差別と呼ばれるモノで、一番最初に出来たのは
女性差別。アイヌ差別も、南に下るほど聞いたことが
無い。これは、ホントの話し。
「アイヌ人を差別する」って事すら知らない人間が
多いのも事実。さて、ラウネナイ(深い川)は
アイヌと和人のどちらに、深く刻まれているモノか
考えれば自ずと結論は出る。
しかし、ここは何でもありの掲示板とは言え
「アイヌと和人の接点」として始まったと聞くが
「痴漢」と「被害者」の話しをする為のカキコ
じゃ興ざめして成らない。
結論から言えば、「人間は平等ではない。」
人には、上も下もあるわけだ。
差別うんぬんが言えるのは、有る意味ゆとりがある
証拠だといえる。
少しアクセスしない間に、ここも随分変わってしまったモノだ。
心にゆとりと優しさが無ければ、コンセプトを見直しても
あまり意味がないのは、理解されていると思うが・・・
カウントの数に、見合った討論を期待する。
Esaman wrote:
>そもそもレンさんよ、痴漢相手に女の子が「嫌だと伝える」事なんて簡単に出来るのですか?
>満員電車ではそこらじゅうに痴漢がいて動けないし、
>夜中に通りすがりになにかしてくる痴漢ってのは、突然襲って逃げるだけでしょうよ、
>正面から文句を相手にまともに言える状況では、そもそも痴漢は起こりにくいのではないでしょ
>うか?
だから、「それを、その痴漢につたえたとする」と、仮定形で書いておりますよ。
仮に痴漢を警察に突き出すことができて、被害者の言い分を言ったとする。
それを聞いて、痴漢はなんと答えるか?
実際は、そんな問答の場すらないかもしれませんね。
バカもほどほどにして欲しいもの。
掲示板の許容量にも限りがあるので、単純に邪魔だ。
>小田切は「そりゃ社会問題の一つだ」と 取り合わない。
社会モンダイだと、取り合わなくて良いの?
あんた、何様だ?
>女性が問題提起をすると、それは『直接提起』なのか、『間接提起』なのか、『婉曲提起』なのか
>具体的に言って呉れないので 男は混ん絡かる。
以前女性差別丸出しの書きこみをしていた時も、他事で面倒な上に、
言っていることがあまりにも薄っぺらかったので、何も書かなかったがね、
これって、女性差別だよな?
それに以前にあった、女は結婚するかしないかで道が分かれる云々という書きこみ、
つまりは、女性差別だ。
結婚って、そもそも男女で一組でするものだろう。
最近は男女以外の組み合わせもあろうが、それだって対等に人間ず二人でするものだと言う事に変わりは無い。
なのに、「結婚」に関して、影響があるのは女だけだとは、一体その話しの中の女は誰と結婚しているのか?
男は結婚しても「どうという事はない」のか?
それってつまり、結婚しても男にとっては女中が増えるだけという忌みになるのでは?
このモンダイについては、実はだいぶ以前にnama君がミンタラで指摘していた。
被差別人種と差別人種の混血児には、それぞれ独自の呼び名が有る。
A(支配民族)&b(被支配民族)は○×○ A(支配民族)&d(被支配民族)は×○○
だが、支配民族同志の混血には呼称が無い。
何故か?
階層的に支配し奴隷化する為に、分類して呼び分けているのだよ。
それくらいわからんか?
多分魔が差すことは沢山あっても、触るまではしないと思うEsamanです。
なんか、相手に嫌がられてするのは嫌ですよねぇ。
でも、見えてしまうものは覗きこむと思うので、私も立派な痴漢ですねぇ。
そもそもレンさんよ、痴漢相手に女の子が「嫌だと伝える」事なんて簡単に出来るのですか?
満員電車ではそこらじゅうに痴漢がいて動けないし、
夜中に通りすがりになにかしてくる痴漢ってのは、突然襲って逃げるだけでしょうよ、
正面から文句を相手にまともに言える状況では、そもそも痴漢は起こりにくいのではないでしょうか?
私が話しの焦点にしているのは、そういった女の人を圧殺するような状況を作っているのは、
無自覚な男全員だという話です(男社会に変に迎合する女もはいるかも、あまり聞かんが)。
ですから、個人で自分は痴漢ではないとタカを括っても、男である以上、痴漢の発生構造の一部、
つまり痴漢に関する責任が幾ばくかあるという事です。
それを認めたがらない奴、つまりは自分が痴漢でないとタカを括って素朴な疑問などグチャグチャ書ける奴こそ、自分で判っていないといえども痴漢そのものという事ですな。
痴漢されたら、女の子は「イヤだ」と思う。
それを、その痴漢に伝えたとする。
そしたら、その痴漢はなんと答えるでしょか?
1.「ごめんなさい。もう似度としません」
2.「ごめんなさい。魔が差したんだ」(→また魔が差すこともあるでしょう)
3.「魔が差したんだ、悪気があったわけじゃない」(→だから、なに?)
4.「悪気があったわけじゃないんだから、いいじゃないか」(→開き直りですかい)
5.「いいじゃないか、痴漢くらい」(→ほとんど逆ギレ?)
6.「痴漢なんて、相手の嫌がるとこを見るのが気持ちいいんだよ」
・・・つづく
痴漢にもそれぞれいるのでしょう。
悪質さにも、レベルはあるかもしれません。
だからといって、「俺は軽度の痴漢だから〜」とか、思わないでください。
やられたほうは、「やられた」という事実のみがあって、その記憶を頭から
消し去ることはできないのです。
個人レベルで痴漢を考えても、解決できない、謝罪もない、反省もない、
ということはあります。それを、社会構造の一部として、ひっくるめて
考えても、答えは出ないと思いますが。ひっくるめて考えるからこそ、
答えが出るということも有り得るのでしょうか?
精神分析の統計をとっても、それは統計でしかないし、
心理を解析したとしても、だからそれからどうするの?という感じです。
痴漢の全員が全員、カウンセリングを受けるわけではないでしょ?
nama(チンピラもどき)よう、
刺し違えてでも戦わなきゃいけない時、確かにある。
でも、スケボー野郎が道を塞いでいる程度だったら、まぁ、ほっといてもええんじゃないかと思う。
もっとも、ソ奴らのせいで車椅子な人とかご老人とかが迷惑しているなら、死んでも戦え。
大丈夫だ、そういう連中はたいして強かないから相手にしても死なないし、
見てみぬ振りして、相手の聞こえないところで陰口叩くような奴になるよかマシだ、
そういうのは、つまりは道を塞いでいるのと大差ない。
でも実際、車椅子な人が来たら、同じ車輪の民のスケボ野郎も案外素直にどくかもしれんがなぁ。
そこは判らんわな。
大事なのは、結構深刻に迷惑している人達がいて、彼らが声を上げれる状況かどうかだ。
困っている奴らが自身で声が上げられるなら、出すぎたことはしないほうがいい。
仮にスケボ野郎が5人で道を塞いでいるとして、
何十人という歩き回る人間がうろうろしていても文句をヒトツもいわないのなら、
何も君が無理して立ちあがることは無い。
多分、そのスケボ野郎はたいして邪魔でないのさ、
第一、沢山居る側のほうが文句もいいやすいはずだしな。 多数者の臆病者は放っとけばいい。
しかしだ、そういった無関心の人の山に、スケボ野郎のせいで困ってそうな奴が混じっていたら、
(ただ単にスケボが嫌いな奴や、人に文句をつけたいだけのオバハンとかは除く)
そういうマイノリティは多分声を上げる力が低いだろうから、そいつの視点に立って見ろ。
全然気にしてないようなら放っといて良いし、自分で文句を言うような元気のある奴だったら、
これも多分放っといていい。
そういう時は、喧嘩にでもなったときには素早く加勢できるように、黙って後ろで見てろ。
しかし、相手のせいでにっちもさっちもいかないのに、声を上げられなさそうなら、
おまえが戦え。
そのさい、そいつのためではなく、自分の為に戦え。
「なんか知らんが助かった」と思われても、「ありがとうございます」とは言われてはならんぞ。
それくらいの心構えでないと、それが目的になって、自分が弱者を食い物にしてしまうからだ。
アイヌの回りにも、そんな奴が沢山居る。
人のかいた事を勝手に歪曲するな。
俺は、おまえのような無自覚な奴が痴漢を助長させてるいのだと言っている。
おまえ、男なのか?
男であるならば、自身の政治立場から遊離した発言はするな。
現実にかかわる話しを、ただの言葉遊びにしないためには、
最低限それに係る自身の立場を明確にする義務がある。
痴漢というのは何も直接触るっている奴だけではないのだよ。
それを理解できない(正確にはしたくない)奴は、いつまでも無自覚な消極的痴漢だ。
さこで「わかんない」というただを捏ねる奴が、
つまりはもっともタチの悪い痴漢・差別者であると説明したはずだが、
小田切秀禮さんよ、あんたは自分が痴漢でないとでも思っているのかな?
最低な奴だ。
れんさんは「不愉快だ。どうなっているのか」と 訴えている。
Esamanさんは「男と女の問題」と 珍妙。
龍淑さんは「自分が どう行動するか」という現場感覚で語っている。
たかあきさんは「自分はどのように考えておこうか」と 躊躇している。
智文さんは「分析の結果と、一つのアイデア」を 披露した。
小田切は「そりゃ社会問題の一つだ」と 取り合わない。 というわけで さっぱり噛み合わない。
そもそも痴漢などの犯罪は『客観的な思惟を欠落して行われる独善的暴走行為』で、その意味では
政治だろうが 経済だろうが 科学にしても似たようなもの。
そりゃ 誰だって客観性を心がけるし、利他的であろうともする。 でも、いつもではない。
何かしようとする「そのとき」は それに熱中する。 それが『男』ってもので、特に若いときは そうだ。
でなくて結婚なんぞ出来るもんかね。 ま、その時は『女』も同じかも知らんけど。
ところで『今』 何が問題になっているのだろうか? 問題を提起したのは誰なのか?
どうも
女性が問題提起をすると、それは『直接提起』なのか、『間接提起』なのか、『婉曲提起』なのか
具体的に言って呉れないので 男は混ん絡かる。
聞いてみると「本人にも分からない.らしい」から余計にいけない。
だって
電車の混雑は路線によって、時間によって、乗車位置によって 全く 違うのだし、
通勤時や、休日など その折々にマッチしたスタイルってものもある。
慣れた路線なら「どの箱の、どのドアーの、どのくらいの順番で乗り込むか」を見極めている筈だ。
これらの すべてが見当はずれで、場違いだと目をつけられやすいかも知れないし、
京都の女性には東京の人間にはない『魅力的』なものが有るように見える。
問題というものは
ハッキリと言ってしまえば答えはすぐに出る。 しかし、それでは女性としては面白くない。
そこにはイタズラっ気があって「男を泳がせて」浮くものと沈むものを 男に勝手により分けさせている。
男も面白がって浮いたり潜ったりしている。
そのうち
男は飽きてしまって話を変えるもんだけど、たまに粘っているのも(ここに)居る。
オバチャンにしても、ボクチャンにしても 『憲法』では人間として認められている。 だからっていわゆる常識の持ち合わせは人さまざまで、自分と噛み合う人が少ないことは先刻ご存知の筈。
誰だって口があるもの 食べたいし、喋りたい。 食べなければ死んでしまうし、喋らなければボケてしまう。 そりゃ食べられる方も聞かされる方も迷惑なのは仕方がないでしょう。
たしかに 待っているだけではダメで、そこそこのコミニュケーションがなきゃならん。
向こうがコッチに合わせられなくても、コッチは向こうに合わせられるってもんでしょ。
喧嘩をブッかけても相手は「子供みたいなもの」で、それでは大人気ないってもの。
展示会に来ただけでも誉めてあげれば 態度がガラリと変わる(良くなる)もんです。
週末は体を休めるためネットはメールチェックくらいしかしないのでレスが遅れました。
>智文さん
「念のため」は言葉のあやです。私の筆が至りませんでした。
気になったのならお詫びさせて頂きます。
智文さんの新しい方のカキコに「被害者の女性にさらに叱らせるとは何事だ」
という意見へのレスが含まれていたのでそれを読む前の文であることを明示させて頂いた次第です。
で、本題はこっち。
痴漢とマザコンの関係について。
正直云って「ふぅーん。あっ、そう」くらいな感想なんですよ。何とか式の分析と云われても。
心理学の用語でムズカシく説明されると頭が痛くなって読む気がなくなるんですわ。
私の理解が浅いだけなんでしょうが。
それに被害に遭っている女性からすれば、相手がマザコンかどうかなんて関係ない。
私は相手の文をコピーしてオウム返しにレスをつけるのが好きではありません。
(だって読みづらくない?)
それも特に自分宛では(少なくともあの時点では)無いカキコなのですし。
自分が気になった点についてだけ意見を述べたのはそういう訳です。
もひとつ「男だろ?」発言について。
(これは、私は質問ではなく男であるならその責任を果たせ、と読みましたが)
この一言で、智文さんは二つのミスを犯しています。
ひとつめ。
私の性別を男だと断定したこと。
私の実際の性別はこの場合問題じゃありません。
まあ名前と文章は確かに判断材料となりうるのですが
私はあの時点までにsampeで性別を明言したことは無かったはずです。
(知ってる人は知ってるしあちこち(笑)にヒントはあるんだけどね)
あと、「Re:うーむ」で智文さんは私を若造扱いしているように感じましたが?
邪推するならばこれは私が大学のホストから投稿していることで
こちらを学生と判断しての態度に思えます(これも私の実際の年齢は問題ではありません)。
私の深読みでしたら謝罪させて頂きますが
そうとれる文を智文さんがお書きになったことはご記憶下さいませ。
ふたつめ。
では、私の性別を男であると仮定して、
男である=「文章を読む力と責任を持って書く力を磨いて、しっかりした意見を提示」
しなければならない理由は何?女はやらなくていいの??
痴漢は男の問題だから男が解決するもの?だから男がしっかりせいと云いたいのでしょうか。
それは何か違うんでないの??
以上です。
先日名古屋市博物館へ行きました。
特別展「北の民アイヌの世界」を見てきました。
そこで少々気になることが。
私が展示を見て回っているとき、何やらベチャベチャとしゃべる
やかましい数人のグループが来ていました。
アイヌのチンバオリ(陣羽織)のこの「チンバオリ」という発音が
いかにもおかしいという様子で「チンバオリか、チンバオリ(笑)」
などと騒ぐクソうっとうしいオバハン、
狩猟の道具の展示のところでは
「モリ(マレクでしたか)を構えたアイヌのヤラセ写真」の前で
「こんな風にして(魚を)捕ってたんか。素手で捕ったほうが早いっちゅうねん」
などとほざく始末。
「ハッ、そんなバカな」と嘲笑交じりに睨み付けてやると
すごすごと立ち去るオバハン。きっと向こうでは
私の悪口を言っているに違いない。
いっそ「アハハハ、そうですね〜」などと話しかけ
振り向いたその顔面にケリでも入れおけば良かったか?
素手でサケを掴まえられるなら掴まえてみろ。ヒグマかテメェは。
などと被害妄想も激しい中、差別意識に触れて
ちょっと微妙な心境でした。
帰り道のA駅近くでスケボー野郎どもが
歩道を塞いでいました。非常に目障りだったのですが
逆ギレされたら何をされるか分からないし、
それにまわりの人間も加勢してはくれないだろう
と怖じ気づいた意気地無しの私はとりあえず
警察に通報しておこう、などと思ったのですが、
以前シンナー野郎がお店に入ってきて雰囲気が
ヤバくなったときみたいに自転車で15分のみちのりを
2時間かけて来てもらっても困るし、ということで結局
何もしませんでした。
まぁあの場に居合わせた誰もが何もしないのだから
それが社会の合意なのだろう、なんてそんなバカな。
自己表現の場を求める病んだ(っつーか頭の悪ィ)若者たち。
ボケた子供を怖がってツッコミを入れられない大人たち。
とりあえず警察に、などという甘い考えに
頼りかけた自分が言えたことではないけれども、
社会が不健全なら、そこでの合意の何が正義か。
あっしはあのとき刺し違えてでも
ヤっちまったほうがよかったんでやんしょか親分。
ううう不甲斐ねぇ〜。兄貴ぃぃぃ。
>>>文章を読む力と責任を持って書く力を磨いて、しっかりした意見を提示
>>>してくれ。男だろ?
>>そうそう、「おまえ、男だろう」これも案外痴漢行為かもよ。
>>判断基準は何?
>ところで、私の「男だろ?」は、性別を問うたものでないことは明らかですから
>これは文脈を無視して恣意的に解釈した上での安易な質問のようにも読めますが、
>どうなのでしょうか?
文脈上、本当に性別としての男かどうかを問うたのか、いまいち判然としません。
また「文章を読む力と責任を持って書く力を磨いて、しっかりした意見を提示」という言葉の後に、
「男だろ?」とつけるのは、たかあき氏が現実に男であるかどうかは別として(といってもそれも問題かもしれませんが)、
いろんな意味でかなりまずいまではないかと思います。
意味は判りますよね?
あと、よろしければ私の投稿、「差別者とは誰か」についてもご批評願いたいです。
また、その中で必要とはいえ、「バカチョン」なる言葉を使った事は、単純に在日の人は気分悪いだろうなぁと思います。
他にいい例が無く(アイヌの差別語は認知度が低い上に、アイヌ自体が少ない)申し訳無いです。
また、別件ですがストネコさん、投稿できないという事だったのでおおめに見てましたが、結局投稿できるのですね。
なんだかんだ言っても、形成が悪くなると雲隠れというのは、
私が以前に「ヤマト民族」というのは、大変エセ臭い捏造イメージではないか?
と追求した時とおなじではないですか、なんとも、この程度かと思わざるをえません。
ですが、「アイヌとはこういうものか」という差別をかますあなたのように、
「だからヤマト民族は・・・」という一般化は致しません。
「こんなものか」というのは、あくまであなた自身に対する印象です。
差別者にはなりたくないですから。
私の言わんとするところは、龍淑さんへの返信で書きましたので、そちらを参照
してください。
二点だけ。
>いずれにせよ、男である私は、痴漢行為をしないだけで、十分に痴漢候補、
>あるいは準痴漢、消極的痴漢、どういう言い方であれ、つまりは痴漢の一人だと
>思っています。
>だから、用心して、慎重にしています。
基本的な認識として同感。
智文
>文章を読む力と責任を持って書く力を磨いて、しっかりした意見を提示
>してくれ。男だろ?
Esamanさん
>そうそう、「おまえ、男だろう」これも案外痴漢行為かもよ。
>判断基準は何?
判断基準はその人の書いている文章と名前ぐらいしかありませんよね。
ところで、私の「男だろ?」は、性別を問うたものでないことは明らかですから
これは文脈を無視して恣意的に解釈した上での安易な質問のようにも読めますが、
どうなのでしょうか?
でなければ、Esamanさんはネット上でその人の性別を問うこと、もしくは結果的
に問うことにもなってしまった表現について批判的な考えを持っているというこ
とでしょうか? それはそれでひとつの考え方だと思いますが。
あるいは現在の話の流れから「男だろ?」の表現は適切ではないと判断したとい
うことでしょうか? (そうだとしたらいい批判だと思いますが、それならもっ
としっかり書くべきでしょう)。
それとも全然違うことですか?
>「チカン=マザコン」はたしかにそうかもしれないけれど、だからって、
>「叱ってやって」とは、ブリッコして甘えるのはいい加減におよし。
>社会的に認知されたからって何の意味がある?
随分とまた最初から喧嘩腰な物言いをされてますが…
他人の文章の「文意」をねじ曲げたり、意図的な「切り取り方」をするべきではない
ですよね? 掲示板上で話をする場合の最低限のルールでしょう。
ただし、龍淑さんの「喧嘩腰な物言い」が私のたかあき氏へのそれに対する批判であ
るということならば、それはそれとして受け止めますが。
では、本題。
「社会的認知」云々の書き込みをしたときに考えていたことが、ふたつぐらいありま
した。それについて書きます。
痴漢はマザコンであり、それはとても恥ずべきことなのである、そこには「他者」が
ないのである。卑劣な人権侵害、暴力であるにも関わらず、それに気づいてないとい
う心の状態から行われるその行為には「他者」が欠落している。被害者側が嫌がって
いるということに加害者側が無自覚であるこの構造はまさしく差別であり、暴力であ
る…という自覚を男の大多数が持てたという状況を仮定すれば、それは電車内で被害
にあったときに誰はばかりなく女性が声をあげることができる環境が整ったというこ
とでもありましょう。「社会的認知」云々の書き込みをしたときに考えていたことの
ひとつは、そういうことです。
>何度も言うけれど,チカンは男性優位社会における、権力による弱者の蹂躙。
それはそうですけど、別に私の言ってることと対立するものではありません。
「社会的認知」のもうひとつは「日本マザコン社会の病理としての痴漢」という視点
は欠かせないだろうということです。女性が痴漢被害にあったときに声をあげられな
い状況をつくりだしているのは、またそれを容認しているのは「男性優位社会」の問
題でもあり、「日本的風土」の問題でもあるということはおそらく言えると思います。
「日本ならでは」という要素は無視できないでしょう。「女はおしとやかでなくては
ならない」というような、無言の文化的強制が痴漢行為を支えてしまっているという
視点が必要不可欠なのだろうと考えます。
>ヒエラルキーの中で、支配者側・強者はいつも言う
>「大衆は支配されることを望んでいる」
>(ヒトラーも言ってなかったか?)
>それで、そういう支配者ってのは実はマザコンだった、という分析は無数にある。
>(権力を欲しがる奴はほぼ100%小児的性向をもっている、とか権力欲自体が小児的
>だとか、精神分析学なんかで言われてるんじゃない?)
よく言われるところでしょう。
>ヒトラーがマザコンだとわかったところで誰が「厳しく叱」れるのか?
この龍淑さんの問いを「遅々として変わらない権力構造への絶望感」を込めたものと
解釈して、おもうところを言っておけば、根底的な意味での差別問題への取り組みは
「今」端緒についたばかりなのである、つねに問題は「現在形」なのだ、と考えるよ
うにしています。「現在形」である限り、それは「可能性」ですから。
学校では知識に専念して、食卓では食べることだけ、布団の上では寝ることだけ。
流し場では洗うことだけ、TVや新聞は見るだけ、通勤には時間だけ、職場では分担だけ。
つまり、一個の人が まとまっておらず 分裂状態になっている。
現代社会では このような男性的な特徴が誇張されていて、円満な統一人格を作り出すハートの働きが抹殺されている。
ある意味では愚人政策がとられている。 これに疑問を持たない人は支配志向になり勝ち。
大切なのは自分を支配することで、それも頭ではなく ハートを中心にすること。
頭は、今日的には死人や他人の知識で一杯だから これを中心にはできない。
頭を中心にさせるから 芯の無い人間が増える。
元々女性は左右の脳を連結する脳梁が男性よりも優勢で、総合的な思考をするらしい。
芯の無い男は女に甘えようとするが、自己がバラバラの出鱈目では嫌がられてしまう。
『病ダレに知』と書いて痴、漢は男。 痴漢は知性が病んだ男。 つまり現代人。
( 9月10日の書きこみは分かりにくかった ようなので 書きなおしてみました )
痴漢をするのはマザコンだというのはよく判りませんが(そもそも全ての哺乳類はマザコンでは)、
もし仮に本当に痴漢がマザコンの起こすものだとしても、
ここで行われている痴漢と男社会の関係というのは、そういう次元の話ではないと思うので、
ちよっと無理があると思います。
問題なのは痴漢そのものと、痴漢にとって居心地いい環境が、男社会によって提供されていることであって、
痴漢がいったい何物か? という話しはもっと別の次元なのでは?
(アイヌ差別者、アイヌストーカーはいろんな意味で社会不適合者だと思いますが、それについて論じてもなぁ、と思います)
いずれにせよ、男である私は、痴漢行為をしないだけで、十分に痴漢候補、
あるいは準痴漢、消極的痴漢、どういう言い方であれ、つまりは痴漢の一人だと思っています。
だから、用心して、慎重にしています。
別に、これは女を口説くときに気弱になるという次元とは別物でして(実際は気弱どころではなく・・・)、
そういう時の話しと、普段の日常は別であるとちゃんと意識するという事と、
満員電車の中に女子高生いっぱいいたらそりゃ嬉しいですし、スカート短いと当然期待しますし、
夏場はみんな薄着になっ・・・・・(自主規制)
と言うような話しは、たとい不可抗力であれ、全て実行的痴漢を支援するだけの消極的痴漢だ。
つまり、アイヌにとっての何もしらない和人と同じ、以前話をした「呪われた言葉バカチョン」における、
「無知である事に開き直って人を侵しているバカ(それが出来るのは多数者だから)」と同様に、
悪意を持った差別者の煙幕になっている存在、つまりは差別構造そのものである。
という見地から、男である自分自身は、ただそれだけで痴漢予備軍、あるいは痴漢触媒だと思っているので、
なるべく痴漢を増殖させないよう、日々注意している次第です。
大事なのは、少なくとも、自分が痴漢をしないこと。
そして、それ(痴漢であるかないか)を決めるのは女性なのだという事。
そうそう、「おまえ、男だろう」これも案外痴漢行為かもよ。
判断基準は何?
http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Pit/5486/kangaeru.html
自分のHPでこう書くのもなんだか変なのですが、
皆様、お久しぶりです、管理人(忘れていた)のEsamanです。
最近いろいろと大事がありまして、暫くご無沙汰しています。
(大雨、近所の洪水、下水の中に車水没、アイヌ特別展が名古屋に来た、
その迎撃体制の確立の為の、各地の対立しているアイヌの団体との体当たりの交渉、等)
連日胃の消化が悪くなるほどの重責でして(誰かのように痛くはならない、なっても誰も代役を出来ないから)、
また暫くおとなしくしているでしょうが、一つ総括したいと想います。
皆さんよく御存知かと想いますが、このHPに先日、
「アイヌについてしりたい」と称してやってきた人がいました。
誰しも最初は無知なものです、たとえ自身が差別をしていても、案外気が付かないものだしね。
だから、それ自体は別にいい。
そして彼は、私の話したアイヌ差別の話しを受けて、
「差別を完全になくすことはできないだろうが、差別をしてしまうような人間を、
社会の片隅に追い詰めるような活動は出来るだろうし、そうしていきたい」
などという、まぁまともな話しをしていました。
そして、どんな性質のものであれ、差別をなくすには、
現に差別をしている人々が、自身が差別をしていると自覚することが必要なこと。
その場合もっとも大事なのは、消極的あるいは無自覚に差別構造自体を構成してしまっている、
自身は差別とも被差別とも関係が無いと想っている人々の自覚が大事だという事。
つまり、痴漢の蔓延、被害女性の訴えの軽視、訴えにくい状況の構成、の場合は、
痴漢を横目で見たり、想像だけではしている全ての男、想像していようがいまいが、社会的に男であるもの全ての自覚。
アイヌ差別、アイヌの「興味を持つ」事による逆差別、アイヌの存在に無自覚なるが故に無視し、
自身と関係が無い遠い所の話と決め付けてしまえる傲慢、の場合は、
自身が和人と呼ばれていることすら知らない人も含む、全ての和人の自覚。
それぞれのの自覚が大切だ、そうしなければ、
「理解する意志があるのだよ」と称して近寄った多数派人間による再差別が起こり、自体は最悪となる。
と親切に説明し、
この場合、あなたは和人、つまり和人は何物で、いま何ををしているのか?
「知らない」という事で、既に圧迫しているものがある事に気が付かないか?
それすら自覚せずに、一体何が出来ると言うのか?
「支援と理解」の前に、自分がどういう事をしてきたか、今しているか、どんな存在かを理解しなければならない。
痴漢の被害者にとって、男である自分はどう移るのか?
それがわからないと、自身の中の「痴漢」を見つめないと、なにをしても所詮痴漢の上塗りなのだ。
そう説明した。
だが、いつもでも自身が差別者・多数者・圧迫者・無言にして無自覚の殺戮者であるところの和人であるとは認めたくなかったようだ。
その結果、見ず知らずの相手のプライバシーをうだうだ追及したり(これ既に差別)、
アイヌの中にもある、和人とアイヌの会いだのものとは次元の違う些細な差別をとりだして、
「おまえらも差別者として一緒だ」と騒いだり・・・・ただのダダっ子状態だねぇ。
そんなん騒いだって、俺がアイヌであんたかがシャモ、これは変わらんのよ。
それとも、自分がアイヌになれるとでも想っているんだろうか?
そういう「自意識過剰の越境組み」というのは、差別者と被差別社の境界を曖昧にして、
自体を混乱に招き、そして支配者(差別者)の社会が続くように貢献する大馬鹿者だ。
挙句の果てに持ち出したのが、龍淑さんの指摘したとおりに、ただの「脅迫」。
「社会の片隅に追い詰めしまえればいい」と自身で云っていた人間(差別主義者)の同じ行動を真似て、
「俺達の要求(つまり「提案」の初心者のなんとか、でもそれは和人の仕事、自分でやれ)を飲め、さもないと差別する」と言い出すとは、
これでは、ただのゴロツキ以下ですな、これならまだ日比谷公園のアイヌをイヌ呼ばわりするクソ浮浪者・労務者のほうがました。
なにせ、奴らは相手をバカにしているんだと自覚しているし、もっともらしく一方的な要求もしてこない。
しかも、それを「あなたが「危惧」しているようなことは容易に発想できない(つまり、それ差別だぞ)」と指摘した龍淑さんに、
「感性の違いですよ」とは、いったいこいつは何物か?
「社会の片隅に追放すべき差別主義者」と自身で言及した連中と同じ発想をしていると気がつかないとは。
いや、もともとそんな事に興味はなかったんだよな?
こういうのがウヨウヨしていていかんね。
http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Pit/5486/tsudoi.html
「チカン=マザコン」はたしかにそうかもしれないけれど、だからって、
「叱ってやって」とは、ブリッコして甘えるのはいい加減におよし。
社会的に認知されたからって何の意味がある?
何度も言うけれど,チカンは男性優位社会における、権力による弱者の蹂躙。
ヒエラルキーの中で、支配者側・強者はいつも言う
「大衆は支配されることを望んでいる」
(ヒトラーも言ってなかったか?)
それで、そういう支配者ってのは実はマザコンだった、という分析は無数にある。
(権力を欲しがる奴はほぼ100%小児的性向をもっている、とか権力欲自体が小児的
だとか、精神分析学なんかで言われてるんじゃない?)
ヒトラーがマザコンだとわかったところで誰が「厳しく叱」れるのか?
ああしかし、性行為についての「合意」の快感はどこへ行った?
手練手管の駆使&諸手続きを踏んで法や社会倫理に抵触することなく「ゲット」するんでなく
(これは合意の形骸化もしくは権威によるソフトな支配か?)、平たく言えば、
「愛を確かめ合う」。
男という権威・権力に頼り過ぎて、そういう快感があるのを忘れてないか?
あきらめてないか?
カッコよくなくてもいいじゃない。手が震えたって、いいじゃない。
>智文さんの新しいカキコがある。
>↓はそれを読む前のものです。念のため。
「念のため」はなにを意味してますか?
読んだあとの感想、意見、批判は、書かんの?
たかあきくんてのは、へなちょこでピントはずれな受け答えするやつだなぁ。
「女性が嫌がることなのになぜ男は痴漢をするのか」という話の流れ、
「いじめ目的で触るのですか?」というれんさんの発言があり、
「嫌がるのになぜ」「いじめ目的なのか?」という疑問に答える文章が
「女性からすると、意外なのかもしれないけど・・・」という出だしで
始まるのは当たり前の話だし、それにそってありうべき答えのひとつを
簡略な論理で私は提示しました。しかし貴方は見事になにも言ってない。
最後の段落、目も当てられん。しっかりしてくれよ、おい。
文章を読む力と責任を持って書く力を磨いて、しっかりした意見を提示
してくれ。男だろ?