いやぁ、やはりアイヌの話ってのは、昔話として理解されていましたか。
実際、アイヌ自体は北海道以外にも数多く存在し住んでいて、日常を送っているのですが、
「北海道の」「昔の」「哀愁漂う」というかんじに理解されている人も、多いんでしょうね。
「不幸中の幸い」というには、現実にもリアルな差別が多い中、
たまに理解したいといってよってきた人は、いまだもって古代のロマンとアイヌをごちゃ混ぜにしたり、
アイヌというと森の中から出てきた原始人と思っている人がいたりするりで、全く持って不幸の連続しかない、
という認識が本当のところですが・・・
「日本には他にも多くの同化されてしまった異民族がいて、
アイヌのように『建前上いないこと』ではなく、本当に消されてしまって死に絶えてしまった人々もいた」
という文脈で考えるならば、確かに、色々と苦労はあっても、いま私がここにアイヌとして生きていること自体が、
不幸中の幸いである、とも言えるかもしれません。
(アイヌから見れば和人だけど、蝦夷人でもあるぞ、といっている人はいますけど、これなんかは民族意識の復活? かもしれませんね)
でも、アイヌの中にはいまだに、
「(心の中だけでも)アイヌとして生きる」事が困難で葛藤する人々も少なくないことを考えますと、
やはり、そうもいってられないなぁ、と思います。
「差別化する」というのは、実は同じ性質のものに、付加価値をつけるために、「わざわざ」変化させるという意味ですよね、
でも、よく考えたら現実のあらゆる差別も、もともとはたいした差が無いものに、「無理やり」差をつけて、
価値を貶める、ということですから、本質的には、おんなじ事なのかもしれませんね。
(「障害者」とか「単一民族」とか「国民」なんてものも、実は近代化の中で都合よく作られた言葉・イメージですよね)
アイヌの場合は、もともと日本人でも国民でもなかったものを、明治維新前後に、日本人として組み入れたと。
そのとき、やっぱり日本人ぢゃないので、色々と言うこと聞かなくてスムーズにいかないから、
「二流の日本人(旧土人)」としたと。
そして、徹底的に差別化してバカにして痛めつけて、「日本人で無いこと(つまり、アイヌであること)」を
恥ずかしいことだと思わせて、それを捨てて日本人になることがいいことだと思わせることによって、
アイヌの心を破壊しようとしたわけですね。
(サケ・シカ漁とかを禁止して経済基盤を破壊、貧乏になった頃に、和人より随分扱いの悪い農地付与政策の旧土人保護法制定、
土人学校設立して、アイヌ語や風習を禁止してアイデンティティ破壊、などなど・・・)。
そんな「いじめ作戦」も、ぼちぼち威力はあってアイヌは隠れるようになったけど、でも、
ここにこうしてのさぼっている(笑)アイヌもいるので、作戦失敗でしたねぇ。
そんでもって、生き残ったアイヌが集まって、アイヌいじめた責任とれといって文句いったら(アイヌ新法制定運動)、
「アイヌのブンカは大切にしましょう」とかいって、和人もアイヌも等しくアイヌ文化活動にお金を出す財団と法律を作ったと(アイヌ文化振興法制定)。
当然、アイヌでアイヌ文化をみにつけている人は少ないし、それ以前に差別がヒドイので、アイヌがアイヌ文化やるといっても、
スムーズに出来ない。
そしてお金は、無邪気な和人の研究者にばかりよくまわって、和人のアイヌ文化エキスパートがどんどん輩出されると。
かくして、差別は以前残って、「アイヌらしさ」は和人に吸い取られて、アイヌはもっと悩むと。
これ、新しい同化政策なんですねぇ。
どう思います?
>疑問、質問、思った事など、なんでもおかきください。 どんなに厳しく違った意見でも、あなたの心と存在に触れられる事が嬉しいです。
看板に偽りあり、ですね。 もっと寛容にならなければ・・・。ま、言っても無理かな。
でも管理人の言うことには従います。もう書きません。
論理的反論を期待していたのですが、感情的なリアクションが来るとは…。
あなたの、アイヌ語への興味と方向は分かりました、ご自由に。
しかし、現在にしっかりと生き延びる、我々アイヌ民族の存在を、
得体のしれない古代幻想の闇に消費するようなことは、しないでいただきたいものです。
また、満足にに自己紹介もしないうちに、また場の流れとを無視し、
自分の書きたいことだけ(アイヌ語と古代ロマンの混同視)を書き述べる姿勢は
(実際、貴方の書きこみはただの独り言ですね)、
この場に集い対話をしているほかの人々にたいする妨害にもなりかねません。
これは要請です。
なにとぞ、自分の言いたい事のまくし立ての前に、
せめて場にいる人間に名乗り、対話する程度の礼節をお持ちください。
まぁ、要請といっても、私は、この場では、書きこみを削除したりはしませんがね。
そのかわり、非常に幻想の入った独り言に対し、巨大なる不快感を表明します。
私は、現代に生きる一アイヌとして、アイヌ=縄文人=古代幻想という腐った連携は大嫌いです。
また、所詮はとなりの言語でしかない、アイヌ語と昔の日本語の似たような部分を探してきて、
云々する話しも嫌いです。
嫌いだからここに書く権利はない、とまではいいませんが。
なぜかというと、そういう話をする方々は、対外、「だからアイヌと日本人は同根で、同じ仲間」
みたいな事をぶちまけるからです。
この発想の裏には、だから私は和人ではなくアイヌと親戚のようなもので、差別についても、
同化政策についても非難される言われ無し、というセコイ根性が隠れています。
実は、15年ほど前の中曽根氏の「単一民族発言」の時、氏がぶちまけてより問題を大きくした
台詞の中にも、同じような趣旨のものがありました。
(私はマユが濃いのでアイヌの血が(縄文人だったかも)入っているかもしれないので・・・という台詞。ただのバカですね)
まぁこの手の人ってのは、アイヌが講演したりイベントしたりすると、
(当然言語話ではなく、開放運動とか、それに繋がる事に願い込めた文化イベントとかですよ)
必ず一人はやってきて、自分の住んでいる土地の地名がアイヌ語かとか、アイヌは縄文人だとか、
しょうもない事をしつこく聞いて来たりするんで、私は、なれていますがね。
http://www.alles.or.jp/~tariq/homogenous/tanituhatugen.html
ちょいとばかしイヨマンテの話をしたばっかりに、出てきちゃったんですかね。
だから、あまりしたくなかったのですが。
ニンニンケッポさんへ。
>皇尊のスメラ、スメロキはアイヌ語にほぼ間違いないと思います。
>正確には縄文語というべきかも知れません。アイヌは縄文人の末裔だと思います。
我々人類は「テナガザルの原型ようなものの末裔」ですが、
現在はテナガザルでもゴリラでもチンパンジーでもなく、人間です。
そして、現在から2000年後の人々(異星人含む)から見れば、
我々は、現代生きている人々のうちの、ごく一部偶然残った遺跡や骨からのみることの出来る、
「20世紀アジア人(あるいは、この時代の経済的な先進地域からよく出土する携帯電話に注目されて、小型電子機械携帯人)」
だと思いますが、我々の話している言語は、
「20世紀アジア語(あめいは、小型電子機械携帯人語)」ではありません。
そもそも「縄文人」というのは、現代の我々が、限られた遺物の存在のみから知ることの出来る、
骨やら土器やらの特徴から、便宜状作った組み合わせで、民族ではありえません。
民族というのは、血統や遺伝子、使用する土器、村落の形式などの外見判断からは到底判定
できませんので、実際我々が「縄文人」と人くくりにしてしまっている人々の間には、
随分多様で複雑な民族、宗教も、祭る神も違えば、言語も違う人々が存在していたと思われます。
実際、日本が近代国家を歩み始めた頃の日本ですら、
端と端とでは会話が可能だったとは思えないので、それ以前に、何者かも分からない縄文人と
勝手に我々が仮称している人々の言語を詮索するのは、既に失笑者でしょう。
(鹿児島方言と津軽方言の相互理解はほぼ不可能、いまの津軽人と鹿児島人が会話可能なのは、
共通語教育が徹底していたから←人によっては今でも不可能。ウチナーグチやアイヌ語は既に異言語です)
そもそも、
「黒人語」「アフリカ語」「帰化人語」「インド語」「北京原人語」「インディアン語」「外人語」なるもの
が存在しないように、「縄文語」というものは存在しえません。
縄文語って何ですか? それ以前に縄文人って何者?
骨と遺跡しかわからない「縄文人」とよばれる人々が、何をしゃべっていたのかとか、
何を考えいてたかとかは、わからないですよね。
何を食べていたか、何を着ていたか、程度なら、遺物から分かるでしょうが。
でも、消えてしまう塗料の模様とか、刺青とかはわからんですわね。
まして、「民族」の根幹をなすべき帰属意識なんかは、調べようがないですねぇぇ。
第一、「縄文人」という人自体に直接会って聞いたわけでもなんでも無いので、
そんな詮索が無意味であります。
よって、「アイヌは縄文人の子孫」という台詞は、
「人類はチンパンジーの子孫」という程度の言葉として受け取っておきます。
(正確にはこの表現は間違いで、チンパンジーをバカにしています。現在のチンパンジーは、
人類と猿の共通の先祖の原型猿から、「よりチンパンジーらしく」進化し発展した姿です)
http://www.alles.or.jp/~tariq/homogenous/tanituhatugen.html
「阿那而恵志(アナニエシ)、而植弥志子田庭(ニウヘヤシコタハ)」とおっしゃった。
そして大神は再び高天原に登られた。それでここを田庭(タニハ)と言うのである。丹波、旦波、但波、など全て多爾波(タニハ)と読む。」
つまりこの不可解な言葉は、今で言うところのアイヌ語で、日本の「最高神」が、灌漑事業の成功を語ったものと言える可能性があります。
アイヌ語には、日本語のような明確なテニヲハはありませんから、これを日本語として分りやすく書くと、トヨウケ大神は次のように言ったことになります。
「本当によく豊かに実(みの)りましたね。豊かにいっぱいに実っているこの田畑がこれで出来上がりましたね。」
このトヨウケ大神というのは、豊かな食物を司る女神で、古事記に見える「豊宇気毘売神」
(とようけびめのかみ)、「登由気神」(とゆけのかみ)、
丹後国風土記逸文に見える「豊宇賀能売命」(とようかのめのみこと)、
摂津国風土記逸文に見える「止与宇可乃売神」(とようかのめのかみ)、
陸奥国風土記逸文に見える「豊岡姫命」(とよおかひめのみこと)は、それぞれトヨウケ大神と
と同一神です。あるいは、同じ名前のさまざまな訛りと言ってもいいでしょう。
また「延喜式」(えんぎしき)の「大殿祝」(おおとのほがい)の祝詞の中に「屋船豊宇気姫命」
(やふねとようけひめのみこと)のことを、「是(これ)は稲の霊なり。
俗の詞(ことば)に宇賀能美多麻(うかのみたま)といふ。」とあり、特に稲の豊穣に関わる神とされています。
これらの傍証から、前述の解釈は、まさに豊穣の神にぴったりの言葉です。
さて次に、残欠では、「豊宇気(トヨウケ)大神が当国の伊佐奈子(イサナゴ)嶽に降臨した」と書いてあります。
他の「正統」な文書でも、伊佐奈子を学者は「イサナゴ」と読み慣わしています。
しかし、これは元々は「イサナシ」と呼ばれていたのではないか、と思われます。「子」は音読みでは「シ」だからです。
伊佐奈まではすべて音読ですから、「子」だけ訓読にする必要はありません。
「ナ」と「ヌ」は通音なので「イサヌシ」としますと、isa〔実る〕usi〔場所〕というアイヌ語がよく当てはまります。
isaは動詞ですが、アイヌ語の場合、冒頭に来ると形容詞の働きをする場合があります。
また、「イサウシisausi」はauと母音が連続しています〔重母音〕が、上代の日本語はこのような重母音を嫌いますので、「イサヌシisanusi」として、母音同士の間に大抵は子音が入ります。
トヨウケという言葉のさまざまなバリエーションを見ますと、これはアイヌ語でtoy-ukと音写することが可能なことが分ります。
ukは子音で終わっています〔閉音節〕。しかし、日本語では、基本的に語尾は母音終わりとなります〔開音節〕。
したがって、この場合、toy-uka(トユカ〕とかtoy-uke〔トユケ〕となります。
さらには、toy〔土地〕も閉音節〔toiと発音されるため〕ですから、これもtoyo〔トヨ〕とかtoyu〔トユ〕と発音しようとする力が働きます。
この力〔A〕が働いた場合は、トヨヲカ〔岡はwokaと発音されていました。したがって、当時は
重母音になりません〕となり、toyukを独立した単語と見た場合は、この力は働かずトユカとかトユケとなります。
これじゃ怒涛のカキコだな^^; 以下省略とします。
「阿那而恵志〔アナニヱシ〕、而植弥志子田庭〔ニウヘヤシコタハ〕」。
これはトヨウケ-オホ神が喋ったという言葉です。彼女は天照大神と同一神とも言われている神です。
丹後風土記残欠に出てくるこの「話し言葉」の最後の「田庭」が丹波の地名の由来になった、という地名由来譚ですが、むろん他の正統(?)な古事記同様、こじつけです。
もっとも、「而植弥志子田庭」の部分は、近年、在野の研究者により「面植弥志与田庭」と書き替えられてしまっています。
言葉の意味もわからないと言っておきながら、文字を書き替えるという神経が、よくわかりませんが、おそらく、日本語でなんとか解釈しようとした結果でしょう。
しかし、このように改変しても、意味はほとんど解読されていません。
そこで私は、原文どおりとして、そのうえで、上代日本語、吏読(りとう)〔中世韓半島で用いられた一種の万葉仮名〕あるいは最近韓国で出版された「全国方言辞典」を用いて、解読を試みてみました。
しかし、解読は不可能でした。殊に、「ニウヘヤシコタハ」などさっぱりわかりません。
そこで、最後の手段として、アイヌ語辞典を参照しました。参照したのはバチェラー、服部、萱野、中川、田村、知里、各氏による6冊の辞書とアイヌ語文法書です。
「アナニヱシ」→ an-nuye-si〔アンヌヱシ〕
「ニウヘヤシコタハ」→ nuyean-sik-taap-pa〔ニウェヤンシクタァパ〕
以上のようなアイヌ語にまず音写しました。
「アンヌヱシ」とは、an〔実に・まったく〕nuye〔豊かに〕si〔よく育った〕というアイヌ語の意味に翻訳できます。
「ニウェヤンシクタパ」は、nuyean〔豊かに〕sik〔いっぱいになっている〕taap〔これ〕pa〔手に入れる〕
アイヌ語には過去形はありませんから、これを整理すると、以下のようになります。
「実に豊かによく育った」「豊かにいっぱいになっているこれを手に入れた」
では、どういう場面で、この神はこのような言葉を喋ったのか。
丹後風土記残欠の該当部分を引用しますと…
「丹波という名前を付けたわけは、昔、豊宇気(トヨウケ)大神が当国の伊佐奈子(イサナゴ)嶽に降臨したとき、天道日女(アメノミチヒ)命たちは、この大神に五穀と蚕などの種を頂けないか、とお願いした。
その嶽に真名井(マナイ)を堀り、それで潅漑して水田陸田を造って穀物の種を植えた。
秋には垂穂八握莫々然甚快也。
大神はそれをご覧になって、大喜び
アイヌ語を勉強しています。
皇尊のスメラ、スメロキはアイヌ語にほぼ間違いないと思います。
正確には縄文語というべきかも知れません。アイヌは縄文人の末裔だと思います。
一般に、スメラはシュメール、須弥山のsumeだと言われています。つまりアルタイ系ですね。
しかしこの通説の欠点は、ラ、ロキの意味を解明し得ていません。
縄文時代以降、日本には「磐座信仰」がありました。磐はアイヌ語でsuma、座はror(座る、上座)、rorke(上座あるいは奥)です。
つまりsuma-ror、suma-rorkeとなります。スメラ(皇神)、スメロキ(皇祖)です。
カムロキ・カミルキはkamuy-rokで「神座」が原義で、高皇産霊神などの男神の尊称、
男の皇祖神の尊称とされています(後世のミカドと同じで、この場合は門を指して天皇)。
古代は「座」を指して男神を指したと思われます。
rokは「座る(a)」の複数形かつ自動詞です。
もう少し細かく言いますと、スメロキはsuma-rok[磐座(いはくら)]であり、スメラ尊のスメラは単数でsuma-a(日本語では重母音を避けるのでsumaとaの間に、子音rを入れたものと思われます。あるいはsuma-ror(磐の上座)で、日本語では閉音節はないので、語尾の子音、rは落としたことも考えられます。
ともあれ、rokは「座」ですが、romという言葉は存在しません。
したがって、これらは、rokを開音節rokiと呼ぶようになったとき、「キ」となるので、
その対語である「ミ」をここに当てはめて造語し、女性用に、「ロミ」と作った可能性があります。
あるいは、当初から、rorに日本語kiを加え、rorkiで「ロキ」とし、rormiで「ロミ」と呼んだ
可能性もあります。
この場合は、スメラはまさにsumaーrorという事になります。
pはm音に交替しうるので、皇御孫sume-mimaはsuma-mippo(孫)かも知れません。
遠(トホ)スメロギはtoop-suma-rorke(トオッスマロケ)。
スメ神sume-kamiはsuma-kamuy(スマカムィ)。
以上のようにきれいに対応しています。
鹿児島にある桜島はアイヌ語でしょう、おそらく・・・。
一見してわかるように、極めて陸地に近い島です。
「岸辺の側の島」をアイヌ語で、sa−un−kur−an−sir〔サンクラン・シッ〕といいます。sa(岸辺)−un(の)−kur(側)−an(にある)−sir(洲)です。
新潟県東頚城郡浦川原村の大字に桜島の地名がありますが、これは保倉川に接していますから、「河岸の側にある地」であろうと推定されます。
三重県鈴鹿市桜島町は、もともと縄文時代、海辺だったと言われています。
その場合は「岸辺の側にある地」という事になります。
そうでなかったとしても、直径1`以上ある石垣池がありますので、
「湖岸の側にある地」であったかもしれません。
青森県の佐井村にある桜島は津軽海峡に面した海岸の地名で、弁天島の南約1`の
所にあります。これはまさに「岸辺の側にある洲」そのものです。
ただsir(洲)がsimaに交替しうるかは疑問です。が、島は普通名詞ですから、これは
別系統の言葉と見てもいいでしょう。
風土記というと、普通は713年(和銅6)5月の「郡内ニ生ズル所ノ銀銅彩色草木禽獣(きんじゅう)魚虫等ノ物、具(つぶ)サニ色目(しきもく)ニ録シ、及ビ土地ノ沃■(よくせき)、山川原野ノ名号ノ所由、又古老相伝フル旧聞異事ハ、史籍ニ載セテ言上セヨ」(続日本紀(しょくにほんぎ))
という命令によって編述されたものを指します。
現在残っているものは、『出雲(いずも)国風土記』『常陸(ひたち)国風土記』『播磨(はりま)国風土記』『肥前国風土記』『豊後(ぶんご)国風土記』で、これらも完璧なものはあまりありませんが、この五風土記以外の多くは逸文(いつぶん)でしか残っていません。
つまり他の文書で引用されているものがほとんどです。
ところで、比較的まとまって残っている風土記でありながら、偽書ではないか、という理由などによって、学界から完璧に無視されているものがあります。
『丹後風土記残欠』(たんごふどきざんけつ)伽佐(かさ)郡の部分がそれです。
ではこの『丹後風土記残欠伽佐郡』は、完璧に無視していいほど出鱈目のものなのか、検証してみましょう。
この文書の中に、次のような奇妙な記述があります。
はじめまして、あつしと申します。
先日このサイトを見つけて以来、定期的に見させていただいています。
昨年初めて北海道を旅行しました。そこで初めてアイヌ民族の存在が昔話で無いことを知りました。
それは私にとって驚きでしたが、同時に謎が解けた!というのが率直な感想でした。アイヌ民族の歴史に関する本を購入して読んでみましたが、そこには今まで全く知らなかったことが書いてあり、私の頭の中の薄っぺらな日本史に奥行きが出てきました。(学生時代、ただ単に一般知識として習ったのは実はそのかなりのものが民族支配に関するドロドロしたものだったのでは?という気すらしてしまいます)
安直に(かつ冷静に)意見を言わせて頂きますと、アイヌ民族の方々は民族として存続できている点については幸運(不幸中の幸い)であると思います。本州にもきっといろんな民族がいたと思いますが、相当早い時期にきっと同じようにひどいことをされて完全に同化されてしまったのではないかと考えるからです。
逆に和人と称される人々も、もとをたどるといろんな民族の混血の結果存在する民族で、固有の文化に乏しい哀れな人々ということになるかもしれません。
ところで、これまで日本社会では横並びで同じことをするのが良いとされていましたが、最近は変わってきたのではないかと思います。ビジネスの上では「差別」という言葉も「差別化する」というプラスの意味で使われていますし、他と違った特徴を持つということが評価される時代になったと思うのですが、実際はどうなのでしょう? やはり地域社会ではいろいろ問題があるのでしょうか? 個人的にはいろんな個性を持った人たちと交流できるのは幸せだと思うのですが、それを拒絶する人はたくさんいるのでしょうか?
都市部では外国の人が珍しくなくなり、日本人の島国根性もだいぶ崩れてきたと思うのですが..
平和ボケした勝手な意見で恐縮ですが、とりあえず何かメッセージを送ってみたくて投稿させて頂きました。どうかよろしくお願いします。
一度、「イヨマンテ」と呼ばれるものについて、極めて大雑把(地方差や正確さはこの際無視)に説明します。
いわゆるイヨマンテというのは、
まず、2月頃、クマの子供を捕まえてきて、家族よりいいものを食べさせて大きくします。
そしてほどほどに大きくなった頃(すこし狂暴になる手前頃とか、大人になる手前でしょうか)、
何日間にも渡る準備をして、人を盛大に集めて、そして、クマに綱をかけて連れ出して、
皆で花矢(イヨマンテ専用のものが各地に伝わっています)を射掛けます。
最後には実際の矢を射掛けて止めを刺したり、丸太ではさんで息の根を止めます。
そのあと、作法にのっとって解体します、遺体を毛皮、体のそれぞれの部分などに解体して、家に運び込みます。
この運び込む窓とか、順番にも作法があります。
特に頭蓋骨は精神の宿る場所といわれているので、家の中で丁重に扱われ、念入りに解体されます。
皮を綺麗に剥いで、脳髄を取りだし、それを塩漬けにして解体に参加している人に配ります。
脳髄の入っていた場所には、イナウ(木を削って作った、儀礼に使うご神体のようなもの)を詰め、
皮を剥いだ頭は、イナウで包むように覆い、化粧をします。
この「化粧」、イメージしにくいかもしれませんが、イナウというのは白木を削ってリボン状にしたものの集合体で、
作ったばかりのイナウは木の水分を含んで瑞々しく、透き通るような美しさがあり、それで飾り立てたクマの頭は、
「髭を剃ってすっきりした顔」などとユカラで表現されるほど(つまり普段のクマは髭面ですね)、神々しいものがあります。
(以下、特に順番が大変曖昧ですので、あくまで大雑把な雰囲気を理解してください)
さて、そうして「化粧」したクマの頭と毛皮などを、家の中の上座に鎮座させ、いろんなものをお備えしたり、
祈りの言葉をやねぎらいの言葉をかけて、盛大に宴会をします。
イヨマンテの間は夜中中宴会騒ぎをしているので、昼間はみんな寝ていた、という話もあったようです。
この際、クマにおもしろい話を語って聞かせるのですが、その話を面白いところで止めにするらしいです。
この話の続きを聞きたいのと、アイヌのもてなしが盛大なのがうれしいのとで、クマがまたやってくる、
と言われています。
翌日か何日かあとかしりませんが、そうして盛大に歓待したあと、用意してあった木のてっぺんに飾り立てた頭をくっつけて、
肉や内臓(熊の胆とか)をひっかけます。 そして、実際に着物を着せて盛装して、祭壇に立てて、
祈りの言葉を掛けて、お供え物をして、どっちかの空(確か東? これにも厳密な作法があるが覚えていない)
に花矢を射掛けて、クマの神がクマの神が住む世界へ旅立つ道を清め、クマの神の世界に無事辿りつくことと、
再び帰ってきてくれることを祈ります。
・・・・
こんな感じが、いわゆる「イヨマンテ」と呼ばれるものですね。
今まで見た映像、資料、いろんな人の話を総合して、覚えているものをつなぎ合わせて話をしているので、
細部については極めていいかげんなので、研究とかをする場合は、実際の資料について当たることをお勧めします。
とっつきやすく面白いものとしては、姫田忠義(話しだすととまらないオヤヂ)さんがやっている、
民族文化映像研究所(http://www.tk.xaxon.ne.jp/~mineiken/)というところが実際のイヨマンテを記録している、
「イヨマンテ(1977)」なんかを政策しています。
フルカラー映像であるという事もあって、臨場感があっていいと思います。
全国的に、割と頻繁に上映会をやっているので、探してみるのもいいかもしれませんね。
丁寧な自己紹介ありがとうございます。
私は、現在名古屋に住んでいる、アイヌと和人の間に生まれて、色々とありまして、
自分はアイヌ以外の何者でもない、と自覚するに至ったものです。
以後、よろしくお願い致します。
とっかかりが、本田勝一に写真集とは・・・
なかなか、いい線いっていますねぇ。
あなたが見たという写真集、結構いいものだったとおもうので、
しっかり見たのであれば、分野によっては私より随分と詳しいかもしれませんね。
ああいう写真ってのは多分に「ヤラセ」も入っているのですが、
でも、我々が日常目にしている映像・写真自体が、既に殆ど「ヤラセ」の集合体な訳で、
目くじら立てるようなものでもないですよね(私の仕事は写真業界)。
そういう「ヤラセ」要素をさっぴいて見ても、当時の写真には、十分価値のあるものだと思います。
広島ですか、お好み村に行ったことがありますね。
時期が夏だったので、牡蠣入りが食べられなかったのが、いまでも口惜しいですね。
なぜ夏行ったのかというと、まぁ、察しはつくと思いますが(笑)。
しかし、修学旅行ではなく、家族旅行でアイヌ関係の博物館に行ったことがある、
というのも、むっこう珍しいような気がしますね。
ご家族の方は、そういうのに結構興味がおありだったとか?
どこだったんでしょうね?
「アイヌの博物館」というと、実際に着物を着たアイヌが出てくる場所と、
ただ展示物があるだけの場所とでは、だいぶ違いますよね。
着物着た人がいたり、体験学習が盛んだったりする場所だとすぐ特定できちゃうんですが(笑)。
楽器というのは、どんな奴でしたか?
ちいさい、口で鳴らすバネようなもの? それとも、弦楽器?
バネのほうはムックリで、弦楽器のほうはトンコリです。
アイヌの楽器でメジャー所というと、その二つウチのどっちかですよね。
アイヌの文化のもっとも誇らしいものの一つに、無限に続くアイヌ模様や着物などがあるのですが、
当サイトには、そういった文化関連の独自コンテンツが全く無く(リンクは豊富ですが)、
申し訳ない限りです。 いずれ、自身が扱えるようになったら作ります。
さて、イヨマンテについてですが、詳しい儀礼に付いては、殆どしりません。
実際には、随分と細かい作法(解体する手順、飾り付けの方法、移動の際の頭の方向など)まで、
厳粛に決まっているようです。 しかも地方によっても結構違うようです。
私は、「正式な」イヨマンテ自体にも参加したことはありません・・・というか、
実際ここ十年ほど、本当のイヨマンテ自体が行われていないんですよね。
確か、旭川か白老で十年ほど前に行われたものが、最後のものだったようです。
旭川では今年の初め、クマを殺さないイヨマンテを、教育ビデオを作る目的でやったらしいですが。
ですから、私の話も実際に見てきた話ではないので、そこんところは考慮して聞いてくださいね。
おっと、アイヌが「イヨマンテ」といった場合、たいていの場合はクマかフクロウをさします。
しかも、子供の頃から飼育していたクマやフクロウを送り返す時のイヨマンテのほうが、デカくて重要なようですね。
他のカムイもみんな「送る」儀式はしますが、クマやフクロウの時ほど念入りに、盛大には行わないんですね。
熊送りの話などは、「その話を聞いたら駆けつけねばならない」といわれるほど、一大イベントだったと聞きます。
しかも、わざわざ子供を捕まえてきて大きくして、送り返すという儀式をするのも、
クマとフクロウくらいだったような気がしますが、正確にはしりません。
うーん、こうして説明していると、マイさんがイヨマンテについてどんな知識を持っているのかがか分からないと、
何処まで話をしていいものか、迷いますね。
実にドタンバですが、本日、テレビ朝日系列(名古屋では11番名古屋テレビです)で以下の番組があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
テ ー マ:「激論!靖国参拝問題ってなに!?」
放送日時:2001年8月3日(金) 深夜25:14〜翌4:13
場 所:東京港区六本木 テレビ朝日アーク放送センターBスタジオ
パネリスト案
司 会:渡辺 宜嗣
進 行:丸川 珠代
パネリスト候補:総勢12名程度
○工藤 雪枝(ジャーナリスト)
○西尾 幹二(電気通信大学教授)
○王 智新(宮崎公立大学教授)
○姜 尚中(東京大学教授)
○高野 孟(「インサイダー」編集長)
○水島 朝穂(早稲田大学教授)
ほか
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
一見、直接アイヌの問題とは関係がない、と思われがちですが、
いわゆる「先住民族」というのは、近代国家が成立する国家政策の過程で生成された、
「近代国家成立の過程で一方的に割を食った連中」という意味もありますので、なかなかどうして、
慰霊塔でもなんでもなく、神道とも実は随分とかけ離れた、軍事組織・国家意識生成組織であるところの
「靖国神社」は、無視出来ない問題なのです。
「異民族ほど忠烈な兵士になる」の例にもれず(迫害されてるので、「貢献して国民になれる」チャンスがあるとガンバリマス)、
アイヌの兵士も、ウィルタの兵士も、先の対戦ではなかなかの働きをした人も多いのですが、
(優秀な射手の多いウィルタはともかく、アイヌの兵士はそれほど役に立たなかったかもねぇ・・・)
靖国という組織は、そういう人達を動員するためにの存在した、
「死なないかぎり絶対に手に入らない、馬の鼻先のニンジン」というわけですね。
死んでからの平等なんてものは、わざわざ人が与えずとも存在しますし、
それ以前に、アイヌが死んだら靖国なんて名前しか書いてない、たいしたお備えもない、シミッタレタ場所ではなく、
アイヌのお供え物がちゃんと届く、先祖が飲んだくれているアイヌの国に行きたいでしょう(笑)。
実際、あの当時のアイヌの兵隊の中には、ひょっとしたらアイヌ語の名前を内緒で持っていた人もいたかもしれませんしねぇ。
思いますれば、アイヌの着物や工芸品の収集物では現在世界最大の「児玉コレクション」の収集者である、
変態解剖学者児玉教授(通称墓掘り児玉)のアイヌ人体収集コレクションに、
親族の遺体(埋葬前・荼毘前です)を供出してしまうという、最悪の形で協力してしまったアイヌに言い聞かせられた台詞も、
「アイヌを日本人にするための研究に必要」「お国のためだ」であったことを考えますに(当方HPに情報アリ)、
そこには、植民地民を徹底的に差別して、その差別からの開放をちらつかせて、より植民地体制の強化の為に、
植民地民を動員するという構図があり、その構造は、
靖国神社という「皇軍兵士政策装置」においても、見事に機能していると思います。
とまぁ、ここまで大げさに書いておいて、実際の番組がみれたものでなかったら恥ずかしいのですが。
まずはじめに、あたし自身について軽く紹介させていただきたいと思います。
本当に、大雑把な感じで紹介ともいえないものになるかもしれませんが。(笑)
私がアイヌの人たちのことをなぜ知りたいと思ったのか、という経緯(?)
も交えて、話させていただきます。
私は、北海道とは遠く(?)離れた広島県でのんびりと高校に通っている16歳です。
夏休みは一日の三分の一くらいを図書室で過ごし
大好きな本を読んでゴロゴロしています。
中学のころに家族で旅行した北海道で
たまたまアイヌ博物館(?)のようなところに行き、
そこで初めてアイヌ民族という存在を知ったように思います。
その頃は、失礼な言い方ですがアイヌ民族に興味がなく・・・・
というか、存在自体もそのとき初めて知ったため
その博物館(のような所だったと思います)も
眺める程度で後にしました。
ただ、そこで見た楽器?のようなものと
衣装の文様の珍しさ、美しさだけは妙に印象に残っていました。
それから図書室や書店などで「アイヌ」という文字を見つけるとなんとなく気になり、
現在にいたる、といった感じです。
Esamanさん
これとは別の個人メール、ぜひ送らせてください(笑)
メールを書くのがすごく好きなので。
肝心のイヨマンテのお話ですが、初めて知ることがとても多く
知ったつもりでいてもまだまだだなぁ、と思いました。
クマ、キツネやシカなどもいいものを運んでくれるという点では
同じ物として扱われていても
アイヌの人たちにとってやはり、クマ、フクロウは特別な意味を持つのでしょうか。
クマの場合は私もなんとなく「大きいし、強そうだし、なんか・・・えらいよね。きっと」
などと思っていたのですが(笑)
フクロウの方は「他にも鳥はいるのになぁ。フクロウよりワシとかのほうが強そうだよなぁ」
と考えていたのです。
なるほど。フクロウは夜目(?)が聞きますし
夜中目が光っている様など、村を見守っているような感じを受けたのかもしれませんね。
クマやフクロウ以外の動物に対しても
儀式は行わないにしても、心の中では感謝の気持ちや
お客として扱う気持ちがあったのでしょうか。
しかし、いつ頃からそのような儀式(?)のようなものを
行うようになったのでしょうか?
一体何がきっかけのようなものになったのか、気になります。
また、イヨマンテを行う際にはアイヌの人たちの間にも
取り決めや、ルールなどは存在したのでしょうか。
何だかいつも質問ばかりで終わってしまいますねι
それでは、この辺りで失礼します。
質問されていた参考文献(?)ですが
「アイヌ民族」(本田勝一著)と
「アイヌ民族写真集・絵画集成」シリーズの
「第一巻・アイヌ民族の祭礼」「第二巻・アイヌ民族の民具」
「第三巻・アイヌ民族の文様」「第四巻・アイヌ民族の伝承」
「第五巻・アイヌ民族の芸術」「第六巻・アイヌ民族の歴史」です。
アイヌの人たちにとって、私は「和人」という立場で定義(?)されるということを
なんだか改めて知ったような、不思議な気持ちです。
普段の生活で、私はアイヌの人たちを特別「アイヌ」であると思い、
自分を「和人」であると位置付けていなかったからです。
同時にそれは、日本という国に存在するアイヌ民族を
無意識のうちに日本民族と一括りにしていたからかもしれません。
それは、アイヌの人たちをアイヌの人たちと認めず、
言いえて妙ですが無きものとしている行為ととられてもおかしくありません。
なんだか、自分自身がとてつもなく情けなくて仕方ありません。
差別などしていないと思いながらも、私の行動の中に
少なからず差別の感情を元にしたものがあると、気づいてしまったからです。
私にとってアイヌの方たちが「アイヌ」であるよう、
彼らにとっては私も「和人」であるわけで、
もう一度自分自身の置かれた立場について考えてみようと思います。
同時に「差別」という言葉の持つ意味合いを、考えていきます。
差別とは「あるものを正当な理由なしに他のものより低く扱うこと」
と辞書では定義されていました。
私の解釈や考えでは差別は
「自分と違うものや存在を理由なく無視し、さげすみ、その考えを理由なく否定し
受け入れない事」であるとも思います。
Esamanさんのお話の中に、差別発言を注意されても
頑なに逃げの姿勢をとった方が出ていましたが
逃げること、自身を無理やり正当化することからは
何も生まれないし、変わらないのではないかと私は思います。
ですから、私の考えや発言に差別的なものや、
不適切な表現が含まれているときは
指摘してくださると、とても嬉しいです。
私は生のアイヌの人(何だか妙な表現ですが)
にお会いしてお話を聞いたり、会話をしたことが無いため
私が書いたり話したりするアイヌの方たちは、
いわば「想像のアイヌ」であるところが含まれています。
そしてあたしは少し、アイヌの人たちを過剰に特別視している部分が会ったと思います。
「アイヌ」というだけで特別視すること自体も、
差別なのに。
知ろうとする姿勢は、間違えれば差別につながっていくことを
もう少しきちんと理解しようと思います。
それを踏まえた上で、アイヌの方たちについて
色んな事を知っていきたいと、そう思います。
と、厳しめの話をした後で、本題にうつります。
まず、この場所で私が聞く
「どんなものを見てきましたか」とか「あなたは何者ですか」という質問は、
そのほとんどが、極めて大雑把な意味しかもっていません。
たとえば、あなたが見た本やHPについては、詳しく話をしてくれるに越したことはないのですが、
詳しい書名などわからなくても、「こんな内容で、こんなところが気になりました」という程度の話でOKです。
また、自己紹介についても、その人の存在がわかればいいので、
書いてマズイような事まで書かなくてもいいです。
ここには、他にもいろんな人がいて、中にはストーカーっぽい人もいれば、
話をすることが、あなたにとってもいいものをもたらすだろう人もいると思いますので、
自己紹介はしたほうがいいと思います、でも、大雑把でいいですよ、大雑把で。
それとは別で、個人メールは、歓迎しますけども(笑)。
さて、イヨマンテというのは、それを送る、という意味で、
肉とか薬とか毛皮のよう「いいもの」を運んでくる獲物達を、お客として迎えて、
歓待して、また戻ってきてくれるようにお願いする、というのが大まかな意味ですね。
同じく食料を運んでくるといっても、シカとかサケとかは、イヨマンテをわざわざするようなことはないようですね。
でもこの発想自体は、イヨマンテをしないような獲物にたいしても、基本的な考えは一緒です。
サケも初めて獲った時は迎える儀式をしますし、やはり獲物になってやってきた鮭が、人間の対応とかを見て、
またやってくるか決めるという考えも、ほぼクマなどのイヨマンテと同じです。
そこで、なぜクマとかフクロウばかりイヨマンテをするのか?(キツネとかもやるらしいですけど)
という話なんですが・・
うーん。 送るという発想は一緒なんですが、クマとフクロウは別格ですよね。
アイヌのいう所の神々には「格」があるんですね、クマとかフクロウは、ごく簡単に言うと、偉いんですよ。
なぜ偉いのか、と聞かれたら、私にも分かりませんが(笑)。
多分、クマは強いし頭もいいし、薬にも毛皮にもなって、肉もたくさんある、
手ごわい相手だけど、捕まえたらすごい事なので、だから他の神とは扱いを変えて送るんじゃないですかね?
あと、フクロウは強くもないし薬にもならないので、そういう意味では「偉く」はないかもしれませんが、
夜中中おきてコタンを見守っているとかいう話があって、村の守り神として扱われることもあるので、
そういう意味で「偉い」のではないかと思います。
フクロウやクマ、シャチなんかは、アイヌの中では特別に偉いですね。
アイヌには、矢などに刻む家紋というか識別マークのようなものがあるのですが、
その系統を分けると、シャチ、クマ、フクロウに分かれる、というような話も聞いたことがあります、本当かどうか知りませんが。
まぁ、こんなところでしょうか?
マイさんが、カムイま「格」についての話を聞きたいような感じがしたので、
なぜイヨマンテをするのか、イヨマンテにはどんな効果があるのか、という話ではく、
格の違いについての話をしてみましたが、ちょっと聞きたいこととズレてましたかね?
それだは、また。
わかりにくかったですか?
同性愛者の方や、女性の地位に関する運動に関わる話しを引き合いに出した趣旨は・・・
と、その前に、ですね。
アイヌについて関わるとき、和人の人々は、
「何もしらない」ということは、差別も何もない、ということだと錯覚しがちですが、
実はそうではなく、多数派の人間が少数派の人間に対して何もしらないということは、
それ自体が差別につながる場合が多いので、そのことを自覚してほしいのです。
タイムリーな話題としては、先日「アイヌは同化されて、日本は単一民族国家」と言い放った
議員が、「差別的意図はなかった」などと言っているのがいい例ですが、
「差別的な意図や意思」がなくとも、差別は差別なんですね。
というか、差別的意図があったれば、ただの犯罪なので、差別というのは意図しなくても起こるもの、
悪気が無くても起こるものだということを、肝に銘じてほしいです。
さらに、この議員は、アイヌの民族団体の理事長が、自分の後援会長であることを最大限に発揮して、
その団体以外のアイヌの団体から抗議を受けたとき、
「差別的な意図はない」「ウ○リ協会の理事長にはそういうことで納得してもらった」
という感じに、セコくアリバイにしてしまっているのですね。
(その理事長は、自身の後援会長ですから、事実上ねじ伏せたって事ですよね)
この議員さんの行動、実はアイヌに関わる和人に、とても多いパターンなんですね。
実際、この掲示板でも過去に、大変差別的な発言を注意されたときに、
「悪気は無い」で頑なに逃げ切ろうとした人もいましたし、挙句の果てには、
「アイヌの誰々とは知りあいだった」とか「アイヌの誰々は受け入れてくれた」と言い出して、
自分がいかにアイヌに対して親密かということを示して逃げようとした人もいました。
(親密でも差別は差別、全く関係無いですね)
マイさんにしろ、他のどのような方にしろ、そのような行動はとってほしくないんですね。
で、そこでなぜ私が、
同性愛者の方や、女性の地位に関する運動に関わる話しを引き合いに出したかというと・・・
私はアイヌで、マイさんをはじめとする方々は和人で、(極端言うと、ですよ)
私がいつも「(アイヌに対する)差別に気がつき、糾弾する側・指摘する側」なわけですが・・・
(残念ですが、「アイヌと話をした事も無く、詳しくない和人」は、悪気が無くとも、差別をしてしまう事は多いと思います)
アイヌである私も、男としては女性に対してや、異性愛者としては同姓愛者に対しては、
「差別に気がつかず、糾弾される側。指摘される側」ですので、
私がそういう活動に携わる際の心構えの話をする事は、
和人である人々が、アイヌに対してどう接すればいいか、という事の参考になるのではないか、
と思い書きましたが、そもそも同性愛者とか女性の地位向上の運動とかの話自体が、
高校生のマイさんには難しかったかもしれませんね、失礼しました。
でも、いまお話したことは、なんとか理解していただきたい内容なのですが・・・・
アイヌの大変な歴史は、つまりは和人が色々としてきて、いまもしている歴史なわけで、
「世の中は広いんだなぁ」というだけでは、割り切れない話がたくさん含まれているんですね。
私ちちは、よくもわるくも、いめんなしがらみにつながれて暮らしています。
そして、その「いろんな人がいる多様な世界」の住人であると同時に、
マイさんは、「アイヌ」から見ると「和人」として扱われる人間なのだという事、
そして、そのことを意味を理解した上で無いと、「アイヌ」について色々と調べたり聞いたりする
という行為が、無責任で興味本位なものになりやすく、色々と大変だということも、
ご理解いただけるとうれしいです。
前回は学校図書室のパソコンから
アイヌ民族についてのHPを巡っていた時に偶然此方のHPを発見し、
アイヌの人達の事をこんなに取り上げて(言い方が少し失礼でスイマセンι)
る方もいるんだなぁ、という感激と興奮で上手く文章がまとまらなかったのですが
今日は自宅のPCで、ゆっくりじっくり書き込みしたいと思います。
管理人のEsaman さん、丁寧なお返事本当に本当にありがとうございます。
ご質問にあったどんな本を読み、どんなHPを見たのかですが、
本は、図書室の民俗学コーナーにおいてあるアイヌ関係の物を
取ってきては読み、取ってきては読みしていたので
正確な名称が思い出せないのですが(後日きちんと確かめておきます)
写真集と、ユーカラ、それとアイヌの助産婦さんのお話しです。
明日学校の図書室にもう一度行ってキチンと書名を確かめてきます。
それとHPですが、「アイヌ民族博物館ホームページ」と
「アイヌ文化振興・研究推進機構」、そしてこちらのHPです。
その他にも検索サイトを使って、ちょこちょこ見たりしていました。
「「無理やり暴いているみたいで失礼」だとは、私は、思いません。」
と言っていただけて、正直ほっとしました。
知らず知らずのうちに失礼な態度を取ってはいないかと
内心ものすごく緊張していましたのでι
相手の事を知ろうとするには、まず自分から自己紹介しなければならないという
基本的な姿勢も、指摘(?)していただいてありがとうございます。
もしかすると、興味本位の姿勢でお話しを進める事になっていたかもしれませんし、
あらためて自分の考えをちゃんと述べるようにしようと思いました。
私は文章をまとめるのが凄く苦手で、思っている事をそのとおりに伝える事ができず
誤解を招くような事があるかもしれませんが、そのような事がないよう
私にできる限り、自分自身の事をキチンと自覚して
そしてしっかりとした「聞く姿勢・知る姿勢」をもって
どんどん色々な事を聞かせていただきたいと思います。
・・・・・が、よろしいでしょうか?(汗)
自己紹介等、個人的な事をこの掲示板で書き込ませていただくのは
何だかとっても身の縮む思いがするので、もしよろしければ
メールを送らせていただけないでしょうか?
同性愛者の方や、女性の地位に関する運動に関わるお話しを
何度も何度もじっくり読ませていただきました。
正直言って、何度も読んだにもかかわらず
上手く飲み込めない個所もありました。
他者の意見や考えを見たり聞いたりすると、いつも不思議な気持ちになります。
こんな考え方もあるのかぁ。こんな事もあるんだぁ。と、
自分の知らない世界を垣間見たようで、正直嬉しくもあります。
そして他の意見を聞いてはじめて、自分の少し間違っている所に気づく事もあります。
アイヌの方達だけに限らず、世の中には本当にいろんな人が居て
いろんな事があって、すごくすごく広いんだなぁ、と最近とみにそう思います。
同じ人間だけど、考え方や思想は人それぞれ違っていて、
そういう所に触れる時、本当に本当に嬉しく思います。
なんだかおおげさな感じですが。
長々と書き込んでしまい本当に申し訳ないのですが、
イヨマンテについて気になる事があるので書き込ませていただきます。
私の見た本やHPではイヨマンテはクマやフクロウなどのカムイ
を対象(?)として行っていたと思うのですが、
その他の動物ではこういう儀式・・・というのでしょうか。
そういう事は行われなかったのでしょうか?
アイヌの方達は自然界に存在する物にはそれぞれ命があり
それをカムイとしていた(火の神や、クマの神)と思うのですが。
クマやフクロウのカムイは特別だったのでしょうか?
やっとで再インストールが完了し、アクセスが可能になりました。
ここをいつも見てくれている皆様、常連の皆様、新しく来てくれた皆様、
しばらくの間音信不通でご迷惑をおかけ致しました。
パソコンの画面も一新されて(というか、昔の壁紙がなくなっただけ)、
新たなスタートという感じです。
この掲示板上では、しばらく迅速なお返事をできませんでしたが、
今日から数日、夜は掲示板に常駐したいと思いますので、何でもお書きください。
マイさん、始めまして。 あなたの来訪を歓迎致します。
「アイヌに興味を持つ」というのも、その持ち方によっては不気味な相手もいるのですが、
あなたのようなアプローチならば(いまのところ、ですが)大変うれしいですね。
異文化や異なる存在に触れた場合、それについて興味を持つのは、むしろ当然のことです。
私だって、同性愛者のコミュニティ(のようなもの)や、すべての女性の地位に関する運動に関わるときは、
アイヌに対して関わる和人と、まったく同じ立場の人間となります。
極端な話、それは「構造的な差別者側」というわけですし、まして同性愛者の方々から見れば、
得体のしれない覗き野郎と、ほぼ同じに映っていることは確実な訳ですが、
だからといって、「触れないでおく」事は、そういった人々と出遭う機会のあった人間として、不自然なことと思います。
そして、私は同性愛者ではありませんが、同性愛者の地位向上や啓発活動をされる方々と話すのは、なにより楽しいですね。
これは、同じく活動家として、という意味合いと同時に、いわゆる「オカマちゃん」と話のが楽しい、という程度の意味も含みます。
(「オカマちゃん」という表現は、「同性愛」といっても実に多様な存在である人々をあらわすには適切ではないのですが、
雰囲気を伝えるために使ってみました、わかりにくいですかね?)
女性差別にしろ、同性愛者差別にしろ、それを引き起こしているのは、
無自覚な男性自身、あるいは異性愛者の無意識の意識の方なわけでして、
我々のほうが積極的に学び・変わらないと、彼ら・彼女らに対する差別・理不尽な扱いなくならないものと思います。
だから、失礼にならないよう気を配りながら、最新の注意を払いながら接触し、学び、不注意を指摘されて、
そして楽しみ、少しでも理解を進めつづけることが、
(女性にたいして・同性愛者に対して)私ができる、唯一の大切なことだと思っています。
そして、できうることならば、それによって得たものを、自身の隣人(この話の流れでは、男性・あるいは異性愛者)に、
たとえ少なくとも、チャンスを見て伝える事、たとえすぐにできになくとも、そうしたいと思うことを失わないことが、
ささやかながらでも、私の隣にいる人々(この場合は女性・同性愛者)の開放と理解につながるものと思っています。
ですから、「アイヌやカムイやイヨマンテについて興味を持った」あなたには、
「差別をしてしまうかもしれない」という事を臆さず、でも、それを指摘されたらよく聞く事を忘れず、
そして、人間相手のことですから、勢い興味本位になりがちな姿勢であることを自覚しつつ、
もっと色々と聞いてきてほしいと思います。
なんだか難しい話でしょうが、できる限り付き合いたいと思いますので、まぁ、やってみてください(笑)。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/6575/
所で、アイヌやらカムイやらについての話をする前に、
あなたがどんな事を「知っているか」について、お聞きしたいですね。
どんな本を読みました? 他にご覧になったアイヌ民族のHPって、どんなところですか?
よかったらご紹介ください。 お返事をいただくのは、マイさん以外でもいいですけど。
いまのウェブ上には、アイヌの文化や言語、あるいはゲームキャラクターについて興味を
持った方々のページは多くても、アイヌ自身が発信しているページが大変少なく、ちょっと悲しいですね。
まぁ、アイヌがどんなものかという認知が、いまいち低い中、いまだに差別も残っているもので、
アイヌがアイヌと名乗ること自体が困難、あるいは単に説明する事柄が増えて「面倒くさい」ですし、
何もした覚えが無いのに、「和人」と呼ばれること自体に抵抗を覚える方も多いでしょうから、
アイヌ自身が発信する情報が少なくなってしまうのも、興味持った和人の人のページが、
文化や言語についてばかりのページが増えてしまうのも、ある意味仕方が無いのかもしれません。
そんな中、「アイヌの現在」という微妙なものを積極的に扱う、当方の掲示板にアクセスいただき、大変ありがとうございます。
ここは、別に「人権についてのみ」話をする場所でも、「文化や信仰についてのみ」話をする場所でもなく、
「なんでもあり」ですので、ここしばらく差別の話ばかりしていたので、たまには「カムイについて」熱く語ってみるのもいいかもしれませんね。
アイヌにアイヌだというだけで、(場合によっては自己紹介もせずに)色々と根掘り葉掘り聞くのは確かに失礼、
というか既に差別ですが、自己紹介をしていただいて、あなたの思った事や、あなた自身の事についても、
同時にお話いただけるのであれば、「無理やり暴いているみたいで失礼」だとは、私は、思いません。
なんだか、50代の人もいれば高校生もいるとは、われながらこの掲示板は幅広いなぁ、と思いますね(笑)。
アイヌに触れる機会のあったあなたの心に、カムイが共にありますように。
初めまして。私は16歳の高校生です。
何故かは自分でも分かりませんが
いつ頃からかアイヌ民族に興味を持ち(と言う言い方は失礼かもしれませんι)
この夏休みから自分でもアイヌ民族のHPを見たり
図書室でアイヌ民族関係の本を読んだりしています。
私が特に興味を持っているのは
アイヌの方たちの言葉や、衣服などの独特の文様、
そして「カムイ」。
正直言って「カムイ」が神を表すという表面的なことは知っているのですが、
その存在(と言うのでしょうかι)や、カムイのもたらすもの、
そしてアイヌの方たちがどのようにしてカムイと接してきたのかなど
すごく興味があります。
「イヨマンテ」という儀式についても色々な本で取り上げてはいますが
何故そのようなことをするのか、などアイヌの人たちの思想(?)というか
物の考え方や世界観に心惹かれます。
こう書くと、何だかアイヌの人たちについて根ほり葉ほり、
無理矢理暴いてるみたいでなんだか悲しくなってしまいますが
純粋に、知りたい。と思います。
これからもこの掲示板で様々な質問や疑問を述べてしまうかもしれませんが
どうぞよろしくお願いします。
管理人のEsamanです。 最近顔を出せず申し訳ありません。
ルーサンさん、えりさん。
ようこそおいでくださいました。
ひれからも、いろいろな立場の人と、たくさんお話できればと思います。
特に、ルーサンさんには、ぜひ、これからもアイヌについて、気負わなくてもいいので、
いろいろと、知っていることなどをお話いただきたいものです。
あなたの父親のような、アイヌを忘れずに生きたシサムに、安らぎのあらんことを。
えりさんには、最近の教育の中にいる人として、アイヌについてどんなことを教わって、
何が知りたいかなど、いろいろと聞いてほしいなと思います。
私は学者ではありませんが、アイヌですので、今を生きるアイヌのことでしたら、
教科書よりは詳しいと思います(笑)。
あと、アイヌだけを知るのではなく、和人と呼ばれることに何を思うかとかも、ぜひお聞きしたいですね。
実は最近、パソコンの調子がどうもおかしく、
こうしてウェブにアクセスするのも満足ならない状況です。
ウィルスかなにかわかりませんが、これから再インストールをしてみます。
失敗したら、しばらく見かけないと思うので、よろしく(苦笑)。