>全ての基本は人であり、人の存在だ。心の平穏は、宗教、他者に委ねることなどできね。
他者を頼れない、あるいは頼らない状態は「孤独」なわけで、
むしろ平穏からは遠いような気がします。
文意を計り兼ねているので誤解していたら申し訳ないのですが、
タイトルと本文とで言っていることが正反対な気もします。
>旧約聖書の昔から数千年続いている
確かに続いている。ところでその数千年間、あんたら宗教屋は
いったい何をしてきた?
『増えすぎる人類』?
このタイトルこそ、あんたら宗教屋の選民意識の現れだ。
http://moon.gaiax.com/home/ritsurinkan
>どっちかというとケンタウロスとかの、半馬半人の存在がらしいのではないかと思います。
げほっ!ごほっ!まあ・・・その、なんと言いますか・・・
そうかも知れません。(しかし悔しいな)
別にここは誰が何を言っても良いがね、始めての発言の際は、
軽く自己紹介くらいしてくれるとありがたい。
過去に発言したことがあるのなら、同じ名前、あるいは同じ人間だとわかるよう名乗られたい。
どれだけロムしているか、この話しにおいて自分は何物かを知らせずにする突然の乱入は、
するなとはいわんが、いままで話しをしていた人間が、
そいつにまじめに向き合おうと思えば思うほど、対応に困る。非常にめんどい。
これは、この場のルールというよりは、意志疎通をするときのルールといえる。
その気が無いのなら、別にいいが。
ネットは誰でも現実から多少遊離して透明人間になれる世界だが、すくなくともここでは、
現実に縛られているものの話しを、私を始めとするマイノリティは、その立場を明らかにして話をしている。
それに対するマジョリティは、いつも自分はマジョリティであると無自覚に振舞いたがる。
単純に、セコイ。
時には、その事実を棚に挙げて、マイノリティにのみ、現実の束縛を適用するヤツもいる。
つまり、それは「自分のことは棚に上げて」行われる卑怯な攻撃だ。
以下の二人の発言、誰でもできるような、実感の無い話に聞こえるのだが。
自分の政治的立場(これは、「論ずる」ための意見・いちゃもん・我侭、ただの自慢ではない)から遊離した、
ただの独り言なら無視せざるおえない。
が、ここは場の性質として、独り言・ヤジ自体は容認する。
もっと簡単にいうと・・・・
おまえら、人の話し聞いてないだろ?
そもそもおまえは何物だ。
そういう自分の問題としてではなく、どっか遠くの問題として語ってしまえることが問題だといっているのに。
有効に使おう?
敵は本能寺?
それって、どっちも「ボク悪くないの」「悪いことと、ボクだけは関係ないの」という意味の逃避でないのか?
ま、ご両人とも、そんな事が痛みも泣く平気で言える立場にいるのだろうが。
俺はあんたらのカウンセラーじゃないんだから、もうすこし解るように話せ。
大きな事言って、ビクビク隠してないで、もう少し自分の「立場」を話せよ。
絵空事でもなく、他人の足元ではなく、自分の足元の話しをしようぜ。
それとも話しに入ってくる気(あるいは度胸)が無いか?
ならいら別にいいが、それじゃあ相手にされんぜ。
人から ゆとりを奪うイヂメ、差別。 旧約聖書の昔から数千年続いてる。
人だけでなく、あらゆる物から略奪の限り、殺戮の限り。
それを更に鍛える文化文明に浸っている限り終わらない。
内輪もめしている その間に誰かの漁夫の利。 つまり操られている。
なにせ人間が多すぎるから 操り、操られないと どうにもならない。
ところが、どこにも暇な人は居ない(?) 敵は本能寺。 本能でも寺でもない(?)
今でもガンは増殖中。
全ての基本は人であり、人の存在だ。心の平穏は、宗教、他者に委ねることなどできね。
空気、時間、自由意思、これが皆の3種の神器である。有効に使おうよ。
人間死んでから100年経ったら自分を知る人はいないんだから。
>自分たちとは少々ちがう人々に対して「コワイ」と思い、
>「謀略集団」なんか想像するのは差別のなかでも最もエグイものだけど、
>まわりのひとがそう言いはじめたら、あなたは冷静になって見ることができる?
いつかウチの近くに「ああ言えば」の女優だか蒸留水だかが
越して来るとか来ないとかいうウワサが立ったとき。
「何か変なことになる」だの「こわい」だのという
そんなまわりの人を見て、私は冷静ではいられませんでした。
隣のオッサン、ご忠告ありがとう。しかし私はむしろあなたに立腹。
私はさかきばら事件のときのマスコミのようなうわさ野郎が嫌いで、
そのためにいらいらしてとても冷静ではいられなかったという話。
なにぶん私という人間はむしろ
「あの人って何考えてんのかわかんない」とか
言われる側の人間なものですから。
もちろんナショナリズムの被害者、という意味ではなく
ごくごく個人的な要因によってそう言われるだけなんですけれども。
なんで「健全な人間」扱いされてるんだろう私。
>あなたもいい加減に日本人であることの幻想
>から自由になって、「自分自身であることの誇り」だけで勝負してみませんか?
自分自身であることの誇りだけで生きようとしたことも
ありますが、その誇りというものの意味があくまで
主観的に作り出されているという現実はやっぱりつらいです。
ちょっと自分を解体しすぎてしんどい。
そこまで根本的な「誇り」を個人レベルで創造できるわけが
ないのですけれども、それでもなお何かを信仰するでもなく
死ぬのは痛い、つらい、苦しい、というイメージを糧に
ネガティブに生き続けて、と言っても若造ですが。
しかし日本は豊かですね。こんな野郎は
食いっぱぐれていてしかるべきだとわれながら思うん
ですけれども…なんて、まぁ細かい話は省きますけれども、
べつにいまさらナショナリズムを利用して
自己を確立するつもりなんてなかったんですけどね。
大声で糾弾、というものがあまり好きではないんですよ。
しかもその根拠がどうやらにせものらしい、
なんて聞いたらじっとしていられなくて。私はたまたま日本人だし。
龍淑さんのように自分自身であることの誇りで生きられる人は
ある意味うらやましいです。
話題を戻しますが、
パニック状態に陥ったらだれだって冷静さを失うでしょうね。
私には冷静でいられる自信なんてありません。
ストネコさん、とてもいい視点だと思いますが、騎馬民族への偏見と畏怖は、
どっちかというとケンタウロスとかの半馬半人の存在がらしいのではないかと思います。
得に、馬に直接乗るというのがとても「変わった行為」だった人達には(古代国家では戦車・馬車が主体だった)
馬に乗ってやって来て、略奪して、あっというまに去って行く人々は、さぞ化け物に見えたことでしょう。
しかも、ケンタウロスは弓まで持っているし。
(普通の騎馬民族は狩猟民族と同じ様に兵士が特別な職業でないので、主な武器は弓矢になる)
よくある『ファンタジーもの』などで使われる異人種像というのは、そういった人種的なものと、
神話や民間信仰などのものをベースとしたイメージとを、最近の作家がごちゃ混ぜにして
作り上げたものではないかと思います。
得に『エルフ』というのは、辞書で引くと森の妖精とか、いたずらっ子と言う意味ですが、
「ファンタジーもの」で描かれるエルフ像というのは、けっしてそんな小人ではなく、
限りなく人間っぽい・・・しかもベースはとても先住民臭い連中に仕上がっていますよね。
(スタートレックのクリンゴンも、限りなくインデアン臭い)。
こういったイメージは、歴史的に培われてきた人種的偏見がそのまま残っていると言うよりは、
それを再構築した連中がいると思います。
例えば、指輪物語のJRRトールキンとか(笑)。
しかも、彼は言語云々というのがとても好きな作家であったという事が、極めて象徴的です(苦笑)。
あとドワーフですが、実は遺伝的なもので、「ドワーフ症(小人症)」というのがあるので、
それがベースではなかと思います。
これは、頭と胴体は大人と同じですが、手足が子供並に小さくなると言うのもので、
我々のサイズで社会が構築されている以上、確かに生活は困るでしょうが、
いくら違う人種に見えるほど小さいとはいえ、別に病気という訳では有りません。
劣勢遺伝なので、沢山いるという訳ではありませんが、時々おられますね。
歴史上では、イタリアの名の有る道化で何人かいたと思いますし、
スターウォーズなどで、小さい種族のぬいぐるみの中身等で活躍している人もそんな人ですね。
そんな人達の姿と、地の底の宝を守る小人(話しによると、どうも酒のみらしい)のイメージなんかを、
くぢゃまぜにして出来たのがいまのファンタジーもののドワーフ像ではないでしょうか?
小人な人達は、力が強いという訳でも、酒のみという訳でも、丈夫と言うわけでもないでしょうしねぇ。
・・・・つまり、エコエコ・メルヘン・アイヌオタクの作っているアイヌ像がえらく進化したもの、
という所かもしれませんね。
そういう、エルフやらドワーフやらの「いいもん」扱いされている人型の奴らよりも、
いわゆる「モンスター」と呼ばれる人型の奴等についていろいろと観察してみたほうが、
かなり得るものがあるのではないかと思います。
ゲームなとによく登場する、コブリン・コボルト・オークなどの、
人型・弱い・邪悪=存在自体がダメ、であるとされる
「やられ役」達は、実は黄色人種への偏見がもとではないかと思うところもあります。
ベトナム戦争や朝鮮戦争などでは、アメリカ兵などが黄色人種のことを、
「グーグ(小人・小鬼)」という蔑称で呼んでいたこともあるそうですしねぇ。
だとすると、日本のファンタジー作家などが「コブリン退治」などという事を書いているのを、
あっちの人種偏見をゲームにぶつけていた奴らは、どんな目で見るのでしょうか?
すげぇ面白そうな話しですね。
直接的に接していない相手に対しては畏怖の念を持つ側面があります。
噂、すなわち『思い込み』というものも接していないがために発生するものであり、それが差別の根幹・・・と言っていいのかどうか自信はないんだけど、そう思っている。
もっとも思っているだけでは何の役にも立たないんだが・・・
ファンタジー小説に『ドワーフ』という種族が登場します。
岩屋に住んで粗暴でチビで・・・と、散々な取り扱いなんですけど、これってヨーロッパにおけるモンゴル系騎馬民族への畏怖(恐怖)の念から発生した差別に基づくものでは?
まあ、遠い昔の話をしても仕方ないんですけど、現在の日本のファンタジー小説家がその設定をそのままに使用しているのには腹が立つところです。
http://moon.gaiax.com/home/ritsurinkan
現在、ゲストブック兼第二掲示板mintaraは、サーバーメンテナンスのため、入れません。
22時ごろ、回復の予定です。
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くいというお問い合わせが非常に多くなっています。
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更新情報MM、eyutara kampiもよろしく。
>namaさん
>謀略集団って何ですか。
もちろん「アイヌ謀略集団」なるものは「ある」とも「想像できる」とも
私は言っておりません。
しかしその「ウワサ」なんかはあるんではないかと思う。
たとえば、アイヌ集落(または多住地域)の近辺。
「あの人たちって、なんかコワイかんじよね」
「何考えてんのかわかんないわねェ〜」とかいってたりして。
なんでこんなことを考えるのかと言うと、
私は今同和地区に住んでいる。数年前に越してきた。
それで近所の人とトラブッたという話をその地域以外の人にしていたら
(トラブルの内容は非常にありふれたどこでもあるかつ些細なこと)、
「そんなことしたら、部落民が大勢で押しかけてきてつるしあげられるんじゃないか」
と「ご親切にも」耳打ちしてくださったおかたがいる。
もちろんトラブル自体はフツーに、ごく平和裏に解決したんだけれど・・・・
私は今までにこの地域内で「押しかける大勢の人々」は見たことも聞いたこともない。
在日韓国・朝鮮人にも上記のようなイメージはまとわりついているようだ。
「金持ち」だと思ってるヤツも多いし。それも決してプラスのイメージではなく、
「ベニスの商人」みたいなの。
(実際は金持ちはやはり一部だと思う。時間当たりの労働単価も低そうだ)
自分たちとは少々ちがう人々に対して「コワイ」と思い、
「謀略集団」なんか想像するのは差別のなかでも最もエグイものだけど、
まわりのひとがそう言いはじめたら、あなたは冷静になって見ることができる?
確かに在日韓国人である私は南京大虐殺と直接関係はない。
しかし「デッチ上げ説」は日本人のナショナリズムを抜きにしては
語られない。
ナショナリズムは大変不穏である。
ばぜなら、私は外国人として日本に暮らし、なおかつ自分の国家を
持たないからである(一応私は韓国に「所有」されてるようだが、
事実上、保護など期待できない)
あなたが私に対して「日本人の名誉・誇り」だの主張するとき、
あなたの後ろには無数の日本人と国家がついているが、
こちらは一人またはごく少数である。
私が韓国人であることを意識するのは、常に被差別者としてである。
私は「朝鮮ン千年の歴史と文化」だの「強制連行」「不幸な歴史」
だのについて語ることもあるが、それは常に差別者たる日本人に対して
だけだ。キミたちだけが長い歴史や文化を持ってるワケでない、とか
日本人というものはそんなことをしてきた民族だ、とかいう意味合いで。
しかし、他のマイノリティに対しては主張しない。
なぜなら、明文化された歴史を持たない民族もいるし、日本に責任のない
事由でやってきた民族もいるからだ。
しかし、被差別者としての心性や彼らを取り巻く差別構造には共通する
ものがある、というより驚くほど似通っている。
いや、他マイノリティの発見以前に、自民族を誇ることがいかにくだらない
ことかを日本人社会の中で十分に学ばせて戴いておりますが。
ナショナリズムは差別のモト。あなたもいい加減に日本人であることの幻想
から自由になって、「自分自身であることの誇り」だけで勝負してみませんか?
(この問題についてはまた語ることもあると思いますが、「南京大虐殺デッチ上げ説」と
ナチズム(もしくはネオナチ)は大変構造が似ていることだけは付言して置きましょう)
「差別語さえ知らなければ、差別は起こらないんだ。」
とか言っている人がいるので、さらにコワイです。
龍淑さんのした話しのコワイところは、AもBもただの思いこみである事も去ることながら、
その完全に事実無根で、しかもただの噂でしかないものによって成立してしまったものが、
現実に人を殺してしまうという事。
しかも、自動的に。
ことに、Bの人、多分かなり悪気無いと思うけど、やってる事は実質の殺戮。
自分で確かめたわけ出ないわけだし(もとが事実無根なので、確かめた奴がいるわけが無い)。
つまり、「無自覚である、あるいはなんとなく流していること自体が、えっらく破壊的である」
という事ですね。
もっと恐ろしいのは、そういう噂を何十回も吹きこまれて、その事実無根の噂の当人達が、
「俺達はそういう存在なんだァ〜」と、全然何も悪いことしていないのに、落ち込んでしまうこと。
そういうの、アイヌにもいっぱいいる。
中国の故事に「街中にトラが出た」といわれてもウソだと人は笑うが、
三人くらいがそういうと、トラを見てもいないのに、本当に出たと信じてしまうものだ、
それが全員サクラでも。
というのがあったような気がする
ま、べつにこういうのは差別だけじゃないけどね。
あ〜、なるほど。私は『B』に該当してたかも。
>わたしが、尊敬していたのは、昔のあんただよ。
ここの管理人とあんたの過去のやりとりは知らんが
俺も『以前の貴方』は好きだったよ。
告訴するのなら俺に対してもやれ。
掲示板において『言論の自由』を侵害した、とね。
http://moon.gaiax.com/home/ritsurinkan
あんたの友達と称する、友人?がわんさかメールしてきたよ。
あんたも大変だな。
わたしが、尊敬していたのは、昔のあんただよ。
くだらない巻き込みは、ごめんこうむる。
私は、本物しか相手にしたくないのでね・・・。
あんたのしてることは、嵐と変わらんもんね。
落ちるところまで、落ちてしまったあんたに、かける言葉など
私には、持ち合わせていないので。
地獄を、見たらいいよ。
主人は、告訴を考えて居るみたいだからね。
寝首、欠かれないように、するんですね。
こんどは、戦争だからね。あんた相手に私がどれだけ
精神的苦痛をこうむったか、せいぜいビクビクして
今までの事を、振り返って反省するんですね。
今度会うときは、法廷で会うことになるでしょうね。
下記の投稿の、
>面構えは全く人語しゃべりそうなツワモノどもも多いが、
の「人語」という部分は、「日本語」の間違いです。
べつにこれくらいの誤植、俺の文章だったら序の口なんだろうが、
さすがに差別表現っぽいので訂正します。
ちなみに、私は解体屋イラン人チームと一緒に働いていたこともあるので、
近くの工事現場にガイジンいても、なんとも思いません。
というか、酒飲んで暴れたりアイヌに絡んだりしないので、よっぼど連中の方がいいです。
(うちのちかくに「外国人労働者」には、イスラム系が多い。連中は普通飲まないし、飲んでも絶対に暴れない)
「外国人労働者」って、「日本語が全くしゃべれないヤツら」って意味か?
さすがに安価な労働力とは言え、全く日本語がわからん奴等を、
外国語慣れしていない現場監督がどう扱うのか?
大抵の奴らは、余分なぐらい日本語しゃべるわい。
さすがにややこしい言語だけあって、読み書きは何年たってもムリっぽいがな、
しゃべるぐらいなら、大抵は多言語地域出身だから、あっというまだ。
面構えは全く人語しゃべりそうなツワモノどもも多いが、
「ボクネェ、最近肥えちゃって(三河弁?)」などと、お互いの共通言語がないからって、
あやしい田舎なまりの日本語(?)でセルビア人とスリランカ人が、
楽しく会話(夕飯の中身等)していることだってあるんだぜ。
(しかも、そいつが住んでるのは、おまえの住んでるところの近くだ)
そんな危険、あるもんかね?
建築工事に際して地域住民から
「外国人労働者を使わないで欲しい」
という声が出た。
建設する側は
そのへんはよく話し合いましょう、と言って
公聴会は終わる。
外国人労働者は悪くて、日本人なら良いのかな。
土建屋ってば恐いぜぃ
「研修一ヶ月済」ってのは
「きのう入りたての素人アルバイター」という
意味だったりするからして。東●●の「◎◎」とか
いや、論点がずれましたが、
この地域の声をすぐさま
「はいそうでございますね」と
聞き入れてしまったらそれはおかしいわけで、
そのあたり「話し合いましょう」というのは
慎重な運び方だと思う。
さて実際に自分の身近で
外国人労働者が土木作業をしていたら
私はそれをどう思うだろう??
たとえば私が工事現場近くを歩いたりしているときに
「危ない!」って外国語で言われても
理解できずに回避行動が遅れる、そんな危険が
ないでもないけれどもううむ、どうなんだろう。