何かがないと不安なのは、アイヌだって同じ事ですね。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月 7日(日)17時55分08秒 YahooBB218179212094.bbtec.net

>>回天さんの
「憂慮すべきは・・・」の投稿に関して、思うところがあったので書きます。
一連の私の書きこみと内容的には関連しますが…

>それは、つまるところ、自分は何者であるかとの認識が恐ろしく脆弱で、何らかの後ろ盾、あるいは社会的にという意味合いとは違った形での帰属意識の持てる何かがないと不安なのでしょう。
>これらは誠に憂慮される事柄で、良くは存じ上げませんが、だからこそそこに答えがあるかのような錯覚、幻想を抱いてここで言えばアイヌに必要以上に入れ込む人がいるのでしょうね。

思うんですか「自分は何者であるかとの認識が恐ろしく脆弱」であるという部分においては「アイヌの子」少なからぬ部分についても、同様なのではないかと思います。
(同化政策とは、つまりは、その種や芽を刈り取る作業だったわけですし)

確かに、おっしゃる通りに「誰々はどこそこの民族の血を引いてるらしいよ」と聞くと、変に持上げたり畏まって話を聞いたりしてしまう和人は多いと思いますが、そういう視線でみらるアイヌの方が「自分は何者であるかとの認識が確固してある」かといえば、実際はそうてもないのではないですよね。

じゃあ、和人とアイヌは「同じく不確か」なので、似たような境遇かといえば、そう単純ではない。

差別的な視線であれ、憧れを含んだ視線であれ、常に『とくべつな人』と見られる事の多い境遇…つまりは「アイデンティティを持つ事を要請される」側と、
同様の質問を視線を自分が向けられても困るのに、他者に対してはいつも『ふつうの人』として何かを要求する事の出来る境遇…つまり「他者にアイデンティティを常に要求する側」側との違いは、かな大きいと思います。

その力関係の存在に対し自覚的になって、色々と新調に踏め舞う事を求めたものが、先の私の投稿の趣旨だと思っていただければ幸いです。
なんか、わかりにくい書き方で申し訳ないのですが。

あと、注意したいのは、上記の話しは「アイヌと和人」の構図で考えると、という話しでして、
「アイヌ同士」でもそういう権力関係はあるし、視点を変えれば当のアイヌも『ふつうの人』となって他者にアイデンティティを無神経に要求したりする側に回る、という事は忘れてはならないと思います。


…アイデンティティが不確かであるので(あるいは、掴み方が不明瞭なので)「なかま」で集って、フィーリングや行動パターンの違う相手を排除していく事を通じて「我々と言うアイデンティティ」の醸成を計る、という事も、アイヌに限りませんが、よくある事ですよね。
アイヌといっても、視点を変えればタダの差別者の一人、気をつけねばなりません。

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「アイヌのご家族になった和人」に関する、Esamanの意見表明。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月 7日(日)17時51分56秒 YahooBB218179212094.bbtec.net

私は血統主義ではなく、立場主義です。

>>回天 さん

「アイヌとして生きる」事が許せない云々…を巡る話し、本来はhoyhoy氏へのレスですが、私にも思うところがあったので、書かせていただきたいと思います。
また、回天さんの文中の「純血主義」は「血統主義」という言葉にしたほうが、問題点がわかりやすくなったのではないかと思います。
「血統」も「純血」も、そんなんどっちにもこたわりたくない、と考える人から見たら些細な違いに見えるかもしませんが、内容は随分違う物でからねぇ。

>「俺はアイヌの輪の中に入り、和人ではあるが、アイヌとして生きていく。」端的に言えばこういう事だと思います。

私は、和人の方に「好きだから」とか「興味が向いたから」という理由で「アイヌとして生きる」事を「自由に選択」されたら、やだなぁと思います。
「アイヌの子(同時に和人の子であったとしても)」には、アイヌとしてしか生きられない部分だってあるので、好きキライで決められたら、ちょっとたまりません。

何故かと言うと、和人の方々は、アイヌを植民地化支配した当事者であり、今もその「恩恵」を享受している当事者です。
いま現在、アイヌの少なくない部分は、植民地支配の影響によって苦労していますが(「アイヌとしての苦労」の少なくない部分は、端的に和人の植民地支配の産物です)、
和人の多くの方々は、いま現在も「和人であること」に関して(アイヌほどには)大きな苦労を迫られる事か少ない事を考えますと、和人がアイヌになっちゃうのって、イイトコ取りだなぁと思います。
「和人としての責任」を果す為には、その「苦労の違い」に配慮して、和人である自らの立場を忘れない事だと思います。

ですが、あるアイヌと縁あってご家族になった和人の方が、生活を共にする人への共感として、生まれてくる子供達(つまり「アイヌの子」)への責任として、アイヌたろうと勤めることは、良い事ではあっても批判さるものではないと思います。

もっとも、そういう境遇の人が「アイヌとしてのアイデンティティ」を持たれる事があるかどうかについては、私は、よくわかりませんけどね。
私自身も、若年層の他の多くのアイヌと同じく、生まれた瞬間から「アイヌ」として連綿と生きていた訳ではないのも確かなので、
(私の中の「アイヌ」は、周囲の「和人」の対応(良くも悪くも)や、先達アイヌとの対話の中で徐々に「醸成」されていったものです)
「和人の子」として生まれた人でも「アイヌとしてのアイデンティティを獲得」する事も、場合や環境によってはあるのかねー、とも思ったりすると同時に、アイデンティティとは虚構であり信用できないぞ、とも思っています(どっちよ)。

どっちにせよ「アイヌの家族になった和人」がアイヌとして居きるのには、微妙な物が付きまとうので、自分からアイヌだと言ったりする人は少ないと思います。
私のよく知る方にも何人か、そういう境遇のご家族を持つアイヌがおりますが(極めて『フツーの事』です)、自分から「アイヌになった」と公言する例は、殆ど聞いた事がありません。
きっとみなさん、周囲の方々の気持ちを配慮しておられるのでしょう(個人的には、そういう圧力ってヤだろうな、って思いますが)。

結論:
ご家族との関係もあることですので、回天さんの書かれていたような境遇の人にたいして「和人なのかアイヌなのか」を第三者が判断をする資格、詮索する資格は、誰にもありません。
同時に、ご家族との兼ね合いもある問題に対して、周囲の他人が、ウタリとかシサムとかシャモだとか言う呼称によって区分け(あるいは認証)する権力(明確な権力行使ですね)も、持つべきではありません。
そのような呼称の使いわけは、和人という政治的立場に操作を与えている(つまり「良い和人」「悪い和人」)、という事にすぎないので、容易に「好きでやっている人達のわがまま」に援用されるキケンもあるので、アイヌも和人も軽軽しく使うべきではないと思います。
(簡単にいうと、私は○○というアイヌに認められたのでシサム(ウタリ・他)だ、等)

どのような状況であれ、ある個人を「シサム(あるいはウタリ)と認定」する権力を容認してはならないと思います。

また、家族になった境遇の方々と「好きだから」関わっている方々とを同じように一括りにする「責任の度合い」の違いが深刻ですので、そもそもが失礼な事かとも思います。

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私は、和人の方には「晴れの舞台」などでは一歩下がって欲しい、と思ってます。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月 7日(日)17時43分29秒 YahooBB218179212094.bbtec.net

とはいえ、私は血の有無によって権利に差が出るなんて事は、私は考えておりません。
この部分については「前回の荒らし襲来時(2000.11-12)」にも、丁寧に書いた覚えがあるので、過去ログを見られた方は知っているかもしませんが…

私も、私の友人の多くもそうですが、今のアイヌの多くは、アイヌとして、積極的に名乗り出る人も少ないし、名乗りたいと思っても、自身をアイヌだと確認できるものが、少なくなっています。
そして、ここしばらく展開されているような「おまえは、らしくないと思う(フィーリング?)」程度の理由で「ニセモノ」などと吹聴したりするタチの悪い人々がいることもあり、アイヌの子が自身の中のアイヌを取り戻す事を巡る状況は、極めて厳しい物になっています。

そんな中『アイヌが主役となっているはずの開かれた空間』において、儀式を和人の方が取り仕切ったり、大きな顔をして踊ったりしているのを見たら「手許に何も残されていないアイヌの子」は、やはり大なり小なり、落ちこむ訳ですよ(私もそうでした)。
立場性の問題を考えますと、上記のような事は「和人によるアイヌの搾取」を再現してしまう可能性があるのです。

最も、ただ好きで踊っている和人と、和人として生まれても、御家族がアイヌで、子供もアイヌである方とは、この場合の「和人」とは、立場制が違うので、一緒にすべきではないと思いますが

そんな訳で『不特定多数の人がやって来る(事情を知らずに、何かを取り戻そうと思ってやってくるアイヌの子もいるはずです)、晴れの舞台』においては、アイヌが主役になるようにしてほしいなぁ、と思っています。
これは、私や私の友人達の経験を踏まえ、アイヌの先達にも、和人の方々にも、等しく言いたい事です。

とはいえ、この「晴れの舞台」には、観光地や博物館での営業や日常生活の中での参加は、全く含まれておりません。
観光地や博物館での営業は「不特定多数の人がやって来る晴れの舞台」とか「アイデンティティを再確認する場所」とはちょっと違うような気がしますし、日常の中とか、御家族の間での出来事に関しては、そういうの(誰が和人とかアイヌとか意識がとうとか)を、赤の他人の私(及び全ての人)がとやかくいう事は、できることではない、と思っているからです。

結論:
私は、アイヌの活動に関して、和人が参加する事に「許す・許さない」権力を自分が握っているとは思いません。
ですが、お互いの民族の経緯と、多くの「アイヌの子」が置かれている『多分に喪失的な立場』を配慮する上で、(アイヌも和人も共に)慎重に振舞って欲しい場面も多く存在するのではないか、とは思っております。

…hoyhoyと称する人が、和人の方が「アイヌとして生きる」事が許せないと言っている具体的理由については、是非ともお聞きしたい所です。
説明責任がありますよね。
ま、感情的な部分については、全くわからない訳ではないのですが(上記で説明)、「ただ気に入らない」と言うだけでは、非常に子共っぽい意見である事も確かですよね。


>チャランケがどういったものか私は存じませんが、今までの流れからいってとても公平なものとは思えないのですが。

ここしばらく「襲来者達」によって展開さているものは、公正でないですし、野蛮極まりない「誹謗中傷行為」です。
アイヌの行っていたチャランケとは、比べるべくも無い物ですよ。

「チャランケ」という言葉を使う場合、アイヌが昔から紛争解決方法としてとっていた手段(公平・非暴力の徹底した話合い)を表す場合と、訳語として「議論・談判」一般を表す場合と、二つ方向性が考えられますが(アイヌ語は今に生きる言語です)、どちらの意味にとるせよ「襲来者達」の所業には、チャランケと言えるものは欠片もございません。
ただのヤジで、議論にすらなってませんもんね。
名乗りも出来ない人間(hoyhoyと称する人の火事を笑う人、など)が、特定の人物を誹謗中傷するなど、和人の世界でも「よくない行為」になりますよね。

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私のサイトを攻撃すると、金が出ないとしても「利益」があがりますよ。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月 7日(日)17時35分45秒 YahooBB218179212094.bbtec.net

>>Awamorista さん

だから、攻撃してくるなんですよ。
私を妨害できるし、同時に自分を宣伝できる。
言うなれば、私掠船戦術みたいなもんですかね(厳密に言うと違うけど、植民地支配的ヘゲモニー抗争から考えると、オモロイ例えではある)。

ま、いずれにせよ、カネは出なくとも(本当の所は知らんよ)、業務である点は確かですね。
その点の、Awamoristaさんの印象は正しいと思います。


>>リンダさん

>当然アイヌの私の言動をチェックしてくださっても結構です。

今回の襲来も、前回の襲来も、同じくリンダ氏の目的は「こっちにも注目して」だという事はよくわかっておりますよ(笑)。
同じく騒ぐならば、徒党を組んで派手に騒いだ方が目立つってもんてしょうし。
タチか悪いですねェ。
そちらでこっちの宣伝もさせて頂いたとしても(あなたのように荒らさないのでご安心を)どう考えたとしてもこちらの損ですねぇ。

>だいいち、エサ君がアイヌではなかったら、彼がアイヌとして発言してきたことは根本から揺らぐとは思いませんか。

私がアイヌでない、なんて事はないので、その可能性なんて考える必要がないです。

さて、ならばリンダがアイヌでないとしたら、どうなるかなぁ?
あなたが「和人ではない」確たる証拠もないのでしょうし。
とはいえ、私は、あなたのように証明のしようのない事を「わたしはそうおもう、わかるんだ、みんな聞け、家に来い」なんて駄々捏ねたりしないので、ご安心を。


>だから我々アイヌ同士は、共通のもやもやを持つもの同士としてお互いに出会うのです。

残念ながら、アイヌ同志だからといって、皆同じとは限りません。
あなたの「我々アイヌ同士」は、あくまで「あなたのお友達」でしかなく、アイヌ一般ではありません。

だいいち、同じくアイヌと言っても「血統やんごとなき」あなたと「何処の馬の骨とも知れない」私の抱える問題が共通なわけがないでしょうよ。
(今回の襲来は、その点(つまり差別)を利用した点が、前回より数段「タチが悪くなって」いますね)
人によっては、もやもや以前に、差別さることへの恐れや怒りだってあるわけですし。
少なくとも私のような境遇の人間が(つまり「馬の骨アイヌ」←表舞台には出にくいでしょうが、沢山いますよ)、差別に関して鈍感すぎるあなたと『それ』を共有できるとは思えませんねぇ。

>そのもやもやを持つもの同士は互いにそれと「わかる」のですよ。アイヌ同士でいて「らく〜」なのは口に出さなくても「わかる」から。
>だけどエサ君にはそんなもやもやは感じない。なんかへんなルサンチマンらしきものは出てるけどね。

「わかる」んてすか?
まるで霊感でもあるみたいですな(笑)。

ま、あなたが、あなたのツルんで「らく〜」なシンパをニオイで嗅ぎわけらるとしても、それはあくまで「あなたのシンパ」であって、アイヌ一般ではない事くらい気がついた方がいいですよ。
あなたの騙る「我々アイヌ」に、言い知れぬ脱力感を覚えるアイヌは、私だけではありすまい。
「和人」が均質ではないのと同様に、「アイヌ」といっても均質ではない事くらい、緒分かりになりませんか?

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私は、覚悟はできてますけどね。 投稿者:oripakEsaman 投稿日: 9月 7日(日)17時34分19秒 YahooBB218179212094.bbtec.net

でなければ、このなサイトを運営したりしないでしょう(笑)。
何も考えずに開始した運動ではなかったにせよ、これほどタチの悪い足の引っ張りをするアイヌがいるとも、それを見ぬけない人間がいるとも、想定していなかったのも確かですね。

>>しょたぼんママさん

>>そして、伝承者のフチならば、あるいは、著名な活動家の親類ならば、そういう時に名前を出しても効果はあるのでしょうが、そうでもない市井の生活者達は、名前を出しても効果がないばかりか、迷惑がかかるばかりですよ。
>伝承者のフチであっても、活動家であっても、市井の生活者であっても、差別者から見れば皆同じアイヌです。偏見の目にさらされるのは変わりありません。

少々文脈を誤解されているようです。
私も「伝承者のフチ」や「著名な活動家」が、差別者からの対象外になるとは全く思っていません。
伝承をしている方や、活動家は、そういう攻撃に多少は強いかもしれませんが…それはここで問題になっている話とは違います。

私が「そういう時に名前を出しても」と言っているのは、
「おまえほんとうにアイヌか? 俺は全く知らないぞ(そういうおまえこそ誰よ?)」という不躾なことを言われた時に、「伝承者でも活動家でもない」親類の名前を出しても意味がない、迷惑なだけだ、という意味で言っているのです。
ここに襲来している面々のように、悪意ある質問者であるのは確かですから、そんな連中に親類縁者の情報が漏れたらエライことです。
アイヌといっても、人間としては和人と同じ、極悪人もいますからね。


>あなたが仰るとおり、「自分はアイヌだ」と知られたくない方が
>その中にいらっしゃるのであれば、既に迷惑をかけてしまっているのでは無いですか?

>あなたが、身内の方の心配をなさるのであれば、「アイヌ」として活動を続けるのは
>困難に思えますが、いかがですか?

ご心配ありがとうございます。
無頓着に、自分の親戚中アイヌだよと言って回れる無神経な人間達(現在襲来中)には、わからない事だと思って諦めておりましたが、しょたぼんママさんは問題の存在は理解しておらるようですね…
抱えるリスクは、そのアイヌによって随分違います。
中には、親戚中アイヌだという事をネガティヴに捉えていない人(カミングアウトの有無とは別)もいれば、逆の御家族もいますからね。

とはいえ、私の親族に「既に迷惑がかかっているか」「迷惑がまだかかっていないか」については、お答えする必要はないと思っています。
プライバシーに関わる問題ですので、問題の存在の有無にすら、答えられません。
(健康な人のカルテの「健康」という情報の開示自体が、プライバシーの侵害にあたります)

…しょたぼんママさんにおかれましては、そのようなキケンがある場合、どのような行為が最も望まれるか、どのような行為が最も嫌がらせになるのか、お考え下さい。

私は、しょたぼんママさんの知っておられる伝承者のフチが、伝承活動を止めたりしなかったのと同じ理由で、自らの活動を止めることはありません。
ですが、誰それが自身の親類である、という情報を開示して回るほどマヌケでもありません。


あと、和人X氏へのレスへの横槍になりますが…

>他の皆さんは、この議論を冷静に受け止めて意見を述べられていますが、
>あなたは「荒らし」と思っていらっしゃるのですね?

私からみますと「ここしばらく連携して襲来している人者」のしている事は、明確に「荒らし行為」の一種であって、議論と呼べるような内容ではありません。
実際に、ここの掲示板での「一連の荒らし行為」を見て、気分を悪くして寝こんだ、鬱になった、吐いた、という方もいると聞いております(複数)。
削除ナシの原則を守ることも管理人としての責任ですが、来場者の方々にかような被害が出ている可能性があるのであれば、同じく管理人として申し訳無いとも思っています。

また、しょたぼんママさんの書きこみにある「私たちアイヌにとっては大事な話」は「私たちにとっては大事な話し」にすべきでしょうね。
…この際、はっきりと言っておいたほうがいいと思うので書きますが、いつからあなた、あるいは貴方がたが「アイヌの一般意見を代表する資格」を持ったのでしょうか?
そんな事(アイヌにとって〜が〜である)を宣言する権力は、あなたにも、わたしにも、何処の誰にも、全くありませんよ。

「私というアイヌ(つまり『私』)にとって、〜が〜である」という事は、言えると思いますが。
私は、常にそう発言しています。

http://www.alles.or.jp/~tariq/


訂正します 投稿者:回天 投稿日: 9月 7日(日)15時04分41秒 zaq3dc048ce.zaq.ne.jp

トライバル「ムーブ」では無くトライバル「ブーム」です。


憂慮すべきは・・・ 投稿者:回天 投稿日: 9月 7日(日)14時57分02秒 zaq3dc048ce.zaq.ne.jp

リンダ殿。
建設的な意見交換が出来、とても嬉しく思います。
では、また貴殿のページにお邪魔させていただこうかと存じます。

DOTTI殿。
先だっては「DOTII」と書き間違えたことをお詫び申し上げます。

poronup殿。
確かに今は、例えばクラブシーン等においても、トライバルムーブだとかで、ファッションとしての民族的なるものがもてはやされていると聞きます。
そこで想像するに、例えばまだまだ自己のアイデンティティー形成が未熟な和人の若者が、誰々はどこそこの民族の血を引いてるらしいよと聞くに及ぶと、何かしらの羨望にも似た感覚が沸き起こってくるのでありましょう。
また、私の周辺にいる方々も白人などに対し、強烈なコンプレックスを持っているケースが多く、何故だか彼らの言う言葉にあたかも奉るが如く耳を傾けているのです。
それは、つまるところ、自分は何者であるかとの認識が恐ろしく脆弱で、何らかの後ろ盾、あるいは社会的にという意味合いとは違った形での帰属意識の持てる何かがないと不安なのでしょう。
これらは誠に憂慮される事柄で、良くは存じ上げませんが、だからこそそこに答えがあるかのような錯覚、幻想を抱いてここで言えばアイヌに必要以上に入れ込む人がいるのでしょうね。
先に申した通り、手前味噌ではありますが、私はあくまでも日本人であると積極的に認識しておるので別の国の人達と思想や歴史認識の話をする時(ままあるんですよ)は、堂々と日本人として議論しています。逆に一歩間違えば喧嘩になってしまうんじゃないか位の方が相互理解が深まるんですよね。


アイヌと共に生きるからこそ 投稿者:リンダ@愛の乳首DAYまじか 投稿日: 9月 7日(日)14時10分56秒 YahooBB219045044153.bbtec.net

>回天様
アイヌと共にある方ほど、自分はアイヌだとはおっしゃらないものだと思います。よく状況が理解できるようになるからだと思います。
私の叔母も、アイヌである叔父と結婚して何十年、アイヌの伝統一般に精通していまや地域のアイヌに教える立場で、違和感なく儀式に参列しますすが、「自分はアイヌ」だとは言いませんよ。叔母は九州生まれなので、自分は九州アイヌだとよく冗談を言いますが。
さて、回天様。いつでも我がホームページにおいでください。歓迎いたします(*^^*)

http://www.h2.dion.ne.jp/~ainu/


(無題) 投稿者:Elskain 投稿日: 9月 7日(日)13時30分04秒 O078130.ppp.dion.ne.jp

Esamanが主張していることは、アイヌとは氏にとって掴み取るものらしいので
まるでアイヌとは宗教じみたものの様で、それに皆さんが共感されてる?ことが理解出来ません
でしたのでノーコメントとさせて頂いてました。

下記、リンダさんが解り易く説明してくれましたね。私も同感です。

遅くなりましたが、Dottiさん
はじめまして、こちらこそ宜しくお願い致します。


ああ、なる程。 投稿者:回天 投稿日: 9月 7日(日)12時34分06秒 zaq3dc048ce.zaq.ne.jp

リンダ殿。
「シサム」、「ウタリ」としての受け入れ方で良い意味で区別しているという事ですね。納得と共に安心いたしました。
ふと思ったのですが、私の知る御仁も実のところは「あほか〜っ!!わしは日本人じゃいっ!!アイヌと一緒にするな!!」と笑いながら言ったりするかも知れませんものね。
ただそれはやはり愛した女性がアイヌで、ずっとそばに寄り添って来たものだけが言える言葉ですし、それを言っても照れ隠しなんだろうなと周囲に理解されるだけの信頼に基ずくこの関係こそが大切なんでしょうね。
あと、リンダ殿に関しては、リスクを背負って追求しておるものと当初より評価しておりましたのであしからず。
また今回の件が一段落したらそちらの掲示板にお邪魔させていただいてよろしいでしょうか?


シンパの方たちの矛盾が不思議でならない今日このごろ 投稿者:リンダ@愛の乳首DAYまじか 投稿日: 9月 6日(土)22時50分14秒 YahooBB219045044153.bbtec.net

>Awamoristaさん
別にお金なんてどこからも出なくても、エサ君がアイヌを看板に活動している以上、アイヌが彼の言動をチェックするのは当然のことです。でたらめが通る世の中では困りますからね。当然アイヌの私の言動をチェックしてくださっても結構です。
だいいち、エサ君がアイヌではなかったら、彼がアイヌとして発言してきたことは根本から揺らぐとは思いませんか。
彼がアイヌではないとしたら、彼の今までのいろんな攻撃は、すべてエサ君自身に跳ね返ってくるのですよ、だからこそエサ君は絶対に自分がアイヌではないことを認めないのではないですか。
「彼がアイヌでなくてもいい、彼はいいこといってる」では、その「いいこと」の中身を理解していないことになりはしませんか。
この矛盾はどうなさいますのやら?

http://www.h2.dion.ne.jp/~ainu/


アイデンティティが揺らぐ和人さんたちへ 投稿者:リンダ@愛の乳首DAYまじか 投稿日: 9月 6日(土)22時34分06秒 YahooBB219045044153.bbtec.net

アイヌではない人が(もちろん養子は除きます)なぜ無理にアイヌにならなきゃいけないのですか?
その人たちはアイヌではないのだから、我々はその人たちをアイヌではないと言います。
ただし、良く我々を助けてくれる人たちを良き隣人「シサム」と呼び、あるいは仲間・親戚「ウタリ」と呼ぶかもしれません(後者はなかなか無さげですが)。
これは排除しているのではありませんよ、シサムやウタリとして受け入れているではありませんか。
民族の生まれながらの境界は、揺らいでいいものではないはずなのに、なぜこうも簡単に自分の民族を忘れる事が出来るのかが私には不思議でなりません。自分の民族を忘れる人たちがアイヌ民族を尊重できるとは思えないのですが。
和人としての生まれて生きるのがそんなに嫌なのかなぁ・・・?。

アイヌとして生まれて、そのことに向かい合いながら生きていると、もやもやってしたものが生まれてきます。
悩まざるをえないんです。私はなんなんだろう、アイヌでいいのかな、和人になりたいな、それとも日本人かな、とかね。
どこでどんなふうに生まれ育っても、そのもやもやっとしたものの正体はかなり一致しているのです。
だから我々アイヌ同士は、共通のもやもやを持つもの同士としてお互いに出会うのです。
私はアイヌにあったら嬉しくって嬉しくってにこにこです。自分がアイヌだということを受け止めていない方はそうではないのかもしれませんが。
そのもやもやを持つもの同士は互いにそれと「わかる」のですよ。アイヌ同士でいて「らく〜」なのは口に出さなくても「わかる」から。
だけどエサ君にはそんなもやもやは感じない。なんかへんなルサンチマンらしきものは出てるけどね。
私にはエサ君がそのルサンチマンを、アイヌ特有のもやもやに見せかけて理屈を構成しているようにしか見えないのです。

回天さん
私は「リスクを背負って言動一致」しますよ。それがようやく自分なりに納得できたのでアイヌって名乗ってあちこちに出没してるのです。名刺や本や雑誌に載る際もリンダですし、現実でもリンダです。社宅の郵便受けにまでリンダって書いてあります(笑。
万が一エサ君がアイヌなら、何してでもお詫びするのは当然のことです。

http://www.h2.dion.ne.jp/~ainu/


何が目的? 投稿者:Awamorista 投稿日: 9月 6日(土)21時55分32秒 YahooBB218142162104.bbtec.net

「〜らしさ」なんて他人に求める人間を相手にすることない。
時間の無駄です。そんな程度の人間は放っておきましょう。

そんなレベルの人間のカキコミなんて、信じていないけれど、
でももし二分の一アイヌでなかったとしても、それが何なの?土下座したとしたら何なの?
そんな下らない問題にいつまでも一生でも勝手にこだわっててくださいね。
それとも、どっかから金で雇われて、業務としてやってるわけ。どうでもいいけど。
ぼくは、このHPの随所で展開されてるEsamanさんの鋭くかつユニークな主張をとても参考にさせてもらっています。今時そんなには出会えませんよ、これほどの意見には。


連続で申し訳ないです。 投稿者:回天 投稿日: 9月 6日(土)21時11分00秒 zaq3dc048ce.zaq.ne.jp

hoyhoy2殿。
「アイヌはもっとおおらかでやさしい」は、あくまで貴殿の主観であって、私はそうでないアイヌも知っております。
それはアイヌに限らず人間の事としてですので、鍵括弧内だからEsaman殿はアイヌらしくないとは、何ら具体的根拠にはなり得ません。
加えてアイヌらしくないという事で、アイヌでないと断定するならば、単に憶測に過ぎず、やはり直結しない事柄の為、具体性に欠きます。
また、「アイヌ(人間らしいということ)らしくない」のであれば、むしろ裏を返せば、個人に対する中傷になってしまうので、もう少し慎重な発言を求めます。
もう一度お尋ねします。
「アイヌでないと断言できる」具体的根拠をお教え下さい。


私信、ご容赦ください。 投稿者:回天 投稿日: 9月 6日(土)20時39分00秒 zaq3dc048ce.zaq.ne.jp

しょたぼんママ殿。
先程リンダ殿のホームページ内BBSにてDOTII殿の書き込みにより私も「しょたぼん」を「しょぼたん」とうっかり勘違いして書き込みしていた事に気が付きました。
どうも申し訳御座いませんでした。

DOTII殿。
誠に有難う御座います。


(無題) 投稿者:hoyhoy2 投稿日: 9月 6日(土)20時29分33秒 YahooBB220001012137.bbtec.net

回天殿へ:こちらの件に関する具体的根拠を挙げていただきたいと切に願います⇒アイヌはもっとおおらかでやさしい。というのが答え。エサマンにはそれがない。ゆえにアイヌ(人間らしいということ)らしくない。


(無題) 投稿者:回天 投稿日: 9月 6日(土)13時32分42秒 zaq3dc048ce.zaq.ne.jp

しょぼたんママ殿。
詳細はししゃも殿の方がよくご存知だと思います。
ただ、ご主人の方は、木彫りの芸術家として活動しておられ(アイヌの伝統芸術とは一線を画すものだったと思います)、その作品も1点、記念に頂戴しております。
友人の新婦(娘さんですね)は刺繍(こちらはアイヌの伝統に則ったものです)を成人になってからはじめ、鉢巻(呼称忘れました。すみません。)を作って私どもの娘にプレゼントして頂きました。
確か、お婆様はいずこかの記念館のような場所で何かは忘れましたが、伝統芸術の講師をしておられる筈です。
何だかうろ覚えだらけで申し訳ないです。


(無題) 投稿者:回天 投稿日: 9月 6日(土)12時49分09秒 zaq3dc048ce.zaq.ne.jp

poronup殿。
貴殿のおっしゃる事は良く理解できます。貴殿の様に文面から察するに、礼をもってアイヌと接しているからこそ、受け入れられているのでしょうね。
ただ、私並びにししゃも殿の知る御仁は、「なれる」「なっていい」とは別の話であって、一人の人間の生き方だと思うのですよ。
たまたま愛した女性がアイヌだった、そして共に人生を歩む為に彼女の世界へ歩を進めた。ただそれだけのことでしょう。
それは私の想像故、どんな経緯があったのかは正直分かりません。
しかし単純な民族論で一括りに論じる事の出来ぬものであり、先述した様に外野がどうこう言うのは野暮です。
暖かく見守るのが筋だと思います。
だからこそ、情の論理でもってこの件に相対している故、それを受け入れられないという理由が知りたいのです。

Elskain殿。
お返事恐縮です。
告訴に関しては、貴殿にとってもリスクがあろうかと存じますが、それは追求する側の義務ですので、それでこそ筋が通り、貴殿の言葉も信頼するに足る重みが出るかと思います。他の方々も、Esaman殿がどうのこうのと言うだけより、リスクを背負って言動一致で示して下さいますよう願う次第であります。


また 投稿者:poronup 投稿日: 9月 6日(土)12時08分07秒 vip2.lcv.ne.jp

私の今までの経験から言うと、趣味で関わっている人は、嫌になったり飽きたらサヨナラなので、アイヌはやめて、次は沖縄、次はアフリカ、とか、次はインド、とか次から次へと趣味の対象を乗りかえていきます。アイヌもその対象の一つでしかないのです。
一時期入れ込んで熱心に関わっていた人も、その多くはいずれ離れていきます。その人が一生アイヌに関わる保障などありませんし、そうする義務もありません。

かくいう私もその一人であることを自覚しています。嫌になったり飽きたらいつでも離れることができるからです。アイヌではないから、です。


私は和人ですが 投稿者:poronup 投稿日: 9月 6日(土)11時57分51秒 vip2.lcv.ne.jp

民族の境界線を自分の歴史的な立場を無視して越えちゃいけない、ということはこの掲示板で某センセイが何度もおしゃっていた「大事なこと」です。和人がアイヌになれる、なっていい、という方は、ここで何を学ばれたのでしょうか。

事情でアイヌの親によって「アイヌの子供」として育てられた和人の方は、自分では選択できない事情のもとに、そうなったのです。そして民族の共同体と苦楽を多少なりとも共有している仲間だという意識があるからではないでしょうか。
一方、アイヌがかっこいいから、とか、アイヌ文化が好きで、というような理由でアイヌに近づいてくる人は、単に趣味で関わっているだけです。飽きたり、嫌なことがあったらすぐサヨナラという人です。
残念ながら差別が今でもあり、アイヌの中には「アイヌに生まれたくなかった」・「和人になりたい」などと真剣に悩んでいる人がいるのです。
そういう現状がある中で、趣味で「アイヌになりました」・「アイヌになりたいです」という人の存在はどう見えるでしょうか。その差別を含めて、アイヌとして本当に苦楽をともにする覚悟があるのでしょうか。

逆に言うと、「アイヌになりたい」という人に聞きたいのですが、どうして「アイヌになりたい」のでしょうか?和人としてアイヌに関わればいいじゃないですか。和人が嫌なのですか?

私は縁があってアイヌに関わっていろいろ勉強している一和人ですが、いくら私が長く深く関わっても、アイヌ語・アイヌ文化に詳しくなっても、アイヌになれないと思います。私なども昔アイヌにあこがれたことがありますが、なりたくてもなれないし、何よりも、この今を生きる和人の一人として、どう行動すべきかを考えることが大事だと思っています。

まあ、中には一生懸命関わることによって「お前はアイヌの仲間だ」と認められる人もいるかもしれません。絶対これが正しいという答えはないでしょうが、アイヌ民族が認められる社会をつくっていくには、まずは、アイヌとして、和人として、ともに向き合うことを出発点にすべきではないかと私は思っています。「にわかアイヌ」が増えても何も問題は解決しないでしょう。