コミュニケーションについて
VOL-7







 「交流パターン分析その3」


ここからまたわたしの想像なのですが

なにかのきっかけでふたりの関係性が変わることってありますね。部下が昇進したり、尊敬していた人がスランプになったり・・・。

すると、それまで安定したいい関係ができていても、その交流パターンが機能しなくなり、まったく新しい交流パターンを一から作り出す必要にせまられるのだと思います。

そしてこれがけっこう難しいのだと思います。

そもそも今まで「自分たちがどういう交流パターンでつきあってきたか」なんて考えてきたはずもなく、「交流パターンが変わったから新しい関係を作ろう」なんて考えません。ただ無意識に、なんとなく、違和感を感じるようになります。「それまでとはなにかが違う、前のようにうまくいかない」と焦ります。

関係性が固定している間柄は、その関係性が維持できるあいだは順調ですけれども、それがうまく機能しなくなったときがクライシスです。

人生の大スランプのときに、それまでの人間関係が壊れて、新しい人間関係がうまれたりしますね。去っていった友達や部下やパートナーが「人間的に冷たい」とか「恩知らず」とか「本性を見せた」なんて思う場合があるかもしれませんが、ほんとうは新しい交流パターンがうまく作れなくて、どうしていいかわからないまま離れてしまうことがあるのだと思います。新しい関係性を生み出せなければ居づらくなって、去るしかないような気持ちになるときもあります。

逆に人生の大躍進のときも、それまでの人間関係の交流パターンが変わります。それまで支えてくれた人との関係が対等になったり逆転したりすれば、新しい交流パターンが必要になります。それがうまくいかなくなると、一緒にいるのが苦しくなるのだと思います

新しい交流パターンに移ろうとしたときに表面化してくるのが、「その2」で書いた問題です。人によって苦手な交流パターンがあるという点です。

たとえば、今まで支えてくれた人(P)に、やっとお礼ができるような立場になったとしても、相手がそれを受け取れるかどうかは、相手の子供(C)の部分がどれほどOPENであるか、という問題にかかわってます。自分だって与え手(P)としてはまだ洗練されていないかもしれません。

苦手な交流パターンの場合、すでにあった鋳型でスルスルうまくいくわけじゃなく、最初はかなりぶきっちょになります。今まであったネガティブな鋳型を溶かして新しい鋳型を作るのは、ゆっくりになって当然です。

「スマートにこなしたい」「うまくやれないなら逃げてしまいたい」という気持ちを超えて、いっしょに協力しあい、許しあい、工夫しながら進んでいくことができれば、苦手なパターンは本当に癒される可能性があります。そこでできた鋳型は、さまざまな場面で使えるようになるので、ほんとうに本質的な癒しなのです。

そしてそれができると、ふたりの関係性は更新され、深まっていきます。ひとりの相手といくつもの交流パターンを持てるということは、もうどっちに転んでも大丈夫ってことです。ひとつの役割を演じ続けなくても、臨機応変に関係性を変えられるので、結びつきが柔軟でしっかりしたものになります。