Esaman氏が言葉づかいその他でする挑発的な行動。 正直、私も初めはこいつ一体何考えてるんだと思った。 最近ではEsaman氏のそんな行動に慣れてしまった(?)せいか 文中の人を馬鹿にしたような笑いは単なる合いの手、 強気の姿勢はいきがってる子供くらいにさっぴいて見るようになっている。 彼の書き込みにはよくこんな台詞が書かれていないか? 「そろそろ腹を割って話そうや」「あんたの本音を聞かせてくれ」 これが私の手に入れた鍵である。 以下は、私の勝手に思っていること。ちょっととりとめもなく羅列しています。 アイヌは職業ではないが、この業界(ほかにうまい言葉が思いつかない)には アイヌがいて、和人がいて、その他の人もいて アイヌの中には「アイヌっぽいアイヌ」とそうでないアイヌがいる。 和人の中にはアイヌになりたがる人もいる(そんなに今の自分が嫌なのか?)。 アイヌになれる訳もなければその必要もどこにもないのに。 アイヌの現在に興味のない人もいれば社会的活動の材料としてしか見ない人もいる。 見た目がそれっぽくなくても、言葉が話せなくても、活動をしていなくても アイヌはアイヌなのに。 和人にだっていろんな人がいる。考え方も趣味も個人の歴史も異なる色々な人が。 なぜアイヌに対して伝統を保存することや民族一丸となって活動すること、 アイヌらしい生き方(それが何なのか私にはわからんが)を求めるのか。 誰にそんな権利があるのだろう。何故アイヌにはそれを求めるのだろう。 和人同士でも心の通った友人を得ることは難しい。 仕事上のつきあいでなく人間対人間のつきあいを求めるならどうすればいいのだろう。 あんまりまとまってないですが続き(やるのか?)はまた今度。
うぅぅ、沢山言いたいことはあるけど、時間がないので、伝統について、ちょっとだけ。 (山道さんのことは、知らないんで、具体的なことは何も言えませんが) 伝統は長年「引き継がれる」ものであると同時に、 いつの日にか「築かれる」ものでもあり、 また、歳月を経ていくうちに「変化」する場合もあります。 何が正統派というのか、何をもって、どの時点で、誰が、 ある特定のものを非伝統とするのか、難しい気がします。 うわべだけと思われていた今日の流行が、明日の伝統になったりするので。 そして、我こそが正統派だとする、場合によっては排他的な動きが、 歴史を経ていくうちに仲間内で、痛烈に悲惨な結果を招くこともあります。 同じイスラムでもシーア派とスンニ派が衝突するように。 まぁ、観光や商売の話とは逸れるけどね。 誤解や偏見がマーケティング手法として 商売のための必要悪にとどまっている場合は良いのですが、 その同じ誤解や偏見のために権利を奪われたり、迫害されたり、 日々の生活で酷に差別されたり、命を落としていく人たちもいるわけで。 アイヌの現況については、あまり知らないので、これ以上は言いませんが。 (他の具体例につぃても、この掲示板にふさわしくないと思うので書きたくないし) 芸者さんについては、時間がないのでまた今度。 ただ、日本人女性が、みんな、芸者さん的だったり、 イエロー・キャッブ的に思われるのは、実際にすっごい大迷惑なのは確か。 ところで、「アイヌ教」と呼べちゃうほど、その山道さんっていう方は 影響力をもっているの?っていうか、実際のところ、どれだけの 規模と勢いのある運動(?)なの? 具体的にはどんな点で、「伝統的」なアイヌとはちがうわけ? 知りたいな・・・と、思うけど、ちゃんと本でも読め!と言われるかな。