私感


ここにある文章は、私がこのHPを開設する以前に”adult child network”に掲載していただいた

私自身の告白です。

当時の私自身を知ってもらおう、という思いから、このページにも載せる事にしました。

少し長いですが、ぜひご覧ください。

私感 存在 愛という名のもとに 兆し 兆し −それから− 迷い・・・
雑感 「今を生きる」


私感  私は、現在31才です。仕事は、一応しています。全くつまらなくなっていますが ・・・ 私は、自分がACだと気がついていませんでした。 私は、子どものころから、常に”他人とは違う”という事を自覚せざるを得ませんでした。 私は、肉体的に明らかに他人と異なっている部分があります。 とは言っても、いわゆる 身体障害者、と呼ばれる方たちとは違います。 通常の健常者と見た目は同じですし 、 少々病弱であるという事以外は普通の人間なんです。 しかし、そのある部分のために、子どもの頃から辛い想いをしてきました。 私は爪が奇形なんです。医者によれば、国内でも症例が数例しかなく、もちろん原因も不明です。 ただ形が変、というなら良いんですが、これがたまに化膿するんです。 指先というのは神経が集まっているため、痛み止めを飲んでもあまり効かず、夜も 眠れないんです。 体が成長期にあった時は週に何度も化膿し、そのたびに両親は一晩中指先を冷やし 、さすってくれました。 そんな訳で、外見でみんなが分かるために色んな事を言われ続けました。 普通、大人が子どもを評する時、たいていは”可愛いですね”とか、”いい子ね” と言うでしょう。 私は、そんな事を言われた事は一度もありませんでした。 大人たちは私を見て一様に”どうしたの、この爪”といいました。これはまだ良い方で、 ひどいのになると、あからさまに”変わってるわね”とか”変ね”という大人まで いました。 今考えれば、誰も悪気があって言った訳ではないのでしょう。そう思いたいです。 しかし、そう言われ続ける事によって”自分は普通ではないんだ”という考えが 私を支配していったのは事実です。 当然、学校時代はいじめの対象になっていました。 今でも、初対面の人には同じ事を言われます。もう馴れたものですが、それでも辛いです。 こういった子供時代を過ごしてきましたので、私は人を信じる、と言う事をしなくなりました。 どんな人たちも、私をそういった目で見ている、と思うと人が嫌いになっていきます。 さらに考える事は、”自分の存在価値””自分の生きている意味”です。 24才の時、初めて結婚を考えた女性がいました。 ”彼女なら大丈夫だろう”と言う、初めて人を信じられる気持ち、と言う物を感じました。 彼女の家に挨拶に行った時、やはり、同じ事が起こりました 。 ”結婚を前提に・・・”という言葉の途中で彼女の父親の目を見た時、ある一点で 止まっている事に気がつきました。 その場ではっきりとは言われませんでしたが、結論は”許さない”と言う事でした 。 後で彼女から聞いたのですが、反対の理由は”変な形の爪をした孫の顔は見たくない” と言う事でした。 ”ああ、やっぱり・・・”これが、私の気持ちでした。 それ以来、たとえ人を好きになっても何も言わずに過ごしてきました。 そのうちに生きている事がつまらなくなり、何のためにつまらない仕事をし続けなければならないのかと 考える様になりました。 今でもそうです。やりたい事も分からずに、胃の痛みを抱えながら毎日仕事場に向かっています。 誰にもこんな事は言えません。両親にもこんな事は言えません。 両親に対する想いは”ここまで育ててくれた事には感謝します。 しかし、私をこの世に存在させた事を怨みます”というものです。 毎日が辛いです。今までも一人でしたし、これからも一人でこの想いを抱えながら 生きていかなければならないんでしょう。 何度も死にたい、と思いました。度胸が無かっただけです。 助けが欲しいんです。誰でもいい、私の生きている意味を見出せるような日々が欲しいんです。 トップへ


存在 「私感」を読んで下さった方、またメールを寄せて下さった方、この場を借りてお礼申し上げます。 「ありがとう」何て言葉では足りないくらいの感謝の気持ちで一杯です。 前回「私感」の中では、私の生い立ちから、現在の心境に至った経緯を書きましたが、 今回は その経緯の中で何を感じていたか、と言う事を書きたいと思います。 どうか、お付き合い下さい。 子供たちの自殺が話題となってだいぶ経っていますが、未だに自殺する子供たちがいます。 彼らは一様に「生きるのが辛い」、「死んだ方が楽になれる」と言い残して、その若いこれから、 と言う命を自らの手で散らしていっています。 私もまさに、その思いでした。私が学生時代の時は「いじめ」と言う言葉もまだそれほど 認知されておらず、「校内暴力」と言う言葉に置き換えられていましたが。 一部報道を見ていますと、「いじめる方はもちろんだが、いじめられる方にも問題はある」 と言う 内容の事を平気な顔をして言っている文化人まがいもいるようですが、 「そういう社会、風潮を作ってしまった自分たちの責任は?」と問いたくなります。 話がそれてしまいました。 「生きるのが辛い」、この感情が初めて湧いてきたのは小学校の頃だったと思います。 「私感」で書きましたように私は、一部人とは違う部分を持っています。 これをからかわれた事は言うまでもなく、しょっちゅう化膿して指先が痛むたびに 、子どもながらに 「なぜ自分だけこんな思いをしなければいけないんだろう」 と言う事を考えていました。 この痛みに関しては、他の誰に話しても分かってはもらえない、両親でさえも分かってくれないだろう、 そんな思いの中で過ごした子供時代でした。 また、周囲の目も気にするようになっていきました。 私がある程度大人たちと話ができるような歳になると、会う人毎にこう言われました。 「どうしたの、その爪。病気?けが?変わった形ねぇ」 私には、説明するすべがありませんでした。話せるようになったとはいえまだ6、7歳です。 原因が分からない、と言う事すら理解出来ない私にどんな説明ができたでしょう。 ですから、その頃は訳も分からずに「生まれつきです」と言う言葉だけを繰り返していました。 変わったものを見る大人たちの目、それに敏感になっていった私はその目をそらすために そう言った大人たちの御機嫌を伺うようになっていきました。 自分の感情や想いといったものを殺し、周囲の大人たちには「良い子」に見られるようにしようと 自分を飾り演技するようになりました。 自分は行きたくないのに誰かが行こう、と言えば何処にでも付いていきました。 少しでも話ができるように、と勉強もしました。いい成績をとることで「良い子」 と呼ばれようと 努力しました。 学校でもそうでした。 周囲の友人達と少しでも近づこう、仲間に入れてもらおうと、今考えればずいぶん余計な努力を したものだ、と思います。 その頃から、自分でやりたい事、と言う物が無かったような気がします。 気が付くと誰かに合わせている自分がそこにはいました。 そのことに気づくようになってからでした。自分の「存在」について考えるようになったのは。 それまでの自分は本当の自分ではない、飾り立てた、演技をしていた自分です。 それじゃ、本当の自分は?と考えた時、何も浮かんできませんでした。 本当の自分って何だろう、考えても答えは出ませんでした。自分で何がしたいのか 、自分は今 何をすべきなのか、分かりませんでした。 私は、常にいじめの対象となっていた訳ではありませんが、いじめを受けている時には 「何も無い自分なのだから、この世にいても何の意味も無いであろう」と、 自殺を考えた事もありました。 自分の存在価値を考える時、私はいつもこう思っています。 例えばスポーツの選手や、芸術家という人たち。彼らは、その人の持つ力、才能といったもので 私たちを楽しませてくれたり、また、感動を与えてくれます。 そして私たちの記憶に残ります。 そのことが彼らの喜びとなり、生き甲斐となり、彼らがそこに存在する「意義」になると思います。 そして、記録なり作品が彼らの生きた証となるでしょう。 それではそれ以外のいわゆる一般の人たちはどうでしょう。 これはそれぞれの生き方、ポリシーとでも言うべきものがありますから一概にこうだ、 とは言えませんが私が思うに、みなさんそれぞれそれなりの人生を歩いてきて 、 途中では恋愛もし、結婚もし、やがてできる自分たちの家族のためにまた自分の人生を 作っていく、 そんな想いが一般的ではないかと思っています。 彼らは、自分の子どもを育てる事によって自分が存在した事、自分が生きた、と言う証を残せるのです。 もちろん、これが総てだとは思いません。 これは、私から見た一般的な幸せの形、とでも言うべきものです。 じゃあ私自身は、と考えた時に、自分には飛びぬけた才能がある訳でもない。 一般的な、小さくても良い、幸せの形も拒否されてしまった、じゃあ自分の存在価値、自分の 生きる意味は何処に見出せば良いのであろう、と言う所に落ち着きます 。 この世に神がいるとしたら、神は私に何を与えたのでしょう? 生きている意味が無いんじゃ、何をやっても空しいだけ、でも、何かをしていないと焦ってしまう、 最近は、こんな感覚に襲われてしまいます。 何をしていても自分を監視しているもう一人の自分がいて、「お前は、何をやっているんだ、 それで良いのか?」と問い掛けてきます。そんな感情の狭間に、私はいつも独りでいるんです。 周囲に居た人たちには自分を飾って見せていましたから、それなりの付き合いはありました。 しかし、心から信じる事はしませんでした。 「どうせ、変わった奴と思っているのだろう」 と思い込み、信じているフリを演じながら、その実、頼っていたのは自分だけでした 。 自分以外に頼れるものはありませんでした。どうせ言っても、自分の事は分かってもらえない、 と言う半ば投げやりな感情で満たされていました。 それはどうかすると、自虐的、破滅的な衝動を喚起するものでした。 そんな感情でさえも強制的に自 分の中では押さえつけていたんです。 うれしいも、楽しいも、悲しいも無い、ただ 、寂しく、辛いだけです。 それは大人になった現在まで続いています。 周囲にいた人間も減ってきました。本音で付き合ってこなかった結果なのでしょう 。 今は、本当に独りなのだ、と言う感情が湧いてきています。 ただ以前と変わった事と言えば、「生きている意味が無いんであれば死んでも構わないだろう」から、 「どうせ死ぬのなら、誰かの役に立って死のう」と言う感情に なってきている事です。 そのことで、自分の生きる意味を探しだそうとしています 。 これは、心情的に進歩したのでしょうか? 皆様のご意見をお待ちしております。 トップへ


愛という名のもとに いつも読んで下さっている方、そして感想を寄せて下さる方へ、お礼申し上げます 。 「私感」、「存在」では主に、私の育ってきた環境、境遇について書かせて頂きました。 今回は、特定の時期に絞って私の感情、特に”愛情”について書かせて頂きました 。 どうか、お付き合い下さい。 ”愛”という言葉を聞いて、皆さんはどんな事を思い出しますか? ”愛”にも、色々な”愛”がありますよね。例えば、”人類愛”、”母性愛、父性 愛”、”家族愛”、 ”無償の愛”なんて言葉もありますね。 ACを考える時に、最初に来る事は、家庭環境、でしょうか。そうすると、”家族愛”かな、 と思う方もいると思いますが、今回捉えたい”愛”は、”異性愛”、そのものです。 いわゆる、”恋愛感情”ですね。 「何を、センチな事を・・・」と言われる方もいると思いますが、これが、なかなか どうしてうかつに扱えない感情でして、私の場合・・・ 皆さんも、たくさんの恋愛経験をしておられると思いますので、今回の文章には、 賛否両論 あると思います。 そんな貴方からのご意見を頂ければ、と思っております。 さて、初恋うんぬんは置いといて、話は私が中学の頃になります。 この時点でのいわゆる恋愛経験は、1人でした。 とは言え、中学生ですから、そんなにたいした経験ではなかったはずです。 ただ、恋愛そのものに憧れ、誰か一人の女の子と特別な関係になる事、と捉えていた、と記憶しています。 私自身は、と言えば、普通の中学生よりは、かなり老成していた、ませていた存在でした。 周囲にいる大人達の行動を、言動を観察するくせがついていたためか、かなり他の子どもと 比べて 大人びた発言をする子どもでした。 それでも、現代の中高生と比べれば、純朴な方だったでしょう。 私は、”放送部”に在籍していました。 朝、昼、夕方に校内に色々な連絡をする、というこの部活。 いわゆる運動部、文化部とは違った面を持つものでした。 例えば、朝には朝の音楽を、昼には給食時間に曲を流し、夕方には部活終了、下校の指示を 促すなどの毎日の活動のほかに、学校行事の際には放送器材のセッティングなど、 他の生徒では味わえない”特権”の様なものを感じていました。 このような部活ですから、無制限に部員が増える、ということはなく、担当教諭との面接を経て、 さらに 部員の賛否を取った上で入部が認められる、という特殊性もありました。 各学年で、男女およそ5人ずつ、ただ、途中で辞める人間もいましたから、私がいた頃は、常駐が 10人といったところでした。 さて、恋愛の話です。 私の代には、男が私を含めて5人いました。 それぞれ、いわゆる”かっこいい”タイプで、それぞれもてていました。 私は、と言えば、器量に関しては全く自信が無い(今も無い)奴で、「女なんか・ ・・」と 硬派を気取っていましたがその実、彼らがうらやましくもあったりしていました。 中学2年の秋、ちょうど文化祭の準備をしている頃、その女の子は現れました。 その子は、小学校が一緒だったのですが、そんなに親しかった訳でもなく、余り口も聞かない存在でした。 ある日、準備の終わりが遅くなり、帰る時間が7:30を過ぎた日がありました。 他の部員達は私より一足早く帰宅して、私が部室の鍵を締めて帰ろうとした時、その女の子は 私に「読んで下さい」とひと事言うと、手紙を私に手渡して、走って帰っていきました 。 「何だ、青春ドラマか?」と思わないで下さい。これは、序章です。 家に帰った私は、早速、手紙の封を切りました。 中には、便箋が一枚、一言「付き合って下さい」とだけ書いてありました。 女の子からこんな事を言われるのは、初めての経験でした。 次の日、彼女にOKの返事をすると、嬉しそうな笑顔を見せてくれました。 その日から、私達は特別な関係、になりました。と言っても、一緒に下校したり、 街の中を 歩いたりという、他愛も無いものでした。 でも、私達にとってはその行動自体がドキドキしたものです。皆さんにも、経験があるでしょう? 手をつないで歩く行為に、どれだけの勇気と決断が必要だったかは、今でも覚えて います。 付き合い始めて3ヶ月くらいのときです。 彼女は私に「放送部に入りたい」と言ってきました。 中途でも部員の推薦があり、部員数に余裕があれば入部は可能でした。 私は早速、担当教諭と部員に相談し、「おまえの推薦なら」という事で、彼女は入部を認められました。 その後に起こった事は、私の想像とは、全く違う事でした。 私は、その頃はまだ、友人だけは信じる事が出来る人間でした。 今から考えると、社会の大人達からの批判の目を受ける事に苦痛を感じていた私は 、せめて 私の周囲にいてくれる友人達だけは、大切にしよう、 というACの特徴がもろに出ていたのかもしれません。 中でも、特に仲が良かった友人が一人いました。同じ放送部所属の背が高い、 かっこいい奴等の中でも、 特に女の子達から人気があった奴でした。 馬鹿な事を言い合い、一緒に笑っていた奴でした。 ただ、彼は女の子には余り目をくれない奴でした。特に硬派、という事でもありませんでしたが、 誰と付き合う訳でもなく、どんな女の子とでも、普通に接する奴でした。 私は、良く他の女の子達から、彼宛ての手紙やプレゼントの渡し役をやっていまし た。 彼は、人前では、絶対にそういった物を受け取らなかったからです。 彼いわく、「恥ずかしいじゃん」という事でしたが、全くその通りの奴だった事もあり、私は うらやましい、と 思いつつも、女の子達のプレゼントを彼に渡していました。 さて、ここまで読んで頂ければ、おおよその見当は付いた、と思います。 そうです、ここで私が経験した事、それは「裏切り」でした。 首尾よく放送部に入部した”私の”彼女は、入部したとたんに、態度が一変しまし た。 前の日まで、「好きよ」と言ってくれていた彼女は、私の一番仲がよかった彼に近づいたのでした。 そして、私とは言葉を交わさなくなりました。 最初は、彼の方が拒否の態度を示していたのですが、一週間もすると、二人は”特別な関係”に なっていました。 私は、ダシに使われた訳です。 普通のアプローチでは無理だ、と彼女は判断しての事だったのでしょう。 ショックでした。 裏切られた事もそうですが、彼が、私の想いや立場を知っていたにもかかわらず、 彼女と そういう関係に なった事は、もっとショックでした。 今となっては、あの頃の事はただの”想い出”ですが、あの時に受けたショックが 、現在の私に 残っている事は間違いありません。 あの時以来、私は、誰も信じなくなりました。唯一信じたかった友人さえも信じなくなりました。 人を愛する事も無くなりました。頼れるのは、自分だけ、になりました。 普通にフられた、という事だったら、こうはならなかったと思います。 無条件に人を信じていると痛い目に合う、という教訓だけが残ったのでした。 その時から、自分に近づいてくる人間の裏側の心理をのぞくようになりました。 発せられる言葉一つ一つの裏側を読むようになりました。 何より、自分が傷つく事を恐れました。 でも、その実、誰かを愛したい、誰かから愛されたい、と願う心もあったような気もします。 今回のタイトル、「愛という名のもとに」とはこういう事でした。 愛という名のもとには、人は何でも出来るようになるのか、何をしても良いものなのか、 何をしても許されるものか、という事です。 私自身、誰かのために何かをしたい、という思いがあります。 その為であれば、”死”さえ厭わないでしょう。 これも一つの”愛”なのでしょうか? ”愛国心”という大義名分のもとに、たくさんの命が散って行った時代がありまし た。 一方では、悲しむ家族があったにもかかわらず、”御国のため”に死んで行った英霊達がいました。 ”愛国心”と共に、”自分の家族を守る”という意味もあったでしょう。 決して、純粋だった、とは思いませんが、当時の人たちには、精一杯の言い訳だっ たのでしょう。 そうでも言わなければ、死にいく事ができなかったからでしょう。 その、尊い犠牲があったからこそ、私は今、ここに生きていられるのです。 しかし、いつからか、”愛”は”手段”になってしまいました。 少なくとも、私自身の中では・・・ 私自身は、この”手段”を使うことなく、今まで生きてきました。 傷つく事も、傷つけられる事も嫌だったからです。 しかし、今少しづつ、回復の道を歩んでいく過程の中で、誰かを愛する、という事について、 考え始めて います。 まだ結論は出ていません。 ですが、誰かを信じる、という事については、少しづつ私の中で変化してきているように思います。 ”自分”を確立していく事、それがヒントかな、と思っています。 皆さんは、どう思われますか? なお今回のタイトルに関して、同名の楽曲、ドラマとは一切関係が無い事をお断りしておきます。 トップへ


兆し いつも、たくさんの感想を頂いております。どうも、ありがとうございます。 皆さんの温かい心に支えられております。 さて、今回は少し明るめの話になると思います。お付き合い下さい。 先日、私は初めて”オフ会”、”オフライン・ミーティング”に参加しました。 「何だ、普通の事じゃないか!」なんて、思わないで下さい! 今迄の私でしたら、絶対にそのような所には参加しなかったはずですし、できなかったはずでした。 事実、前々日まで迷っていたんですから・・・ いきさつからお話しましょう。 私は最近、色々なチャット・ルームを覗くようになったんです。 以前から、決まった会員制のチャット・ルームがありまして、そこにはしょっちゅう顔を 出していたんですが、最近は、そこ以外のチャットにも顔を出すようにしているんです。 会員制チャットの良い点は、安全に、安心して話が出来る所ですね。 いわば、守られた環境で自分達の想いを話し合える場、と言う事になりますね。 これに対して、普通のチャットは、誰でも入ってこられる、誰でも参加できる、 逆に言えば、 どんな人が入ってくるか分からない、と言ったある種恐怖感のようなものもあります。 最初は、私もそのような感覚がありました。 特に、人間が嫌いで、信用できない私に取ってみれば、そのような場は、恐怖以外の 何者でもなかったはずでした。 ところが、です。 意を決して(それほどの度胸がいりました)入って見ると、意外にもスムーズに話に入り込めたのです! これは、意外でした。 そこのチャットは、常連が多く、みんなある程度お互いの事を知っているようでしたが、 新参の私を そのまま、受け入れてくれたのでした。 うれしかったです! 今迄が、拒絶されっぱなしだった私にとって、ネット上とは言え、このように普通に 受け入れてくれるものなんだ、と思ったんです。 これが、第一段階でした。 それからは、毎日のようにそこのチャットに顔をだし、色々な話を、色々な人たちとしました。 ごくありふれた世間話でしたが、そこには毎日新しい人が訪れて、それぞれの話を している、 そんな空間にいられる事が、非常に心地良かったんですね。 そのうちに、”オフ会をやろう”と言う話が出たんです。 さて、困りました。 私は前述の通りの人間ですから、初対面の人に会うとなると、異常なまでに緊張し 、 逃げ出したい 衝動に駆られるんです。 いくら、毎日ネット上で話をしているとは言え、実際に会う、となると気が引けてしまいます。 しかし、そこで知り合った方から、”ぜひ話をしてみたい”と言うメールを頂いて 、 私は 一大決心をしたのでした。 さて、運命の日です。 当日の待ち合わせは上野に18:00でした。 私は北関東に住んでおりますので、ちょっと離れているんですね。 で、東京に出るのなら、ということで、会員制のチャットで知り合った方にも連絡を取り、 まずは、 昼過ぎ頃に会員制チャットで知り合った方二人と待ち合わせをしました。 こちらのほうは、普段からかなり自分の事などについて、深く話していましたので 、 お互いの事は ある程度の事は分かっていました。 しかし、緊張するんだろうなぁ、と思っていたんです、私は・・・ 待ち合わせの時間に少し早く着いた私は、二人を待つ間色んな事を考えていました 。 最初の一言は、なんてかければ良いんだろう、とか、嫌われたらどうしよう、とか 。 しかし、不意に私の名前を呼ばれて、私の口から出た一言は「こんちわ」でした。 普通に、この言葉が出たんです。自分でも驚きです。 そして、その瞬間に緊張はどこかに行ってしまいました。 あれほど人を嫌いで、なるべくなら人に合わずに済ませたい、と思っていた人間が 、 初対面の人たちと何に気を使う事も無く、遠慮をする事も無く、普通に話をしていたんです。 しかしこの時点では、その事に自分自身、気が付いてはいませんでした。 待ち合わせ場所の付近を三人で散策し、楽しい時間を過ごす事が出来たんです。 こういう時の時間は短いもので、あっと言う間に夕方になり、二人に別れを告げて 、 いよいよ”オフ会”です。 こちらは、本当に初対面に近い、というより、お互いに世間話程度しかしていませんから、 そんなに 分かり合えている訳ではない人たちとこれから会うんです。 普通の人でも、ある程度は緊張するものでしょう。 ところが、ごく普通に、本当に普通に入り込んでしまったんです。 昼間、二人に会った時は確かに緊張していたはずでしたが、この時は、それすらありませんでした。 初対面の人たちに会って、話をして、笑っている自分がそこにはいたんです。 今迄私は、飲み会といえば”盛り上げなくちゃ”とか、”何か話さなくちゃ”といった気を使い、 決して楽しい場では無かったんです。 しかしこの日は、本当に自分のペースで話し、みんなの話を聞き、笑い、楽しんでいました。 結局、二次会には参加できずに、最終の新幹線で帰らざるを得ませんでしたが、 そんな私を 他のみんなが、笑って見送ってくれたのでした。 楽しい時間でした。本当に久しぶりに楽しい一日を過ごす事が出来ました。 帰りの電車の中で、私はふっと思ったんです。 ”何か違う。今迄とは、何かが違う。今迄は、このような集まりは自分にとってつまらないものであった。 でも、今日は違った・・・何故だ・・・” そう、この時に気が付いたんです。その不思議な感覚に。 初対面であったにも関わらずに緊張も、遠慮もせずに、終始自分のペースでいる事 が出来た自分は、 有り得ない事だったからです。 ずっと、考えていました。今でも、答えは出ていません。 しかし、一つだけ明らかな事は、あの日を境に私の中で何かが変わりつつある事、 です。 もしかしたら、私に足りなかった事、それは、”会話”とか”対話”だったのかもしれません。 人を拒絶していた裏には、人とのふれあいを必要としていた自分がいたのかもしれません。 皆さんは、どう思われますか? トップへ


兆し −それから− 前回の「兆し」から、まだそんなに時間は経っていませんが、ここまでで、少しづつですが 分かり始めた事、今回はそれを少しお話したいと思います。 前回私が体験した事、そして経験した不思議な感覚、これがどうして何の前触れも無く生まれてきたのか、 「兆し」を書いた後、考えていました。 「兆し」の最後に”「会話」や「対話」が必要だったのでは”、 ”人を拒絶する裏には、 人とのふれあいを必要としていた自分がいたのでは・・・ ” という事を書きました。 言い換えれば、”人とのつながり”を欲していた、とも言えるでしょうか。 考えてみると、それまでの私にとって、自分はどうでもいい存在だったんですね。 私が無かった、というか、自分にとって辛い存在でしかありませんでした。 それが、ネット上で人とのコミュニケーションを取るようになり、自分のホームペ ージを 立ち上げると、そこからまた新たなコミュニケーションが生まれ、そんな事を繰り返すうちに 色々と気が付かなかった自分がいる事に気が付いてきました。 これは全て、”誰かと話をする”という事の結果によるものだ、と言う事が分かったのは、 つい 最近の事です。 ”人の話を聞き、自分の事も聞いてもらう”このスタンスが、今迄は無かったんですね。 それまでは”人の話を聞く”事だけに終始していたと思うんです。 その前まで考えれば、誰ともコミュニケーションを取らなかったわけですから、 当然自分の 思いのみに終始してしまう訳です。 これは、抜けられないトンネルのようなもので、いつまで経っても答えは出ないんですね。 それどころか、どんどん深みにはまっていってしまう、状況は最悪な訳です。 そこには、様々な苦悶、寂寥感、絶望感と言ったネガティブな思考しか存在しませんでした。 以前読んだ本の中でこんな言葉がありました。 「誰も、貴方を傷付けようとする人はいない」 最初に読んだ時に、私は「嘘だ」と思いました。 しかし、前述のような体験をした今、私はこの言葉の意味が少し分かってきたような気がします。 やはり、きっかけと段階という事なのでしょうが、このような経験が出来た私は 特別なのでしょうか? いいえ、決してそんな事は無いはずです。 つい先日も、私にとって貴重な体験をする事が出来ました。 詳しい事はお話しませんが、やはり初対面の人とお会いして、お話をする、という 事です。 その方とは、全く面識も無く、それまでにお話した事も無く、本当に初対面の方で す。 その方から”ACに関して少しお話しがしたい”と言われ、そこで私の体験とか、 考えなどを 話しました。 そこにいた私は、何の気負いも無く、ごく自然体の私でした。 お会いしたその方もとても良い方で、私の話を真剣に聞いてくれました。 そして、その方も色々な意見を私に向けてくれました。 私は、話をしながら、”これがいわゆる普通の感情なのかな?”と思いながら過ごしていました。 そう思った瞬間、”難しい事は、何も無い”という思いが浮かんできました。 人とのコミュニケーションが取りずらい、という方が大勢いる事も知っています。 私自身が そうでしたから。 最初は、メールを送るとか、簡単な事で良いんです。 誰かと話をするという事、これだけは続けてみても損はない、と考えてみて下さい 。 その中で、傷付く事も、あるかもしれません。 しかし、それ以上に得る事も多いはずです。 私も、もう少し、この自分の感情を整理しながら、考えていきたいと思います。 トップへ


迷い・・・ みなさん、こんにちわ。 いつも読んで下さってありがとうございます。 前回の投稿から約一ヶ月半。色々な事がありました。 その中で、自分自身がまだ「迷っている」事について少し・・・ 「兆し」の中で、「自分は回復傾向にあるのか」という事を書きました。 確かに、日常生活の中では、回復の傾向が見えます。が・・・・ 先月の初めから、仕事を始めました。 職業は「販売業」。店頭で「いらっしゃいませー!」というやつです。 以前から経験はありました。ただ今回は、新しくオープンする、という事で開店前 研修や開店準備等の仕事から参加できました。 扱うアイテムは、私の趣味のもの。 つまり、好きなものに囲まれている職場です。 ただ、一緒に働く仲間たち・・・ここに問題がありそうでした。 研修に始めて参加した時、そこでいっしょに働く仲間たちに会ったんですけど、 みんな若い!短大を卒業したばかりの子や、フリーター、みんな、私と一回りほども違う子達ばかりです。 一番年齢が近くても28歳。 その時、何となく分かりました。私が採用された理由が・・・ つまり、彼らには、販売はおろか、仕事、としての経験が少ないんですね。 そんな中に私は採用された、という事は・・・ お店が開店して、初めてスタッフ全員が揃ったんですが、総勢14名のうち、 正社員は店長を含めて2人。後は、バイトと、契約スタッフでした。(私は契約スタッフ) しかも、そのほとんどが販売未経験でした。 そこで私が考えた事。 ”どうすれば、彼らが早く仕事に馴れてくれるか・・・”でした。 以前、同じような事で悩み、身体を壊してしまっている事も忘れて・・・ その当時、私は”店長”という肩書きでした。 小さい店ではありましたが、やはりバイトやパートさんと供に仕事をしていました。しかし、 なかなか思ったようには、働いてはくれません。 そんな中で、色々と試行錯誤を繰り返していくうちに、ストレスが溜まっていった・・・とい う結果でした。 今回は、立場は彼らと一緒であるはずなのに、気持ちはあの頃に戻っていたのでした。 ”それは、自分のやるべき仕事ではない”と思い始めた矢先、店長に呼ばれて 「貴方は、店長経験があるから私の言いたい事が分かるはず」 「貴方には、彼らを導き、指導、監督して欲しい」と言われました。 冗談ではありません。そんな事が出来る訳がありません。 しかしそこで私は、そう言えませんでした。 「私に分かっている事でしたら、彼らに教えてあげる事くらいなら出来ます」 そう答えるのが精一杯でした。 日常生活では、自分の思いをそのまま話せるようになって来ているのに、仕事では まだそれが言えないんですね。 もちろん、一緒に働いている仲間たちは良い連中です。楽しい連中です。 しかし彼らも、そんな店長の態度に気が付き始め、避けるようになっています。 そうなると当然のように、もう一人の社員、もしくは私に頼ってくる訳です。 年齢的な事もあり、私には「それは出来ない」という事は許されないんです。 (と、私が思い込んでいるんです) こと、仕事に関しては全く進歩していなかったんですね。 またこれから少しづつやっていくしかないんですけど、すでに挫折気味です。 辛い所です。 トップへ


雑感 みなさん、こんにちわ。 いつも読んで下さってありがとうございます。 皆さんから頂くメールに、励まされております。 先日、私のHP及び、こちらのHPがTVで紹介されました。 これを読んで下さっている方の中にも、御覧頂いた方がいらっしゃると思います。 今回は、その後の状況について少しお話したいと思います。 どうかお付き合い下さい。 放送される前は”30分番組だし、それほど視聴率も上がらないであろうから、そんなに 大した変化はないであろう”と思っていました。 とんでもなかったです。 放送直後からメールが舞い込み、掲示板への書き込みも増え、チャットの参加人数も増加しました。 TVの影響とは、すごいものです。 放送の中では、私のメールアドレスがほんの少し映っただけだというのに、 あらゆる検索方法を使って皆さん、アクセスなさったようです。 放送二日後まででメール数が約60通(全て、初めてお便りを下さった方です)になり、 現在は少し落ち着いたものの、未だに”放送を見ました”というお便りをいただきます。 (これを書いている現在は、放送後二週間が経過しています) 本当にみなさん、真剣に悩んでいる方ばかりでした。 今迄はそれを口に出す事が出来ずに、独りで落ち込んでいた、という 告白を聴きました。 やり場の無い辛さ、苦しさ、寂しさを持ち続けてきた、という告白を聴きました。 本当に色々な苦しみがあるものだ、と実感しました。 それを、私のような者にお話してくれる、その勇気に敬意を表しました。 私はそれらのメールを読みながら、自分自身がここの掲示板に 初めて書き込みをした頃を思い出していました。 行き場の無い辛い心の内をさらけ出す場所、そうしてネットをさ迷う内に 見つけたこのHP、そして、自分と同じような苦しみを持った人がたくさんいるという事実を 知った時、”自分は独りでは無かった”と思えた瞬間、そんな事を思いながら、 それらのメールを読んでいました。 きっと、皆さんも同じような想いを今、感じているんだろうと思いながら、 つたない言葉ではありますが一人一人の方にお返事を書きました。 中には、いたずらや批判、明らかな嫌がらせの内容もありました。 (ごく少数ですが)以前の私でしたら、それだけで傷付き、落ち込んだ事と思います。 しかし、そんなメールを書いてくる方も実は、心に悩みを持っているんだろう、 と思えるようになっていました。 そんな中でうれしかった事は、以前「兆し」の中で書きました”チャットで知り合った仲間” から、励ましのメールが届いた事でした。 みんな、現在の私の状況を察してくれて、”このメールへの返事はいらないよ”とか、 ”無理をせずに、マイペースで”といった内容のメールでした。 ”自分には何も力になれないけど、疲れた時にはいつでもメールを下さい” というメールをもらった時、正直な気持ちとして、うれしかったです。 改めて想いました。 私のHPは、私一人で作っているのではない。 色々な方達の苦しさや辛さ、寂しさ、そしてそれを思いやる事が出来る方々のその想いが このHPを作っているんだ、と・・・ いみじくも、ここのHPのWEB MASTERさんがおっしゃっていました。 ”掲示板には、神様がいる”と。 私は”HPに神様がいる”という感じでした。 私がここのHPを通じて、色々な方と知り合い、回復へのきっかけを 掴んだように、 私のHPに来て下さる方達にも、一つでも多くの新たな出会いがある事を期待しています。 放送直後は、少々の混乱がありましたが、現在は落ち着き、私自身も落ち着いて メールのお返事を書ける状況になりました。 これからも、ここのWEBMASTERさんを始め、色々な方のご協力を頂きながら 私自身を含めて、HPを成長させていきたいと思っています。 どうかみなさんも、そんな私を見てやって下さいね。 トップへ


「今を生きる」 みなさん、こんにちわ。 前回の原稿から、だいぶ経ってしまいました。 お蔭様で仕事が忙しく、書いている余裕が無かったんです。 ただ、そんな忙しさの中でも私は色々な事を思い、また経験もしました。 今回はその辺りを書いてみようと思います。 どうか、お付き合いください。 私は今、販売関係の仕事に就いています。 いわゆる”お店の店員さん”です。これは以前にも、お話しました。 ただ、私のいる店はただ単に”モノを売る”と言う事にとどまらず、色々な活動をしています。 例えば、ギターセミナーやドラムセミナー、バンドセミナーといった活動をしています。 うちの店には、バンドの練習スタジオがあるんです。 そこに、いつも来てくれるお客さんを集めて、セミナーを開くんです。 もちろん、ちゃんと講師の先生も呼びます。 今迄にきてくれた方は元カシオペアのドラマーの方や元プリンセス・プリンセスの ベースの方など・・・ そういったプロの方達を呼んで、お客さんに少しでもプロの音に接するチャンスを作ろう、 と考えているんですね。 特にこの夏は、このようなイベントが多かったんです。 夏祭りに合わせて、街頭にワゴンを出してセールをしたり、イベントスペースを 作って 一般参加のイベントを催したり・・・ 当然そこには、店の店員も何人か付く訳なんですが、そこに私が駆り出されるんですね。 お祭りの時のワゴンセール、私はもう一人の店員とともに、人で賑わう街頭に立ち、 「いらっしゃいませぇ!」とやっていました。 さらに、イベントスペースにおいて、アコースティック・ギターバトル、エレキギター・バトルと 称して、2日間にわたり、一般参加の方達にその腕を競ってもらうイベントをした時も、 私は両日とも、店代表の審査員として、参加していました。 極めつけは、「ウクレレ一時間教室」でした。何と私は”先生”をやったんですよ。 何が言いたいのか・・・もう、お分かりですね。 昨年の今頃、私は心身ともにどん底の状態でした。 家に閉じこもりきりで、一切の人との関わりを拒絶していました。 ちょうど、パソコンを手に入れて、このページにアクセスし始めた時期でもありました。 しかし、当時あった”掲示板”にすら、何も書き込む勇気がありませんでした。 そんな私が、1年後にこのような事をしているとは、想像が付くでしょうか? 露店にしろ、審査員にしろ、先生にしろ、”大勢の前で話をする”と言う事ですから・・・ とても、1年前の自分には考えも付かない事です。 特に、先生をやれ、と言われた時は私もその理由を聞きました。 店長曰く ”大勢の人を前にして、事を順序立てて丁寧に教え、且つ、店として好感を持たれる 人材は君しかいない” と言う事でした。 この言葉を聞いた時、私は苦笑してしまいました。 ”人前で話せる”、”人に好印象を与える”、どれも、自分で欠けているもの、と 思っていたからです。 私自身、”他に人がいなくて、便利屋的な扱いで選ばれたんだろう” と考えていたんですから・・・ これを、私のメールを交換している友人に話した所、店長と同じ事を言われました。 ”イベントは店の顔なんだから、そこに出て行く事自体、店を代表出来る人でなければ いけないはずだ”と。 ”貴方の人間性が、正当に評価された結果でしょう”とも言われました。 この言葉を聞いて私は、自分でも”変わったのかなぁ・・・”と思う ようになりました。 今の私は、”良い子”でも何でも無い、”素”のままの自分である、 という事だけは自信を持って言えるんですが・・・ みなさんはどう、思われますか?


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