全く関係ないですが、ストネコさん、「プロジェクトX」どうでしたか?
私も、ああいう話、単純に好きです。
ただ、あまり新聞見ない、というか、予定した行動をとるのが苦手なので、
得にテレビ番組なんかは、まず思っていた通りのものを見る、ということはありません。
いつも、やっているものを見ている、状態であります(苦笑)。
唯一「笑う犬の冒険」だけは、時間を覚えて見るようにしていますが、
それすらおぼつかんですな。
nama君と下の書きこみ見た人へ、
「ルーツ探し」って、かなり捏造入っちゃうもんですよね。
なぜかというと、ルーツの存在理由とは、現代の人間が消費するためのものだから。
だから、結構都合のいいように作ってしまう。
当然、自分や自分達が「何物であるかの記憶」は、非常に大切なんだけど、
その「自分達の神話の形成」は、それなりに好きにやってもいいんだけども、
その過程で何かを圧迫していいという事はないんですね。
なかなか、難しいものです。
下の書きこみの、
>ストーカーや変態学者によって、取り殺されていく。
の「取り殺され方」は、色々ですが・・・
踊りや刺繍に巧みなものは、文化教室の先生にしたり表彰したりですね。
文化を受け継いでいない相手には、文化の専門家で洗脳&呪縛ですね。
伝承者なのに勲章やお金を中々受け取らなかったり、
伝承者でないのに、自民族以外の文化の専門家に媚びない、
どうにも手がつかない反乱分子は、「ヤツはアイヌではない」攻撃が使われます。
いや、この場合は「ヤツは日本人ではない」攻撃ですか(笑)。
戦闘員は、学者だったり、研究者だったり、懐柔された自民族だったりして、大変です。
時には自主的に突っ込んでくるストーカーだったりします。
そういうストーカーは、学者のように「自分だけの居場所」を執念深く探しているので、
利害が一致するんでしょうね。
この話、本当でっせ。
下の話も、人種の部分を民族に代えると、全て本当に現在起こっていることです。
いろいろと、大変なんスよ。
DOTTIさん、面白いこというねぇ。
せっかくですから、
その比喩の「当事者」から、追加しましょう。
「日本人をアメリカ人にするための研究だ」と称して、
墓に埋葬前の遺体を供出させたり、先祖の墓掘りの協力をさせたりした、
「気まずい過去」や、
いまもなお残る差別と、それに起因する、「寝た子を起こすな」的な「忘却」を
望む人々の心理を巧みに利用して、返還運動を起こりにくくし、
名前の判っている人間のホネを、「学術資料」として、削っていまもなお研究している。
もっといえば、今生きている「血の濃い人間」の歯の情報を、
歯科診断にまぎれて収集したり、金を払って小便を集めたりする。
既に混血と同化がかなり進んでしまっている人々の実態、
激しく惨い差別のため、自身を日本人と思いつつも、
自ら否定しないと生きていけないおおくの人々の苦悩を知りつつ、
侵略前や、まだ混血の進んでいなかった大昔の人間のホネを研究し、
あたかも「純粋な日本人」が何処かにいるかのような幻想を作りだしたり、
多くが侵略によって失われた文化や言語をもてはやし、
「トラディショナル日本文化エリート」を養成し、
それらの文化教室に、日本人でもなんでもない白人や黒人までをも動員し、
文化を受け継げていない多くの「旧日本人」の心のより所を破壊する。
当然、その過程で、ちょっとのお金を「旧日本人」出身の者にも振り分けて、
「ガス抜き」も忘れない。
このような手法で、混血や同化の進んだ人々の、
「民族的覚醒」の芽を刈り取り、
民族を博物館や文化教室で消費しるものにすり替えて、圧殺する。
そして、学者や研究者は、
「純粋な日本人幻想の形成(日本人ストーカー)」や、
「日本文化職人の養成(日本文化フェチ)」だけにはとどまらない。
20世紀最後半の民間の食生活の構成や、ハンバーガーチェーンの全国展開、
一部の日本人の白人大好き病などを題材的にクローズアップして、
「日本人は、昔からアメリカ人と交流が盛んで、良き隣人であった」
「(植民地化の進んだ)現在の東アメリカ人と、アメリカ人は、大変似通っている」
「日本人は、多種多様な人間のいる全アメリカ人の先祖の一人といえる」
「実は日本人とは、歴史的にも、アメリカ人の一部だったのだ」
などとやらかし、講演したり本を書いたり、いろいろと忙しい。
さらには、一部の学者は、侵略軍が進駐していた頃、
侵略により大変経済事情も悪く、疫病なども流行っていた当事の、
「旧日本人は、種の性質として梅毒にかかりやすい」などと書かれている、
「旧日本人のカルテを集めた資料」を、
日本人の権利回復が微かに進んだ時代に再出版して、
怒った旧日本人運動家が、「これは人権蹂躙だ」と告訴すると、
「日本人は解体してしまって、おまえは自称日本人で、日本人ではない」とか、
「関西人と関東人は別の人種で、○○(運動家の出身でない方)人は、日本人ではない」とか、
意味不明のことをやらかして、民族運動を疲弊させる。
当然、裁判所はそのクソ学者の味方だ。
そんな劣悪の状況下で、多くの日本人は、戦えない。
稀に、日本文化や言語を受け継ぐ機会のあったものも、
観光や文化教室で食っている彼らは、支配者相手に戦えない、笑顔あるのみ。
それでも、日本人の為に、同胞の為に戦うものはいる。
だが孤軍奮闘する中で、ひとり、またひとり、
日本人を殺して文化やアイデンティティを奪いたい、奪って見せびらかして保管して、
それで生きていきたいストーカーや変態学者によって、取り殺されていく。
かくして、名実ともに、
「東アメリカは昔からアメリカの一部で、旧日本人は、アメリカ人の先祖である」
という『神話』か完成する。
それでも、日本人は、戦うのか?
日本国ではなく、日本人の為にだったら可能だろう。
太平洋戦争で日本が負けた時、アメリカ人が大挙移住してきて
日本人を片っ端から殺戮したり暴行したり、挙句の果てに同化政策を
とり、「今日から君たちは、私達と同じ東アメリカ人だ。」と言いつつ
今まで住んでいた土地も勝手に白人が所有し売り買いしたり。。
日本語は当然禁止され「教育も日常会話もすべて英語」。
神社仏閣も破壊され、そこにアメリカ風の建築物が建ち並ぶ。
当然「研究者」などが天皇陵から将軍家の墓は言うに及ばず民間人の墓までも
掘りかえす。
「自然界の生物は保護しなければならない」と言って、
豚肉・牛肉・パンを食べるよう強制し、鯨はもちろんサンマやアジまでも
禁猟として無断で漁をしたのが見つかったら犯罪者となってしまう。
国際的な批判を免れようと「旧日本人保護法」なんて物まで作ったり。
時間が流れ、東アメリカの白人大統領は「東アメリカは単一民族」などと言い出す。
混血も進み純粋な旧日本人は極めて少数になってしまった頃
「良識有る善良な」東アメリカ人は
「旧日本人差別を止めよう。私は差別などしない」などと言いつつ
近づいて来たり。。
今まで散々差別し存在自体を無きものにしておきながら「旧日本人として誇りを持て」とか。。
。。これじゃー、私だって叫びたくなると思う。。
ちょっとした疑問で恐縮ですが。
ちょっと前になるけれども
「奇跡体験アンビリバボー」の再放送か何かで、
浦島伝説の謎に迫る回が放送されていたという話。
浦島太郎のルーツを探る企画で、結構面白かったけど、
日本人(だけなのかどうかは知らないけれど)はどうして
「現代語」をもとに情報を探そうとするんだろう?
「この島の言葉で『浦島』『玉手箱』『竜宮』などに
似た言葉はありませんか?」とかいうことを
現地の人に聞いてみたり。ちょっと恥ずかしい。
なるほど竜宮と琉球は似てますね。・・・。
音の区分が異なる二つの言語を並べて「一字違いだ」と
言ってみたりするのは、日本人の特質なのだろうか。
すばらしい異世界へ旅立ち、ホームシックにかかり帰ってきたら
死んでしまう、という話なら北欧などにもあったはず。
別にルーツを探るのが目的ではなく、番組が面白くなれば
それで良いのだから、良いのでしょう。
タイトルで「あんびりばぼー」って言ってるし。
などということを思ったりした。
いやぁ、好きなんですよこの番組。
度重なる困難を克服して商品を完成させていく過程がね、お約束ストーリー
なんですけど、弱いんですよ私はこういうの。
今日もね、町工場の家族が電気釜を完成させていく物語に、ちょっぴり目頭が
熱くなってしまったりして。
ところで次回は、厳冬のエリモ岬に木々を植えていった漁師たちの物語です。
こ、これは・・・
今までと違った視線で見る必要がありそうですね。
北海道の「町史」によく見受けられると噂の「人類未踏の地に云々・・・」の
ノリなのか?それとも・・・?
さすがNHKは違うわいと感心させてくれる内容であることを期待したいです。
http://www3.ocn.ne.jp/~stoneco/
もともと私の問いかけは、「なぜ和人であることを原罪としてかんじられないか」
でした。
それについて川魚さんは、
人間は物質的存在である以上、「立場」からは逃れられないが、
改造はできる、
それでどうするのか聞いたら、
(共同幻想は)五官で感じ取れるものごとを土台になりたってる
だの、精神生活も、下部の、具体的生活の一部、だの、
漠然と「習慣を変える」「意識を変革する」と言ったところで
何も言ってない事と同じだけど、川魚さん、わかってる?
要するに、あなたは何も考えていない。「原罪である和人」という立場を
改造するために、精神面での作業すらしていない。ただ、マルクス主義という
(あなたにとっては)目新しい「お道具」を手に入れて、なんか
人より一歩リードした気になっているだけじゃないの
「トンデモ本」の類を読んで自分だけ世界の秘密を知ってしまった
気になってる奴と変わらんね。もっと現実に触れなさい。
>心の内面にも、そういう身体があるかどうかは、「ある」となっていますが、
>ここのところはじつはわたしは理解してないところなんです。
ではひとつお教えしましょう。差別を生み出す「共同幻想」は、確かに構造を持っているのです。
それは差別される側にとっては絶対的な「現実」としてまずのしかかってくるのです。
しかし、「新左翼」と自称するからには吉本の「共同幻想論」くらいは読んでるかと思ったけど、
そうでもないみたいね。
もっとも、そんなコムズカシイ本など読まなくても、イデオロギーの権威を借りず
現実と対峙してる奴にはワカルってもんだけど。
>具体的にいえば、俺を行儀のいい、毒抜きマイノリティエリートに、したいんだろ?
>それが不可能だったら、抹殺したいのさ。
>どう考えても、そういう意識てやってるよな?
そんなことないぞ!
逃げたつもりもないぞ!
もう、なにをいうてもあかんか。。
しばらくこの場を立ち去ります。
ロムに徹しますが、MLは続けます。
立場を改造する、という「幻想」における「立場」とは、
実は、
「自分が、より殺戮シャから遠ざかれる可能性を信じて、被差別シャを生贄として消費する行為」
ではないのか?
具体的にいえば、俺を行儀のいい、毒抜きマイノリティエリートに、したいんだろ?
それが不可能だったら、抹殺したいのさ。
俺を殺したい奴は、沢山いるしな(笑)。
高慢ちきな「助言」なんかは、いい例だよな。
おいおい、助言ってなによ?
自分の足元の人間に、どうすれば雲の上にいる自分達と、
「対等に話し」ができるかお教え下さるのか?
どう考えても、そういう意識てやってるよな?
いっぺん死ね。
少なくとも、
「善意に基づいていれば、結果として差別であっても道義的には正しい」
「構造的に殺戮シャでしかないのに、立場を改造できる希望がある」
という発想の根幹には、自分が属しているカテゴリーから、
(この場合、マイノリティにとっては自動的に殺戮シャでしかないマジョリティ、
アイヌにとっての和人、在日の人らにとっての一般ポン人、障害者にとっての健常者、など)
自身が脱却できる(逃げれる)という幻想の、ただの言い換えでしかないだろに。
ちゃうか?
もっと簡単に言えば、あいつはオタクだけど、おれは違うよと呪文のよう唱える、腐っオタク、
いうなれば名誉白人、あるいはアンクル・アイヌのようなものか。
もっとも、アンクル・アイヌだって、そうしないと生きていけない状況に和人に追いこまれて
いるんだから(例えば差別とか、奪われた文化を和人に押さえられて誇りを持てないとか)、
かわいそうだが、おまえは、ただのマジョリティ、同情はせん。
ムリなんだよ。
あんた、希望を持てるほどのことを、事実、ここでしたのかね? ああ?
それでも持ってるなんて、えらい甘えん坊やねぇ。
ここは、モスクでも懺悔室でもないし、俺は牧師でもカウンセラーでもないし、
なにより、俺はみのもんたは嫌いだ(爆笑)。
なお、以下の書きこみ文
>たしかに、植民地の名前は「朝鮮」でしたが、
>自分の名前で差別されたからというて、改名するのはおかしいでしょう?
は、かなり無神経な発想だと思うのですが。
かの書きこみの前にも、朝鮮・あるいは韓国・あるいは韓人でもない、しかも名誉を傷つけて
きた、現在もしている立場の人間が、高慢ちきにも「助言」をしているくだりが含まれると
思うのですが、いかがでしょうか?
これって、逆立ちしても子供を産めない男が、
出産方法について高慢ちきに助言するようなもんではないのですか?
それは、単純によくないっすね。
製造責任者(通常、一人限定)が、相手の女の人と一緒にあれこれ考える、
というのは可でしょうが、それでも、助言という姿勢は誠に不遜ですね。
自身の立場を踏まえることが大切でしょう。
理屈をこねることではなく。
出来てるんですか、本当に?
生活のなかでもとりわけ重要である、「精神生活」をどうとらえるかがわかりませんね。
そうですね、精神生活も、純粋な内面でなく、言葉にした瞬間に、具体性をもつ、ということですね。言葉は、音声にせよ、書き文字にせよ、空気やら紙やら、物質的な身体があるでしょう?
よって、精神生活も、下部の、具体的生活の一部なわけです。
心の内面にも、そういう身体があるかどうかは、「ある」となっていますが、ここのところはじつはわたしは理解してないところなんです。
脳細胞までひきあいにださねばならないのかも知れないです。
//
わたしも、布教を専門にしているわけではなく、あまり、講師としての役割には向いておりません。
ぺエペエのただの左翼なわけです。
なにとぞ、ご了承ねがいます(て、また口調こうなるなあ(苦笑))
龍淑さん>
そうですね、「立場を脱却する、変える」とは、生活において、習慣を変える、ということですね。その人にとって、生活こそが、まさに、「立場」なわけです。
毎日つづく生活のパターンをかえていく、それには、当然、食い扶持の革新、意識の革新がともなう、といおうところですか。
それと、やはり、国会議員のようなしゃべりくちは、これが癖なのですが、失礼かもしれません。
下のレスでは、やりきれなくなってしまいましたが、どうすればいいんでしょう?
なるべく、レスは、具体的にする、ということでしょうか。
でも、「率直な御意見ありがとう」云々は、本心からでたものです。
表現、考えてみます。
またぞろになりますが、下では文句もいうてしまいましたが、
率直に指摘してもろて、実はありがたいです。
おっしゃいますが、こちらはこれでも、まじめに、一生懸命言葉を選んでるんですし、
かんべんしていただけませんか。
でも、「言葉が国会議員みたい」と、かつて批難されたこともあるので、
かえって失礼なのかもしれません。
これにおわびをいうとまたぞろ同じことのくりかえしになるかもしれませんが。
話しの内容については、最初のレスで、「なかなかくわしくというわけにはなりません」と申し上げた通りです。
ううん、「立場を脱却、改造する」とは、あきません、これ以上具体的に解説できません、すみません。
物質に還元とは、心のような、手にさわれない、五官でとらえられない要素でも、生活上での、手にふれれる、五官で感じ取れるものごとを土台になりたってる、という意味です。
うちなる共同幻想は、毎日の、さりげない、そういう具体的な生活実践のひとつひとつからなりたたせているものであるのでしょう。
くりかえせば、具体的(五官でとらえれる)な生活がすべての社会現象の基礎となっている、ということです。
心が、心として自律的に発展していくのではなく、いつも、下部の、生活からたちのぼる、蒸気のようなものの連続としてあるわけです。
つまり、心には自律した歴史はなく、歴史は、みな、生活の歴史に還元できるわけです。
きょうのところはこれで御勘弁願います。
あと、わたしは、啓蒙者になるつもりはないのです。
一方的に、「わからないから聞かせてくれ」式の対話は、対等な地平にたった対話でないと思います。
わたしのほうで一方的なところがあったらごめんなさい。
それで、その立場(文脈上、当然「差別者」だわな)から脱却するだの、
立場を改造するだの、ってことの内容について言ってくれないかな〜
でないと話がすすみませんよぉ〜
(ということは、川魚さんは相変わらず私にとって無根拠な白人優位思想的
トンチンカン啓蒙者であります)
>そういう内面の問題も、左翼のほうでは、物質に還元するのです。
ほぉ〜、だったら川魚さんの内なる共同幻想はどういうふうに
物質に還元できるのかな〜?
マル経とか唯物史観とかほとんど忘れちゃったけど、人に言われれば
思い出すかもしれんので、専門用語OKだからちょっと説明して見て
くれませんか?
そうやで、わたしは、アイヌにも朝鮮にも、自称問題で口出ししたことはなかったですよ。
ちょっと勢いに飲まれてた。
少しだけ、名誉恢復させてください。
「朝鮮」呼称については、
「自称」問題にもからむかも知れませんが、
主に、日本人のわたしたちが彼等をどう呼んだらええのか、を念頭においた議論でした。
(認識不足、というたのも、大韓民国人に、朝鮮、ということばを使って、批難されたことがあったので)。
龍淑さん>
>はっきり言って、自分の民族のことをどう呼ぼうが、ほっといてくれ、ですよ。
>日本人のあなたにできることは、せいぜい「チョーセン(川魚さんは関西出身と
>お見受けしたのでこのイントネーション・ニュアンスはすぐ理解できると思います)」
>等、明らかに侮蔑の匂いのする呼称を用いるあなたの「同胞」に対して「オイ、
>ちょっとそれはないんじゃないか」と言って下さるくらいでしょう。
いままで、比較的よく知っているつもりであった、朝鮮の方からの率直な御意見、ありがとうございました。
認識を新たにしました。
>「立場」から逃れられない理由は「物質的存在」だけですか?
>自己の内なる共同幻想、みたいなものに対する考察が欠けてるんでは?
そういう内面の問題も、左翼のほうでは、物質(ていっても、現代物理学なんかみてても意味もはや不明ですが)に還元するのです。
>余談ですが、
>川魚さんには関係ないかも知れないけど、サヨクの人がよく持っている
>「圧政に苦しむ朝鮮の民衆」というイメージ、どうにかなりませんかねえ。
>もうこれは古いのかな? しかし今だ在日である私にまで「だから連帯せよ、
>日帝・米帝打倒に立ちあがれ」などとけしかけられてる気がします。
ううん、どうなんでしょうか?
過去のイメージは、段々払拭されていってるとは思いますが、
なんともわたし個人ではいいかねます。
因みにわたし個人のイメージとしては、さすがにそういった古いイメージとは違うようです。
お怒りになるかもしれませんが、かなり、「問題は解決してきている」と思い込んでいました。
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>Esamanさんの、「原則」も、帝国主義が往来している世の中では妥当性をもつのかも
>しれませんが、結局は閉じた構造になっていくのではないでしょうか。
>よって、わたしは、以降も、朝鮮のことに、「口出し」していくつもりです。
川魚さんのこの書きこみ(20くらい前かな)を見たときの私の率直な感想は、
「うわぁ〜、また鬱陶しい奴がでてきたもんやな」
というものでした。
はっきり言って、自分の民族のことをどう呼ぼうが、ほっといてくれ、ですよ。
日本人のあなたにできることは、せいぜい「チョーセン(川魚さんは関西出身と
お見受けしたのでこのイントネーション・ニュアンスはすぐ理解できると思います)」
等、明らかに侮蔑の匂いのする呼称を用いるあなたの「同胞」に対して「オイ、
ちょっとそれはないんじゃないか」と言って下さるくらいでしょう。
>たしかに、人間は、物質的存在である以上、「立場」からは、常にのがれられませんが、
>その立場を改造することができる、ということです。
「立場」から逃れられない理由は「物質的存在」だけですか?
自己の内なる共同幻想、みたいなものに対する考察が欠けてるんでは?
>同じ和人、日本人でも、別の意味での和人、日本人になれうる、ということです。
>同じ言い方をされるような存在からは脱却できる、と考えています。
と、簡単におっしゃってくれてますが、
被差別者たる私もまた「原罪」を背負っているのですよ。
すなわち「差別を受け入れている」という罪です。
この社会で行われている差別に抗議の声をあげず見逃してしまっている
という罪です。もちろん少々抗議運動をしたくらいで全部カバーできる
わけじゃない。
それは同胞のうち一人でも「朝鮮人」「韓国人」の名のもとに
差別されている限り、消えるものではありません。たとえそいつが
在日ヤクザや犯罪者、あるいは人間的にどうしようもないクズのような
奴だったとしてもね。
もちろん、この「原罪」については差別者の立場にいる川魚さんに
とやかく言う筋合いはないけどね。
余談ですが、
川魚さんには関係ないかも知れないけど、サヨクの人がよく持っている
「圧政に苦しむ朝鮮の民衆」というイメージ、どうにかなりませんかねえ。
もうこれは古いのかな? しかし今だ在日である私にまで「だから連帯せよ、
日帝・米帝打倒に立ちあがれ」などとけしかけられてる気がします。
Esamanさん>
>どこぞの民族の自称は、歴史的経緯からいって、こうこういう自称がダダしい、
>それができてない奴らは、認識不足なんだ。
以前わたしはサンぺで、朝鮮についてこの発言をし、Esamanさんから怒られ、
「ああ、たしかに、ウタリ=アイヌと同じ問題もあったな、認識不足やった」、と
考え、自己批判しました。
しかし、ここでいいわけさせてもらえれば、
朝鮮呼称問題には、
政治問題として、特別に議論をする伝統もあるのです。その議論の延長のつもりでした。
しかし、当の朝鮮人たちと対話がとれておらず、議論がずれていったようです。
ご理解願いたいところです。
この辺について、龍淑さんは、どう思いはりますか?
>なんで「原罪」とは感じられないのですか?
>なるべく詳しく教えて下さい!
詳しく、とはなかなかなりませんが、わかるかぎり、お答えいたしします。
まず、「階級斗争の理論」と書いたことは、不適切でした。階級斗争とはずれるかもしれません。階級斗争ということばも、もいう古いものですし。
//
たしかに、人間は、物質的存在である以上、「立場」からは、常にのがれられませんが、
その立場を改造することができる、ということです。
同じ和人、日本人でも、別の意味での和人、日本人になれうる、ということです。
同じ言い方をされるような存在からは脱却できる、と考えています。
どうにも、理論的すぎて、理想主義の印象をまぬがれない解答しかできませんで、すみません。
Esamanさんへ>
>アイヌの敵は、資本というよりは、マジョリティなんですがね。
>マジョリティって何か?
>もの言わぬ大衆なんてのは、際目付けの権力者でっせ。
>資本と権力は一致することがおおいけども、金なくても大勢いるのも、既に権力、つま>り暴力なんですがね。
わたしは、長い間、「資本」という括りで、「結局は」、全て説明できると信じてきました。しかし、左翼の世界も、いま丁度理論の転換期であり、まさに総括が求められています。いますぐに、というわけには参りませんが、ゆっくりとやっていくつもりです。
>「階級闘争の理論」の「階級」には、金も頭数もない上に、労働者にも差別される人々
>て、入ってるんですか?
階級という言葉は、もう古いようで、使ったのは不適当でした。
またこの言葉も同じように、全ての人間存在を説明できるかのように、我々の多くはとらえてきましたが、もはや通用しないようです。
また、左翼は、人間社会をトータルに捕らえてきたつもりでしたが、
左翼の歴史を見ると、失敗しています。
それでもわたしは、最終的解決ができるのは左翼のみ、と信じていましたが、
それも、「総括」が必要なのかも知れません。
結論を出すには、仲間たちと相談しても、まだ時間がかかると思います。
「赤い星」のくびき、とのこと、そんなんはスターリン主義者一派(共産党など)のやったこと、われわれは違う、と誇らしく思ってきた新左翼ですが、いままでの者を見るかぎり、似たりよったりのようです。
どうにも、左翼には、わたしを含め、高慢な者が多いのも事実です。
あと、甘えるのも、するつもりはないです。
その通りですね。
左の人は、なんだかんだいって高慢ちきな「連帯」を押し付けてくる場合が多い。
いったい何様のつもりなんだが。
労働者とか貧民だと、いっさい差別とか搾取しないとでも思っているんだろうかね?
「階級闘争の理論」とやらにおいて、最下層の人間にもバカにされたあげく、
ただバカにされるだけならいざしらず、エコエコ、あるいは古代ロマン幻想の対象にされたり、
「おれたちは弱者の見方だよ〜ん」ということの確認の為に、資源として利用されちゃう人達の境遇は、
(つまり、より見下している連中を啓蒙して立ちあがらせて証拠作る、実はただのおせっかい、唾つけ)
どうなるんざんしょ。
どこぞの民族の自称は、歴史的経緯からいって、こうこういう自称がダダしい、
それができてない奴らは、認識不足なんだ。
などという発想は、実は、
「数も数えられない土人を啓蒙してやるために南方に進駐した国家に給料貰ったヤクザもん」
と、頭の中身は一緒ぢゃないんでしょうかねぇ。
隣人として当然?
そうですな、欧米列強のクビキから亜細亜の同胞を解放するのは、隣人の友愛精神として当然のことなんでしょうな。
バタ臭いクビキの代わりに、菊のご紋の入ったクビキ、あるいは、赤い星のクビキをつけてあげるのが、
無知蒙昧な土人にはお似合いなのでしょう。
そういう野蛮人は、いっぺん死んだ方がいいですな。
アイヌの敵は、資本というよりは、マジョリティなんですがね。
マジョリティって何か?
もの言わぬ大衆なんてのは、際目付けの権力者でっせ。
資本と権力は一致することがおおいけども、金なくても大勢いるのも、既に権力、つまり暴力なんですがね。
「階級闘争の理論」の「階級」には、金も頭数もない上に、労働者にも差別される人々って、入ってるんですか?
それを、いかに利用し尽くして動員するかの方法ではなく。
自己批判せい、総括せい。
いまさら、黙る権利なんてないぞ。
あと、甘えられるのも、もう御免なんだが。