「one last night in つま恋'85 のハッピ」・・・2012/03/17 


one last night in つま恋をいつか書かねばと思いつつも、

思い入れが大量にありすぎて、かえって書きにくいのです。

おそらく本一冊は軽く書けるくらい話したいことがあるのですが

今日はできるだけ簡潔にしましょうね。

当日僕が来ていたハッピがあるのですが、出会った人達がたくさん寄せ書きをしてくれました。

それを載せたくって。

でも一応簡単に流れもね。

1985年7月25日、イベントの二日前に到着。

友達と嬉しそうに記念写真。

中へは普通に入れたのです。ぐるりと多目的広場を一周。

まだ完成してないステージがこれ↓。

そして夜は浜松のホテルで一泊。

翌26日(イベント前日)。

入場ゲートに近寄るも、当日朝まで並ぶことは出来ないという主催者側の方針。

整理券も配らないとのこと。

しかし何時から並んでもオッケイなのか、一切言ってもらえない。

近寄ると怒られるだけ、、泣

多くのファンが行ったり来たり。

そして26日も深夜になり、入場ゲートから少し離れたところで待機。

土の上で横になるも気になって寝れるもんじゃありません。

30分おきくらいにそーっと様子を見に行ってました。

しかーし、タイミング悪く油断していた時に並ぶ許可が出たみたいで、

気付いた時にはすでに100人くらい並んでる〜涙。

夜が明けてから入場ゲートで揉め事が発生します。

バスツアーで着いた人達や、中で泊まってた人達など、条件が異なる人達で、別に列を組まされました。

意味わかります?

全部で4つの列が出来たのです。(3つだったっけなぁ、忘れた)。

つまりバスツアーで後から着いた人などにも一番前から並んでもらうという方法。

公平といえば公平かもしれないけど、一晩中並んでいた僕達の先頭集団からは文句がブリブリ。

つまり僕が100人目だったとしたら、4列になったので一気に400人目になっちゃったってわけ。

早い者勝ちの席取り方式にはとっても致命的でした。

マ、仕方ないけどね。

つい思い出して熱くなって書いてしまいました、、大笑。

左の写真が入場ゲートに並ぶ僕達。次が中に入って場所を確保してからの二枚。

とにかく熱かった。一睡もせずに朝を迎えたので、ちょっとでも寝ておかないといけないのに

くて寝れないんです。

26日の朝起きてから、28日の朝イベントが終わるまで、48時間寝なかったという事実。

お そ ろ し い。

一番右が、いよいよ始まる直前の興奮してきた写真。

ハチマキに「拓郎」って書いております、、笑

この日の写真集、みなさん持ってますよね。 このシーンは始まる直前の拓郎コール。


目立つハッピを着ていたのにこれだけしか写っておりません、、前の肩車のおにーちゃんどけて、、笑

ライブが始まったら暑くてすぐ脱いだのでライブビデオにも一切ハッピ姿は映っておりません。
(他に赤いハッピ姿の方がビデオに映っておられますが僕ではありません)

では右手に持っている‘うちわ’の現物をお見せしましょう。

今でもちゃんと残してあります。

ときめく物は捨ててはいけない! こんまり先生万歳♪カワイイ♪ 萌え〜♪

書いてくれた人達ありがとう。

一人一人抜き出してみました。

27年振りにご自身の言葉を読んでください。

全てライブが始まる‘直前’に書いてもらったものです。

その前に

今でもあの日の熱い気持ちを覚えていますか?

今でも吉田拓郎が大好きですか?

つらいことに負けずに生きていますか?

目の前の事をあきらめようとしてないですか?

「まにあうさ、遅すぎる事はない!」って歌いましたよね

「超えて行けそこを!」一緒に大合唱したじゃないですか

「明日へ向かって走れ!」って、最後の力を振り絞って歌ったことを思い出しましょうや

これを読んだらあの頃の血が騒ぐでしょう

実名もあるけど、まぁいいよね。消すとあの日の自分を見つけられないですもんね。

イベントの内容については今日は特に書かないでおきましょう。

軽率に文章にするのはもったいない。

ビデオやCDでは絶対伝わらない、分からない、判らない、解りようがない

その場に居なかった人には絶対理解できない、できるわけがない

映像や音声の記録よりも僕達の記憶の方が圧倒的に正しい

僕達38,000人だけのone last night in つま恋'85

一曲毎に沸き上がる大声援と、大合唱

明けないで欲しいと願った夜

ステージ上の笑顔と幸福感

特別な空気と流れ星

あの涙と枯れた声

朝のしんどさ

熱い想い

仲間

僕は忘れませんよ

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