セッション・グループワーク
体験談など





2006/10/25

先日『青い時間への祈り』というワークショップで2日目の会場となったカフェ・フルールのオーナー尚さんが、ヒプノの個人セッションの体験談をご自身のブログ「尚さんの気まま暮らし」に書いてくださいました。ヒプノ体験談原文は10月16日の記事「タイムスリップ」です。尚さんは精神世界に造詣が深く、ヒプノ以外のお話もとても面白く興味深いです。カフェ・フルールのメインのホームページは「ようこそカフェ・フルールへ」です。

タイムスリップ

ここのところずっと東京にいる。

いろいろな予定が飛び飛びに入っているので、いっそずっと泊まって

いれば?と娘が言ってくれるのでそうすることにしたのだが、一度

帰るつもりでいたので持って来ていないものがあったりで少し不自由

している。


それはともかく、その予定の一つにヒプノ(退行催眠)のセッション

があった。ヒプノは何年も前に一度受けたことがあるが、今回の

ユーリさんのそれはその時と全く違うやり方。

丁度ヘミシンクの時と同じように身体はリラックスして眠っている

けれど意識ははっきり目覚めているという感じだ。

子供の頃好きだったもの、大事にしていたものを思い出すように

言われた時先ず浮かんで来たのは10歳まで住んでいた懐かしい中野

の家の情景。父が私のためにと買い集めていてくれた沢山の本や

当時は貴重品だったチーズ、父がいつもおみやげに買って来てくれた

ゼリービンズなどが目に浮かぶ。


その後の質問に対してもなぜか父と結びつくことばかりが口をついて

出て来て、あんなにいやだと思っていたアルコール依存症の父を私は

実は大好きだったことに気付いて涙があふれて来た。

父が亡くなった時も泣かなかった私が今幼い頃に戻って素直な気持ち

で父を恋しがっていた。そしてそんな自分がとても愛しかった。


何をしても下がらない血圧が気になっていることを事前に告げていた

ので、途中でふいに「血圧を下げるためにどうすればいいと思いますか?」と質問された時、頭を通らず潜在意識から直接出て来た言葉は

「何もしなくていい」だった。

これには自分でもちょっとびっくりしたが、なぜかとても安心して

しまった。


夜遅くセッションが終わって「中井」から西武線の電車に乗ると

路線図が目に入った。「中井」の手前は「新井薬師」「沼袋」「野方」

と並んでいる。どこもさっき思い出したばかりの子供時代の生活圏だ。

再び当時のことが色濃く思い出され、ボーッとしながら娘の家に帰った。


そしてその3日後。夜は娘のフラメンコの発表会が中野ゼロホールで

あるが昼間は空いているので急に思い立ってお墓参りに行くことにした。

両親と母方の祖母の入っているお墓はやはり西武線の「小平」にある。

お参りを済ませた後まだ時間がたうっぷりあるのでどうしようと思った時、そうだ途中で降りて昔住んでいた辺りを歩いてみようと思い立った。

以前同じ線の「上石神井」に20年も住んでいたのにいつも準急で

飛ばしていた駅なのでついに一度もその地を訪れたことはなかったのだ。


おぼろげな記憶を頼りに「沼袋」で降りて歩き出すと、昔「刑務所通り」

と言っていた通りが「平和の森公園通り」と変わっていた。空襲の時

刑務所の厚いコンクリートの壁に張り付いて一夜を明かした場所は

今は豊かな樹木に囲まれたその名の通り平和な公園に姿を変えていた。

昔「官舎」と呼んでいた場所には4階建ての集合住宅が並んでいる。

この辺りはすっかり焼け野原になった所だから道路の幅も広がったり

して私が住んでいた家の辺りは全く雰囲気が変わっていたが、たった

一軒覚えていた家の名前のマンションがあったので大体の記憶は

当たっていた。


多分この道を行けば私たちが天神様と呼んでいた北野神社に出るはず。

あった! もっと境内が広くて木がうっそうとしていたように思えるが

意外に小さい。お賽銭を上げて60年ぶりに戻って来ましたとご挨拶を

する。

広い通りを隔てた所には記憶通り「新井薬師公園」があった。天神様

同様幼い頃の遊び場だった所だ。

藤棚は昔通りの位置に健在だった。土曜日の午後とあって大勢の

子供達が歓声をあげて走り回り、ピクニックを楽しんでいる家族連れ

もある。

しばらくベンチに腰掛けて60年前とは大違いのくったくのない平和な

時間に浸った。

公園の隣りは新井薬師。ここにもご無沙汰のお詫びをする。

ここの前を真っ直ぐ行くと広い通り(早稲田通り)に突き当たり右へ

曲がってまだ左へ行けば中野駅という記憶はまさにその通りだった。


まだ時間があったのでスタバでコーヒーを飲みながらこの3日間のこと

を思い出す。なぜか子供時代が色濃く思い出される3日間だった。

最初のヒプノ以外は何も計画していなかったことで、その時々にふと

頭に浮かぶことを思いつきで行動していただけなのに見事に一本の線

で繋がっていることに驚いた。

そしていつの間にか父に対するいやな思い出が後退して、代わりに父

への愛がふつふつととめどなく湧き上がって来る。


あまりはっきりした目的もなく受けたヒプノだったが、もしかしたら

このことが潜在意識が求めていたことだったのかもしれないと、今に

なって感じている。




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