精神世界の知恵をダウンロードするの術
VOL-8







 「外側にだしたサブパーソナリティー」

外側に自分の気持ちを代表してくれる人がいると、自分の意見をその人に任せて、別の気持ちばかり感じることがあります。

たとえば、ある人を「好き」という気持ちと「キライ」という気持ちが両方じぶんのなかにあるとします。そういうビミョーな気持ちのときに、他人がその人をホメるのを聞くと、ひそかに自分の中の否定的な気持ちが強調され、人がけなすのを聞くと、ぎゃくに肯定的な気持ちが強くなったりすることがあります。

まるであまのじゃくみたいですね。でもそれは、自分のなかにあるふたつの意見(サブパーソナリティー)のうち、片方を代表してくれる存在が外側にいるために安心してその気持ちを任せてしまって、残った気持ちだけが自分の気持ちだと錯覚してしまうからなのです。「自分の世界にはふたつの対立する意見がある。ふたつのベクトルがある」ということに変わりありません。自分がその役をやるか、他人がその役をやるか、ということの違いがあるだけで、おなじことなのです。

サブパーソナリティーを代表してくれるのは人だけでなく、状況もそうです。このままつきあっていてよいのかどうか迷っていたような恋人でも、転勤が決まったり、相手から別れを言い出されたらついつい執着してしまいます。困難が外側にあれば、自分自身の内にあった距離を忘れてしまうからです。周囲の反対、病気、別離の可能性などは人の気持ちを純化して燃えあがらせる可能性があります。そういうときは「じぶん自身は100%願っている。外側にある障害さえなければなにもかもうまくいくのになぁ」と感じるけれど、自分の気持ちを少し引き算して考えておいたほうが正確かもしれません。

困難な状況がぜんぶサブパーソナリティーというわけではありません。それがハッキリわかるのは、その障害がなくなったときです。サブパーソナリティー役の人が本当に説得されてしまったとき、願っていたことが本当に叶いそうになったとき、癒そうとしていた人が本当に癒されてしまったとき。病気が治ったとき。愛する人がこっちをふりむいてくれたとき。状況がYESというとき。長らく待っていたチャンスがやってきたとき。

そういうときに、やる気がなくなったり、キライになって離れたくなったり、チャンスが早く通り過ぎてくれるのを祈ったり、別のやりたいことが急にみつかったり、次から次へと新しい困難を見つけだしりするなら・・・、たぶんサブパーソナリティーを外側にだしていたのでしょう。自分と目標との距離はあいかわらず一定で、表れ方が変わっただけです。「自分の世界の中に、ふたつのベクトルがある」ことになんの変わりもありません。

だから困難があるとき、「もしかしたらサブパーソナリティーを代表してくれているのかもしれない」という視点をもっておくといいのです。そして、障害が外側にあるときも、人のせいにしないで努力し、やる気がうせたときもあわてず、心をひらいて選び続けます。ほんとうに受け入れていくために自分を変えていきます。そういしていくと、対立するサブパーソナリティーが外側にでたり、内側にはいったりしながら、サイズが小さくなっていくのがわかると思います。