ということで、Reikoさん、あとちょっとお待ちを。
さっそくのお返事ありがとうございます。
ところで、大いなる祭という企画には、一般の人っぽく参加さているのでしょうか?
それとも運営委員の方?
いやね、企画の方向性とか内容について、色々とお聞きしたかったので…
とりあえず、ぱっと見でこれはマズイだろう、と思った部分を書いておきます。
まず、アイヌについて、という説明の部分で、いきなし人種的起源の話しをされるのは、かなり気分よくありません。
初対面の人に、そういう見方されるのは、ヤなんでいすよね。
説明の仕方、もうちょっとないのかねぇ。
たとえば…
アイヌ民族とは…
北海道を中心に、千島・樺太・東北などに日本人の入植よりも昔から住んでいた、独自の言語・伝統・宗教を持つ先住民族。かつては狩猟や漁労を中心として生活し、シベリアや本州との交易を行っていた。
明治期に生活領域を日本の植民地とされ、政府によりアイヌ語や伝統的な生活を禁止し日本人化する同化政策を受け、多くのものが失われた。しかしアイヌとしての心は失われず、現代では「アイヌである」ことを取り戻そうとする世代が活躍している。現在は、北海道を中心に世界中に住む。
くらいの説明は欲しいですね。
今のアイヌが伝承活動するのって、かなり大変なんですよ。
(Agueの人はがんばってるけどね)
>各民族の生活を再現し、彼らがどのような生活をしているのかを紹介し触れ合いの場をつくる。
この部分って、一歩間違えると『人類館事件』の再現につながると思うのですが、どうなんでしょうね? 知ってますか?
あと、内田一成さんのページは、お書きになったアドスでは、ちょっと見れないようですね。
なんか足りないのではないでしょうか?
>AGUEの方が民族舞踊で海外公演もなさっていると聞いています。
なんと、そんなにエライとは知らなんだ(笑)。
わたしゃ、あの人の踊りと歌に惚れた身ですから、驚きませんが。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
Esaman様
ありがとうございます。
それでは、私の事を少しお話したいと思います。
大いなる祭という企画に参加しています。詳しくはHPを見てください。
www.ooinarumatsuri.jp
メキシコのウイチョール族のシャーマンの方が今年、日本にやってきます。
私も昨年暮れに、メキシコを訪れて、彼らと一緒に過ごしました。
彼らの自然界と調和した生き方に触れて、私達の日本での生活について考えさせられています。
おおいなる祭では、沖縄のユタの方についてと、アイヌ民族についての紹介もありまして、日本にも、自然と調和のの取れた暮らしの歴史を持つ民族の記録があるんだと気がつきまして、早速、アイヌ文化の基礎知識(アイヌ民族博物館 監修)という本を購入して読んでいます。それと、内田一成さんという方のHP www.venus.dti.ne.jp/kazunari/index.htm
に掲載されているチキサニという小説も同時に読んでいます。
まだ、読み始めたばかりで、何もわかっていない状態ですが、生活様式や神に対する考え方をもっとよく知ってみたいと思います。
こういった生活様式や考え方を、多くの人々が知ることによって、現在私達の多くが持つ価値観や常識に、新しい展開がうまれないかと考えます。
まだ、興味を持ち始めたばかりで、今後の展開などをうまく説明することができません。
無知で、大変失礼な事をしないように、気をつけたいと思います。
アドバイスありがとうございます。
そのお店の情報は、飲み屋で隣に座った方が話していらっしゃったので知りました。
お店の場所も聞いたのですが、昨日探しましたが見つかりませんでした。
私は仕事で、音楽イベントをプロデュースする事が多く、このおおいなる祭関係でも、プレイベント的な事が今後何度か企画されます。
AGUEの方が民族舞踊で海外公演もなさっていると聞いています。
その事も、是非伺いたい事の一つです。
もし、なにかいい形でリンクできたらと思います。
よろしくお願いいたします。
Reikoさん、始めまして。
ここの管理人のEsamanです。
書きこみありがとうございます。
アイヌ文化に興味をお持ちとの事ですが、あなたは、いままでどんな文献をよんで、どのような感想を持たれましたか?よっかたら、色々とおおしえください。
あと、興味を持つことになったきっかけにも関心があります。
いや、私の場合は、自身がアイヌの家庭に生まれただけの事(さらって言っていますがスッタモンダはあるのよ)ですので、アイヌに興味を持つ人たちの「きっかけ」に、興味あるんですよね。
是非ともお聞かせ下さい。
そういうことの話しもしていだくと、あなたのことがわかりますし、この場に話題を提供する事にも繋がり、よいと思います。
ただ教えてくれってのは、答える側も、覗いている人も、なんか物足りないので(笑)。
あと、たぶん、そのお店は私の知り合いの店なんですが…
>そのお店に伺って、詳しいことをお尋ねしたいです。
という点についてですが、ちょっとひっかかりました。
まぁ、お店を開いているくらいなので、色々と聞いたりしてもいいとは思いますが…
仮に取材に行くとしても、アイヌに関する一般的な知識(歴史・伝統文化・習慣・現状とか)については、できうる限り、ご自身の力でしらべてから伺うのが最低限の礼儀かと思うので、しっかりやってくださいね(リンク集もございますので)。
また「アイヌの○○は○○ですか」という質問をする際は、
「日本人(ではなかったら失礼)の○○は○○ですか」という質問を自分がされると仮定して、失礼・あるいは困難ではない範囲の設問に留めることが大切であると思います。
いやね、けっこうおろそかなっているもんですよ。
とりあえず、場所等お教えしてもよいか、お店の人に聞いてみますね。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
はじめまして。初めて書き込みさせていただきます。アイヌ文化について大変興味を持っています。最近、いろんな文献を読んでいます。知れば知るほどに驚きと感動を覚えます。
東京の中野にアイヌの模様を使ったシルバーアクセサリーのお店があると聞きましたが、どなたかそこの詳しい情報(場所)をご存知の方がいらっしゃったら、教えてもらえると助かります。そこの奥様が、アイヌの民族舞踊を踊ってらっしゃると聞いています。
そのお店に伺って、詳しいことをお尋ねしたいです。
よろしくお願いいたします。
にしやんさん及び、全てのアイデンティティ、或はルーツ好きの方々へ。
私は、
>自らの生きる拠り所としてオリジナリティーとしてのアイデンティティーを打ちたてようと
は、一切しておりませんので、誤解無く。
また、仮に、どこかにそういう方向性で奮闘しているマヌケがいたとしても、私とは一切関係がありません。そんなウソに頼らないと生きていけないほど、私はヘナチョコではありません。
いや、アイデンティティなんて、全ての人間に必要無いモノなんじゃないでしょうか?
私は「アイデンティティ」という言葉はかなりキライです。
「アイヌとしてのアイデンティティ」は、もっとキライです。
少し前にロドリーグさんへのレス(あれ以来返事が無いですが)で書きました通り、アイテンティティという言葉は、とても一人歩きしやすい言葉で、曖昧すぎるので、まず使いません。
そもそも、アイデンティティとは、自己同一性とか、本人であることを意味する言葉です。
「本人らしさ」をあらわす言葉ですよね。
つまり、それはどんなものでもいいし、極端な話し、なくてもいい。
「アイデンティティ」には強弱も比較もありえません。なら、確立もできないのでは?
そんな曖昧な言葉の前に「アイヌとして(あるいは、小数民族として)」という言葉をつける必要は無いし、んなもの、わざわざ持つ必要はないと考えています。
だって、考えてみてくださいよ。
自己同一性って、なんですか? あなたらしさって、なんですか?
そんなもの、なんでもいいでしょ?
ならぱ「オリジナリティ」として「打ちたてる」必要もない。
それに、考えてみてくださいな。
いつも「アイデンティティを確立」する必要があるのは、常にアイヌの側(あるいは小数者)なんですよね。多数者側(この場合は和人)ではないんですよね。
それって、おかしいですよね。
本当にアイデンティティ(つまり記憶の一貫性)を喪失しているのは、アイヌを和人風に無理矢理変化させた、和人のほうなのに。「アイデンティティの確立」の必要があるのは、どっちなのよ?
私が「アイヌ」を考える場合は「アイヌとして、いま、どう生きるか」という具体性を持った言葉にします。
こうしたらば「障害者として、いま、どう生きるか」という具合に、問題性は一致するのではないですか?
あなたは、どう生きてますか?
私の選択している「アイヌとして、いま、どう生きるか」は、
「アイヌとして、日本人を和人としてアイデンティファイする」という事です。
「アイヌとしてのオリジナリティを確立、アイデンティティを確立」などという、和人にばかり都合のいい事はしませんよ。
私が先住民族アイヌであるということは、あなたは和人だからだと、私は宣言します。
珍しい小数民族として、おとなしく伝統ブンカをやっているのだとは、いいません。
北海道という土地は、私の先祖達を殺し植民地化して得られた「日本人(和人)の占領地」だと宣言します。何処でも構わずそう発言します。
「同じ日本人で仲間だ」などとは、口が裂けてもいいません。
私がいま、アイヌの風習やアイヌ語を学んでいるのは、私に繋がる先祖から、日本人(和人)が奪いとったものだからだと公言します。
けっして、それが「ただ好き」なのでも「素晴らしい知恵」だからでもありません。ましてや「オリジナリティ」の為でもありません。
単純に、盗まれた物(誰によ?)を取り返しているだけなのです。
何故に、私がここまで「和人」を意識するのか?
毎回シツコク言わないと自覚できないほど、和人には「アイデンティティ」が足りないんですよね。
おっと、アイデンティティといういい加減な言葉は使わず、ちゃんとした言葉でいいましょうか。
「何故アイヌがここにいるのか」が、殆どの和人には、分かっていないんですよね。
…あなたは、何者として誰をアイデンティファイしますか?
追伸:私達アイヌの現実は、かなりキビシイものがあるので(自力で調べてください)
「当事者には、その事は、決して、肯定的に捕らえられるものではありません」
とも、お伝えしておきます。
誰だ、アイヌに対して「ルーツがあってカッコいい」なんていったバカは。
そんなものは誰にでもあるじゃないか。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
さっすが!と思いました。いつも携帯の短いメールでのやりとりですが、やっぱりこういう場所があると思っていました。私はパソコンを持っていないのでたまにしか見れませんが・・・。また機会があれば見にきます。私が見にきたよ!とアピールする為に一言書かせていただきました。
アイヌ、ネイティヴアメリカン、アボリジニなどなど、少数民族の復権運動が盛んな古今です。
ちょっと前は、障害者運動が盛んでした。
わたしが思うに、少数民族の人が自らの生きる拠り所としてオリジナリティーとしてのアイデンティティーを打ちたてようとする事は、障害者が自らの拠り所を確立するのに、自分の障害を掘り下げようとする事とは、幾分か違うように思われるのです。
決して、同情を呼び寄せようと思って書くわけではないのですが、
精神、身体、知的などの障害が、・・・・何処まで考えても、わたしには、障害というのもが、肯定的に思われることがないのです。
身体のものが、”自分は、身体障害者だ”と言って、誇れるとは、微塵も考えられない事です。精神も同じように、”精神”がいかれていることを、肯定的に考えられるものでしょうか?
エイズもハンセン氏病も、・・・・当事者には、その事は、決して、肯定的に捕らえられるものではありません。
”エイズで良かった”などと、誰かが言うでしょうか?
当事者でない人は、幾分同情と、自分がもしそうだったら、と言う所で、
−-−その点においてのみ、障害者理解があるのみではないですか?
わたしたちの、病気による不幸は、そのままです。
@@@わたしには、この、自分の病気に対しての否定感を、どうやって克服できるのか、
わたしは、この自分から望まずにきた災難(不幸?)から、いつまでも、抜け出す事ができません。
さよこさんが、在スエーデンのかたなら、
うそかホンとか知らないけれど、スエーデン語で、ナナオ詩集:1985年Reider Ekner訳:Arkturus Foerlag が、あると書いています。
Esmanさん、ナナオの詩集で、アメリカのBlackberry books から出版されているものは、
スモークドブルーの地に、鮮やかにライトグリーンで黄の縁取りが美しい日の丸のイメージ(?)=日本の成功とナナオの業績がダブって表現されたのか・・・、そこに、ビッキの鮭の版画が黒で浮きあげさせている、そんな、とても美しい表紙の英語で出版された、ナナオの詩集が、わたしの手元にあるのです。
それも、今回、このような、投稿を、わたしにさせた理由になっています。
すみません、
ななおの詩を入力してるうちに、ESMANさんの書き込みがあったのですね。
ぼくとナナオの間柄は、・・・ぼくらの世代では、ヒッピー仲間と。言うことでしょうか。と言うより、先達、オウム風に言えば”グル”でしょうか。
おいらが、いま50歳と少しで、ななおは、おいらの、親父の世代です。
なぜ、ナナオか、と言われると困りますが、
ESMANさんが、アイヌの運動していられると言う事で、わたしが、それと、何処で交われるかと言う事で、ビッキ自体に面識もないのですけれど、ナナオ+ビッキと言う事になれば、かなりな、わたしがまつわるところでの、偉人と言う事で、ナナオが書いたビッキへの詩を、ここに書いてみました。・・・・幾分、自分を、権威ずけようとの意図があるのかないのか、そこのところは、分かりませんが・・・。
私自身のことを言えば、精神病者で、運動をやっていますし、−−−ESMAN風に言えば、”自分の人生=精神病を生きる”と言うテーマで生きています。
音楽の即興演奏を楽しみとして・・・。−−−それらについては、追々、この掲示板に書き込みさせていただくかもしれません。
それで、ナナオについて少し、・・・・そうだな、アレン・ギンズバーグとゲーリー・スナイダーが、ナナオを、評した文章でも載せましょうか・・。
ナナオ
たくさんの渓流に洗われた頭
四つの大陸を歩いてきたきれいな足
鹿児島の空のように曇りなき目
調理された心は驚くほど新鮮で生
春のサケのような活きのいい舌
ナナオの両手は頼りになる 星のような鋭いペンと斧
ピーター・オーロフスキーと 1987年6月
足で歌う コスモポリタン ななお BY ゲーリー・スナイダー
ななお さかきの詩と存在は、東京からアムステルダム、ニューヨークからロンドン、メイン州からサンフランシスコまで知られている。ナナオはまた、南ロッキー、タオス背後の山々、リオグランデ下流の砂漠、シェラネバダの松林、亜熱帯の琉球列島、寒々とした北海道のエゾ松の森、京都の狭い裏通り、東京新宿の無数のバーの迷路でもーーーすっかりくつろいでーーー暮らし、仕事をしている。
ナナオは、日本から現れた最初の真にコスモポリタンな詩人の一人である。だが彼の思想とインスピレーションの源は、東洋や西洋よりも古い。そして新しい。
@@@@きりがないので、やめます。・・・どうも、ナナオに心酔しているのかもしれないです。
神話だよ
また 星ひとつ 生まれたよ
日ごと 夜ごと 太陽めぐる
ちっちゃい ちっちゃい 六千の星
人呼んで 小惑星
新しく見つかった ひとつを
名づけて ビッキ 我が友の名
砂沢ビッキ
アイヌ生まれ 息づく限り 祖父たちのよう
空に思いを 刻みつづけ
樹に思いを 刻みつづけーーーー
ある秋 ビッキの病 ただごとならずーーー
天塩川に カヌー置き
見舞いに 立ち寄れば
ビッキは 知りたがる
”21世紀は ななお ほんとに来る?”
病みつかれた ビッキは
1989年1月 この世に バイバイ
ある晴れた日 ビッキは 樹になり
好きな 赤エゾ松の大木となり
いつか 雲の上に そびえ
ついに 天にとどき 星となり
今日は 地球と共に
太陽めぐる 小惑星
おめでとう ビッキの星よ
新しい 住民票 知ってる?
登録番号 5372
小惑星名 Bikki
仮符号 1987 WS
発見者 円館 金 渡辺 和郎
発見地 北海道 北見市
やぁ ビッキの星よ
いま なに 彫ってる?
いま なに 歌ってる?
どんな 酒 呑んでる?
たまには
星ちりばめて
葉書 よこせ
1995.5
さよこさん、ご投稿ありがとうございます。
たしか、始めましての人でしたか?
確かに、寒いところの人は酒飲みが多いですよね。
でも、今回注目されているのは「アイヌに酒飲みが多い理由」なんですよね。
「北海道の人間」では、ないんですよね。
私の知る限り、北海道の人間が、内地(北海道は植民地で『外地』ですから、宗主国である日本政府の政治中枢のある『本土』をこう呼ぶ習慣があります)の人達と比べて、とても多く酒を飲むようだ、という話しは聞きませんし、私自身も、そんなに変わらないような気がします。
(統計で見ると、北海道全体の一人当たりの消費量はソコソコ飲むほうのようですが、新潟・東京・大阪のほうが年間消費量は遥かに高いみたいですね)
私も、北海道の人間の平均より、北海道のアイヌのほうが酒のみが多いような気がするし、内地のアイヌにも、酒のみは少なくないようにも思います。
とりあえず、私の知り合いの範囲内では、酒が起因している事で問題が起きたり体を壊したりしている人の割合は、アイヌの方が随分多いのも事実です。
さらには、前述したとおり、アイヌ民族には伝統的に強い酒を醸造するという習慣が無かったし、酒を醸造するという作業も、それなりに手間のかかるものでしたから(昔は自販機も酒屋もなかった)、むかしから沢山酒を飲んでいたわけではないように思います。
酒がスキかキライかといえば、そりゃ好きだったのだとは思いますが(笑)
ですが、少なくとも、アイヌが伝統的に醸造していた酒(穀物から作る濁酒)は、アル中になったり、体を壊したり、家庭を崩壊させたり、前後不覚になるほどまで飲めるような酒では、ないんですよね。
私は、そんなに詳しくはないんですが、ロシアや北欧は、やっぱりアル中は多いんでしょうか?
やっぱり、寒い地方はよく飲むんですかね?
でも、居留地のインデアンとか、オーストラリアのアボリジニの人々のような、必ずしも寒いとはいえない地域の人々にも、アル中が多いらしいので、やっぱり経済状態は関係しているよなぁ。
自販機狙いといえば、俺が一昨日ジュース買おうとした自販機、カネ入れても何の反応も無いので管理会社に電話したら、後で電話がかかってきて「中身を盗まれて壊されていました」とのことでした。最近、日本でも増えたよなァ。
でもやっぱり、酒の自販機は清涼飲料水に比べたら少ないよね。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
にしやん さん、
ご投稿ありがとうございます。
この掲示板では、はじめましてですね。
このままでは、この場のロムラーの人達や、書きこみをしてくれる人、常連の方々などに、にしやんさんが何者かさっぱりわからないと思うので、とりあえずの自己紹介と、投稿内容の説明をお願いします。
ま、ここは誰が見ているかわからないネット上の掲示板ですから、ほんの軽くでいいですけどね。
ナナオキキサさんって、誰ですか?
ビッキと関係のあった人ですかね?
わたしゃ、1989段階では、まだ○学生だったので、よくしりませぬ…
http://www.alles.or.jp/~tariq/
bikki salmon swimming
nanao salmon swimming
allen salmon swimming
gary salmon swimming
black elk salmon swimming
issa salmon swimming
lao tsu salmon swimming
ezo wolf salmon swimming
ainu koroppoel salmon swimming
yamanba witch salmon swimming
maitreya buddha salmon swiming
northern cross salmon swimming
fair-weather cumulus floating
in october morning sky.
rosy fruits of mountain ash trembling.
i stand on the cemented bank
of the river teshio,hokkaido,japan.
a river straightened and strangled by man.
and on the bank,scattered eggs of salmon
left by a poachaer.
orion high in the evening sky
geese and swans head southward
maple leaves burning red
deer cry for love in a fir forest
botetus edulis and wild grape invite you into mountains
just before the sea of okhotsk
begins to shine with drifting ice
north pacific salmon return to mother rivers
where woods and waters nursed them years before.
salmon means
blood and meat to grizzly
fish of god to ainu
fish
of festival to japanese.
in the pebbly river
against quick running water
holding their energy
they wait and wait
and suddenly,thrusting their fins
they leap up the stream
--hurry to the spot of their birth and death.
following holy belt of destiny
tracing water thread of mystery
today they lay eggs
today they die here.
bikki sunazawa,legendary ainu artist
for him too the time has come.
while cutting a woodblock print of the fish of dod
he becomes a salmon.
having fish eyes,nose,scales,tattoos
spirals and soul
hs now a seventy-centimenter-long fish,bikki salmon.
pectral fin,dorsal fin,
ventral fin,adipose fin,anal fin.
under the river banks,heaps of trash
...tv sets,refigerators
...chemical flotsam in the water
...acid rain and radiation in the air.
against the flow of poison
against the flow of decay
mumbling heart sutra
bikki salmon swimming/
in this crooked generation
salmon moves straight forward.
now the ripples ripples in unison:
"sing,dance as the river flows!
sing,dance as life flows!
sing,dance with your friends!"
bikki salmon swimming
nanao salmon swimming
allen salmon swimming
gary salmon swimming
black elk salmon swimming
lao tsu salmon swimming
ezo wolf salmon swimming
ainu koroppoel salmon swimming
yamanba witch salmon swimming
maitreya buddha salmon swimming
northern cross salmon swimming.
bikki,bikki
bikki salmon swimming
in river teshio.
oct.1989
(koreppooel-mythological ainu goblin)
ビッキ ビッキ
ビッキ サーモン 泳いでいる
ナナオ サーモン 泳いでいる
アレン サーモン 泳いでいる
ゲーリー サーモン 泳いでいる
ブラックエルク サーモン 泳いでいる
一茶 サーモン 泳いでいる
老子 サーモン 泳いでいる
エゾ狼 サーモン 泳いでいる
コルボックル サーモン 泳いでいる
山姥 サーモン 泳いでいる
弥勒菩薩 サーモン 泳いでいる
北斗十字星 サーモン 泳いでいる
晴れ告げる積雲 冷たい西風
震える ナナカマドの赤い実
十月の朝 明けて
北海道 天塩川の岸に立っている
この川 今は まっすぐに曲げ直され
セメントで固めた 堤防の上
密魚者が落としていった 筋子 点々
オリオン座 夕空に高く
真雁 大白鳥 南へ羽ばたき
楓の葉 朱に燃え
山鳥茸 山葡萄 人を山に呼ぶ日々
妻恋し エゾ松の林にエゾ鹿鳴く 秋の盛り
オホーツクに 流氷光る前
生まれの水と森 なつかしや
季節たがえず 北太平洋から
母なる川さかのぼる 鮭の群れ
鮭とは ヒグマには 血と肉
アイヌには カムイチェップ 神の魚
ヤマトンチュウには ハレの日の魚
母なる川 小石多く
ここに待ち 力たくわえ さらに待ち
死と誕生つなぐ 浅瀬めざし
ぐいと泳ぎのぼる 魚たち きらら
聖なる必然のベルト たのみ
神秘の水の糸 たぐり
今日 ここに 卵産み
今日 ここに 命 果てようと
されば アイヌ生まれのアーチスト
ビッキもついに 時 満ちて
生 成 流 転
自ら刻む版画に 鮭の姿 借り
今は 眼あり 鼻あり 鱗あり 入墨あり 心ある
体長70cm 神の魚 ビッキ サーモン
胸ビレ 背ビレ 腹ビレ 油ビレ 尻ビレ
さても河川敷 今日かざるは
捨てられた テレビ 冷蔵庫 乗用車
流れに浮くは 農薬 酸性雨 放射能
毒と破滅の流れに さからい
般若心経 つぶやきながら
ビッキ サーモン 泳いでいる
この曲がれる世に
鮭の思い よこしまならず
さざ波 さらさら
歌え 舞え 流れのままに
歌え 舞え 命のままに
歌え 舞え 友ら つれだち
ビッキ サーモン 泳いでいる
ナナオ サーモン 泳いでいる
アレン サーモン 泳いでいる
ゲーリー サーモン 泳いでいる
ブラックエルク サーモン 泳いでいる
一茶 サーモン 泳いでいる
老子 サーモン 泳いでいる
エゾ狼 サーモン 泳いでいる
コルボックル サーモン 泳いでいる
山姥 サーモン 泳いでいる
弥勒菩薩 サーモン 泳いでいる
北十字星 サーモン 泳いでいる
ビッキ ビッキ
ビッキ サーモン 泳いでいる
天塩川 10月 1989年
そうなんですか? 私は寒いところに住んでいるからだと単純に考えていたのですが。
北欧やロシアはアル中がとても多いし、スウェーデンではお酒は専売店で平日しか買えません。
だいたいスウェーデンから日本へ旅行に行った人がよく驚くもののひとつに、お酒の自動販売機
があるんですよ。あんなものが道に立っていたら、こちらでは1時間もしないうちに略奪される
だろうといわれています。
これは、下の投稿の「おまけ」です。
●儀式で酒を飲むことから「アイヌといえば酒」というイメージが形成さた?
これは「いまのアイヌが酒のみだ」というのとは、ちょっと違うかもしませんが、気になったのでかきます。
アイヌの宗教儀礼には、いろいろなものがあるのですが、やはり中心になるのはカムイノミだと思います。
カムイノミってのは神に祈るって意味ですし、色々な神がいるし、一人゛手やるものもカムイノミですが、この場合はみんなで集まってやるタイプのカムイノミの事を書いています。
で、カムイノミは具体的になにをするのかというと、いろんな人が集まって、イナウを削って、ヌササンという祭壇を作って、酒を醸して、順番にお祈りして、みんなで酒を飲むわけですね。
当然、神の儀式ですから、ただのどんちゃん騒ぎでも、酒を飲む事がメインなわけでもないのですが、火とがあつまりますし、儀式の後にはみんなで踊ったり歌ったりして、楽しいものなわけですね。
古い資料に、明治期のアイヌの子供にアンケートをとったものがあるのですが、その中に「一番たのしいものは何」という項目があって、その1位とか位に、カイムノミとかイヨマンテというものがはいるほど、楽しいものだった。
カムイノミでは、多くの場合酒を飲みます。
これはなんの為の酒かと言えは、まず第一に、神と先祖に送る酒で、さらには人間が飲むのも供養になるので、みんなで飲む。
この「アイヌが大切に、楽しみにしている儀式」を、政府が禁止する際に、アイヌは昼間から(カムイノミは大抵日中にやります)集って酒をのんだくている、これは野蛮な行為だ、という事を言っていた時期がありまして、このような事も「アイヌと酒」のイメージ形勢につながっていたのではないか、とも思います。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
あゆえるさん、ご質問ありがとうございます。
アイヌには、なぜかお酒が好きというか大酒飲みの人が多いと思う、とのことですが、私もそう思います(笑)。
何故でしょう?
おもな原因は三つあると思います。
●酒を飲まないとやってられない。
別に、この現象はアイヌだけではないのですが、色々と大変なことがおおいと、酒をのまないとやっていられない事は多いと思います。
この場合の「大変なこと」とは、いわゆる「アイヌに対する」差別や無理解だけではなく、経済的に厳しかったり、日雇い状態の人が少なくなかったり、という、色々な要素を含みます。
どう大変かというと…
http://www.pref.hokkaido.jp/kseikatu/ks-soumu/soumuka/ainu/jittai.html
のページにある、就業者の状況、生活保護の状況などの調査を見てください。
なお、この調査は大変意味のある調査であるとは思いますが、この調査によって「アイヌの人口は約2万4千人」という判断を下しているのは、アイヌのおかれている現在に対して、かなり無理解な姿勢であると思います。
また、アイヌの人口の推計を出すことの微妙さについては、下記参照の事。
http://bbs1.otd.co.jp/paetok/bbs_thread?base=635&range=5
●長い間、政府や商人などによって、酒(清酒・蒸留酒など)は対アイヌ戦略として利用されてきた。
「アイヌは酒のみが多い」というイメージを持っていた人には以外な話しかもしませんが、先住民族の多くはアルコール分解能が低く「酒に弱い」といわれています(いまのアイヌが弱いかどうかはしりませんが)。
たしかに、どぶろくのようなものは、アイヌも他の地域の先住民族も、わりと作りますが、工程の複雑な清酒や、焼酎のような蒸留酒は、それなりに都市化の進んだ「先進地域」でしか作れませんでした。
ですから、多くの地域の先住民族は、強いアルコールら接した歴史が浅く、多くの場合「酒に弱い」状態だったのです。
とはいえ、弱いのと「愉しまない」のは別ですよね(笑)。
とくに、アイヌの場合は、儀式の際には酒(手作りの弱い物です)がつきものでしたので、強い酒の影響力は強かったのだと思います。
商人や政府の役人達が、アイヌとの交易の際、強い酒をかならず用意して、ゴキゲンをみとって、飲ませてフラフラになった所で、フリな条件の契約にサインさせたり、借りを帳消しにしたり、殺されたり、という事は、日常茶飯事で行われていました。
古い話しでは、かのシャクシャインの蜂起の際、和睦の席でシャクシャインを暗殺したのも酒宴の席でしたし(余談ですが、八岐大蛇とか酒呑童子も酒宴の席で殺されていますね)
わりと最近の話しでは、アイヌからクマの毛皮とか木彫りを買い取っていた商人が、アイヌが商品を持ってくると、まず酒を飲ませてもてなして、気が大きくなった所で安く買い叩いたり、金額をごまかはしたりした、という話しは、枚挙にイトマがありません。
そして、現代の話しでは、なんかのイベントでアイヌ呼んだときに…おっと、これはやめておきましょうか(苦笑)。
このようないきさつがあるので、アイヌはより貧乏になっていき、前項の理由と合間って、サラニのんだくれていく、という事が、少なくなかったのだと思います。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
アイヌの人に知り合いが多いのですが、なぜかお酒が好きというか大酒飲みの人が多いと思うのですが、昔からそうなのでしょうか、
アイヌノコさんだけではなく、私もロドリーグさんに「悪気がない」のはわかっております。
このような「方向性で話し」をする人は、いわゆる「和人」の人には、
とても多いですし、その殆どの人が、ほぼ確実に「悪気はない」のだと思います。
ですが、だからこそ「悪い」のだと思います。
悪気があって言っているなら、無視すればいいだけですからね。
例えば「仲良く話しをしたい」「文化の話しをしたい」という感じで話しをしてくる方は、少なくありません。
そして、今回のような状態になる事も、少なくはありません。
さらには、私とおなじように「なんか変だ」と内心は思っていても、なかなか相手に伝えられずにいる、似たような境遇のアイヌも多いのではないか、と思います。
何故かと言えば「まずは衝突をせずに場を維持しなければならない」という同調圧力が「おはなしの場」には常あり、アイヌはいつも小数派で「話しをしていく立場、聞いてもらう立場」にある事が多く、強くいえないんですよね。
ですが、アイヌ同志で集まった際にだけ「和人ってこういう所がヘンだよね」と言って傷を舐め合うのは、私は好きではありませんし「悪気はないから」といって放置するもの、かえって相手に失礼だと思います。
その点、アイヌノコさんの言葉
『悩みが無いことが悩みと言っていることに等しい』
は、私の言いたかった事を、かなり的確に表していると思います。
何がどう問題かは、既に説明しましたので、もう書きませんが、
「言葉遣い」のレベルの問題ではないのだ、という点をご理解頂きたいと思います。
私は、その点を理解さずにただ謝ってもらっても、ちっとも嬉しくありません。
世界を変える前に地域を、地域を変える前に家族を、家族を変える前にあなたが、まず変わってください。
上記の文は、mintaraの下記の投稿に関連しています。
1786 うーん 2003/04/17(Thu) {107} Time00:35
Reply アイヌノコ つかまり立ち 一介のアイヌ 北海道(アイヌモシリ) ***
ロドリーグ。さん、はじめまして。
アイヌといっても人それぞれなんで、私の個人的な意見なのかもしれませんが…
普通に生活していても、自分は和人ではなく、アイヌなんだと痛感させられる場面に多く出くわします。
周りを見渡せば、私だけではなく、自分が何者か、ということを、考えたくなくても考えざるを得ない状況に置かれてしまっているアイヌは多いです。
その辺の状況については、既にEsamanさんが色々と説明しているので書きませんが…。
>違いに目をやるだけでなく、類似点にも着目すれば、ああなるほど、と思うことはたくさんあると思うのですが。
>ひとりひとりが違っていて、それだから面白いのだけど、似ている部分もあるなあ、と思えば、それはそれでまた新たな視点を与えてくれることもあると思います。
と、思える余裕もあまり無いわけで、あるとすれば伝統文化についての話題のときくらいでしょうか。ルーツ云々となるとなあ…。
アイヌ民族としての自分の根幹を成すものの中には、今まで和人がアイヌにしてきた事、奴隷だったり虐殺だったり同化政策とか、今もされ続けていることに対する憤りも含まれているので、
「自分がナニモノかもわからない」「モンゴロイドと言うことで安心する」
と、和人がアイヌに対して言う事は、逃れられない悩みがある人に向かって、「悩みが無いことが悩み」と言っていることに等しいと私は思うんです。
ロドリーグ。さんに悪気はないのはわかるんですけれども…。
…と、ここまで書いて、Sampe投稿したほうがよかったかな…と思いつつ時間がないのでこのまま投稿します。それでは。
http://bbs2.otd.co.jp/mintara/bbs_plain?base=1786&range=11
アイヌノコさんが「悪気はないのは分かる」とおっしゃって下さったので、まだちょっと救われたような気もしますが…
文化的なことを知りたくてここへお邪魔したのですが、こちらの言葉使いの不手際で、イヤな気分にさせてしまってごめんなさい。
でも、書き込みを読ませていただいて、ちょっと思いました。
その、いわゆる和人の(ワタシも和人ということになるわけですが)してきた勝手極まりないことによって、間違った研究結果がもたらされ、誤解や無理解が起こり、それが今も続いていて…
アイヌとして余裕を持って生きられるには、それじゃあ、どういうことが必要なのでしょう…
世界がどうなったらいいんでしょうか?
念のため言っておきますが、決して何かけしかけようというつもりは全くなくて、純粋にどうなったらいいのかが知りたいのです。
ワタシが何かできるかどうかはわからないけれど。
「何も分からん、できんやつに話しても」って思われても仕方ないけど…
あと、モンゴロイドという言葉は、確かに本来は人をカテゴライズする言葉のひとつだから、いいと思われないのは分かりました。
肉体的な特徴から区別する言葉でありながら、そういうこと自体が無意味なのも分かります。
うーん、なんかうまく言えなくてごめんなさい。
決してイヤなことを根掘り葉掘りして聴こう、と思ってこちらにやってきたわけではないのですけれど…
すみませんでした。失礼します。