ナショナルってなんですか? 投稿者:oripakEsaman 投稿日:10月 4日(木)02時57分18秒 ppp07036.nagoya.alles.or.jp

俺は、国家とはあらゆるものを動員する権力構造だと思っています。
国家がただの税金を集めて保健所とか健康保険などを運営するだけの役所たったら、
株を買ってるだけの会社のようなものだったら、別にこんなに反発は致しません。
むしろ、便利でいいと思います。

ただ、「国家」には、合併症のように付いて回る「国民意識」とか「国体護持」とかの
ようなものがあって、色々と悪さをするので、いかんと思います。
それは、時には人を殺し、時には従わないものを排除致します。
所詮は、国家の為に作られ、維持されている意識でしかないのに。

これは、別に私のような「不届き者」だけを排除するという意味ではなく、
その構成員(だと思っている者)達にも、等しく作用するものがあるのだと思います。

例が悪いですが、事に石原新太郎なんか最大の被害者ではないのか、なんて思っています。
別に、恨みも無ければ詳しく言葉を交わした事もない国や民族や宗教、あるいは、
一緒に暮らしたわけでもない人々について、意味不明の断定を繰り返し、
差別を上塗りしていますね(三国人発言、最近のイスラム圏への批判など)。

私には、ありゃあ国家という電波を背負ったドンキホーテにしか見えませんねぇ。
多分、当人は悪気が無いのでしょうけど。 でも、悪気の無い悪行こそが最悪ですよね。


権力や権威は人を動かし、次々と敵を作ります。
敵を倒して権力を維持しているのか、権力の維持の為に敵を作っているのか、
もうわかんないほどに。 最近のアメリカの対応なんざ、いい例ですね。


そういう意味では、同じくアイヌが形成している「権力構造」のようなものにも、
等しく反発致しますがね。
利権が集約する場所は、腐敗がつき物ですからね。

でも、国家の絶大な力に対抗するためには、権力も多少は必要でしょうから、
権力握って邁進する他のアイヌの足は引っ張りませんがね、でも、権力握ってしまうと、
誰でも、それを守るのに必死になりますからねぇ、どうなる事やら。
権力握るとバカになる。 あるいは、バカほど権力が集中する。 どっちか知りませんが。


さて、
ストネコさんが欲しがっているのは、国といっても、
どっちかというと「おらが国」であって、「われらの国家」ではないのではないですか?
アホのムネヲの言い訳じゃないですが、ネイションとエスニックは別物ですよ。

私が欲しいのは、「魂の集う(帰る)場所」なんですけどね。
それは、日本政府や国家にはないので、そんなものには尽くしません。
また土地である必要もなく、何かを敵として我々を維持する必要も無いので、権力もいらないです。
ただ、それを共有する仲間がいればいい。 例え物理的に遠い土地にでも。
でもまぁ、近くにいるのが一人じゃ寂しいから、4〜5人くらいいればいいですかね。
そう考えて行動すれば、何処に住んでも都ですなぁ。
お、なら、もう出来ているはずじゃないか(笑)。 でも現実派きびしいねぇ。



ストネコさん、あなたの魂が帰るのは、本当に国家なんて安っぽい張り子ですか?
いや、宗教的な意味合いで言っているんじゃないですけども。

「国家」なんて、一体何処にあるんです?
そんなもの、ホネしか入ってない先祖の墓よりも、随分価値無いですよ。
どうせなら、地に足をつけた、あるいは人と結びついた、民族主義者になりません?
いや、民族主義って言うと既に権力の源っぽいので、我々主義者でもなんでもいいですけども。

「もっと身近の、手の届く事を」
国家の機能なんて、いずれ全部コンビニにでもしてもらいましょうや。 そのほうが便利ですよ。


ナショナリスト 投稿者:ストネコ 投稿日:10月 4日(木)01時41分22秒 p26-dn01sukagawa.fukushima.ocn.ne.jp

まあね・・・たしかに私は「ナショナリスト」です。
でもね、私にとっての国家は日本列島全般を治める行政体ではない。
極端な話、地理的にはどこでもいい。
いや、電気が通じてない、車が通れる道もないムラでもいいんです。
でもね「国家」が不安定だったら、そのムラさえどうなるか・・・?

今更こんな事を言うのもなんですけど、国旗をはためかせ高らかに
国家を歌い上げるばかりが「国家」ではないんです。
私が「国家=危うい」という発想に反感を憶えるのはそういうことです。

「国家=排他主義」
そういう発想をお持ちの方がいらっしゃるのであれば
それは偏狭的であると言わせていただきます。


身近な事を 投稿者:ストネコ 投稿日:10月 4日(木)01時16分58秒 p26-dn01sukagawa.fukushima.ocn.ne.jp

そういうEsamanさんの言う事は、もっともだ。
次元は違うけど、今日(あ・・・昨日になった)「身近」な切ない出来事が・・・

夜7時に、とある家に納車に行った。購入者は主婦。
実は私が売ったんじゃなくて、販売者が出張で代行で、ね。
呼び鈴を押すと、出てきたのは娘とおぼしき女の子。
「お母さんは?」
「まだ帰ってきてないんです」
まあ、勤めに出てるから仕方ない。ちょいとばかり残業らしい。
ん?どうやらご主人が居るようだ。
お・・・ご主人が出てきた。
「あ、○×自動車です」
「あ・・・俺、知らないので・・・」
「・・・え?」
あれ?ご主人、どっかに行ちゃったよ。
・・・って、こら!娘を残してどこに行くんじゃい?!

ひとり取り残された娘は高一、16歳。
大人しそうな、オタクっぽい風情の彼女は、見ず知らずの
オッサンである私に、学校生活やら何やらをとつとつと話しはじめた。
そしてポツリ「もうお惣菜は食べたくない」と・・・・

こんなこと初対面のオッサンに言うか?
言わない・・・とマジで思う人は、あんた親の資格ないわ。
以前に、散々話題になったエンコーってやつの大半は
これなんだよねぇ。
ゲーセンでさ、顔見知り(?)になった女の子がさ
いきなしガッコとか家のこと喋り出したことが時折あった。
俺は煙草を吸いながらウンウンと聞いているだけだったんだけど
喋りおわった彼女たちは、すんげぇ嬉しそうな顔をしていたっけ。
ウリがなければ、デートすらない。
その場で話をするだけ。それが「エンコー」の実態だったんだよ。
(それでも回りは、なんだか胡散臭そうな目つきで見てたけどさ)

いや、別に、だからどうってことじゃないんですけどね。
久しぶりに「ひとりぼっち」の女の子と出会ったから
なんか言いたくなっただけです、はい。

でも・・・自分の子は?
そう思ったとたんに不安になった私。
なにやってんだか?


まるちレス 投稿者:oripakEsaman 投稿日:10月 2日(火)02時19分29秒 ppp01017.nagoya.alles.or.jp


あつしさん

確かに、東北って美人が多いって言いますよね。
それは昔、今の主流の日本人とはちょっと雰囲気の違う人々がそこに住んでいて、
混ざった結果だ、なんて考えるのも、面白いかもしれません。
それが、アイヌだったかどうかはわかりませんけどね。

でも、民族ってソフト面も大切な概念ですから、アテルイにも「おまえアイヌか」と、
直接聞いてみないことには、なんともいえませんね。
ですから、アテルイや東北方面の「エミシやエゾ」がアイヌかどうか、ちょっと微妙ですね。

まぁ、津軽アイヌがいたのは確かですから、多ハズレではないと思いますけど。


ストネコさん
別にあなたがナショナリストなのは結構ですけどねぇ。
わたしゃ、「国家」は、やっぱ嫌ですわ。 どうも、悪い事しそうですからねぇ。
半世紀前の戦争も、いま起きかけている戦争も、
どっちも近代国家の仕業のような気がするんですよ。 そして、「アイヌの同化」も。

思うんですけど、ストネコさんが欲しがっているのって、「わが故郷」であって、
別に「わが国家」ではないのでは?
どうしてそんなに「国家(つまり近代国家)」を欲しがるのか、不思議ですねェ。

どうせ帰属意識を持つならば、身近な人間のほうがいいでしょうよ、
誇りにするなら、抽象的な旗印なんかより、土地の名物料理の方がいいでしょうよ。
そうやって身近なものを中心に考えていこうとすれば、
何の縁も所縁も無い他人をぶっ殺すために遠い土地に行ったり、
国家だか天皇だか、なんだよくわからないものの為に、嫌がりながら
(神妙にはいるだろうけど、嬉々として突っ込んだ特攻隊員は、あまりいないですねぇ)、
飛行機で体当たりしたりとかは、しないで済むような気もするのですが、どうでしょうね。

あ、私は個人的には、この前のテロの方々と特攻隊員は、ちょっと別物だと思いますよ。
覚悟の程度が違いますよね、多分。 実は程度の差かもしれませんが。



龍淑さん

確かに、あのテロは芸術的でしたね。

でも、現代社会の付属物や消費物ではなく、現代社会の方にに多大の影響を能動的に
与えているという点が、普段我々が「芸術」とか「アート」と呼んでいる物とは、
随分性質が違いますね。

いや、「現代社会の落とし子」という意味では、ある意味まさに芸術だったのかもしれません。
無常ですねェ。


アイヌ悶題 投稿者:oripakEsaman 投稿日:10月 2日(火)02時04分39秒 ppp01017.nagoya.alles.or.jp

突然ですが、私が疑問に思っている事を書きます。
今までのの話の流れとは、とりあえず別です。

若い年代には、アイヌである事に何の負い目も感じない人もいるけど、
同世代の人にも、いろんな経験から、タブーとして胸にしまっている人もいたりする。
そんな人は、親が活動家とか、親類に熱心な人がいないとか、
どっかの保存会に通っているとか…身近に「アイヌである事」に触れられる情況が無いと、
その「アイヌである記憶」を、前向きな誇りに転化していく作業が、大変しにくい。

でも、昔へんな事をいわれたとか、そういうのって、記憶に残るんだよな。
ただのいじめとは一味違う訳だし。 やったほうが以外と忘れていたり、
おかしな事を言っているという自覚自体が無かったりするもんだけど。

「アイヌである事」を取り戻す(確かなものにする)には、ただ本を読んでもダメだから、
実際のアイヌに会って、話をして、色々考えていかないと、難しい。
本当は、親からつげばいいのだけど、親が自分がアイヌである事について、
説明できてない場合は、やっぱり多い。 親の世代も、同じく揺れていたから。

でも、じゃあ実際の「アイヌとして生きている」アイヌに合流したいとき、どうすればいいのか?

こっからは人によるけど、
仮に、アイヌの子供で、自分がアイヌであると自覚したい人間をアイヌとするのならば、
見た目で完全にアイヌだと判定できる人間など、あまりいない。
アイヌも和人も、誰とでも結婚するしね。
それに、顔が濃くても自分がアイヌだと思っているとは限らない、
民族意識は強要されるものではないはずだから、個人の意識の自由は守られるべきだ。

それに、いっちゃあなんだが家庭に複雑な事情がある場合だって、少なくは無いし、
家庭内で「アイヌである事についてオープンに」語れる家庭など、殆ど無いだろう。
どっちかの親がアイヌ(つまりどっちかが和人)であったなら、なおの事だ。
活動家はしらないけど。

例え経済的に豊かになっていても「アイヌとして」の意識が、豊かだとは限らない。
いや、ある意味そういうものを忘れようと努力したほうが、
豊かになりやすいんじゃないかとも思う位だ。
実際、ちょっと昔はそれこそ「一文の得」にもならなかった事もあるのだし。

現実の生活に根ざした経済格差の存在以外にも、
この「アイヌでありたいと意識すると、存在する壁」も、アイヌの現実を取り巻く格差だと思う。

意識したくとも、相談する相手もいない、そんな情況が、結構あったりするのだ。

http://www.alles.or.jp/~tariq/turasampepirika.html


「アイヌ」とは、誰か? 投稿者:oripakEsaman 投稿日:10月 2日(火)02時03分13秒 ppp01017.nagoya.alles.or.jp

上の付きです。
自分をアイヌだと意識する、あるいは意識したい人間にとって、
一番辛いのは、和人に「アイヌ扱い」される事ではなく、アイヌに「和人扱い」される事だ。
だが、既に成立している民族グループの方々は、「誇り」とか「スタンダード」をもう持っているから、
まだそれを掴んでいないアイヌの事を、ひょっとしたらその人も、
若い頃経験したはずの葛藤を、かなり多くの場合、すっぽりと忘れいる。
誇りとは、誇れないものに対する軽蔑を、結構な部分含んでいたりするしね。

だから、輪にまだ加われていないアイヌがやってきたとき、見知らぬ顔だからというだけで、
そいつを和人扱いしたりする人もいる。
何度も言うが、民族とは意識だから、顔だけではなんとも言えない。
これはある意味、無神経な差別や好奇の視線より辛い。
ましてや、第三者の和人のいる場所であったならば、その痛みは痛烈である。
やっている側には、わからないだろうけど。

そのような情況から、伝統的なものを保っている共同体から遊離したアイヌの子孫が、
(現代社会において、そしてアイヌのおかれた経緯を考えると、むしろ普通である)
(親が自身の中のアイヌとしっかり向き合えているほうが珍しいのだ、日本人もそうだろうけど)
既存のアイヌの集団に合流しにくい情況が成立する。
合流しにくくなれば、当然「受け継がれるもの」の格差だって広がる。
時に、人から指を指される事には、たいしてかわりはないというのに。

さらには、アイヌの周囲にいる和人(その辺を歩いている和人のことではない)は、
全てがそうだとは言わないが、アイヌの中の「アイヌらしい部分」を探す人も多く、
新参者がやってくると、「アイヌ」がやってくると、色々と背景を詮索したがる人間も多い。
アイヌだ和人だ関係なく、見知らぬ人間には話したくない事もあるのにね。

そういう視線や壁が嫌で、「ウタリはタダよ」というイベントに、
金払って参加して、何も言えずに帰ってくるアイヌだっているほどだ。
和人で踊っている人もいるのに。 これては、一体誰がアイヌなのか分からなくなってくる。


そなこんなで、アイヌの間での不平等が、どんどん拡大していくんだな。
まして、文化や伝統や技術を身につけたものが、和人かアイヌかによらず、
「振興」される情況である現在においては、なおさらである。


このままでは、巷にいるアイヌの子孫が、棄民されてしまうような気がする。
「自らの中のアイヌ」を、深く考えるチャンスすら与えられずに。

それを、ただその「まだ誇りを持てていないアイヌ」だけの努力不足だと、
簡単に言ってしまっていいものだろうか?
「アイヌだけの問題」と語ってしまっていいものだろうか?

私は、そうは考えない。
そもそも「アイヌ」とは、誰の事なのか。


だから、私はここにいる事にした。

ここで私がしているのは、
アイヌに関わる「和人」への呼びかけであると同時に、
全ての(民族人種を問わない)「アイヌ」への発信である。

自身の中のアイヌや和人について、揺れて悩む人間の抱える問題は、全て私の問題である。

http://www.alles.or.jp/~tariq/turasampepirika.html


くだらない思いつき 投稿者:あつし 投稿日: 9月26日(水)23時09分54秒 H001252.ppp.dion.ne.jp

先日東北に行ってきました。
仙台近辺の山中は地形も植生も何となく北海道の内陸部に似た感じがしました。
それと、ふと気がついたことがもうひとつ、男性、女性ともキリっとした顔だちの人の割合が多いということ。 外見でどうこう論評するつもりは毛頭ないのですが、確かにそういった(関東または中部とは異なるという)印象を受けました。 

あと、もうひとつ、くだらない思いつきです。
日本史で9世紀ごろの「蝦夷討伐」で登場するアテルイという人は「〜アイヌ」と呼ばれていたものが大和訛り?でそう記録されているのでは?ということです。(例えばアテラインだったとか)
もしそうだとすると、その時代に既にアイヌ文化は確立されていた、また、東北地方の先住民族は東北アイヌと呼ばれるべき、ということが言えると思います。
が、本当のところはどうなのでしょうか?


石を投げられるのも・・・ 投稿者:MENASun Irenka 投稿日: 9月23日(日)21時32分02秒 e-nb3.lcv.ne.jp

けっこう快感だったりして(ウソ)。
さすがに僕も(あ、地が出た)そこまでマゾではありません。

真面目な話、自分自身が当事者の立場に立たされたら、
「うらやましい」なんて言葉は、吐こうにも吐けないでしょうね。
ただ、同朋と結束する喜びの少なさを、少し嘆いてみちゃっただけです。
(「日本人」の自分探し、手探りのナショナリズム・・・みたいなスタイルで)

ちなみに、
実のところ僕は民族主義者じゃないんで、本気で「日本人」が民族を意識すれば良い、
なんてことは考えてません。(どうせ、政治名目の恐喝業者の人々が喜ぶだけだし)

ただ、一人の「日本人」として、少数者に無関心すぎたかなー、とは思います。
(ガキの頃、同じくらいの年齢の女の子たちが「知らない言葉」で話してるのを聞いて、
とても大きな衝撃を受けた覚えがあるけど・・・それっきりかな)

・・・なんと言うか、
誇るでもなく、奢るでもなく、ただ自然に在るがまま過ごせると良いんですけどね。
ホントに。

---------
しかし、それにしても、大胆な・・・。

在日ってのは『清濁併せ呑む』とか、そういう、ちょっとでも曲がったようなことは大嫌いな、
もっと潔癖な人ばかりだと思ってたんですが・・・ま、確かに、
あの激突・炎上から崩壊に至る一連の過程には、ある種の・・・と言うか、
あー、いえ。なんでもないです。

ただ、どちらかと言うと僕は、
芸術的なテロより、テロ的な芸術の方が好きだと思いました。
(よく意味は分かりませんが)

ちなみに、ダザイは読んだこと無いです。
それどころか、やばい。最近、活字を読んでないような気がする。

おのれ、インターネットめ・・・。


突然、芸術の話ですが。 投稿者:龍淑 投稿日: 9月22日(土)02時18分36秒 pfi29s092.kobe-catv.ne.jp

>龍淑さんにも、随分と説明不足あると思いますけどね
説明不足、ねえ。ま、私の「説明能力」はESAMAN君には劣りますよ。

で、要するに私はここ一週間くらい何かを言いたくてうずうず
してたわけですが、私に代わってはっきり言っちゃってくれた人がいます。

CNNワールドニュース より

  「独作曲家が同時多発テロを「芸術的」、すぐに陳謝
    2001.09.20
    Web posted at: 12:18 PM JST (0318 GMT)
   ハンブルグ―ドイツの著名な現代音楽の作曲家、カールハインツ・シュトックハウゼン氏
  (73)が、米国の同時多発テロを「芸術的な行為」を呼び、猛反発を浴びて陳謝した。

   シュトックハウゼン氏は16日、記者会見の席で、同時多発テロを
  「想像できる限り最高の芸術的な行為」と形容した。

   この発言に対し、同氏の作品を上演する予定だったハンブルグの音楽祭の
  主催者が、ただちに演奏会の取りやめを発表するなど、波紋が広がった。

   シュトックハウゼン氏は、ハンブルグの文化当局に、同時多発テロは
  「悪魔の作品であり、魔王の芸術行為だ」と述べ、「もし私の発言で
  傷ついた人がいるなら、許しを乞う」と述べた。」

あとから「悪魔の〜」などといいわけがましいことを言ってるのが笑えますが、
実は私も「芸術だ!」と思ってました。

問題は「芸術」という概念が誤解されている点にあるんですが。
芸術は、別に部屋のかざりではなくて、宗教みたいなものですし、
真理に通じる道でもあります。

で、私なりにこのシュトックハウゼンさんの言葉を通りがいいように
翻訳すると、

 「あの事件は神が非常に心をお痛めになりながら愛する人間たちを犠牲にしつつ
  この絶望的な状況にある私たちにお示しになった啓示なのだよ。

  私たちの世界の醜い悲惨な状況が、あの犠牲を要求したのだ。だから
  あの悲劇を無駄にしないよう、心に刻み付けておかねばならないのだよ」

芸術は、おかざりや現実逃避やオタッキ−共のテリトリーの匂い付け行動でもなく、
真の意味において実用に供されるべき場合の(つまり、戦意高揚とかでなく)
価値基準は、なによりも第一に

  「思い切りがよいこと」です。


あ、それから、

>自らの中の嫉妬心をお認めになるのは、なかなかのことだと思います。

本当か?それよりMENASun Irenka さんは、NYの下町にでも行って、
ガキンチョに日本人として石でもぶつけられて来た方が早いんではないかい?


我が内なる旗印の下に 投稿者:ストネコ 投稿日: 9月22日(土)01時46分57秒 p21-dn01sukagawa.fukushima.ocn.ne.jp

>ただ私は、新しい話題や流れを仕掛けたほうが、その話題に付いては、
>相手を「説得」する努力をする必要があると思うので、
>ストネコさんの方が分が悪いと判断致しました。

ううむ・・・反論出来ないじゃないか、この記事。
そうだよなぁ、言い出しっぺはこっちだし。

もう一度だけ、国家に対する私の意見を書きますね。
まあ、独り言的内容になってしまうかもしれないけど
それはカンベンということで。

まずは、私が言う「国家」なんですけど「日本国」がその
対象ではありません。
そう言うと「オリンピックの話は何なんだ?」と言われるかも
しれませんが、あれは日本代表選手については、そこに至るまでの
ストーリーを報道によって知っているから、その個人に対して
感激するのであって(ジャンプの原田選手がその究極の例)
別に日の丸や君が代に感激してるわけではありません。
ちなみに日の丸と君が代については、前に言った通り私は
そのデザインや旋律は好きです。でも、それだけ。
それらに対する帰属意識によって感激しているわけではないんです。

私にとっての「国家」とは何か?と言うと・・・
私が住む東北。かつては日高見、アラハバキという「非日本国家」
実際にその末裔かどうかは別として、その「血」を受け継ぐ一員
という意識を持っている私が、日常においてそれを決して力む
ことなく話題に出来て、なおかつ意識しないですむ地。
西欧的物質価値感に基づく世界ではなく、農林水産業を柱とした
質素な地。
そう・・・「地」

それが私にとっての「国家」です。
私が欲する「国家」です。
つまり、私にとっての「国家」とは組織として存在する国家形態とは
別モノなのです。
道州制が導入されて、その結果東北の独自性が復興すれば
それでもいいんです。
東北以外の地と一線を画せさえすれば、私にとっては
「母なる国家」と成り得るのです。

・・・・・・・・

以上をもってして、私は「ナショナリスト」です。
そう呼んでいただいて結構です。
もしも私を危険視するなら、そうしていただいて結構です。
でも・・・貴方にも理想とする「国家」があるはずです。
誰にでもあるはずです。
くれぐれも言いますが、「国家」とは必ずしも既存の
組織体を表すものではなく、人間の内面にのみ存在し
そしてその機能を発揮するものでもあるのです。

しつこいですけど、私は「ナショナリスト」です。
以上をもってして、私は「ナショナリスト」です。

http://www3.ocn.ne.jp/~stoneco/ritsurinkan_index.htm


理想と現実、存在と「個」 投稿者:和人X 投稿日: 9月21日(金)12時49分31秒 hcou001002.catv.ppp.infoweb.ne.jp

>もちろん、在日の中には「差別など受けたことがない」
>「差別はなくなっている」という人も多いのですが、
>実際、差別的な制度もありますし、悪い噂はそれこそ
>果てしなくある。これが現実なのです。
>こういう現実を認識していないと、私たちは単なる
>「勘違いブス」に過ぎないと思うのですが。

勿論、日本にも差別はあると思ひます。
私が云ってゐたのは飽くまで「私の考へる理想」に過ぎなくて
決して「現実・現状」では無いです。
だから
>まぁ、あくまで私の場合の話に過ぎないのですが・・・・・・。
>現状は兎も角、理想としてはですが。
と云ふ一言を入れておいたのですが・・・・・・。

現実・現状については、私にとってこれからの「勉強
せねばならない課題」ですね。
色々な立場のかたが集まるこの掲示板に、勇気を持って
飛び込んだ(笑)のは、この為でもあります。
# 最初はどんな反応が返って来るか分らなかった為、大変
# 緊張してゐたのが文体にも良く現れてゐますね(苦笑)。

>マジョリティとして日本で暮らしていればあまり耳にすることも
>ないかと思いますが、あるところにはありますよ。
>ネガティブな日本・日本人観ってやつは。
>まあ、そういうネガティブイメージを列挙すると
>実にエゲツないので私はあえて語りませんが。
>和人Xさんはこういうイメージについて、知りたいですか?
>知っても平気ですか?

故に、とても怖くはありますが、そのやうなイメージに
ついて知っておかなければならないのかなとも思ひます。
# ここの掲示板では迷惑がかかるでせうが、残念乍ら
# 今のところ私はメールアドレスを持ってゐません。
# そのうち何とかしたいとは思ひますが・・・・・・。

>それと、その「自分の帰属するものの」の中で、
>ご自分の位置付け、というのはどのくらいなんでしょうか?
>(けっこう下のほうでも平気?)

そもそも民族の中で上やら下やらがあるのかどうか疑問
も無きにしもあらずではありますが・・・・・・・。
私の場合、帰属意識は「あぁ○○に生まれてよかった」やら
「○○に参加出来てよかった」やらと云ふ感覚より生まれて
ゐるだけなので、別に「帰属するもの」に対して特別に見返り
など求めてはゐないですね。
故に、上か下か、なんてのは私にとっては割とどうでも良い
話だったりします。
もし上下が存在するとしても、私は割と下の方でせうしね(苦笑)。

世界中の人々が、ある程度まとまった形で色々な文化や言語や
思考や生活用式を持ってゐるので、それにより醸成される
帰属意識、つまり民族と云ふ物が存在するのは確かでせう。
しかし、その「枠」、つまり「境目」は、はっきりと存在する
やうな物でも無いと思ひます。
丁度、川も海も確かに別々の物として存在するにも関はらず、
その交わる点ではどこからどこまでが川だ、海だと明確には
定義出来ないのと同様なのではないでせうか。
私は先ほど「味噌汁」の例をあげましたけれど、「味噌汁」
の文化は私達の物でも、「味噌」その物の大もとを辿れば
他の民族のかたの考案した物が伝はって来た物ですね。
文化も、各民族間の交流によっても深められる物であります
から、「○○と云ふ文化は○○と云ふ民族だけによって
創られた物である」と常に云へる訳でも無いでせう。
私は、民族Aと民族B両方に帰属すると感じてゐる人間が
ゐても構はないと思ひますし、基本的には民族Aだが民族B
らしい面も持ってゐると感じる人だってゐても良いと思ひ
ます。勿論、片一方のみを選ぶのもその人の自由だと思ひ
ます。結局その人にとっての「心の故郷」意識なので。
「お前は我々と同じ民族だらう、だからこっちに来い
(=他の民族の味方はするな)」と「囲ひ込み」しようと
するのは元々あまり健全な発想では無いのではないかと
思ひます。
# 勿論、これは今の日本政府への批判ですが。


あたりまえに生きたい、ささやかでいいから。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月21日(金)08時52分32秒 ppp01042.nagoya.alles.or.jp

MENASun Irenkaさん。

自らの中の嫉妬心をお認めになるのは、なかなかのことだと思います。
確かに、おおくま日本人は、オリンピックの時くらいし「我々意識」を持てないのでしょう。
それは、ちょっと悲しいことかもしれません。
現に、「アイヌはアイヌと会うと嬉しそうだ、それがうらやましい」と言う人、
少なくないように思います。

ただですね、「その他大勢の一人」である事は、私からすると、むしろいいなぁと思いますよ。
四六時中「特別な存在」というのも、疲れるものです。
紛れられる群れが欲しい時も、ありますって。 ・・・人間ってわがままですよねぇ(笑)。
ドラマチックな映画も、たまに見るからたから面白いのです。

で、あなたの分析ですが、いい線いってると思いますよ。

確かに、いわゆる「外人」は、どれだけ帰化したって一生「外人」のままですね。
でも、見た目が日本人とあまり変わらなくて、日本語が母語となっていると、
勝手に「日本人」になっちゃいますね。
(人によりますが、アイヌは結構見た目で外人扱いされることも、ありますって)

そこで、「俺は日本人(つまり国籍とか言語ではなく、意識として)じゃないぞ」と言うと、
結構な確立で、「相手がどう日本人でないのか」を調べ始めますよね。
例えば、違う言葉をしゃべってみろとか、普段何食っているとか、宗教はなんだとか・・・
そういうのを調べないと、納得がいかない。
日本人のような顔で、同じ生活をしている人は、み〜んな「日本人」だと思っているから。

で、ここからMENASun Irenkaさんとは、印象が違ってくるのですが、
相手をあまり「外人」として納得がいかないと、「かわいそうな人達」ではなく、
今度は「じゃあ日本人だ」という形で、納得しようとすると思うんですよ。

「そんなの関係ないじゃん」って奴ですね。 自分は日本人で無いと言っている人は、
関係無くないから、わざわざ言っているのだと思うのですが・・・
で、本当に「関係無いか」といえば、そうではなく、何かがあるとや、持ち出して来たりする。
「○○は■■だから、こうだよね」とか「△△は○○だから、こうしなきゃ」とか、
着せ替え人形じゃあるまいし。

で、なんでそんなことが起こるのかといえば、
やっぱり多数派は少数派に無神経だからだなんだと思いますよ。
その無神経さと、些細な事ても無数に繰り返される連続性は、辛さの元です。


でも、その対策として、日本人に民族として自覚を持たせるというのは、
本当に効果があるのかな、と思います。
また、どのようなものであれ、義務というのはついていけない人々を「棄民」とするシステムなので、
なんにせよ、よくないんではないかと思います。
私は、全てのアイヌに、伝統文化に対する義務感を持たせる教育にも、疑問を提示しています。
自発的にやりたいと思ってするものしか、身につかないし、よくないと思いますけど。
私個人としては、是非やりたいとおもっていますけどね。
それ以前に「義務感」を持たせるのは、誰? ちょっと文脈が判りにくかったです。

そこで私が考える対策は、「日本人」という共同幻想が、やはり共同幻想でしかないという事を、
解体していくこと、知ってもらう事じゃないかと、思うんですよ。
そうすれば、顔が同じとか、生活スタイルが同じとか、言葉が一緒というだけで、
相手を自分たちと同質である、と期待することもなくなるでしょうし、
いろんな文化も盛んになるのでは? と思っています。 でも、やっぱり義務化はいやだなぁ。

http://www.alles.or.jp/~tariq/


自分の意見は、ちゃんと説明しましょう。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月21日(金)08時17分08秒 ppp01013.nagoya.alles.or.jp

ストネコさん、今回の龍淑さんとの「もつれ」は、
どうもストネコさんに歩が悪い、と判断致します。

別に、国家のよしあしを語ること自体が、どうのという問題、
語られる内容の問題ではありません。
ちゃんと丁寧に向き合っていれば、話題は、それこそなんでもよろしい。

だから、ストネコさんがね、個人的にナショナリズムが好きぃ、というのは、別にいいんですよ。
で、好きなナショナリズムを弁護しようとするのも、まぁいいんですよ。

でもね、弁護に対する反対意見が出てきたときに、たいした説明もせずに、
話が伝わらないのは、立場(この場合相手が在日)が違うから、それは仕方ないね。
と、結構あっさり言ってしまえる部分が、いかんと思います。
(意識しているかどうかわかりませんが、そういう内容になってましたよ)

この言葉、
「在日だから判んないのもしゃあねぇか」という言葉になるのに、あと一歩だと思うんですよ。

立場が違えばいろんな理解がえられにくいのは当然の事ですが、
それをわかった上で(少なくともストネコさんは味わってますね)話題ふってるんでしょ?
だったら、そんな事言って引っ込むのではなく、もっと熱心に説明しないといけませんって。

だから、ストネコさんの説明不足には、責任ちょっとはあると思いますよ。
龍淑さんにも、随分と説明不足あると思いますけどね。

ただ私は、新しい話題や流れを仕掛けたほうが、その話題に付いては、
相手を「説得」する努力をする必要があると思うので、
ストネコさんの方に歩が悪いと判断致しました。

別に、判断しただけで、な〜んにもしませんが(笑)。


追加:
ナショナリズムは、その多くが本国内というよりは、その国の辺境・植民地において、
有効に機能していたという事例がございます。
田舎モノほど大臣に憧れ、異民族の兵隊ほど勇敢に戦います。

かつて起こった「人類館事件」といわれる、
植民地の人間を生きた展示物として扱った博覧会において、
アイヌとか朝鮮とか沖縄とか台湾の人々が「陳列」される中、沖縄の人々が、
「アイヌのような未開な連中と一緒にするな」と文句を言ったのは、有名な事件です。
これは「俺達のほうが、より日本国臣民なのに、あいつらより努力したのに、ヒドイじゃんよ」
という意味であります。

これは、日本の発揮しているナショナリズムの影響下にあるが故に出てきた台詞ですから、
沖縄の人の根性が悪いというような、単純な話ではありません。

http://www.alles.or.jp/~tariq/

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うーん、やっぱり嫉妬かなぁ 投稿者:MENASun Irenka 投稿日: 9月21日(金)02時25分44秒 e-nb3.lcv.ne.jp

少数者であるということは、「特別」なことです。
それはレッテルであると同時に、ステイタスでもあります。

私のように、自分が「その他大勢の一人」にすぎず、帰属する対象も明確でない多数者には、
オリンピックの日の丸程度にしか、「日本人」であることを意識する機会がありません。

「日本人」であることに何の努力も必要とせず、帰属意識がきわめて希薄な私は、
それがいかに不条理なことであるかを知りつつも、やはりアイヌや在日に嫉妬してしまいます。

日常生活がすっかり「欧米化」してしまった現在において、
日本に生活する多数者、少数者は見分けがつきにくい現状ではありますが、
それでもアイヌである、在日であるという事実は、多数者よりも、
プラスアルファの価値を有することとして、私には認識されてしまうのです。


日本という国は、建前はどうあれ、その本質は民族主義国家にすぎません。
あいかわらず、外見と日本語の巧みさだけで人を判断し、たとえ国籍を得たとしても、
外人は、いつまでたっても外人のままです。
また、外見と日本語の巧みさのために、アイヌや在日を、多数者とは異なる存在として、
正確に認識することさえできません。

「日本人」の分類では、「日本人」と「外人」の二種類しか、人間を区別できないのです。
あえてその他を分類するなら、「かわいそうな立場の人々」ということになります。
「アイヌの人々」「在日の方々」「障害者の皆さん」という、例の分類方法です。
(しかも、悪意がないだけに性質が悪い)

日本の多数者には、いっそのこと「民族」としての認識を持たせるべきではないでしょうか。
ヤマト民族だろうが、ニホン民族だろうが、呼び名は(無意味なので)何でもかまいません。
日本という国が、けっして「多数者民族」だけの国ではないことを認識させ、
同時にそのレッテルを、ステイタスとして保とうとする義務感を持たせるのです。

現に牛耳っている「国家」という仕組みから離れて、我々という「民族」そのものを省みれば、
アイヌや在日が相対的に、同等の立場で存在していることに気がつくでしょう。
また同時に、何が本当の「我々」なのか、自分は正しい「我々」ではないのか、という、
新たな疑問にぶつかることで、「日本人」(というより私)の「自分探し」も、
少しは進展する、かもしれません。


龍淑さんの(補足)を読んで 投稿者:ストネコ 投稿日: 9月20日(木)00時05分31秒 p24-dn01sukagawa.fukushima.ocn.ne.jp

ああ・・・そう捉えたわけですね。
私は在日韓国人(及びマイノリティ全体)を
バカ呼ばわりしたつもりは毛頭ないんですけど。

以前の私はここで他の在日韓国人の方に対して
とんでもない侮蔑発言をしてしまい、撤回し
謝罪したことがあります。
あれは我ながらヒドかった・・・

しかし今回の発言は断じて差別の意図はありません。
しかし、そう捉えられてしまったということは
やはり差別心が残っている故の結果なのかも
しれんなぁ・・・
無意識の、ね。

しばし頭を冷やすとするか。

http://www3.ocn.ne.jp/~stoneco/ritsurinkan_index.htm


またまた勘違い 投稿者:あつし 投稿日: 9月19日(水)07時45分36秒 H007002.ppp.dion.ne.jp

ちょっと場にそぐわないかもしれませんが、私の書き込みの間違いを訂正させて頂きます。
「本能的」→「無意識的」、「知性」→「物事を客観的にとらえる感覚?」とすれば意味が通るでしょうか? 全く恥ずかしいことですが、私にはためになります。ご迷惑をおかけしました。

ところで私のこれまで過ごしてきた中で、在日朝鮮人の方に対する差別的な発言(噂)を聞いたことがあります。 直接現場をみたわけではありませんが、がきんちょが何か言っていたのを思い出しました。
古い世代の誰かがその子供に差別意識を植えつけたと考えられます。 こうした悪しき伝承を断ち切ることができれば、「和人」以外の人も等しく「日本人」として生活していける様になるのではないかと思います。
私はたまたま親から「(在日の方々は)日本によって強制移住させられた気の毒な人達で、何も悪いことはしていないんだから悪く言ってはいけない」と教えられていたので、その場で扇動されることなく冷静でいられたのですが...


あなたの国は、どこにありますか? 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月18日(火)21時29分36秒 ppp07036.nagoya.alles.or.jp

あなたは、どんな人ですか?

あなた共に生きる人は、どんな人ですか?
あなたが懐かしく思うのは、どんな人、どんな場所?

人は、同じ土地で生まれ、育つとは限りません、
いま住んでいる土地に、ただ生まれただけの土地に、
必ずしも「郷愁」を感じるとは、限りません。
あなたの「親」と思う人が、必ずしも血縁上の親、戸籍上の親とも限りません。
人の信じる「心の帰る場所」「約束の土地」は、親や地域の価値観をそのまま継ぐとも、
一生同じとも、限りません。

自分が、いちばん自分らしくあれる場所が、その人の「故郷」であります。
その「故郷」は、人の一生の間の移動が人間関係の幅が広く激しくなった現在、
別に土地である必要も、何かの制度である必要も、
血統や縁故である必要も、ないのかもしれないですね。



私は、地元の名古屋なんぞという木々もあまりない蒸し暑い街で、
「アイヌである事」を考える活動を、ささやかですが、始めました。

既に獲得している「持ち物」の多い人達には、色々とくだらない事を詮索されますがね、
わたしのこの活動は、現世で何か物質的なものや、生臭い権利を獲得したり横取りしたりする
という活動ではありません。 私がほしいのは、ただ一つ。

「アイヌが無理なく自然とアイヌになれる場所」

この「場所」は、現実的な場所がいいのは、どう考えてもあったりまえな事で当然ですが、
それを求めると、「取り合い」「足の引っ張り合い」が起きるのがよくわかったので、
とりあえず、止めました。 綱を這い登るカンダタの心境であります。

考えれば、コンビニの駐車場でも、寺の境内の隅でも、何処かの会議室でも、
心ある人が集まれば、その空間は、その場限りでも出来る。
逆にいえば、確保された空間があっても、集まる人によっては
「アイヌが無理なく自然にアイヌになれる場所」は、無理というとこです。

アイヌには、いろいろと大変なこともあるのですから、「無理なく自然に」が、一番大切ですから。

この私の言葉の「アイヌ」の表す人とは、誇りを持って活動「出来ている」人達だけでも、
血統に「純粋」があると主張している無邪気な人達だけでも、
当人の努力や幸運によって、既に何かを「獲得」している人達だけでも、ありません。
また、そのような人々を「より偉い」と上位にみるわけでもありません。

立場的に「アイヌの子」であり、自身をアイヌでと思う、
あるいは、どちらか迷って(しまうような情況になって)いる、全ての人間です。
そのような人々は、全て、平等にアイヌであります。 当人達が望むなら。

別に、「アイヌの子」が、誰しもアイヌになるべしとは、全然思いませんがね、
「自身がアイヌである事」を、無理なく自然に受けとめて、考えられる空間がなければ、
誰かに観察も出歯亀も詮索もされずに、アイヌと語ってみて、考えられる空間がなければ、
アイヌがアイヌである事を、しっかりと考える機会も持つことが出来ないと考えます。

「アイヌの子」には、「アイヌの子で『しか』ない立場」の人もいるのは、重々承知しています。
これは、その人の周囲にとって、という意味です。
そのような経験から、強い意思を得た人も知っています。
ただ、それで「生き残る」のは、よほどの人であって、その人の背中には、
「つぶれて・諦めて」しまった、多くの人々の影を見てしまいます。
私は、多くは孤立奮闘している、そのような人々に最大の敬意を払います。
そけが「人にも実行を勧められるいい事」だとは、けっして思いませんが。

和人とアイヌは、やはり別物であります。
いや、人間として本質的に違うもの、という意味ではありませんが、
本質的に違う人間だと思っても過言で無いほどの、「立場の差」があると思います。

出来うることならば、和人もアイヌも、共にカムイに祈るぐらいなのが理想でしょうが、
自分を始めとする「考えて触れるチャンスすらない」多数のアイヌの子の事を考えますと、
まだ、その時ではないと、私は考えています。


いつか、自分の帰りたい場所に、帰る為に。
自分の死にたい場所で、死ぬために。
少なくてもいいから、共に生きる仲間を作る為に。
自分だけでない、自分達の居場所を、はぐぐむために。

それを、もし次世代に伝える事が出来れば、それは立派な「我々の場所」でありましょう。
それには、まだまだ私には足りないものだらけにのは、痛いほどわかっていますが。

ストネコさん、
あなたの求める「故郷」に、いつか辿りつけますように。


・・くれぐれも、出来合いのもので満足は、すんなよ。

この文書は、ストネコさんの東北道を考えるページ(律凛館)と同時投稿しています。

http://www.island.ne.jp/land/ritsurinkan/main.bbs


暇ネタかもしれんが、 投稿者:龍淑 投稿日: 9月18日(火)08時38分38秒 pfi29s046.kobe-catv.ne.jp

USヤフーに投稿してみましたが(大胆にも)
誰もレスしてくれません。

英語得意な人、添削してください(私は英語は苦手)。

”rather than revenge”

Our entire fine castles have collapsed
Our people are miserably shabby dressed.

In such a huge vacant space,
Without anything to do

We’ve got to the horizon, for the first time,
Where we can feel sad, for our own sadness 
 
「復讐よりも」

僕らの全きお城は壊れ
わが同胞はみすぼらしい

こんな巨きな虚空の中で
なすべきこともなく

はじめて僕らは地平にたどりついた
僕ら自身の悲しみを、悲しむことのできる
その場所に


あなたは、何処の人? 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月18日(火)04時09分09秒 ppp07062.nagoya.alles.or.jp


ポイントは、帰属意識を何に持つか、ですね。
ストネコさんが激しく帰属意識を持ちたいのは、わかりますけど。

>確かに、その「国家」やその構成員によって自身の身が不条理な
>立場に置かれた人にとっては、嫌な言葉なのかも知れません。

とのことですが、そりゃ当然ですね。
ですがその「不条理な経験」をした人が、国家やナショナリズムに対して持つ印象を、
イスラム=悪、というイメージでインド人を射殺してしまうようなものと同質の
(ありゃ酷い話ですね)、
「イメージにすぎないでしょう」と言ってしまっていいんでしょうかね?
現実に、「国家」というものは、随分不条理なものを含むんじゃないですかね?

私は「帰属意識そのもの」と「国家というシステム」は、明らかに別物であると思いますよ。
「国家」という言葉が、ただの共同体のシステムでしかないのであれば、
(例えば、年金とかなんかの証明書とかの、という意味ですが)
そんなに大きな問題はないと思いますが、
帰属意識を還元すべき場所である、というのは「誤解」だと思いますよ。

何故なら、社会を維持するシステムとしての国家は、国民に公正でなけれはならないから。

ですが、多分に「国家」と枠組みを同一視される、「日本人」。
「日本国」の存在の前提でもある、「日本人」のもたらすイメージや内実や前提には、
随分とおかしな者が含まれるのは、ストネコさんも、身をもってご存知の事と思います。


公正という意味からいうと、日本国にいる人間は、等しく「日本人」であるはずなんですけどね。
でも、あなたの中の「日本人」というイメージは、別のものを指していませんか?
あなたが「自明な日本人」なら、あまり疑問がないんでしょうけども、
アイヌや在日朝韓国人は、「いわゆる日本人」というイメージからは、随分かけ離れていますね。
それに、日本で生まれたパキスタン人の子供のイスラム教徒は、どうでしょう?
公言う境遇は、現在の日本では、いまではけっして少なくないですよ。

彼らは、果たして「日本人」でしょうか?
この言葉は、「日本人として『自明な日本人』に扱われるか」という意味と共に、
「彼らが自身を日本人と思うか」という内的な意味も持ちますよ。
外敵がいるから、「我々を意識する」んだから、という話をしたい人もいるようですが、
民族とは、外部の情況とはとは関係無く内在するものでも、あるわけです。

私がアイヌであるのは、別に「アイヌ扱い」をされたからではありませんしね。
「アイヌであると覚悟した」のは、それが原因ですが、
それだけでは、こんなことをしているはずが無いですし。

そのように、差別がある無し、歴史的経緯のあるなしとは関係無くとも、
内面には日本人でもなんでも無いものを宿している人々を、
誰が「日本人」と呼ぶ資格があるのでしょうか?
ストネコさんの感じている(感じたい)憧れは、「日本人として」の共感であることを考えますと、
明らかに、「時の政権」という意味でも、「滞在国」という意味でも、
「システムとしての国家」という意味でもなく、帰属意識としての「日本国家」だと思いますが・・・

その「日本国」あるいは「日本人」とは、具体的に誰の事ですか?
あなたが、「オリンピックに出た選手」に共感するものが帰属するのは、本当に国家なのでしょうか?
ご存知の通り、帰属意識自体は、「日本人」であっても、随分とそれぞれ違うのですよ。
(その時点で生活の基盤のある滞在国、という意味なら俺も日本人ともいえますからね)
これが、「それぞれの帰属意識と国家のズレ」であります。


そもそも、ストネコさんの言っている、「日本人への共感」って、なんなんですかね?
それには「日系」の人は入りますか?
ハポンという苗字のスペイン人は入りますか?(いるらしいですよ、日本人の子孫)
日本にスポーツ大会出場で移民してきた黒人の選手は入りますか?
仮に入ったとしても、相手がどう思うかは別ですけどね。

私は、帰属意識そのものはは悪ではない、と思っていますがね、
でもそれが国家と結びついてしまった場合、色々と「ひずみ」をもたらすと思いますよ。

いや、国家とまでいわなくても、何らかの権力システム利権と結びついたら、
事の大小を問わず「棄民」を生むと思います。
だから私は、アイヌとして色々と活動をしている現在でも、
「国家の為」と同じく「アイヌ(全体)の為」という思考法には警戒を払うようにしています。
まぁ、「アイヌ(身内)の為」ってのも、結構最悪なんですけどね(笑)。
でも、直接実在する人間が対象なら、「〜の為」も、それほど不自然な事は起さんでしょうね。


例えば、ストネコさん。
日本という国家に帰属したいけど葛藤をおぼえるあなたは、
実は「日本人」じゃないんじゃないですか?

いや、これは「素性」という意味ではなくて、内在する意識という意味ですよ。


で、「日本人としての誇り」の内容は・・ 投稿者:龍淑 投稿日: 9月18日(火)03時40分44秒 pfi29s070.kobe-catv.ne.jp

>和人Xさん、

私の場合、被差別者として(しかもスラムみたいなところで)
生きてますから、そりゃもうたくさんのマイナスイメージを
見聞きするわけです。

もちろん、在日の中には「差別など受けたことがない」
「差別はなくなっている」という人も多いのですが、
実際、差別的な制度もありますし、悪い噂はそれこそ
果てしなくある。これが現実なのです。

こういう現実を認識していないと、私たちは単なる
「勘違いブス」に過ぎないと思うのですが。

マジョリティとして日本で暮らしていればあまり耳にすることも
ないかと思いますが、あるところにはありますよ。
ネガティブな日本・日本人観ってやつは。

まあ、そういうネガティブイメージを列挙すると
実にエゲツないので私はあえて語りませんが。

和人Xさんはこういうイメージについて、知りたいですか?
知っても平気ですか?

それと、その「自分の帰属するものの」の中で、
ご自分の位置付け、というのはどのくらいなんでしょうか?
(けっこう下のほうでも平気?)