カバノアナタケとかそんな名前だったような?〜タケって言っていたのは間違いない。
きのこなのかな?と思った記憶がある。
ほんで、何か、お茶のように煮出して使って、更に、乾かすと何度でも使えるお得品だと聞いたが、ペットボトルのお茶を買う無精者には不向きと思った記憶がある。
昔からアイヌが使っていたものかどうかは不明。
たぶん、とにかく体にいいと言っていたような。まあ、お茶みないなモンで、何にでも良いのか?基本的にどくだみでもタンポポでも、お茶にすりゃあ、体にいいのさ。きっと。
味も不明。無味無臭と聞いた気もするが、それは定かではない。
時々拝見させてもらってます。
去年のチャランケ祭で売っていた漢方薬のような植物は、
カバノアナタケだったと思います。(カバは白樺のカバ)
知り合いのおばちゃんが売っていたけれど、
なかなか売れなくて困ってましたよ〜。 何にいいかは忘れたけれど・・・
〜 いきなり登場して失礼しました。 それでは、さようなら・・・
せんべい屋の寄宿人 さん、「人間として」という言葉がそのような深い意味があるとは知らず簡単に使っていたので、とても勉強になりました。oripakEsamanさん、私はどこにでもいる北海道の学生なのですがアイヌという民族や、受けてきた差別や理不尽なことについては、全くといって良いほど知りません。私がただ単に知らないだけです、教えてもらっていないからしょうがないと言うつもりはありません。”知らない=無い”ではないことぐらいは分かりますが、認識不足から、私の考え自体がすでにそのつもりがある無いにかかわらず、アイヌの方々に対して失礼なのではないかと前回の私のコメントについての意見を読んで思ったので、簡単に反論を書くのでは無く、質問ととりあえず質問されたことから入ってみようと思ったので質問します。「アイヌのこと(つまりは和人の事)をしらべている」の所の意味がよくわかりません、どういう意味なのでしょうか。質問の答えとしては、私の思う「人間として」というのは物事の善悪を理解し、判断して行動できるという事だと思います。だから御指摘どおり考え方が違えば全く通じないものではあります。まさか通じないとは思わなかったものですから、「行儀悪い」というのが「その程度」と感じるとは思っていなかったもので、申し訳ないです。話変わりますが自分の経験に重ね合わせてみると私も小さい頃いじめを受けたことはありますが、だからといって同じようなことがあっても、あのような事はしたくないです。あと鈴木宗男の逮捕されてもよいと言う理由としては、和人の私としては、人のためと活動することを私腹を肥やすための方便に利用し、(反論あると思いますが)法を犯すという行為をしたという事でしょうか。青いと思われるかもしれませんが、素直な気持ちとしてはこんな感じです。最後に前回の無神経な発言申し訳ありませんでした。
他に触れる事の出来る人、いないと思うので、この際書きますか。
>たぶん”自分の地位を利用して地元企業に利益誘導すること”って
>書いたほうが今回の場合話しがわかりやすくなるかもしれませんね
「地元や親族に利益誘導すること」を、悪い事であるとすると、
そういう理屈で動いている部分の多い北海道ウタリ協会は、正に悪の権化、
地元血縁優先者の魔窟であり「タタリ協会」という事になるかと思いますが…
地元や親族を大切にするのは結構だけども、特に、あんたの親族のために
用意されたわけでもない税金を、身内びいきのために使うのは、いかがなものか?
実質上は、行政の「ウタリ福祉対策」の費用を消費する為の機関となっている
ウタリ協会が、政治家の世界と同じ構造を持つのは、無理もない話だけども。
こらぁ、悪癖だぁね。
そういうのの「駆け引き」や「抗争」に撒きこまれて、
やる気を無くす若いの、少なくないし。
「名乗る事」をなんとかクリアしたアイヌの敵は、連綿と続く差別と偏見、経済格差だけではなく、行政によって分断されたアイヌそのものだったりする訳ですな。
そんなウタリ協会のアイヌのことを「裃(かみしも)を来たアイヌ」と表現するご老人もいますね。
さらに、ウタリ協会の人には「ウタリ協会に入っていなくても、立派なアイヌは沢山いますし」などと言って、新規加入希望の人(紹介状なしで偉い人の親族でもない人)を追っ払う言い訳に使う人もいる。
なんというか「自分達がどういう組織か、よくわかっている」のには脱帽なんだが、そんなんでいいのか? と思わなくもない。
それはおいといて。
私は、地元や傘下の人に利益誘導するという意味で(いいことではないが)、
「ムネヲ最悪」と言っているのではなく、
あくまで「アイヌ新法」制定運動のときに「文化だけでOK」と言ったり、
「ここでOKしないと、あとがないよ」といって脅したりして、
ウタリ協会や、ほかのアイヌの運動の方向をうまくそらした後に、
わざと「同化していなくなった」なんてセリフを吐けてしまう確信犯的な部分が、
アイヌとしちゃ、許せないな、といったまでです。
どう考えたって、これ、
「色々とあったけど、文化法作ってやったんだから、もう日本人っしょ?」
と宣言しているセリフだと思うんですが?
http://www.alles.or.jp/~tariq/
少し気になったので横はいりします
むかし”日本人とユダヤ人”という人によって評価の分かれる本で
”人間として”というのは実は日本教の信仰告白だ、ということが書いてましたね
もうすこし噛み砕けば、”日本人の良識ある人(それは実は話して自身のことと
傲慢にも思いながら使われていたりして)が良いと考えている習慣、思考、行動を
行う者として”になるのかな。そしてじつは、何が良いことかと言う意識は立場に
よって違うものなので、同じ言葉を使っているつもりでも、イメージすることが全く違う、
あるいはそもそも通じ合えない。「人間として」はその危険性が十分にある言葉だと
思っています。
(そもそも宗男氏は地元の企業の発展を助けたんだ、良いことをしたんだ、という
考えみたいですから「人間として」と言ったら逆にナンだそれはとやり返されそう
ただ地元びいきしたくなる気持ちはわからなくもない。)
たぶん”自分の地位を利用して地元企業に利益誘導すること”って
書いたほうが今回の場合話しがわかりやすくなるかもしれませんね
>oripakEsamanさん
いずれにしてもあれのおかげで口を慎しむよう
こころがけるよう努力しているけど、
結局解決はしていないのでまだまだ根気がいるね
昨日、北大納骨堂のイチャルパ行ってきました。
そのあと、オキの子供とハイドロカルチャーを散らかして遊びました。
なんだか大変でした。 その話はまた後ほど。
>千葉県人さん&あきこさん
お久しぶりです。訪問ありがとうございます。
その木のコブのようなもの、いまお手元にありますか?
お持ちでしたら、飲んだ感じはどうでしたか?
もしアイヌが昔から使っていたものであるのなら、
何かの根っこの部分ではないかとも思いますが…
免疫力を上げる? 精が付くって意味かな?
値段、いくらぐらいでしたか?
形状をよく覚えておられるなら、漢方薬屋さんをひやかして
みるってのも手だと思いますよ。
アイヌの薬草って、以外と漢方と同じものもあったりしますし。
たしか、オットセイのなんかの部分の薬は、
アイヌとかの北方民族との交易で漢方薬として入ったものらしいですしね。
>せんべい屋の寄宿人さん
仮に、きっかけは君だとして、爆発したのは全く他の人達なの訳で、
別に問題ないのでは?
多分、君が指摘しなくても、ありゃ発生したよ。
誰かが悪いとすれば、君ではなく、明かに俺(&騒いだ面々)だしね(笑)。
形状からして、根っこだとすれば、エゾウコギ(アイヌ語忘れた)って
ラインも考えられるのでは?あれ、結構強壮作用キツイですからね。
>今井康人さん
ようこそ。
色々と、お話しできればと思います。
できますれば、今まで貴方のお調べになった事をお話し下さるか、
あなたのことをお話し下さると、嬉しいです。
ご存知の事と思いますが、鈴木ムネヲは「アイヌは同化していなくなった」
という発言「だけ」ではなく、現在のアイヌのおかれている大変ややこしい問題
(主に振興法とか地方自治体関連)の、かなりの部分の原因になっている存在です。
また、アイヌの存在をただ「知らない」のではなく、よく知っていて、
あえてあいう行動を取っている確信犯です。
ですから、私は、一人のアイヌとして、彼を、
家族もあり血肉もある一人の人間である事を理解した上で、憎みます。
よって、投獄は「祝」であります。
だって、いままでなにやっても投獄できなかった存在な訳ですし。
ご存知ですか? いままで、アイヌがどれほど「砂を噛む思い」をしてきたか。
(まぁ別に、その相手はムネヲだけではないですが)
>私個人としても確かに鈴木宗男は逮捕されるべき人間であり、罪は裁かれるべきであるとは思いますが、
それは、どのような理由でですか?
ぜひお聞かせ下さい。
また、あなたのお書きになっている「人間として」という掴み所のない言葉が、
「お行儀が悪い」という程度の意味でしたら、
「アイヌのこと(つまりは和人の事)をしらべている」
方の言葉としては、ご自身の立場について、色々とご理解が得られていないのではないか?
と大変情けなく思います。
また、私が「口が悪い」「態度が悪い」「人間ではなくてカワウソである」ということや、
上記のような反応が帰って来るだろうということは、
多分ここの常連の方々はよくご存知なので、今まで誰も指摘しなかったとしても、
別にそれはここに来ている人が悪い、という方向の問題でもないと思います。
そんなわけで、あの男の投獄、祝ったって、いいでしょう。
私は、9月11日に祝杯を上げた人の気持ち、わかりますよ。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
私も大丈夫ですよ。>あきこさん
ちなみに千葉県の人が見た木って
エゾニワトコ(ソコンニ)とかエゾノウワミズザクラ(キキンニ)
とかですかね?
蕁麻疹の原因はエサマンでもせんべい屋さんでもないっすよ。
まったく別の人ざんす。繰り返しますが、チャランケ関係者でもないよん。
逆に私がせんべい屋さんに蕁麻疹でも出させていないかと心配です。
千葉県人さん、
確かにあの物体は不思議だった。
阿寒から持ってきたものであるのは分かりますが、何かの木だったような気がします。
本当は、何回も聞いたんだけど、名前とか、何の物質かとかは忘れちゃった。
根気よく待っていれば誰かここで教えてくれるかとも思いますが、誰も教えてくれないようなら、知り合いに聞いてみます。
あきこさんの蕁麻疹ってもしや私が原因だったりして。。。。
去年の秋頃から冬にかけてのサンペでの話は
私がふと思って書いた疑問がきっかけではじまって
いろいろ迷惑をかけてしまったと思って、いろいろな
催し物には顔を出しづらいです。
昨年、中野で行われたチャランケ祭に行ったのですが、アイヌの方の売店コーナーで売られていたあるものが気になって仕方がありません。
猿の腰掛けのようでもあり、木の瘤のようなものでもあるのですが、たしか免疫力を上げるようなことが紙に書いてありました。値段も結構高いように感じたのですが、一体何なのかさっぱり分かりません。よくご存知の方がいらっしゃればあれが何なのか教えてください。
先の、「少し違うのでは」で、二行目の「あそこ」というのは、「Ainu Puyar A」の、「単一民族」国家発言に抗議を!の下の行のことです。分かりづらくて申し訳ありませんでした。
今回はじめてこのサイトでアイヌのことを調べていますが、ちょっと気になることがあったので私の意見を述べたいと思います。単刀直入に言うと、何故「祝・ムネオ投獄」という文字があそこにあるか、という事です。一体どういう趣旨であれを書いたのかを知りたいのですが。私個人としても確かに鈴木宗男は逮捕されるべき人間であり、罪は裁かれるべきであるとは思いますが、このサイトで逮捕のことを書くのは、あまりに子供地味たことで、もう少し人間として適切な行為かどうかを考えていただきたかった、と思います。今まで誰もこのことに触れなかったのかと思うと少し情けない機がします。この意見についてどのように思われますか。
また前半2巻分しか読んでいませんが…
リアリティという意味ですと、コタンの口笛はかなりイイ線いっている作品だと思います。
そういう意味では、間違いなく「名作」であると思います。
かなり「実在のアイヌ」をモデルにしたんだろうな、という話が頻出していますし、
差別の仕方、その後のアイヌの反応などに、確かに、ああいう展開、あるだろうな、と思わせられるものがあります。
ですが、私が本当に「懸念」を抱いているのは、コタンの口笛内で展開されている
「具体的な差別」に対してではありません。
私は、差別はコピーから発生すると思っていますし、あの本を「お手本」とした差別は、
多分発生する(した)でしょう、そういう意味では、
「○○という差別があった、よくないことです」という間の抜けた記述を副読本に書いて、
同様の差別が学校で再燃する事を招くのと、同じ危険はあると思います。
ですが、その可能性は低いかもしれません。
何故なら、この本の中で描かれている差別は「○○という差別がある」という紋切り調の、
ただの「差別の仕方の情報」ではなく、それによって苦しんでいるアイヌの側の心境まで
描写しているので、これを読んで、ここに描写されている、
「具体的な、悪いとされている差別」と同様の差別を行うアホは、
よほどの確信犯意外はいないでしょう。
この本で本当に問題なのは、この本に描かれている、
かような差別を目の当たりにした「周囲の和人」の行動の仕方です。
前回、偽善者さんが引用くださった部分に見られた
「チャランケでもなんでもない言いがかり」の際に、差別を放置し、
アイヌに「戦わせて」勝ったところで出てきて、
「アイヌのほうが理があるように思います」という「まとめ」をするのは、最悪である、
という話はしたと思いますが、同様の、あるいはもっとヒドイ内容の、
「和人の行為」が多数書かれています。
判りやすいように、第一巻から引用しますが、
これはもう死んだほうがイイほどバカだ、と思った記述がありました。
本文の中では、先の「アイヌは不潔」という話しにに続いて「アイヌは食人人種である」
という「言いがかり」が行なわれていました、これに対して「先生」が、
「どこの国の人間でも、これににたようなことは、大昔にあったように考える」
という事を言って「場の解決」を計っています。(235p)
これでは、全然「解決」にも「解説」にも「名誉挽回」にもなっていませんね。
「食人行為が、ごく一部に、事件としてあった」事と、
「○○は一般的に食人人種である」という事とは、全く別の事だからです。
例えば、
「こいつ、泥棒だぞ」と、泥棒でもなんでもない人に言いがかりをつけた事件を、
「人間、誰でも困れば泥棒することだってある」と言って、
「場を治める」ようなものだと考えれば、いかにバカにしているか判ると思います。
(尚、アイヌには、かような「記憶」は存在しない。「おとぎばなし」のレベルで、異国人風の)
(「人食い鬼」の話しは存在するが、それは「その民族の食人風習の有無」とは関係がない)
(人類学者達が墓を盗掘して回った際、頭骨のない遺体や、頭骸骨に穴のあいている人骨)
(が多数発見され、これを「未開なアイヌの食人風習」とした研究があった←児玉作座衛門)
(この背景には、幕末から明治にかけて、和人が梅毒の特効薬として「アイヌの脳漿」を、)
(墓を暴いて食べていた、という事実があり、その誤魔化しの為に流布された「学説」であった)
(「人食い人種」とは、そもそも、一体誰の事なのでしょう)
http://www.alles.or.jp/~tariq/
上の続きです。
また、他にも作者が登場人物の「アイヌ」の口を通じて、理想や和人の行為の「いいわけ」
を語っていると思われるフシが幾つかあり、好きになれません。
例えば、一巻から引用するとすれば、アイヌの女の子が、写真のモデルとなっている部分で
「アイヌ人だから、ものめずらしがられて、フィルムにおさめられたって、それはけっして恥ではない。(201p)」
と語らせていますが、この部分は、この当時によくあったといわれる、観光地にある建物だから、
という理由だけで、アイヌの家屋(ただのおみやげ屋さんのプライバシー空間)にあがりこんで、
写真を撮って帰るという不躾な和人の行為の免罪としてのセリフである、とも受け取れます。
また、ページは忘れましたが、長年の迫害に耐えてきたアイヌは、原水爆の被害者達と同様に、
世界に向かって理想と希望を唱えるのが云々…というような事を書いてありましたが、
その「長年の迫害」が、一体誰によってもたらせれているのか、については、全く記述がありませんでした。
さながら「長年の迫害」や「差別」を行う「わるいひとびと」が何処か遠くにおり、
そいつらだけが悪くて、身近には悪人はいない、というような口調ですね。
この本を見る限り、その人物の身近に「差別する和人」も「それを放置する和人」も、
多数存在しているにもかかわらず(笑)。
これらの記述や、登場する和人の行動などに、一貫して現れているのは、
アイヌをとりまく諸問題を、あくまで「アイヌ(だけ)の克服すべき問題」として捉えている、
作者の「和人としての責任を忘却した」自由で、アイヌにたいして大変好意的な立場に他なりません。
この本を読んで思う事は、この本によって「具体的な差別そのもの」が生産されることが
問題なのではなく「差別を放置する事」に、読者が慣れっこになってしまうのではないか、という事です。
この本の登場人物の「和人達」は、多くの人達が「いい人」ではありますが(描写は作者次第です)、
「アイヌを取り巻く諸問題の解決」の為には、ほとんど何もしておりません。
それが、その当時の和人の「良識あるあたりまえの反応」だとしても、釈然としないものは仕方がありません。
そして、この本を読んだ人々が「アイヌの人達って、大変なんだね、でも勉強してわかりました」という、
対岸の火事のような印象を持ったら、それは「ア・イヌがいる」という繰言をコピーするアホガキが
出ることよりも、数段コワイ事だと思います。
>…仮に、oripakEsamanさんがこの本を検閲する立場でしたら何かの処置を取りますか?
まぁ、まだ全部読んでいませんし、この作品が出たのは随分昔の事ですし、
作者が「大変古い時代の人」であることを考えても、
今の価値観で生きている私が何か口を挟んでも、話しがややこしくなるだけだと思いますが…
とりあえず「食尽行為云々」などの記述に対し、厳重抗議を行いたいと思います。
ですが、その際に「内容の変更」は求めません。
ただ、北大教授・児玉作座衛門氏の「アイヌの食人風習について」の論文の存在と、
和人が梅毒の薬として「アイヌの脳漿を食っていた」事件との関連を、
本文中の「先生」のセリフ部分に、注釈番号をつけて、
巻末に簡潔に記述する事を求めたいと思います。
それで、あれを読んだ多くの人達には、
「あの当時(小説の舞台となった時点と、出版時点の両方)何が起こっていたのか」が、
よく判ると思います。
既に「コタンの口笛」は歴史的資料になっていると言っていいと思うので、それがいいと思います。
多分、実現しようのない提案ですが。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
まあ、江戸時代についてはそこそこ調べていますけどね。近代はあまり…。
考えてみると、oripakEsamanさんのカキコの量に比べると、抜書きっていっても大した量じゃないですね。
私の作品を見る時の規準はリアリティです。その点、コタンの口笛はかなり現実に近い感じなのでかなり好きです。って言っても2巻しかそろっていませんけどね。
…仮に、oripakEsamanさんがこの本を検閲する立場でしたら何かの処置を取りますか?
ナコルルって、1789年前後の「アイヌの女の子」という設定なんですが、あまりマジメに設定に付き従っているわけではないようです。で、真面目にツッコミをいれてみますと。
@「春の訪れの時期を問い掛けるパイカラ・エツ。巫女の行、沐浴をして身を清め、カムイに祈りを捧げる…という儀式」をします。確か、アイヌでは禊は一般的ではないという結論になったと思うのですが。
Aアイヌの巫女は結婚してはいけない。確か、「聞いた事がない」というコメントを下さったような。
Bイトカイナ、動物の霊をなぐさめるお祭り。好きな人に告白するお祭りでもある。その時くしを渡してプロポーズする。私の調べではイトカイナは発見できませんでした。告白イベントも。ま、それはいいとして、プロポーズの際にはイコロ(宝。宝刀や漆器など)を渡す習慣だったはず。くしがイコロになるかどうかちょっと疑問。
アイヌ語の単語は結構色々出てきます。イレシパクル(捨て子が集まる家)、プー(食料庫)。シノッチャ(歌い手)。チンル(かんじき)、レタラペ(草の繊維を編んだすべすべ服)、ハハ(くろゆり球根)、ウフトウリ(せり?)。チェプ・オハウ(魚と野菜の煮込み)。サラニプ(かご)。
アイヌ語の辞書を片手に日本人が頭の中で作り上げたカムイコタンという感じがします。まあ、作製した会社は史実を突き詰めた作品は作ってきませんでしたから、マジメに突き詰めて考えるべきゲームではないのでしょうね。
突然の書き込みで大変失礼致します。
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前回の投降に追記です。
>多分、この作品は「児童文学」に分類されるんだと思いますが、
>アイヌについての基本的な理解もあるかどうかあやしいこのご時世で、
>多くの子供たち(対象年令は小学校高学年から中学校くらいでしょうか?)に、
>無防備に見せてしまって良いものなのだろうか、という不安も生まれました。
の部分についてですが、なら18禁にすれば解決する、とは全く思っておりません。
学校などで「アイヌのおはなし」を話す機会を幾つか経験した感じでは、
差別やマイノリティの問題に付いて「まっとうな感性」をもっているのは、
「意識を持って」企画した先生の側より、むしろ、
「ただそういう機会にめぐり会っただけ」の生徒のほうの事が多い、
という事を考えると「子供には判断力が無い」とは思えません。
もっとも、わたしのそういう経験は少ないものですし、
「よく話をしに行く」他のアイヌは、違う印象を持っているかもしれませんが。
でずか、子供が差別を「カマす」のは、子供がバカなのではなく、
大人の行動をコピーしているから、というのが本当のところだと思いますけどね。
>>あきこさん
人間関係で蕁麻疹ですか。
それって、本当に名誉挽回になるんでしょうかね?
その「人物」が、俺でない事を祈りますか(笑)。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
チャランケ祭の名誉のために言っておきますが、蕁麻疹がでたのは、食べ物ではなく、人間関係です。
いや?名誉挽回になるのか?
とりあえず、食べ物はいつもおいしく頂いているので、安心してお召し上がりください。
人間関係も、チャランケ祭の関係者ではなく、たまたまチャランケ祭に訪れた、ある人物に対して腹が立って起こしたものなので、安心してお越しください。
でも、蕁麻疹というもの自体初めてで、びっくりしました。かゆかった。しかし、よく、あの人を見ると蕁麻疹がでるくらい嫌いだというのは、本当なのね。と、実体験できたことは
よい体験でした。
なんだか、ここ数日えらく暑くなったような気がしますねェ。
ビールがうまくなりそうですね。
>>あきこさん
>喧嘩したり、蕁麻疹が出たり、激怒したり、号泣したり、感動したり
青春ですなァ(笑)
若いってのは、いいですね(これでも、あなたと同年代)。
今年も、あきこさんはチャランケのスタッフされるんですか?
またお会いできるといいですね。
かき氷の入れ物みたいなので食べるソーキソバが、最高ですね。
家であけると、いつも何かの餌のような味しかしないランチョンミートが、
あそこでは何故かうまく感じます。
初めて食べたのは、シンゴ(しかも民族衣装をフル装備した)とだったか…
しかし、蕁麻疹とは、大変ですね。
食べ物ではなく、人間関係でですか?
>>偽善者さん
ご来訪ありがとうございます。
あなたから頂いたご質問は、大変勉強になっています。
あなたは「最低限、まず出きる範囲で自分で調べてみてから、質問しましょう」、
と言う事は十分されていますし、抜書きまでしてくれたので(面倒だったでしょうに)
感謝しております。
いま、コタンの口笛が手元にあるので、読み返していますが…
おそらく、この作者が、なんらかの使命感や誠意により、
この物語を書いたのは疑いませんし、
文章的にも、けっこういい作品ではないかと思います。
ですが、具体的な差別の表現などに、読んでて胸糞悪くなる、えげつないものも含まれます。
多分、この作品は「児童文学」に分類されるんだと思いますが、
アイヌについての基本的な理解もあるかどうかあやしいこのご時世で、
多くの子供たち(対象年令は小学校高学年から中学校くらいでしょうか?)に、
無防備に見せてしまって良いものなのだろうか、という不安も生まれました。
かつて、北海道の何処かの市では、小学校低学年の使う教科書に、
「かつて、アイヌの人々は『ア、イヌが来た』などといって差別されていました」
という表記があり、それを授業で聞いた子供がそのまま繰り返した、
(悪気は無いし、この年令としては、ある意味当たり前、でもそれが差別)
という事件もあったようですので、注意が必要かと思います。
まだ、全部読んでいないので(とにかく長い)、
いずれまた書こうとは思いますけど。
ナコルルのゲームの解説、ありがちとうございました。
アドベンチャーゲームといっても、選択によって幾らか内容が変わるものの方が、
多いと思うんですが、あのゲームは、やはり小説のような感じのものだったわけですね。
しかし「ナコルルの日常」といいましても、時代背景まで決まっている、
「アイヌの女の子」なので、それって、つまりアイヌの日常なんじゃ…と思ってしまうんですが、
どうなんでしょうね?
今日は地元のお祭りに偵察に行くので、ここらへんで。
色々と調べて、いずれ、アイヌテイストな屋台(食べ物系ね)でも出せれば、と思っています。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
大変だ!!今年もそろそろチャランケ祭(まつり)の準備が始まる頃だわ!!
ということを思い出させてくれてありがとう。
その他のことは、承知しました。
今年のチャランケ、どんなことが起こるかねえ。
っていうか、あるんですかねえ?まだ話がないようですが。ふふっ。
毎年、チャランケ付近は友人と喧嘩したり、蕁麻疹が出たり、激怒したり、号泣したり、感動したりで大変です(実際はたいして、他の人たちの役には立っていないのですが)。
今の内から精神力を鍛えておかないと、打ちのめされること必至なので、とりあえず、頑張ります。(何を?)
oripakEsamanさんへ
ご無沙汰してました。目は通していたのですが、「最低限、まず出きる範囲で自分で調べてみてから、質問しましょう」とか、「いい大人なんですから、それくらい気付きましょうや」とか、自分の非常識が指摘されて何となく近づけませんでした。確かに言われてみれば常識なんですけどね…。耳が痛い。
パソコンで出ているナコルルのゲーム、小説みたいなのはアドベンチャーゲームという部類に属します。分岐点は何箇所かありますが、ほとんど一本道です。
ただソフトは今一つ完成度が低いので修正ソフトがないとイライラするでしょう。で、修正ソフトはインターレッツ社のHPでダウンロードできるのですが、既にお店を畳んでしまいHPも閉鎖してます。もしプレイされたいのでしたらドリームキャスト版をお勧め。
で、内容ですが、ナコルルの日常生活がわかる中々面白い内容でした。ただ、ナコルルのお約束とでも言いましょうか、最後に魔族が侵攻してきてエンディングは悲劇…、に相当します。
アイヌの単語があちこちに散りばめてありますが、その当時のアイヌの生活がわかるというレベルではありません。服とかを見てもアイヌ語の辞書や資料を見ながら頭の中で作り上げたような気はします。