歴史は糸口の一つに過ぎない 投稿者:小鳥 Cirpo  投稿日:11月30日(火)14時39分34秒 jalapeno.ulcc.wwwcache.ja.net

Mikiさん、早速のご返答ありがとうございます。

「人が人を、差別するのは相手より、優位を誇りたいだけ。
人が人と争うのは、利益のため。
・・・歴史は語る。争いの原因。差別の原因。」

おっしゃる通りですが、私はこの「優位」と「利益」に集約されている
極めて一般的な説明には、満足できないのですよ。

更に我慢できないのは、歴史学者や政治学者が「優位性」や「利益」を理論化し、
権力者が差別・残虐行為や戦争(人殺し)を政策手段として「正当化」するために、
その理論化された優位性や利益(国益)が今日でも繰り返し、当り前のように戦略的に
国策として利用されていることです。


「小鳥さんは、解りませんか?心の扉を開けば解るはずです。」

心を開きましょうとは、私も日常的にさんざん繰り返し言ってきていることですが、
心を開けば「解る」ことに即つながるとは思っていません。せいぜいヒントを得る程度で、
深い理解に至るには、それなりの修行なり、日常的な経験なり、洞察力が不可欠だと思います。

「意図的に傷つけ合うのでは無くて、自分たちの優位
私利私欲、損得勘定があるからこそ、争うのです。」

優位・私利私欲・損得勘定などの意識的・無意識的「計算」に
基づいた行為が、口論で済んでいるならともかく、「命をかける」までの争いに至るには、
ほとんどの場合「意図的」経緯があるものと思われます。
戦略は意図的に練るものです。武器は空から降って来るものではなく、
かき集めるものです。争いは、勝手に始まるものではありません。
そこには、意図があります。
でも、意図があるからこそ、意図的に防ぐことも出来るはずなのです。


「過去は、変えられませんが、未来はいつもその手の中に
有ると思います。」

だからこそ、だからこそ、私は問いたいのです。
果たして、我々は「どれだけ」歴史から学んでいるのかを。
未来が手中にあるにも限らず、そして、人類は長い歴史を「既に」経てきたにも関わらず、
なぜ、21世紀を目前にした今日でも、同じ間違えが繰り返されているのかを。
前にも書いたとおり、なぜ、歴史の「暗さ・醜さ・悲劇」が繰り返されるのかを。
みんな、醜いってわかっているのに。

協力・協調・相互信頼という方法で相互「利益」が成就されていくwin−winの
歴史もあるにも関わらず、「利益」が差別や争いに直結する win―lose 
あるいは、zero−sumの論理から人は抜け出せないのか。

「歴史を通して学ぶべき事は、多いと私は思いますが、どうでしょうか?」

歴史に学ぶことが多いのには、全く同感です。
ただ、歴史だけを見ていては、差別や争いについては
解明できないとも思います。だから、あえて、
「どれだけ」教えてくれるのでしょうかと言ったのです。

更に強調したかったのは、歴史を学ぶ際の姿勢の大切さです。
歴史は多くの場合に、勝者によって書かれています。
勝者の論理で説明が展開され、勝者の論理が正論として
語り継がれることが多いのが悲しい現状です。
従って、読み方と読むものによっては、学ぶどころか、
どんどん目隠しをされる場合があります。
弱者から見れば、生存かけた精一杯の「保身」であっても、
「優位性」とか「利益」という言葉に片づけられしまうことがあります。
双方の戦いには、意図と動機において、格段の差があるにしても。
まぁ、保身も広く言えば「利益」ですが、同じ言葉を使っていても意味が違います。

わたしには、まだ、わからないことだらけなのです。
まだまだ、読みが浅いもので。


「歴史が語る人間の本質」ということですが、

それが、人間だといわれてしまえば、
何も言えないのですが。

と、前に書いたことをあえて、繰り返します。
その本質とどう付き合うのか、どう付き合えば、流血を
防ぐことができるのか・・・理解したいのです。
なぜ流血につながるのかという教訓を乗り越えて。

運命や必然や偶然に任せきれない現象に直面したときに、(それも運命でしょうが)
「歴史」で対処しきれない現実に生きあがいている中で
歴史の「暗い」教訓、(いや、「呪縛」といった方がいいでしょう)
歴史の「暗い」呪縛からは、それを噛み締めながらも、
解放されることを切に望むから。