]あぁぁぁぁ 投稿者:ヒショ 投稿日: 7月26日(水)11時19分17秒 ppp037.t3.rim.or.jp

う゛、2回も同じものを投稿して、サーバーに負担をかけたのは私です。

だって、

>FE01: フォームエラーです。
>正しいURLhttp://www65.tcup.com/6519/ainupuyara.html
>の最新フォームで投稿してください。
>(時間のたったフォームでこのエラーが出ることがありますが、
>下記「投稿」ボタンで投稿できます。)
>下記フォームより投稿してください

って出るんだもの。


エサマンの投稿について訂正 投稿者:ヒショ 投稿日: 7月26日(水)11時10分44秒 ppp037.t3.rim.or.jp

こんにちは、ヒショです。
ヒショなので、エサマンの投稿をチェックしておりました。

下の投稿で、ふと思い、本人に確認したところによりますと、

     価値→方

だそうです。
(エサマンの間違えは結構コワいかも)

エサマンはかわうそなので日本語があまり上手ではありません。

そしてエサマンの文章に誤字脱字が多いのは、かわうその小さな手で
キーボードを打っているからだそうです。
ドジョウを捕まえるのにはいいらしいんですけどね。

ホントかな?


ようこそ、ウタリ 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 7月25日(火)23時22分44秒 ppp05038.nagoya.alles.or.jp

始めまして、名も知らぬウタリよ、
小さなこのページではありますが、見ているウタリは意外ているものです。
しかし、自分から発言される価値はとても少なく、とてもうれしく思います。

これはINの特質のようなもので、
こういう場所では、発言しないが、じっと覗いている人間は沢山いるものです。
といいましても、アイヌ自身の発言が少ないのは、それだけではない訳ですがね・・・・

確かに私自身も、こういったHP上でのやりとりには、大変不効率なものを感じています。
いくら「世界に開かれている」といったところでも、アクセスがあるかどうかとは別な訳ですしねぇ。

しかし、小さいと言えども、意味がないわけではありませんし、
私のような非力な者に出来ることといえば、まだこの程度しかない訳ですしね。
ですが、あなたのようなウタリ目にとまること出来たことは、私の中では大きな成果であります。

また、私の姿勢ですが・・・
我々の同朋の多くが置かれている、本当に惨く厳しい状況である差別の解消になるどうかは、
正直なところ判りません。
解消などと言う大事の前に、わが身に起こっている事の理不尽さを伝えたいだけなのです。

そして、たとえその姿勢が蟷螂の斧であろうとも、私がこの姿勢続けることは、
何よりも私が差別者側に回らないことにとって、とても大事なことだと思っています。
・・・どんな過酷な差別されたからって、
自分がしていないことの保証にはらならんのですよね、実際。

あなたからの書きこみ、大変嬉しかったです。
無数の目が光っているこの場では、中々話し辛いこともございましょうが、
これからもよろしくお願い致します。

なんでしたら、いきなりメールくれても構いませんよ。
なんだかんだいっても、ウタリと話しをするのは楽しいものです。

それでは、また。
apunno oka yan


esaman@anet.ne.jp

http://www.egroups.co.jp/group/ainu


おじゃまする 投稿者:喪に服している?オッカヨ 投稿日: 7月23日(日)23時52分09秒 PA054031.dion.ne.jp

いきなりオジャマします。俺はアイヌ・モシリに住んでいるアイヌ民族の血を引く男(アイヌ語ではオッカヨ)です。エサマン君のホームページ(以下HP)は去年の終わり頃からたまにのぞいています。くわしく読んでいる訳ではないんですが、君の民族差別に対しての厳しい姿勢には敬服の念を持つところもあります。俺はインターネット(以下IN)とかはあまり使ったりしない人間なので、INのHPでの意見のやりとりが、どれほどの意義や効果があるか分かりかねています。でも、君のその厳しい姿勢はこの日本社会の中で、まだ無くなってはいない、偏見による差別意識や
それから生じる不幸、過去の歴史の影響からくる現在の社会的格差等の解消につながる事だと勝手に思ったりもしています。感想を書かせてもらいました。でわ


(無題) 投稿者:いいいいいいいいいい 投稿日: 7月21日(金)17時14分25秒 pc.tees.ne.jp

<img src="http://shibuya.cool.ne.jp/tecmac/akn36_3.gif">


やはり、あの歌は哀しくも腹立たしい 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 7月19日(水) 9時19分06秒 ppp14055.telecom.alles.or.jp

オキナワのことはあまり知りませんが、奄美の人は個人的に知った人がおり、
複雑さはかいま見る程度には知ってやおります。

また、私自身も出身がアイヌの中でもかなりマイノリティの方なので、
「一括りされること」への複雑な印象もわかります。

私が「腹立たしい」と感じたのは、
いざ「生まれた国の言葉・歌」といって振りかえろうとしても、
辿るための糸が、場合によっては自分の親兄弟の手によって途絶えてしまっている所と、
それにもかかわらず、忘れられる程なにもなくなっているわけではないと言うところににです。

混ざっていようが貰われだろうが、場所と相手によっては、
アイヌは否応無しにアイヌなんですね、選択の余地などない。
・・・この意味は判りますよね?

真に残念なことですが、その厳しい現実に対し、
「言葉と文化を拠り所」にできるアイヌは非情にすくないのです。
ヒトによっては、「アイヌがいるがアイヌ臭さ(この場合は文化か?)がない所」が、
唯一心の休まる場所だというヒトいます。

・・・東京での話しを近所のアイヌにしたら、
歌など歌っている場合ではないだろう、といわれたことすらあります。
身元を隠している多くの「アイヌ」には、そんなささいな心の余裕もないのですよ、
しかし、彼らが悪いのではありません。

また、たとえそういうものを拠り所にしたくとも、その場所も機会も本土ではほとんどありません。


この「歴然とした差があるにもかかわらず、誇るべき証があまりない」状況こそが、
私の腹立たしさの元であります。


別に「オキナワブームに便乗したノーテンキな歌」だからなどでは到底無く、
そういう「オキナワらしさ」を纏った歌を歌えるという事自体が、大変うらやましい訳ですよ。

いまのアイヌは、
「アイヌらしい歌」というのを、いま私達の話している言葉で歌えるでしょうか?
「アイヌらしいリズム」というのを、私達は踏むことが出きるでしょうか?
いまとなっては、「アイヌらしさ」に触れる機会があるという事自体が、
アイヌであってでさえ、大変幸運で稀なことなのです。

この状況が、とても悲しくも腹立たしい。
自分達の歌を、例え年に一度であれ、おびえもせずに仲間と歌えるという事が、どれだけ幸せなことか。
私のいいたいことはそういう事です、お分かり頂けませんか?

「なら歌えばいいじゃないか」
そう言われるヒトに私は問いたい、「誰と、一体なんの為に?」

公園でそういう催し物をしても、
遠巻きに見ているだけで、けっして入ってこないウタリの顔が、私には目に浮かびます。
それでは、かえって悲しいだけではないですか。




もう一つだけ。
例の歌詞の中に「ヒダの言葉で」というフレーズがありませんでしたか?
多分別の言葉の勘違いでしょうが、私の中では「飛騨の言葉」と変換されて、
私がアイヌ語は話せなくても飛騨の方言が話せることが、さらに悲しくなった原因になりました。

そして、あのノーテンキなリズムは、私にはただ悲しかったのです。
明るい歌ってのは、大抵の場合悲しい現実へのアンチテーゼですからね。

これでは、腹も立とうというものです。


そういう意味だったのか 投稿者:なつき 投稿日: 7月19日(水) 2時 4分21秒 R2-209.starcat.ne.jp

ハイサイおじさん,何を歌ってるのかよくわからんけど
なんか楽しそうな歌だと思ってました.
そんな壮絶な話だったのですね.
認識を新たにしました.

某核融合研究所の理学博士はハイサイおじさんと河内のオッさんの歌を
画面の歌詞を見ないで熱唱します.


「島っぽいリズムでノーテンキな歌」(その2) 投稿者:toytoy 投稿日: 7月18日(火)23時32分01秒 gw00.rosenet.ne.jp

それと、「島っぽいリズムでノーテンキな歌」についてですが、
沖縄文化圏では今も無数の民謡が唄い継がれているわけですが、
明るいアップテンポの曲調の唄がすべて、楽しい、嬉しい、明るい、
といった内容というわけではない、ということを申し添えたいと思います。
というか、ノリのよい、楽しそうなメロディにのせて凄惨な内容を唄っている
というのは、沖縄文化圏、とくに八重山、宮古では珍しくないのです。
もちろん、しっとりとた、哀調を帯びた曲もたくさんありますが。

現代の唄になりますが、喜納昌吉の「ハイサイおじさん」などは、判りやすい例かも
しれません。志村けんのおかげで、すっかり「ヘンなおじさん」の唄になって
しまいましたが、「ハイサイおじさん」にはモデルがいたそうです。
(これは有名な話なので御存知の方も多いかもしれませんが……)
歌詞そのものは、酔いどれのおじさんが家々の軒先でお酒をねだる様子を会話形式で
展開しているだけなんですが、この「おじさん」、実は、校長先生まで務め上げた
知識人だったのが、戦後の混乱のおかげで人生の歯車が狂い出しアル中に。
その結果、家庭は崩壊、奥さんは子供を殺めて精神病院に送られ、退院後自殺。
そんな壮絶な過去を封印して酔いどれとなり、それでも生きていくために、
今日も家々の軒先に現れて酒を所望する「おじさん」を、シマの人々は受け入れ
ながら生きている、というような唄だと聞いています。

唄い継がれてきた民衆の唄には、飢饉や酷税、労働の辛さを訴えるもの、
為政者の都合、戦争、伝染病などのためにシマごと強制移住させられ、
家族や恋人が引き裂かれたことを伝えるもの等、厳しく激しい内容の唄も
無限にありますが、それらだって、歌詞が判らず耳にすれば、なんだか楽しそうな
テンポのよい曲だったりすることも多いし、踊りの付いているものも多いのです。

「コザ独立国」大統領にして沖縄芸能の大御所・照屋林助氏の有名な言葉に、
「人は、楽しいから笑うのではない。笑うから楽しくなるのです」
というのがありますが、沖縄の凄絶な戦中・戦後を、芸能を通して人々の心を
支え、奮い立たせながら生きてきたテルリン氏の言葉だけに説得力があります。
沖縄文化圏の民衆の唄にも、この気持ちが込められているように思えてなりません。

なんて書くと、また、「思い込みの激しいシャモ(orヤマトンチュー)が」
とか言われそうですが……。
長々と書きましたが、
「太陽(ティダ)のうた」が、何度目かの沖縄ブームに便乗したお気楽な唄だと
決めつけるのは、ちょっと待って! ということをお伝えしたかったのです。
もちろん、esaman氏のムカついている対象が、その曲自体ではないということであれば、
また話は別ですが……。

  * * * * * * * 

アイヌ語教室助成金の件、全く知らない所の話というわけでもないので、
とても複雑な気持ちですが、今は情報も足りていないので、コメントを
控えたいと思います。


「島っぽいリズムでノーテンキな歌」(その1) 投稿者:toytoy 投稿日: 7月18日(火)23時28分49秒 gw00.rosenet.ne.jp

はじめまして。Toytoy(トイトイ)と申します。東北出身・東京在住の和人です。
思うところあってずっとロムラーしておりましたが、
昨日のesaman氏の発言の中に気になることがあり、
僭越ながら書き込み(というか投稿?)させていただきます。
浅学ながら長々と書かせていただく失礼を御海容ください。

OripakEsaman wrote :
>・・・・なんの関係もないですが、今、背後のTVでは、
>「さぁ、うまれた国の言葉で、歌って踊ろうよぉ〜」などと、
>島っぽいリズムでノーテンキな歌が流れています。
>
>・・・・そんなに簡単に歌えたら、苦労もないんですがね。
>こういうときだからか何か知りませんが、異常に腹立たしいですな。

この歌とは、4月頃からNHKの「みんなのうた」で放映されている
『太陽(ティダ)のうた』のことだと思います。
私もesaman氏と同時刻にTVを見ていて、この曲が流されていることを知りました。
このところNHKの深夜帯は、サミットに照準を合わせた沖縄関連番組が続いて
いるので、深夜にもかかわらず流れていたのでしょう。
たしかに、何の予備知識もなく、いきなりあの曲を、
あのようなアレンジと映像付きで聴かされたら、
沖縄ブームに便乗した調子のいい歌、というような感想を抱いてしまうのも
仕方ないことなのかもしれません。
でも、私はあの歌を聴いて、esaman氏とは全く違う思いを抱いたのです。

『太陽(ティダ)のうた』を作曲・作詞および唄っているのは
下地曉(しもじ・さとる)という宮古島出身のミュージシャンで、
いまも宮古で島の風土や言葉にこだわった音楽活動を続けている人です
沖縄県(圏)以外の人にはぴんと来ないかもしれませんが、本来、沖縄エリアで
「おきなわ」と言えば、本島およびその周辺地域(=かつての琉球王朝のあたり)
のみを指すようで、沖縄圏は実は、はっきりと異なるいくつかの文化圏から成り立っています。
かなり端折りますが、宮古や八重山は、独自の風土や文化を持つばかりでなく
(言葉も、ウチナーグチ、とひとくくりにしてしまうには無理がありますし)、
かつては琉球王朝からも支配・搾取を受ける立場にあり、
幾重もの支配の構図の中、人頭税や強制移住といった、様々な意味で本島エリアとは
また違った過酷な歴史を背負ってきたところです。

石垣島等、八重山諸島出身の人で、ウチナーンチュと一絡げに呼ばれることを
好まない人を何人か知っています。
彼らは自らをヤイマンチュ(八重山人)と称しています。
また、本島人の宮古、八重山に対する感情には複雑なものがあり、
特に宮古は、言語の著しい特異性もあってか、同じ沖縄圏にあって
厳しい差別を受け続けてきており、本島(本土、ではありません)では今でも、
就職や結婚時の差別がなくなっていないと聞きます。ウチナーがヤマトゥから差別され、
さらにそのウチナーの中で宮古は差別されてきたのです。

そうした背景のある宮古で生まれ育ち、
あえてシマの言葉を採り入れて唄い続けてきた下地曉が
 「さぁ、うまれた国の言葉で、歌って踊ろうよ」
と唄うことには、とても重いメッセージが込められていると、私は感じます。
「太陽(ティダ)の歌」の歌詞そのものは、宮古の言葉というよりは
本島あたりの言葉が使われているのかな、という感じでしたが
(その時TVで見ていただけなのでうろ覚えです。詳細を御存知の方、御教示ください)、
「うまれた国の言葉で〜」のフレーズには強烈な印象を受けました。
下地曉氏は42歳、ということは、「方言札」をかけられ、教育を通じて民族の言葉を
奪われた体験を持つ最後ぐらいの世代の可能性もあるかと思われます。

>・・・・そんなに簡単に歌えたら、苦労もないんですがね。

唄うことが許されなかったからこそ、下地氏は訴えているのではないでしょうか?
沖縄圏は民謡の宝庫として知られ、現在では、若い世代にも再び受け入れられて
いるようですが、言葉が否定され奪われるのと同時に、島の人々自身が、
民謡、唄三線を恥じて「低俗なもの」としてとらえざるを得なかった時代もあったのですから。
(などと、「奪った側」の子孫である私が言うと、お叱りを受けそうですが)。
「うまれた国の言葉で」という箇所、下地氏は本当は、
「うまれたシマの言葉で」と唄いたかったのではないかと思ったりもします
(ちなみに、「シマ」というのは、「島」であるだけでなく、自分が生まれ育ったり
所属している村落共同体をも表すそうです)。


無題 投稿者:れん@山口 投稿日: 7月17日(月)15時 3分56秒 p62-dnb03motoma.hiroshima.ocn.ne.jp

ふくざつな気分です。

http://www06.u-page.so-net.ne.jp/qc4/syk-a/