おいリンダ、俺の地雷は誰にでも解る目立つ安全装置付きなのを知ってるか? それは誰だってはずせる簡単なものだ。 ただし、地雷を悪魔の兵器だという思い込みを持っている奴相手には爆発する。 いや、正確には爆発されたと思い込むように出来ているだけなのかもしれんが、 そのへんはひっかかった奴に聞いてみようじゃないの。 勝手に爆発させて、自分の不器用さを棚にあげて、 ヒステリックになってるバカばかりとは限らないぜ。 それこそ、 >わかる人にはちゃんと届く(はず)。 だわな(爆笑)。 勉強? 一体なんの勉強だ? 官僚に対抗する勉強をしっかりやった人って、つまりは官僚なんじゃないのかい? そういうアイヌって、今は結構沢山いるじゃないか。 単に官僚が身近にいないように、身近にいないだけでね。 ちなみにいうと、俺は仕事の現場によっては道具として「きちっとした服装」してるし、 かなりうまいセールストークだって出来るさね、サラリーマンじゃあないが。 というよりは、社畜でないからこそしっかりできるんだが、まぁそれはいい。 そんな事は、どうでもいいクソみたいな事だ。 ここは国連じゃないし、役所でも裁判所でもなければ、洒落た社公場でもない。 確かにウタリには背広も着こなせない奴もいるし、 しきりに背広着てるのはコンプレックスの裏返しに過ぎない奴もいるなぁ。 別にそれは和人と一緒だ、それがアイヌだからかどうかは人によるだろうが。 例の書き込み、ひょっとしてそういう奴等をバカにしてるのか? それと、何を呑気な事を言ってるのかしらんが、 地雷を現実に使わんといかん事態になったら、もうおしまいだぞ。 過去には何人か、抱えて暴れた奴もいた訳だし。 そいつの処遇をめぐって未だに一悶着ある事は、あんたなら知ってるだろうに。
興味深い話しが2つあります。 まずは英語の教科書に載っていた萱野氏の写真をみて、 ある中学生が言った言葉。 「なんだ、日本人じゃないか」 まぁ、これはどう見えたかの話しですら、 アイヌが日本人かどうかは、とりあえず置いておきます。 そして、さる祭りでアイヌと和人が混ざって踊っていた時 (混ざっている事の説明はなし)、それを見ていた子供の台詞。 A:「アイヌだって、本当かな?」 B:「あいつと、あいつと、あいつは日本人じゃない?」 その子供は、見事に2人の和人は見抜いていたが、 沢山参加していた中の、他の2人のアイヌも和人だと思ったようだ。 まぁ、不特定多数の観客が来場する場所で、 両者が混ざっている事の説明一切抜きで、シャモがアイヌの ように踊っている事の是非は、ひとまずおいときます。 これらのことの指し示す事は一つ。 前にもくどく書いている事ですが、アイヌの顔といっても色々だという事です。 両者とも北海道でも東北でもない場所で行われた事であり、 これはアイヌの識別の仕方を知らないというよりは、 単純にそう見えたという事を物語っていると考えていいでしょう。 特に最初の話しは、日本国内だって、東北と北海道以外でも、場所によっては、 顔の濃いアイヌが特別視されない場所もあるという証明でもあります。 これが中国地方とか四国の中学校だったらどうなったかは、 とても興味のある事ですが。 さて、なんでこんな事を書いたかというと、 私自信が何度も書いている「人種としての顔の嘘」の話しの具体例だからです。 もともと人種というものは、誰かが突然創造した訳ではなく、 いろんなものが混ざり合った上で、なんとなく出来上がっている集合体です。 当然、境目に近くなればあらゆる中間タイプの人がいる訳です。 そして、その混ざる元となった集合体もまた、「純粋な」ものでもなく、 何かと何かが混ざった結果成立しているものなのです。 つまり、元々プロトタイプがいた訳でもないので、 「これが純粋な何々人」という顔の存在自体、嘘だという事になります。 アンケートを元に作った「理想の美人」や、 集計を元に平均化した「よくある顔」なら可能かもしれませんが。 ジョーモンの呪縛に縛られている方も多いと思いますので書いておきます。 人間と猿の先祖は手長猿の原始的なものだったと言われていますが、 それを元に、現在の猿は人間の先祖だったと断言するのはまさに猿知恵です。 何故なら、人間が「より人間らしく」進化したように、 猿の方も「より猿らしく」進化しているからです。 ですから、縄文人と弥生人は日本人が出来た元で、 アイヌはどっちかというと縄文人に似ているからといって、 アイヌ=縄文人ではありません。 ペキン原人が現在の人類の直接の先祖ではないのと同じようにです。 もっとも、ちょっとの証拠で縄文人だと断定している人達にも、 いろんな民族がいた事でしょうから、 そういった発想も単純だと言わざるおえませんが。 さて、そういった生物の分類で言えば所詮は亜種でしかない (極端な事を言うと、アイヌと和人の違いは、 シャム猫とペルシャ猫の違いというよりは、模様の違いのようなものに近い) 人種というものの流動性を説明した後で、 日本人という表現ではなく「大和民族」だと断言出来る方の、 いかに大和民族なのかの話しを聞いてみたいものです。 ちなみに私は、アイヌも和人も等しく 「日本人」の枠の中に入るってしまうと思っております。 無理のあるイデオロギーや思い込みは抜きにして、 あくまで結果としてですが。
また来たのはいいが、さてと、どうしたものか・・・ そうだ、俺とアイヌの『接点』みたいなのを書こう。 アイヌという存在は、確かに知っていたんだ。でも、それだけ。 しかも白人系民族、つまり日本人とは違う人種だと思ってたよ。 で、何がきっかけか憶えちゃいないが「日本人はどこから来た んだろう?」ということに興味がわいてさ、そのたぐいの本を ちょいと読んでみたんだ。 なんかゴチャゴチャ書いてあって、よく解らなかったんだけど そこにアイヌが出てきたわけ。 詳細はすっかり忘れたけど『日本人とアイヌ人は、もとを ただせば同民族』といった内容だったんだ。 え?同じ?顔つき全然違うじゃねーかよ・・・ 混乱したよ。だってさ、日本は大和民族による単一民族国家であり アイヌは過去に居住していた白人だと思っていたからね。 それが、同じ・・・?! とにかくワケわからんかった。 で、そのあとNHK出版『驚異の小宇宙・人体lll 遺伝子DNA』 という本で、日本人の中で日本人特有のDNAを持つ者は、ほんの ごく僅かしかいないことを知ったんだ。 アイヌのルーツは縄文人につながり、日本人につながるらしい。 ということは・・・わが日本国家の成り立ちもアイヌ抜きには 考えられんという事か・・・ というのが、俺とアイヌの『接点』だね。 しかしワケわからん状態は相変わらず。まあ、のんびりやるさ。 しかし、だからと言って俺の中の『大和民族』は消えはしない。 そういうことで参加させてもらうよ、Esaman君および常連諸氏。
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エルシカインさんは可哀相な人なので私に愚痴でもこぼしに来なさい。慰めてあげる。 あと、エコロジーの話はアイヌのくせに苦手なので、もうレスしないね。ごめんね。 さてと、エサマンさんの「地雷」に反対。あー反対。 目的はわかるけど、手段が正しくないのはやっぱりだめ。 貧乏人は地雷しかないといってもインターネットが使えるしね、言葉は「地雷」にしなくても、 ちゃんとした言葉ならわかる人にはちゃんと届く(はず)。 カナダの地雷撤去条約推進運動の人たち、ほらこないだノーベル賞もらったNGOの方針ってね、 官僚たちより更に勉強して、きちんとした服着て、礼儀正しい言葉で、官僚や政治家を説得したんだって。 そういう地道な取り組みが運動の効果をあげたのよ。 それ聞いた時、アイヌ関係の人ってそれできてる人いないよなあ・・と淋しくなった。 ので、エサマンさんのあちこちにしかけ過ぎる「地雷」にも反対。 それはどーしても「地雷」つかわなきゃ行けない時のために取っておきなよ。
ugenさん、始めまして。 とりあえず、エコロジーと自然崇拝について一言。 あなたの感じたものは、確かにあります。 ただ、都会の人がよく勘違いされるのですが、 都会の中たろうが何処だろうが、カムイは存在します、 神の住むとされる人の生活出来ない所には、確かに霊気で満ちていますが、 そういった解りやすものでなく、もっと小さなものにもカムイは宿っています。 それは公団住宅の洗濯物を揺らす風の中にもおり、 縁側で昼寝する猫を照らす午後の日差しの中にもおり、 排煙の中に立つ街路樹にも、ベランダの植木鉢の住みにいる小さなナメクジにも、 家の中のパッキンの緩い水道の蛇口にすら、カムイは宿っているのです。 カムイに対する信仰とは、ただ巨大な自然に接したときの「ドキドキ」を、 何かのせいにする事ではなく、そういった小さなものにも心を揺らす事だと思っています。 それは何も難しいではなく、あらゆも物をよく見る事によって、 ただそれだけによって、それを感じ取る事ができます。 こういったものが、私がアイヌとしての、 というか私自身の信仰(宗教ではありません、念の為)だと思っている部分です。 念のために書いておきますが、これは私個人の思い込みかというとそうでもなく、 アイヌのシジババは毛っ見うこういった感じの発想をする方も多いです。 これは、いわゆるエコロジーやエコロジストが好きな自然観とは全然違いますし、 最近流行のネイティブ好きによくみられるアウトドア嗜好ともまた違ったものです。
リンダ君、勘違いしちゃあいかんな。 俺もHSも、「アイヌの心に触れる」話しなんてこれっぽっちもしていない。 俺の「死ね」戦略がどうこうという話しは、 その被験者である所のHSに聞くのが筋ってもんだろう。 それとも、あんたも地雷反対派かね? 別に反対するのはおおいに結構だが、人から地雷を取り上げようとたぁ、 おこがましいってもんだ。 あとElsikain君は、話している傍から言っている事が変わっていく人なので、 しゃあないでしょう。 最初は、思い込み書いて消してるだけなら、 あの掲示板は洛書き帖じゃないかと言ったら怒ったような気がするし、 アイヌはシルクロードを渡ってきたアラブ人の子孫である事は、 顔を見れば明白な事実だから、 海外交流とかも、カナダのインディアンの所に行かずに、 アラブに行くべきだとかとも言ってた気がするなぁ。 別に変わって行く事自体は否定しないが、反論されて立場が弱くなってから、 さも「自分は初めからそうだった、何言ってんの?」というような口ぶりで書いていては、 いつまでたっても同じ事の繰り返しだろうに。 それに、俺はあそこの過去ログある程度持ってるしね・・・ 読み返してると、今の彼の豹変振りに哀しくなるわな。 彼は「過去は振り返らないのが俺のスタイル」なんてカッコつけるんだろうが、 それって「振り返えれない」の間違いだったりする。 いうなれば、浮気男が昔の事は忘れたといって、 昨日の晩何処にいたのか話さないようなもんだわな。 別に浮気がどうこう言うつもりはないが、自分自身を裏切っていては、話しにならん。 なんとも、困ったものだわい。
UGENさんへ、 あなたのような神を感じる気持ちはおっしゃる通りアイヌ以外でもむろん感じれると思います。 もっとも私都会育ちの軟弱アイヌだから説得力ないかもしれないけど。 そう、そこがアイヌの神秘って感じで囲い込むのがあんまり好きじゃないの。 アイヌ(含むウェンペ)であるって事ってそんなに難しいのかなあ。 ちなみに十勝育ちの日本人って名乗っておいでだけど、日本人の部分を和人とかにした方がここではベター。 エルシカインさん アイヌ=アラブ説でなくて、似てるって話だったんですか! こりゃ勘違い。謝りますぅ、・・ってさー、 過去ログをとってないから確認しようもないんだけど、そういうニュアンスだったっけ? しかしたとえ「昔こう書いてたでしょ!話違うじゃん!」って反論したとしても、 あれらはただの落書きで、失敗したら奇麗に消しちゃうって公言してる人と どういう議論がなりたつのやら。 自分の発言に責任を持ちましょう、ということに対しどう思ってるのかな。 アイヌ同士だろうとネット上だろうと、いやだからこそだと思うけど、甘えなーいのよ!
こんにちわです HSさん、あなたはきちんとレスつけて真面目な方だ。 あなたのような方に一旦死ねとは、エサマンさんは何とひどいお方でしょうか。 私勝手に思うけど、「死なな」くてもアイヌの気持ちに触れることだってできると思うもの。 そしてエサマンさん、抽象的すぎる例え話で最後には「自分で考えろ」ってのは、昔どっかでやった事だね。 あたしはあなたの話し方は、ある程度までならキャッチーなものとして高く評価はしてるけど、 ある水準を超えたら、戦略としても成功できるのかしら? 第一、どう理屈つけてもひどい事いってると思ってしまうよ。 子供みたいな素朴な疑問でごめん、おまけに蒸し返してしまったい。タイミング悪し。 はあー、言いたいこといっぱい。また来るね。
Esaman君> こっちに来たはいいが、書くコト思い付かん。 そのうち、また来るよ。
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こんばんは、はじめまして、ugenと申します。十勝出身の日本人です。 アイヌやインディアンの生き方がエコロジーだといわれる理由の一つの要因に自然神信仰が あると思います。自然神信仰は生活環境と自然環境の距離が近くなければ発生しないのは必然です。 (グリンピースみたいなのは別です) よく、自然と共存するという言葉がありますが、多くの自然神信仰者にとって自然は絶対恐怖であり、 支配者であることが多いようです。 自分は厳冬期の冬山に登ることがあるのですが、ある一定以上の難易度の冬山には、常に現実的な死が充満 しており、まるで死神に頬をなでられているかのような気分になります。 その文明社会から見れば異常な世界において、自分は神の存在を感じるのです。 信じるのではなく、感じるのです。 その神は自分に道を示すことも、救いを差し延べることもしません。それは自然という強大な絶対恐怖であり、 自分の命が神の前には石ころ同然の見向きもされない存在であることを認識させられるのです。 話がそれましたね。 自_然神信仰までゆかずとも、自然に対する現実的感性の存在は、アイヌのアイデンティティのひとつだと思います。 この感性はアイヌに限らず、雪の降る音と地面の匂いを知る北海道人の多くが共有しているものと思います。 乱文でしたが、これで失礼します。