アイヌと共に戦うみなさまへ向けた要望文
*** ***
「北方領土の日反対」「アイヌ新法実現」まったくその通りだと思います。
日本政府が勝手に北方領土と呼称している島々は、ロシア領となっている島も含めてアイヌのものですし、文化振興法はアイヌ分解法とも言うべきもので、アイヌ新法と呼べる物ではありません。スローガンと方針自体はいいんです。ですが、左翼丸だしなところがいけません。
しかし、これは左翼そのものがが悪いという意味ではありませんので、誤解無く。
本当に「大衆運動」と呼べる運動を起こしたいのであれば、誰でも理解できる言葉、例えば出版物は中高生でも理解できる言葉にしなければいけません。
よくムラタ(白川)氏に「若い子連れてきて」と言われますがね、何かの冗談ではないかと思います。弾劾・連帯・撃つ…過激に書きたいのは判りますが、これらの言葉は、多くの人々にとって、既に日常語ではありません。また、言葉ばかり過激だという印象も持ちます。
この文面では年寄りでもあまり来ないでしょう。来るとしても、かなり変わった人、あるいは「そういう業界」の人が多くなると思います。
これは、扱っている内容が難しく理解されない、あるいは、みんなが理解したくない内容であるかせら誰も来ない、という意味の批判ではありません。
私もHPや地元での講演などをやっているので判りますが、いまどきの中高生の感性は「活動家」の教師や労働者達−会場にもいるかもしれませんが−のそれより高い場合も多く、あなどれません。普通の言葉で語りかければ、誰でもすぐに「アイヌ」というものに直面する
と見えてくる「日本人」というものの不確かさに気がつきます。このことは、もっと多くの人達が、このような運動に、積極的にかかわりを持つ可能性があるという事を示しています。
河野裁判のような裁判の場合、本当に勝とう、あるいは、意味のある戦いをしよう、という場合、判決の結果如何、裁判長誰かに関わらず、世論の注目度が大きく影響することは、皆さんもご存知かと思います。二風谷ダム裁判は、世論の大きな注目が支えとなっていました。
世論の注目を集める為にはどうすればよいのか?
それには、例えば、中高生のクラス40人が、アイヌについて何でもいいからレポートしなさいという課題を出された場合に、2人か3人は河野裁判などについてのレポートをする、という状況を作る事が必要です。でなければ、世論に影響を及ぼす事は難しいでしょうし「大衆運動」とは言えないのではないでしょうか?
少なくとも、ピリカ実の今までの出版物や配布物は「若い人」「普通の人」に見せて理解されるような言葉では書かれていないと思います。一部の活動家が集まって気勢を上げている状態では「大衆運動」とは言えないでしょう。
これは、集会自体がつまらない、という意味ではありません。
実際に発言しているのがアイヌの活動家で、左翼の人達ではない、というのもあるでしょうが、私はむしろ、チラシや出版物が一般の人々に与える印象よりも、実際のピリカ実の集会はもっと面白いもの、参加して意義あるものだと思っています。
ですから、これからピリカモシリの紙面の表現を工夫するなり、チラシを作る人を変えるなり、努力して「わかりやすい活動」「一般の人が来やすい活動」「付き合って面白い活動」にしていって欲しいと思います。どうしても左翼言葉が抜けないのであれば、毎号「左翼言葉解説コーナー」でも作って毎号説明してははいかがでしょうか?活動の現場において、ランゲージギャップはかなり深刻です。
活動家達だけではない本当の意味での「大衆運動」の展開を目指していただきたいと思います。
そうすれば、アイヌが置かれている状況を広く世に問うことが出来るし、懸案となっている会の財政基盤確保にも大きく貢献することでしょう。
2つめには、アイヌがアイヌについて学びたい、と思った場合、その場所がないという事です。今日は政治集会なので当たり前ですが、どのような場所にも和人がおり、アイヌ同士で集まるチャンスが殆どありません。全国を歩き回りましたが、アイヌの為のアイヌだけの空間は、何処にもありませんでした。これは、内緒で集まることが出来る身内の空間という意味ではありません。そういう内輪だけの空間ではなく、アイヌだけの空間であることを公言できる「拠点」の存在が必要なのです。
民族としての意識を守り育てる空間が無いというのは、かなり深刻な問題といえます。
ですがこれは、皆さんにそういう場所や建物を作ってくれ、という意味で言っている訳ではないので誤解しないでください。そういう場所の構築は、自力でやります。
この場を通じて、パネラーで来られているアイヌの先輩方にも、和人の活動家の皆さんにも訴えたいのは、アイヌ同士のの対立を煽らないで欲しい、という事です。
アイヌ同士の分断に「和人の都合」がスライドしてきているような気がするのです。
そしてそれは「アイヌ同士の結束」に深刻な影響を与えていると思います。
例えば、私が何処かの和人と喧嘩したとします。
その和人が他のアイヌを味方につけて「間違いではない」という根拠を作ろうとする、あるいは、アイヌがその和人の味方をして手助けをしたりすると、何故か私は、面識もないアイヌと喧嘩する羽目になったり、戦わなくても良いアイヌ、仲の良かったはずのアイヌとの仲を裂かれたりするわけです。そして和人は安全圏に退避し「アイヌ同士の分裂」だけが後に残る。
鈴木宗夫も使っている常套手段ですが、悪辣な政治家に限らず、和人はアイヌと喧嘩するとこのような手を、意識してか無意識か、よく使います。
前述のとおり、いま私達アイヌは、アイヌ同士で集まる機会も無く大変な困難な状況にあります。ですから、アイヌも和人も、そのような分断には手を貸さないようにお願いしたい。
アイヌ同士の揉め事はアイヌどうし、アイヌと和人の揉め事は当事者同士、和人同士の揉め事は和人同士で解決し、いたずらに「アイヌ」という立場性を利用する為に撒きこんだり、被害を拡大しないで頂きたい。
例えば、和人の人々には、どこのアイヌと、どこのアイヌが仲が悪い・良い、なんてことを訳知り顔で噂するなんて事はして欲しくありませんし、聞いても聞かなかった振りをしていただきたい。まして、自分が何処かのアイヌと喧嘩をしたからといって、その話しを他のアイヌにしたり、撒きこんだりするのは最悪です。
アイヌはアイヌとして、和人は和人として、
それぞれの立場から、よりよい運動を展開できればと思います。