民族とはなにか。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月 9日(日)00時50分28秒 ppp07029.nagoya.alles.or.jp

いや、アイヌはアイヌですよ。
「何民族」と聞かれれば、アイヌはアイヌ民族でしょう。
それをいうなら「日本民族」のほうが、よっぽどおかしいです。

もともと「民族」という呼称や概念は、割と近代になってから、
それまで支配的だった「人種」という区切りに対抗するかのように出てきた言葉です。
(「人種」という概念で人を区分するという考えも、結構最近のものなんですが)

民族とは、人種・宗教・地域・文化・言語・血縁などの色々な要素の影響の元に、
「我々ま○○である」という帰属意識を持つ人々のことをいいます。
逆にいうと、人種・宗教・地域・文化・言語・血縁のどれも、「民族」を縛ることが出来ないわけです。


アイヌは昔から自分たちのことを、民族という概念が使用される前から、
「アイヌ」と呼んでいましたので、アイヌである者達の特徴を表す表現については、
それが「人種」であれ「民族」であれ、「アイヌ○○」という表現は、間違いはありません。

ですが、人種で人を区切るのは、人間の人間たる所以である内面や意思を無視した発想で、
差別の原因の最たるものですから、あまりしないほうがいい。

例えば、幼い頃にアイヌの養子になった人で、立派な「アイヌ」である人もいますし。
「アイヌの血が濃い」人がですね、「アイヌとしての意識が濃い」とも限りません。
また、顔が濃い日本人、あるいはアイヌにしか見えない外国人がいたとして、
その人が、当人の意識や出自と関係無く、アイヌであるわけでもありません。

ですから、「〜人種」という文脈で物事を捉えるのは、
「人間の実際」において、非常に不自然なわけです。
そこで出てきたのが、前述した「民族」という発想です。


実際、「縄文人」と呼ばれる人々が、「弥生人」よりはアイヌに体格とかが似ているのは、
確かでしょうが、頭の中身や人間関係、文化や振興まで一緒かというと、
そんなわけは無いので、そういう区切りで「ルーツ」という精神的なものも多分に
含むものの話をしてしまうのは、ちょっと無茶な話なんですね。

仮にタイムマシンで「弥生人」と我々が規定している人間に日本人が会いに言ったら、
「おまえらなんぞ俺の子孫じゃない、勝手に先祖にするな」といわれるかねしれませんし(笑)。


なお、アイヌの中でもカラフトアイヌは、
確かに言葉がちょっと違いますが、違うといってもたいして違いはありません。
発音の語尾がちょっと違ったり、単語がちょっと意味が違ったりという程度で、
殆ど北海道のアイヌと同じです。
それをいったれば、日本国内の方言差(当然・沖縄は別民族ですが)のほうが大きいでしょう。
その程度の違いだけで「アイヌとは違う民族である」と決めれるほどのものではありません。

第一、北海道のアイヌも、現在北海道やその他の地域に移住してきているカラフトアイヌの子孫も、
(強制移住の結果です)「我々はアイヌである」という共通意識を持つ事が多い訳ですから、
「我々意識を共有するものが民族である」という考えからすれば、
多少の違いがあるだけで、カラフトであるうと北海道であろうと、
等しく同じくアイヌである、と考えるほうが適当だと思います。

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 投稿者:あつし 投稿日: 9月 9日(日)00時09分26秒 H005252.ppp.dion.ne.jp

ご返答ありがとうございます。日本人のルーツには謎が多いですね。(NHKでなにか番組をやっていましたね)
さて、ご指摘の件ですが、勘違いしているかもしれないし、そうでないかもしれないです。縄文人をアイヌ人というのは明らかに間違いですが、私は縄文時代に日本列島に住んでいた人々を縄文人、何らかの理由で途中から現れた(移住してきた?)のを弥生人と解釈していました。
ただ、日本の社会科教育では縄文時代に登場(発生)した人種、弥生時代に登場した人種というような感覚でとらえられている面もあるので、安易に縄文人という表現を使うのは失礼でしたね。すみません

ところで、民族とはどのように分類されるのでしょう?人種でなされるものなのか、固有の文化でなされるものなのか。
それと、アイヌ民族という呼び名は日本人がつけたもので、その当時日本人が知っていた北方民族を一括してこう読んだのではないかと思います。 確か樺太と北海道は同じアイヌ民族でも言葉が違ったとどこかに書いてあったと思います。 言葉が違うということは普通別の民族と見なされるのではないでしょうか?
そもそも日本語訳すると「人間民族」なんておかしいですよね。 飛躍して考えると、アイヌ民族の方々で自らの民族の名称を決め直したほうが良いのではということになってしまいますが..


縄文人はアイヌか? 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月 7日(金)10時45分11秒 ppp07006.nagoya.alles.or.jp

あつしさん、おひさしぶりです。

まず、シャクシャインとコシャマインですが、ご推察の通りです。
偉い人とか立派な人に、なんとかアイヌ、という名前をつけて、それが〜イン、
となるのは、よくある事と聞きます。
まぁ、そういう尊称付き名前は、まず自称ではないと思いますけどね。

といっても、昔のアイヌの名前って、何か事件があると変わるものだったらしいので、
このシャクシャインさんが、戦争前とか子供の頃、同じ名前で呼ばれていたかどうかは、
わからんですねぇ。


あと、縄文人とかの話ですが、混同させすぎです。

「アイヌ」というのは民族ですし、「和人」というのは、アイヌから見た日本人の事で、
2000年前にその実態があったかどうかは不明です。
というか、アイヌにしろ和人にしろ、民族(和人は民族呼称とはちゃいますが)
というものは時と共に変わっていくので、2000年前に、
いまのアイヌと同じ民族がいたかというと、どうも怪しいですね。
まぁ、アイヌの暮らし振りは(変化の多い和人と違って)安定していたので、
いなかったという証拠も無いですけど。

また、ホネと遺跡からしか特徴のわからない「縄文人」や「弥生人」と一緒にしてはいけませんよ。

あつしさんのやっている勘違いは、よくある事なんですが、
「縄文人」や「弥生人」というものは、ホネや遺跡の特徴(殆どホネ)などから、
現代の学者が勝手に付けている呼び名でして、極端な事を言うと、
「縄文人」や「弥生人」という集団は、下手をしたら無かった可能性すらあります。

何故かというと、「縄文人」や「弥生人」の中にも、言語も宗教も風俗も違えば、
当然帰属意識も違う、全然別の民族のようなものが沢山いたと思われますので、
それは、肌の黒い人々を「黒人民族」といっているのと、ほほ同じ意味しかないんですよ。

例えば、黒人ってのは、見なれない人からみるとみんな同じ顔に見えますが、
それぞれの独自の文化や帰属意識や言語を持っていて、いろんな国があります。
アメリカだと「黒人運動」という感じでまとまり気味ですけどね。
それは、それぞれの帰属していた社会から、「黒人である」というだけで引き離された、
強制移住(つまり奴隷商売)の結果うまれた共同意識なんですけどね。

そんなわけでして、アイヌ=縄文人、和人=弥生人、という言いかたは、
随分誤解の元なので、やめといたほうがいいですよ。

それは、恐竜=鳥、ねずみ=人間、という感じで話をするのと、似た様な「危うさ」を含みます。

「縄文人」のずっと後のDNA的な子孫がアイヌや琉球人であったとしても、
アイヌや琉球人が「縄文人」というわけではありません。
あなたが、ねずみの子や、テナガザルの子ではないのと同じように。

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日本人は昔から「日本人」なのか? 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月 7日(金)10時44分34秒 ppp07006.nagoya.alles.or.jp

さて、次ぎの話でずか、「その間の地域に住んでいた民族」についてです。
私は、人間という意識ある存在をハードウェアで鑑定するのはいけないと思っているので、
縄文人と弥生人という人種区分けでは話をしませんけどね。

今「日本」であり「日本人」の土地とれている土地は、
全てが昔から日本というわけだったのではないのはご存知のとおりと思います。

東北にしろ北海道にしろ沖縄にしろ、中央政権に併合された時間軸が違うだけで、
みんな元は別の民族(民族というのは後世できた言葉ですから、いい言葉が無いですが)
だったんだと思います。

北海道や沖縄の話だけでなく、大和朝廷の東北侵攻の話なんかは、それを調べるのにはいいと思います。
何回も異民族の土地に大軍を送りこんで、占領後は強制移住をしたりしたらしいですね。
東北の山奥に変わった苗字が多いのは、異民族であった頃の名残だとか、
その頃の強制移住の影響だという説もあったような気もしますが、私は詳しくは無いです。
ただ、廃藩置県の時、東北のどっかの藩の人が、
「俺は俘囚(降伏した異民族)の子孫だから、天皇の手下はいや(うろ覚えなので不正確です)」
というような事を言った、という話もあったように思います。

その戦いの記録も、東北方面以外は、まともに記録すら残ってはいませんがね。
ただ、東北に軍隊を送る前は、「ヤマタノオロチ」の話云々の、
いまの愛知あたりでも一騒動起こしていますし、
まぁ、その騒動相手が異民族かどうかまではわかりませんがね。
少なくとも、日本ってのは一枚岩ではなかったんですねぇ。

それから考えると、
日本各地に、アイヌではなかったにしろ、アイヌと似たような文化、あるいは面構えの連中が、
アイヌとも琉球とも違う、独自の文化を持って存在していた、と考えるのも、アリだと思います。

まぁ、そういう話を、現在の自分との関係で、どう捉えるかは、人それぞれでしょうけど。

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素朴な質問 投稿者:あつし 投稿日: 9月 6日(木)23時32分49秒 H001064.ppp.dion.ne.jp

ご無沙汰しております。話題が違って恐縮ですがひとつ質問させてください。
ふと気になったのですが、アイヌ民族と和人?との戦争でシャクシャインやコシャマインという人名が出てきますが、この両名は当時敬称とされていた「アイヌ」という呼び名をつけてこのように呼ばれていたのでしょうか? 母音が少ない日本語で呼ぶのとそのような綴りになる気がします。

ところで、和人の侵略の件について思うところがあります。
もともと日本列島には縄文人と呼ばれてた人たちが住んでいて、そこに弥生人と呼ばれた和人が侵入してきたのであろうことは想像に難くありません。 もともと住んでいた人々はルーツが同じだとしても、気候が違って生活が違えば文化も変わってくると思います。で、和人の拠点から離れた土地のアイヌ民族や琉球民族?が最近まで独自の文化を営んできたのだとも。
気になるのは、その間の地域に住んでいた民族がどうなってしまったのかということです。本州内で存在する部落差別というのはひょっとしてこの侵略の結果の名残なのでは?ということが気になっています。 もし、そうだとしたら和人の侵略は現代でも継続的に行われているということが明確に説明できると思いますが。


久し振りのカキコですが・・ 投稿者:DOTTI 投稿日: 9月 6日(木)19時38分44秒 59.182.104.203.livedoor.com

先日、親戚の法事に参加するために田舎(北海道・東部)に行って来ましたが
私が暮していた頃(30年ちょい前ごろ)はアイヌ語の地名と思われる場所(ハッタリ)が
10数年前より「西浜町」なる地名に変更になったそうです。
でも、これって現在も続いている「和人によるアイヌ世界への侵略行為」と言えるのでは?
などと、つい考えてしまいました。
これと同じような事例が北海道内のあちらこちらで現在も行われているのでは?
一度消されてしまった地名を復活させる事は事実上不可能かもしれません。
これ以上アイヌの地名を消されないよう
何かの手を打つ必要があるのでは無いか?
地元に住んでいない私としてはいかんともしがたい事ではありますが・・
和人の多数決の原理で徐々にアイヌの地名が
消えていってしまうのではないかと危惧しています。

それではまた。m(__)m



その烙印は誰が押したのか? 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月 5日(水)22時03分11秒 ppp07036.nagoya.alles.or.jp

西尾幹二って、確か「新しい強化書を作る会」の人かな?
たしか、前に夜中にやっているナマ討論のような番組(名前忘れた)で、
靖国についてやっていたとき、出で来てたけど、
なんだか討論以前に同じ事を連呼するだけで、
ちょっとアタマが悪そうだな、という印象を受けたのを覚えています。

さて、そんな話はさておき・・・

「道徳的に犯罪者の烙印を押された日本」との事ですが、
これを、ここの場でいうならば「道徳的に犯罪者の烙印を押された和人」になると思いますが・・・
そのとおりぢゃん(笑)。

まぁ、(和人は・・の話の場合)悪いのは「日本、あいるは日本人そのもの」というよりは、
近代国家を成立させる過程で、アイヌ(沖縄諸島、周辺諸国など含む)にたいして取った
同化政策・殖民政策の数々と、それによって成立した(というかする予定になっていた)、
「統合され統一された、均一にして自明なる日本(人)」という国民国家意識、
というか、日本人意識だと思いますがね。

まぁ、「なにも知らない和人」の人々も、無意識のうちにその枠組みに参加させられて、
アイヌや沖縄の存在など知らず、あるいは、あくまで、
「主流派の多様性」に貢献する具のようなものという認識しか持っていない(あるいは持てない)
状況にあるという事が、「全ての和人は潜在的に殺戮者である」という私の言動に繋がっています。

まぁ、いちいち親切に説明しているので「烙印」というわけでもないと思いますが。
それよか、和人に「烙印」を押される事の方が多いんだけどね。

多分、その西尾って人が言っている(はやし立てている?)
「烙印」といっているものも、似た様なものではないか、と思いますが・・・
どうなんでしょうか?


確かに、アメリカとかの連合国が勝ったのは、無法者同士がシマの取り合いの殺し合いに勝った、
という程度の意味合いでしょうから、アメリカ人が偉そうに烙印押すのには、
文句の一つもいいたいのはわかりますがね、
でも、だからといって「あっちの無法者のほうが悪い」と、無法者(つまり近代国家)が言ったとして、
なんになるのやら、と思いますね。 どっちも最悪じゃないすか。
しかも、喧嘩売っといて言ってるんだから、タチが悪いすね。

それとも、なんでしょうか、
烙印を押された日本(人、ではなく近代国家という点に注意)は、
「悪くなかった」とでも言う気でしょうかね?
先住民族の立場から言うと、連合国も日本も、どっちも最悪なんですが。


以下、
関係ない話ですけど、テレビで見た感想から言うと、どうも、
自分と全く反対の立場の人を「説得」した「対話」しようという意思というものは、
まるっきり感じられませんでしたし・・・
台湾の親日派の存在の話をして、その後会場にいた台湾人の学生に質問したとき、
「靖国はいや」といわれたときの顔、はっきりいって可愛そうでしたね。既にお笑いの域でした。
まぁ、同情する価値ありませんけど(笑)。

あと、この人、「近代国家日本」と「ただの日本国籍の人(国民)」と「日本人個人」と、
「近代国家日本と関係なく存在したこの土地の住人」を、全部一緒にしてませんかね?
どうも、「謎の大和幻想」が、背後にチラつきます(笑)。

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陣取り同化ゲームが「時流」だったとして、それで? 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月 5日(水)22時02分32秒 ppp07036.nagoya.alles.or.jp

続きですが、余り話題を広くしすぎるとこんがらがるので、
先住民族と近代国家の都合、というスジで話をしてみたいと思います。
でも、結構本質的な話だと思うので、
良く考えたら戦争とか靖国の話の参考になると思いますよ。


「スポーツの様な、ゲームの様な戦争」という事ですが、大変な発想ですね。
まさか、光栄の戦史ゲームじゃあるまいし(関係ないですが今日水滸伝クリアしました)

あと、"game"という単語が、現在、「楽しむ為にする勝負・競技」
という意味を持っているのは当然のことですが、
語源を辿ると、確か、「獲物」とか「獲得物」という意味があったように思います。

そういう意味で言うと、まさに「ゲーム」だったのでしょうね。
ただ、対象が動物ならよかったんですが、人間や、人間の住んでいた土地なんですねぇ、
その当時は「人間扱い」「対等な存在扱い」していなかったんでしょうけど、
実は人間だったんですね。
(植民地人を展示という事で、アイヌとか朝鮮の人とかを展示し誇示した博覧会もありましたねぇ)
(↑人類館事件のことですよ、これ、完全に獲得物扱いですよね。)

たまたま何かの流れで、その当時十分な武器を持っていなかったので抵抗できなかった、
自身の意思を持った人間(あるいはその集団)相手に「ゲームの獲得物」だとか、
「占領してやったのは善意だ」なんて言っても、説得力がないですな。

人間視していなかったから、無茶やったのは、よくわかったので、
せめて、相手が対等な人間だとわかった時点で、その非を認めて、謝罪するのは当然でしょうね。

「先住民族は、その土地に名前をつけて独自の文化をもって自給自足していても、無視して殖民するのが時流」
だったとして、なんなのでしょうか?
いまは、さすがにそうではないでしょう。
ですから、近代国家が先住民族に対してやった蛮行は謝罪し、失われた物は補填すべきです。


戦争の是非の話も、「西欧列強vs日本」などという、それこそゲーム的な発想で話をしていくと、
所詮はどっちも野蛮な近代国家ですので、「あいつも悪いじゃないか」というくだらん話にしかならないので、
もっと違った視点、植民地支配は何故いけないか、近代国家は何を殺したか、という話が大切だと思います。
(原爆はホロコーストですね、アウシュビッツもホロコーストですね、どっちも最悪です。
 でも、日本の植民地支配や同化政策だって、反吐の出るホロコーストですよ)

「時流」だったら、何をしてもいいのですか?
ナチのユダヤ人迫害だって、当時のドイツ内では結構、「時流」だったと思いますが。

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ちょっと誤解されてしまったやうですが 投稿者:和人X 投稿日: 9月 1日(土)00時17分18秒 hcou001002.catv.ppp.infoweb.ne.jp

>・侵略戦争は楽しいゲーム
>・限定戦争と全面戦争(トータルウォー)

このあたりの事は、p.101の辺り、西尾幹二(電気通信大学教授)の
「道徳的に犯罪者の烙印を押された日本」に書かれてゐます。
さすがに「楽しい」と云ふ言葉自体こそ遣ってゐませんけれど、
"game"と云ふ単語は元来「楽しむ為にする勝負・競技」の事に
他なりませんし、「スポーツの様な、ゲームの様な戦争」と
はっきり書いてあるので間違ひやうは無いですね。

>・侵略戦争は時流である

ここ、ちょっとoripakEsaman様に誤解されてしまったやうですね。
「流行り」と云ふのとは一寸違ってゐて、これはいはゆる良く
云はれるところの「大東亜共栄圏」の話です。
要するに、彼らに云はせれば、「富国強兵しなければ欧米に対抗
出来なかった。日本がアジアを併合する事でアジアを欧米から
救った」とかその辺りの話ですね。(それに先ほどの「ゲーム」論
も加った物ですかね)
それにしても随分自分勝手で矛盾も多い話でして、「アジアの各國
の文化を守る」為に大東亜共栄圏を打ち出したのなら、
アイヌ・琉球の文化を破壊してゐる事はどう説明する気なのやら
さっぱり分かりません。
結局、とどのつまりは都合の良いところだけそのやうな話を持ち
出して正当化しようとしてゐるだけの話なのでせう。


戦争はいやだけど、独立はいいかも。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 8月30日(木)01時22分22秒 ppp01058.nagoya.alles.or.jp

さっきサマリア人の番組を見て、随分よかったんだけど、
その後に「北方領土は日本の固有の領土である」とかいう内容の、
ビザ無し交流の話をやっていて、随分気分を害しました。 ううむ。

和人Xさん。

「新しい歴史教科書をつくる会」編の「新しい教科書誕生!!(PHP)」に、
とんんでもねぇ内容が書いてあるとのことでずか、マジですか?

「侵略戦争はゲーム」「侵略戦争は流行り」
「違いが分かれば(クリープか?)戦争に負けない」
などの意見って、誰が、何に、どんな立場で書いているんですか?

にわかには信じがたい、無茶苦茶な内容の話なので、
もうちょっと詳しくお教え頂ければ幸いです。


ストネコさん、いいっすねぇ。

東北道が独立宣言する頃には、もともとが植民地の慣れの果てで、
ただでさえ給料安いのに、すずめの涙の寒冷地手当ても石油代でふっとぷ北海道も、
それなりの態度をとると思うので、そのときはよろしく。

アイヌは、もう兵隊使った戦争はまっぴらですけど、
共に「中央への同化」に反発する東北道と北海道が独立するのは歓迎ですね。

見日と独立したら、北海道にも、津軽アイヌがいた東北にも、
「アイヌが、ただ暮らせる」自然の残っている場所をちょっとくれればいいっす。
当然、先住権があるので、最初は希望するアイヌが優先的に住むけど、落ち着いてきたら、
そういう生活がしたい人みんなで住む。

で、街で普段サラリーマンしているアイヌも和人も、年に何回かそういう場所に行って、
自身の心のふるさと「おおいなる田舎」を取り戻す、
拝金主義的な価値観から抜け出して、のんびりする。

あと追加要望としては、公教育に、イヨマンテの精神をとり入れるってのはどうすか?
小学校とかで動物飼って、みんなで世話して、卒業のときに送って(殺して)食う。
そうすることで、自分たちが他の命によって生かされている実感が沸いて、
命への畏敬も取り戻せたら、変な犯罪も減るかも?


でもマジメに考えてみたならば、ストネコさんの話の中の
「東北軍」を、どっかから借りてきた軍隊とか、外国の軍隊にしたら、
世界中の何処かしこで起こっている紛争と、似たような構図になりますよね。

まぁ、舞台は変わりますけど、沖縄の端の島が独立してしまう、という話だったら、
伊丹じゅうぞう監督の作品に、ありましたね。

赤尾根弧(字は不確か、読みはアカオネコ)島という島が、いきなり独立を宣言して、
地元出身の地質学者を呼び寄せて、石油があると言って米軍をだまくらかしたりして、
なんとか独立する、という話ですけど、誰か見た人いますかね?

あの話、いつだったか深夜放送でやってまして、
伊丹作品の例に漏れず、愉快なテンポなんてすけど、
なんだか笑えない話として真顔で見たのですが、なかなか奥深いものでした。
終わりはちょっと薔薇色過ぎましたが。

http://www.alles.or.jp/~tariq/homogenous/tanituhatugen.html


ここらでちょっと、よた話 投稿者:ストネコ 投稿日: 8月30日(木)00時05分11秒 p09-dn01sukagawa.fukushima.ocn.ne.jp

しっかしまあ、あいつらってそんなに戦争したいものですかね。
そうなりゃ今度こそ東京に核をブチ込まれるでしょうな。
次の都知事選の結果しだいでは、いずれはそうなっても
仕方ないかなとか、東京が廃虚と化せばドサクサに紛れて
東北は準独立を手にする事が出来るかなとか思ってしまう
今日この頃。

STEP(1)
まずは米、露、中、韓に、日本と東北の「考えの違い」を伝えておく。
STEP(2)
不況による閉塞感を煽り「日本」の世相を内向きに仕向け
イシハラ首相を誕生させる。
STEP(3)
先の四カ国に密使を送り、日本が戦争を起こした場合の
軍事協約を密約する。
STEP(4)
天下を取った気分のイシハラ首相をそそのかす(戦争勃発)
STEP(5)
まず中、韓が西から攻める。露は知らんぷりをする。
米は助ける振りをするだけ。自衛隊が西に集中し疲弊しはじめたら
「東北自治州」を宣言し、いきなし日本国に宣戦布告をかます。
先の四カ国の協力のもとに密かに結成しておいた東北軍が
アラハバキ旗(なんだそりゃ?)を靡かせながら一気に東京に攻め入る。
STEP(6)
戦争終結。東北の自治権は国際的に承認され、国連にオブザーバーとして参加。
風光明媚で穏やかな農業国として、末永く幸せな時が流れる。

めでたし、めでたし。

http://www3.ocn.ne.jp/~stoneco/ritsurinkan_index.htm


彼らが靖国神社を肯定しアイヌを無視する訳 投稿者:和人X 投稿日: 8月27日(月)20時28分44秒 hcou001002.catv.ppp.infoweb.ne.jp

>神社の中にある不気味なオブジェクト(「勇士」の面々ね)を叩き壊すか、
>併設する「戦争犯罪博物館」に「これが、よくもわるくも戦争の元」として展示物にするかしたならば、
>桜の名所であり、「由緒有る場所」のことですから、むしろ、靖国を「共同慰霊所」とする事には、
>おおいに賛成なんですけど、どうでしょうか?
>これ、靖国賛成の人達が聞いたら、怒りますかね?

残念乍ら、怒ると思ひます。
どうやら彼等からは、再び戦争がやりたい様な雰囲気を感じ取れる
からです。
「新しい歴史教科書をつくる会」編の「新しい教科書誕生!!(PHP)」
にはっきり書いてある(しかも巻頭近く)のですが、それによると、

・侵略戦争は善である。楽しいゲームなのである(関係ない人が大量
に巻き込まれてゐるのに?)
・侵略戦争は時流であり、これに乗らなかった者は馬鹿である(偉く
一方的で勝手な理論ぢゃないですかね)
・世の中には限定戦争(國取りゲームを楽しむ者だけが殺し合ふ戦争)
とトータルウォー(一億総玉砕型の戦争)があり、日本が負けた原因は
その違ひを認識出来なかったから(そんなにハッキリ区別出来るモン
なんかね?)
・実は人の命等絶対的な物でも何でも無い。そんな物を後生大事に
抱へる暇があったら命を公に捧げて奉仕せよ(公の意味を勘違ひして
ゐませんかね?)

なのださうです。

成る程、彼らにして見れば、アイヌは単なる「ゲームによって
得た賞品」に過ぎないのであって、既に和人の所有物の一部
な訳ですね。
そんな考へだからアイヌを頑なに無視し続けてゐるのだと云ふ
事が、あの本を読んで納得がいきました。
勿論、それは偉く一方的で自分勝手な理屈であるので、私は
「馬鹿も休み休み云へ」と云って遣りたいのですが。

ちなみに、最近「戦争になったら國民から人権を剥奪する」
為の法律の整備が進められてゐますが、これは「國民から
人権を剥奪したい→わざと自発的に戦争を起こせば良い」
と云ふ魂胆も多分に含む物と私は思ってゐます。


「ヤスクニ」復活計画。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 8月27日(月)03時41分05秒 ppp01007.nagoya.alles.or.jp

せんべい屋氏、返答感謝する。
靖国を通して見る国家象については、全く同意。

でもそれは、官僚体制の持つ弊害のような気がするので、
「日本人とはそういうもの」だとまでは、思わないけど。

でも、外国の人から見たら、この話、そう見えてしまうだろうねぇ。

「A級戦犯とは誰か」というのも、言ってしまえば、何処にラインを引くか、
という政治的な妥協とタイミングの問題でしかないからね。

当然、所詮は人間の遣る事だから、
どう引いたって「取りこぼし」や「巻き添え」は出るわけだし、
A級戦犯だけ処刑したって、実は根本的解決にはならないんだけど、でも、
戦争というのは外国をも巻き込んでいるものだから、国際社会に対する
「生贄(あるいは証)」は、必要なんだと思う。

でも、その「何を差し出すか」に関する「決断と話し合い」すら、
「日本人は外国にやってもらわないと出来ないのか」と、思われてしまうよなぁ、これでは。


>そんなことに時間を費やすくらいなら
>国会議事堂真ん前なり皇居外苑なり「戦中犠牲者追悼碑」をたてて
>まいにち通り掛かりに首相が頭を下げることにしたら
>解決しないのかね。

これについては、いろんな方面から板ばさみになってヤツレテ参拝してシュショーが、
参拝直後、「新しい慰霊施設についての私的な懇談会」を作るといっていたように思うので、
これは、ちょっとは進展じゃないすかね?

当然、物議は醸すんでしょうけど、今までとは一味違った物議にはなるんでしょうね。
どうもコイズミ氏は、ナカソネとか、ムネオ&タケヲの「単一民族主義者」とは、
参拝にする姿勢が、ちょっと違うみたいですね。
あの「参拝公言」は、信念つうよりは、支持集めの行動だったんでぢゃないですかね。
「靖国はやっぱ問題あり」という点は、随分味わっているみたいですし。


俺としては、靖国神社を宗教法人からはずして、誰が「A級戦犯人」だったか、
日本人が(当然、周辺諸国の人も交えて)自力でよく判定するか、
あるいは、日本の戦争犯罪についての博物館を神社境内に併設してしまって、
(それを徹底してやった上だったら、俺は合祀しちゃってもいいと思うけど、ダメかね)
「忠の思想」とかいう意味不明の世迷言をHPから削除して、
(あれを言ったら、オウムの信者も立派な「忠義者」になってしまいそうですね)
神社の中にある不気味なオブジェクト(「勇士」の面々ね)を叩き壊すか、
併設する「戦争犯罪博物館」に「これが、よくもわるくも戦争の元」として展示物にするかしたならば、
桜の名所であり、「由緒有る場所」のことですから、むしろ、靖国を「共同慰霊所」とする事には、
おおいに賛成なんですけど、どうでしょうか?

これ、靖国賛成の人達が聞いたら、怒りますかね?

でも、それくらいやったら、むしろヤスクニは15日に積極的に参拝したほうがいい場所になって、
怒号を叫んで「英霊」の眠りを邪魔する行儀の悪いウヨ趣味も減って、
日本の右翼も左翼も両方評判も上がって、
なにより祭られている英霊達も、今後の戦争動員の装置としての危険が薄れて、
結構安心するのではないか、と思うのですが、どうでしょうかね?

そうする事によって、誰か損するのでしょうかね?
俺は、そこまで「鍛えられた」ヤスクニ神社だったら、むしろ参拝したいぞ。
戦争犯罪と靖国神社の犯罪的機能について詳しく解説した博物館が境内にあるんだったら、
俺は、東条英機にアタマさげたっていいぜ。
「この素晴らしい成果(新生ヤスクニ)の誕生の為に散った人々」という意味でね。
ただの「英霊の一人」としてだったら、絶対に認めないが。

それに宗教法人でなくなって、厚生省かなんかの下位組織になったんだったら、
「宗派に関係なく名を記載する」事も、ちょっとは解決だ。

といっても、「今後も死んだ人を記載しつづける」というのは、絶対止めてほしいけどね。


http://www.alles.or.jp/~tariq/


逆説的に役割を果たす靖国 投稿者:せんべい屋の寄宿人 投稿日: 8月27日(月)02時49分25秒 ksgy4DS55.stm.mesh.ad.jp

靖国は中央意識の生成装置というよりは
逆説的に「日本国民の意識の統合」をはかる象徴として役割を
果たしていると言えるでしょう。

なにせ肯定派ばかりでなく否定派も靖国神社のことが頭の中に
こびりついて離れられないでいるのですから。

そもそも議論は盛んでも具体的な意思決定に結びつくこともなく
現状維持を続けているのは、
私の目にはわざわざ話をややこしくしているように見えます。
解決したいがために議論しているのではなくて、
各種評論によって「飯を食いつづけられる」ので
長びかせているのではないか、何かもっと重大な問題から目を
そらそうとしているのではないか、それとも「時が解決する」
という伝統的な受身姿勢でいるのか、
それともしたり顔してどこかで聞いたような説をたれたいから?
という疑念が生じます。

そんなことに時間を費やすくらいなら
国会議事堂真ん前なり皇居外苑なり「戦中犠牲者追悼碑」をたてて
まいにち通り掛かりに首相が頭を下げることにしたら
解決しないのかね。

ともあれ現状の靖国を土台にして日本とは何かを論じるとしたら
「責任を取ることを恐れて決断できない」
「行動の理由が説明できないので誰が行動したか、何をしたかもあいまいにしようとする」
というまるで信頼できない国家像を私は見ますが、どうなんでしょうか
「A級戦犯合祀」も名簿を靖国神社に惰性で流しちゃって
あとから気づいたが知らん振りをしたとしか思えないんですが
(靖国神社と厚生省との間でなにか隠し事があるらしいのを見ると
説明できないような不手際があったとしか思えない)


「靖国問題」って、そもそもなんだい? 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 8月26日(日)13時24分43秒 ppp01011.nagoya.alles.or.jp

>ただし、A級戦犯の正当化がどうのこうのと言う話は一帯どこでアイヌにつながって
>くるのでしょうか?そこに疑問点があります。

よく読め。

>しかも、戦争遂行を積極的に行った人間と、ただ巻き込まれるが如く死んだ人間を区別せず等しく「戦没者として慰霊」する態度は、
>(いわゆるA級戦犯問題。 誰が犯人かという些細な事はほっといて、あの戦争の原因追求を日本人がしていないのは確かですね)
>誰が被害者で、誰が加害者かをぼかしごまかして、犯罪者を救済する、なんの反省も無い行為といわざる終えません。
>まぁ、いわゆる「戦争かました原因の連中(全員「A級戦犯」とはかぎらないね)」は、権力持っているので、つかまえにくいんでしょうけど。
>でもやんないとねぇ。 また戦争されたら困るし。

また、そもそも、
「アイヌとは何かを考える>日本人とは何かを考える>靖国が果たしてきた役割を考える」
が繋がるとすれば、
「靖国が果たしてきた役割」の中に、「A級戦犯合祀問題」も含まれると思いますが、いかが?

現に、「日本は悪くなかった」とか「あの戦争は起こるべくして起こった」
「国民の相違だったから、誰も悪くなかった」という論調に、
「死んだものは何も言わない」が、巧みに利用されてる側面を考えると、
やっぱり「A級戦犯合祀問題」は、はずせない「靖国を考える」問題の一つ、
というか、かなり根本的な問題だと思うけども。

仮に、あの戦争で死んだアイヌの兵隊(なんだったら、それが俺の父親だったとして)が、
いたとして、東条英機(あくまでシンボルとしてだから、誰でもいいけど)と一緒の墓に祭るのはイヤだ。
「日本国民として、日本のために戦った」といわれるもの、イヤだ。
でも、あの戦争で死んだ人々(「敵兵」と「一般人」含む、当然「皇軍兵士」もだ)と一緒に、
是非祭って欲しいと思うよ。
そのほうが「慰霊(つまり、いま生きている両者の子孫の今後のため)」になると思う。

俺は上の引用の書き込みで書いたように、
現に、「A級戦犯問題」として外国に処刑された人間の中にも、
犯罪者と、そうでないのが混じっていたと思うし、処刑されなかった奴らの中にも、
処刑された人間より随分悪いのが生きていて、下手をすると未だに(権力持って)
生きてるんじゃないかと思うんだけどね。

これ、随分深刻な問題だと思いますよ。

その「誰が悪いかのあぶり出し」は必要な事だと思うので、
やっぱり「A級戦犯合祀問題」について考えるのは、大切だと思う。
何度も言うけども、ただ祭る場所分ければいいとも、「A級戦犯」をバカにすればいいとも、
俺は言ってないんだけどね。

そもそも「A級戦犯」って、何よ?
なんだったら、君なりの解釈を、説明してみてくれ。

http://www.alles.or.jp/~tariq/


なるほどね 投稿者:せんべい屋の寄宿人 投稿日: 8月26日(日)12時31分16秒 ksgy6DS11.stm.mesh.ad.jp

アイヌとは何かを考える>日本人とは何かを考える>靖国が果たしてきた役割を考える
という話と、韓国内での遺族たちが「勝手に靖国に祀りやがって」と思うのと同じく
「おれはアイヌなのに靖国に祀られるのはイヤだ」という話をすすめるのは
理解できます。

ただし、A級戦犯の正当化がどうのこうのと言う話は一帯どこでアイヌにつながって
くるのでしょうか?そこに疑問点があります。

「A級戦犯」を叩くことで
「私は戦争を反省している良い子チャンなんだよ」ということをアピールするために
この掲示板を利用しているのとは違いますか?


ここに「関係する話題」「ふさわしくない話題」なんて、そもそもないよ。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 8月26日(日)09時44分35秒 ppp01013.nagoya.alles.or.jp

「それは間違っている」というのにも理由(説明)が必要なのと同時に、
「場にふさわしくない」というのには、理由(説明)が必要です。

前にも何度も言いましたが(新しい方は知らなくても、ここの常連はご存知でしょう)、
この場所は、管理人がただアイヌであるというだけの、「なんでもあり」の空間であって
「この掲示板にふさわしい話題」というものはありません。
「誰もノってこない話題」というのはあるかもしれませんが(笑)。
エロゲーの話をしたっていいんですよ。 ここでやる人がいればですが。

他人のブライバシーの暴露や、意味の無い内容の書きこみの連続垂れ流しなど、
ただの犯罪以外でしたら、たとえ痴話喧嘩をしたってかまいませんし、
独り言でもOKです。
現に、どう考えたって痴話喧嘩にしかみえないものも過去に展開されていますし、
独り言にしかみえないもの、ただの宣伝なども、容認しています。

もっとも、話の流れを無視して、ただ商業サイトの宣伝を書きこんで消える、
というのは、私は絶対に「荒らし」であると認知していますが、でも削除はいたしません。


それに、靖国神社に関わる問題というものは、
「近代日本成立」や「運命共同体としての日本意識成立」に、大変深く関わる問題であり、
日本人とは何かを考える上で、大変大切なことと思います。
アイヌとは何かを考える上で、日本人とは何かを考えないというのは、おかしいですね。

アイヌをはじめとする「先住民族」の存在を作ったのは「近代国家」であります。
「旧土人」を作ったのは、殖民政策・近代化政策であります。
今、ここまで差別が存在する原因は、別に一般の和人の悪意だけではありません。
(「差別してしまう」のは、一般の和人の無意識・不注意・想像力の無さ、だとは思いますが)
(逆にいうと、不注意なだけで差別してまう状況にしたヤツラが悪い、という事になるかも)

そして、その殖民政策・近代化政策の原因は何かと言えば、「日本という国づくり」であります。


「アイヌ」を、ただの「おとなしい異文化提供者」として考えているなら別ですがね、
「アイヌ」を巡る事象と真剣に向き合って考えるとき、
我々がとりこまれている、現在の日本の枠組み自体を問い直す事へと発展するのは、
むしろ当然のことと思います。

当然、「靖国」も例外ではありません。 というか、むしろ積極的に考えるべきことです。

何故「場にふさわしくない」とおっしゃるのですか?
それは、本当は「あなたにとって」という意味なのでは?

別に、あなたにとって、ふさわしくないのはおおいに結構ですが、
(靖国も、アイヌである私にとって「存在がふさわしくない」のです)
他人にそれを言う場合、もっと説得力のある言い方をしないと、いけませんね。

http://www.alles.or.jp/~tariq/homogenous/tanituhatugen.html


誰にとっての「多様化」なのか? 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 8月26日(日)09時42分30秒 ppp01013.nagoya.alles.or.jp

現在「多様化の時代」などと言われていますね、まさか、誰もこの姿勢には反対しないでしょう。

でも、よく考えるとですね、
「多様化を認めてやる側」と「認められる側」、
「その集団の中央と辺境」や「多様化を味わう側と提供者」、が依然として存在する訳です。

その関係とは、つまり、中央の集合体が、ちょっと毛色が違うのを「容認」して、とりこんでいく、
という同化作業の再出発でしかないかもしれません。
まえの戦争の時、ドサクサにまぎれて同化して均質にしたはずだっけたけど(単一民族発言)、
うまく行かなかったので、もっかいやるか、という姿勢を感じる事があります。

現に「多様化の時代」とはいいますが、それでもてはやされているのは、あくまで、
「日本の一部の、辺境・地方としてのアイヌ」「異なる『文化』をもった日本人」であると思います。
ですから、民族意識を育む教育は一切援助されず、
文化や踊りばかりが和人もアイヌも等しく振興されています。

アイヌの文化はアイヌが主役、アイヌの中心はアイヌであります。

「アイヌの踊りを、何も出来ない日本人が珍しいと喜んで見る」のではなく、
「日本人の踊りを、何も出来ないアイヌが珍しいと喜んで見る」という状況と空間が成立してこそ、
初めて、アイヌ民族の復権がなされたと、私は考えます。

アイヌは、あくまでただアイヌであって、
「日本」の付属物ではありませんし、「日本人」の亜種でもありません。

(日本人という言葉は、民族と国籍を極めて曖昧にしている場合が多く、その点こそ問題です。)
(また「国民意識」というのは、つまりは民族意識と同じようなものですね。)



我々のような少数者が、多数派に花を添えるだけの存在、刺身のツマの如き存在として、
消費されないようにする為にも、その「中央意識の解体」は、必須のものだと思います。

私がここで展開している、文化振興法の問題点にしろ、
エコエコ・メルヘン・アイヌオタク話にしろ、「和人は殺戮者」にしろ、
全てはこの権力関係への批判であると解釈も可能と思います。

その点、「靖国神社」は、かなり強力な「中央意識生成装置」だと思うんですが、
そこのところ、せんべい屋氏はどうお考えでしょうか?
実際、あの神社には民族の違う兵士が、「英霊」として祭られております。
調べてはいませんが、アイヌの兵士も多分祭られているんでしょう。

そして、最大の問題ですが、
いま私が、職業選択の自由として自衛官になって職務中に死んだ場合
(俺のような危険分子はなれないと思うけど←なる気も無い)
靖国神社に入っちゃうらしいのですが、そこん所、どうお考えでしょうか?
死んでからは、さすがの俺も口を出せないから(笑)、
あのジンぢゃに日本名を記載されて、「彼はなんだかんだいっても、日本人だった」
と消費されるのが目に見えるようですが、どう思いますか?

俺の話でなくても、アイヌで自衛官の奴って、多分いると思うけどね。

ひでぇ話だと思いませんか?
そして、何も言わない死者をダシにして、「日本人捏造」をしている場所だと思いませんか?
私は、激しくそう思いますね。
俺だったら、死んでからあそこイった事にされるのは、イヤぢゃ。

http://www.alles.or.jp/~tariq/homogenous/tanituhatugen.html


やる場所がちがうんでないかい 投稿者:せんべい屋の寄宿人 投稿日: 8月25日(土)22時02分08秒 ksgy5DS05.stm.mesh.ad.jp

最近靖国神社に関する話を良く見かけますが、
どのようにこの場所に関係するのかわかりかねます。

靖国神社に関する意見を表明する場としてはもっと
ふさわしい別の場所があるのではないでしょうか


戦争の正当化? 投稿者:あつし 投稿日: 8月25日(土)09時33分28秒 H009077.ppp.dion.ne.jp

和人Xさんに同じく、なつき様にご紹介頂きました靖国神社のHPをみてみました。ご紹介ありがとうございます。

文量が多く、途中までしか読んでいませんが何だかおかしなことが書いてありますね。
「忠」の思想という表現がなされていますが、戦時中の国民は洗脳されていてそれが正しいととられていたのかもしれませんが、今の時代にそれを当てはめるのはおかしいです。時代錯誤していますね。
それに太平洋戦争が欧米の列強に対抗するための戦争であったというにしては、周辺諸国に対して悪事をはたらき(そしてその悪事を認めない)、敗戦が決まっているのに無駄に戦争を引き延ばしたことなどで考えても、単にそれは軍部の暴走によって引き起こされたものだと言えるのではないでしょうか?
毒をもって毒を制しようとしたにしても、現代社会においては明らかに間違ったことで、二度と起こらないように反省すべきことであると思います。

ところで、「つくる会」の教科書ですが、市販本をちょっと立ち読みしてみました。私の時代の教科書よりも内容がわかりやすく読み易い構成になっていました。記載事項もそこそこ実のあるものでためになります。しかし、その影で特定の事実が巧妙に闇に葬られようとしているというのが悪質ですね。

oripakEsaman氏がご指摘のように私は歴史に無知なところがあるので、最近になっていろいろ勉強しなおしているところです。
何事もこれまでの経緯が分からずに改善していくことは無理だと思いますし、なぜ日本人は欧米(とくにヨーロッパ)と比べて考え方の基準がずれているのかということが最近気になっているからです。