(背景その1ー小鳥) そんなんなる位なら、エサマンは、バスが崖から落ちる直前に きっと、運転手をパンチで殴り倒して、自分でハンドルをとってしまうであろう。 ハイジャックと言われようが、それが、礼儀だもんね。 みんなで、崖から落ちないようにするには。 (背景その2ーH.S) 私が向こうの部外者だからです(中略)そういう場所で部外者である私が、 部外者であるエサマンさんへ個人的に質問するのはどうかと思っているのです。 (中略)要するに、向こうの「場を運営する能力」を信頼していないのです。 ・・・・・・ (本題) というわけで、いつの時代にも、行政に 民意は反映されにくくなってるのです。 政治不信の悪循環というところでしょうか。 (背景その2参照) 市民参加型の政治とか言って、誰にもオープンな 「窓口」は、どこの役所にも作られています。 しかし、社会的インパクトのあることであっても、 気がついている個人が遠慮したり、 下手に、どうでもいい気を遣いすぎて、 世の中は、結局、アホ官僚を 運転手としてそえたまま、腐った政治が 飼い慣らされたブタどもによって行われていくのです。 下手な、どうでもいい気なんて遣わなかった、 ある一人の青年がいました。 彼は、進路を間違っているバスを 誠意もって方向修正しようとしました。 が、運転手だけでなく、乗客にまでも無視されました。 無視をこえて、非難する人まで出てきました。 →背景その1を参照 彼が、ハンドルをとって、バスの乗客の命を救ったあとでも、 その非難は絶えませんでした。 「あんな、乱暴なことをして、怖いわねぇ」というのが、 その町での言い伝えになりました。 「運転手をはっ倒したんですっげよ、野蛮だわぁ」 なんて調子で。 こんな言い伝えは、いつの日にか「常識」になっていきました。 命を救われた者達の常識は、 命の恩人を踏み潰していきました。 理解されないにも、限界がある。青年は思いました。 俺だって、この身を投げて、命かけてやったことなのに。 「彼らは一回くらい死なないと、やっぱり、わからないのかな?」 ・・・・・・・・ ここで、小鳥の公開質問! バスは、崖から落ちた方が良かったのか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・ やばい。小鳥はあと9時間の命。荷づくりしなきゃっ。