○○人の明確な意識が見えてこないのですが 投稿者:oripakEsaman  投稿日: 7月20日(土)18時56分53秒 pl067.nas323.sapporo.nttpc.ne.jp

石見さん、ありがとうございます。
似たような方向性の話になると思いますが…

「アイヌの○○は○○ですか」

このような質問をする場合に、何があっても気をつけてほしい事は、
その「アイヌ」の部分を、「日本人(あるいはあなたが想像しやすいカテゴリー)」
に置き換えてみて、果たして回答可能なものか、
質問してしまえるようなものごとか、という事ですね。

「日本人の意識が見えてこないのですが…」

…あたりまえですよねぇ。
そんな不気味なものが「ある」なんて前提のほうが、よほど恐ろしい。

単純に、模様がどうとか、熊送りがどうとかの知識の問題でしたら、
日本人に対して「一松模様って何?」とか、「法事って何?」というような質問をするのと、
ほぼ同じ内容に該当しますから、べつに構わないとは思いますがね。
(全ての日本人がその問に返答できるかどうかはわからない&アイヌは和人より圧)
(倒的に少ないので、似たような質問を何度もされうる、という問題は残りますが)


ですから、
「アイヌの明確な意識が見えてこない」という質問をする事の不適当さを、
アイヌに対して同化政策をしてしまった和人が、その責任に無自覚でる事に関連させている、
あきこさんの考え方は、少々ずれている、と思わざるを得ません。

仮に、ですが、アイヌが植民地支配も、奴隷化も、同化政策も受けた事が無く、
何処かに独立国でも持っていて、さらに、日本の各市町村にも、郵便局並の頻度で、
民族教育を受ける事を保障し、ストーカー和人お断りの生活館が存在したとしても、
(そこまでやれば、何があっても民族としては生き残れるでしょうね、無理な話しですが)
「アイヌの明確な意識(つまり「全体」という意味を含む)」なんてものは、存在し得ません。
「そのアイヌの、明確な意識」はありえますが。

「在日朝鮮人の明確な意識」や「名古屋人の明確な意識」なんてものが存在し得ないのと同じように。

「日本社会で名乗って歩く(ニューカマーでない)在日朝鮮人には、良くも悪くもタフネスが多め」や、
「名古屋の人はケチが多い」などの傾向はあるかもしれませんが(笑)。


ウタリ協会の役員でも協会員でもなく、「関東方面」で、
精力的に活動しているのあるアイヌの一人である、苦労人・長谷川修氏の文章
(特に最近&新法制定運動前後のもの)を読むと身にしみるのですが、
アイヌは、今に至るまでの長い怠惰に、分断されつつも、無駄とわかっていても、
負けるとわかっていても、孤立奮闘して、戦って、声を上げてきております。
確かに、社会に対する波及力はたいしたものではなかったでしょう、
ですが、最大見積もりでも日本の人口の0.1%にも満たない人口の割には、
(黒人はアメリカじゃ10%はいるよねェ)色々とそれでも、がんばっております。

「さんざん同化政策しておいて、いまさら…」の部分のお話しは、
アイヌの声にならない声や、精一杯の声を、汲み取る努力をしない、
「私達『シャモ』がやっぱり悪いのだ」に繋げていただかないと、いけないと思います。

理由は、言うまでも無く、
アイヌを分割したり、生きにくくしたり、差別したり、格差かあったりするのは、
全てシャモに責任がある事だからであります。
当然「名乗った途端にヘンな人が寄ってくる」事の責任も、シャモの責任であります。
本来的には、何も悪くないアイヌが戦うべきことではないのです。

まして、
「和人にもアイデンティティの危機がある」や、
「和人も大変である」などという話しを始めるのは、
「アイヌのせいでもなんでもないこと」ですから、
アイヌがそういう話(この場合は和人の責任であるという話しむ)をしている時に、
引き合いに出すのはどうかと思います。




なお、ウタリ協会の理事の多数派の意見が、
「アイヌ、もしくはアイヌの子らの、多くの意識」と一致するとは、私には到底思えません。

私らは、行政にもタタリ協会にも(両者の「認知力」は、ほぼイコールかも知れませんが)
認知されないアイヌの子孫ですので(笑)。

http://www.alles.or.jp/~tariq/


私には○○の友人が居る 投稿者:oripakEsaman  投稿日: 7月20日(土)18時54分58秒 pl067.nas323.sapporo.nttpc.ne.jp

内容的に上の続きです。

鈴木ムネヲ君は、去年、

「日本は一民族一国家であります、北海道にはアイヌというのがおりまして、
 嫌がる人もおりますが、今では同化して同じであります」

という内容の発言を、何処かで一度だけ、されたようですね。

そして、アイヌのみならず、各方面から突つかれて、

「私の言った「一民族」とは、ネーションであってエスニックではない」

などという、どう理解したらイイのか意味不明の言い訳をしました。
(参考までに…ネーション=国・国民、エスニック=民族的な(形容詞じゃないか))

抗議文(下記リンク先)を持って単身ムネヲ事務書に突撃した長谷川修氏(苦労人)に対し、
(つっても、普通に歩いていっただけですが)
「私は、もっとマシなアイヌを何人も知っている、友人も沢山居る」
というような事を、つばを吐き散らしながら、おっしゃったようですね。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8242/homogenous/ethhomostatment.html

「トラブル対象と、同一の民族(あるいは国籍・人種・境遇)の友人の存在の有無」は、
この場合、何の関係も無い事であり、引き合いに出すということは、つまり、
その「友人の存在」を、盾として利用しようという意味であります。
実際に、ムネヲ氏には盾となる「アイヌの後援会長(S村ウタリ協会理事長、当時)」
がいたので、さらに問題は大きくなったわけですね。


出来ますれば、和人の皆さんにおかれましては、何処かのアイヌと喧嘩したり、
そのアイヌの行動が気に入らないからと言って「アイヌの友人が居る」と捨て台詞を吐いたり、
そのアイヌの悪口をアイヌ相手にしつこく垂れ流したり(某poronup、下記の過去ログ参照)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8242/sampelog/sampelog1404-1423.html#1412
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8242/sampelog/sampelog1328-1347.html#1338
などという事は慎んで頂きたいと思います。

といいましても、アイヌを支配したいシャモ、本来アイヌの持つべきもの(アイデンティティなど)
を横取りしたい人、自分が「和人」である事をなんとか誤魔化したい人などには、
結構頻繁に使われる、割とスタンダードな戦術なんですけども。

だからこそ「最悪な行為」なんですけどねぇ。


さて、いかに最悪であるかを味わう為に、私もやってみたいと思います。

-------------------------------------------------------------------------------------
私にも「和人の友人が沢山」おりますし「アイヌの友人」も沢山おります。
そして「活動とは関係無い、ただの友人」がたまたま和人・あるいはアイヌなのではなく、
「ここでの出来事」を全て知った上で、応援したり喝采を送ったりしてくれる人もおります。
みんな、もっとぶっちゃけた話をしていますよ。
-------------------------------------------------------------------------------------

うわ、最悪。

言うまでもない事ですが、「友人の存在」と、私の行動や意見が「正しいかどうか」には、
実は全然関係が無い事ですから、私の----内の言葉は、
「私にはヤクザの友人が居るぞ」「俺は○○大卒だ」「オヤジは軍人だった」
などの、しょうもないセリフとほぼ同等の、意味の無い妄言であると思います。


ただ、前述の通り、かような主張がアホらしくもマヌケである事を自覚しつつも、
一言だけ言わせていただければ「ここで起こる事」は確かに貴重で珍しい事とは言え、
「ヘンな和人が寄って来る」事に辟易しているアイヌは、もっと沢山いるのだ、
という事も、自覚しておいて頂けたら、と思います。
できれば、いつ自分がそうなるかも判らない、既になっているかもしれない、という緊張感と共に。

多くのアイヌは「普通の友人だった人が豹変」する事に戸惑ってしまって、
うまく説明できない(俺もできてないですねぇ)状態で放置しているのかもしれませんが。

http://www.alles.or.jp/~tariq/


いつの間にか 投稿者:アイヌノコ  投稿日: 7月19日(金)18時02分58秒 p1164-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp

mintaraでの私の書き込みが遥か彼方へいってどんどん話しが進んでますね・・・
なかなか返事を書く暇がなかったもので(今もあまりない)。

とりあえず今、自分の書きこみ読み直してみたら、ちょっと言葉不足だったかなー、
という点があったので、今更ながら補足させていただきます。

「そういうこと言う和人って」のは、和人Xさんみたいなことを言う人じゃなく、
Esamanさんの挙げた例みたいなことを言う和人のことです。
私の書き方よくなかったかな、と思ったもので。すいません。

なんだか、これから読まないとならないところがたくさんあるようなので、
読み終わりましたらまたおじゃまします。それでは、失礼しました。


個と群 投稿者:l石見博昭  投稿日: 7月18日(木)10時26分58秒 cse80-8.tokyo.mbn.or.jp


 何か意見を言う時によく「普通は」「日本人は」と言ってしまいます。この言い方は多くの場合誤りであることが多いようです。なぜなら「確証」がないからです。だから「私は」と言うようにしているものの、時として群れとしての言い方をしなくてはならない場合があります。

 そんな時、極力正確さを求めて具体的に言うようにしています。例えば「この会の半分以上の人はこのような意見をもっている」というようにです。

 その場合「普通は」「日本人は」という言い方と「この会」という言い方は全く違うということに気が付きます。「この会」は実体がありますが「普通は」「日本人は」という言い方には実体がないからです。実体が無いというより「幻想」に近い感覚があります。

 だから「アイヌの人はどう思っているか?」とか「アイヌ民族の考えは?」という問は空しく聞こえます。「北海道ウタリ協会の理事の多数意見はこうだ」というのなら実体はあると思えますが…

 この点を踏まえるともう少し論議ができるような気がします。


早速・・・ 投稿者:DOTTI(和人)  投稿日: 7月17日(水)06時42分21秒 tky94-f095.alpha-net.ne.jp

アドバイスありがとう御座います。早速訂正しておきました。
あのHPは、私の個人的な意見を「放言」している所なので「御意見無用」との意味で
掲示板は付けておりません。しかし「アイヌ民族」に言及した以上、
その点に付いては「言いっぱなし」と言う訳にはまいりませんのでチェックをお願いしました。

実を申せば、あそこに書いてあるような事を、船内(コーラルホワイト号)で、
休憩時間などの際、道新や中日新聞の記者、外務省ロシア課の係官、通訳、引揚者、
返還運動関係者に熱っぽく(笑)話しました。少しは北方四島とアイヌを結びつけて考えてくれる人が
出来たかもしれません。(さすがに道新の記者(論説委員)は、アイヌの件には多少理解があったようです。)

国連統治に関しては私も考えましたが、それだとロシアが手放さないでしょう。
やはり日本からの莫大な援助や協力をあてにしていると思います。
島が戻り、アイヌやロシア人、引き揚げ関係者が暮すようになったとしても
インフラの整備は必要ですし、防衛も必要かと思います。

私は船内で、外務省の役人に「旧島民の土地所有の権利を国が買い取り全て国有地にし、
国立公園に指定して、必要な人に居住権を貸与する方が良いのでは?」との提案もしてみました。
こうしておけばアイヌが島で暮らせるように成ると思うからです。

今住んでいるロシア島民には土地所有を認められていないと思います。
また、国後島も択捉島も人が住んでいるのは1ヶ所にかたまっているので、
旧島民の住む場所を限定できた場合、アイヌの居場所も作りやすいような気がします。

◎アイヌ人形の名前は・・何でも良いですが・・(笑)
私のHPのURLから「ほっぽ君」でも・・「えとろふ君」「べっとぶ君」でも・・
でも、名付け親はEsamanさんにお願いします。
もともと埋めてくるつもり(アイヌが島に渡る日が来るまで留守番と言う意味で。)だったので。
もし万が一、ロシア人に見つかったりした場合「国際問題(笑)」になりかねませんし、
四島交流が中止になってしまう事などもあろうかと、
人形には証拠となるような銘も日付も何も書いてありませんでした。

ではまた。m(__)m


あらら。 投稿者:あきこ  投稿日: 7月17日(水)00時36分41秒 p623a27.tkyoac00.ap.so-net.ne.jp

お久しぶり。数年前からアイヌの知り合いがぐんと増えた、あきこともうします。最近パソコンを買って、またインターネットができるようになりました。めったに書き込まないと思うけど。

ところで、なんだかまたややこしいことになっていると思ったら、終わってしまったのねん。昨日の夜見て、書き込みしようかなーなんて思っていたら、今日には撤退してしまっていた。ほんで、個人的にメールでも出そうかと思ったら、メール出せないのね、高橋さん。

ので、ここに書き込みさせてくださいな。(見ないかも知れないけど。)

高橋さんの書き込みの中に、「アイヌの明確な意識が見えてこない」という内容があったと認識したのですが、アイヌ民族のまとまった意識というもの自体、存在していないように思います。人それぞれの考えとか、理想の状態はあるかもしれませんが、それがアイヌ全体の考えなのかといえば、そうでもないような(わたしはアイヌじゃないから明言はできませんが、わたしの認識では)。まあ、「日本人になれ」と強要しておいて、しかもかなり同化政策が成功(?)したころに、後から「アイヌとして何がしたいのよっ!」という質問に答えろというのはかなり無理があると思います。
また、そのバラバラな意識を、〜さんはこう考えていて、××さんはこう考えていると、普通に生活しているすべての人に認識しろというのも無理がありますが。わたしは未だにわかんないっす。

それと、高橋さんにはアイヌのご友人もいらっしゃるようですのでお気づきかとは思いますが、ここでの体験は珍しい体験で、めったに起こり得ないことであると認識していらっしゃることを祈ります。         

高橋さんへは以上です。

そういえば、8月9日は国連の決めた、先住民の日ですな。特に何があるわけでもなさそうですが(何かイベントあったっけ?)。ちなみにその日はわたしの誕生日です。プレゼントは前後6ヶ月受け付けておりますので、気兼ねなく送ってくださいな。


ほんじゃ、また、見させてもらいます。お邪魔しました。さいなら〜。


お心遣いありがとうございます。 投稿者:oripakEsaman(アイヌ)  投稿日: 7月16日(火)22時54分33秒 Q127237.ppp.dion.ne.jp


以下の投降は、DOTTIさんから提案を頂いて、mintaraの
http://bbs2.otd.co.jp/mintara/bbs_plain?base=1588&range=8
の部分で話し合っていた事の続きです。
関連する投降を貼りつけるのは、今回は結構長くなるので止めました。

私は「引き上げ者」できなく、ただの、
「色々あって、北海道を脱出した、出稼ぎアイヌの2世」にすぎません。
あの土地に、先祖の墓があるわけではありませんし。

アイヌには「先住権」に認めるべきである、とは考えていますが、
私個人が「俺に金よこせ」という資格は無い、とも考えています。
「先住権」によって得られる利益は、アイヌの「ただの生活」と言うよりは、
教育基金と年金として使用するべきだと考えています。

「アイヌが戦わずとも民族としての自覚を持てる社会」の為には、
苦労を重ねた年寄りと(例えアイヌ語や文化が出来なくとも、アイヌとして生まれ、
生きた年寄りの言葉は宝であります)、未来を托せる子供以外に、
「アイヌだからといって特別な待遇」をするべきではないと考えています。
(よって、ウタリ福祉対策にも疑問です、確かに、生活の向上は必要ですが)

何故こんな事を言うとかというと、
「先住権」を巡って色々と活動した、さる「近現代のアイヌ」がいまして、
先住権としての漁業権を、ある程度獲得したものの、結果として、
一部のアイヌの特権となってしまった、とうのがあるんですよね、過去に。
あのような体たらくは、繰り返すべきではない。
といいましても、文化振興法のカネも、ウタリ福祉対策のカネも、
それと似たような状況には、あるのですが。

ですから「先住権」という言葉を使う場合、それが誰に還元されるのか、
という事が、常に気にかかって、なかなかうまく言葉に出来ません。
アイヌの中にも、同朋を出しぬいて自分たちだけ得をするタヌキは後を絶ちません。

また、
「入植者」の人々の苦労も、当然、価値のあるものだと思っています。
例え、それが国家の政策としての「侵略行為」「略奪行為」の尖兵となっていたにせよ、
その土地に住み、骨をうずめる覚悟で苦労を重ねた人々を、単に「侵略者」として
切り捨てるのはおかしい、とも思います。

ですから、DOTTIさんの「父母、あるいは祖父母の苦労のあった土地」
という意味(ですよね)での「引き上げ者の2世」の方々の権利は、
むしろ積極的に認めたい。

そして、今現在住んでいる人々とも、仲良くやっていきたいと思います。

ですが、
「直接の当事者」「現場で苦労をした人々の子孫」「その土地に住んでいる人々」
ならいざしらず、いまなお地位のある複数の閣僚に、
「アイヌは同化してもういない」などの言葉を繰り返させたり、
アイヌの「文化」だけを、広く日本人社会の「多様性の為の添え物」として振興する、
文化振興法を制定して、国連で対策は十分と開き直ったりしている、
(東京・八重洲の「アイヌ文化交流センター」では、差別の話しはタブーなんだそうです)
いまの現状を見るに、「日本」あるいは「日本政府」に「あの島々」への権利を、
少しでも認めるのは、一人のアイヌとして、決して許してはならない事だ、と思います。

この日本は、アイヌの住みやすい国ではないんですよ。
アイヌ民族の、かなりの部分が住んでいる国にもかかわらず。

ですから、私は、もと可能ならば、あの島々を、歴史的経緯を考え、
国連の信託統治地域にして、一定期間の「入植者受れいれ期間」の後に、
独立するか否か、の選挙でも考えてたらどうだろうか、と思います。
当然、その期間には「先住権としての未来への投資」として、
森林破壊や乱獲を厳しく取り締まり、あの島々を「低産業地域」にする工夫を
した方がイイのでは、とも思います。
何処かのアイヌに、漁業権をあげる、なんて方法は最悪ですからね。

http://bbs2.otd.co.jp/mintara/bbs_plain?base=1588&range=8


お心遣い、本当にありがとうございます。 投稿者:oripakEsaman(アイヌ)  投稿日: 7月16日(火)22時52分00秒 Q127237.ppp.dion.ne.jp

上の続きです。

ですが、それは「日本国民」としてのDOTTIさんの、
あの島々は日本になってくれるとありがたい、という意思を妨害するものではありません。

アイヌには、世界中の何処にも、自分たちの問題を我が事として護ってくれる、
「主権国家」「独立国家」「近代国家」は、ございません。
アイヌとして、アイヌの権利を保障してくれる機関も団体もございません。
(ウタリ協会は「登録・認定されているアイヌ」だけが利用できる)
(行政からの「福祉資金」などの消化団体です、誠に残念ですが)

あったのならば、きっとすがりたくなるのだろな、という気持ちはわかります。



>アイヌ民族は日本人(和人)による土地収奪や搾取、暴行、重要食料の採取禁止や
>和人の持ちこんだ病気などの影響により、ずいぶん小数になってしまったとは言え、
>まだ残っています。

の部分は、出来れば

アイヌ民族は日本人(和人)による土地収奪や搾取、暴行、重要食料の採取禁止や
和人の持ちこんだ病気の影響、政府の同化政策などが重なり、ずいぶん小数になっ
てしまったとは言え、まだ「自分たちはアイヌ民族である」という意識を保ち、現
在も尚、民族としての存在を主張しています。

に変更下さると、大変ありがたいです。
「残っています」というのは、なんたぢかちょっと情けない響きがありますので…

ですが、強制は致しません。

完全に匿名の存在ではなく、既に現実の「返還運動」の人脈の中で、HPを公開なさって
発言しているDOTTIさんなのですから、文章の変更の影響は、あなた(の立場や権利)
に還元されるのでしょうから、ご自身の判断で、納得出来るものをご採用下さい。

アイヌの存在に言及「する事が出来た」返還運動の関係者は、私の知る限り、
DOTTIさんが初めてです。
行政の番組にはアイヌは「大昔、地名として存在した」という感じでしか出てきませんし、
運動関連のHPなどを見ても、なんだかみんな、
アイヌの事なんか眼中にないような人達ばかりです。
いくらなんでも、知らないわけではないでしょうに。

本当に、お心遣いに感謝致します。涙が出てきそうなほどです。
しかし、道理的には、当然の事なのですから、情に流されるのはいけませんね。


いつの日にか、
私達の子孫と、あなたがたの子孫、そして、いま住んでいる人々の子孫が、
格差や軋轢、様々な誤解や偏見を乗り越え、たとえ、掴みあいの喧嘩を続けながらでも、
あの土地に共に立てる日が来ると、いいと思います。

そして、出来ることならば、いま残されている豊かな自然と共に。
私は、その時は移住しているか、時々遊びに行く人になっているかわかりませんが…
多分、本気で移住したがるアイヌは、それなりの数いるとは思いますが。

私個人としては、正直なところ、
国連の統治領でも、ロシア領でも、日本領でも、独立国でも、アイヌの自治州でも、
なんでもいいと思っています。
アイヌがアイヌとして、戦わなくても、誇りを持たなくても、
自然体で存在できる「居場所」さえあれば。

ですが、日本領になった場合、いま住んでいる人達の子供が「いい大学行きたい」と思った場合、
ロシア語が使えるモスクワの大学とかに行く場合に「留学」になるってのが、
意味不明で気の毒だとは思いますが。


追記:
遠い島まで行ったアイヌ人形、よかったらください。
家のヌサ場に安置するか、祭壇に置きたいと思います。
そしていずれ、北方諸島関連のページを作る時がきたら、マスコットにしたいと思います。

あと、アピールフェイスにする場合、名前なにんしましょうかね?

http://bbs2.otd.co.jp/mintara/bbs_plain?base=1588&range=8


mintaraから引越しです。 投稿者:DOTTI(和人)  投稿日: 7月16日(火)20時36分42秒 tky02-f197.alpha-net.ne.jp

mintaraで指摘された点を踏まえて一部修正しました。
ご意見があれば頂戴したく思います。

北方領土返還運動に関して「アイヌ民族に触れた部分」
〓「◎アイヌ民族との協調
 アイヌ民族を追い散らしたのが日本。その日本を追い出したのがロシア(旧ソ連)です。ロシア側から見れば「日本がアイヌに対してやった事と同じ事をロシアがやっただけ。」と思っているかも知れません。今の日本は「右足でヒトの足を踏みつけながら、それを退かそうともせず、ロシアに対して、左足を踏まれているから退かしてくれ。」と言っているようなものじゃないでしょうか?
だからこそロシア国内で、北方領土返還問題に関して、「根拠が無い」などとの意見が出るのでは?
アイヌ民族は日本人(和人)による土地収奪や搾取、暴行、重要食料の採取禁止や和人の持ちこんだ病気などの影響により、ずいぶん小数になってしまったとは言え、まだ残っています。暴力によって追い散らされた痛みを知る者同士としてアイヌと引揚者が協力しあい返還運動を進める事が必要だろうと考えております。もちろん、その際には過去、日本がアイヌモシリ(北海道)を侵略した事などをキチンと総括する必要があるでしょう。更に、今現在でも時々起こる「アイヌはもういない。」などとの無神経な発言をする者は決して許されない社会を築き上げる必要があると思います。私は、全てのアイヌが「日本国民として生まれて良かった。」と言ってもらえる国になって欲しいと願ってます。〓

あと、「国・国家」に関しては、私はそれを否定するものではありません。
地球上の生命すべてに等しく果されている「生存競争」を生き抜くため、
数千年の時間をかけ思考錯誤しながら人類が辿りついた一つの形と考えております。
もちろん、これが最終最善の形とまでは考えていませんが。

国家の名のもとに蹂躪されたアイヌ民族の立場や心情は理解しますが、
しかし私自身は、現在のところ「国・国家」の存在は必要であると思っています。



http://www3.to/hoppo/


撤収いたします 投稿者:高橋 勇  投稿日: 7月16日(火)19時13分40秒 h095.p029.iij4u.or.jp

>私は、どうしても黒人の公民権運動のようなものと比較してしまうのですが
と言っているように私を含めた一般認識の低い活動は効果がないです。
それを向上させるために、同じことを何度も何度も言い続けるのでしょう?
所詮、他人様に何かを伝えるんですから、腰を低く理解してもらえるまで言い続けることが活動家に課せられた自己満で終わりたくない人の器量、包容力です。一度言った、一度書いたで主張するのは明らかに自己満でいい人。聞いて欲しい人を選別するのも自己満に浸りたい人。一生穴蔵で吠え続けるなら構いませんが、公のインターネットで簡単に検索に引っかかるような関わりを持っているのだから、来訪されても仕方ないですよ。この先、人権意識が現在の比じゃないほどに膨れ上がっていきますから、私のような来訪者は増え続けることでしょう。その都度、こんな対応をするつもりなのですか?あなたのおっしゃる「少しでもかじった人間」とだけ書き込みなさりたいなら、パスワード付きのメンバー専用ページにすべきです。また、水面下の活動が過渡期であり、これから本格化するというのであれば、私のような人間こそ教育すべきで、締め出してしまっては進歩がないのでは?このページの過去の履歴を読みましたが、アイヌだと名乗ると寄ってくるヘンな人達という差別意識があなたの問題の解決を遅らせていると思いました。黒人の人権運動の過渡期に見られた現象です。何のためにこんなHPが用意されているのか理解に苦しみます。これでは、差別、差別と騒いではいますが明確に差別意識を確立して差別しているのはあなたの方じゃないですか?現実の世界で活動しているというから、何をしてるの?と聞けば怒り出し、何も聞かなければ、無知無能呼ばわりで怒り出す。何の事象でも構いませんが、和解の道を模索することが必要なんじゃないでしょうか?立派なHPを開設されているから、もう少しまともに話ができると思いましたががっかりです。こちらは他人様のHPですし、明確に拒絶されましたので速やかに撤収いたしますが、公の場での言動に関しては、もう少し責任を持って下さい。私には白人の友人もアイヌの友人もいますが、こういう話をしてこんな目にあったことはありません。違う立場でも正直にぶっちゃけた話をしてますよ。いずれにせよ、ここに来て生まれて初めてアイヌの方から差別を受けそのことにより自分の「立場」を理解しましたし、ここを訪れるまでは未体験であった現代社会において存在する差別も実感として学ぶ機会を得たので収穫はありましたが…

いつかあなたの活動が開花するよう願ってます。
そして、このやり取りを社会性の生んだ副産物ではない、名も知らぬ同胞から引き継いだ「アイヌとしての戦い」そのものとして、被抑圧民族を取り囲む困難な状況を克服する一過的な道具にご利用下さい。一匹でも多く殺せることを願って…


http://www.jlp.net/letter/980515h.html


あなたがおかしいからですな。 投稿者:oripakEsaman  投稿日: 7月16日(火)10時07分36秒 U183126.ppp.dion.ne.jp

私は「和人の末裔」こと高橋という人間の来訪を歓迎致しません。
歓迎しない理由は、和人だから、でも、何も知らないから、でもありません。
そのような些細な理由で来場者を歓迎しないほど、私はアホではありません。

理由は、先に述べたとおり、

>私は、どうしても黒人の公民権運動のようなものと比較してしまうのですが、
>白人社会と戦ったマルコムXやキング牧師、アパルトヘイトと戦ったビコーや
>マンデラさんのように、先導者がいれば和人と戦いしかるべき社会的地位を確立
>したいということなのでしょうか?その辺りの意識が明確に見えてこないので、
>直接、どう思われているのか聞いておきたいです。

の書き込みにおいて「アイヌの近現代の活動」をバカにしているからです。

これらの内容への答えは「近現代のアイヌのこと」を、
少しでもかじった人間なら、当然知っているはずの事です。

かような基本的な姿勢(詳しくは前述)もできていない人間に対し、
意見を述べる必要も、返答をする必要も、解説をする必要も、直接対話する必要も、
「本音を話す」必要も感じません。
というか、他でも「アイヌの人の本音が…」などとされては困るので、
明確に拒絶する必要を感じます。

すみやかにお引き取りください。

そして謝罪ではなく、
(匿名の人間から謝罪をされても、大きな意義がありません、まして、言葉だけでは)
具体的な行動として、先に述べた本でも読んで、自らの不明さをご発見下さい。

それができるまで、どのような形のものであれ、返答はお控え下さい。
見たくありません。
理由は、既に前述した「アイヌだと名乗ると寄ってくるヘンな人達」に、
多分あなたが該当するからでしょう。大変キモイです。


また、現実世界で何をしているのか判らない人相手に、
このような公開の場で、現実世界で何をしているか、という事を聞かれても、
お答えする必要は無いと思います。

前にも書きましたが、ここは、最近携帯でアクセスしている人も多数居るので、
パケット通信費がかかるでしょうから、なるべく短く、簡潔に返信を願います、
というか、
「和人の末裔」こと高橋さんの投稿は、簡潔で短くてもご遠慮願いたいですね。

http://www.alles.or.jp/~tariq/


なるべく簡潔に 投稿者:和人の末裔  投稿日: 7月15日(月)22時08分34秒 h219.p607.iij4u.or.jp

>「誇り」という「道具」は、必然的に「誇れないもの」への侮蔑を生む殺人兵器であります。
道具として利用してしまったら、そうなる危険性は十分にあると思います。
「自分の責任でもなんでもない、しょうもない出来事」としているから「道具」になってしまうのでは?けれど、「私が、名も知らぬ同胞から引き継いでいるのは、アイヌとしての戦いそのものであって、副産物の「誇り」ではない」とも言っていますが、では、この誇りだけ受け継ぐセコイ野郎じゃない重要なことを困難な状況を克服する、一過的な道具として利用しているんですか?
アイヌとしての戦いそのものは、同胞から受け継いだ「誇り」ではないのですか?

>「困難な状況」を持たない幸運な境遇の人達にとっては、腐敗の原因になる悪習です。
和人のことを言われているのなら意見を述べます。困難な状況を持たない幸運な境遇の人達と思われていること事態が和人にとっての「困難な状況」です。ですから、おしゃっるところでの腐敗の原因にはなりえません。また、和人に対してのことでなければ、私には答えられません。

>具体的な行動にしか意義を見出しません
どのようなことをなさっているのですか?


誇りなどというチンケなもの? 投稿者:和人の末裔  投稿日: 7月15日(月)21時11分48秒 h219.p607.iij4u.or.jp

>誇りなど無くてもアイヌがアイヌとして生きられる社会を
とは、アイヌだけの世界ですか?それとも和人の共存はありえるのですか?
悪い影響を与えるものとして「殺しつづけられるもの」なのですか?
あげ足取り論争に終止符を打つ、大変重要な問いです。ご自身の発言に対し、ご自身の意見が聞きたいです。
あと国連憲章にも刻まれている思想は、機能してないから問題だと思うのです。


しょうもない? 投稿者:和人の末裔  投稿日: 7月15日(月)21時01分05秒 h219.p607.iij4u.or.jp

>あなたも、ただ「和人の子」として生まれた、殺戮者の子供として生まれた、という、
>しょうもないことに悩んでみても、仕方がないのでは?
私は、人の死がしょうもないこととは思えないだけです。


電波な人??? 投稿者:和人の末裔  投稿日: 7月15日(月)20時49分15秒 h157.p029.iij4u.or.jp

>電波の人
可能な限り調べましたが、今ひとつピンと来ませんでした。
いい意味なのか悪い意味なのか分かりませんが、保証できないことを書き込むのは差別ではないのでしょうか?


訂正 投稿者:和人の末裔  投稿日: 7月15日(月)20時41分56秒 h014.p029.iij4u.or.jp

差し違えで、oripakEsamanさんの意見がアップされていたので下記の内容一部撤回いたします。申し訳ありませんでした。


簡潔に言います 投稿者:和人の末裔  投稿日: 7月15日(月)20時36分07秒 h006.p029.iij4u.or.jp

>◎ポイント1:インターネットのこのような掲示板での基本的なルール
>人に何か質問をする場合は、最低限、まず出きる範囲で自分で調べてみてから、質問しましょう。
「まず出きる範囲で自分で調べてみてから」はやってます。ただし、oripakEsamanさんのような生きた本音を聞ける場所は、直接アイヌの方に聞くしかないのです。ですから、大変ためになります。あと近代史という私の認識は、西暦で表される今から2000年前後ぐらいまでの範囲です。最初に説明するべきでした。公民権運動を引き合いに出したのは、私にとってリアルタイムに感じられる出来事だからです。シャクシャインの頃は、奴隷貿易の真最中です。それ以降、現在に至るまでは「アイヌの近代史」と認識していいものかどうか迷ったのも原因のひとつです。

>◎ポイント2:「銀のしずく(北海道新聞社・1700円)」「アイヌ群像(御茶ノ水書房・1957円])」を読め、という事です。
oripakEsamanさんの自分の意見はないのでしょうか?活字になった意見なら、ここに書き込みせずとも見れます。

>アイヌの問題って、基本的に、全て和人問題なんですがねぇ。
どこに行っても、何を読んでもこんな回答しかいただけないんですが、ストレートに言いますと先導者うんぬんの話は、直接的に今後、アイヌとしてはどうしていきたいんですか!?という事を聞いたつもりなのです。もちろんここ100年ぐらいの和人の行動は知ってます。自分なりに調べてますから、ただ、それをだらだら書く場所でもないと思うので書かないだけです。答えたくなければ、それが答えとなるし、答えたければ「本を読め」そこに答えが書いてあるではなく、自分の意見としてハッキリ言ってもらえないんでしょうか?私は和人としての意見を過去も未来も含めハッキリと自分の意見で発言に責任を持っているつもりなのですから…。

>これくらい読んでモノを言え
これを読んだoripakEsamanさんは、どういう意見をお持ちなんですか?

最後になりますが、私が歓迎されていないことはよく分かっています。
ただし、それが、和人の末裔だからなのか?私自身だからなのか、よく分かりませんでした。
でも、わずかなやり取りでも、こういう結果を得たという実感は良くも悪くも貴重なことです。

>疑問、質問、思った事など、なんでもおかきください。
>どんなに厳しく違った意見でも、あなたの心と存在に触れられる事が嬉しいです。
という言葉を信じて、本を読んでから、また書き込みます。
何も変らないよりはマシだから…


誇りなど無くてもアイヌがアイヌとして生きられる社会を。 投稿者:oripakEsaman  投稿日: 7月15日(月)19時56分30秒 U179230.ppp.dion.ne.jp

この場合の誇りと区別、ほぼ同じ意味なんじゃないかと思いますが?

>要は、偶然にも私が考えた言葉がすでに世界中で使われていただけのことです。

一見「電波の人」かと思わせる文面ですね(そうでない、という保障ありませんが)。
ご注意下さい。

あなたが考えた、非常に個人的な「かんがえかた」についての話しを、
ここで延々とされても、私も困ってしまうのですが?

また、人権思想の発祥地は「アメリカやフランス」かもしれませんが、
別に「基本的人権の尊重」という概念は「アメリカやフランス」特有のものではありません。
つうか、国連憲章にも刻まれている思想で、今日日、賛同していない国(実践は別)は
かなり珍しいと思いますが?


また、誤解を持たれては困るのですが、私が「アイヌとして生きる」と公言しているのは、
「民族の誇り」などというチンケなものにすがる為ではありません。

この世に「アイヌの子」として生を受けた、ただそれだけの、
「自分の責任でもなんでもない、しょうもない出来事」を、
「ただ誇る」ようなアホにはなりたくありません。
あなたも、ただ「和人の子」として生まれた、殺戮者の子供として生まれた、という、
しょうもないことに悩んでみても、仕方がないのでは?

「誇り」という「道具」は、必然的に「誇れないもの」への侮蔑を生む殺人兵器であります。
それでも、私達のような被抑圧民族を取り囲む困難な状況を克服する、一過的な道具としての
効能は確かに有効ですが「困難な状況」を持たない幸運な境遇の人達にとっては、
腐敗の原因になる悪習です。

私は、なにがあってもアイヌとして生きる、そういう覚悟をしただけです。
「誇りを持てないアイヌ」を人事として切り捨てずに生きる、という覚悟をしただけです。
その覚悟は、必然的に
「アイヌの子が、誇りを持たなくともアイヌとして生きられる社会」の実現に対し、
悪い影響を与えるものを「殺しつづける」という選択になって現れます。

何故なら、どれだけ厳しく批判した所で、それはただの自己満足を生むアリバイ行為であって、
殺さないと(行動不能何しないと)悪影響は消える事は無いし、
私は「自分と取り巻きさえ誇りを持って生き残ればOK」とは、全く思っていないからです。
ですから、具体的な行動にしか意義を見出しません。
(別に殺すと言っても刺したりするわけではありません、念の為)

私が、名も知らぬ同胞から引き継いでいるのは、
「アイヌとしての戦い」そのものであって、副産物の「誇り」ではありません。
誇りだけ受け継ぐセコイ野郎になって、腐りたくないですからねぇ。

誤解の無いよう。

http://www.alles.or.jp/~tariq/



言葉遊びにしか見えませんな。 投稿者:oripakEsaman  投稿日: 7月15日(月)19時25分19秒 U179230.ppp.dion.ne.jp

意図的にズレた返答をしているのか、あるいは全く読んでいないのか、判断に苦しみます。

ここは、最近携帯でアクセスしている人も多数居るので、
パケット通信費がかかるでしょうから、なるべく短く、簡潔に返信致します。
(和人の末裔こと高橋さんも、そう願います)
(長すぎる上に同じ事の繰り返しの投稿は、他の参加者への障害となります)

さきの私の書きこみの、

>私は、どうしても黒人の公民権運動のようなものと比較してしまうのですが、
>白人社会と戦ったマルコムXやキング牧師、アパルトヘイトと戦ったビコーや
>マンデラさんのように、先導者がいれば和人と戦いしかるべき社会的地位を確立
>したいということなのでしょうか?その辺りの意識が明確に見えてこないので、
>直接、どう思われているのか聞いておきたいです。

という部分の内容に対する返信が、まともに出来ていないようですね。

もし何を言っているのかわからない、という事であれば、ポイントは主に二つ、
という事をお教えしてあげましょう。


◎ポイント1:インターネットのこのような掲示板での基本的なルール

人に何か質問をする場合は、最低限、まず出きる範囲で自分で調べてみてから、質問しましょう。

「黒人の公民権運動」と比較して(その大部分がここ100年の話しです)、
「その辺りの(アイヌの)意識が明確に見えてこない」とのことですが、

それに対する、私の「アイヌの近代史」を勉強なさっては、という言葉に対し、
「シャクシャインぐらいまでの近代史(1669年の出来事)」なら知っている、
という言葉が帰ってきたのには、大変驚きました。

これは、和人社会の公民権運動(基本的に明治政府が成立する前後以降の話しです:1868年)
について調べてみては、という返答に対し「島原の乱(シャクシャインと同時期)」
については知っていますが、という返答をするのに等しいですね。
つまり、返答になってない、簡単に言えば、しょうもないほどにズレている。

私の印象では、おそらく、あなは(質問に際し)何も調べていない、さらには、
調べずに適当にものを言っている事が、対象にとって、どれほどウザイかについて、
何も考えていない、というものだと思いますが、どうでしょう?

そして、言うまでも無い事ですが、何も調べていないにもかかわらず、とりあえず直接質問を、
という態度の人間には、私もここで(同じようなことを延々と繰り返す人々)の相手をする
のが仕事という訳ではありませんので、お断り致したいと思います。
まぁ、書くのは勝手ですが。

(尚、千葉県人さんやKeiさんのような方の質問は、例え既出の質問の繰り返しであっても)
(特に「お断り」対象ではありませんので、念の為←違いをお考え下さい)


◎ポイント2:

そして、トンチンカンで不躾な、

「先導者がいれば…」
「意識が明確に見えてこない」という質問に対する答えが、

「銀のしずく(北海道新聞社・1700円)」
「アイヌ群像(御茶ノ水書房・1957円])」

を読め、という事です。

基本的に回答をするのがバカバカしいほどに「何も知らない」上に、
知らない自分を自覚できていない、あるいは、知らないにもかかわらず、
おかしな断定をしている自分の責任をとれていない、ので、
まず、これくらい読んでモノを言え、という意味です。

これらの本は、タイトル及び過去の投稿からわかると思いますが、
学識論争のネタ本ではなく、いま現在生きているアイヌのドキュメンタリー、つまり、
「マルコムXやビコーやマンデラのような」人々や(アイヌ群像)、
「その影で生きた英雄ではないアイヌ達」(銀のしずく)の事を書いた本です。

つまりは「和人に関わる諸問題」についての本ですね。
アイヌの問題って、基本的に、全て和人問題なんですがねぇ。

この本は、なんだか何かを勘違いした人、あるいは「アイヌと話す」という行為を、
なにかしらのスケープゴートにしたい人々には、是非読んでいただきたい本、
「人間として心を通わすこと」にとって、とても大切なことが書かれている本ですね。

別に、それが既に出来ている人、あるいは、このような場所を通じての対話で、
意思の疎通が可能そうな人相手には、私は「読め」とまではいわないんですがね。
あなたには、その能力も意思も無いようなので、是非とも「まず読め」と、
意図的に言葉を選んでお伝え致します。
もうちょっとまともな質問でしたら、返信も致しましたが。


あと「差別」は、何人相手でも、直ぐにやめましょうね。
アイヌとの接点やら、黒人の間でどうこう言っている、
という関係無い話を引き合いに出して誤魔化さず、直ぐにした事を認めて止めましょう。

それでは、また。
返信頂いても結構ですが、長文&同じ内容や勘違いの繰り返しは、お控え下さい。

http://www.alles.or.jp/~tariq/


基本的人権の尊重 投稿者:和人の末裔  投稿日: 7月15日(月)18時55分07秒 h219.p607.iij4u.or.jp

>「基本的人権の尊重」とは「かんがえかた」を表す言葉だと思いましたが?
書き忘れてしまいましたが、これは、一般的に「基本的人権の尊重」というと国連の条約に刻まれている文面を思われる方が多いと思い、そう受け取られると困るということです。私も「考え方」というか、真理に近い認識で考えていますが、条約の内容は、少し違っています。要は、偶然にも私が考えた言葉がすでに世界中で使われていただけのことです。ニュ−アンスが少し違うのでそのまま受け入れることもできず、現存する日本語で他の言い回しも見当たらないので借用しています。正しくは「基本的生命の尊重」により近いものであると思っています。


倭人の意見C 投稿者:和人の末裔  投稿日: 7月15日(月)16時54分24秒 h096.p029.iij4u.or.jp

>基本的なアイヌの歴史(近代史)くらいは、自力で調べて頂きたいですね
自分に関わる倭人からみた近代史には目を通していますが、残念ながら私は学者ではありませんし
知識だけの頭でっかちになりたいとも思いません。もし、学識論争をしたいのであれば、私は早々に撤収いたします。知識豊富なことが人間的に優れているとは思えませんし、歴史上の話を引用せずとも、倭人の問題はoripakEsamanさんの中に、アイヌの問題は私の心の中に、必ず答えがあると思います。年表を見て物事を語るのは勉強会で十分だと思いますし、それは専門分野の方々にお任せすればいいと思います。私が思うことは、学識を持って論じることより、人間として心を通わすことに重要性を感じています。

>まぁ、多くは(主に和人社会の不感症に)惨敗しているので、全然有名ではない上に、
>当のアイヌ(活動家以外の普通の人は)も忘れていたりするんですが。
これは、松前藩との戦いの歴史でしょうか?今でも目にすることができるシャクシャインぐらいまでの近代史は知っています。が、学識レベルではないと思いますし、あくまで、倭人が何をしたか?の観点で知っています。その当時のアイヌの方々の心情までは、察することぐらいしかできませんし、私の知識が正しいものかどうかも怪しいものです。ただし重要なことは、私にとって、倭人が何をしたのか?白人が何をしたのか?なんて、もう分かりきった事でうんざりです。過去に目を通しても何も変りませんし、善悪でものを言うなら、倭人は悪です。ですが、そのことを胸に刻みながら、これからをどう生きるかが問題で、アイヌの方々が活動家を通して何かを変えたいと思っているのなら、倭人として、今を生きる私として協力できることがあればしたいし、必要ないというのならしません。ただ、アイヌの歴史は、和人(ロシア人)との関わりの歴史、戦いの歴史であるように、倭人もまた、違う視点でまったく同じなのです。私が私の歴史を考えたとき、同時にアイヌの方々も存在してしまうのです。それは、単に興味本意で興味を持つレベルとはまったく異なるものです。これは、間違ったことなのでしょうか?

>私が最近の投稿で上げた本2冊くらいには目を通されましたか?
「銀のしずく(北海道新聞社・1700円)」
「アイヌ群像(御茶ノ水書房・1957円])」
のことでしょうか?もし、そうなら残念ながら読んでいません。加えて申しますと、自分の中でこの本が必要だと思う時まで目を通すことはないと思います。先に申した通り、私は学識を高めたいわけではありませんので、目を通す資料には同じ24時間の中で限界があります。また、アイヌに憧れや恋心を抱いているわけではありませんので、倭人に関わる諸問題で関与していない限り、手にとることはないと思います。現在のアイヌの方々がどうしているのかということは、まったく関心がないのです。ただし、それが倭人の関わることで、しかも問題が生じているのだとしたら無視はできません。ただ、アイヌとは本来こうである、あるいはこうであった的な問題は、アイヌの方々以外に必要のないことであり、そこに互いが非人道的な事象によって関与していない限り、文化交流というような形で接点を持つ以外に、良くも悪くも意見はできないと思っています。

長々と人様のBBSに書き込みさせていただき感謝いたします。
また、oripakEsamanさんとこうして話ができたことを嬉しく思いますし、白人社会の生んだインターネットという事象もやはり利便性を感じてしまいます。これから未来に向け、互いに良かったと思えるような交流ができればいいと願います。また、私が生きてるうちに、具体的な結果として何かを残せれば、これ幸いに存じます。



倭人の意見B 投稿者:和人の末裔  投稿日: 7月15日(月)16時53分27秒 h096.p029.iij4u.or.jp

>「アイヌになりたい」と和人(子供を除く)にいわれると、吐き気がしてきます。
誤解があるので話しておきますが、これは表面的なことではありません。
私が区別している相手と区別がなくなるということは、ある意味での私の目的が果たせることにつながります。これは、白人でも黒人でもどんな区別においてでも構いません。地球国、地球人という大きな区別への第一歩と考えるからです。しかしながら、アイヌにはなりえません。白人にもなりえません。黒人にも…。やはり区別は明確に存在するし、それは万人が望んでる衆知のできごとだとも感じます(感じませんか?)で、あれば、その境界線を埋めていく具体的作業が共存繁栄の道なのではないでしょうか?地球は誰のものでもないのですから…
区別した相手から境界線は埋められる、つまり「なれるよ」と言われることは、未来の目標に向けて大切な一歩と考えたいですけど…。もちろん、知識や価値観、ファッションや偶像、その他、仲がいいからなんて理由で埋められる程、その境界線が浅いものとは思っていません。

>私は、そのような和人の行為に対して異議を唱えつづけ、殺しつづける事が、
>「名乗って活動できている」「アイヌだと思えている」1アイヌとしての、同胞への「責任」であると考えます。
本音だと受け取ります。「殺しつづける事」には異論がありますが、それ以外には納得できるし
同胞への「責任」を信じてまっとうして欲しいと思います。それが正しいことかどうかは、まさに私の中でも結論が出ていない部分ですし、結構核心になる部分だと思っています。
ただし、私は倭人として大和民族以来の歴史に関しては、完全否定の人間ですから、対アイヌ戦に関して拳を振り上げることはないです。カシアスクレイの言葉を引用すれば「私はアイヌに恨みはありません」それで、政治犯として投獄されるなら、そのような民族の末裔として生まれ出た自分を責めることでしょう。

>アイヌの文化(あるいは血統)の方が優れている
とは、思いません。それを図るための物差しは、この世に存在しません。ただ、少なくとも倭人の歴史、思想、文化、それに付随するすべての事象に比べ、誇れるほどに羨ましく思うだけです。そそれはoripakEsamanさんが「アイヌとして生きる」とハッキリおっしゃっているように、そこには明確に「継承すべき誇り」を感じます。ですが、私には「大和民族として生きる」なんて言えません。「継承すべき誇り」を感じること事態が非人道的だからです。このように、倭人の中にも自らの先祖の行為を恥じ、継承すべき誇りを失い、自らの存在を確立できずに迷っている人がいることを知って欲しいです。


倭人の意見A 投稿者:和人の末裔  投稿日: 7月15日(月)16時52分38秒 h096.p029.iij4u.or.jp

>その「何かの基準」を、誰が認定するのですか?
>その「基準」を設定する権利や力のあるものは、誰?
誰もいません。
区別の基準は、論じる内容によって自由設定でいいと思います。アイヌ民族と区別するならば、倭人は大和民族と区別します。その区別に基づいた問題点、価値観の相違など人道的に話し合っていければいいなと思っています。また、私は人類アフリカ発祥説を基盤にものを考えています。ですから、そこまでさかのぼれば、白人も黒人も民族もアイヌもみな兄弟、みな優劣の別け隔てない人間だと思っています。所詮、民族も国民も人種も跡付けの社会性の生んだ副産物であると考えます。しかしながら、善を善であると認識するためには悪の存在が必ず必要で、平和共存を目指すために悪の存在を必要としないならば、人間は、しっかりとどこかで区別し互いを映す存在として敬意を払いながら共存する他はないと考えます。白人を差別することなく、その存在を認め敬い、自らの存在を明確化することが私の将来的な目標です。今は、感情が邪魔をしていてそれができない未熟な自分に気づくだけですが…。

>「誰がアイヌであるのか」「何処から何処までがアイヌであるのか」を、
>「区分け」「選別」「鑑定」「鑑賞」してほしくはありません。
もっともだと思います。私も大和民族などとは決して呼ばれたくありません。そのような認識は持って欲しくありません。しかし、事実は事実だと思うし、過去を消せる消しゴムが存在しないのも事実です。私はアイヌの方々を区別しているつもりはありませんが、自分を大和民族と区別するように心がけています。区別する理由は、背負わなくてはいけない問題がそこにあると実感するからです。地球が存在していて、そこに生存できるなら、それ以上何も望むことなく何も考えることなく生きていくことはできます。でも、私は少なくとも疑問を感じましたし、1000年後の私の子孫のことを考えると無視はできません。oripakEsamanさんがアイヌと区別して欲しくないとおっしゃるなら、私はまず、自身を大和と区別しないようにしないといけませんので、少なくとも接点は持てないことになってしまいます。それで、何も変らず死んでいくことも出来ます。でも、それでいいのでしょうか?


倭人の意見@ 投稿者:和人の末裔  投稿日: 7月15日(月)16時49分56秒 h096.p029.iij4u.or.jp

>直前のものくらいは、ちゃんと読んでくださいよ
すみません。一応読んだつもりなのですが「感性」と「立場」に関しては、いち意見として納得する以外に何も感じませんでした。私は、アイヌの人たちの生活習慣や出身地、その他の個人的なことに関しての関心はありません。oripakEsamanさんの意見は正論だと思いますし、倭人も区別する他の区別された人たちから見れば、同じことが言えるし、同じような質問や中傷を受けることもあると思います。ですが、理由はどうであれ、それらすべてを差別と組みとってしまうことは、
他の区別した人たちとの交流をも経つことになり、孤立してしまいます。公然と公の場に立つならば(このBBSも含み)それらを受け入れる覚悟と姿勢も必要だと感じます。

>この場合の「覚悟」とは「開き直り」の事ではないので、ご注意を。
まったく同意見です。こうしたBBSに書き込みをする勇気を持つにも1年ほどかかりました。自分の歴史上に関与した民族だからという理由で、接点を持つことは差別に値しないかどうか悩んだためです。この文章を書きながらでも「これは差別なのか?」という葛藤はあります。「立場」の違うもの同士が話し合いをするという機会を設けるだけで「差別」が成り立つというのであれば、私も差別者であると自覚しますが、これは開き直りではなく未来への第一歩と認識します。

>白人に対する差別的感情の発露なのではないのか?
認めます。これは、現在に生きる当事者である黒人も同じ問題を抱えています。黒人の同胞たちの間では、白人を差別する前に自分たち黒人を見よと言っています。私も同じように、自らを自問自答している最中で、白人に対する偏見が自身の中に残っていることを認識しています。自らの米国滞在経験による中で形成された差別意識だと自覚していまが、私が自身の歴史上の諸問題からアイヌの方々と接点を持つことは、自身の中にある対白人差別意識の克服にも影響することだと思っています。


ことに差別の問題を扱う場合、疑うべきは「感性」と「立場」 投稿者:oripakEsaman  投稿日: 7月15日(月)12時16分56秒 L048013.ppp.dion.ne.jp

まぁ、普通の和人の人に、いきなりムリなのはわかりますが。
少しは作業してくださいよ、頭の中でも、現実の世界でも。
大分前の書きこみならいざ知らず、直前のものくらいは、ちゃんと読んでくださいよ。

さて、

>少なくとも私の意識の中に差別はありません。

私は、常々気付きたいと思ってはいますし、出切る限り抵抗に務めていますが、
いろいろな「きがついていない」差別意識は頭の中に充満しているんだと思います。
気がつけるものは自分の意思で止めれますが、気がついていないものは手の施し様が無いでしょう?

それに対処するただ一つの方法は「俺は差別しているかもしれない」と、
常々用心して、自身が「差別者」である事を覚悟する事くらいしかないですからね。
この場合の「覚悟」とは「開き直り」の事ではないので、ご注意を。

>ここでいうところの基本的人権の尊重とは、
>アメリカやフランスなどの白人が定義するものとは、私の中では違います。

この部分について、これは「アメリカやフランスなどの白人」に対する
差別的感情の発露なのではないのかと、かなり不信感を持ちますが?

「基本的人権の尊重」とは「よく食べるもの」や「信仰する神」などの、
地域によって表す対象が違う言葉ではなく「かんがえかた」を表す言葉だと思いましたが?
だとすれば「○○人とは違い…」とは、ちょっと言えないのではないですか?

既に御存知の事だと思いますが、昨年の鈴木宗夫発言にみられたような、
「私は差別していない、そんな感情は持っていない、するつもりもない」
と公言「できれば」差別しても大丈夫、というような理屈は、
ただ差別しているより悪いので、ご注意下さい。

>これに対して区別とは、何かを基準として、区分けするわけですから、
>それ自体に優劣は発生しません。

その「何かの基準」を、誰が認定するのですか?
その「基準」を設定する権利や力のあるものは、誰?

すくなくとも私は、当人の意思に反して、あなたや一般の全ての和人、そしてアイヌ自身にも、
「誰がアイヌであるのか」「何処から何処までがアイヌであるのか」を、
「区分け」「選別」「鑑定」「鑑賞」してほしくはありません。

大切なのは、当人の意思。

ですが、ここでご注意願いたいのは、これは和人がいきなりアイヌになれる、
あるいは、アイヌと仲良くなったら、詳しくなったらアイヌになれる、
という意味では絶対にない、という点です。

和人がそのような希望や願望を持つ事は、今現在、和人社会の抑圧
(説明済み・つまりはアイヌの責任ではない現象)によって、
「アイヌとして自由に生きられなくなっている」全てのアイヌに対する、
横取り行為、泥棒行為であるからです。

私は、そのような和人の行為に対して異議を唱えつづけ、殺しつづける事が、
「名乗って活動できている」「アイヌだと思えている」1アイヌとしての、
同胞への「責任」であると考えます。
まぁ、先の投稿でも述べたように、
「アイヌだと名乗ると」途端にウンカのように寄ってくるので、大変疲れるのですが。


>でも、私は、どんなに敬意を払ってもアイヌにはなれません。
>(なれるよ、というなら嬉しいですが…)

なぜ嬉しいのですか?

私は、和人になれるよ、とあなたに言われても、ちっとも嬉しくありませんし、
「アイヌになりたい」と和人(子供を除く)にいわれると、吐き気がしてきます。
理由は、アイヌの文化(あるいは血統)の方が優れている、というタン壷のような話ではなく、
そのような事をいう人間は、何人であれ「だいぶおかしい」からに他なりません。


あと、ただのふらっと現れた通行人には、ここまでいいませんが、
「歴史書や各文献などから事実を知り、数字としての結果を踏まえることは、私ひとりでもできます」
とおっしゃる方には、基本的なアイヌの歴史(近代史)くらいは、自力で調べて頂きたいですね。
ここのサイトには、リンク集も年表もあることですし。

さながら、先導者がいない、アイヌからの要求が無いかのよう口ぶりですが、
アイヌの運動にも、マルコムXが活躍した時期に同じように活発に運動した人達もいれば、
和人社会と闘ったり、色々と要求したり、抵抗したりという戦いの軌跡も立派にございます。

まぁ、多くは(主に和人社会の不感症に)惨敗しているので、全然有名ではない上に、
当のアイヌ(活動家以外の普通の人は)も忘れていたりするんですが。

教科書にも載っていませんし、あまり一般的な知識ではありませんが、
大き目の図書館やその手の本が多い図書館で「人権」「社会」「アイヌ」のあたりを、
少しばかり本気で調べれば出てくる事ですが…
私が最近の投稿で上げた本2冊くらいには目を通されましたか?

http://www.alles.or.jp/~tariq/


色々とご質問ありがとうございました。 投稿者:oripakEsaman  投稿日: 7月15日(月)12時08分11秒 L048013.ppp.dion.ne.jp

長い話を始める前に、レスをしておきたいと思います。

Kei(Nicholls)さん

パケ代大変でしょうに、毎度来ていただいてありがとうございます。
紹介した本、手に入ったら感想などをお書き下さると幸いです。
まぁ「銀のしずく」の方は、ちょっと入手が困難かもしれませんが、
どっちかといえば余所行きの顔ばかりが並んでいる「アイヌ群像」より、
いくぶんか迫真に迫った内容ですし、私の知り合いも何人か出ているので、お奨めです。


千葉県人 さん
 
多分「単純な差別」をする人々は、真っ当な興味を持てなかったのでしょう。

ですが、全く「アイヌがなにかも」分からない人は
「わざわざ」差別をしたりはしない、という点にも注目です。
(知らなければまったくしない、という意味ではありませんが)

「わかりやすい差別」する人というのは、
わざわざ「アイヌを区別・選別」して差別しに来る、
という事も忘れてはなりません。

札幌の小川隆吉さんという、立派なアイヌの活動家のお話しですが、
かつて(いつの話しか不明だが、大昔ではないのは確か)
「アイヌ人の見分け方(人種的特徴の事)」という事を授業でやっていて、
大変問題になった、という事も聞いています。

「○○人、○○人、何処が違う、○○が違う」
という内容の、隣の国の人々の風習や発音の違いを揶揄してバカにする内容ハヤシ歌も、
今でも(数年前、ウチの近所のガキが歌っていました)残っていたりしますしね。

知る機会を、との事ですが、上辺だけ、文化だけ、ではなく、
歴史などを含めた、現在に至る経緯を理解頂きたいと思います。
「かつてそういうことがあった」「そういう人々が居る」という理解ではなく、
今の「自分たち」との関わりを深く認識した「理解」をして頂きたいと思います。
アイヌの歴史は、和人(ロシア人)との関わりの歴史、戦いの歴史でもあるのですから。

何かよい民芸品が手に入ったら、お知らせ下さい。
また、タマサイはムリですが、木彫りや楽器でしたら、
作家を少しですが知っていますので、メールなどでご相談下さい。

それでは、また。

http://www.alles.or.jp/~tariq/


ご回答ありがとうございました。 投稿者:千葉県人  投稿日: 7月13日(土)11時27分44秒 p3157-ipbf02marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp

神々の由来についてご回答いただきありがとうございました。
偏見を持つ人がいることは知っていましたが、民族文化をよく知る機会が
なかったことが問題なのかと思います。
民族の宗教観、交易の歴史、彫刻等の芸術等知れば知るほど素晴らしいと
感じます。


アイヌの方々の現状 投稿者:和人の末裔  投稿日: 7月12日(金)18時18分10秒 p4009-ipadfx01maru.tokyo.ocn.ne.jp

数字で見る現状は確かに酷いんですね、知らないことばかりでした。失礼な意見かも知れませんが
仮定として話をさせていただければ、アイヌの方々は、この現状を今後、どのような方向へ持っていきたいと思われているのでしょうか?私は、どうしても黒人の公民権運動のようなものと比較してしまうのですが、白人社会と戦ったマルコムXやキング牧師、アパルトヘイトと戦ったビコーや
マンデラさんのように、先導者がいれば和人と戦いしかるべき社会的地位を確立したいということなのでしょうか?その辺りの意識が明確に見えてこないので、直接、どう思われているのか聞いておきたいです。歴史書や各文献などから事実を知り、数字としての結果を踏まえることは、私ひとりでもできます。でも、私は、どんなに敬意を払ってもアイヌにはなれません。(なれるよ、というなら嬉しいですが…)だから、この事は、失礼かも知れないと分かっていても話し合っていかないと何も変らないとも思います。和人の末裔としての私の意見は、最終的にリスペクトし合いながら共存したいです。だから、アイヌ文化などにも触れてみたいし興味はあります。ただ、白人のように、他人様の家を土足であがるようなことはしたくはありません。だから、アイヌの方々の意見や思っていることを知りたいと思います。この時点で、少なくとも私の意識の中に差別はありません。よろしくお願いします。


差別に関して思うこと 投稿者:和人の末裔  投稿日: 7月12日(金)17時41分12秒 p4009-ipadfx01maru.tokyo.ocn.ne.jp

はじめまして、oripakEsamanさん。私は、和人の末裔にして「いまも和人」の高橋です。ことの発端は、そこに誇れるものがないことに気づいたときから始まりました。個人的なことは別の機会に聞いていただければと思い、今回は割愛させていただきますが、差別に関して思うことを書きます。結論から言うと、差別はあっていけないものだと思いますが区別は必要だと思っています。
私は数々の難題に頭を悩ませていたときに見出した言葉、事象が「基本的人権の尊重」であると思いました。本当の意味でこれを成せるとき、国民、人種、民族において、区別があっても差別はないのだと確信しました。私の思う差別は、差があって別けるもの。この場合の差とは直接的な優劣に該当します。それに対して区別とは、別け隔てなく別けるもの。と認識しています。これは、広辞苑に書かれているからとかそういう意味ではなく、私の中での感覚的な認識です。言葉の使い方として適切でなければ、考え直さなくてはならないレベルの認識です。他に表現方法や単語が見つからないから使用しています。重要なことは、優劣を意識しての差別は、基本的人権の尊重を無視していることになるから非人道的で最悪の行為であると。ここでいうところの基本的人権の尊重とは、アメリカやフランスなどの白人が定義するものとは、私の中では違います。もっと本質的に機能する本物を意味します。これに対して区別とは、何かを基準として、区分けするわけですから、それ自体に優劣は発生しません。相手を尊重し、尊敬しながらもあえて区別するのです。だから、私は区別は絶対に必要だと思っています。白人と黒人を区別したり、和人とアイヌを区別することは、むしろ互いの存在、文化、文明などその全てに敬意を払い継承、存続させることができると思うからです。これを差別してしまうと、地球上には事実上、1種類の人種、民族、国家、国民しか存在しえなくなってしまいます。多種多様な文化や文明、またそれらに付随する一切の事象を互いに尊重し、そこに存在する人種、民族、国民に尊敬の意を示し互いにその存在を認めることは、実に素晴らしいことであると思うのです。これを実現できれば、↓の書き込みにあるような差別はもちろんのこと、地球規模の問題ですら解決の方向へ向かうものだと思います。また、格差という基準も現代における社会性から見た優劣であることから、いかにくだらないものであるかは容易に判断できます。全ての人間が、いや、生命を持つ動植物全てにその優劣をつけるための物差しが存在しないことが私の思う基本的人権(動植物含)の尊重です。ただ、否定はしません。社会性を持ちながら自身が存在しているという現状に甘んじているのなら、そこに格差があっても否定しません。ただし、それはこの世に生まれ持った生き物として存在している以上、優劣はなく、それ以上でもそれ以下でもありません。社会的格差を持って、他人様の人間性までを差別するのは、やはり許せない行為であると思います。差別が解決されつつあるという誤った認識は、和人の知らぬが仏的で、無知なことがどれほどにも罪なことであるかということにハッとさせられます。
それともうひとつ、差別を生む背景には必ず両者に問題があるのだとも思います。差別という事象が確立された時点で、どちらもその存在を認めたことになるからです。どちらか一方だけの問題であるならば、差別としては成り立ちません。差別を認めないといういうことは、差別する側もされる側もその認識を持たないということですから、まずは、明確に自分自身を区別することが必要となります。自分自身を徹底的に区別し、そこに誇りを持つことこそが、区別した他を尊重し敬意を払うことができるのではないでしょうか?ただし、相手の存在を軽視することなく、優劣をつけることなく、自分自身を区別するのは、頭で分かっていても実際には難しいことです。私はまだ実践途中です。自分をどの部分で区別するのかも迷っているところです。漠然と思うことは、近代における白人文化やその社会性には、否定はしませんがもううんざりって感じで、できることなら地球をリスペクトしつつ自然と共存したいと願います。それには、誤った知識を洗い流し、正しい知識を身に付け、利便性のみを追求した生産、消費を繰り返す生き物にだけはなりたくないと思います。