管理人のひとりごと 《2011年3月版》

このページは2007年3月に始めました。他の月の記事を読んでくださる方は、ここからお入りください。



お見舞い 3月31日(木)「晴れ時々曇り」
大震災から早くも3週間が過ぎました。滋賀県に引っ越した昔からの知り合いが、「必要な物はないか…」と地震直後にメールをくれました。心配してくださったそのお気持ちに深く感謝していましたが、「せめてものお見舞いの気持ち…」と、お菓子を送ってくださいました。ありがたくて、もったいなくて口に出来ません。


お留守番 3月30日(水)「晴れ」
長女の住むマンションの排水管取替え工事のため、6日間の留守番2日目でした。水が出ない・ガスも使えない・トイレも使えない・作業の方がたえず出入りする・玄関ドアは開けっ放し・しかも壁や床を壊す音がうるさい、そんな部屋で朝8時から夜7時まで、何をするでもなく床にじっと座っているのは実に辛い!!楽しみなのはお昼の1時間だけ。留守番も外に出て休憩です。・・・が、シートを敷いた床で昼寝しちゃう私、かなり凄い??


ジジバババカ 3月29日(火)「晴れ」
朝のテレビで、孫たちの少年少女合唱団が『春の小川』を歌う姿が放映された。歌う顔が本当に良いお顔で、惚れ惚れした。お友だちの何人かが『春の小川』の感想を語ったが、その後ろに映っている孫たちのニコニコ顔にうっとりして、話の中身が聞けなかった。紛れもないジジバババカでした。


停電のテスト 3月28日(月)「晴れ」
計画停電が夕方6時20分から予定されていた先週のある日、「夕飯を食べ終わらないうちに停電になったらどうする?」と家族で話題になった。私が「テレビをつけてご飯を食べ続ければ楽しいよ!!」と大馬鹿な発言をしたので、とんでもなく呆れられた。実際には停電しなかったが、「試してみよう」ということになって、電気を消し、テレビを消し、電話や暖房機などのあらゆる電源ランプも隠してみた。真っ暗でもテーブルの上のご飯くらいは見えるかと思っていたが、まったく何にも見えない。夜の計画停電は、眠るにしても不安だ。


停電の確認 3月27日(日)「晴れ」
会社員の娘から聞いた話。会社からの帰宅時刻が計画停電にぶつかっていたので、「真っ暗な家に帰るのは嫌だなあ、本当に停電しているのかなあ」と悩んでいたら、上司から「家に電話をしてみれば良いでしょ」と言われた。「家に電話しても、留守電は教えてくれないのに…」と思っていたら、「停電なら電話はつながらないから、簡単にチェック出来るでしょ」との話。思わず「課長さん、頭いい〜!!」と叫んだとか…。これを聞いて「そうっか〜!!」とメチャメチャ感激した母、世間に教えてあげたくなった。それにしても、明日からの計画停電細分化は、またまたわかりにくい。


ご苦労様でした!! 3月26日(土)「晴れ&強風」
『千葉県の教員異動特報』が朝刊に入りました。子どもたちが小学生・中学生だった頃は担任の先生の転勤を心配しましたが、この何年かはもう見ることもありませんでした。でもこの春は昔の同級生が定年退職なのと、妹が定年まであと3年を残して退職すると聞いていたので、名前を探しました。この時代、教育内容や学校を取り巻く社会の事情は大きく変わり、速やかな対応も求められて大変だったことでしょう。本当にご苦労様でした。


節電 3月25日(金)「晴れ」
大地震から2週間。みんなが元気に集まり、無事を確認して嬉しい練習日でした。街の通りがかりの商店・スーパーは、節電のために照明を控え、営業時間も切り上げているようです。照明が煌々としているのは華やかで素敵な気分だし、夜遅くまでお店が開いていれば贅沢な気分だけれど、このところの電力不足を考えたら、これからもずっとこの節電状態のままで十分だなあ…と思いました。


自転車の現役復帰 3月24日(木)「曇り時々晴れ」
大地震以来、外出はほとんどしていません。外出と言っても、手紙を出しにポストに行くとか、近所のパン屋さんにパンを買いに行くくらいです。そんな時に歩いている私を見て「自転車を貸してあげるよ」とお友だちに言われました。余震だけでなく放射線の問題が起きてしまったので、そう心配するのが当然なのでしょう。私も、周りの人に心配かけて歩く必要はありません。思いがけない形で私の自転車が現役復帰し、急いで動くようになりました。


がんばろう!日本 3月23日(水)「曇り時々晴れ」
「がんばろう!日本」をスローガンに掲げ、春の選抜高校野球が始まりました。地震当初は開催するかどうかも議論されました。宮城県には代表高校の大会参加は慎んだ方が良いという意見もあったそうです。でも、ここを目指して頑張ってきた若者の夢を奪うことのないように、そして被災地に元気を届けられるようにと、開催が決まりました。夢も命も絶たれた若者の分も、どうか是非是非頑張ってください!!


春の準備 3月22日(火)「雨」
気持ちが沈んでいる間にも、自然界は春らしくなりました。でも昨日今日のように雨が降るとやっぱり肌寒く、着ている物の枚数を減らせません。避難所生活の方々の寒さを思えば、風邪をひかない程度には我慢もしないといけないのかなあ…と、今日はスパッツ1枚と肌シャツ1枚、ソックス1枚を減らしてみました。たまたま電話をくれた知人が、冬でも靴下を履くことはないし、肌シャツは半そで1枚、その上に1枚着るだけ…と言いました。体力の問題か、気力の問題か…。どこでこんなに差がついてしまったのでしょう。


9日目の奇跡 3月21日(月・祝)「雨」
大地震から9日目の昨日、石巻市の津波で倒壊した住宅から、80歳の女性と16歳の孫が救出されました。今日は、この久々の明るい話題でもちきりでした。9日もの間、どんなに不安だったことでしょう。助かってくれてありがとう!!


久しぶりに… 3月20日(日)「晴れ」
一月半ぶりに孫たちに会いました。今回の大地震で幼稚園がお休みになりましたが、何かあってはいけない…と思って、呼ぶことも出来ませんでした。それでも、余震を含めて社会全体が落ち着いてきたような気がするので、春休みと繋がって退屈している孫たちを、泊まりに来ても良いよ…と誘いました。大喜びでやってきた孫たち…、どこへ行くでもない、何をするでもないこの平静さを幸せに思い、孫たちの明るい声に元気をもらいました。


この1週間 3月19日(土)「晴れ」
次に何が起きるか、どのような展開になるかと、先の見えない不安な気持ちだった1週間。自分から行動することなく被災状況を見つめるだけの毎日でしたが、その間にもいくつかの出来事がありました。地震のあった11日は、主人の69歳の誕生日でした。しかも47年間の教員生活最後の試験日。学校で○つけをしていて地震にあい、翌日から学校は休校になりました。12日はご近所の33歳の青年が、1年2ヶ月の闘病の末にご逝去されました。文武両道で、およそ病気とは縁の無さそうな逞しい青年でした。15日は長女孫の卒園式。16・17日は主人が生徒の皆さんと会う最後の勤務日のはずでしたが、休校のまま教員生活を終了しました。非常事態下で、18日の合唱練習はお休みでした。家族と笑い合い、十分な食べ物があり、暖かい部屋があり、水が出る、車が走る…今まで当たり前だと思っていたことが、実はありがたいことなんだとあらためて気づいた日々でした。


大地震から1週間 3月18日(金)「晴れ」
大地震から1週間が過ぎました。長期化する現地のご苦労は別として、社会全体も私個人もだいぶ落ち着いてきたような気がします。被災状況の記事だけだった新聞に広告も載るようになり、テレビでお笑い番組も放送するようになりました。リビア情勢はどうなっただろう…と思い出しました。我が家もテレビをつけたままにしていましたが、今日の昼間は消しました。よく言えば落ち着いたけれど、気がゆるんだり、被災地の深刻さに慣れっこにならないよう気をつけたいと思います。


東北地方太平洋沖大地震7日目 3月17日(木)「晴れ」
朝から、福島第一原発の消火作業がどうなるかが気がかりでした。今日は自衛隊の空からの水かけが実施されましたが、ヘリコプターからかける水は明らかに的外れで、霧となって空に消えていくようでした。わずか4回で終了しました。次は夜になってから警察の消防車による消火でしたが、原子炉まで届かずに終了しました。次は自衛隊が消防車で消火するという話です。放射線物質の流出を防ぐために、一刻も早く消火をしなければならないと聞いたので、とっても心配です。


東北地方太平洋沖大地震6日目 3月16日(水)「晴れ時々曇り」
何でもない平凡な日常が、本当はこの上なく幸せなものだとあらためて思う毎日です。水が出て、電気がついて、車が走って、電車も動く…。何かに怯えることもなく、楽しく笑う毎日が当たり前だと思っていたけれど、もっともっと感謝すべきことなのだと気づきました。地震の避難所では、食べ物がない、飲み物がない、着替える物がない、トイレがない、ストーブがない、車が走れない…。肉親の安否を尋ねて歩き回りながら、この上なく不自由な生活にも耐えておられる姿に、涙を流すことしか出来ません。雪が降って真冬並みの寒さになってしまいましたが、何とか堪えてくださいと祈ります。


東北地方太平洋沖大地震5日目 3月15日(火)「晴れ」
大地震2日目に福島第一原発で爆発事故が起きました。原発事故がこれ以上広がらないように祈っていましたが、昨日1基、今朝2基と、とうとう4基ともが事故になってしまいました。福島県では身体に影響あるレベルの放射能が拡散し、避難勧告が出ました。東京・神奈川・千葉でも放射能の飛散が見つかりました。あれだけ安全を主張していたのに、職員を退避させようとするなんて、事故処理はどうするつもりでしょう。被災地の方々の心配をしなければいけない時に、新しい心配ごとが出来てしまいました。


東北地方太平洋沖大地震4日目 3月14日(月)「晴れ」
「計画停電」という新たな措置が昨晩発表されました。電気の需要が供給を上回る恐れから、地域と時間を分けて、計画的に電気を止めて電気の需要を抑えるというものです。まずは朝から電車を止めて、電力消費を抑えました。私の住む地区の時間帯は幸い需要オーバーにならなくて、今日は停電にならずに済みました。得体の知れぬ不安を抱えたまま、何をするでもなく一日中テレビを見つめて過ごす生活…、しばらくはこんな状態も仕方がないのでしょうか。


東北地方太平洋沖大地震3日目 3月13日(日)「晴れ」
東北地方の惨状を知れば、困ったことは何もなかったに等しい私たちは、今、何をしたら良いのだろう。何ができるのだろう。これから数日のうちに大きな余震があると言われて、それはそれでとっても不安だし、このあいだの経験を役立たせたいと思うけれど、何がどのように起こるかわからない今、何をどうしておけば良いのだろうか。また被災した方々に対して、何か出来ることはないのだろうか。


東北地方太平洋沖大地震2日目 3月12日(土)「晴れ」
大地震から1日が過ぎて、だんだんに被害のようすがわかってきました。壊滅的な被害の地域がいくつもあるそうです。同時に孤立している地域がたくさんあることもわかってきました。自衛隊員が5万人投入され、海外からも支援の申し出が続いています。福島第一原発で建屋の爆発事故が起きました。我が家は、主人と長女と長男が今朝になって帰宅しました。


東北地方太平洋沖大地震 3月11日(金)「晴れ」
大地震が起きてしまいました。震源地は三陸沖、マグニチュード9.0という、明治以降最大の地震だそうです。三陸に続いて福島・茨城沖にも震源地が移って、また大きく揺れました。被害のようすがわかってくると、津波の恐ろしさが強烈です。携帯では家族や親戚との連絡がとれないこともわかりました。私は練習後で仲間とランチをしていましたが、ご主人様が車で迎えに来てくださった方に乗せていただいて帰宅できました。


高速接続 3月10日(木)「晴れ」
私あてに小さな箱が届いた。プロバイダーからの「高速モバイル接続」の端末だった。一月くらい前にこの件のお知らせが来た時、「高速接続の必要はない」と思いつつ、断ることもせずに放ってあった。すると次に「端末を送ります」というお知らせが来てしまって慌てた。この端末そのものは無償提供で、基本使用料も2年間無料らしいが、通信料は毎月5000円ほどかかる。「やっぱり要らないなあ」と思いつつ、いちばん必要なのは私の高速対応だった…と反省した。


ジョイントコンサートのDVD 3月9日(水)「晴れ」
40数年前からのお友だちに、11月のジョイントコンサートのDVDを送りました。コンサートを聴きにきてくださり、ご主人様にも見せたかった…と言ってくださって、DVDが出来たら見せる約束をしていましたが、周りからは「優しい社交辞令なだけよ…」と言われました。大いに迷いましたが、自分の映像さえ見たくないという人たちが多い中で、私たちのDVDを見たいと言ってくださる方は他にはおられないので、ありがたく送らせてもらいました。


ヒヨドリさんちの掃除 3月8日(火)「曇りのち晴れ」
我が家では、生ゴミを乾燥させて量を減らすタイプの生ゴミ処理機を使っていて、乾燥後の野菜くずは庭の土にします。ところが、誰かがこれを掘り返して散らかすので、てっきり猫の仕業だと思っていましたら、ヒヨドリが荒らしているのを目撃しました。虫を探しているのでしょう。このヒヨドリは我が家の玄関上の電線に止まって、そこをトイレにしています。ヒヨドリ家の台所とトイレの掃除は、うちの主人が担当しています。


マグネット並べ 3月7日(月)「雨のち雪のち雨」
雨の予報でしたが、朝からかなりの雪が積もりました。
幼稚園の保護者大清掃のため、三女孫を預かりました。この孫も小さい時のお姉ちゃんたちと同じで、冷蔵庫にくっついているマグネットが大好き。うちに来ると冷蔵庫の前で黙々とマグネットを並べ替えています。しかも三女孫だけは冷蔵庫の側面に並べるのも大好きで、大人の手のひらが入らない壁との隙間奥にまでマグネットを並べます。並べ方そのものに細かくこだわっていた二女孫とは、明らかに好みが違います。


孫のダンス 3月6日(日)「晴れ」
昨日は孫の通うダンス教室の発表会でした。運動が苦手な私の遺伝子の影響で孫が辛い思いをしないよう、身体を動かすことを嫌がらない子どもに育ってほしいと願っているだけですが、見に行った主人と長女は「ビックリするくらい上手に踊っていた」と感心していました。今日、写真を見たら、一つ一つのポーズがピチッと決まっている!!ジャンプも、両足が同時に床から離れている!!お〜、凄いじゃないかぁ〜!!


合唱講習会 3月5日(土)「晴れ」
船橋市合唱連盟の合唱講習会が10時半から午後3時半までありました。講師は声楽家の河合孝夫先生。これまでにも何回かご指導いただきましたが、今回も大笑いをしながらの楽しい講習会でした。ただ正直に言えば、内容が時々難しい話になってしまって、そういうお話より、もっともっと実際に声を出してみたかった。でもあとは自分が繰り返し繰り返し声を出して身につけるべきことで、自分自身の実践の問題なんだろうな。遠く東総女声合唱団から13名も来てくださいました。


カシスジャム 3月4日(金)「晴れ」
娘がブルーベリージャムを作って届けてくれました。ブルーベリーの味も食感もしっかり楽しめて、甘さもほど良くて実に美味しい!!それを食べながら、そう言えばうちにも冷凍カシスがある…と思い出しました。時々思い出して生で食べるけれど、酸味が強いので一度には10粒くらいしか食べないまま、またすぐに忘れてしまいます。あれもジャムにしてみようか…と煮てみました。みごとな濃いピンクの汁にびっくり!!これも美味い!!


入試問題流出事件 3月3日(木)「曇り」
2月末の京都大学入学試験で、試験時間中に携帯電話のメールで外部の人に答えを教えてもらう事件が起き、誰がやったのかが昨晩判明した。ただ今回のケースは、誰がやったかは近いうちに簡単にわかる…と我々素人でも考えていた。ほんのこの間の大相撲八百長事件で、携帯電話の消されたデータさえも復元できるのを知ったし、ましてやインターネットに記録が残っているのだから…。携帯電話は人々の生活をとっても便利にしてくれたが、それが犯罪に利用されるのは悲しい。


住民基本台帳カード 3月2日(水)「晴れたり曇ったり」
先日、確定申告をしました。パソコンでやると簡単だし特典があると聞き、今年こそはパソコンでやるつもりでした。まず「公的個人認証サービスに基づく電子証明書」をとらなくてはならなくて、市民センターへ行きました。ところが「市民センターでは扱いません。申請には写真と免許証が必要だし、免許証がない人は日数がかかります。」とも言われ、簡単に断念して書類で提出しました。電子証明書はまだ確定申告以外の使いみちがほとんどないらしく、電子証明書に関する公的機関からのPRもほとんどありません。でも電子証明書を組み込まないままの「住民基本台帳カード」が身分証明書になるので、今日あらためて取ってきました。


会場取り 3月1日(火)「小雨時々曇り」
朝、知人からメールが来ました。「来年3月に発表会をするため、会場取りに来ています。ここに夜9時まで並んでおりますので、お近くにお越しの折は是非お立ち寄りください。」というものでした。受付は明日の朝8時半から…。先着順の受付なので、今までは夜通し並んでいなければなりませんでしたが、今回から夜9時になったら整理券をもらって一度帰宅して良いことになったそうです。3日前から並ぶという噂の頃に比べたらずいぶん楽になったようですが、それにしても大変です。雨だし寒いし…で、応援にも行けませんでした。


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