ここで私がさらに考えることは、
いわゆる「アイヌ新法」制定運動から出来た、アイヌ文化振興法によって行われていることは、
アイヌも和人も関係無く、アイヌ文化のみに振興予算を出すという行動です。
これは「アイヌ文化を身に付けたものが、よりよく(つまり、金が出る)アイヌである」と、
間接的に発信している、大変政治的な行為です。
確かに、アイヌ語なりアイヌ文化なりは、和人政府の長年の同化政策によって、
危機に瀕しており、振興はいいことです。
でも、「文化のみの振興」は、文化を身につける機会など無い、その余裕も無い、
地域によっては、アイヌ同士で集まる機会すらすくない、
多くのアイヌの現状を無視したものであります。
・・・正確には、そういう現状をよく知っていて、あえて無視した可能性もあるとおもいます。
実際これは、逆転の思想から出てきた、新しいタイプの同化政策であると思います。
もっといえば、自立化基金が云々とか、土地の権利が云々とか、差別が云々言わずに、
和人と仲良く踊って歌ってりゃカネ出すぞ、といっているわけですね。
この誘惑は、はっきりいって大きい。
いままでは、そういう活動したくても出来なかったアイヌが沢山いるわけですから。
で、文化振興法の前文か何かにある「アイヌの誇りの源泉である」文化とか言語を和人と一緒に十分振興したら、
「そのうちアイヌはおとなしく同化して、一国家、一言語、一民族の、日本国民の一部になる」になると踏んでいて、
新法制定にも多少はかかわったらしいどっかの議員が、
「いやがる人はおりますけど、アイヌ民族がおりますが、今はまったく同化されておりますから」
とつい言ってしまったのではないか、とも思いますね。
http://www.alles.or.jp/~tariq/homogenous/tanituhatugen.html
みなさま、色々と書きこみありがとうございます。ぼちぼち返事を書きます。
まず、あつしさんへ。
>”蝦夷”という言葉は出てきましたが、”アイヌ民族”という単語は見なかったと思います。(寝ていたのかな..)
とのことですが、寝ていたわけではないと思いますよ。
あつしさんの年代が、あくまで現在の20歳以下だと推測して書きますが、
その頃の高校とか中学の教科書には、「アイヌ民族」という記述は殆ど存在しませんでした。
歴史の教科書の幕末のころに数行、「アイヌの反乱」として、
シャクシャインとコシャマインの起こした戦争が書いてある以外は、まず無かったと思います。
明治時代の同化政策も、現代に至るアイヌウタリの諸活動も。
ですから、よほど思い入れのある教師しか授業で話をすることは出来なかったんだと思います。
書いてある記事自体も数行ですから、テストなどでも飛ばされることが殆どでしょうし。
あと、公民とか現代社会の教科書にも、少数民族の話や先住権とかの話が載っていない以前に、
アイヌの存在自体が載ってなかったものもあるので、これまた授業で聞かないのも、
無理のない所かもしれません。
最近の歴史教科書は、ずいぶんマシになっているようですが、
まだまだ、公民とか現代社会の分野で、アイヌの話を現代の問題として話をする、というのは、
難しいのかもしれませんね。 先生が、そういう教育を受けていない世代ですから。
>関東へ戻った時に名古屋から来たということで、名古屋弁をしゃべってくれとか食い物がどうだとか(話題を合わせようということでしょうが)言われました。
ありますよねぇ、それ。
確かに、何を話題にしていいかわからない最初の頃は、天気とか、出身地の話とか、そういうものから入りますよね。
それ自体(話題にする事)は別にいいんでしょうけども、
「アイヌ」と「名古屋人」とでは、話題にする人の随「期待度」が、随分違うと思うんですよね。
実際、名古屋人といっても、そんなにごつい名古屋弁で話している人は少ないですし、
「名古屋の文化」と呼ばれるものも、実際、甘辛い味付けや縁日の味噌串カツ以外は(今日は祭りに行ってきました)、
殆ど日常では見ないですよねぇ。
「名古屋人」といっても、みんながみんな名古屋で生まれ育った人ではないことは周知の事実ですし、
人種が違うわけでも、所詮は同じ日本の都会ですから、文化がそんな無茶苦茶に違うわけではないことは、
殆どの人は分かっているので、「期待」を裏切った場合も、もともとそんなに大きな違いは期待されていないので、
たいした問題はないのだと思います。
ですが、アイヌの場合、先行するイメージが強烈なのと(自然の民、アイヌ語話す異民族、萱野茂氏、など)、
多くの人が会ったことがない、というのも要因でしょうが、随分と「期待とのギャップ」が激しいんですよね。
その「ギャップの激しさ」が、いわゆる「逆差別」と私が呼んでいるものの要因ではないか、と思います。
思うんですが、そういう周りの和人の期待とのギャップを埋めるために、
いまいろんな活動の前面に出ているアイヌががんばって、民族衣装着たり、
アイヌ語勉強したりしているんではないか、あるいは、
「アイヌだったら、そういうことに(文化とかアイヌ語とか)、がんばらねばならない」という
強迫観念のようなものに追い立てられているのではないか、と思う瞬間もあるほどです。
(これは言いすぎですね。 でも、そういう「見栄」のようなものも、多少はあると思います)
なんだか、とりとめもなくなってしまいましたが、
基本的には、あつしさんが色々と「名古屋だったら云々」と言われたものと、構造としては同じですが、
その威力(アイヌに与える圧迫感)は随分と大きい、ということですかね。
「コミュニケーションのための冗談」でしたら・・・
これは極端な話ですが、私の知り合い(アイヌ)がヒッチハイクで北海道を移動していて、
帯広とか釧路あたりのアイヌの人口がぼちぼちある地域で乗せてもらった時、
まぁ、デカイバックパックにあまり濃くない顔立ちから(アイヌにだってそういう人いますよね、少ないけど)、
内地からの渡航者と間違われたらしく、
「このへんはアイヌが多いからな、食われなかったか? 見たことあるか?」と聞かれたそうです。
別に、悪びれた様子も無く、天気の話でもするかのように、明るく聞かれた、とのことです。
その人は多分、場の雰囲気を和ませて、「お国自慢」か何かのつもりで、親切心で話したんだと思いますが、
随分な話ですよねぇ。
あと私は「アイヌだったら新鮮な獣肉とか、よく手に入るんですか」と、聞かれたこともあります。ううん。
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はじめまして、私は大和人の二十代の者です。
近頃どうも、国旗国歌の強制化や、をかしな教科書の出現や、特定宗教への首相の
参拝の強行の懸念や、戦争への地ならし等、どうもをかしな方向へとばかり政府が
動いてゐて、その都度反発を感じるお陰で、私は却って
「日本とは何だ」「大和民族とは何だ」等と考へる事が多くなって来ました。
どうも大和人自身が「日本とは何だ」「大和民族とは何だ」を余り上手く理解出来て
ゐなくて、それによりこのやうな混乱(右翼の暴走)が起こる気がするのです。
例へば、勿論これからの世の中は英語が一層重要になって来るものと思はれますが、
それは教育面での充実を先に図るのが大事だと思はれるのに、
國内の言語であるアイヌ語や琉球語や、隣國の言葉であり國内でも一部地域で第二
公用語であるかのやうに扱はれてゐる韓國語をさしおいてまで、英語を第二公用語
にしようとする動きがあるのはナンセンスで、自分や近隣民族/諸國が見えてゐない
証拠であると思へます。
# 近所付き合ひもお隣さんからだと思ふのですが・・・・・・。
自分自身の事がわからないから近隣民族との関係も見えず、それが差別等を
引き起こしてゐるとすれば、まづ大和民族自身がもっときちんとした自覚を
持たなければならないのでは無いかと思ひます。
# 大和民族としての「枠」をもっと意識すると云ふ意味では無くて。
私は、民族の誇りと云ふものは、例へば「新しい教科書をつくる会」の人々の主張
するやうな自慰的行為に終始するやうなつまらない物では無いと思ひます。
寧ろ、近隣民族に対して侵略戦争や殺人や差別をし、しかも無反省でゐる行為は、
大和民族を汚す行為なのでは無いかと考へてゐます。
# 勿論私の反省が充分であると云ふ積もりは毛頭ありませんが・・・・・・。
この辺りの事について、oripakEsaman様の意見を頂けたらと思ひます。
近隣民族(勿論、文化だけでなく、人々の考へ等も)についてもっと知りたいです。
そしてそれは私自身を知る事に*も*繋がるでせう。
長文失礼致しました。
至らぬ所があればoripakEsaman様の御教授を頂ければと思ひます。
こんばんは。
Esamanさん、このたびはご丁寧に、かつ具体的にお答え頂き、本当にありがとう
ございます。
今回はお答え頂いた内容について、お返事をさせていただきます。
まず、あつしさんが仰っておられるように、私も、学校でアイヌ民族について学んだ事
は全くありません。松前藩や当時の商人、また明治政府がアイヌ民族に対し、どのような
事をしてきたのか、それなりには知っておりますが、それも全て独学でのものです。
きっかけはアイヌ民族の考え方に素晴らしいものをもったからではありますが、今では
Esamanさんが仰ったように、現在のアイヌの人々が、アイヌだからと昔のような考
え方や儀式をしているとは思っておりませんし、それを強要する気は毛頭ありません。た
だ単純に、心のふるさとを取り戻そうとする方々のお手伝いができれば、と考えておりま
す。
>肝心な場所では一歩引く心意気
そうですね。確かに、もしも私が輪に入れていただけたとすれば喜びのあまり、輪の外
にいるかもしれないアイヌの方を忘れてしまうかもしれません。そういった意味で、こう
してはっきりと仰っていただけた事はよい自戒となります。
>むなしいだけの言葉遊び
確かに、賛同できるところもあります。ですが、萱野茂氏が行っている事もそうお考え
なのでしょうか。これから先、アイヌ語が日常で使われる事がないという可能性も確かに
考えられますが、それでも、カムイノミなどの伝統行事にはアイヌ語を使っていただきた
い、と考えるのは和人の傲慢でしょうか。
もしそうなら、仰ってください。改めます。
>名乗ると同時に顔をじろじろ見る
これは、苦笑しかできませんでした。確かにそうだからです。今はそうするまいとは考
えておりますが、初めてアイヌの方に出会った時、そうしてしまいました。
なぜそうするまいと考えているかと申しますと、私には中国人の友人がいます。その友
人と初めて出会ったとき、そうされたからです。
気持ちのいいものではありませんよね。改めて、戒めとします。
また、友人に対し、私は個人の背景はさほど気にはしません。これは、私が住んでいる
地域が田舎であり、田舎というものはなぜか他人の家庭に首を突っ込みたがるものでして。
それが嫌でしたので、私は相手が言わない限り、聞かないようにしております。
>自然に前向きに受け止められる環境
そうですね。私のように個人レベルで何かできる事、考えておくべき事などはあります
でしょうか。もしあればお聞かせ願いたく思います。
それではこれにて失礼致します。長文、申し訳ありませんでした。
こんばんは、レスが遅くなってすみません。出かけていたもので..
書きっぱなしは良くないので、とりあえず返事をさせて頂きます。
>「アイヌは昔話だったかぁ。」は、一応、あつしさんへの返事す。
確か、中学の時の社会の教科書(か何か)に”北海道の地名はアイヌ語に由来するものが多い”というコメントが載っていて、アイヌ語っていったい誰がしゃべるのだろう?とか、その人たちは今どこへ行ってしまったのだろう?とか、ガキのころの私は思ったのです。でも、それ以降”蝦夷”という言葉は出てきましたが、”アイヌ民族”という単語は見なかったと思います。(寝ていたのかな..)それが、去年初めて北海道を旅行した時に、アイヌ民族の存在を知って衝撃を受けたのです。
大変失礼かもしれませんが、並みの教育を受けたと思われる者のありのままの状態です。もちろん、そのことに関して無知なので差別とかそのようなことは全く考えていませんでした。どっちかというとアイヌ民族の存在を初めて知ったことよりも、文部(科学)省にしてやられたということがショックでした。
>「いろんな個性」というのが、具体的にどうなものを指すのか、
これについてよくよく考えると、かなり難しいですね。
私自身の体験として、神奈川から名古屋へ引っ越した時、標準語をしゃべる私は周りから異質なものと見られたことがあります。(小学生の時でしたが。)逆に、関東へ戻った時に名古屋から来たということで、名古屋弁をしゃべってくれとか食い物がどうだとか(話題を合わせようということでしょうが)言われました。(これは単なる偏見で、差別というよりは意思の疎通を図るための冗談のような気がしますが。)
個性とは文化や習慣の違いをいうのでしょうか? ちょっと複雑ですが、私自身がその個性となった(かもしれない)例です。 マイペースでしたたかな私は、周りにいる大勢の個性をしっかり観察して理解するようになってしまいました。
ところで、東京は全国の人が集まってくるのでいろんな個性の人がいますが、そんな中で元来の”江戸っ子”が絶滅の危機に瀕しているように思われます。こうなると一体、同化というのは何と同じようになることをいうのでしょうかね?
..ちょっと話がずれてしまいました。今日はこれで失礼させて頂きます。
アイヌに対し、具体的に「どう分け隔てなく接するか」について、書いてみたいと思います。
以下の場合の「アイヌ」というのは、伝承者でも活動家でもない、きわめてフツーの「ただのアイヌ」を想定しています。
既にアイヌと名乗って活躍していたり、イベントなどで踊っていたり、アイヌ語や文化がある程度分かる人などは、
名乗れない人が少なくないアイヌの中では、結構エリートに属すると考えてください。
◎:アイヌらしくある事、の強要はしないでください。
例えば、アイヌであるからアイヌ語しゃべれとかはもっての他ですし、それによって「アイヌらしさ」を評価しないでください。
アイヌが現在、アイヌ語や伝統文化を現在身につけていないのは、全くアイヌの責任ではありません。
でも、アイヌだからアイヌ語とか風習を勉強しろとか、取り戻せってのも、おせっかいです。
自身をアイヌだと自覚するか否か、したとしても、伝統文化や言語を身につけたいかは、人によります。
みんな普通の人で、いそがしいし、他にもやりたい事(他の活動方法なり、個人の趣味なり贅沢なり)があったりするんですから。
また、身につけたいと思っても、日本語で育っている人が圧倒的多数である現在、
既にアイヌ語は既に異言語で、日常学習の場も無いなので、その習得は英語より遥かに困難を極めます。
そのへんの「はがゆさ」へのデリカシーを持ってほしいです。
例えば、私は、是非アイヌ語を使いたいのですが、通える範囲に学ぶ場がありません。
また、いまの境遇で手に入る辞書や資料などから「命の通っていないアイヌ語遊び」の達人になることは、
アイヌ語が「本来の母言語」である私にとっては、むなしいだけの言葉遊びに過ぎません。
例えば、そんな「借り物」に習熟しても、自分の子供に胸を張って何も伝えられませんよね。
それが全く意味が無いとは思いませんが、多大な労力を払ってそれをするより他に、したいことがあります。
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◎:アイヌらしさを、ハイエナのようにほじくりださないでください。勝手に評価しないでください。
実際に私が経験したことですが、初対面で、まだ何も知らない相手に、自分のアイヌの方の親のことを、
根掘り葉掘り執拗に聞かれたことがあります。 「友人だから、その背景を知るのが当然」らしいのですが、
和人の親の話は全く興味が無い様でした。
また、アイヌであると名乗ると同時に顔をじろじろ見られる、というのも、よくありますね。
というか、内地でも名乗ったら、殆どの場合やられます。 気持ち悪いったらありゃしない。
まぁ、アイヌを見たことがない人が、アイヌと名乗る人間にはじめてあったとき、顔をじろじろ見るくらいは仕方が無いかもしれませんが、
でも、不快であります。 理由は言うまでも無いことでしょう。
同様に、必要も無いのに(どんな状況だと「必要」があるのかしりませんが)出自とか生い立ちとかを詮索されるのも嫌です。
また、これもよくあることですが、アイヌの誰々がどっちかの親が和人だとか、アイヌだとか、
混血で何分の一だとか、貰われ子だとか、うだうだ詮索するのは止めてほしいです。
アイヌの子供のうち、自身をアイヌだと自覚した人は、その段階で、存在になんの優劣無く、等しくアイヌ民族であります。
人の家庭事情を詮索したりするのは、止めていただきたい(アイヌにゃ複雑な家庭はすくなくありません)。
また、アイヌは競走馬でも高級愛玩動物でもないので、血統の「純粋さ」が云々というのは随分バカげています。
アイヌにも、そんなバカな事を誇りにしたり詮索したりする人間がいますが、そういうのを聞いたとき、和人は心の中で耳をふさいでください。
◎:アイヌである事、を強要したり、必要以上に利用したり消費したりしないでください。
例えば、アイヌ民族ってのは、アイヌの子供の中で、自分をアイヌだと自覚した人間が、その段階でなんの条件もいらずアイヌ民族である、といいました。
裏を返せば、アイヌの子供でも、自分が果たしてアイヌなのか和人なのか迷っていたり、悩んでいたりする人が沢山いて、
彼らが「アイヌ」であるかどうかは、当人にもわからないわけです、周囲の人には明確であったとしても。
実際、同化が進んでいるのは本当の事で、日常の中で、アイヌであると自覚するのは差別だけ、という人も少なくありません。
そんな中、「アイヌとして誇りをもて」といっても、むなしいだけです。
残念なことですが、「アイヌの子」の中の結構な部分の人々は、
アイヌであることから逃げようとしたり、下手をしたら自分がアイヌである事を知らなかったする人もいます。
そんな中、たまたま自分の祖母がアイヌだったと打ち明けて、でも和人と何もかわらないな、
といっている人と話をしたとして、おまえは絶対アイヌだとか、だから俺はアイヌと知りあいだ、などと抜かすのは、最悪であります。
その人自身が、自分をアイヌと自覚する日まで、気長に待ちましょうや。
仮に、アイヌとは関係の無い人生を送りたといその人が望むなら、それについてとやかく言うことは出来ませんしね。
それが簡単に出来れば、いいですけど(人によりますね)。
出来れば、未だに迷いのある人々が、自身がアイヌである事を、自然に前向きに受け止められる環境を作れればよいのですが、
アイヌの共同体がしっかりしている場所でないと、そういうのは、なかなか、難しいのが現実ですよね。
ましてや、そういう人をつかまえて、アイヌとしてイベントや活動などに引っ張りまわす、というのは、逆に可愛そうですよね。
なんだか、はがゆい話ばかりになってしまいましたが、こんなところだと思います。
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ぽぱさん、おっしゃる事、大体分かります。
ネットーなりメールなりのやり取りは、言葉だけな上に、相手の顔が見えないので、
まぁ、エスカレートしがちです。
でも、アイヌ差別の場合って、ネットやメール状態と、よく考えたらおんなじなんですよね。
なにも、顔見知り相手に差別しているわけでも、相手とまともに話し込もうと思って差別しているわけでもない。
何も考えてないからこそ、いい加減に考えているからこそ、
目の前にいたとしても、顔も見ず、話も聞かず、その時あったばかりの面識があるない以前の相手に対して、
ただ「アイヌだから」というよくわからん理由によって、差別をかますわけですから・・・
ネット上で、現実とまったく同じものが展開されるというのも、ある意味当然なんですね。
ですから、どこのネット上でも、ここの掲示板でも、「あの」2ちゃんねる上でも、私は一貫して、
「ちゃんと名乗って、人間の見える対話を」と常々いっているわけです。
別に、匿名でのやり取りがいかんというわけではなく(趣味の話などでは、かえってそっちのほうが話しやすいですね)、
差別や人権、微妙なものなどが絡む話をする場合は、それが絶対に必要だと思うからです。
相手が自分と同じく一人の人間であるとが感じられれば、自然と差別・レッテルのカマし方も緩むというものです。
相手が何者かも理解せず、「○○だから」という烙印を押すことが、差別に繋がるものと思います。
(たとえば、出遭い系掲示板やチャットなどで「人妻」とか「女子高性」であることをカミングアウトすると、
「そういう展開」にもっていかれる、というのがありますね。 一見アホらしいたとえですが、女の人は痛感していることと思います。
アイヌの場合、それが現実に接触する人間に無差別に発生する、と思って頂ければ分かりやすいかと思います)
まぁ、そのへんの違いについて分かっていて、「調子にのること」がなければ、
実際は、ぽぱさんの姿勢で、基本的にはいいと思いますよ。
私は、内地で無神経な和人に接触しすぎて、過敏過ぎるんですよ、多分。
また、ニエベさん(ようこそ、どうも立てこんでいて、歓迎の言葉を省略してすいません)の姿勢も、
基本的には大丈夫ではないかと思います。
私が「中途半端な知識」といっているのは、常に現実のアイヌと対話し接触しつつ、人間関係を作っている人相手ではなく、
それこそ「2ちゃんねる」などに横行している、まさに「中途半端に知識」で、アイヌは○○、などとやらかす人々に対してです。
ただ、現実のアイヌと共に歩んでいても、中には、詳しくなるにつれて、
「アイヌの活動や文化は、アイヌが主役。 まして、まだ立てないウタリが少なくない現在は」という点について、
箍(タガ)が外れてしまう人が時々いて、なかなか問題である、というのはありますね。
例えば、アイヌの踊りなり、カムイノミなりに、和人が一緒に出て踊っても全然問題はありません。
でも、肝心な場所では一歩引く心意気、例えば輪には入れないアイヌがいたら、気を使って引いて見る心意気や、
アイヌについてよくしらない人が観客に大勢いる場所(運動だけでなくビジネスもかねてる観光地除きますよ)では、
誤解を配慮して引く心意気がほしいですね。
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親切な回答ありがとうございます。
ん〜・・・今までそこまで深く考えた事はなかったので正直、頭が混乱気味です。ま、これから時間をかけて自分なりの回答を見つけていきたいと思います。
で、今までの私のスタンスですが、何て言えばいいのかな?
例えばある日友人に「俺、アイヌ人なんだよ」と言われたとしましょう。
それで私の答は相手がカミングアウト調子で語ったのならば「ふーん、それで?」で、相手が自慢げ?に語ったなら「おう!じゃあ何かアイヌの事いろいろ教えてくれよ!」といった感じで・・・うーん伝えにくい!
ともかく私としては東北行けば東北の伝統を持った人たち、沖縄行けば沖縄のしきたりを持った人たちがいる様に、アイヌも北海道の人たち程度の認識でしかありません。
もちろん、アイヌは北海道の先住民族で本州の人(和人と書くにはまだ知識不足)が占領?してしまった事くらいは知っています。
けれども、今現在は日本語を話し、日本の生活をしているので本州の人と同じ目で見ているのです。
・それに対してアイヌの人たちは不満を感じるのでしょうか?
・また、そういう私の考えはおかしいのでしょうか?
・下記のニエベさんと同じですが今後どうすれば良いのか管理人さんの意見を聞かせて下さい。
訳の解らない文章になってすいません。
あと、私は2ちゃんねるから来ましたが人権板はほとんど見ていませんでした。後、じっくり見てみるとかなり幻滅しました。
というのも、私はほとんど趣味のバイク板しか見ていません。当然そこでも激しい罵りあいが繰り広げられているのですが、ヒドイ暴言吐く奴でも所詮暇潰し程度に書いていて、実際会えばいい奴なんだろうと思って読んでいたのでほとんど不愉快な思いはしませんでした。
けれども人権板来てびっくりです。ここでも暴言吐く奴がいるのですがちょっとそれはシャレでは済まされないだろうといった書き込みばかりです。中には本気で書き込んでいると思われるのもかなりありました。
今時本気で差別、それも理由無き、本当に理由もないのに「部落は〜」「アイヌは〜」と言う奴がいて、なんか人間の狂気じみたものを感じます。社会人になって5年目になって、私も含む人間の汚さを知ってきましたが、人権板を読んでいるとその5年かけて知った以上の汚さ、むしろ狂気というものを知りました。正直恐くなりました。今、かなりめげています。
今後、足らない脳みそをフル回転させる日々が続きそうです。
長々とすいませんでした。
失礼します。私は、親戚が白老に住んでおり、その縁からアイヌ民族を知った、徳島
県に住む者です。
こちらへは2ちゃんねるを辿って参りました。
その2ちゃんねるでの(スレッド全体の)ログを見て、少々解らなくなってしまった
事がありましたので、ご意見をお伺いしたく、書き込みさせていただきます。
私は前述の通り、親戚からアイヌ民族を知り、実際に何人かとも接し、その考え方や
文化に強く惹かれましたので、細々と書籍を集めておりました。異なる民族の方と友人
になる(と言いますか中に入れてもらう)には彼等の過去・現在を知る必要があると思
ったからです。
そして現在では何かをさせてもらえる事があればありがたいと思うようになりました。
ですが、2ちゃんねる中でEsamanさんが仰られていたように「中途半端な知識」
は逆にあなた方への迷惑行為に繋がりはしないかと考えるようになりました。果たして
この先どうすればよいか、Esamanさんのお考えをお聞かせいただきたく思います。
それでは、これにて失礼致します。
ぽぱさん、始めまして。
2ちゃんねるからお越しですか、ありがとうございます。
確かに、ネットは礼儀もへったくれもないからこそ、ホンネが聞ける、
というのはあると思いますが、でも、礼儀もへったくれもないからこそ、
暴走状態になりやすい、とも思います。
2ちゃんねるからお越しであれば、本音依然に、あそこでのアイヌの扱いがいかにヒドイか、
というのがおわかりになると思います。
思いますに、あそこで、ああも意味不明のことをやらかしている人々は、
(あ・イヌになど典型的なものじまって、アイヌは縄文人だとか、繁殖力が低いとか、アイヌは存在しないとか)
( http://www.geocities.com/rikeinohito/950886252.html などを参照)
本音というよりは、その多くが何もしらないから、おもちゃにしているにでは、と思います。
実際には、現実社会でああいう差別をかます度胸もないのでしょう。
でも、それ(知らないしやった事ないけどおもちゃにしたい)こそが本音であり、ある意味、
現実に行われる差別も同質であると言えます(差別は中途半端な興味、無責任な興味からよく発生します)。
さて、現在もある「アイヌ差別」といいましても、大まかに分けて3つほどあります。
1:まず、昔からある、大変典型的でしょうもない内容なもの。
例えば、「あ・イヌ」にみられるような、ただバカにするようなものです。
単純に、アイヌを卑しみ、バカにするものですね。
なあんだ、そんなことか、とお思いになるかもしれませんが、
無数の見ず知らずの相手から何度もいきなりやられたら、人間不信にもなります。
「アイヌ」を取り巻く現実というのは、大変ややこしく、親が子供におまえはアイヌの子だと
しっかり説明する前に、いままで親しかった同級生から、このセリフの洗礼を受けて、
「アイヌとはダメなものの総称なのか」という先入観をもってしまう人は、少なくないですね。
そして、さういういじめによっていじけたアイヌを取り上げて、さらに、
「やっぱアイヌはダメじゃん、いじけてるから、いじめられるんだぞ(誰がいじけさせた?)」、
というセカンドレイプのループにはまり、永遠に出てこれなくなる訳ですね。
普通の職業をしている内地の方ですと、わからんかもしれませんが、
北海道(アイヌの多い地域ですよ、道南とかはすくないようです)や、内地でも日雇いのヒトが多い場所などでは、現在でも頻発しています。
(北海道からの出稼ぎの中に、アイヌと、アイヌを差別している北海道人が含まれるので、当然差別は再生産され、周囲の人に模倣されます)
http://www.alles.or.jp/~tariq/homogenous/tanituhatugen.html
上の続き
2:つぎに、これも昔から結構ある、
「触らないことが相手の為」とか「徹底的に気にしないことが相手の為」というやつですね。
一見、これは上記の差別より、随分マシに見えるかもしれませんが、より最悪です。
例えば、札幌の地下鉄でアイヌ同士がアイヌの話しをしていた時
(アイヌは酒飲みおおいしなぁ、とか。よりによって札幌でやるとはよほどの連中ですね←俺も入っている)、
周囲の空気が凍り付き、みんな、見知らぬ振りで聞き耳を立てているなか
(北海道では、そうなりますよ)、
「そういうことは、話題にするものではないのよ」と勇気をもって忠告しにきたおばはんがいましたが、これなんか最悪ですね。
そのほかには、自分がアイヌなんだということを、親友に告げたら、
「そんなん全く関係無いよ」と頑なに言われるのも、
ある意味「自らの中のアイヌ性の無視」なわけでして、よくないです。
すくなくとも、自分がアイヌだといいだすアイヌは、
「よくあるなんでもない日本人」「埋もれた日本人」としてではなく、
アイヌである認められた上で、「わけへだてなく接して」ほしいわけです。
このへんの微妙さ、気がついてほしいですね。
そして、いつまでも理解する気のない人たちに、その辺の理解をと主張すると、
人間ってのはみんな同じ境遇で育って均質なはずだ、
と無根拠に信じている平和で消極的に狂暴な人達は、
「エゴの強いヒトねぇ、みんな苦労はあるのよ」などと訳のわからない事を口走って、
やっぱりアイヌは分からない、という勝手な結論に達します。 場合によっては・・・
(1の2段落目と同じ内容)
これは、当然北海道で多いことですが、内地でも、ちょっと良識派を自覚している人なんかは、
よく陥りますね。
3:最近増えてきたのですが、アイヌである、というだけで興味津々で寄ってきて、勝手にいじくり回して、飽きたら逃げる、という奴です。
例えば、前にも書きましたが、「アイヌ民族にたいして理解を」という趣旨で開いている会合に、
どっからともなくやっきて、他の参加者の発言や内容など無視して、
「実は、私の住む地域(苗字でもOK、大抵はアイヌ語でもなんでも無いもの)の地名が、
アイヌ語ではないかと思うのですが」というようなしょうもない話を、
アイヌ語の専門家でも何でも無いアイヌに、延々となすりつけて、
なにも得られないと分かると、挨拶もせずに消える、とか。
(違う場所の全く関係ないイベントで、4回ほど目撃しています、当然、みんな違うヒト、もう病的現象ですね)
アイヌと名乗っただけで(アイヌピエロと名乗ったわけじゃないですよ)、
アイヌ語しゃべれとか、踊ってみせろとか、ピエロのようなことを要求し、
要求を拒否したり、できなかったり、自分が楽しくないと、「おまえはアイヌじゃない」とか、
暴言を吐いて、どっかに消える、とか。
なかには、アイヌでもなんでもない、ただのアイヌマニアなのに、
イベントなどに出ているアイヌを物見高く見て、「あれはアイヌでない」とか言い出す、
素っ頓狂もいたりします。
中には、アイヌ語とかアイヌ文化とかの表面を舐めただけで、アイヌになったかのうよな口ぶりのヒトもいますね。
これらは、現代に見られる、新しい形の差別だと思います。
ま、やってることは、サゲズミから持ち上げに変わっただけで、1の差別と同質ですね。
これは、全国的に頻発しています。
とうぜん、この掲示板でも、2ちゃんねるでも。
そして最後に。
現実社会でも、2ちゃんねるで暴走しているのと、程度の差だけで、
殆ど同質のものを相手にせねばならない、となると(アイヌの扱いのひどさを、2ちゃんねる
だから、とか、ネットだから、と言って割り切らないでくださいね、現実でも同じです)、
やはり、現実社会での運動と同じく、アイヌをまともな人間として扱うことを呼びかけるしかありませんね。
皆さん、どう思われますか、そこんところ?
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先日、10日ほど北海道へバイクツーリングへ行き、屈斜路湖でアイヌのお土産屋で民族衣装を見、興味を持ち2ちゃんねる読んでたらココへ辿り着いた名古屋の者です。
私は全然勉強不足の知識無しなんですが、そんなにアイヌって差別されるものなんですかね〜?
例え隣りに住んでいても全然意識しないと思うのですが?むしろそういう伝統の何かを教えてもらったりすると尊敬すらすると思うのですが?
それとも邪推ですが、この現代における普通の和人?的な生活をしている事そのものが強制で苦痛なのでしょうか?だとしたら根は深いと思います。
そのへんを教えて貰えたら嬉しいです。
あと、なにか熱い討論が繰り広げられてますけど、ぶっちゃけた話、ネットなんて礼儀もクソもないと私は思います。ある意味無法地帯であるがゆえに本音が聞けたりするものだと思っていますけど。その極端なものが2ちゃんねるだと思っています。
下の書きこみのタイトルは、
「あつしさんへの返答の続き」です、あしからず。
「アイヌは昔話だったかぁ。」
は、一応、あつしさんへの返事す。
あと、意味も無く短い書きこみの件数を増やすのは、謹んでいただきたいです。
せっかくのみなさんの投稿が、どんどん後ろ行ってしまって、
表示されなくなりますし、過去ログの管理も大変です。
さて、あつしさんの投稿の中にあった、
「いろんな個性を持った人たちと交流できるのは幸せだと思うのですが、
それを拒絶する人はたくさんいるのでしょうか?」
ということについて、色々と考えていました。
思うんですが、この言葉の中の「いろんな個性」というのが、具体的にどうなものを指すのか、
という点について、いろいろと考えてみる必要があるのではないか、と思います。
「いろんな個性と接触するだけ」という意味だったら、
アイヌ相手でも大歓迎の人は多いではないか、と思います。
例えば、卑近な例ですが、アイヌ文化フェスティバルのようなものを開催すると、
かなりの数の人々が見に来りしますね(去年名古屋で開催されたときも、信じられない数の人々がきました)
でも、そこにくる人々が、「隣人」としてアイヌを理解しにきているかといえば、随分と違いますね。
例えば、アイヌ文化フェスティバルにきていた和人の中に、アイヌについて詳しいと自認している和人がいて、
他の客にも自慢気に展示物の紹介(随分間違っている、でも誰も知らんので問題無し)をしていましたが・・・
アイヌの狩猟道具には、サケなどを一動作で捕獲できる、頭が回転するマレクというモリがあるのですが、
「クマちゃんか手でサケを獲っているでしょう、アイヌはクマと一緒だから、このモリはクマの手の代わり」
などと説明していたりして・・・既に差別の一歩手前、つうか差別そのものですね。
まさか、その隣で不快な顔をしている奴がアイヌだとは、露とも思っていないのでしょう(着物きてないし)。
実際、その時も文句を言ったのですが、相手はキョトンとしていました。
で、何がいいたいのかというと、あくまで、舞台の上とかイベント内の出し物としてなら、
アイヌを見たい、触れたいのでしょうが、実際に近所に住んでいる存在としては、アイヌを認知できない、
あるいはしたくない、のだと思います。
これは、遠くの存在で、あくまで祭りの出し物のように一過的なものだったら異質も楽しいけど、
自分の日常に関わるようなものには、異質はゴメンだ、というものではないか、と思っています。
例えば、アイヌに会っただけで、自己紹介もせずにアイヌ語の話をしてきたり、色々と根掘り葉掘り聞く、
あるいは、そういう物珍しい知識を期待する(日本人はみんな能を舞えたりするのでしょうか?)、
というのは、アイヌをアイヌであるだけで「アイヌ専門家」「アイヌ屋さん」として閉じ込める作業であるともいえますし、
歴史も含めて色々と話を聞いた後で、「アイヌの人って大変ですねぇ、頑張ってください」と締めて(締めれて)しまうのも、
実は、アイヌが大変なのは和人のせいで、自分はその和人の一人で間接的に関係あるんだ、
という事実にたいし「アイヌの問題は、アイヌががんばって解決すべき」という線を引いている・・・
つまり、異質が自分達の平和な生活に侵入してくることへの防衛線ではないか、と思います。
最近よくある「異なる価値観の歓迎」というも言葉には、どうもその後に、
「それが、あくまで覗き見で、他人事であるかぎりにおいて」という前提がくっついているような気もするんですよね。
中には、そうでない人もいるんでしょうが・・・
そこのところ、どうなんでしょうか皆さん?
ただの言葉としての「多様な存在がいてもいいじゃないか」という趣旨のものについては、
反対する人は、最近はむしろ少ないと思いますが・・・
まさか、これほど次元が低いとは・・・。
そろそろ、まともな対話を求めたいですね。
ここは「2ちゃんねる」のような場所でもないですから。
>見知らぬ侵入者? (^^ゞ
>私のホームページもちゃんと入れたはずです。
>くだらん、ですか…。あまりガッカリさせないで下さい。みんなが見ているし・・・。
HPのアドレスがあったとして、なんでしょうか?
一方的な内容書きこみの垂れ流し(あれ、何がいいたかったのですか?)以前に、まともな自己紹介も受けていませんが。
来てくださいとも何も書いてなく、ただアドレスが書いてあったとして、
ここに来ている人すべてに、見に行く義務があるわけでもないでしょうし。
また、身に言ったとして、なんなのでしょう?
やはり、見知らぬ人であることに変わりは無いのでは?
甘えはいけませんね。
>で、あなたはニンニンケッポの意味ぐらいは知っていますよねえ?
で?
何がいいたんいですかね。
で、あなたはニンニンケッポの意味ぐらいは知っていますよねえ?
見知らぬ侵入者? (^^ゞ
私のホームページもちゃんと入れたはずです。
くだらん、ですか…。あまりガッカリさせないで下さい。みんなが見ているし・・・。
見知らぬ珍入者さん。
思ったとおりの反応、ありがとうございます。
>>疑問、質問、思った事など、なんでもおかきください。 どんなに厳しく違った意見でも、あなたの心と存在に触れられる事が嬉しいです。
>看板に偽りあり、ですね。 もっと寛容にならなければ・・・。ま、言っても無理かな。
>でも管理人の言うことには従います。もう書きません。
>論理的反論を期待していたのですが、感情的なリアクションが来るとは…。
「管理人の言うことに従う」というのであれば、「書きこみしない」ではありませんね。
私はそんなことはいっていませんがねぇ。言いがかりは止めてくださいよ(予想のうちですが)。
対話を求めます。
いきなり場の流れを無視して、
(ここしばらく、アイヌ語の話題もしていませんが・・・)、
自己紹介も満足せずに(あんた、誰よ?)、
長い書きこみ(ありゃあ、どう見ても短くはないですわね、内容も薄いですし)
を垂れ流すというのは、礼儀に反しましょうな。
ま、「礼儀知らず」でも、追い出したりはしませんが(笑)。
すくなくとも、ここしばらく、いい感じで「対話」をしていた私は、極めて不快です。
相手の言説が不快であったれば、不快であると率直に述べるのが、
礼儀であり、なにより相手に対する思いやりかと思います。
なぜ不快になったかは、丁寧に述べましたがね。
わからんのならもう一度だけ親切に説明しますが、
あなたが文句言われている最大の理由は、
「挨拶もせず土足で入り込んできて、自分勝手に長話をした」その姿勢です。
あれでは怒られてもしゃあないでしょうよ。
ここは「なんでもあり」であったとしても、ここの何処にも「甘えていい」とは書いていませんしね。
また現段階では、「非礼をわびず、捨て台詞をはいてどっかに行った」もはいりますかね(笑)。
わたしは、一連の書き込みにおいて、「あなたの存在」にはこれっぽっちも触れられませんでした。
あの書きこみ姿勢では、多分他の人も無理だろうと思われます。
だから、その姿勢自体に難癖をつけています。
また、内容も不快極まりないものではありますが、
削除もしていないし、書きこむなとも言っておりません。
よって、看板どおりの対応ですね(爆笑)。
まぁ、「アイヌやってる」と、そんな「略奪者」のごとき人は多いので、慣れていますが。
第一、また、あなたの書きこみの、何処が論理的なんですかぁぁ?
あの程度の「断定の連続」では、まともな学問とも思えませんがねぇぇ。
また、書きこみ自体が既に独り言の域に入っているものに、
そもそもまともな反論は不可能でしょうが(笑)。