れんさんよ、それは一手法というよりは、全ての問題の根本かと思います。
つまり、人事ではなく、何かの代弁ではなく、自分自身の問題としてとらえる、という事ですね。
これは全てにおいて大事なことです。
それは、差別構造が存在する場合は、その差別構造の中で自分は一体何処にいるのか、しっかりと見据えることですよ。
実は、人間は自由ではないのですよ。
たとえ、あなたが何かした覚えが無くとも、なにかしらの形で関わっていることは沢山あるのですよ。
わかりますね?
あなたは和人で、私はアイヌ。
これ、御互いに「自由な意志」によって選んだものではないし、選ぶ力など我々にはないのですよ。
だからといって、そういう存在としてたがいにある以上、起こっている事実は無かった事には出来ない。
だから、しっかりとそれぞれの立場の意味するものを捉えなければならない。
でないと、ただの夢の話しをして終わりです。
星や魂の話しをしている間や、愛を語る間柄だったら、
その瞬間はあらゆるものから開放されていて別かもしれませんがね、
それは永遠でも普遍でもないのですよ、哀しいですが。
だから、それは夢のようなもの、
醒めてしまえば、冷たい現実は残酷に帰ってくる。
私はアイヌ、あなたは和人。
それはただの現実、それには当人達の意志は関係無いのさ、何故こんなことが起こるのだろう?
なんなら、そんなものは忘れて夢の話しをしようか?
あなたの心を言葉で撫でて、心の壁を溶かしてみせようか?
お望みなら、いくらでも。
御互いの魂はここに共に有るのだから、心を開けば、簡単なことさ、
そうして、世界の全てが語りかけてくる、聖なる声を共に聞こう。
本当なら、俺もそうしていたいのだから。
でも、夢はいつかは醒める。
なら、何をすればいいか?
それでも、自身は差別者でも被差別者でもないとお思いですか?
ならば、それはあなたの問題ではないのですよ、きっと。
何処か遠くの国の話だ。
私にとってはここで起こっている話しですがね。
わたしの質問に(とりあえずで十分です)答えてくださり、
ありがとうございます。そして、「自らの立場を考える」上での
一方法を明示してくださって、ありがとうございました。
>アイヌはアイヌとしての立場の意味を、
>和人は和人としての立場の意味を、それぞれよく考えねばなりません。
>和人であったならば、自身に子供がいようがアイヌの友人がいようが、その立場の意味には何の
>関係がないのですよ。
>誰かのためにではなく、まず自分が和人として、アイヌとして、どんな立場にいるのかお考え下
>さい。
>相手(他の投稿者)の意見に反論するならともかく、どうしてワザと
>相手を貶めるような言い方をされるのでしょうね? もっとソフトな
>発言ができないのでしょうか。『暴言』を発せば、それに対する反論が
>先になり、議論の焦点がズレかねません。時には暴言も必要でしょうが。
>投稿者の差別心(と言わなくても、その人のヒトトナリ?)をまるまる、
>包み隠さず表しますからね・・・とっさに口をついて出てくる暴言って。
>発言のすべてが議論の対象として認識されるのが、ここsampeの
>長所だと思いますが、行き過ぎちゃうかな?と時折感じます。
これを「あえて匿名」さんへの批判ととられてしまい、辟易しております。
誰宛てとも書いてない私が悪かったですね。
『暴言』らしきものを吐かれているのは、あなたではないでしょう。それとも、
心当たりがあるのでしょうか?
誰かとはっきり書かなくても、心当たりがある人に伝わるだろうと甘い考えを
持ったわたしが悪かったようです。それに、今『暴言』を吐いてなくても、この先
そういうことになるかもしれない(すでにそうなっている)私への自戒も込めて
書いたまでです。
誰のことか、はっきり書いたほうがいいですか?
私のアクセストラブルはCPU(ゲーム機ですけど)が原因
だったんですけど、なぜか今日直ってました。
やはりパソコン欲しい・・・
さて、と。
>『愚かな民族など滅びて当然』という思想を持たれる・・・
はて?私は『滅びてしまえ』と発言しましたっけ・・・?
私の発言をどう捉えようと、それこそ『あえて匿名』さんの
勝手ですけど、人の発言に対して自己の思い込みをくっつけて
そう記述されていたかのごとく引用して自己論理を展開する
ような行為は卑怯以外の何ものでもないですよ。
私がアイヌ新法廃止といったのは、それの存在自体がアイヌと
和人をますます隔てているのかな?と感じたからです。
まあ、そう書かなかった私が悪いんですけどね。
>私はトイレにでも流しておきましょう
どうぞ御自由に流してやってください。
さて、ここでなぜ『差別者』である私がアイヌ新法に対して
そう感じたかを話してみたいと思います。
もっとも、この話自体は直接アイヌに関わることではない
んですけどね。
**********
私は自動車のセールスマンを職業としています。
自動車には身障者に対する『減免』があることをご存じで
しょうか?
家族の中に身障者手帳を持つ人がいれば、その家で使用する
自動車の一台は『取得税』と『年間自動車税』の支払いが
免除されるという制度です。
たとえば一般的な2000ccクラスの乗用車であれば、購入時
約10万円近くの取得税。そしてその後は毎年39500円の
自動車税が免除されます。
ところが中にはこの制度を知らないで、払わなくてもいい
税金を納めている家庭もあるのです。
もちろんこれは各家庭が申請することであり、基本的には
セールスマンには関係のないことです。
しかし、そうは言っても放っておけないのが田舎者の性。
「え、知らないの?じゃあ俺が申請しといてやるよ」と
役所と県税事務所を駆け回ることになります。
はっきり言ってタダ働きですけど、感謝された時は本当に
嬉しいもの。
ところが・・・
とある家で商談中、その家庭が減免に該当することを知った
私は、当然『減免登録』を提案しました。
それを知らなかったその家の人は『それは助かる』と
喜びました。なにしろ日頃の介護で出費がかさんでいます
から。
しかし、当人の口から飛び出た言葉は「バカにするな!」
・・・え?いや、こういう制度があるから・・・
「余計なお世話だ!」
はあ・・・俺、帰りますね・・・
後で謝りに来た家族の話だと、彼は減免制度を知っていた
そうです。知っていながら税金を払っていたのです。
なぜ減免について黙っていたのかは、彼の心の中に閉ざされた
ままなのですが、彼の母親がポツリと言った通りなのかも
知れません。
「あの子は意地っぱりでね。もしかすると税金を払わなくて
いいよというのがバカにされたと思ったのかもねぇ」
意地っ張り・・・
後日、彼は「福祉なんかいらない」と言ったそうです。
つまり私の良かれと思った行為は、彼にとっては『差別』
そのものだったという訳です。
もちろん多くの人が減免を受け入れています。
しかし、あえて拒否する人も多くいるようです。
拒否する人にとっては、福祉という言葉自体が忌々しい
のかも知れません。
『健常者』の私にはわかりませんが・・・
********
私がアイヌ新法の存在に疑問を持つのは、この体験が元に
なっています。
(何を言っているのかワケが分からないという方は
この記事を無視すればよろしい)
http://moon.gaiax.com/home/ritsurinkan/
<<マイノリティかマジョリティか、マイノリティであるなら、どのようなマイノリティか、
について、明言することが望まれる。>>
そうですか。
こんなことを<<自身の政治的立場・・・>>というのであれば、ことは、簡単。
(1)世界人口のどれをとっても、マイノリティーである。そして、世界人口のどれを
とってもマジョリティーである。私は、当然のことながら、政治的にも現実的にも
どちらでもある。どちらとしても生きている。
(2)<<どのようなマイノリティか、について、明言することが望まれる。>>
に関しては、カミングアウトを誰にでも強制する絶大なる無神経な大暴力に大反対である
という私の立場は竹を割ったように政治的にクリアである。レイプされた人間に
どこに行っても大衆の前で裸で歩けと強制するような行為には、断固として反対である。
すべての人権が吸い上げら荒野をさまよっている人間に、吹雪の中で服を来ている自由
まで取り上げるような行為をよく平然と出来るものだ。
(投稿に時差が・・・・)
私は海外在住者を「金持ちクラブ」として扱ってはおりません。
どこにそのようなくだりがありますか?
「金持ちクラブ」に類する人々の移住者は当然移住者の中にはいて、
その中には、植民地に住むエマニエルが如く構えている人もいるので、
そういう人達は、いくら海外で少数者と言えども、マイノリティにはならんだろうなぁ、とい事です。
またおなじ「移住者」に位置するであるブラジル移民の方々の労苦は、よく判っているつもりです。
近所に失敗して戻ってきた人とか、成功した人の子供とかが住んでますからね。
このヘンは、そういう人達が多いのですよ。
ですが中には、海外工場に赴任する人などで、半ば植民地的な発想の持ち主の人もいない訳ではありませんしね。
さて、自身の政治的立場を明確に出来ないなら、以後発言は控えるという事ですね。
それは当然のことです。 自身の言葉は、なにとぞ守られますよう。
<<介入するのは寄るされぬ話しです。>>
それなら、書き込みはやめましょう。
それに、海外在住者を「金持ちクラブ」として捉えるエサマンもかなり現実音痴と見えます。
貧しさのあまり日本で生活できずに、船で海外に渡っていった少なからぬ日系移民らは、
今日本にいる外国人労働者との共通項を多く抱えていたのは、そんなに古い歴史のことでは
ありません。過酷な生活を耐え抜いてきたわけです。誘拐されるようにして戦争花嫁として
海を渡った途端に捨てられた日本人女性も数知れず。そうした人々の子息は海外に渡ったことを
自分で選択したわけでもないのに、移住先では厳しい民族差別を代々受け、日本に帰れば
「外もの」として扱われ、二重の差別に直面し、居場所に困る。確かにアイヌとは歴史は大きく
異なるし、アイヌの権利を大切に主張するのは自由ですが、だからといって、数多くいる
こうした他の日本人の存在までを無とし、エサマン自身が彼らを殺戮しいるようでは、あなたの
発言の説得性も薄れますね。でも、そういう人の数は少ないといいますか?そうすれば、
マイノリティー無視を堂々とすることになるわけです。そういう者の存在すら気に留めぬ
どころか、ひとくくりに「贅沢クラブ扱い」するエサマンだって、いわば、堂々たる
「殺戮者」に他ならないのでしょう。そういう「意味」で殺戮という言葉を使っているので
あれば。
なお、私は黒羽さんの言いたいことは、少し冷静に耳を傾けて聞いてみる価値があると思います。
頭に血が上る気持ちはわからなくもないですが、話の途中では、なんとも判断できません。
彼の表現も、エサマンの使う殺戮のような比喩なのかもしれませんし。
程度や文脈が違うにしても。
匿名でいられるのも、そこまで。
名を名乗れたい。
また、これ以上発言を続けるなら、自身の政治的立場を明言されれたい。
あんたは、和人か?
住んでいる場所、流れている血、学んだ言葉、それらはこの場合全く関係が無いぞ。
いま話しの中心に居るストネコ、DOTTI、レン、各人は、
少なくとも明確に和人であり、日本国内のある一定の場所に定住していることを公言している。
いま話しを続けている話題において、和人かアイヌか、どちらでもないのなら、
マイノリティかマジョリティか、マイノリティであるなら、どのようなマイノリティか、
について、明言することが望まれる。
何故かというと、ストネコ、DOTTI、レン、各人は、この話題に関して明言が必要な自身の政治的立場が、
当人の自覚の甘さは別として、とりあえずは明確になっているから。
この話題に関して、それらの政治的立場を隠蔽、あるいは歪曲、あるいは詐称、あるいは曖昧にしたまま発言し介入するという事は、射程外からのただの一方的な攻撃になりえます。
またあなたは、アングロサクソンでも中国系シンガポーリアンでもないのでしょうから、
彼らの立場を代弁する前に、まず自身の立場を明言下さい。
人を批判する前に、この話しの中において、自身の立場は何処か、御明言下さい。
正体不明で思わせぶりなのは、お止めになりますよう。
自身の政治的立場を語らず、介入するのは寄るされぬ話しです。
また、独り言は慎まれますよう。
つづき
DOTTIさん、私は具体的にストネコさん宛てに書き、ストネコさんの文を引用して反論を
付けたわけで、その結果として彼がみっともないほどに自己陶酔的であるという印象を私が
得ていると言ったわけで、DOTTIさんが自己陶酔的だと言った覚えは「全くない」の
ですが・・・。
大変失礼ですが、微妙な話題ではありますが、何でもかんでも自分のことを言われていると
思われるのは、少しばかり自意識過剰ではないかという気が致します。裏を返せば、きっと
大変に繊細で心優しい、真面目なお方なのだと思いますし、そのお気持ちは読者には十分に
伝わっていると思います。
アイヌのことに限りませんが、温度差をなくすことよりも、とりあえずは温度差の中で生きる
勇気を持たれてはいかがでしょう。本当にご関心があるのであればの話ですが、アイヌのことに
限らず、温度差の中で生きることのない人間にその温度差を伝えきれるとは、私には、どうも
思えないのです。そうされるのであれば、それは、生易しいことではありませんので、温度差に
対応出来るような防具を時には自分の心に被せてあげて下さい。それをはずせる時とそうで
ない時との調整を上手くしていくことも、温度差の激しい中で生きていく上で大切なことと
存じます。うまく言えませんが。掲示板程度の一言一言で傷つかれていては、そんな一言一言を
毎分毎秒我慢しながら生き続けている人間のことなど、わかるわけないですし、ましてや、
伝えることなど、無理に近いでしょう。
あと、私宛てにDOTTIさんが投稿された中で、「和人=殺戮者」に関する発言に触れられて
いますが、前回の投稿で、殺戮者について、この私は「どこにも」「ひとことも」書いた覚えは
ないのですが!????
諸発言を混同されてはいないでしょうか。
私はエサマンとは多くの点で意見を異にしています。しかし、そうした立場の者があえて
リスクをとりながら書かざるを得なかった投稿として、もう一度、冷静な頭で「本質」に関する
私の投稿を読んではいただけませんか。
民族差別や障害者差別などと、その他の差別を区別されようとしているDOTTIさんならば、
きっと、努力で克服できるようなものとはちがう、その人が個人の努力によっては、なかなか
変えられない「生まれながらの特質」によって、意味もなく行われる差別があることが、
おわかりになると思います。
黒人は白人に、白人は黒人に、努力したところでなれるものではないのです。(必ずしも血統の
ことを言っているのではありません。)壁はあります。そして、社会が白人だけに権利を与えて
いるのであれば、差別解消の方策としてあげられるのは、黒人が白人になること(変えられない
こと)ではなく、同じ地に住む限り、「変えられる」要素としての「意識・制度・構造」の面で
対応することです。
それを、ストネコさんは、「甘え」と呼ばれているようなので、同等な背景を持たない
民族同士が共に暮らす多民族社会のあり方と照らし合わせて、それを「甘え」と呼ぶ由縁を
説明され、さらに対案があるのならば、提示されてこそ、初めて彼の大それた発言に説得力が
出るというものです。そうでなければ、誰にでも言える戯言として、私はトイレにでも流して
おきましょう。
空洞なだけの大胆発言ならば、それは、やはり、みっともないというのは単に私の美意識です。
それに、独善的な感覚と極まりない非現実性が感じ取れる場合、やはり、それは自己陶酔や
一人よがりだと思います。
もちろん、「新法などいらないとか、愚かな民族は滅びて当然」という思考を持たれること
自体はストネコさん本人の勝手です。前にも「愚かな民族は滅びて当然だから無駄な抵抗を
してどうする」と言った女性がいました。ストネコさんと仲良しのようです。
そういった人達だから、同じ論理を当てはめて、きっと、「愚かな日本人は彼らから原爆を
投下されて当然だった、アングロサクソンの決断は正しかった」などと言い出すの
でしょうか。
・・・それなら、アングロサクソンにいいように扱われて、「アチョー」とか言って、媚びを
使ってしまうのも、わからなくはないです。この場合、自らを貶めている訳です。ただ、
そんな風に扱われるのでは、まるで「猿回しをされる猿」のようです。
なお、黒人白人は飽くまでもここで便宜的に使った比喩であります。
ようnama、ちょい待てぇ、俺の親父は驚くべきことに戦争従軍者だから、俺は人殺しの子供だぞ。
別に好きで行ったわけではなかろうし、何をしたのかもしらないし、案外、何処かで穴か何か掘っただけでヒトゴロシしていないのかもしないけれど、徴兵に抵抗できる人間なんて聞いたことないよなぁ、日本人でもないし。
それに比べたら、俺達は和人で、アイヌを侵略して、いまも抑圧している。
と認めるのの何処が難しいのだろう?
よほど自分だけは傷つきたくないと見える。
そういう軟弱な奴が、被差別者の存在を受け止めれるか疑問だな。
子供のため、と言うなら、なおさら自身が構造上の殺戮者である事実を認めるべきだろうに。
さて、そんな話しは置いといて、
子供の名誉の為に、というのは、体のいい逃げ口上ですよね。
実際、何の関係もないし。
大陸で中国人の首を切ってよろこんだ日本のヘイタイも、きっと家庭ではいい父親だったのでしょうしね。
だって、彼も子供の未来の為にしっかりがんばったわけですから。
いつまでたったら判るのやら。
アイヌと和人の関係、というか、多数者でいること、少数者である事を、
それぞれの自分の立場を無視して理解したり人に教えたり、出きるわけが無い。
というか、ただの聞いた話とか、遠くいで起こっている話としてなら、
一応話しを出きるだろうが、それってつまり、当事者のくせに、
自分を事件の外にいると思いこんでいるだけなので、実際は何も理解できないでしょうね。
例え今、自身の手でアイヌの首を切り落としていても。
これは、自分をアイヌを今も抑圧している和人だと理解したくない和人、
アイヌに寄ってくるのは、実は自分だけは差別者でないという保証が欲しいだけの和人、
だけでなく、
自信は差別されていないと信じたいアイヌ、実は自分は和人だと思いたいアイヌ、
に向かっても言っているのですよ。
・・・そろそろ、アイヌを否定するアイヌ、
「アンクル・アイヌ」に出てきて欲しいのですが、どうなんでしょうか?
「アイヌに関わる話しをするなら、和人は和人として、アイヌはアイヌとしての立場を明言すべし」
随分前からしつこく書いているのですが、この意味を理解している人は、あまりいないようですね。
和人だけでなく、アイヌにも。
もっとも、自分だけは和人でない、自分だけはアイヌでない、と思っていては、わかりようも無いでしょうが。
何度もいいますが、ただの呼び変えで、的とはすなわち殺戮者という事です。
投稿する間もなく話が進んでいるので、かなり戻ってしまいますが・・・
ぇえ!?DOTTIさん、男性だったんですか!?しかもご年配の方だとは????
お若いお母様だと思っていました。勘違いを招くような発言のあったことをお詫び申し上げます。
しかし、DOTTIさんとストネコさんの差別に関するご発言内容と立場は大事な点において、
互いに異なっているように感じます。私はDOTTIさんの方のご発言には共感するところが
少なからずあります。
一方、ストネコさんの発言に対する私のコメントは、表現方法も含めて一つも訂正するつもりは
ありません。「いったいなにを考えているのですか、貴方たちアイヌは」に象徴される、彼の
思い上がったような発言はあのままでは自己陶酔的だと感じるのは、正直なところであり、
その理由も説明しましたので、前掲の私の投稿は、れんさんの指摘とは逆に、彼の発言「内容」
を無視してとっさに出てきたものではありません。
また、あまりの陳腐な「アチョー」発言に「呆れ返っている」アングロサクソンらが前掲のよう
に反応したのも、単なる事実であり、私の文のものの言い回しなどという、おままごとレベルの
問題ではありません。アングロサクソンであるからというだけで、醜いバカのように扱われて、
怒る気にもならず、皮肉る彼らの心境がそのまま現れた反応でした。中国系シンガポーリアンも
その場にいましたが、彼も同様に反応していました。
「アチョー」だなんて、子供だましで日本の味方が増えるだなんて、「40歳近いオジサン
(ストネコさん談)」が本気で思っていらっしゃるのなら、おめでたいとしか言いようがありま
せん。あまりに非現実的かつ社会知らずで、良識ある外国人には相手にされないでしょう。
こういう「言い方」をすると、また相手を貶めるために書いているとの反応が来るかもしれませ
んが、見当違いですよ、れんさん。ストネコさんの「アチョー」発言や「イエローモンキー」
発言を不快に感じた外国人らが、「あんな人相手にもしない」との反応を示したのは単なる事実。
上記は貶めるための発言ではなく、貶められた者が、これ以上貶められないようにするための
抵抗ですよ。われわれを蔑む者など相手にしないという名の抵抗が、わかりませんか。これ以上
の侵害を防御するための行動ですよ。
「アチョー」のような、日本に対する陳腐で軽率なイメージが国際社会において日本「理解」の
名の上に広まることこそ、単なる「誤解」を招き、そして、それに基づく「日本人差別」を拡大
する要因となるだけです。アイヌに対する奇妙なイメージが一人歩きする原因をあえてつくるよ
うな行為と似ているのかもしれません。Namaくんに同感です。
れんさん、「イエローモンキー」という言葉の重み・痛みがさっぱりわからずに無神経な「暴言」
を吐き続けた人間よりも、逆に、それら一連の発言に対して疑問を投げかけた人間に対して、
「咄嗟に出てきた暴言」であると言っているのであれば、その無神経さはどこから来るの
でしょう?分別のつかない者の発言のように感じます。
たとえ米国国籍を持っていてもイエローモンキーのレッテルを貼られ、戦中強制収容された日本
人、そして、その子息が今でも日常的な差別の中で生きていることが、現実として受け止められ
ないのでしょうね。イエローモンキーという言葉を書くのにも抵抗があり、あえて、その言葉を
使わずに説明を行った投稿だということまで読み取れないのは当然だとしても、その「内容」に
関して少しもコメントすらせずに「暴言」であるとかなんとかおっしゃって、それこそ勝手な
「暴言」を吐いているのは、れんさん、当のあなた自身ではないでしょうか。
言葉使いをお説教されたくなる気持ちもわかりますが、あまりに軽薄に感じます。(あなたの
ご投稿が私の発言に向けられたものであったのならばの話ですが、タイミングからしてそうなの
であると受け止めました。)ヒトトナリがわかるだなどと、judgemental になられる独善的な
方は、まだまだ人生経験が浅いことを自ら暴露しているようなものです。
つづく
Esamanさんへ
DOTTIさんが
>二つのうちどちらかを選べと言われるなら・・・
>「殺戮者呼ばわり」される事を受け入れるよりは
>「敵呼ばわり」される方を選
ぶのは当たり前です。
「お父さんはね、人殺しなんだ。
お前は人殺しの息子なんだよ。」
などという親子のふれあいは
あまりに微笑ましくなさすぎるじゃないですか。
父親の心を無視してでも伝えたいことが
あったということなのでしょうけれど、
えさまんさんには親心がわからなかったらしい、
などと思ったりもします。
まぁ子どもがいねぇならわかんねぇよなぁ(差別的発言)
こちらは冗談ですが。
ストネコさんへ
「クジラを食べる野蛮人」というイメージと
「どいつもこいつも空手やってる」というイメージを
同列に並べられるのはちょっと心外でした。
自分と自分の子らの名誉のため、とのことですが
名誉ってそんなに大層なものでしょうか?
あと、DOTTIさんは何かというと
「子供に教えるために自分が調べている」というようなことを
おっしゃっていたように思います。
DOTTIさんのお子さんが幾つくらいなのか知りませんが
私はこういったことは親から教えてもらうこと、教えてもらえることだとは
あまり思っていません。悪く云えば親は信用できない。
「子供に教えることが出来る」と思っているのも大人の都合なのかもしれません。
DOTTIさんにとってはきっかけを作ってもらったことで逆に
お子さんに教えてもらった世界なのでしょうか。
敵の庭先をうろつくのは全く問題が無いのでは。
もしEsaman氏の敵が出入り禁止なんて事態にになったら
ここの人口はかなり減ってしまうことでしょう。
> なにもここsampeに来る人のすべてが、和人というわけじゃないですよね。
>中国人であるとか、アメリカ人であるとか、不特定多数の人が覗いてはりますよね。
> そういう方々は、アイヌから見てどんな立場の人々ということになりますか?
> 和人は、殺戮者ですが。
現実的には、中国いる和人とか、アメリカにいる和人、というのが多いんでないでしょうか?
実際、全て日本語ですし、日本語をかなり理解していないとわからん微妙な話しがおおいですし、
英語の検索エンジンには殆ど登録されていないと思いますので。
そういう日本人がどういう立場にいるのかは、まずその人が考えることですね。
アイヌと和人、というのは、つまりはマジョリティとマイノリティ、という意味ですので。
案外問題なく読めるかもしれません。
外国にいて少数であるというは、この話しの中においては、
政治的にマイノリティとして、別に好き好んで外国に移住したわけでもないのに、
長期に同化政策を受けているアイヌとはかなり問題の根が違うかもしれません。
一過的にマイノリティ、という言い方が出きるかもしれません。
その人が外国にいる理由にもよるでしょうが、
職が無いとかが理由で、肉体労働者をしにわざわざ海外に行く和人というのも、
かなり珍しい人だと思いますので(これは日本国内にいるブラジル・インド・パキスタン・バングラディシュ・イランの人などを想定しています、彼らのうちある程度は、出きれば日本に定住したいと考えている、つまり出稼ぎではなく移住者になります)、
どっちかというと所得がある人が、仕事の都合か自分の意志かで、外国にいる場合、
それはアイヌのような存在に比べると、マイノリティというよりは、ただの一時的な旅行者の延長なのかもしれません。
(これは、いつか帰ってくるという前提がある場合でして、そうでないばあいは微妙です、
ですが、高所得層というのは、自身がマイノリティ的立場にあっても、意外とマジョリティのつもりで振舞ったりしがちです
・・・というか、そういう人の場合、海外に行く理由そのものが植民地的だったりして困るのですが。
また、彼らの子供はまた微妙ですが、アイヌとはまた別です)
ですが、私もあなたも、とりあえずはそういう位置にいるわけでもなく、
そういう微妙な位置にいる人が、自身がどの位置にいるか、と考えるのはあくまでその人意外はいない訳でして(これは、個々の事例の変化が大きいからというのもある)、
そういう詮索は、実はよけいなお世話かもしれません。
そんなことはいいとして、あなたは、和人ですか?
そして、和人というのはどういう事を意味するですか?
アイヌはアイヌとしての立場の意味を、
和人は和人としての立場の意味を、それぞれよく考えねばなりません。
和人であったならば、自身に子供がいようがアイヌの友人がいようが、その立場の意味には何の関係がないのですよ。
誰かのためにではなく、まず自分が和人として、アイヌとして、どんな立場にいるのかお考え下さい。
とりあえず、国内にいるマイノリティではない日本人と、
海外にいても、いずれ帰ってくることを前提と考えている日本人は、まず和人かと思います。
この場合のマイノリティというのは、在日朝鮮韓国人やウチナー、出稼ぎや旅としてではなく、かなりの定住意志を持っている外国人労働者、
「障害者」として一括りにされている多様な人々、などが含まれると思います。
マイナー趣味やアングラ趣味、あるいは、「私ってヘン」などは、ただの「マイノリティ趣味」だと思いますが。
>レンさんの投稿からは、そういった衣装を着て差別体験をすることで、
>和人も被差別者のような経験が出きるというように読めてしまうのですが、そうではないですよ
>ね?
そうではないです。
>何も考えていない和人がアイヌを差別しているのは、別に北海道の侵略とは関係なく、
>ただの現在進行形の差別です。
>先祖がさうだからだけでなく、いま現在、殺戮者なんですよ。
(中略いたしました)
>マジョリティである和人は、北海道開拓の当時だけでなく、現在も尚、
>無知で無理解である事により、アイヌを大変暴力的に犯しているのですよ。
広義での「殺戮者」ということでしたら、わたしの発言は的外れでしたね。
あと、これ、ちょっと聞いてみたいことなんですが・・・
なにもここsampeに来る人のすべてが、和人というわけじゃないですよね。
中国人であるとか、アメリカ人であるとか、不特定多数の人が覗いてはりますよね。
そういう方々は、アイヌから見てどんな立場の人々ということになりますか?
和人は、殺戮者ですが。
なんだがサンペの調子が変なので、この文章が投稿できるかどうか不明です。
また、ストネコ氏も、CPUの不調か掲示板自体の不調不明ですが、投稿できないようです。
レンさんの
>その「いつでも脱げる」民族衣装だっても、差別の対象にされてるんですよね。
については、どうも違和感を感じます。
仮にチマチョゴリを来ているわ人が差別されたとしたら、それは「民族衣装差別」ではなくて、
やはり「民族差別」なのですよ。
民族衣装というのはただの記号でして、その記号の意味する韓人であるという事実は脱げませんが。
ただ民族衣装を着ている和人は脱いでしまえば、それでもう差別されませんし、韓人ではありません。
レンさんの投稿からは、そういった衣装を着て差別体験をすることで、
和人も被差別者のような経験が出きるというように読めてしまうのですが、そうではないですよね?
また
>たとえば、アイヌに対して和人が、その土地を侵略し非道の限りを尽くした
>ことは事実ですね。たしかに、時代的に見ればそれは過去のことであって、
>現在「殺戮者の和人」と呼ばれることに抵抗はあるでしょう。
とありますが、何を言っているのでしょうか?
何も考えていない和人がアイヌを差別しているのは、別に北海道の侵略とは関係なく、
ただの現在進行形の差別です。
先祖がさうだからだけでなく、いま現在、殺戮者なんですよ。
それは、ポシェット一つで人間扱いしないことだけではなく、
そういった経験を「いじめ」であって差別でないといいきって相手にしないことや、
「そういうものだから」と忍従を強いる行為自体も含まれます。
また、「アイヌは○○というものだ」と勝手に定義付けることや、
「アイヌは滅んだ」とか、侵略しておいて「国を作れないアイヌは甘えている」アイヌを目の前にしていい放つことも含まれます。
マジョリティである和人は、北海道開拓の当時だけでなく、現在も尚、
無知で無理解である事により、アイヌを大変暴力的に犯しているのですよ。
時には、そんな「理解ある和人」が跳梁跋扈することによって、
「アイヌとはそういう扱いを受けるもの、滅んだんだ、だから文句を言ってはいけない」と、
事実アイヌでありながら、意味不明のことを口走るアイヌも出て来たりします。
アイヌを人事のように捉える彼は和人なんでしょうか? それて和人になれれば幸せでしょうが。
そういう彼も、マジョリティである和人の、都合の良いアイヌ像の押し付けの被害者ですがね。
その事実を、自身の心で受け入れられるかどうかが、
アイヌ、というかマジョリティである和人が、マイノリティであるアイヌと協働できるかという瀬戸際です。
自身が殺戮者の立場にいる事を受け入れたくない和人は、結局のところ、
アイヌのおかれている現実を、遠い対岸の火事とししか捕らえることが出来ません。
事実抑圧しているにも関わらず、その事実を受け入れないのは、ただの現実逃避、
「消極的な殺戮」であります。
自分も無知である事によって踏みつける可能性があるのではなく、事実踏みつけているのです。
そして、いつまでも無知でいたい、そうすれば、自分は殺戮者でないと信じられる。
DOTTIさん、ここに至って本音がででしまいましたね。
「敵」である事と「殺戮者」であることに、一体なんの違いがあるのですか?
ただの言葉の違いで、我々からすれば同じ存在でしょうに。
その呼び変えであなたが否定したいのは、
自身が構造的に少数者を抑圧している多数者であるという事実そのものでしょう。
自分が多数者である和人である事、そしてそれがどういう存在であるかを受け入れられない人が、
アイヌのことを理解できると思いますか?
多数者(和人)と少数者(アイヌ)の差別の話しをするのに、自分は差別者でも被差別者でもない?
そんなことが、出きるわけないでしょう。
所詮は、自分達のいる世界とは違う、何処か遠いところで起こっている、
珍しい話しとしてお子さんに教えたかったのですか?
そうではないと期待していますが、
いまのように幼稚な言葉の言い換えで自身の姿を見ることを避けているのは、
結果として、そういう事になってしまうと思うのですが。
>レンさんよ、たまたまアイヌ差別を受けたからって、
>和人がチマチョゴリを来て、たまたまバカに差別されたからって、
>「被差別者」としての我々の気持ちを理解することなど出来ないのですよ。
>だって、民族衣装などいつでも脱げるし、本当にアイヌでも韓国・朝鮮人でもない訳ですから
>ね。
その「いつでも脱げる」民族衣装だっても、差別の対象にされてるんですよね。
わたしの地元は、朝鮮学校に通う人たちも多く、チマ・チョゴリについて書いたのは
それを踏まえた上でのことです。(並列させて書いたのはわたしのミスでした。)
>だからってそんなものと、重大な民族差別を一緒にしてしまっては困りますな。
>ひょっとして、あなた、ヒショのした経験程度で、「民族差別の被差別者」に簡単になれるとお思
>いかな?
>だとしたら、とんでもないおめでたさだが。
一緒になんてしてないでしょう?
衣装一つをとっても差別されるというほど、問題が深刻ということです。
アイヌに連なるすべてが、差別されているということです。
「DOTTI さん、やっぱりまだわかっていないのですね。」との事ですが
確かに、まだわかっていないです。被差別体験が有る人と無い人では、同じ文面を
読んでも理解度が違うと思います。私はまだここにお邪魔させて頂いてから
日も浅く、たとえて言うなら「曇りガラスを指でこすって」その中を垣間見たぐらいでしょう。
Esamanさんが私の書きこみやレスに対して「イライラしながらも辛抱強く」対応して
くれている事は私にも良くわかります。本当にありがとうございます。
さて「何者か?」との質問にお答えしようと思います。
”私は日本に生まれ、子育て中の日本人」です。”
そうして、Esamanさんの下の書きこみや、れんさんの言う
「現在殺戮や差別をしていないと断言できたとしても、これから先、
絶対に差別をしないとは言いきれないのです」を何度も読み返して見ましたが
やはり私は自分と自分の子らの名誉の為、「殺戮者」と呼ばれる事を受け入れる事は出来ません。
「殺される側か、殺す側か。←(殺戮者側か被殺戮者側か。と読みました。)
どちらでもない? どっちにも参加したくない? もう見たくも無いか?
ならば、残念だが我々の敵だ」
二つのうちどちらかを選べと言われるならば
私は「殺戮者呼ばわり」される事を受け入れるよりは「敵呼ばわり」される方を選びます。
敵といわれる以上、今までのようにお邪魔して書きこみ等は出来ないと思いますので
今日まで、無知な和人のたわ言に親切に対応して頂いた皆さんに、ここで深く御礼申し上げます。
ただ、Esamanさんをはじめ常連の方たちが許してくれるのならば
ROMと言う形で、もう少し皆さんの話しを聞いて更に知識などを深めたいとは思いますが、
二度と来る必要が無いと言われるのならば「お気に入り」からも外します。
最後に、今日まで教えていただいた事は決して無駄にはしないよう更に他のサイト等にも
お邪魔させていただき、差別について理解をより深めて行こうと考えています。
それでは皆様、もう一度、本当にありがとう御座いました。m(__)m
ヒショは、和人として偶然にも「アイヌ差別」を受けただけで、アイヌではない。
そして、この現象は「アイヌ衣装差別」ではなく、「アイヌ差別」です。
たまたまポシェットの模様一つだけだった、というだけでして、
この差別の理由が顔や名前、ただの噂だったりするわけです。
アイヌでないものは、ポシェットを隠せば安心でしょうが、
アイヌだったらどうなるでしょうか?
あのような扱いを受けて、ヒショはさぞショックだっだでしょう。
これは、彼女が一般の社会においても、たとえアイヌでなくとも、
弱者と位置付けられていることの証明でもあるのですから。
でも、これで彼女が本当にアイヌだったら?
顔がそう見えなくとも、アイヌはアイヌですからね。
まして、顔がそうだったら?
隠す事など到底出来ないのですよ、まして、人事のように「理解」する事もね。
レンさんよ、たまたまアイヌ差別を受けたからって、
和人がチマチョゴリを来て、たまたまバカに差別されたからって、
「被差別者」としての我々の気持ちを理解することなど出来ないのですよ。
だって、民族衣装などいつでも脱げるし、本当にアイヌでも韓国・朝鮮人でもない訳ですからね。
アイヌやあらゆるマイノリティだって、人間ですから、ささいな差別はしますよ、日常茶飯事だ。
だからってそんなものと、重大な民族差別を一緒にしてしまっては困りますな。
ひょっとして、あなた、ヒショのした経験程度で、「民族差別の被差別者」に簡単になれるとお思いかな?
だとしたら、とんでもないおめでたさだが。