お!Esamanさん、さすが。 (& お帰りなさい、なんて、掲示板のお邪魔虫が言うのも変ですが) 遺伝子の話が出たので、私も以前に書いた詩を 切り張り投稿させていただきます。 (1)それでも・・・それとも ? 差別が「学習」される 後天的なものだとしたら、 我々の教育は いつから、 こんなに間違ってしまったのか? 差別が「遺伝」する 先天的なものだとしたら、 我々の先祖は いつから、 そんな変な遺伝子に蝕まれたのか? 差別が「教育」されるものなら、 教養のある人間ほど、馬鹿だということか? 差別が「伝授」されるものなら、 性善説を信じる人間ほど アホだということか? 教科書 燃やしても、差別はなくならない。 法律変えても、差別はなくならない。 遺伝子変えたら、人間じゃなくなってしまう。 でも、魂まで亡くすわけにいかない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (2)Nature vs Nurture (・・・前略・・・) 生まれたばかりの赤ん坊は 差別する・されることを 知っているのだろうか? 「知らない」とすれば、 われわれの発育過程の何が 潜在的・顕在的差別を植え付けているのか? 「知っている」とすれば、 遺伝子とどう付き合えばいいのか? Nature vs Nurture の 古典的問題に突き当たる。 でも、古典的な答えを 繰り返すことに何の意味があるのだろうか。 立派な学説は 差別を解消してこなかったじゃないか・・・。 Copyright(c) 小鳥 1999