コミュニケーションについて
VOL-13







 「おぎなう聞き方」


わたしはよく「協調的な姿勢」について書くことがありますね。また「改革のために従来のやり方を理解すること」とか「人を許すこと」についても書きます。


そう読めば、私が協調的で、理解のある人間に見えますよね。人とくらべてそうであるようにみえるかもしれません。でも本当にそうなのでしょうか・・・。たしかに前より協調的だというのは本当です。でも、ずっとそうだったとか、読者の方よりそうだ、というのはわからないのです。むしろ、以前はぜんぜん違って反対だったといえます。


実際、わたしはアウトサイダーのように生きてきました。独自のやり方で試行錯誤した結果、主流派・保守派の意見にもそれなりの理があるとわかり、まえほど無視しなくなりました。単独行動をとってきたから仲間のありがたさがわかりました。自分を侵食させないで、たたかって、あとで相手を理解したり許したりする傾向がありました。人が想像する以上に風変わりで自由にやってきたし、今でもその傾向は残っています。人とくらべて協調的とはいえないのです。


つまり言葉と、話し手の実際のあり方にはズレがあるのですね。


一般に、聞き手は、言葉をそのまま受けとります。場合によってはそのために混乱することもあります。


話し手のようになりたいと思えば、言うとおりにするかもしれません。言うとおりにしてうまくいかない場合でも、「さらに言うとおりにすればそうなれる」と思うかもしれません。


また、話し手の言葉と実際のあり方に矛盾があると、混乱して、「嘘つき」「矛盾してる」と責めるかもしれません。


それらは、語られる言葉と、話し手が実際にいる位置がイコールだと思うから起きる問題です。多くの場合、言うことと、実際にいる位置はちがいます。


人の話から、客観的に相手のいる位置を把握するのは、電話で道案内するようなものです。まずは相手がどこにいるか位置確認しますね。相手はそこから見えるまわりの風景をしゃべっています。それをきいて、じぶんは地図を見ているとします。「南にむかって歩いてきたの」と言われて、「さっきいたところよりは南なんだな」と思うけど「自分ちより南」とか「世界的にみて南」とか思いませんよね。


人は気づいたことを話すことがおおいです。気づきは新たな発見で、今までとは違っているってことです。今まで当然であったこと、前提、出発点については気づきにくく、話されないことが多いのです。人があえて言うことは、最近気づいばかりで、身についてないことかもしれません。


「他店より安い」と主張する店が、べらぼうにケタ外れに別の国のように安い店ではありませんよね。「これからは若い人の新しい意見をとりいれて会社の保守的な体質を壊したい」という上司に意見を言ってみると案外保守派ですね。「気にしないでいいからね」と何度も言う人といて本当に気にしなかったらいやがられますね。


「だって言ったじゃん」とこちらは思うわけです。それが言葉を額面通りに受けとっていることなのです。「南」といわれて「世界の南なんだ」と思うわけです。話し手が不誠実なのではありません。話し手はただ主観的なのです。


「他店より安い」というA店と、「高くて悪いね」というB店と、なんにもいわないC店をみて、「A店のほうがB店やC店より安い」と判断したら混乱します。A店の店主は今より高いところに基準があり、B店の店主は今より安いところに基準があります。C店の基準はまだわかりません。


地図をみながら電話でナビするとき、「さっきどんな建物があった?どっちに見えた?」ってきくように、基準や軸がどこにあるのか、何とくらべて言ってるのか、語られていない前提を探します。


逆に話し手になるときも、比べている対象、それ以前の自分の考えなど基準点を明確にして話すと、相手に理解されやすい言葉になるんじゃないかなと思います。




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