にっちーさん、何処のどなたが存じませんが、
私の提案をお聞き下さり、この場へ移動された事に敬意を表します。
ただ書きなぐって消える、2ちゃんなどに多い卑怯なヤツではないのかも、と、
ちよっとだけ思いました。
(だからといって2ちゃん自体が悪い、という意味ではありませんよ、念の為)
まぁ、それと話している内容の如何とは、全く別なんですけども(笑)
さて、まず私は「アイヌ、もしくはアイヌ民族」に純血が存在するとは思っていません。
よく、同化政策や経済格差、それを背景とした和人との通婚によって、
「純血のアイヌはいなくなった」という発想を、当のアイヌもすることがありますが、
もともとがアイヌというのは、人種的には「雑種」であったと考えております。
ま、確かに「和人」と「アイヌ」を10人づつならべたら、
時代によって、色々と面構えの差には違いが出るでしょうけど、
それは「純血幻想」を証明するものではない、あってはならないと考えております。
私自身も、片親和人ですし。
そらには、私は「日本人」は当の昔に止めております。
そう、親の代から。
しかしこれは、行政管区上の滞在国である所の、
「日本に住む人」あるいは「日本国籍の人」の否定ではありません。
そういう意味が明らかな場合、私は「ジャパニーズ」である事に全く抵抗は感じません。
ですが、日本人がよく使う「日本人」って、そういう意味ではない事が大いんですよね。
この土地に住んでいる以上、その土地の行政機構に税金を払って、
医療や福祉のサービスを受ける権利の存在は当然のことでありましょう。
当然、それには国籍が日本でない人々や(アイヌにゃ独自の「国籍」はないですねぇ)、
そもそも言葉も顔つきも文化も違う人々も含みますね(最近、ニューカマーの人多いですね)。
彼等は「日本人」なのでしょうか? もう少し、落ち着いて考えたほうがいいと思いますが。
「未開民族」との事ですが、それって何ですか?
あなたのこと?
当然の事ですが、私はインド人でもインド大好き症でもなく、
先祖の墓がインドにあるわけでもないので、インドにゃ行きたいくないですし、
そもそも「(経済格差を背景に)土地を買いあさってい暮らし」というのが、
植民地的発想丸出しでで嫌いですので、お断り致します。
あなただったらやりますか、それ?
また、私が「いい子ぶって」との事ですが、具体的にどんなところ?
いや、私のことをそう言ってくれる人は、極めて少ないので、参考までに(笑)。
また、些細な事ですが…
>自分の4代も5代も前の先祖のものを返還しろなどと言っているアホなんか。
とのことですが、具体的に、どなたのことでしょうか?
そんな事言っているアイヌ、一人もいないと思うのですが、何処でお聞きになりました?
私は寡聞にして知りませんので、お教え下さると幸いです。
なお、あなたの過去のML保存場所での発現にある、
>>「日の丸、君が代は和人の北海道侵略の象徴でもある。だから、少なくとも北海道の教育の場にはふさわしくない」
は、多分私のセリフではないと思います。
私は、北海道の教育の場について、なにか色々と言った事はないと思いますが…
ま、それとは別に、日の丸君が代には反対ですけどね。
別に、同じ場所で使うのなら、何から引用してもいいでしょうが、
意見を述べる場合、いつ頃の、どなたの投稿からの引用であるのか銘記される事くらいは、
したほうがいいのではないかと思います。
にっちーさんの登場は、私が主催しているMLの過去ログ保存場所である、
http://bbs1.otd.co.jp/paetok/bbs_thread への書きこみが最初でした、
このままでは意味不明ですので、関連する投稿を転載致します。
といっても、転載しても意味不明感は変わりませんが(笑)、それは私の責任ではありません。
まぁ、何をどう意見を言おうが勝手ですけども、自分のケツは自分で拭いて欲しいものです。
(場違いな場所へズレた投稿をした事はまぁいいとして)
(それによって場所を移転する場合の経緯の説明の必要性のことですよ)
----------------------------------------------------------------------------------
588 Res Re:日本人辞めてますが(笑)
にっちー 2002/02/08(Fri) {039} Time22:21
New Access from i053208.ap.plala.or.jp
引用はここの掲示板から取ったものだよ。
それに全く信用してないあんたのHPでなんで登録する必要あるの?
あなたは信用できる人なの?
できないね。
自分の4代も5代も前の先祖のものを返還しろなどと言っているアホなんか。
5代前俺の先祖が名門貴族だったとしよう。
今はしがない中流家庭。
それで昔の地位を返せって言うか?
馬鹿だと思われ相手にされないよ。
お前らのやってることはそれと同じ。くだらない。
ほんと、何かアイヌということで差別でも受けてるのか?
受けてるわけないよな。アイヌだからといって選挙権ないとか
学校に通わせてもらえないとかあるか?
むしろ鈴木宗男みたいな利権まみれも政治家の恩恵受けてホコホコ
してるだろうが。
北海道なんか大して税金納める人間いないのに熊しか通らないところに高速道路作ってもらえる地域なんだよ。
被害者面したら、国から補助がでるとかくだらんこと考えるな。
政府が悪いだとか権利を認めろとか言う前に
先祖が築いた文化を自分たちが汚していることに気付けないのか?
はっきり言ってお前らの運営してるこの掲示板こそが便所の落書きだよ。
文化を守りたかったらどうすれば認められるかよく考えろ。どあほ。
----------------------------------------------------------------------------------
587 Res Re:日本人辞めてますが(笑) oripakEsaman(MLmaster)
2002/02/08(Fri) {039} Time21:28
New Access from pl134.nas521.a-nagoya.nttpc.ne.jp
ここの管理人のEsamanです。
にっちーさん、ようこそ、
しかし、随分とズレているレスのように思います。
>>> 「日の丸、君が代は和人の北海道侵略の象徴でもある。だから、少なくとも北海道の教育の場にはふさわしくない」
この引用部分は、どの書きこみから引っ張ってこられましたか?
何か、激しく場所を間違えているという印象を覚えます。
>ともかく批判している人達は日本人を辞めて全てをアイヌなり韓国なりに
>捧げるべきです。国を責める前にまず貴方が態度で示してください。
私は、あなたが「捧げるべき」などとほざいている対象である
アイヌですが、見ず知らずの人間に、いきなり何かを捧げられても
不気味なだけなので、そういう意味不明の発想は止めていただきたいです。
なお、ここは、トップの説明にあるように、議論用のBBSではなくて、
MLの過去ログ保存場所です。
ただの便所の落書き以上の、何かご意見がおありの場合は、
管轄元のHPである、http://www.alles.or.jp/~tariq/
上の、メインBBS「Sampe puyar」へお越し下さい。
それか、MLにご登録なさって、その上で発現なさるとか。
もっとも、あなたに、自身の発言に対して責任を持つことを
「態度で示す」意思があればですが。
----------------------------------------------------------------------------------
583 Res 日本人辞めれば? にっちー 2002/02/08(Fri) {039} Time16:51
New Access from i056083.ap.plala.or.jp
>> 「日の丸、君が代は和人の北海道侵略の象徴でもある。だから、少なくとも北海道の教育の場にはふさわしくない」
そうであるなら日本という国名も北海道侵略の象徴になりますね。
日本人もやめるべきだし、北海道にあなたが家を構えていたとしたら
即刻アイヌの人達に返還しましょう。
そういえば韓国に持っていたインフラも設備も資産も日本は差し上げていますね。経済援助もいまだに続けているし。
ともかく批判している人達は日本人を辞めて全てをアイヌなり韓国なりに捧げるべきです。国を責める前にまず貴方が態度で示してください。
----------------------------------------------------------------------------------
にっちーさんは誰に対して話しかけているんだろう。
話がまったくかみ合っていないし、約一点をのぞいてあまり共感できません。
(そんなに後ろ向きの活動なんだろうか?このサイトは)
Esamanさん、あまり熱くならない方が良いですよ。
真に受けてはいけません。あくまで一個人の意見として扱いましょう。 では
本当、アホだね。日本民族は雑種。混血。朝鮮、南洋、中国、モンゴル・・なんでも入ってるよ。
アイヌの権利を主張して気取ってるかもしれないが、あんたらも日本語を話し、日本文化の恩恵を受けて生きている限り、もう日本人なんだよ。そんなに嫌なら北方領土にでも移り住めばいい。自分で土地を買い占めればいい。
俺の先祖は朝鮮人が来て一杯俺の先祖から富を奪ったかもしれない。あるいは俺の先祖は朝鮮人で日本人から土地を奪い取ったかもしれない。でもそんなの俺の知らない昔のこと。そんなのどうでもいいんだよ。過去はともかくスタートは今。
あほらしい。自分の先祖が何々だったからって、何かを返せっていうのは。
そんなに日本が嫌だったらアイヌ語話せばいい。ほんとあほらしいよ。日本が嫌なら日本から出て行けばいいんだよ。
自分の民族に誇りを持ってるんだったら、もっと人にその誇りを伝える方法があるだろうよ。ほんとあほらしいよ。
とりあえず、お前ら自分はアイヌだとか言ってるけど、お前らも俺と同じ雑種じゃないのか?でもアイヌだと言っているのは被害者面して何かを得たいからだろう。そこがむかつくんだよ。
いい子ぶってほんとのところは何かがほしい。
だいいち、今の日本のどこに不満があるんだ?
昔の未開民族に戻りたいわけ?
じゃ、戻ればいい。勝手にしろよ。
日本じゃいい暮らしはできないだろうけど
発展途上国にでも土地を買いあさればいい。
インドあたりだといい暮らしできるよ。
未開民族に戻れって。
日本人辞めて文句言え。
昨日書きこんだのが何故か、早速の感想(1)が消えてしまいました。
投稿に失敗した模様です(時々あるんですよねぇ)。
もう一回書くのは面倒なので、大体の内容を書きます。
>ここで問題としたいのは教育格差の問題です。
>差別に関する意識調査の数字上には教育の格差が示されています。
>しかし、今の日本社会で差別によって教育の機会に格差が発生しているということなのでしょうか。意見を聞かせていただければ幸いです。
の事についてですが、教育格差は、調査の数字が表しているように、存在しています。
また、ご自身が論考の中で言及されているように、その調査の数字自体が大変妖しいものであるのも確かです。
そもそも、色々な歴史と社会状況によって「アイヌという立場」の多くの人が、
自身がアイヌである事を隠しているか、知らされていないか、
あるいは、知っいてもポジティブに受け止めて考える事ができるような状況にはありません。
このようなアンケートに答える事が出きる、あるいはアンケートの対象として認知されている、
という事自体が、なんらかの「アイヌとして、なんぼかマシ」な状況にある可能性があります。
一般的に、親が成功した活動家であったり、なんらかの「誇りある」伝承者であったり、
あるいは「アイヌとしての、誇り」の元が少ない状況であっても、社会的に有利な状況にある人は、
(大学に入れるほどの経済状況である、親が成功しているなどの条件から、)
(「アイヌであること」に由来するネガティブな情報や環境に晒される事が少ない)
差別の存在を現象していると捕らえたり、差別を巡る問題の存在そのものを軽視したりしがちです。
(「おまえが気にしているだけ」とか、安易に「誇りをモテ」と言ってみたりなど)
ですから、そもそもこの手の調査は数字を疑う事と、
質問をされる側の複雑な心境を考える事が大切ですよね(論考の中で言及しておられますけど)。
また、例え少なくとも「差別的な状況を表す数字」は、あまり軽視してはいけないんですよね。
(今回は、その数字自体が既に大きいのですが)
まぁ、それらの問題のほかには、
「誰までがアイヌであるのか」についても、考える必要がありますが、
「アイヌである事を大切に生きる」事を積極的に行おうとすると、
様々な困難が「和人として生きる(想像してみてください)」事に比べ、遥かに多い事と、
そもそも「誰がアイヌであるのか」という問いかけに晒されるのが、
アイヌの子孫だけという状況も、そもそも不平等であるとも考えられます。
というか、具体的な数字としての格差を最初に上げているのに、
「教育の機会に格差が発生しているということなのでしょうか。」
というセリフが出てきていることを考えますと、ひょっとして、
「格差の存在」そのものを理解していない、という事でしょうか?
だとすると、何から答えすればいいのか…ちょっと大変そうです。
そこについて、色々とお話し願えればと思います。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
それはおといて、
とりあえず軽く印象を書いてみます。
>第一章. アイヌ民族問題の歴史的考察
については、題材が現代の格差が中心なってくるのでしょうから、あれで十分な内容かと思います。
>2.アイヌをめぐる同化政策の歴史的変遷
大切な点は「北海道旧土人保護法」を制定するに至る原因である
「次第に生活に困窮する人たちが増えてきた」事の最大の原因は、
実は北海道開拓と同化政策であるという点ですね。
「北海道旧土人保護法」は確かに同化政策なんですけど、
アイヌが保護されるような貧窮するような状況になったのは、
(あの法律は本当に保護かどうかあやしいのも確かですが)開拓や生活習慣の強制などにより、
生活基盤を破壊されたからである、という点を押さえないと、
今後の流れにおいて何かを誤解する恐れがあり、ちょいとマズイのではないかと思います。
あと、論文の趣旨とは外れるでしょうが、
「多民族国家」という言葉が「よりよい言葉」かどうかには、私は疑問です。
>3.民族のアイデンティティーと差別化
基本的に順当な文章ですが…
>「北海道アイヌ協会」へと名称変更するという方針が、
>民族名を前面に押し出すことへの強い抵抗感が噴出したために見送られたことは、
>差異が前面に押し出されるときに横たわる問題をよくあらわしている。
この抵抗感の噴出というのは、差異を押し出す事というよりも、
差別の現存、構造の現存、あるいは記憶の現存が、問題なんだと思いますが。
本当は、差異があっても差別がなければよいわけですし。
>第二章.差別と他者理解
表現としては、倭人というよりは、和人のほうがいいと思いますよ。
言葉の元の意味というよりは、実際によく使われる表現としては。
>現在でもアイヌ人へ差別は続いている。
の部分の「一体何が差別で誰が差別者なのか」という点こそが、
最も突き詰められるべき点でしょうね。
私は「多文化共生」を巡るパラドックスは、
アイデンティティ似ついての悩みを持たされる側(悩みが多い)と、そうでない側(つまり楽)、
理解を訴える側(苦労が多い)と、常に訴えを理解し受け入れる側(つまり楽)、
という関係に「分かれてしまう」構造が存在している以上、
下手をしたら差別の再生産に終わる危険を秘めている、と考えています。
ちょいと難しいかもしれませんが、そもそも
「アイヌ(あるいは差別、マイノリティ)を巡る諸問題」は、けっして単純な話しでは、
ありえませんので、お付き合い願えると幸いです。
つうか、ここではいつもその話しをしていますが(あなたは、ここをいつから見てますか?)。
3.民族のアイデンティティーと差別化
また、同化政策に一貫して読みとられた特徴は、政策を通じた国民への同一化の過程を背景としながら、一方では学問的象としての民族的差異が固定されるという相反する方向性だった。この過程はアイヌ民族の滅亡という概念を媒介として逆説的に結びついていた。そうした同一性と差異の狭間でアイヌの存在は、同時代に生きる自然的存在として固定されるとともに、日本国民の創出過程の落ち穂として学問領域の対象とされていった。
近代以降のアイヌ民族は、滅亡の過程にあるものとして繰り返し語られた。その根拠を社会の優勝劣敗という根拠によって支える言説は、アイヌを保護という名の支配の下に置き、政策の対象とすることを正当化した。ここで見出されるのは、対アイヌ政策の言説が社会進化論という科学によって裏付けられていたという事実である。やがてアイヌに関する学術的研究は、同化政策が進行していくなかで、研究対象が滅亡しつつあるという緊急性の認識に裏付けられながら、その組織化が進んでいった。
ところで、現在、その差別化がアイヌの民族運動の手段となるという一見、パラドックス的な側面がある。70年代には、とりわけアイヌ文化への志向が高まり,ポジティヴなエスニックを前面に出すという文脈で、文化が重要な役割を果たすようになった。また、ウタリ協会は1980年代以降は、国連を中心とした国際的な舞台での先住民運動の高まりに呼応したグローバルな運動を行なってきた。そして、集団的自決権を有する先住民族として、日本社会の先住民、倭人とは異なった独自の伝統と文化を有する民族集団というアイヌイメージへの収束の方向性を強固なものとした。
しかし、「文化」という象徴による民族像の創出が、必ずしも個々の多様な立場を包括しているとは言えない場面もある。例えば、アイヌ文化法成立を機にウタリ協会が「北海道アイヌ協会」へと名称変更するという方針が、民族名を前面に押し出すことへの強い抵抗感が噴出したために見送られたこと は、差異が前面に押し出されるときに横たわる問題をよくあらわしている。
第二章.差別と他者理解
ここまではアイヌ民族問題の歴史的・精神的背景を見てきた。アイヌ民族への差別は単一国家思想のもとに一面的に行われたものではなかった。また、今日のアイヌ民族と倭人の共存への青写真はエスニックイメージによる差別化というひとつの方向に向かうもではなく、民族内での多様な立場に応じた多面的なものでなくてはならなかった。そして、今日になってようやく多民族の尊重と共存と言う意味での多民族主義が日本でもよしとされ、「北海道旧土人保護法」の廃止,「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」の制定を機に、アイヌ民族と倭人の共存への取り組みが始まった。しかし、現在でもアイヌ人へ差別は続いている。この章では、直接のアイヌ人の主張をもとに差別とそれに対する取り組みの現状について述べる。
2.アイヌをめぐる同化政策の歴史的変遷
次に,日本がとってきたアイヌ政策の歴史的変遷とその背景について述べる。明治時代になると、政府の植民策がすすみ北海道への移住者が増加してきた。開拓使や北海道庁は、先住していたアイヌの人たちに一部の地域で農業の奨励や教育・医療などの施策をおこなってきたが、十分ではなく、次第に生活に困窮する人たちが増えてきた。このため、政府は明治32年に「北海道旧土人保護法」を制定した。これは、アイヌの人たちを日本国民に同化させることを目的に、土地を付与して農業を奨励することをはじめ、医療、生活扶助、教育などの保護対策をおこなうものだった。しかし、実際は、和人の移住者に大量の土地を配分したあとで、新たに付与する良好な土地は少なく、付与された土地もその多くは、開墾できずに没収されたり、戦後の農地改革では他人に貸していた土地が強制買収されたりした 。こうした近代アイヌ政策はアイヌ民族を旧土人という領域に編入・差異化して、保護の名の下に種々の制約を与えることを通じて、アイヌという民族集団を抹消しようとするものだった。しかし、そこに見られる精神的背景は今日の日本の外国人労働者排斥や在日朝鮮・韓国人への差別に直接結びついている単一民族国家神話とは異なる性格のものだった。そのようは政策の背景にあった精神は、むしろ、日本の多民族国家思想だった。 実は,こうした思想は日本に古くから見られる。日本民族は古代から先住民族や渡来人を交え、朝鮮人も立派な日本国民であるとされていた。だが、それは日本は古代から朝鮮人や渡来人を交えてきたのだから、朝鮮や台湾も同じように同化できるのだと言う文脈からだった。複数の民族を支配する戦前の日本を覆っていた空気は、多民族の混合や、国境を超えることの賛美という症状となって現れていた。そして、敗戦直後ぐらいの時期に日本帝国主義を批判していた進歩的学者の論調を調べてみると「多民族国家」と「植民地領有国家」を同義語として使っているものが見られる。彼らによると、朝鮮は台湾を領有することによって戦前の日本は「多民族国家」になってしまったのであり、それを反省して「単一の民族国家」になるほうがいいとされてしまった。
単一民族神話への批判が強まり、多民族国家と言う言葉がよい言葉として定着したのは、1980年代のことだった。この時期になると、独立した独立した元植民地の国々は開発独裁や貧富の格差、国内の民族対立にあえぎ、新国家の建設に幻滅が広がった。一方、アメリカなどで民族的マイノリティの権利獲得が進み、摩擦と困難を伴う分離独立よりも、一国家内での多民族の共存のほうがよりよい選択とみなされるようになった。そして、改めて現代日本の論調を見直してい見ると、外国人労働者排斥や在日朝鮮・韓国人との共存を求める側からだけでなく、保守系の人々からも単一民族国家批判が出ているようである 。
アイヌ民族問題の複雑さの背景には、こうした日本人の側の思想の歴史的変遷も絡んでいた。しかし、いずれの時代であっても日本人がアイヌ民族を抑圧し、差別してきたことに変わりはなく、日本人にアイヌ民族を尊重しようという精神は生まれなかった
私は北海道大学の学生で,「他者理解の方法と実践」というコースを履修しております。本講座はさまざまな集団について論じるにあたって他者の声を直接聞くといくことを目標とします。私はこの講座の最終論文としてアイヌ民族を取り上げました。以下の論稿はその前文に当たります。この先は実際のアイヌの人の主張をもとに議論を展開します。そこで、皆様の私が扱っている問題についての意見をお聞かせいただければと思いこの場に参加させていただきました。ここで問題としたいのは教育格差の問題です。差別に関する意識調査の数字上には教育の格差が示されています。しかし、今の日本社会で差別によって教育の機会に格差が発生しているということなのでしょうか。意見を聞かせていただければ幸いです。以下の論稿への指摘でもかまいません。
「他社理解の方法と実践」 論文
アイヌ民族問題と他者理解
第一章. アイヌ民族問題の歴史的考察
1.アイヌ民族の歴史と現状
アイヌ民族は、かつては東北地方北部から北海道(蝦夷ヶ島)、サハリン(樺太)、千島列島に及ぶ広い範囲をアイヌモシリ(人間の住む大地)として先住していた。15世紀中頃から19世紀中頃までの間、アイヌモシリに和人の渡来が増えるに連れ、松前藩や交易における商人の横暴、搾取などにより、アイヌの生活は著しく圧迫された。それらは、コシャマインの戦い(1457年)、シャクシャインの戦い(1669年)、クナシリ・メナシの戦い(1789年)などが起こった背景や結果などに明らかだろう。明治政府は蝦夷地を北海道と一方的に改称し(1869年)、本州などから移民を受け入れる植民地策を進め、明治初期に12万人程度だった人口は、30年余りで100万人を超えた。このため少数者となったアイヌ民族は、明治政府以降の同化政策の下で伝統的な生活や生産の手段を失い、経済的に不利な立場に置かれ、苦しい生活を強いられた。
現在、北海道に住むアイヌ民族の人口は、北海道が1999年に実施した「ウタリ生活実態調査」によれば、73の市町村に23,767人となっており、日高支庁と胆振支庁管内とで 約3分の2を占めている。また、生活、教育、職業の現状を見ると、労働人口の29.5%が農業・漁業などの第一次産業につき、中小企業を営んでいる人もあわせて経営規模は零細である。
生活意識調査では約30%の人がとても苦しい生活と答え、生活保護を受けている人の割合は全体の約2倍となっている。教育の面では、高校進学率は全体の97.0%に対して95.2%、大学進学率も34.5%に対して16.1%と低い。この調査は北海道内に居住するアイヌに限られ、かつ表面的であるため十分に実態を把握しているとはいえないが、この調査結果でもアイヌ民族が生活・教育で不利な立場に置かれていることが分かるだろう 。
2 次へ
サムスピもストIIも、別に嫌いな訳ではありません。(念の為・・・・・・)
>もっと具体的に言えば「エドモンド本田」とか「ダムシム」とか「王虎」とか
>「アースクェイク」などの「よく考えると、とんでもねぇヤツラ」の持つ「ズレ」と、
>ナコルルの「ズレ」が醸し出しているものは、明らかにトーンが違うんですよ。
実を云ふと、それは当時からかなり感じてはゐました。
「アイヌの方々の正確な姿があまり知られてゐないのに(=私自身殆ど
知らないのに)、このやうな『アレな世界観』の世界に登場されると、
どこが冗談でどこが『きちんと調べられた事実』なのか解らなくて困る」
と困惑した覚えは確かにあります。
事実、あれにアイヌ人が登場するのは何か不自然だと思ったものです。
中国と日本の区別も出来ない人が大和人とアイヌ人の区別が出来るとも
考へにくい(その視点をパロディにしてゐる以上)訳ですし・・・・・・。
# アイヌだけでなく、大和人の知名度自体、実際はそんなもんでせう(汗)。
## アメリカ人は隣國の筈のカナダに対してさへ、そんな感じらしいですし(汗)
以前私が読んだギャグ漫画の中の北海道の描写で、
「オーロラに白夜に白熊(ペンギンだったかも(汗))」
と云ふ無茶苦茶な描写があって、笑ったものですが、
これ、明らかに無茶苦茶であるからギャグとして成り立ってゐるんです
よね。
これが事実に完全に反するものである事が分からない人にこのシーンを
読ませたらちょっと恐い事になる訳でして(汗)。
だから、読み手としても、ある程度は「これはジョークかどうか」を
見極める目を持つ責任がある訳ですね。
# 勿論、描き手にも誤解を避ける責任があるのは云ふに及ばず。
あと、少女キャラの場合、あんまりゲテモノキャラにすると、萌えて
貰へなくなる恐れがあるので、あんまりブッ飛んだ外見にはならない
ので、受け手(消費者・ゲーマー)が、そのキャラの「をかしさ」に
気付きにくくなる、と云ふ問題はありますね(oripakEsaman様の指摘
の問題はこの辺りなのかも知れません)。
# 特に、製作者自身が消費者に含まれたりすると・・・・・・(汗)。
## 「思ひ入れ」ってのは、この辺りの事なんでせうね。
「萌える」事そのものは悪くは無いと思ふんですが、でも、「何でも
かんでも、取り敢へず萌えるやうに作っておけば問題無し」とか
「萌えられれば何でも良いや」と云ふ態度はちょっと問題アリだと
思ふんですよね。
# ここら辺、何でもかんでも「萌え」が基準で世の中が動いてゐるのが
# なんだか本来のゲーム性そのものがおろそかになってゐるみたいで
# 「純粋にゲーム性を楽しみたいゲーマー」の私はちょっぴり頭が
# 痛かったりするのですが・・・・・・(笑)。
わたしゃ「勘違い」は差別と相互補完する機能のある、
「差別の温床」だとは思いますけど、差別そのものだとまでは思いません。
また「のどかな勘違い」を笑う余裕は欲しいと思うのは確かですが。
その「悪気無い勘違い」も、会う人会う人に繰り返されると、
ある主の暴力とも言えるので、ある程度の緊張感は欲しいと思っています。
やたらと「判りやすさ」とか「親しみやすさ」を強調すると、
ギャップを埋めるべく苦労するのがアイヌの方ばかり、
という事になりやすいですからね、まぁ、兼ね合いが難しいんですが。
私は、サムライスピリッツを見たとき、大変面白いゲームだと思いましたが、
(それまでの格闘ゲームと違って、強弱が極端だったので)
ナコルルがアイヌだとは、しばらく気がつきませんでした。
カムイ伝とかに出てくる、アイヌとかエミシとかマタギの匂いを漂わせた謎の民族
(例えばもののけ姫に出てくるアシタカのような)だと思ってました(笑)。
それがどうもセリフからアイヌらしいとわかったので、そりゃもうビックリでしたね。
>最初サムライスピリッツは、「アメリカ人から見た日本のイメージを、
>日本人自身がパロディにした物」と云ふ世界観だったやうな気がするんですが
>どうもこの業界、最初は狙って創った(わざと勘違ひした)キハモノでも、
>売れると妙に正統派ぶる癖があるやうで・・・・・・(苦笑)。
そうですよね、確か。
SNKの人に聞くまでも無く、明らかに「外国の素っ頓狂な視点」を、
ある程度意識した勘違いの仕方をしてましたよね。
事に、柳生なんとかが二刀流ってのは、見事過ぎる勘違いですよね。
そういう感性は、それはそれでいいと思うので、いいと思いますが…
ただ情報が、アイヌに関しては、あの当時は(今もですけど)凄く少なかったのと、
明らかに面白くする事を狙ったデフォルメキャラとである他の人々と違って、
ナコルルには明らかになんらかの形の思い入れ(つまり「正統派」っぽさ?)が
感じられたんですよね。
その思い入れの方向が、私が危惧している「自然にやさしいアイヌ像の一人歩き」
に見事にマッチングしている事が、ちょいと問題では、と思うんですよね。
もっと具体的に言えば「エドモンド本田」とか「ダムシム」とか「王虎」とか
「アースクェイク」などの「よく考えると、とんでもねぇヤツラ」の持つ「ズレ」と、
ナコルルの「ズレ」が醸し出しているものは、明らかにトーンが違うんですよ。
これは、現代版のオリエンタリズムが、ゲームキャラというある意味無難な対象
(ナコルルは俺のように文句は言わない←笑)を通して発現している、
という事が言えるのかもしれません。
(いや、正確には「ラテンの血が騒ぐ」というセリフを吐く南米の先住民族のはず)
(の昆虫みたいな奴も問題は問題ですけど、あそこまで壊れると、具体的に勘違い)
(の対象にされて困る人々がいない可能性があるので、微妙です)
(つまり、アイヌは日本国内の少数者であるからこそ、色々と大変なんですね)
http://www.alles.or.jp/~tariq/
まぁ、だとしても幻想の対象が、現実とは違う事を認識した上で、
ゲームキャラ相手に留まっている間は、見事に問題が回避されているので、
あれはあれで、いいのかも知れません。
まさか、本当にナコルル探しに北海道来る人もいなでしょうしね。
逆にいえば「自然にやさしいアイヌ」という姿を、ナコルルではなく、
現実のアイヌに投影したい人達は、ナコファンをゲーヲタとバカにする権利など無い、
現実と幻想の区別も付かない恥かしい人達である可能性もありますよね。
最も、現実に流通されている「アイヌ関係の情報の質」から考えると、
無理もない事なのも確かなんですけども…
あと「アイヌの精神世界を内面化」か何か知りませんが、
ただその場にいたら着せられたという意味でも、ただのアルバイトとか、
助っ人という意味でもなく、和人がいろんな理由付けをして、
(例えばトモダチであるとか理解とか正しいなんとかとか色々)
アイヌの格好で人前を闊歩してみたり、アイヌの儀式をしたりするのは、
ある意味、男の分際でナコルルの格好をして闊歩している人よりも、
随分と恥かしい「コスプレ」であると言えるのかもしれません。
(女装趣味が悪いという意味ではないですよ、私には無い趣味ですが)
「ナコルル」の格好するのは、別にナコルルが実在する人物でも、
今生きている人でもないので、いいと思いますけど、
(仮面や制服を使った自己同一化の一種ですが、対象がエンターテイメントなので)
(「ヤクザ映画を見た後に肩で風を切って出てくる」のと同じ意味で悪いとは思いません)
それらの「コスプレ」と、現実に存在している民族などの「立場の飛び越え」は、
かなり意味が違ってくると思います。
何度も言いますけど、私の言っている「立場の飛び越えコスプレ」とは、
観光地とか博物館で着てみるとか、気に入った着物を買って家で着るとか、
イベントとかで人に薦められてアイヌの格好してみるというのとは、
全然意味が違いますので、あしからず。
それらは、アイヌ文化を楽しむ行為で、別に悪い事ではないと思います。
「文化が手の内に無い現実のアイヌ」である私達からすると、
「見てて随分と微妙な事」ではあるんですけどもね。
ううむ、ゲーム話しで飛ばすつもりが、内容難くなってしまった。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
ナコルルの例は、差別と云ふよりは、「変な(勘違ひした)」物と云ふ例の
積もりだったのですが・・・・・・。
初めてサムライスピリッツを見て、ナコルルが「大自然のお仕置きよ」と
云ふのを見た時は、あまりの変さにひっくり返ったもんです(笑)。
最初サムライスピリッツは、「アメリカ人から見た日本のイメージを、
日本人自身がパロディにした物」と云ふ世界観だったやうな気がするんですが
どうもこの業界、最初は狙って創った(わざと勘違ひした)キハモノでも、
売れると妙に正統派ぶる癖があるやうで・・・・・・(苦笑)。
# ストリートファイターIIとかもですね(笑)。
別にナコルルに萌えるのが悪いと云ふ気は毛頭無いのですが、
「ズレた」世界観である事はきちんと認識した上でないと、現実に存在する、
元ネタにされた方々に対しては失礼になる事もありますよね。
「業界ではこれが常識だ、だから(現実との乖離を意識もせずに)おおっぴらに
やっても構はないんだ」みたいな理屈はあまり外では通用しないかも、です。
そこをきちんと理解した上で、元ネタになった方々に失礼の無いやうに
萌えるのは、別に悪いことでは無いと思ひます。
# ナコルルやエドモンド本田やダルシムだけで無くて、メイドさん等も
# 当てはまるかもしれない・・・・・・。
## 個人的には、「メイドさん」と云はれると、まづ「風と共に去りぬ」に
## 出てきたあの人の姿が思ひ浮かぶんですが(爆)。
### ごめんなさい。冗談ですので石を投げないでください(汗)。
勿論、私もゲーマーです。(対戦格闘ゲーム中心ではありませんが)
持っているけど動かなかったとは、お見それ致しました。
さすがナコファンですな。
確か、初回得点だとピンク色がかった箱で、CD付いてくる奴でしょ?
中古屋で箱だけは2種類も見たんだなぁ。
でも、中古のなのに結構高かったように思うんですが、結構最近のゲームですかね?
>>出来れば「アイヌの少女」という設定が抱えている、様々な事情も含めて、
>>理解してほしいと思うのは、何かが間違っているのでしょうか?
>ただ、それを「理解」するためには「設定は抱えている様々な具体例」を
>知る必要があるわけで、そのためには多くのナコルルファンがそれを知るための
>何かも当然のことながら必要となるわけで。
そこなんですな。ソコ。
「ナコルルのファン」は、あくまでナコルルのファンであって、
アイヌのファンではないのだと。
ナコルルは「アイヌの少女」である前に、ナコルルなんですよねぇ、
ファンの人達にとっては。
こりゃもう当たり前のことであって、どうしょうもない事ですよね。
しかも、そのナコルルが登場するゲームは、人間離れした連中の出てくる
格闘ゲームな訳で、これって生活感が薄いんですよね−、だから実のところは、
「現実のアイヌ」とナコルルの接点は、案外薄いんですよね。
そこで注目されるのが「個人同士の切りあいの連続」である所の、
「サムライスピリッツ」のゲーム上を離れたところで展開されるナコルルの話しが、
どんな内容になっていくのか、なんですわ。
例えば、あの人達だって四六時中切り合いしているわけではないので、
その他のことを書くときは、やっぱり色々と設定が絡むんですよね。
例えば、ストネコさんも昔、ナコルルとリムルルのコタンでの話しを、
書いていたじゃないですか。
そこで注目してみたいのが一つは同人誌、でも業界の特性として無修正エロ本が多いので、
困った結果になると(苦笑)。
で、もう一つの注目分野が、設定を利用したゲーム、つまり
「ナコルル〜あのひとからのおくりもの〜」というPCゲームなんですよね。
あのゲームは、多分ナコルルの生活空間、つまり「彼女の設定」である所の、
現実のアイヌが生きていた世界を舞台にして展開される話しでしょうから、
いくらなんでも、現実に存在するアイヌの存在感が多少は出てくるわけですよね。
そういった場合に、アイヌがどう描かれているのかに興味があるんですよ。
その描かれ方で、アイヌがどう思われているか、正確には、ナコルルを通して
アイヌの世界にチャンネルを合わせた人々が、どのような事を「アイヌ」に
求めているかが、多少判るように思うんですよね。
そしてその内容に触れて、現実のアイヌである私や他の人々が、どう感じるのか、
について、話しをしてみたいと思うわけですわ。
>もっともナコ萌えゲーヲタのクセに、ここを徘徊してるのは私くらいだろうから
>ここでナコルルに纏わる問題を取り上げても、誰も反応してくれない恐れも(爆)
いや、正確には「俳諧」ではなくて「書込みしてるのは」でしょうね。
これは他の人達にも言える事ですが、実際は、決して書きこまず、
息を潜めてシッカリと見ている人達ってのは、以外と多いものですよ。
ですから、見ている人は多いと思うので、見た目に反応が無くても反響はあるものです。
多くは陰口かもしれませんが(私自身やサイトに関する陰口の多いこと←笑)。
これも考え様によっちゃ不気味な感じのする話しですが、
まぁ、ネットは、そもそもからしてそういうものですからね、ボチボチやりましょうや。
>ところで、なんかアイヌをモチーフにしたみたいなゲームもあるよ。18禁だけど。
ええー?! マジっすか?
よかったら教えてくださいな。
まぁ、アイヌを意識はしていないけど、結果としてアイヌが出てきてしまっている
ゲームとかは、探せば以外とあるものですけどね。
ても、意識して書いているものと、そういうのとは、明らかに意味が違いますからね。
しっかし、相変わらず「信長の野望」とかの戦国モノゲームにおいて、
松前とか蝦夷地とか蛎崎なんとかが平気で出てくるくせに、
アイヌのアの字も出てこないのはなんでだろう?
いくら和人地とアイヌの住んでいた領域が全然違うからといっても、
税金取りたてるのが仕事の連中のゲームに、
蝦夷地の収入源の中核に関わっているアイヌが全く出てこないのは変だね。
たしか、ノブナガシリーズの何かで、蝦夷地だけBGMが違う、
というイキなマネをしたのはあったようだけど。
個人的には、蝦夷錦を公益品に加えるとか、カタカナの名前の人間が出てくるとか、
町行く通行人の中に、違う模様の着物を着た奴がいるとかで表現してほしかったですねぇ。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
「ナコルル〜あのひとからのおくりもの〜」ってPCゲーム。
もちろん買いましたよ。ところが環境不足で起動せず単なるコレクションと化してたりして(涙)
当然、内容わからず。
なんかDC版がリリースされるという話があるので、それを買うかなと。
>出来れば「アイヌの少女」という設定が抱えている、様々な事情も含めて、
>理解してほしいと思うのは、何かが間違っているのでしょうか?
・・・ん〜、ちと抽象的というか概要的文面で何と答えていいのか・・・?
少なくとも「間違っている」ということはないような気がするけど
ただ、それを「理解」するためには「設定は抱えている様々な具体例」を
知る必要があるわけで、そのためには多くのナコルルファンがそれを知るための
何かも当然のことながら必要となるわけで。
まあ、各種イベントやてるやん!と言われるかも知れないけど、ほとんどの
ナコルルファンはそんなこと知りません。
私だって、ここやMLでしか知らないし、それで知って行ってみたイベントは
どうやら趣旨が違ってて、なんだかなぁ状態だったし。
もっともナコ萌えゲーヲタのクセに、ここを徘徊してるのは私くらいだろうから
ここでナコルルに纏わる問題を取り上げても、誰も反応してくれない恐れも(爆)
ところで、なんかアイヌをモチーフにしたみたいなゲームもあるよ。18禁だけど。
タイトル忘れたけど、北に住む人々(それも異民族みたいな〜みたいな)とか
その衣装とか、それって・・・アイヌ民族?てなかんじ。
もちろんナコルルファンから「マネするな!」と批判を浴びたのは言うまでもない(笑)
http://www3.ocn.ne.jp/~stoneco/index.html
といいましても、現在に生きる、自身をアイヌと意識して生きたい人々に
とっての最優先課題は、いかに差別、及び差別を循環、あるいは黙認してしまう
事を用意にしてしまっている状況をいかにするかでしょうから、
差別についての話題が頻繁に出るのは、ある意味当然ですね。
この手の話しは「過去のもの」あるいは「人事」とした瞬間から、
アイヌ自身も含めて、話し手は黙認側の人間になってしまいますし。
そして、設定として「アイヌの世界観を参考に」ではなくて、
実際にアイヌであるナコルルに、現実のアイヌの「やもめごと」が影響してしまうのは、
ある意味仕方が無いんじゃないでしょうか?
私は特にナコルルファンというわけではないですけど、
現実のアイヌのことを考えるアイヌの一人として、
「ナコルル」をこよなくアイすると自認する人々には、
出来れば「アイヌの少女」という設定が抱えている、様々な事情も含めて、
理解してほしいと思うのは、何かが間違っているでしょうか?
それが、もし可能になるのだとすれば、
「文化の紹介を通じて存在をアピールする」という、
私が散々「実際は消費されておしまいじゃないのか」と批判している行為にも、
多少はアイヌの抱える問題を緩和する効果が望める可能性があるのではないか、
と思っています(例え効果があるとしても、高速増殖炉かもしれませんが)。
まぁ、ただのナコルルファンでも、
「自分は代弁できるほど理解者である」と思っているらしい人達や、
自陣の立場に付いては「一部のアイヌとの親しさを盾にする」人々よりは、
「毒を撒き散らさない」という意味で、まだ遥かにいいんですけどね。
関係無いですが、ナコルルの出てくる、
「ナコルルワールド」を舞台にしたゲーム、出てるらしいじゃないですか。
やりましたか? ストネコさん。
パッケージ見ただけでは、どんな内容なのかよくわかりませんでしたが…
http://www.alles.or.jp/~tariq/
ナコルルをアイヌ差別の引き合いに出すのは
もう止めて欲しいというのが本音。
引用元が別の人なので、それぞれ返信相手を書いていますけど、
別に他の人がレスしてもいいですよ。
>>和人Xさん
>変な喩へになりますけど、もしも、突然政府が「これがアイヌだ」と云って
>ナコルルを世界にアピールしだしたらどうしますか?(汗)
>しかも、そのイメージでほぼ定着したとしたら、どうするでせうか。
そんなんいやじゃあ(号泣)。
でも、ナコルルの世界とまではいかなくても、
「アイヌの精神世界」を形成したい活動家や学者の御歴々は活躍中なので、
なんだかシャレになりませんね。
ですから「大和魂」について回っている「困ったイメージ」を、
和人Xさんが嫌だというのは理解致します。
そして「大和魂」が、何処かの人々のように、
「俺達こそが本物の○○だ」なんて話しに繋がれなのであれば、
まぁいいんじゃないかと思います。
>>龍淑さん
>「もののあはれ」っていうのも何も和人だけのものでもないと思います。
>文学・芸術は古今東西通じて多かれ少なかれ「無常感」のようなものが
>なければ成り立たないものです。
その文学や芸術の「発生源」のことを「無常感である」と感じる感性そのものが、
「国民性」とか「○○特有の文化」と呼ばれるもなのかもしれませんよ。
わたしゃ帰属意識は別として、生まれも育ちも日本ですし、
感性的には「もののあわれ」が随分判るほうだと思っていますし、
無常感がどうこうってのも理解できると思っていますけど、
全く違う文化で育った人が、そう思っているかどうかは、ちょいと疑問ですよね。
そもそも「無常」なんて発想が、仏教的です。
だからといって、
「全く違う価値観の元(この場合は仏教的な「無常」の影響下に無い人)」
のことは、その人でもないですし、脳を直結するわけにもいかないので、
判らないんですが(そもそもそんなやついるのか?)。
ですから、やっぱり「もののあはれ」は、まぁ「日本の」感性なんでしょうね。
理由は、それがニホンゴだからです(笑)。
「日本特有」の感性だとまでは、思いませんけども。
私は「和人」というのは、対アイヌの場合における政治的立場の呼称だと思っているので、
「日本人」や「やまとびと」とは区別して使っています。
>「〜魂」とか、ある精神的な特徴を特定の民族に当てはめると、
>どこか「???」と感じてしまう、というお話です。
私は「アイヌ魂」とか「アイヌ根性」という言葉からは、
「抵抗精神」「独立精神」「草の根精神」のようなものを感じますけど、
それって、実は俺の好みってだけなんですよね(笑)。
でも、そもそもアートなり文学なりってのは、例え独り善がりなりでも、
その感性を形にして伝えるという事ですから、それでもいいのかも、と思います。
あと「アイヌ精神」だと、軟弱な雰囲気が漂って嫌だったのも、
その言葉から導き出されるのが「自然との共生」とかだったりするので、
単にそういうイメージでアイヌを括られるのが、俺が嫌いである、というだけですよね。
でもまぁ「心地よいアイヌ精神」の暴走や先行というのは、
俺の頭の仲だけで起こっているのではなく、実際にあることだと思うので、
それに抵抗したいという意思表明はアリだとおもいます。
「感性」なんて曖昧なものが絡んでくると、むつかしくなりますねぇ。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
この掲示板にいつても、差別を扱ういろんな活動や活動対体についても、
大変よく言われる事ですが、差別の話しをし出すと、
「なんでも差別に結び付けている」とか、よく言われるんですよね。
「それは差別だけど、俺はしていないから関係無い」とかも、多いですよねぇ。
先の番組での展開も、ちょっとこれ入っていたようにも思います。
私は、そのような発想は、実際は自分は差別をしていないと思いたい、
あるいは信じたい人々による願望の表れではないかと考えます。
何故といえば「彼」が敏感に感じとっていいたように、
人間関係には、好むと好まざるに関わらず、
あらゆるものに無言の権力関係があるわけです。
色々なものが絡み合った立場に、人間は「立たされている」んですよね。
そして、権力のある所には差別や無視や矛盾が付きまとうものですから、
差別の全く無い場所とか空間とか人間なんぞ、まずあるわけも無い訳ですね。
「差別や権力関係を全く感じない、感じる必要も無い立場」の人は、
いるでしょうけども、
それはつまり、差別屋権力による矛盾を感じる事も無い、あるいは、
そんな状況を当然の事として受け入れてしまっているから何も感じないという事であって、
「差別に加担していない、あるいはされていない」という事とは、
全く違う、というか正反対の行動なのではないかと思います。
また、次ぎによく言われるのが、
「私は○○に友人がいるので、○○差別してない」とか、
「俺と君はともだちじゃないか」とかですよぇ。
こりゃもう、クソッタレですね。
親しかったら、差別しないんでしょうか?
逆に親しいから、多少の差別も「容認せざるおえない関係」を相手に強要している事も
考えられますよね、ジャイアンとのび太は赤の他人ではない訳ですし、
鈴木宗男の同化発言についてツッコミが出来なかった何処かの協会の理事長は、
奴の後援会長であります。(これは友人とはちょいと違うか…)
そもそも「友人」といっても色々で、ピンキリですわね。
あと、こっから先はちよょっと突っ込みすぎな内容だと思いますけど、
「○○についての活動を長くやっているので、差別していない」とか、
「これこれこういう差別を糾弾したので、差別していない」とかも、どうかなと思います。
「知らない事は差別」という言葉がありますけど、
私は、詳しいから全く差別しないなんて事はないと思うので、
(無知からくる差別は減るでしょうけど)
「知っていたとしても、無神経である事は差別の元」であると考えます。
まぁ、普通は詳しくなれば事情もわかって、おのずと意識も出てくるのでしょうけど…
色々と考えると「差別をしたくない」と考えるのであれば、
つまりは差別と戦うしかないのだと思います。
現に存在している差別の前で、中立や関係無い立場の表明というのは、
つまりは容認でしかないと思います。
そして、差別と戦うとはどういうことかといえば、
差別の話しをタブーにして遠ざける事も無く、
「対象との仲の良さ」で卑怯に誤魔化す事も無く、
自分より無神経な連中を生贄として見つけ出して、自分たちはマシだと言うのでもなく、
どのような行為を問題とし、自分が何者であるのか、
常に考えつづける事が大切であると考えます。
それは言いかえれば、誰に銃口を向けるかを問われているのかもしれません。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
私は本来「最初の問題提起をしたような彼」のような、
なんにでも上下関係を見出して、その力関係に沿って行動しようとするような感じの人は、
どうも好きになれない…というか、はっきりいいまして、嫌いです。
何故かといえば、ビクビクしていて臆病な奴がイヤ…
というだけではありません。
ああいう価値基準を持ったの人が、ビクビクしないような立場…
つまり、いろんな意味での「権力構造」の上位に移行していった場合も、
それによって人を牽制したり判断したりする、
これまたとても嫌な存在になると思うので、どっちにせよ嫌なんですねぇ。
(現に「上に行こう」と努力してましたね、でも尽く失敗している所というか)
(「上に行けない自分」に気が付いているところが才能だと思いますけど)
で、じゃあ何故そんな「嫌な奴」である彼の発想を、
私がボロクソ言わなかったのかといえば(いや言ってるって?)、
あのクソッタレな根性を形成したのは、
差別がその大きな一因である、と判断したからです。
「差別」というのは、○○人なり、○○なり、を原因とする、
悪いイメージによる一方的な蹂躙、あるいは蹂躙の放任、
蹂躙でなくとも、直接あまり関係無いイメージ(偏見)の押し付けであると考えます。
それは、例え悪意がなくとも、些細な事であっても、
人の意識を破壊する巨大な破壊力を持っているんですね。
ですから、親族から無茶苦茶な暴言を吐かれたことのある「彼」は、
その暴言を許してしまうような権力構造に「晒された」結果、
あのように権力関係に異常に敏感な存在になってしまったと、考えるので、
ボロクソ言う気にはなりませんでした。
この「権力構造」とは、「彼」の親の親が言った暴言だけではなくて、
あの番組上でも展開されていた「再循環構造」も指し示します。
多分、あの場所以外でも、ああいう話しをしようとして、似たような構造にぶち当たる、
というような事を繰り返して、タブー感を強めていったのでは、と想像致します。
それは、彼の過去の経験だけではなく、今我々が行っている無神経も含めた、
色々な要素が圧迫の存在がそれを形成している事も多分に考えられるので、
「自分たちが踏みつけているかもしれない」という敏感さをもって、
その問いかけに耳を傾ける姿勢が大切であると考えます。
書き忘れですが、例の番組で、ゲストとして来ていた島田雅彦(小説家)は、
いろんな人がいてそれでいい、それをありのまま個性として受け入れる事がどうこう…」
などという事をしたり顔で結論の如く話しをしていましたが、
それって、「多文化共生」という文脈でもなんでも無い、この話しの流れで言うと、
「そういう扱いをされる○○のお前は、そいういもんだから受け入れろ」
という意味になってしまうことに、気が付いているのでしょうか?
番組の後、
「ボクの若い頃は、価値観を破壊してやろうとした」とか、
「革命を起したかったけど、お金がかかるので小説家になった」とか、
意味不明のことを口走っていましたが、その姿が、
「若い世代と意味のある話しをできたっぽい事に感動」しているだけのように見えたのは、
私だけでしょうか…と聞きたかったけど、誰も見てないんですね(笑)。
共通の話題のネタにと思いましたけど、ちょっとはずしましたな。
そもそも「お金のかかる革命」って、実はただのクーデターじゃないのか、
と思う今日この頃です。
http://www.alles.or.jp/~tariq/