間的な感情や関係では孤独な寂しい人だった。

自分の(不満)のことしか考えていない人生が虚しさの原因。



…と、まぁ、こんなことが見えてきた。
ゲリーから聞いていたのはインドの過去世で
男性で裕福だったことと傲慢だったことだけ。

それだけで、イマジネーションが
ここまで膨らんだのかどうかわからないけど
スラスラと見えてきた。


今生の私と共感するところは
高圧的な態度の人や自分を制限してくる人に対して
イヤだなぁ〜と強く感じたり、拒絶する気持ちがあること。

支配されそうになると逃げたくなるところ。

彼の人生から感じたのは、不満や怒り…フラストレーション。

その原因は、父親から高圧的に押さえつけられていたことで
自分を理解されていないと感じていたことや
カーストという制限された社会に対して。

母親の存在がまったく出てこなかったところを見ると
愛情というものが欠如した家庭に育ったということ。

それは、自分の奥さんや子供、また、使用人に対する態度に
傲慢さとして現れていたように思える。

不思議なことに、すでに意識の中に葛藤というものがあって
それがイライラ…というふうに感じられていた。

カーストに対しても、受け入れている部分と
不満に思っている部分の両方があった。

それは、もしかしてカルマや過去生について
いろいろと自分なりに考察したり、今の自分を観察してきたことで
過去が自然に書き換えられて変化したものなのかもしれない。

そんなわけで、自分の傲慢さについては、
ヒプノのなかで書き直しをすることは無かったけれど
奥さんとの関係についての修復、やり直しというのをやった。

これが本当の過去生であろうと、単なるイマジネーションであろうとも
こうして意識に現れた時から、これも一つの現実であるということなのだ。

そして、過去世の中の彼に今の私の気持ちを重ね
子供を無くしたばかりの奥さんに
いたわりの言葉と気持ち理解と共感で接してみた。

それは、ただ優しく抱きしめて背中を擦ってあげるだけだったけど
何度も繰り返し繰り返し、相手が受け取ってくれたと感じるまで続けた。

そして、次に奥さんの気持ちになって
自分の送った想いを受けとるということを体験してみた。

そしてまた、奥さんの気持ちが変化し受け取ってもらえたことを
自分の過去生の彼になって、きちんと受けとる。

ヴィジョンの中での二人は、しっかりと結びついて幸せそうに見える。

二人で協力して、農場を良いものにしていこうね…一緒に…

そういう気持ちが彼の中に生まれていた。

もし、次にこの転生を訪ねたら
まったく、違った晩年を過ごしているかもしれない。

誘導が終って感想を話していたときに、この時のことは
「自分の中の女性性を受け入れたような気分」と感じたと話した。

セラピストさんも同じように感じたそうだ。

こうして、すでに終わってしまった出来事も人間関係も
現在でも影響を及ぼしていることを書き換えることができる。

つまり、現実とは人の認識でできているからといえる。

けれど、簡単に…というわけにはいかない。

やはり、心から望む、決意、というものがあって
初めてエネルギーの動くのだと思う。

なぜなら、今まで憎んでいた人を許したり
再び怒りや悲しみと向き合わなければならないから。

それでも、その奥底に本当に自分が望んでいるものが信じられ
認められたら、今まで自分のあり方を丸ごと捨てる…
そんな決意をもたなくてはならない。

そして変化、新しい関係、新しい自分、新しい現実を
受け入れる決心。

その決心が現実を変えていく。


じっさい、私も自分のことを観察し始めて
不思議な変化が現実に起きたりしている。

それは、絡まった糸の結び目が一つ一つ解け
回路がつながったような感じ。


家に帰って眠る前に、このイマジネーションを使って
関係性を変化させるということをやってみた。

(実をいうと、こういう書換えの方法は
過去生が自然発生的に見えたときに
自分でもやっていた方法だったし
ゲリーのワークの中でも教えてもらっていた。
しかし、本気で許すという気持ちになることが
できないことは取り組むことができなかったのだ。)


父に対して、言いたかったこと
言えずにいた本当の自分の気持ちを
父の気持ちを考えずにただ伝えた。

エネルギーでも感情をこめてぶつけた。


最初、困ったようなふざけたような顔をしていたけれど
徐々に父の態度が変わり、
「ごめん…そして、ありがとう…悪かったね…」
そんな言葉と愛に包まれるエネルギーが伝わってきた。

そして、ふわ〜っと暖かく軽くなり涙がポロポロとこぼれてきた。

とても嬉しかった。

私も「大好き…」怒りよりもっと奥にしまっていた本当の気持ち。
「ずっと、言いたかったよ。」
そう父に伝えた。

本当は生きているときに聞けたらよかったけど…
それには、生きている時に伝えることが必要なんだよね。

それを教えてくれた。


誰だって怒りや悲しみや不満の奥底には愛がある。

それを素直に表現できれば屈折したりせずに済むけど
なかなか、人間はそうはいかない。

どこをどうやってか、糸は絡まり結び目を作ってしまう。
(おお!糸は意図なのかもしれない)

誰もが愛を表現したいと思っている。
それを拒まれた時、悲しみが…怒りが生まれる。

本当の自分を否定され拒絶されるようで…。

ただ一言「愛してる」それだけを伝えたいのに。


イマジネーションの中で、私は私の糸の結び目を一つ解いて
せき止めていた回路を通し自然に流れるようにしただけのこと。

でも、実はこれが…
私の在りのまま。

本来の私なんだなと気付いた。

そしてまた、たくさんの結び目があることに気が付いた。

やれやれ…。

でも、この作業を私は楽しくやれそう。
無理せず一つ一つ…。

そして、大事なのは新しい結び目を増やさないこと〜っ!




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