エミシの話題が続いてしまいますが・・・ 投稿者:VODKA  投稿日:12月09日(木)17時37分18秒 210.175.54.76

>突然本題に移りますが、私は個人的に蝦夷(エミシ)=アイヌではないと思います

”アイヌ”は近代的な民族分類に関わる観念ですが、”エミシ”は朝廷権力に対す
る政治的な観念なので、両者が重なったり重ならなかったりするのは当然です。

え〜僕が出入りしている別の掲示板で「エミシの館掲示板」と言うのがあります。
そこに一度書いたことなので、もしかするとお読みになったことがあると思いますが、
明治以来、エミシを倭人とみるかアイヌとみるかで長らく不毛な議論が重ねられて
きました。
しかし、高橋富雄が指摘するように蝦夷(えみし)は古代末の東北地方の人々が自ら
称したのではなく、上古より朝廷権に伏わぬ東方の民をひっくるめて朝廷側が勝手に
エミシと呼んでいるのです。これは民族ではなく、朝廷権力に対する政治的な立場を
あらわす概念なのです。
ですから蝦夷を特定の民族に固定視することは間違いだといえます。しかも伏わぬ者
という意味で東北を蝦夷呼ばわりする習慣は明治までつづくから驚きです。

しかし、特定の民族に固定視しないということは、アイヌではないということでもあ
りません。近代以前、人々にとって重要なのは民族よりも地域であり部族ですので、
古代の蝦夷が今で言う多民族共生社会、すくなくとも異なる種族の村村が隣り合って
並存する社会を営んでいた可能性が大きいと思われます。

高橋崇は、平安初期アテルイ時代の北上平野が倭人と蝦夷のさまざまな組み合わせの
雑居地域であったことを明らかにしました。
決め付けるにはまだ発掘成果を待たなければなりませんが、蝦夷と言っても今で言う
アイヌ系も倭人も含み、一部には漢人や新羅人、高句麗人もいただろう。そしてそれ
らの混血が大勢いたと考えるのが妥当だと思われます。(この時代、倭人側も多民族
社会の段階にあり人種的な統合はすすんでいない。つまり日本人はまだ成立していない)

またアイヌが民族集団として固定視できるようになるのは、奥州藤原氏が鎌倉政権に
ほろぼされ東北地方の住民の倭人化が決定的になって以後だと考えられていますが、
僕はそれよりももっと後のことだろうと考えています。従来の諸説は、奥州藤原氏の
滅亡による北海道と東北の政治的断絶が日本人とアイヌ人の区分けになったと考えます。
しかし、個人や部族間の人的交流や海峡を越えた移住が終わったとはとても信じられ
ないからです。


ありがとう! 投稿者:ゆみ  投稿日:12月09日(木)01時57分57秒 SAPcc-07p67.ppp.odn.ad.jp

はじめまして・・・
私のPageを気に入ってくださって「ありがとう」
作り方がわからなくて・・・あれが限度かな?って思ってます!
これからも頑張って作ります・・・
見に来てくださいね・・・・・

http://www.hello.co.jp/~yt_2069/