今回のイベントの総合プロデューサー&司会をされていた蔭山 敬吾さんより、
HPを見て頂いている方へ、メッセージが届きました。
なんと原稿用紙8枚も書いて下さっております。あったかい方ですね。m(_ _)m


      ピース・リバー・ソング(平和の川の歌)
 
ー広島フォーク村30周年メモリアルコンサート「最後で、永遠の一日」に参加して−
                                  
蔭山 敬吾

コンサートの翌日に東京へ帰った。夜の11時頃、東京駅に着いた。新幹線の改札を出て、すぐに公衆電話から井口に電話をかけた。
「コンサートの後、浮かれてたんで、ホームページの方に挨拶するのを忘れとったわ。新幹線の中で気づいたんよ。コンサートに来とっちゃった?打ち上げ会場には居ってなかったみたいじゃけど」「コンサートに来られとったよ。僕の方でちゃんと御礼言ったから大丈夫よ」
 深夜の1時頃、家に着いた。やっぱり「祭りの後のさみしさ」が自然に湧いてきた。さみしさは嫌だった。まだ余韻を味わっていたかった。だから、息子に頼んで、そらまめさんのホームページにアクセスしてもらった。画面に「期間限定」の文字が浮かんだ。「チェッ!」と思ったけれど、その時、なぜか、このホームページは再び開かれるに違いないと、確信した。

 「インターネットのお蔭で、チケットが全国で売れてるんですよ」という一報が入ったのと、ステージプランナーの田中典彦氏(村民)からのステージ構成案のファックスが入ったのがほぼ同時だった。つまり、僕達(村民)の“本格始動”は、そらまめさんのホームページと共にスタートしたのだった。

 今回のコンサートについての僕の感想は「そらまめさんのホームページに始まって、そのホームページで終った」だった。
 「広島フォーク村」などという古い団体のコンサートが、インターネットなどという世界最新の情報システムにお世話になれるなんて夢にも思っていなかった。
 考えてみれば、現代はたしかに「インターネットの時代」。その時代にコンサートをやるのだから、インターネットの影響を受けない訳はなかったのだ。やはり「歌は世につれる」もんだなー、と改めて思いました。

 そんな訳で、今回のコンサートのほんとうの“主役”は、そらまめさんご夫妻だと思います。だから僕は、「そらまめさんご夫妻を“名誉村民”に推薦します!」と、村長及び村民に訴えようと思っています。

あの日の会場で奇跡が起こったことは、会場にいた人全員が分かっている。
 残念ながら会場に来れなかった人のために、どんな奇跡が起きたのかを説明してみます。
 奇跡の一つ目は、出演者全員が、そしてお客さん全員が、「ほんとうの微笑」をしていた、ということです。奇跡の二つ目は、会場の雰囲気が最初から最後まで、ずーっとおだやかだった、ということです。憎しみや、いさかいや、分裂や、誤解や、絶望などがまったくない世界になっていました。
 そして奇跡の三つ目は、会場の雰囲気だけではなく、実際に、会場にいた人全員の心の中から、「人への愛」があふれ出たことでした。

 その奇跡の感じを、「熱いコンサートとか、あたたかいコンサートとかは何回も経験したけど、今夜のようなぬくいコンサートは初めてじゃ、とお客さんにいわれたんですよ」と田中典彦氏が伝えてくれました。
 そらまめさんは「なんとも、たとえようのないコンサートでした。“素晴らしい”とか“良かった”とかそういう言葉で片付けたく無いほど、最高にムード良い3時間20分でした。過去何十回も、いろんなアーチストの“素晴らしい感動的なコンサート”を見てきましたが、これほど暖かく、これほど無邪気に、これほど酔えた体験は初めてでした。〈中略〉ステージ上の一生懸命なミュージシャンと、会場の見守るような瞳が作り出したあの雰囲気はその場にいた人にしか絶対わからない独特なムードを作り出していました。ラストで、ステージ上の人達の、あの満足しきった、さわやかな笑顔が忘れられない…。ほんとにみなさん“いい顔”されてました」と、表現されています。

 コンサートの翌日、テレビ新広島のドキュメンタリー番組(10月16日、午後、オンエア)の取材を受けるために、アステールプラザの対岸に行った。カメラ機材のトラブルが起きたので、待ち時間ができた。子供の頃に、毎日のように見ていたその川を見た。海の方からカモメがゆっくりと飛んできた。「街の中心部に近いところなのにカモメが飛んでくるんか、やっぱり広島はええ街じゃのー」と思いながら、再び、川を見た。
 今回は、広島に3泊4日滞在した。練習スタジオに行ったり、友達と市内をドライブしたり、先輩のお墓参りに行ったりしたので、市内をかなり移動した。移動のたびに何本かの川(七つの川のうち、名前を覚えているのは、元安川、本川、太田川)を見ていた。そして、川岸や川を見るたびに、何か特別なものを感じていた。
 ルネ・マグリットの絵のような雲とカモメを眺めた後に再び、川を見た時ーこの時は川面だけを見たー、その特別なものが何なのかが分かった。広島の川は母の愛のように(神様か仏様を信じている人の場合は、神様か仏様 の愛のように)優しい、ということだった。川は人の心にやすらぎを与えてくれる、ということだった。あの優しい川面を見ていると心が平和になる。その時僕は、広島に帰って暮らしたいな、と思った。
 そういえば、僕が一番好きなアーティストのポール・サイモンにも「ピース・ライク・ア・リバー」という歌があった。ポール・サイモンも川に優しさを感じていたのだろうか。

 でも、なぜ、広島の川を見ていてそんなことを感じたのだろう。
なぜって、それは言うまでもないことだ。七つの川は、コンサートの前から僕の心の中を流れていたのだ。「広島フォーク村」という平和の川が僕の心の中を流れていたからだ。
 「広島フォーク村30周年コンサートをやろう!」と決まった日から、出演者・スタッフが練習・準備をして来て、そらまめさんご夫妻を代表とするボランティア活動のご協力を得、そして、お客様がチケットを買って会場まで足を運んでくださり、見守るような瞳で演奏者を見てくださった時、全員の心の中で、「ピース・リバー・ソング」が歌われからだ。

たった一回のコンサートでしたが、ほんとうに沢山の“ドラマ”がありました。グルックス、青山トオル、いちごの木、村長、伊庭ちゃん、健ちゃん(白鬚健次)、井口、宮城、友広、倫典さん、はちごんぼ、コマチョ、丸子さん、前さん、正則、ジャム&コッペ、神八さん、田辺、上綱、忠士君、稲川君、みっちゃん、河原さん、角さん、信友さん、そして典ちゃん……、僕が見て感じたそれぞれの人の「ピース・リバー・ソング」を、広島フォーク村に興味を持ってくださっている方々にお伝えしたいと思いますが、一気に、400字詰原稿用紙で8枚も書いたので、きょうは以上にします。このホームページが続いていれば、後日、必ずその“ドラマ”を公開させていただきます。
                                     1999年9月1日

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