精神世界の知恵をダウンロードするの術
VOL-1 つづき







<投影>  人の欠点から学ぶ


他人はわたしたちのサブパーソナリティです。でも「そういう部分が自分にもある」ということが思い当たらないときは、もうひとつの見方をしてみましょう。自分の価値観をさぐってみます。


「○○な人が△△することがイヤだと感じる」ということは「自分自身の○○な部分」にたいして△△することを許していない、つまり自分がサブパーソナリティーを扱っているやりかたとおなじ・・・ということなんです。


わがままな女の人を嫌う女の人がいたとします。男の人がわがままなのは許せるとします。その女の人はわがままじゃなくて、すごく我慢強いのなら、自分のなかの「女の部分」にわがままを許していない、ということです。ほんとうだったら許されてもいいようなわがままさえ抑圧しているということです。自分に許さないのと同じくらい、ほかの女の人の放縦なふるまいにアタマにきます。ありえませんけどその人がもしも男の人になったらワガママかもしれません。(性別が変わることはありませんが、上司と部下、親子、などの関係性で自分が相手側に移動していくことはあります。それらしくなろうとしたときにサブパーソナリティーの資質が発揮されることは多いです)

たとえば、目上に逆うべきでないと思っている従順な人のほうが、目下(自分の目下の部分)にたいして暴君のようにふるまうのかもしれません。

親から受けた虐待を肯定している人のほうが、子ども(自分のインネーチャイルド)に厳しくなるかもしれません。

ほんとうは泣きたいのに泣くことを自分に許さない男の人のほうが、男の子(自分の男の子の部分)が泣くのをみて「みっともない」と感じるのかもしれません。

自分に楽しみを許さないお姑さんのほうが、お嫁さん(自分の嫁的な部分)に厳しくなるのかもしれません。


だから言わないにしてもモーレツに気になるときは、「ひょっとしたら自分は、自分のなかの○○な部分が△△することを、このぐらいの勢いでモーレツに毛嫌いし押さえ込んでいるんじゃなかろうか」とふりかえってみましょう。自分のなかの○○な部分はいじけてかわいそうな状態になってるかもしれません。


○○が△△することをダメだと思っていたけど、ホントにホントかな???と再検討してみましょう。どこの国のどこの時代にも例外はありませんか。自分が好きな人たちのなかで、それを自分に禁じていない人はいませんか。例外をさがしましょう。


たとえばわたしたちは日本に生まれ育つことによって日本語を無意識にしゃべるようになります。アタマのなかまで日本語で考えます。それとおなじように価値観だって赤ちゃんのころからあったわけではありません。たぶんどこかで学んできたのです。どんな体験から自分はそう思うようになったのか、思い出してみましょう。「○○が△△すべきだ」という価値観がなければ、嫌悪感や動揺を感じることはグッと減ってラクになるかもしれません。


さて今まで「わがままさ」を毛嫌いしてたのなら、その周辺にある宝もの(肯定的な部分)を活用できてないかもしれません。たとえば「わがままさの」否定的な仮面の下にかくれていたプレゼント、「自己主張」とか「自分らしくいること」とか、その他いろいろあるかもしれません。


「人のフリみて我がふりなおす」のではなくて、「人のフリ(欠点)みて、それを嫌ったり、悪いことだと思っていた自分の認識をなおす」。自分にも人にももっと寛大に自由になって、泳げる海を広げていきましょう。


(ケースバイケースなのであてはまらないこともあると思います。ピンとこなければハズレですので読み捨ててくださいね)