精神世界の知恵をダウンロードするの術
VOL-15







 「精神世界の全体像を大雑把に理解するシリーズ3」

今日は、「精神世界の全体像を大雑把に理解するシリーズその3」です。

もともと自然界にあるパワーを、聖職者が祈りによって作るエレメンタルで補強維持しました。経典で神さまの力の種類を言い続けるのは、そういうエレメンタルを作るためです。エネルギー体の質にもいろいろな種類があり、なになに神とか名前がつけられます。温泉の効用みたいに効能が違うというわけです。

とはいえ人間が作るネガティブなエレメンタルも影響力があるので、高いバイブレーションを保つために結界を作るなどの工夫をしました。

たとえば神社は結界をはって、神聖なエネルギー体を純粋なまま保持します。鳥居とか、布で隠すとか、穢れのある状態の人は入ってはいけない決まりをつくるなどの工夫をします。権威づけて近寄りがたくするのも結界の一種です。こういうやり方は自然界のエネルギーを純粋なまま残せる利点があります。発展繁栄、創造、喜びという底抜けの明るさがあります。単なる特徴で欠点というわけじゃないですが、結界を作ることで、穢れたものは排除され、排除されたものが癒されにくくなります。精神世界の先生でも、自己浄化されていない人を毛嫌いする先生は結界をつくって高いバイブレーションを保つタイプかな、と思います。質問を受けなかったりするのは布で隠すというのに似ています。

神さまのエネルギー体を保持する点では仏教も同じですが、敷地内にお墓も作るし未浄化の霊も受け入れ供養します。誰にでも門戸が開かれ、辛い目にあった人も行きやすい雰囲気です。より広く癒しがいきわたる利点があります。単なる特徴で欠点というわけじゃないですが、人生を学び、修業としてとらえます。人の心の世界に集中した世界観をもっています。人生の創造の喜びを謳歌して活躍していくことが神さまに喜ばれること、という感じではありません。

心理療法だってゲシュタルトとか内観とかいろいろあって優劣がないように、こういうあり方の違いはそれぞれ特化して発展したものです。許して感謝して愛をもって神の道を生きよう、というのはどちらも共通しています。

聖職者がエネルギー体の保持につとめるのは、それがみんなの役にたつという考えにもとづいています。人はエレメンタルの大きな流れの中で、命を育むような自然の流れを見失うことがあります。そのような時に、聖職者が維持してきたエネルギー体に触れて、そのエネルギーを潜在意識に写し取れば、それが灯台のような役割を果たすということです。

写しとる方法は、参拝したりお札やお守りをもつこと。神仏を念じたりマントラを唱えることなどです。「こころに仏を念じよ」とを言うのは、「エネルギー体作っといたから、心は集合意識でつながってるし、アクセスしてね」という意味です。実際に行くのも心で念じるのも、意識的にエネルギー体に触れる点で同じです。

灯台になる、というのはひらめきや気づきを得やすい状態になるということです。特別に信仰心のない人でも、悩んでいたことの解答が浮かぶときのシチュエーションについて思い出してみると特徴が理解できます。家の中で布団にもぐって悶々としているときではありません。出かけて自然に触れたり、誰かと会ったり、本を読んだり、すがすがしいときです。知らないうちによいエネルギー体に触れているのです。バイブレーションの高い場所、人、物に触れることがよいと言われるのはこのためです。もちろん本人自身がバイブレーションをあげていっても、気づきがおきやすい体質になります。聖職者は意図的にエネルギー体を残そうとしたのですが、普通の自然の中にも高いバイブレーションはたくさん残っています。精神世界なんてまったく興味のない人でも、素晴らしいエレメンタルをたくさん作って生きている人は大勢います。


(つづく)
(注:これらは今のところの私の理解です。変化していく可能性のある意見です)