どうも素早いご返事ありがとうございます。ハンドルに凝ってて自己紹介してませんでしたね。本業はしがないサラリーマンライターですが、そのかたわら同業諸氏の仕事ぶりを憂えてあれこれ勉強してます。アイヌ民族との関係でいえば和人ということになります。
>よかったら、もうちよっと詳しいあらすじの説明か、引用かなんかお願いします。
「世界」の最新号に載った「アイヌ文化法施行から五年―新たな危機に直面するアイヌ―」というのが問題の記事です。最初は「アイヌ共有財産訴訟」を紹介(一審はアイヌ民族側訴えを却下、控訴中)してます。次が、アイヌ文化法は文化だけが対象になっているのに、これでアイヌ民族の問題が解決済みのような風潮が広がったというインタビューです。次には財団法人の運営のずさんさとアイヌ民族の分断が進んだという意見を紹介し、ウタリ協会への失望を表明して、前理事長の鈴木宗男問題と現体制の問題点をあげています。そのつぎが「イオル再生構想」で、ディズニーランドだという批判を紹介し、それから「現状に怒りを隠さない」助成財団の佐々木高明理事長さんが「本当はリザベーションと言いたかったのだけど、そう言えないから伝統的生活空間と言ったのです」というインタビューです。締めくくりは知里幸恵の姪に当たるという横山むつみさんの「一概にいい悪いと言えません」「納得できなかったのは(政府から)反省の弁がなかったこと」などの発言です。
アイヌ文化法にこの記事の書いてるような問題があることはだいたい見当がつきます。「世界」にこれだけの批判記事が載ることにも意味はあるでしょう。でも私の問題意識からいえば、これは自分でよく考えることをしないでありがちな鋳型にはめてポンと書いてしまった記事の典型例です。市民運動への権力側の抑圧が強い例を紹介し、そういうとこにはだいたい「アメとムチ」をめぐる内紛があるのでそれを嗅ぎ出して「運動が方向性を見失っている」とやり、有識者の見解を取材して、最後に(できれば女性か若者の)希望の星で締めくくる。
こういう運動の内紛はだいたい権力側が仕組むものなんです。これまでのoripakEsamanさんの書き込みを読んでいても、自分で考えても「リザベーションでの伝統的生活」と先住権とは別物で、そこにマヤカシがあります。だから一応この記事だけ読んでも、アイヌ文化法と助成財団の仕組み、そしてリザベーションだろうがディズニーランドだろうが「イオル再生構想」なるものがアメで、共有財産問題や「民族問題終了意識」そして先住権を認めないことがムチ(ほかにもあるんでしょうが)だということはわかります。問題は、どうやらその仕組みを作って動かしているのが、助成財団の理事長であり「イオル再生」を構想したという佐々木高明さんで、彼の背後には住民運動を扱い慣れた官僚がいるらしいことに取材の過程で気づくかどうかです。
この記事では上の鋳型でいえば佐々木さんは締めくくりの有識者のところで登場するので、そこの部分は「(佐々木さんの)構想が現実化の過程で、はたして歪まずに済むのだろうか」とだけ書いてお茶を濁してます。読みとれる情報はけっこう面白いので昨日は「記事の裏の意図」なんて書きましたが、ライターの小笠原さん自身が「居留地となれば、先住民としての権利問題もからんでくる」と佐々木さんの主張に沿った分析をしているところからすると、やっぱり考えの甘さが出たんだと思います。
学者は昔から官僚の隠れみのになってきましたが、自分でちゃんと考えないジャーナリズムも結局は真犯人を逃がしたまま「運動の混迷」を印象づけることに加担するんです。というわけで「世界」のライターの質の低さを嘆かせていただきました。詳しくは他のルートで書こうと思ってたんですがだいたい書いちゃいましたね。
こんにちは。
前回はまともにご挨拶も自己紹介もせずに質問をしてしまって、すみませんでした。
それから、お返事どうもありがとうございました。とても嬉しかったです。
私の地元は、北海道十勝の鹿追町(しかおいちょう)です。
この一帯は、鹿を狩るための仕掛け弓が沢山ある狩り場であったことから、クテクウシと呼ばれていた、と小さい頃に聞きました。
町史には、「ク」が弓で、でも「クテク」で鹿を狩るための仕掛け弓、
「ウシ」でそこにあるとか居る、
最後に実は「イ」という言葉もあって、それは狩場という意味だ、ですとか、
鹿を追いこむ場所だったと載っていました。
鹿追町は夫婦山と呼ばれている東と西のヌプカウシヌプリが、多分一番の名物です。
よく西ヌプリに登山に行きました。
でも、こうやって毎日遊んでいた山や川や、
いつも食べている山菜(ギョウジャニンニク)にもアイヌ語の名前が沢山あって、
湖にアイヌの伝説もあって、私達の生活の中でも違和感なく使われていて、
ものすごーく愛着があって、そのことが凄く嬉しいというか誇らしいというか、
凄く失礼かもしれませんが、そういう独特の風趣をもつ北海道、
つまりはアイヌ民族が住んでいる北海道という地が、
他の日本の地とは違う特別な土地なんだって思っていたくせに、
私はアイヌ民族のことをちゃんと理解していなくて。
なので勝手ながら今、勉強しています。
でも私はさっくり頭が弱いので、沢山本を読んでも、点と点が結びつかなくて困ったりします。
今回の書き込みもご迷惑をおかけしまして・・・すみません。
すごいHP見つけちゃった♪
http://www.ctk.ne.jp/~darkstar/soho/d_dokuritu.html
マイさん、始めまして。
ramuというのが、考えるとか思うという意味です。
マイさんのおっしゃっている言葉は、多分…
yaykosiramsuye、自身に対して自ら心を振る
の事だと思います。
考えるという意味だけでなく、言葉どおり、思いをめぐらすという意味の言葉ですね。
確かに、的確に捉えたいい表現だと思いますが、
思いをめぐらすときにそうするのは、特にアイヌだけではないでしょう。
また、同様によく引き合いに出される表現として、
iramkarapte、あなたの心に振れさせてもらいます
というものてがあります。
よくアイヌ語の挨拶であると言われていますが、
実際は、通りすがりに「こんにちは」という感じで使ったものではなく、
凄く畏まったときに使った言葉のようですね。
今では、言葉の意味の良さから、日常の挨拶として使われてる事も多い様ですが。
クテクウシというのは、かなりアイヌ語ですね。
何処のあたりの地名で、どんな場所でしたか?
〜ウシというのは、多分、何かが沢山生えているという意味ですから…
クテクが生えていたのでしょう(笑)。
実は、クテクって何かわかりません。
これは、単に私がアホだから知らない、というのが第一の可能性でありますが、
元のアイヌ語と形が変わってしまっていて判らない、という可能性もあります。
クッタラだったらイタドリなんですが…
こんなんで、答になったでしょうか?
http://www.alles.or.jp/~tariq/
アイヌ語で「考える」という言葉は、何と言うのか教えていただけませんか?
アイヌの人たちは、「考える」というのは、単に頭を使って考えるのではなく、「心を揺らして考える」という風に捉えていると聞いたことがあり、とても興味をもちました。
私の地元も昔はクテクウシと呼ばれていました。
よろしくお願いいたします。
和人ガーZさん、なんだか面白い名前でご登場ありがとうございます。
残念ながら、わたしゃその「世界」の記事を読んでいないので、事態を把握できません。
よかったら、もうちよっと詳しいあらすじの説明か、引用かなんかお願いします。
ここの来訪者には、手に入らない人もいると思うので…
文化法がアイヌの分断法で、ムネヲが少なからず絡んだ話しというのは、私もそうだと思いますけどね。でも、おっしゃりたいポイントは、ソコではないんですよね…?
あと、佐々木さんって、どの佐々木さん?
確かアイヌに関わっている佐々木さんにも、何人かいますよ。
それと、ROMの人が出てくるのはおおいに歓迎ですけど、もうちょっと自己紹介してくれたほうが、話しやすいんですが…
http://www.alles.or.jp/~tariq/
はじめまして、和人ガーZと申します。ときどきROMしてましたが、「世界」に出たアイヌ文化法の記事を読んで、こりゃまた分断に加担するアホジャーナリズムじゃないかと一言書き込みたくなりました。
全体としては鈴木宗男と後援会長の前理事長が悪役という筋書きで取材しているみたいですが、現体制批判もにおわせるのは上手に保険を掛けているんでしょう。最後のほうで紹介している佐々木さんという学者は責任者なのに「現状に憤りを隠さない」なんてポーズにコロッと参ってます。「本当はリザベーション(wと言いたかった」にシッポが見えてて、リザベーションだろうとデズニーランドだろうと分裂のタネをまいたのはこの人なんじゃないかと読んで憤りを隠しません。そこまで記事の裏に裏の意図があるんなら立派なものですけど。
ここは、アイヌが語るアイヌのHP。
もちろん、主役はそれぞれの参加者一人一人ですけどね。
>>ストネコさん
>じゃあ、何処から見ての東北?
>それこそ「蝦夷」と同じ発想に基づく地名だと思いませんか?
そのとおりだと思います。
ただ、東北という言葉でさされる「辺境」に住む人々が、自らを中心に据えて自らのことを呼ぶ呼称を、私は知りません。
おそらく、奪われてしまったのでしょう。
「日高見」「アラハバキ」も、多くの「東北の人々」に認知されているかと言えば…
難しいでしょうね。
ですから、いまはとりあえず「東北」と言う言葉を使うほか無いのですが、
いつか、良い自称が確立すれば、敬意を持って、その名で呼びたいと思います。
かつて、私の知り合いのさるムスリム(パキスタン人)が言った言葉、
「我等が聖なるムハンマドの地、アダムとイブが降臨し、世界へ人類が旅立った土地をMiddle East(中東)と呼ぶとは何事だ。世界の中心はアラビア半島であり、東も西も無い。」
を思い出します。
世界の中心が何処であるかは、ここではおいておきますが、かような発想は、世界中のそれぞれの民族が持つ資格があるのだと思います。
それも、他の民族の中心性を侵さない範囲で、ですが。
ですから、八紘一宇や万世一系などの発想は、ちょっといただけないですよね。
すくなくとも、アイヌ民族や周辺の他民族を巻き込むのは、絶対に大間違いです。
日露戦争でも先の大戦でも、活躍したアイヌの兵士は多かったようですが。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
千葉県人さん、あの場におられたんですか?
多分、あたりです。
あの人数なら間違え様も無いでしょう。
勝手に模様を追加して彫ってた奴が俺です。
私がHPやってるというのは、私を知ってる人は、
みんな知っていることなので、あの場で聞いていただいてもよかったんですが。
隣に居た・・・?
さて、どなただったか?
ま、インターネットとかで目立つと、こういうこともありますわね。
ここの来訪者の方でも、実際に私を見ても「あれがEsamanか」と感心するだけで何も知らせてくれない人も多い中、わざわざお知らせ下さり、ありがとうございます。
時々レラチセには顔を出しますので、またお会いしましたら、よろしく。
なんでしたら、メールでもください。
あと最近、カバノアナタケについて、かなり核心に迫った(?)
新情報を幾つか北海道で仕入れてきたのですが、忙しくてまだ書けていません。
メモはとってあるので、来週中にはここで書こうと思っています、
次回のチャランケ祭りには間に合いますので、ご期待下さい。
ところでタクミさん、今日はなんだか二日酔い気味だったようですね。
いつもは、もっとはっきりしゃべる人ですので、誤解無く。
PS
千葉県人さんが、私のことを幾つぐらいと想定しておられたのかわかりませんが、私はよく実年令より7〜8歳くらい上に見られます。
おそろしい結果にならなければ言良いのですが(笑)
http://www.alles.or.jp/~tariq/
Esamanさま
題名通り間違っていましたらすみません。
本日、レラチセにいらした方はご本人でしょうか。
人が多くいましたのとご本人かどうか聞いてみるのも
憚れる感じでしたし、すぐ隣に座りながらもすぐに失礼
しましたので、結果的にご挨拶も出来ず失礼しました。
またの機会にお会いすることが出来ましたら、幾度も質問に
答えていただきました感謝とともにきちんとご挨拶させて
いただきたいと思います。本当に失礼いたしました。
(追記)想像通り、博識な感じの方でしたが、一方で想像より
もずっと若くお見受けいたしました。
>ちきtきさん
東北在住で「自称蝦夷」の物です。
蝦夷(えぞ・えみし)というのはEsamanさんの発言の通りでして
民族の呼称ではなく、時の中央(大和)政権に従わない者たちに対する
政治的見地による総称です。
また当然、自分たちを蝦夷と呼んではいなかったはずです。
また、東北はかつて「日高見」「アラハバキ」といった名の
独自の国家を形成していたのですが、この名称にしても
こちらの自称かどうか・・・?
>Esamanさん
アテルイやモレがアイヌ民族であるのは確実でしょうが
当地でそれを明確に意識している人は少ないかも。
と言いますか、私が住む福島県ではアテルイが話題に上ること自体
ほとんどないんですけどね・・・
ただ、以前に話したことがあると思いますが
私の母が自身の実家の風習にからむ話の中で
「東北は蝦夷(えぞ)の地だったから」
と言っていたように、東北は元々アイヌの地という意識は
当地の者たちは大抵少しは持ちあわせています。
家の近郊にもアイヌ語から転化したのではと思われる地名や
また、蝦夷岳、蝦夷穴、といった地名もありますしね。
もちろん自分が異民族としての蝦夷の子孫である確証はないですし
ひょっとしたら、逆に大和朝廷の律令政策によって
西から移動させられた倭人の子孫であるのかもしれません。
しかし、実際の血筋はどうあれ私が蝦夷地の民の子孫であることは
間違いの無い事実ですし、風習等から考えてみても
やはりアイヌ民族と何らかの繋がりがあるはずです。
そういう観点から見れば、アイヌ民族のアテルイやモレは
ますますもって正真正銘の東北の英雄となります。
あと、余談なんですけど私は「東北」という地名は
好きになれないんです。
東北にあるから東北。
じゃあ、何処から見ての東北?
それこそ「蝦夷」と同じ発想に基づく地名だと思いませんか?
http://www3.ocn.ne.jp/~stoneco/index.html
>ちきtき さん
ようこそ。
初歩的な質問歓迎です。しかも、この質問はかなり難問で、簡単な質問ではないですよね。
ところで、名前は打ち込みミスですか?
大変微妙な話しですので、わかる範囲でお答えします。
他に人も、こうだという意見があったら書きこみください。
なお、エミシについての部分は私の考えも入っていますが、アイデンティティの決定権にかかわる問題のような気がするので、これが絶対、という訳ではない事にご留意下さい。
●アイヌ民族=蝦夷(エゾ)であれば、ほぼ当たりだと思います。
ただし、蝦夷(エゾ)というのは、江戸幕府や松前藩やその他の「アイヌではない人々」が、現在の我々アイヌ民族と、同じ民族である人々を「まつろわぬ民」「化外の民」「未開な異民族」とした呼称であるので、現在アイヌである人々に呼びかけて良い言葉ではありません。
歴史書の記述でいうと、対蝦夷戦線が東北地方北端に移動してきていた、室町(ここらはアバウトですのでご容赦)〜江戸末期の頃の「蝦夷」という表記ですね。
●アイヌ民族=蝦夷(エミシ)であると、ちょっと微妙です。
ヤマト朝廷は、東北地方に住んでいた異民族のことを蝦夷と書いてエミシと呼んだらしいのですが、この人達が現在の「アイヌ民族」と同じ民族であるかどうかは、よくわかりません。
エミシの英雄、アテルイやモレなどはアイヌ語で解釈できるようですし、東北は、アイヌ語の地名も多いですね。
ですから「エミシ」と呼ばれた人々は、アイヌ民族そのものか、そうでなくとも、アイヌに大変近しい人々であった事は疑い様もありません。
でも「エミシ」という言葉も「エゾ」と同じく、その対象となる人々の自称ではない可能性が高いので、アイヌであったどうかはよくわかりません。
「アイヌに近しい」からと言って、当人達の意思も確認せずに「○○と○○は同じ民族である」と断定するわけにもいきませんしね。(例:文化が似ているので、中国人と朝鮮人は同じ民族である)
それに、アテルイやモレなどの英雄は、いま東北地方に住む人々からすれば「地元の英雄」な訳ですから、仮に本当にアイヌだとしても「東北の英雄」についてどう語るかは、地元の人に権利があるような気もします。
「異民族・東北エミシの末裔」が生き残っていれば、彼等に第一の権利があるのは言うまでも無い事ですが…
私は、東北アイヌの末裔には会ったことがあっても、東北エミシの末裔には、まだ会ったことがありません。
多くは、私達アイヌがそうであるように「自分達は何者か」について、伝えられなくなっているようですし。
こんなんで、答になったでしょうか?
http://www.alles.or.jp/~tariq/
アイヌ民族=蝦夷っていうのは間違いですか?
一風変わったサラ金サイトみつけました。
10日間の無利子にも驚きですが、
日記がおもしろくてしかも勉強になりました。
爆弾発言もあって読み応えあります。
http://www.okozukai.jp/
もっと早くれすしようと思ったのですが昼夜が逆転してしまった上「プロキシ」がどうの斯うのとかページを開き終わるのに矢鱈と時間が掛かってしまい調子が悪かったのでスキャンディスクとか最適化って言うのをやってたんですが結局なんの効果もありませんでした。m(_)m
そう言えばEsamanさんの仰る通り在日の方やお父さんやお母さんがアメリカ人みたいな人とは違うかもしれませんよね。って言うか違うと思います。でも僕は昔の事はよく解らないのでアメリカのアラスカに住んでるような方々を想像してみたんですが、そう言う感じに近いんでしょうか?それならなんとなく解るような気がします。ちょうどThuleって呼ばれるような所に住んでる人とかもそうですよね?最近..と言っても春か夏ごろですが、そう言うイヌイット(?)の人とかの生活(居住地)を映した映画みたいなのをテレビで見て凄く印象に残ってます。その映画は犬橇だか猟を引退したお年寄りと犬が主役みたいな映画でしたが、生活習慣が変わって目標を見失った若者が自殺をする事をその御年寄りが嘆いてるって言うような場面もあってなんとなく切ない感じの作品だったと思います。大自然の中で暮らしている人ってイメージも未だありますが、自給自足が出来るのに生活習慣を変えられてアルコール中毒や生活保護に追い遣られてると言ったイメージもあって決して全てが旨く行ってるとか幸せだって言う訳ではないんだろうな〜とは思いました。
だから僕の持ってる先住民族に対する情報って言うのはそんな感じです。あとはハワイとかニュージーランドとかオーストラリアの人とかですが、そう言えばアイヌの人達がどんな生活をしてどんな状況にあるのかは余り聞いた事がないです。確かディスカバリーチャンネルでライダーズハウス
(?)ってゆんでしょうか?を営んでるアイヌの人が居るって言うのはテレビで見たような気がします。でもやっぱり歴史は知らないです..(^^;
大丈夫かな、と思いますが。
>アイヌや少数民族に就いては日本語から情報を仕入れようとするだけでも苦労するような人間にとっては
現在では、多くのアイヌは日本の行政管区無いに住む「ハメ」に、身勝手な政府のせいでなっており、記録や研究も日本語のものが多く、同化政策を受けたアイヌ自身の活動の多くも日本語で行なわれています。
他のどの言語よりも、日本語での情報収集が最も有効でしょうね。
ですが、日本の教育においても、社会においても、アイヌの現在の本当の姿(つまり和人がアイヌに何をしたか)に対する理解の姿勢が、全く十分でない事は確かですが。
私達は縄文人でもなければ、原始人でも、日本人の先祖でもなく、現代人にエコロジーメッセージを伝える謎の使者でもありません。
日本政府によって殖民地支配を受けた先住民族、つまり日本人による支配を受けた異なる民族です。
そんな現実を…
「日本語とは全く違った言葉を本来の母語とする人達が、この日本にはいる」
「全く聞いた事のない言葉を耳にした方が解り易いと言う場合もある」
という方向にとられてしまったら、日本国内にいる、両親とも○○人で、家庭で最初に使った母語が○○語の人達の事との違いが、どれだけおわかりになるのか不安になりますね。
そのような「割と最近にやってきた(あるいは連れて来られて)人々」と、アイヌの立場を一緒にされては、マトモな理解とは到底言えません。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
75歳以上が1000万人を突破
確実に高齢化社会
寝たきり人生 嫌だ〜
痴呆症 癌 糖尿病 ・・・嫌だ〜
不整脈(心房・心室細動)地獄の苦しみ・・・
健康であればこその活躍 100歳まで現役
いくつに なっても‘意義ある青春’ これから
<参考HP>
http://www.azw7.com/
<連絡先>
kenko888@hotmail.com
「日本語(母語)から情報を仕入れようとするだけでも苦労するような人間」と言うのは勉強の苦手な僕みたいな者の事です。ちょっと解りにくかったかも知れないので補足しました。m(_)m
Esamanさん、体調が優れない中レス有難う御座います。恐れ入りますm(_)m母語に就いて考えると言う事は余り今まで意識した事もありませんでしたが、書いたり喋ったりする以外にも母語の果す役割と言うのは人や民族にとって迚も重要な意味を持つのだろうと思います。アイヌや少数民族に就いては日本語から情報を仕入れようとするだけでも苦労するような人間にとっては却って教科書や資料を見学するより全く聞いた事のない言葉を耳にした方が解り易いと言う場合もあるようなので子供の社会教育(?)にはイイのではないかと思いました..。(^^;
風邪はだいたい治ったものの、咳は止まりませんねェ。
>>中野圭右さんへ
手話なら、それで会話する事も出きるし、中には手話が母語の人もいるでしょう。
ですが、アイヌ語はそうではありません。
アイヌ語は死滅した、ということは絶対にありませんが。
私達アイヌの殆どは「母語」であるはずの言葉を、かなり苦労して勉強しなければ使うことが出来ません。
日本語を、あるいは手話を母語としている人達が、いい年になってから、その母語をわざわざ勉強しなければ、挨拶も自己紹介も出来ない、などという状況があり得るでしょうか?
わたしも、満足にアイヌ語が使えるわけではありませんし、iakkuspuyarにあるアイヌ語ページは、殆ど全て、和人の勉強家の方が作ったものをリンクさせてもらっているだけです。
これが、私達アイヌが晒されている現実です。
「日本語とは全く違った言葉を本来の母語とする人達が、この日本にはいる」
…それは確かにその通りですが、私達アイヌにとっては、ただ「○○語を話す異邦人がいる」というだけではない、深い意味があることを、心の隅でよいので、お留め下さい。
それでは、また。
疑問があったら、なんでもお聞き下さい。
http://www.alles.or.jp/~tariq/