標準TTLだけ(!)でCPUをつくろう!(組立てキットです!)
(ホントは74HC、CMOSなんだけど…)
[第342回]

●本日、2セット出荷しました

本日2セット出荷できました。

☆☆済みません。ちょいと業務連絡です。
[お電話でご注文いただいた、柏崎市M様、本日佐川急便にて発送いたしました。有難うございました]☆☆

残り1セットは部品が足りなくなってしまいましたので、いそいで手配中です。

最後になってしまった大学の先生には、メールでお詫びをいたしました。
もう半年も前から予約していただいていましたのに、結局最後になってしまいましたので。
先生からは「気にしなくていいから、体に気をつけて、ムリをしないように」というご返事をいただきました。

お蔭様で、ちょっと一息つけましたので、色々考えてみました。
本当は操作などの説明の途中になっているところから、再開しなければいけないのですけれど、今回はちょっと趣向を変えてみました。いつも同じようなことばかり書いていますと飽きられてしまいまますので。

●こんなボードに何の意味があるのでしょう?

このホームページに来ていただいた多くの方が、まず首をひねって、その意味を測りかねていらっしゃるのではないか、と想像します。
考えるまでもない。誇大妄想、時代遅れ、ロートル、哀れな老人の妄想なのだよ。とバッサリお切捨てになりますか。

FPGAを使おう、と考えるのが普通でしょうに、なぜに今ごろ、ロジック回路なのかねぇ。理解を超えてもう、狂気の沙汰でしょう。
などという声が聞こえてきそうです。

まあ、世の中いろいろですから、それこそいろいろ言っていただいても一向に構わないのですけれど、でもそうすると、せっかくMYCPU80をご購入いただいた方々も狂人の仲間入りをさせてしまうことになります。

いやぁ、それは、まずい。というか申し訳ない。
ご購入いただいたことだけでも感謝感謝ですのに、そのうえ、さらに複数の方から、「弱気になるな!頑張ってもっとどんどん売りなさいよ!期待してるから」なんて、もう過分なお言葉までいただいてしまいました。

ここは一番、MYCPU80がいかにすばらしいか、というあたりからぜひとも宣伝しなければなりませぬ。

ですけれど、はて?なぜに?
その疑問は、この企画の当初から頭の片隅のどこかに常に存在していました。

「俺はなんてばかなことをやってるんだろう」
「いまどきこんなものを作ってみたって笑い者になるだけではないか」
「いっそ作るのはやめてしまおうか」

何度も弱気になる一方で、この連載をお読みいただいた何人かの方々から、意外にも、「待ってました」「こういうものを望んでいました」「完成するのを待っています。がんばってください」など励ましのメールをいただきました。

自分ひとりだけの、勝手な思い入れからスタートしたつもりだったのに、意外にも、たとえわずかの方からにせよ、共感のメッセージをいただくにおよんで、あらためて「はて、これは、いったい何なのだろう」。
その、自分の目指しているものが一体何なのか、まずはそれを明らかにしなければ、声援を送っていただいた方々にも応えることができません。

やっと嵐のような出荷作業もほぼ片付きましたので、ちょっと落ち着いて考えてみましたところ、だんだんと見えてきました。
キーワードが。
そうだったんです。自分では、それと気がつかずにただ思いつくままに突っ走ってきたのですけれど、そこには首尾一貫した一本の道が通っていました。今、それに気がつきました。

おそらく、MYCPU80をご購入いただいた方には納得していただけると思います。
また興味をもって、なんとなく引きずられて、この連載をお読みいただいている方々、おそらくそのうちの多くの方々にもご賛同いただけると思います。
そのキーワードは、「自分で実際に体験することの重要さ、あるいは楽しさ、快感」ということにつきるのではありませんでしょうか。

私達や私達よりも前の世代の少年時代はまさにその「全てを実際に自分の体で体験する、体感する」ということを通じて大人になってきた、のでした(と思います)。
現代はまさにその対極にあるのではありませんか?

私達の子供のころはドブ川や田んぼで、ヒルに食いつかれながら(おおなんとおぞましいこと!)どろだらけになってザリガニやおたまじゃくしを採ったものでした。
今のコンクリート護岸のどこもかしこも人工だらけの川にはどこをさがしてもザリガニ一匹みあたりません。
いやよーくさがせばいるのかもしれませんが、昔ならどこにでも普通に見られた、足やズボンだけではなくて、手も服も、顔まで泥だらけでザリガニや小魚採りに夢中になっている少年達の姿を見かけることはまれになってしまいました。
今の子供達はそういう体験を肌で感じる機会をほとんどなくしてしまっていると思います。

で、どうしているのか?
縁日のザリガニツリなどはホンモノだからまだいい。
コンピュータゲームのなんとか釣りなどとなると、もう完全にバーチャル。
なにからなにまで仮想現実の世界で遊ぶ子供達って、これ、SFの世界の話だと思っていたのに、いつのまにか現実そのものがSFの世界と区別がつかなくなってきているじゃあありませんか。

いささか脱線しているようですけれど、軌道は間違っていませんから、今しばらくおつきあいを願います。
今日はちょっとなんだかハイなのです。
このトシになって、以前ほどはひどくはなくなったのですけれど、実は私はソーウツなのです。

ザリガニ釣りとコンピュータとがどう関係するのか、といいますと大いに関係するのです。
けれど、ちょっと話題を変えます。

昔、私が若い頃、それまで2輪車専門だったホンダがとうとう自動車の生産を始めました。
ホンダN360です。
空冷4サイクル2気筒わずか360cc、牛乳ビン2本分のエンジンで36馬力、連続最高時速120kmというのは当時でも非常識と言われていたようです。その非常識さに若かった私はホレこんでしまいました。

アルバイトして貯めたお金に、親を説得して(というよりほとんどダマシて)出させたお金を足して新車を買ってしまいました。
N360ツーリング。なんと360ccなのにキャブレターが2個ついているというなんとも恐れ入ったシロモノでした。ツインキャブです。

なにからなにまでホンダは非常識なメーカーでした。
当時は水冷でかつフロントエンジンリアドライブつうのが業界の常識だったところに、空冷超高回転エンジンを搭載してFF(フロントエンジンフロントドライブ)を引っさげて登場したのですから。
このあとで出た普通乗用車ホンダ1300などはボンネットで目玉焼きが出来るといううわさが出たくらいです。

ホンダの社長もすごかった。
あ、勿論本田宗一郎氏です。
あるクルマ雑誌のインタビュー記事で、「ホンダの車は冬など(空冷なので)暖気運転(ウオーミングアップ)に時間がかかって、かつヒーターの利きが悪い」と記者からつっこまれたのに対して、「ホンダの車にウォーミングアップなど必要ない。私は朝はいつもいきなりチョーク(若い方、おわかりになりますか?)をひっぱったままでエンジンをかけて、そのままスタートします。しばらく走ってあったまってきてからチョークを元に戻します」と答えていたのを読んだ記憶があります。

そう言えばどこかでこんな記事も読んだ覚えがあります。
「ホンダのクルマに慣らし運転は必要ない。新車を購入したらできれば毎日30分くらい高速で思いっきり飛ばすといい。そうするとクルマによく走るクセがつきます」(うおおーっ、なんと、血がたぎるではありませんか。感激)
断っておきますが、40年前のホンダの話です。今のホンダではありませんからお間違えのないように願います。

若かった私は勿論感激して、高速道路をほとんどメーターを振り切ってとばしたものです(当時スピードメーターは最高140kmくらいでしたか)。
今なら大したスピードではないでしょうけれどなんたって40年前のお話です。

ある日もそうやってとばしていましたら、浜名湖の手前で大型トラックを追い抜いていたときに、突然ボンネットから白い煙がぶわっと噴出して、パワーがいきなり落ちてしまいました(このとき後続車がいたら、私は即あの世行きで、したがってMYCPU80も存在しなかったでしょうね)。

ロードサービスに引いてもらって、ホンダSFへ持ち込みました。
調べてもらったら、熱でピストンが溶けて飛んだ、らしいとのこと。

「うー。普通に走っていたら、いきなりブワッてきたんだよー。それって欠陥車じゃないのー(見てないからって、よく言うよー)」
「あのう。お客様。エンジンオイルが真っ黒のアメ状態なんですよー。これからはオイルはちゃんと入れて走ってくださいねー」

ま。それは自慢にもなんにもなる話ではありませんけれど。
当時はタイヤ交換は勿論のこと。オイル交換だって自分でオイルを買ってきて、車の下にもぐり込んで、ドレンコックを外して全部自分でやりましたよ。

なにせ、悪路大好きでめちゃめちゃ飛ばすものだから、とうとうスピードメーターがプッツンしてしまいました。
いろいろ調べてみたら、スピードメーターと車軸とをつなぐワイヤーが切れたらしいことがわかりました。
そこで、ホンダSFへ入って、「これと同じものを売ってくれ」って、買ってきて自分で直してしまいました。

また別のあるとき、どうもパワーがおかしい、エンジンがすぐに止まってしまう、というのでホンダSFに持ち込んで調べてもらいました。
そしたら、キャブレターパイプに亀裂がはいっています、ですって。
キャブレターからエンジンに行くところについているごっつい樹脂製のパイプのことらしい。

自分で交換するから、それ、売ってくれ、って交換用のパイプを買ってきてしまいました(当時は何でも売ってくれましたね)。
交換しようとしたのですけれどまともな道具もないし、整備士の経験があるわけでもなし、うまく外れません(どこをどうすると外れるのかもわからない)。
頭にきて、糸鋸でずたずたに切ってはずしてしまいました。

そんなんで、よく新しいパイプを取り付けることができたものだ、と思いますが、どうやったのかは記憶にありません。なんだか多少ゆがんでいていいかなぁという格好だったようですけれど、エンジンをかけてみたら、動く、動く、これなら大丈夫、って、そのままそのあと何年もそれで高速も平気で飛ばしていました(いつの時代でも若者は非常識なのです)。

なにが言いたいかというと、ちょっと今の時代はなんでも人任せにしすぎているのではありませんか、ってことです。
特に、コンピュータ任せ。こいつが一等恐い、と思います。
最近は車も完全にコンピュータ制御。
こうなるとシロートは当然のこと、三丁目の夕日の鈴木オートの社長だって手がでません。全部メーカーの工場に直送になってしまいます。
だれなんでしょーか、ねえ。こんな、コンピュータだらけの世界にしてしまったのは。

先年、私自身が経験した恐い話です。
いや、ずいぶん前から恐いなぁ、とは思っていました。
たとえば、車のオートロック。そりゃあ便利ですよ。
運転席のボタンひとつで全部のドアががちゃり。
あ、私のクルマはかれこれ7〜8年も乗っている旧式です。今のはもっと進んでいるんでしょうね。

で、そのオートロック。コンピュータが狂ってしまって、ロックが解除できなくなったらどうするんだ?
そうか。それで、窓ガラスを割るハンマーを売っているのか。
でも、それって、ちょっとどこかおかしくないですかぁ(そうは思いませんか?)。

なんで手動の解除装置がついていないんでしょ?
うー。やっぱり窓ガラスは手回しハンドルが一番安心なんだけど、ねえ。

あるとき、車を降りようとしてドアを開けかけたんですけど、ついうっかり半端な状態で手を離してしまいました。
そうしたらドアが戻ってきて、半ドアのままロックがかかってしまいました。
中から押してもだめ、ドアロックボタンも反応なし。うわあ。閉じ込められてしまったぁ。

幸い家族が近くにいたものだから、外から思いきりドアを押してもらったところ、ロックが外れて無事脱出できました。

昔はねぇ。マニアル車がほとんどで。
踏切で、エンコしたときは、ギアをローかセカンドに入れたまま、クラッチ切らずに、セルモーターを回して、モーターの力で踏切を脱出するって、これ、教習所で先生が教えてくれたんですよぉ。

昔はとにかく自力脱出の方法を考えたものでした。
バッテリーが上がってしまったら、押しがけ、なんてみんな経験あるんじゃありませんか?
それ、今のオートマチック車でどうやるんでしょ?

今は昔よりうんと便利になった、と言われていますけれど、それって、実は他力依存で、いざというときに、自力では何もできない世界のことなのでは?

もちろん、原始の生活に戻ろう、などと言っているのではありません。
便利な世の中になったのは喜ぶべきことです。

なんでもどんどん機械が自動で家事でもなんでもこなしてくれます。
でも、ひょっとして、あなた。思考することまでコンピュータに任せてしまっているのではありませんか?

人間は考える葦である、とおっしゃったのはどなたでしたっけ?
すると、思考することまでもコンピュータにゆだねてしまったら、人間ではなくなってしまいますよ、ね?

作家ってのは、感受性が強い、というか、意外と未来を的確に予言したりしているのでは?と思わせるものが多くあるように思います。
近未来小説の定番といえば、コンピュータが支配する暗ーい未来。

エネルギーがどこからどうしてもたらされるのかすら忘れてしまった市民達(でも家電製品などの操作には長けている)。
そしてコンピュータをあやつる特権階級の技術者達。
しかしそのかれらでも、モノがどのように生産されるのかは忘れてしまって、みずから新しいモノを創造する技術は失われてしまっている。
すべてはコンピュータ制御の無人工場で生産され、しかもそれはコンピュータの判断によって、日々勝手に改良されていく…。

じょーだんでしょーよ、って、昔はそう思っていましたけれど、でも最近はかなり冗談ではなくなってきているのではありませんか?

私が今回MYCPU80を設計するのに使った、回路図エディタBSch3V、それからプリント基板エディタPCBE。
ここまで読んでいただいた皆様、私がなぜそういうCADを使うのか。おわかりいただけたのではないでしょうか。

どーしてわざわざ苦労してそんなエディタを使うの?
オートで配線させれば簡単なのに。
そういう声があちこちから聞こえてきそうです。
そりゃあ、めっちゃ忙しい開発現場なら、そういうことでしょうよ。

でも、そうやって自動配線で基板ができたとして、私がそれで満足できるとお思いでしょうか?
この連載記事について、FPGAなら楽とか、AUTOCADなら楽、という批判などがありましたら、そりゃあスジ違いもいいところです。

自転車で真っ黒になって東海道を走っている若者に、「気の毒で見ちゃあいられないよ。あいつに車の方が楽だって教えてやんな」って言っているようなものだとは思いませんか?

たとえば開発現場で使われているらしいさまざまなツールは、そりゃあ便利でしょうし、その精度を出すのに必要だから使われているのでしょうから、それはそれで結構なことです。
でも、たとえば何から何までオートでこなしてくれるような便利なCADがあったとして(そんな都合の言い自動ソフトなどないと思いますけれど)、それを使いこなしたからといって、それははたして開発者、設計者といえるのでしょうか。

わたしゃあ、そういう彼はオペレータと呼ぶのがふさわしいと思いますね(しかもいずれ将来はコンピュータにとって代わられてしまうはずの)。

私は、基板設計者が百人いたら、同じ目的の回路でも百の回路があるべきであると思いますし、百の異なる配線基板ができてしかるべきだと思いますね。
それが人間が本来持っているべき当然の思考の多様性だと思いますし、それを育てるのが民主主義じゃあないでしょうか。

パソコンの前でポンポンとキーを操作して、あとは全部自動で設計してくれた基板なんて、それって「オレが設計したんだよー」って、うそでしょ。
それ設計したの、CADソフトの開発者でしょうが。

モノをつくる。工夫して考える。
そのもっとも人間らしい部分をコンピュータに渡してしまって、あとに何の楽しみが残りますでしょうか?

また、なにもわざわざ基板をつくらなくても、コンピュータで回路のシミュレートなど簡単にできる、という声もありそうです。

うちの息子は、ゲームセンターのカーゲームが大好きで、なかなかうまいものですけれど、そしたら、彼はバーチャルゲームではドライバーとしての経験をバーチャルに得ていることになりますけれど、それで実際のカーレースを体験したと言えるのでしょうか?
それはおもちゃですけれど、たとえホンモノに近いシミュレータだったとしても、それって、ほんとに体験したってことになるのでしょうか?

なんでもかんでも、ちょこちょこっと、バーチャルで経験して、あーわかった、わかった、もうこれ卒業ね、はい、次、いきましょうかねーって、ちょっとそれって、そんなんで、生きてるって実感できます?
時間がなくなってしまいました。
本日はここまでにいたします。

2009.9.24upload

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