セッション・グループワーク
体験談など





2007/9/21


ロータスさんがヒプノセッションの体験談を書いてくださったのでご紹介します。
今回はゲリーボーネルさんに指摘された過去世をさかのぼるというセッションでした。
1回のセッションですが、ご自身で体験を深め、沢山の記事を書いてくださいました。

ヒプノセッション 2 「バランス」

忘れない内にいろいろ書いておかなくちゃ。
ということで早速続きを…。


そう、新しい結び目をつくらいないということは
本当の自分は“何か”をいつも忘れずに意識していること。

現実に起きるさまざまな出来事のなかで
感情もさまざまに生まれてくる。

青空をおおう雲みたいに…
それは本当の自分を隠して見えなくしてしまう。

(私はよく青空を魂、雲を感情と見立てて
雲の形を楽しんだり、吹き飛ばすというイメージを使う。
そして、ただ浮かんでいる雲を受け入れることも
それはそれで、いいな〜と楽しんだり思ったりもする。)

けれど、今回、イメージでの書換えをして
今まで探していた“もの”…

“本当の自分”…

それは単純に“愛を表現”する自分だということにたどり着いた。

自分を表現することへの抵抗が、
愛、愛されることの拒絶とリンクしていると
ゲリーに言われたことも、深く納得がいく。

どんな、言葉もただ口にするのではなく
この愛の部分、深い自己とのつながりから伝えることが
本当の自己表現なのだ。

そして私にとって“愛を表現”しようとして出来ないことが
本当に、辛いことなんだ。

だから受けとってもらえない、理解されないという体験が
一番辛い。


父との関係をクリアにできた手ごたえで
さらに、10代の頃に受けたいじめの相手を許すということをやってみた。

面白いことに、彼らに自分の気持ちを伝えても
相手は聞く耳をもたず、面白がってニヤニヤしているだけだった。

そのうち、このくらい心が痛かったんだよ!!!
と、怒りのエネルギーのパ〜ンチ!!を爆発させた。

そして伝わらないことに悲しくなってきた。

当時、相手に反応することは相手の思うつぼで
相手を喜ばせるだけだと思って無視し続けていたけど…。

実はそうすることで自分の自尊心を保っていたし
(自分がいじめられていることを認めるみたいでイヤだった)
無視することで相手を軽蔑してもいたんだと思う。


けっきょくは、その日は先に進まないまま眠ってしまった。


すると、不思議なことにその日の夢の中に
私が他に葛藤を感じ、怒りを感じている別の相手が現れ
なんだか、やけに親切にしてくれる夢を見た。

相手が誤解を解こうとして、私の話を聞いてくれる。

そして相手も自分の気持ちを話してくれる。

残念ながら、話の内容は記憶に残っていなかったけれど
とても驚いた。

あまりにも、リアルだったから。


そして、またその晩、いじめの相手を呼び出してみた。

すると、現れた最初から
彼らの様子が昨晩とは違っていた。

しょんぼりしたような様子。

そして、「ずっと自分達の心の中でも罪悪感があって苦しかった。
本当に申し訳なかった。」と、謝ってきた。

「自分達もこの罪悪感から解放されたいんだ。」と。


私は相手の気持ち、立場になってみた。
すると、私からは見えなかった相手の心の痛みが見えてきて
私自身もすんなりと「許すよ。」と言えた。

お互いに“自由”になれたね。

そう思えた。


セッションに話を戻すけど…

セラピストに過去生でのことを今生でどういうふうに
バランスを取ろうとしているかと聞かれたとき、

「相手の気持ち、相手の立場をわかろう、共感しようとしている」
と答えが出てきた。

それで、自分のことを主張することを引っ込めてしまう、と。

さらに、

「そうは言っても、取り込まれすぎちゃうから…
相手の気持ちに… 

人はそれぞれ好きなことを勝手に思っているから…

昔は制度があったけど(過去世のカーストのこと)今は無いから
そこまで、する必要はない、もっと気楽に…

もっと、自分がこうしたい、どうしたいのかを
伝えていった方が相手はやりやすい

今までは、相手がどうしたいとか相手の対場になって考えていたけど
しょせん、相手が考えているように自分が考えているわけではなく
自分から見て相手はこうだろうという推測にすぎないのだから

そのことで、いちいちエネルギーを使って疲れるより
自分の言いたいことを言って、それに反応してくれる
その反応と単純に付き合っていけばいい。

相手の気持ちをわかろうというのは
相手の気持ちをさぐろうとしているわけで
相手に気に入られたいとか好かれたいとかの
自分があって動いていることだから…

純粋じゃないからヘンな期待とかはいってきちゃうから無意味。

というか、自分で思っているより効果なかったという…

それより、率直に言う方がコミニケーションとしては発展的。

もっと、気楽に…そうすれば
しんどいとか、めんどくさいという部分は大丈夫。」

とのお答えが。

「もっと気楽に…という感じはあるんだけど
どこを気楽にするのかって言うのが難しい」と聞いてみたら

「すごく気楽な部分もあるんだけど、気楽のポイントがずれてる」

・・・・気楽のポイントの答えを知っている部分につながりますよ。
(セラピストさんのセリフ)

「コントロールしている方が楽っていうか安心という気持ちが
気楽にできない原因なんだけど…

コントロールしようと思っても、コントロールできることと
できないこと…

人のことをコントロールするのはできないから
人をコントロールして気楽になろうというのは無理

コントロールするなら自分をコントロールして…

人のことはあんまり…
人がどう思っているかを考えなくてもいい

人はそれぞれの理由で思いたいことを思っているだけだから
自分は自分のまんまでいい
その人に合わせたりとか気に入られる自分になる必要はない

人を喜ばせるということにポイントがあって
人を喜ばせるこために何かするのは無理
それはできないこと

「人は勝手にその人で楽しむから、ほっといていい」

な〜る〜ほ〜ど〜。

自己表現ができないのは、
単純に相手の気持ちと相反した時に
相手に気に入られようとして
譲ってしまうってことをやってるからで
それは“愛”されたいからなんだけど

そう、関係の中に愛を見て確認したいんだね。

でもそれにはかまわず、
私は私なりに自分を主張しなさいということなんだね。

それは、逆説的だけど
自分の表現したいことが“愛”ってことにつながっていくよね。

それが“自分のまんま”ってことなのかな。

“自分は愛”ってことなんだ。


つまりバランスって“あんな自分でも、こんな自分”でもなく
ただ“まんまの自分”ってこと。

そうか、な〜んだ。
人にどう思われようと認めてもらえなくても

私=愛なんだ。


それにしても、これを答えているのは???
けっこう、いつも考えていることだけど
こうやって答えられると納得してしまうわん。





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