去年のフラワーに出演のレポです!(2017年5月3日開催)

「ラストステージ」・・・2018/04/25更新


約10年続けてきたフラワーフェスティバルのステージ。

今年(2018)は行われません。

昨年(2017)がラストステージでした。

、、って、報告が遅すぎる!、とお叱りを受けると思いますが、

まぁこれも恒例の一年遅れのレポートということで。許してくださいまし。。

この日は天気良かった!

やっぱり五月の連休はこうじゃなくちゃね!

いつもの元気いっぱいのパレード

いつもの物産店の通り

いつもの飲んで食って幸せ気分

このイカ焼きを撮影した時、タレが服にぽたぽた、体がイカ臭でプンプン、涙

いつものきれいなおねーさん

いつもの人・人・人

この日のメインステージは八神純子さん!

1983年に、拓郎さんに、おえおえウップされたことはもう忘れてますよね、きっと!

歌声は変わりません♪

さてスーパーミニバンドのステージ。いつもと同じく修道大学のさつきステージであります。

セッティング中に司会の学生さんが、スーパーミニバンドの紹介コメントをするのはいいんですが、

今回で最後というまだ言ってはいけないことを言ってしまってぎょぎょぎょっ。

そ、それはMCで井口さんが言うのではぁぁああ〜と焦る僕。

ということで、最後ということを先にお伝えしてしまいましたので、最後くらい僕の感想を書くより

井口さんのMCを完全再現するほうがいいかなっと。

昨年のライブの話。(2016秋のやつね)

東京国際フォーラムに見に行きました。

前から14列目。その後ろの後ろ通路を挟んでですけどね

奥さん、アルフィーの坂崎さんと高見沢さん。一番沸いたのがキンキキッズです。

それから高橋真利子さん。谷村新司さん。

入ってきますとね、みんなそっちばっかり見るんですよね。私は真後ろだったので見れませんでしたけどね。

そのライブのオープニング二曲をそっくりそのまま再現したいと思います。

なかなか本物のようにはいきませんけどね。

あんなことをプロがやったんだなというところを見ていただければと思います。

1.春だったね

(三番が途中から二番の歌詞に)

2.やせっぽちのブルース

いっぱい間違えましたけどね、わかります?

直近のライブのスタートを二曲しました。

次は古い歌、なつかしい歌を二曲、これもメドレーで。

3.夏休み

4.マーク2

修道大学さつきステージ。

2008.8.2 歌碑 大学の方がキレイにお掃除してくれていると思うんですけど

見るたびにキレイなので。雨の日もあれば雪の日もあるのに、常にキレイなので、

どなたかがキレイにお掃除していただいてるんだと思います。感謝です。

ということでぜひこの曲をやっておかなきゃという曲です。

そこに修道大学の前身の商科大学の写真。それから拓郎さんの写真が大きく3枚 若いときですね、

中年のときですね、熟年の時ですね。(ほんとは4枚だけど)

その上に今日までそして明日からの歌詞。題字と吉田拓郎というサインは本人の直筆。

全部書いてちょうだいよってお願いしましたらですね、

「たいぎい」というふうに答えが返ってきました。東京に住みながら広島弁で返ってきました。

ということで他は印刷字ですけどね。

5.今日までそして明日から

先ほど司会者の方が先に言っちゃいましてね、こりゃぁまずいなと、、今日、最後のステージなんです。

とりあえずミニバンドは解散ということで、なかなかね練習もしんどいですしね。

私がね68になるんですけどね。えー、最初このステージに出させていただいた時は還暦前だったんです。

もうとうにすぎましてね、70前に近づいてきました。拓郎さん71、ドラムの彼が70でねすからね。

ということでなかなか練習する時間もね、、「あぁちょっと今日は体の調子が悪い」とかね。

最初があればやっぱり最後もあるということでね、、ぼちぼち。

歌碑が出来てちょうど来年で10年ですからね。まぁひとつのキリというのもあるんで。

ぼちぼち終わりにしようかなと思ってます。

最後の曲ですけども1971年、昔の古い話ばっかりで申し訳ないですけどね岐阜県中津川というところがありました。

今は中津川市になってます。当時はたぶん市じゃなかったと思います。

はなの湖という湖がありまして、その周りに特設のステージをつくりまして、

アメリカではねウッドストックというご存知の方はご存知だと思いますが日本ではまだ無かったんです、そういうのが。

で、一番最初の日本での野外での大きなコンサートというのがね中津川全日本フォークジャンボリーてのがありまして、

メインステージとサブステージがありまして、そのサブステージの方によしだとうろうとミニバンドが出させていただきまして

待ってる間にお酒をいっぱい飲んだりするんですねぇ。

そうすると少しハメを外したりするじゃないですか。

ハメを外して延々とこの曲を2時間、、計った人はたぶんいないと思いますけどね

これのちに伝説となったんですけどね。

人間なんてという曲。今までフラワーでやったことないんですけどね。

まぁミニバンド解散ということで今日最後の曲をね、この曲を選ばさせていただきます。

手拍子足拍子で一緒に「ラララ」というところをコーラスしていただければと思います。

「人間なんて」というとね、人間を馬鹿にしたように聞こえるじゃないですか。

こう思うでしょ。違うんです。作った本人に聞いたんですから。

そのあとに「ラララ」とありますね。広島から東京に出て行ってね。

未来に対してね自分が成功してやるんだというね、未知を謳歌した歌。これがラララというところでね、

人間なんてラララと言うんですけど込められているんですよ。

これは本人が言ったんですよ、私が作ったんじゃないですよ。

それでは最後に人間なんて。

6.人間なんて

大変ありがとうございました。

-アンコール---
アンコールだめなんですよ。次の方が待ってらっしゃいますので。

あの、歌碑を通じてね、修道大学の、フラワーのスタッフの方それから大学の職員のみなさん。

えーさおれから歌碑のときに大変お世話になりました後援会のみなさん。

同窓会のみなさん。理事会のみなさん。それからスタッフのみんな。

何より吉田拓郎さんに感謝です。ありがとうございました。

夜です。ライブ楽座での恒例吉田拓郎大会。

ここもラストステージになるのでしょうか。

では井口さんのMCを聞きましょう。

とりあえず古い順、拓郎さんの古い順からやってみようかなと思います。

それでは楽座バージョン スタートです。

1.好きになったよ女の子

一番古い歌ですね。まだアマチュアの頃ですね。ダウンタウンズ。

今、日本放送ですかねラジオで一時間番組やってますね。

好きになったよ女の子ね、もうみなさん御存知の通り後のたどり着いたらいつも雨降り。

モップス、鈴木ヒロミツ。星勝。えー亡くなりましたね。死んじゃいましたね。最後の方はドラマ出てましたね鈴木さん。

ドラマでいい役やってましたね、お父さん役みたいなの。ねー神八さん。

ということで古い歌を順にということで始めましたけども

ひとまずそれは終わりということで(客席、、笑い、、、もう終わり)

えー次は、そうですね、こないだ先々週かなんかあの、拓郎さんのラジオでね

「こうき心」ってのをやってましたね、こうき心、、、えー、もっぱら喜多条忠さんの話をね

つまらん詩だなぁもっといい詩を書けばいいのにねとかね、

喜多条さん松本隆さんね、二人とも素晴らしい方ですけどね、、、は、けなすんですね

で自分の詩、こうき心、、街を出てみよう、、なんで街を出なきゃいけないの

女系家族ということでね、そういう話してましたよね。聴かれた方たくさんいらしゃるでしょ。

おばあちゃんでしょ、お母さんでしょ、お姉さんでしょ、自分でしょ、周りは全部女の人。

ちうことで、こんにちの自分はそういうふうにできたとその中から、ようするに女から逃げたいと

いううただったというように本人は言ってますけどね、ほんとはどうかわかりませんけどね。

こうき心という曲聴いてください。

2.こうき心

次はなんでしたっけ、あれだな。

さっき女系家族の話のね、子供さんがあそこにいらっしゃいますけどね
(キーボードのモンゴル松尾さんを見る)

女系家族の長男さんですね。モンゴル松尾さんですね、ま、もうご存知ですね。

それでは少しトーンを落としてね、

広島から東京に出て行って一人で高円寺に住んで夜は真っ暗、前はお寺ですからね。

お寺には明かりが無いんでね、暗くなってね、寂しくなるんですね夜ね

夜寂しくなったときに作った歌という、どうしてこんなに悲しいんだろう、て曲を聴いてください。

3.どうしてこんなに悲しいんだろう

今日はあれですね、ドラムが調子いいですねー。

近年にないですね。私も何十年知ってますけどね、今までで一番いんじゃないんですか。

ねー一番いいよね。

えーということで、どうしてこんなに悲しいんだろうという曲ね。

いい曲ですよねこれね。それではもう一度どうしてこんなに悲しいんだろう、、笑

、、それはしませんけどね。

これね、まぁ何度も年度も来てらっしゃる方がたくさんでしょうから

もうご存知の方ばっかりでしょうけど、

高円寺のアパートにね、彼(田辺さん)と僕とね一緒に夜ですよ、自動販売機に行ってね

何買ったか忘れましたけどね、ワンカップ大関なんかをね、その前にちょっと腹ごしらえを

しなきゃならんって何か作ろうって飯を作るんですよね、男三人ですからね。

で、飯を作るとちょっとプロレスが始まるんですよね。

で、あの頃はアントニオ猪木さん、馬場さんの時代がちょっと終わりましてね、

アントニオ猪木といいますとね、卍固めですよ。ね。わかります?

誰かちょっと私にかけて欲しいって方がいらっしゃいましたらね

私かけてあげますけどね。

えー、日本中でね、拓郎さんに卍固めをかけた男は僕だけだと思います。

モロにかけましたからね。それがまたテレビで映りましたけどね「ともだち」って番組でしたけどね。

その時にご飯を食べてプロレスの話をして、ぼちぼちじゃぁ練習しようかと

こういうことになるんですね。

それから、新しい曲が出来たんでちょっと聴いてみてくれる?って、

こういう昔のテープに自分が吹きこんだのを、こういう曲を作ったんでってね、

次の日がジャンジャンっていう渋谷の道玄坂山の手教会地下一階、詳しく言ってもしょうがないですけどね

そこでのライブがあったんですね。で、明日これを演りたいから今晩これを仕上げたい、、と

こういうふうに言われましてね、で、できた曲が今のどうしてこんなに悲しいんだろうという曲ですね。

よく覚えてますね。ということで3曲終わりましたけどね。お疲れですね、みなさんね。

それでは時間もずいぶん経ってきたんでね。

この辺でメドレーでね。

といっても今日フラワーに来た人もいっぱいいるから。全部変えるとメンバーついてこれないし。

ついさっきでしょ。で今でしょ。ころっと変えちゃうとねやっぱわかんなくなるよね。

古い曲からね、夏休み、マーク2です。

4.夏休み

5.マーク2

いまもね、ビールをジョッキで2杯だったか3杯だったかとね梅酒を2杯だったか3杯だったか飲んでね

だいたい30分くらい経つと出てくるんですね汗が。ちょうど今出てるときなんですよ。

客席より(井口さんカッコイイ、の声)本当?もう一度言って?

モンゴルなんかしゃべりたい?

モンゴルさん「小松さんがずっと練習しよるけんおかしい、笑」

メドレーがあった後はメドレーで。

みなさん、日本には四季というのがありますよね。

冬の次はなんでしょう?(客席より春だったね)

人間には大きな人小さな人、太った人とねもう一人やせっぽちの人ですね。

それではやせっぽちの春だったねという曲を。

6.春だったね
7.やせっぽちのブルース

えー83点だったですね、、笑

いんですよ80点以上であれば。

ということでメドレーが二回続きましたね。

これで4曲消化ですね。素晴らしいな消化率が。

演奏やってるときは思い出し思い出しやってるんです。

なんせ私も一年に一回ですからね弾くのは。5月3日だけ。

そーなんですよ、あとは全部袋に入ったままなんです。

弦はね、4年間変えてないんです。

でね、こないだも練習の時に聞いてみたんです。

あのー弦変えた方がいいかな?なんて。今年もう4年目の弦だよって言って。

「いーじゃん一回だけだからさぁ」なんて言われて。

その言葉に誘惑されまして今年も変えずにねそのまま出てます。

だいたいミュージシャンじゃないですね、僕は。

前もここでそういう話をしたときにはね、

どーもあの人ミュージシャンに見えないわ、サラリーマンじゃないかね、なんてね。言われる。

飲み屋に行きますとね

校長先生じゃない?なんて言われる。

「みなさんおはようございます今日も元気に、行ってみよーかー(何もないのですのメロディー)

っつってね、歌がありましたけどね。

「何もないのです」という歌ですね。あれハモッテるの僕でからね。

いろいろ曲はあるんですよたくさん。

ボンゴもそうですね。マーク2も初めは二人でやってたんです。

二人でやってな、ボンゴ叩きながら、お前、コーラスつけろってね。

で、僕が高い方なんですね。拓郎さんが低い方。

僕にメロディー歌わせてくれればいいのに、拓ちゃんたまには上やったらって

言うんですけどね、やっぱりゆずりませんね。

僕より体格がいいですからね、でも卍固めは僕がかけたんですよ。

ということで時もたってまいりました。ぼちぼちということで。

えー、世の中でやっぱり大切なものってありますよね。

失いたくないもの。その中の一つだろうと思います。

こじつけですね、これね。なんか言って演らにゃいかんなと思いながら。

えー「ともだち」という曲でよかったかな。

ーー後ろからイヤ、イヤ!−−という声

え?違う、あ?そう?

えーごめんなさい、今の話はパッと忘れて(笑)ジャーッと水に流していただいて、、。。

さっきフラワーでも言ったんですけど、2008年の8月2日、暑い日、修道大学入口。

まっすぐつきあたり、ロータリーのお花の中、歌碑が出来ました。

歌碑を作るにあたりましてはね、今日、当時の副学長先生もいらっしゃいますけどね

一番最初に学校に行ったときに、まず大学の学長さん、副学長さん、企画 総務部 、、、

応接が広いんです。学長応接っていうのはね。ここより広いですからね。

そこにね、一人で行くんですからね僕。

学校の方はみなさん揃っておられる。で、私が説明せにゃーいかん、プレゼンですよね要するに。

こーいうことをやってみませんか?って。

今日が最後ということでお許しいただきたいと思いますけどね。

拓郎さんと学校とどっちに先に言ったか。どっちに先に声をかけたかって話ですね。

えー田辺さんどっちだと思う?

田辺さん「まぁ学校でしょう」。

学校ねぇ。えっとー、ほんとはね、拓郎さんなんです。

拓郎さんがウンと言わないとね、学校にお話しを持ってってね

学校の方で、じゃぁ前へ進めてみましょうってなった時にね

拓郎さんが、「ノー」って言えばね、「すいませんこないだの話はなかった話にしてください」

って、こういうことになりますね。立つ瀬がないですね。座ってなきゃいけないですからね(笑)

だから最初にやっぱりね、拓郎さんにですね。

拓郎さんに言ったのはこういう話をしたんです。

「拓ちゃんねー、実はねー大学の方からこういう話があるんですよー」って。

「こういう話があるから拓郎さんどーじゃろーか?」って。「乗る?」って話をしたんです。

だったら拓郎さん「乗る」って言ったんです。

「乗る」って言ったから大学に行ったんです。

で、「大学の方がOKって言われたら拓郎さんに話をしますよ」って。

わかります?わかりますね。だから両方グレーゾーンなんです。

グレーゾーンが両方白くなったんですね。

白くなってね、途中で、わたしゃぁええんじゃろうか、二人もだまして(笑)

で、うまくいったんです。うまっくいったけどまぁ大学ってのはね教育の場ですからね。

いろいろ簡単にはいきません。民間の会社のようにはいきませんからね、

社長がヤレっていたらヤレ、、こうはいかないんですね。

いろいろ通さないといけないことがあるんです。理事会というものがあったりね、

いろんな会があるんです。

それを全部通していって、予算をつけて、予算がちゃんと

通らなきゃ、だめなんですね。その予算も本会計、、、こりゃもうめんどくさいね

本会計とかじゃなくてね同窓会の積立金みないな、なんとか基金とかあるじゃないですか、、

そういうのを全部崩しながらハイ何百万、ハイ何百万とかで全部つくっていって

じゃぁどういうのを作ろうかと設計の案みたいなものが出来てきますね。

そういうのをね、半年以上かかったんですよ。

いつだったかちょっとわすれましたけど

そいでね、広島フォーク村の40周年ていうのがありまして。、

で、この二つをくっつけてやれば歌碑に拓郎さんも帰ってくるだろう、と

フォーク村でも拓郎さんが挨拶をするんじゃないだろうか…

間違ったら歌を歌うんではないだろうか…

とかいう後ろめたい気持ちも多少ありながら、、まぁだいたいその通りにいきましたけどね。

来年がね、広島フォーク村50周年なんですね。

あれから10年経ったということなんですね。

ということで今「今日までそして明日から」の話を回りくどくしたんですけども

えー歌碑に書いてありますね。題目、題字っていうんですかね。

題字と最後のサインのところだけ、これはご本人が書いて「どこ送りゃぁええんなぁ」

っていうから大学にって言っても大学のどこに送っていいものやらわからんから

僕の家に送ってもらって、それを大学の方にお持ちして設計会社の方にね。

真ん中の歌詞がありますね、あれ繰り返しが多いじゃないですかあれ。、

「私は今日まで…」そればっかりですからね、「お前書いとけや」というんですよ

そういうわけにはいきませんから、私も犯罪者になりたくないんで、

これはね、正直にね、、本人は書きません、、と言いました、と

で、設計会社で作ってもらった字。最初と最後は自筆そのまんまですからね。

まだ元のあれを持ってますからね。

それでは聴いてください、


8.今日までそして明日から

元々はねこの曲はね拓郎さん一人で演ってましたからね、ピックでねうまいんですよね。

拓郎さんが世に出る前、ギターフィンガーで上手な人、石川鷹彦さん、小室等さん、

小室さんね、僕がいつも年賀状を書くとね、一か月遅れくらいで返ってくるんですよね

でね、次の年小室さんが先に出すんです。そうすると僕が一家月遅れで出すんです。

これがね10年くらい続いてるんですずっと 。「ゴメン」とかって書いてあるんです。

それもカタカナで書いてあるんです。

小室さんもずいぶん年をとられたと思うんですけど、まぁ昔から老けた方でしたから

年とってもあんまり変わらないかもしれないかもしれませんけどね。えーやぎさんですね。

それでは宵もふけてまいりました

「ともだち」という曲を聴いていただきたいと思います。

9.ともだち

たくさんの拍手ありがとうございます。

ということで全部終わったかな?

まだやりますからね。

今弾いててね、何回この曲弾いたかなとか思っててね、多少涙腺が弱くなりましたけどね。

えー最後の曲ですね、人間なんてという曲。

もうご存知のとおり3時間ほどやりますからね(笑)

言うのはタダだからね。

途中で誰かが終わったら終わりと。こういうことにしたいと思います。

ベースって重いねぇ、、腰が痛くてね。

今年はね、去年の暮ごろからですけどね、体調を崩しまして、

食中毒になったんですね。なんでかわかりませんけど。

へんなもん食べたわけじゃないんですけども

それが治ったかと思ったら今度はインフルエンザにかかりましてね

インフルエンザでね42度まで出たんです。

私はもともと体温が高いので普通の人の40度くらいかもしれませんが

それがねやっぱり2週間〜3週間かかりましてね、

体重がね6キロ痩せました。今60キロくらいですね。

なんとかして戻さないといけないと思ってるんですが食欲がね。

なかなかね、やっぱり食べないとだめですね。ね、小松さん。

食べれば大きくなる。大きくなればよく食べる。関係ありませんけども。
 
だんだんね年を取ってきたせいかもしれませんけども

治りも悪いし、口のすべりも悪いですし。

手のスライドさせる油もね、滑りもね悪くなるんですね。

ということでね、人間なんてという話をしてたんですけども

みなさんよくご存じであるように1971年8月、岐阜県中津川市

当時は中津川、「市」ではなかったように思いますが、村でしたね。

駅からね、荷台に乗って、、拓郎さんは別の車でいきましたけどね、

僕と田辺とマネージャーと三人で荷台に乗っていくんです。

みなさん駅からねテクテクテクテク駅からねどのくらいかかったかわかりません。

で、着きましてリハーサルも何も、野外ですから無いですからね

アメリカの方ではウッドストック、。、日本で最初の大きなコンサート、

これが中津川全日本フォークジャンボリー。。。の第3回目だったと思います。

岡林信康さん、加川良さん、亡くなられましたね。高田渡さんね。遠藤賢司さん。

はっぴぃえんど、コータローさん、とにかくいっぱい。

イルカ、あの時はシュリークスだったかな。神部さんも一緒だったと思いますけども。

で、サブステージってところで、よしだたくろうとミニバンドがね、

他の曲もたぶんやったんだと思いますけどもレコードになったのはこの人間なんてという曲。

はしょって十何分に収められておりますけども、実際はもっと長くやったんだろうと思います。

といういうことでその人間なんてという曲、今日フラワーで初めて演りましたけども。

楽座では何年か前から最後の曲として演らさせていただいております。

演ってみたいと思います。

10.人間なんて

(人間なんて演奏がはじまり、しばらくしてインスト状態でMC)

なぜ途中でしゃべるかっていうのはね、今日で解散しますよって話なんですね。

フラワーでも言いましたけどね、

今年もねなかなかね、練習集まるのも大変なんですね。

それから私もギターもって一時間立ってるのもね、まだ赤ちゃんならかわいいから

こういいんですけどね。このギターちっともかわいくないんでね。

抱いてても喜んでくれませんからね。

ということでみなさんとお話しした上でね。

大体去年で終わりだったんじゃないのって言われてね。

今年はね、やっぱりね大学の方へね、はっきりと去年告げてなかったもんでね、

「いやそれは困る」とそういうふうにおっしゃいましてね、

じゃぁ今年はもう一度やろうと、いうことで急きょ練習してね、

全員そろったのは二回でしたけどね、、二回ほど練習しましてね

今日に至ってはいますけどね。

また来年といいますとね、一年間腹筋と腕立て伏せやらなきゃいけないんでね。

ぼちぼち終わりでいいかなと。

また何か特別なことがあればね、、たとえば拓郎さんが帰ってきて、

おい一緒にやろうや、、こういう話があったりすればね、ホイホイホイとやりますけども

まぁこのスタイルについては今日この曲をもってね、解散したいなと

こういうふうに思っております。

いままでどうもありがとうございました。

ひきつづき聴いてください。
人間なんて。

(演奏続く)

今日フラワーでも言いましたけど、人間なんてってある、歌詞ね

私も何回もレコードとか聴きましたけどね、

人間なんてって、人間を卑下する歌なのかなって思ってたんです。

みなさんどう感じられるかというか考えてないかもしれませんけど。

私は演った本人ですからね。

やっぱり詩の内容をね、判った上で演奏しないとね、

作った人に申し訳ない、なんてことはひとつも考えてませんけどね。(笑)

やっぱりこれは本人に訊いてみないといかんなと。

でもまぁ本人には訊けませんでしたけどね。

何かのおりにね、人間賛歌、、人間を謳歌。

人間ってこんなに素晴らしいんだよっていうのをね

これを歌にしたかったってのが人間なんてラララララなんですね。

みなさんそういうふうに聴こえたかどうかわかりませんけどね。

人間ってのはね、未知、今から先、未来、将来ですね。

今から後、一秒あとから、素晴らしい将来がね、人間に、自分もならないといけないしね

世の中もそういうふうにしていかないといけないしね、

またそういう人と出会い、いい思いをやっぱり思いでを作っていきたい

そういう思いがね、ちょうど拓郎さん、東京へ出て来られてね、

我々の方が先に東京にいたんですけどね、東京に出てこられて、一緒にやろうやというところからね

その辺からやっぱり、いつか見ておれ俺だってって思いがね、非常に強い方ですからね、

陰で泣いてるところもあるかもしれませんけども、

人前では泣きませんけども、陰では泣いていたかもわかりませんけども、

こんちくしょう!という気持ちがね、

かなりやっぱりあったと思うんですよね。

そこらあたりがね、人間なんてっていう曲のその上に向いた部分とね

○×?△◇?とした部分がね、ま、合ってるかどうかね、わかりませんけども

わたしのおろかなるひとりごととして聞いてください。

え、以上です、終わります。ありがとうございました。

(○×?△◇?の部分、テープ音声解読できず、すみません)

最後に花束もらって記念撮影

あ〜なんかほんとに終わっちゃったんかなぁ、、って感じでした。

帰りに、田辺さんの車の中で、井口さんが

「ともだちを歌った時はぐっときたなぁ」としみじみ言ってたので

本当に最後だったんだぁ、、と実感。

少ししんみりしてた車中で、田辺さんが音楽をかける。

シルヴィ・ヴァルタンの「アイドルを探せ」が流れる。

「お!いいねぇ、、」と井口さん元気な声になる。

続けて井口さん「なんで外国の女優さんとかって年とっても綺麗なんじゃろ」

すると田辺さん「日本の女優さんは年とったら変わるよねぇ」

僕が訊ねる「たとえばどなたが変わってます?」

田辺さん「天地○理とか」

僕は心の中で大爆笑、、わらわら。声には出しませんでした。

そんな帰り道を過ごしながらスーパーミニバンドのラストの一日は終わったのでした。

ほんでこのレポートの準備を数日前から書きはじめててね、

いやまてよ、ほんとに今年(2018)はもう出ないんだろうか、、、

やめるやめるサギを師匠に持つお二人だから、ひょこんっと今年も出たりして、、

なんて、レポートを書く僕としてはそこらへんをちゃんと確認してアップしなくちゃと思い

昨日田辺さんに電話で確認したのでした。

田辺さん「無い無い、絶対無い、練習してないし。しかも僕は連休は広島にいないし」

僕「どこかに行かれるんですか?」

田辺さん「いやぁ長いこと連休にゆっくり奥さんと時間作れなかったんでね」

僕「いいですねー温泉でも行かれるんですか!?」

田辺さん「いやぁ、ははは、ふふふっ、ほほほっ」

田辺さんは今年のゴールデンウイークは

奥様と
温泉へ行くそうです♪

県外へ♪

毎年フラワーでスーパーミニバンドを観てた方々。

家族で温泉へ行く努力をしましょう♪

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