同日に起こった複数の他の事件では被害車輌がそのまま放置されているのに対し、
この件だけは米軍が車輌を回収しています。それに走行時に射撃されたという話と
買い物のため停車時にやられたと、相反する目撃談がでています。
いつもの情報操作ですかね? 出身校での追悼会や庁舎での追悼会などで「意志をついで〜」などと靖国と同じように「死」を生者のために利用する。
いやだ いやだ。
ダークな話題なのでこっちに書く事にします。
遂にイラクでは日本人の民間人の死者まで出ましたが、日本政府は一向に侵略軍の派兵を中止しようとしないやうですね。
流石に民間人の派遣は辞めると言ってますが……。
相変はらず、空軍なら派兵出来る云々なんて話をしてゐます。
アメリカ軍のヒコーキやヘリがバンバン撃ち落とされてるのに安全と言ひ張るのもかなり変な話なのですが。
それどころか、現在イラクにゐる民間人の護衛と云ふ名目でもイラクへの派兵を正当化しようと云ふ声まであがり始めましたね。
今回の事件で殺された二人は、警備員が一人もゐないばかりで無く、防弾ガラスすら無い、しかも「敵國」日本製の自動車に乗ってゐて射殺されたとの事。
確かに、警備が厳重だと却って狙はれると云ふのは解るのですが、防弾ガラスを導入したところで外見に変化を及ぼす物でも無いですし、「豪華な車は目印にされる」と云ひつつ日本車を使用したり(「敵國」であるだけでなく、日本製と云ふだけで高級車と見倣されるのも忘れてはなりません)、文字通り狙って呉れと云はんばかりですね。
こんな事は考へたくも無いのですが、どうやら今回の事件は日本政府によって仕組まれた、作られた事件と云ふ要素もあるやうな気がしてなりません。
思へば自衛隊がPKOとやらに派兵されたのも、 派遣された民間人が殺害される事件がきっかけでした。
あの事件で「民間人の派遣は危険だ」→「民間人の派遣は危険だから軍人を送るべきだ」と云ふ論理のすり替へが行はれたのでした。
あの被害者は、政府に散々「絶対安全だから」と言ひくるめられてしぶしぶ承知したと云ふ話だったやうに記憶してゐます。
そして生きて帰って来る事は無く、派兵の道具に利用されたのでした。
今回の事件は、どうしてもあの事件を思ひ出さずにはゐられません。
ちょっといまは時間がないのでアドレスだけをー
僕も管理者さんと同じ意見で、昨日の日記のバスク民族について・・で書いたところです。
ただ科学的な新発見を無視するのは、損だと思うのですが・・詳しくは「赤椀の世直し」や
「のんきち日記」のかなり前の掲示板をご覧下さい。
ではまた夜にでも・・・
http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71
ここの管理人のEsamanです。
健忘症PIKKIさん、始めまして。
多分、始めましてだと思うのですが、どうでしょうか?
私の記憶では、この掲示板に、ヒッキという名前のハンドルネームの方は、来られた事が無かったような気がしますが、私もカワウソですからね…
(アイヌの物語では、カワウソは健忘症の動物である)
砂澤ビッキ氏は、会った事はありませんが(ある意味当たり前)私も敬意を払う人間の一人です。
経緯を払う理由は「アイヌの〜」という理由ではなく、アーチストとしていい活動(アイヌの〜という紹介をつけずに作品だけで世界相手に勝負可能の意←まずいない)をした事が、まず一つ。
そして第2点は、アーチストとして実力ある活躍をしつつも、アイヌとしての、随分と政治的な活動の場面に出て行動する事もした(メーデー出たり、集会のし視界やったり…細かい評価は、この際おいておきます)という2点です。
この2点をこなす人は、世界で見ても、そうはおりません。
よくある人物評は、歴史上の人物(と歴史)がすべてそうであるとおり、アヤシイと思っているので、参考にしておりませんが…
(例えば、宮本武蔵とか。題材にしたマンガとか小説はオモロイですが)
このへんについて、健忘症PIKKIさんのお話しを伺えると、楽しいと思います。
できれば、あちこちからクレームが多かった理由などお聞かせ下さい。
ビッキとは、もともとカエルの意味ですが…
なお、私は民族とは、当人の意識か最も大切だと思っているので、遺伝子を研究する話しは、どうも好きになりません。
人間の移動を研究するのが面白いのは理解しますが、そを現存する民族と結びつけるような発想はいただけないな、と思っています。
例えば、よく日本人はモンゴロイドなの大陸がルーツ、という話しになる事がありますが、骨や遺伝子で分類した『モンゴロイド』と、極めていい加減な『日本人(…って国籍?)』という言葉を、同じ文中で使うのは無理がある…というかウソ、だと思うのですが、いかがでしょうか?
ところで、あなたのホヘームページのアドレスが見当たりませんが…
(名前の通り、あなたも健忘症仲間ですかな?)
http://www.alles.or.jp/~tariq/
砂澤ビッキさんってカズオさんのこと?私もファンの一人です(^-^)毎年、夏になると熊の家とトァカンノ・ビッキで、ダラダラと、でも楽しい時間を過ごさせてもらってます。この掲示板を読みましたが、私はむずかしい事は分からないけど同じ人としてコタンの人達から沢山、優しい気持ちやら学びました。思いやりのある暖かい人達で大好きです。アイヌの歴史なども今までは何となく聞いてたような気がします、が、この掲示板に出会い、私なりに色々と歴史的なことを勉強したいと思いました。OKIのHANKAPUYのトンコリのリズムを聴きながら今夜は寝ます。
へっぽこ詩人PIKKIです。
最初は大好きな砂澤ビッキさんにあやかって「ビッキ」というハンドル名だったのですが・・あちこちからクレームが多かったのでPIKKIと改名しました。アナーキスト系のサイトでは、「名前なんてどうでもいい」という意見が多かったですが。
僕のHPでは、毒舌日記と過激な詩とアイヌ民族と沖縄とつながりの研究がメインです。血液の癌の遺伝子では沖縄・九州とアイヌ・東北太平洋岸や南米や太平洋のバヌアツという縄文式土器が発見される島に見つかって、その他の周囲のアジアには一切見つからない不思議な病気です。詳しくは僕のログページのリンク集を参考に。(「皇帝カルタゴンの・・」や沖縄出身の独創的思想家のページです)
最近、本を出版されて、各メディアに沢山出ていた俳優の宇梶剛士さん(ここでも話題になってますね)ですが、今度は日テレ系の番組、波らん万丈に出演されるようですね。
☆日本テレビ系「波らん万丈」
11/9(日)午前9:55〜10:55
元不良でスポーツ万能の俳優!宇梶剛士
宇梶剛士さんは、現在俳優として活躍されている方で、今を生きるアイヌの一人です。
アイヌとしての活動を全面に出されているわけではありませんが、今までの舞台などを見ると、
アイヌとは何かについて、それなりに考えておられる方なのかな、と思うので、私Esamanは、宣伝や応援をしています。
ただアイヌだからプッシュ、というわけではないですよ。
http://www009.upp.so-net.ne.jp/a_crow_a_pigeon/
「雲の上の人」というのは天皇とか高級貴族とか、宮中に出入りできる人のことだよ〜。
(くわしくは古文の教科書を見てネ)受験生でしょ?大丈夫?
受験ワンポイントレッスンはさておき、toshiさんはマジで「雲の上でもいいと思う」
などと言ってたのかもしれん。
つまり、なんで「一族の長なら」という視点があっても「一族の奴婢ならば」とか
「不可触賤民ならば」という視点がないの??????
(どっちかといえばそっちのほうが現実に近いんじゃない?)
高3ならば夢をもってもいい「お年頃」かも知れないけど、
「王様ゴッコ」「テレビにでてくるヒーローごっこ」みたいな
幼児性からはそろそろ脱却してもいいんじゃない??
toshiさん始めまして、ここの管理人のEsamanです。
あなたの書きこみを何度か読み返しましたが、どうもよく判らなない部分がありました。
その点について、まずあなたに確認をしたいと思います。
一つ目
「一民族の長」とは、一体誰の事ですか?
たとえば、今い生きている人間の中では、誰の事でしょうか? 具体例を出してみてください。
小泉首相は「日本民族の長」でしょうか? 私は違うと思うのですが、どうでしょう?
個人的には『民族』という概念は、メディアが発達した近代に発明されたかんかえかた…
つまり、近代国家が形成されて、新聞やラジオや出版物などが発達して「おなじ言葉」や「おなじ利害関係」や「おなじ歴史物語」などを共有する「わたしたち(という幻)」が認識(発見)される事を通じて発生してくるものだと思っているので、そのような対象に「長」などは存在することが出来ないと思っています。
私は「わたしたち(実際には幻影)」という意識が、同じ村の仲間や氏子集団よりも大きい「民族」として拡大していったのは、共有する情報が拡大したからだと思っています。
『民族』という概念は、そもそもが幻想です。
所詮は幻想でしかない概念を適用できるのは、自分の責任が及ぶ範囲まで。
ですから、私Esamanは、自身はアイヌ民族である、という事は言えても、それ以上の事(誰それはアイヌである/ない、アイヌはこうあるべきた、代表としてこうだとか)は申せません。
二つ目
「いわゆる倭人に圧され始めた、と僕は思う」とのことですが、貴方はその『和人』ですか?
アイヌが圧迫を受けた相手は和人(シャモ)です。
「和人」と「倭人」は、微妙に違う物を指す事が少なくないので、気をつけてください。
なお「和人」は、民族呼称(それぞれ人々の自称)ではなく、主に権力関係に注目した言葉です。
toshiさんは、なんだか人事のように書かれていますが、和人とは、つまりは「日本人」であるという事を、自覚しているでしょうか?
もしあなたが、外人やアイヌやザイニチ○○と呼ばれる人達でなくて「日本人」である場合、和人とは、かなりの確立で、あなたを指すという事を、わかっているでしょうか?
この点を理解していただかないと、アイヌと和人についての話しをする際、中に浮いた話しに終始してしまいます(龍淑さんの「雲の上」は、その状態を揶揄した指摘なのでは?)。
また、あなたがどう思おうが、アイヌが和人による圧迫を受けたのは事実ですので、お忘れなく。
そんな訳で、toshiさんのおっしゃっていることは、何について聞きたいのかよーわからん、というのが感想です。
また「あなたは民族問題について考えているのですね」との事ですが、
「もし民族の長だったら」という質問自体が、もう既に随分と民族問題だという事を理解なさっているでしょうか?
村の話しをされているので「民族の長」は、「村(あるいは派閥)の長」のマチガイだったと過程して、考えてみましょうか。
”あなたがもし一村(派閥)の長だとして、自分の村(派閥)が明らかに強い他の村(派閥)に脅かされているとしたら、村(派閥)を守りその派閥の営みを存続するために、どのような手段を取りますか?”
…やっぱり、返答不能な答ですね、こりゃ。
状況によるでしょうよ、そんなもん。
脅かされるといっても、色々なパターンがありますよ。侵略行為が、血に飢えた軍隊が責めてくる、なんてわかりやすいモノばかりだと思ったら大間違いですからね。侵略行為は、多くの場合、アメと共にやってきます。事実、昔のアイヌは、兵隊ではなく商人に負けたのですから。
それに、対抗するにしても、こちら側の選択できる戦略にも限りがあるでしょう。なんたって、自分一人の問題ではないので、皆で相談してきめなきゃいかんでしょうし
「その時、歴史は動いた」ではないですが、これこれこういう状況の時、あなただったらどうしますか、という話しなら、答え様もあるのですがね。
それ以前に、今の世の中で「村」なんて、何処で機能しているんでしょうかね?
もし、今現在、貴方が村の一員ではなくて、憧れや空想で「村を終わらせたくありません」と言っているのだとしたら、それは立派な幻想(つまりは民族?)ですね。
私の言っている事が、あなたに通じれば、よいのですが。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
あなたは民族問題について考えているのですね、龍淑さん。僕は民族問題について考えることもあります、でも現状を変えるほどの知恵も行動力もありません。
僕は大学入試を控えた学生です、今日中間テストが終わって 分けあって一駅分だけ歩いて帰りました。その間にふと思った、こんな疑問を。
僕は人生で何を残せるか、そんなことを考えます。色々考えますが、漫画を見てふと思ったのです。まず空想、一つの国やもっと小規模なコミュニティーがある その村にはたくさんの人が生まれ死んで行く その営みを守り次の世代に伝えていく長、村長がいる。そんな村長のように村の人々を見守っているだけの人生も良いな、と思ったんです。だけど現実、歴史を見てくると色んな国が興り再編成していく 争いは絶えないがバランスはうまれる(必ずしも幸せなバランスとは言えないが・・・)。じゃあ発想の転換で地球という時間の中で人類の営みが半永久的に繰り返されて行き 遂に滅びる それならこの時代を引き継ぎ人類の営みを守る(かっこよすぎで現実離れしてる?)そんな役割をはたすのもいいんじゃないか。
取りあえず、僕の目標は、悲しみを生み出す科学技術ではなくて、今後自然に人類が淘汰されずに繰り返し営みを続けていくために必要なクリーンエネルギーだとか循環型社会の実現のための技術だとかを作りたい、と言うものです。大げさですけど、高3なら夢をもっててもいいでしょう?
そこで小さなモデルとしてもう一度、村。村を終わらせたくありません、村の危機にどう結論を出すのか、やはり村長の知恵に左右されるのでは、と思うのです。その知恵について、あなたの考え方を示してほしいのです。それによって、僕はどう行動を起こせばいいのかのヒントにしようと思ったんです。ただ断っておきますけど、自分で考えられないから聞いている訳じゃなくて、人の考え方を知りたいから聞いているんです。 頼んでおきながら変な書き方でスミマセン
雲の上それは空想ですが、もし村の長だったら・・・ こう考えても良いじゃありませんか。龍淑さんの理想でも空想でもOKです、考えてみて下さい。
もう一つだけ、受験生なのでほとんど書き込みできないと思いますが、皆さんよろしくお願いします。
toshiさんが質問しているのはたぶんここの管理人のEsaman氏なのだと
思うんだけど、部外者ながら、私は「もし民族の長なら」という
発想に面食らってしまった。
私も思い起こせば随分と以前からこのHP見てるけど、Esaman氏が
アイヌ民族の長だという話は全く聞いたこともありません。
(つい最近まで偽アイヌでないかと中傷されてたのは知ってマス(笑)
なんでtoshiさんは「民族の長」の立場でものを考えなければならない
わけですか?いや、じっさいに民族の長であったとしても
民族の長たる立場も個人の立場も選択可能なんだけど・・・。
ひょっとして民族問題を考えたい?だとしたら民族問題を長の立場で考えても
意味ないよね?だって「長」は一人で「それ以外の人でその民族の人」は数十万人以上
ですよー。
いやいや、やはりtoshiさんは本当に「雲の上の御方」なのかも???
と、これは皮肉が過ぎるかも知れないけど、よろしければ
なんでそういうことを考えるのか教えてください。
初めて書かせていただきます。よろしくお願いします。
いきなりですが、質問します。”あなたがもし一民族の長だとして、自分の民族が明らかに強い他の民族に脅かされているとしたら、一族を守りその一族の営みを存続するために、どのような手段を取りますか?”
僕はアイヌについてどうこう言うほどの知識は持っていません、無礼な言い方が有れば指摘して下さい。
上述の質問について、今回は一つだけ僕の意見を書きます。闘うとしたら。世の中にはその時代の価値観、強さの定義があると思います。例えば、現代においては何より資金力・それに伴う戦闘力ではないでしょうか。アメリカと言う何よりもの例があります。また、昔は自然を扱う知恵だったかもしれません。 最近テレビで見たのですが、江戸時代アイヌの人々はいわゆる倭人に圧され始めた、と僕は思う。彼らは闘った、そして破れた。 その時代の基準で闘うのはどう考えても不利です。何とか自分の価値基準にひき込むことができれば勝負は五分五分です。 だからといって倭人の言いなりになるが良いわけではありませんよ。 僕が問いたいのは支配されていくその過程で長たる者は何を考えたのか、そして彼はこのような結果を望まなかったのかそれとも‘あらゆる思考、アイヌの価値基準で考えた結論’だったのかと言うことです。そしてもう一つ、‘今もう一度あなたが同じ立場、長、になったらどうやって切り抜けるか’その知恵を教えて下さい。お願いします
NHK総合 ホリデーインタビュー 10月13日(月・祝)午前6:30〜6:53
演じることは生きる証 〜俳優 宇梶剛士(うかじたかし)〜
を見ました、以下、その感想です。
まず、導入は、不良をやっていた宇梶剛士さんが、青年時代にお世話になった浦河町を尋ねて、世話になったおじさんのことを話したりする事からはじまります。
導入部分に出てくるアイヌという言葉は2つ。
「東京出身の父親と、北海道のアイヌの血を引く母親との間に生まれました」
というコメントは、普通だと思いますが…
「おじさんの浦河治造さんです、宇梶さんの母親の弟で、アイヌの人です」
というコメントは、なんだか「不思議感」を微妙に感じるセリフのように感じるのですが、いかがでしょうか?
治造さんは、現在は白ヒゲの、見た目はかわいい感じのおじさんですが、写真で出てきた顔は、ちょっと違ってカックいかったですな。
確か「アイヌの治造」という本を出されていましたね。そんな本を出すくらいなので、生き方がオモロイ方ですね。
そのあと、東京に舞い戻って、暴走族で少し暴れて少年院に入った話や、
その時に色々と考えた事や、入院中に読んで影響を受けたチャップリンの自伝の話しが続きます。
印象に残った話は、チャップリンがレッドパージの時に「私は右でも左でもない、ただ戦争を憎み平和を愛する人間にすぎない」みたいな事を言った事がかいてあり、それに強い影響を受けたという話しです。
少年院を出た後、芸能プロダクションで働きはじめたが、下積みが長く、32まで飯が食えなかったとのこと、役者ってやはり大変なんですね。
この部分で印象に残った話は「浅く状況に立つな」。
小さな事でも見透かされるので、人前で何かやるときには、いい加減に振舞ってはいけない、という意味なんだと思います。
やはり俳優、緊張感のある現場をくぐっているので、いいこといいますね。
しかしまぁ宇梶さん、よく眉毛が動きますな(その点については、絶対に人のことは言えない)。
下に続きます
http://www.alles.or.jp/~tariq/
上の続きです
自身で劇団を作り、俳優として活躍する宇梶さんは、番組のコメントによると
「自分のルーツを知りたい、宇梶さんは31歳のとき、アイヌ民族をテーマにした舞台の脚本を書きました。そして、自らもアイヌの長老役を演じました」
とのことでした。
そこで、場面はいまも多くのアイヌの暮す北海道二風谷に移ります。
宇梶さんは脚本の取材の為に、二風谷を訪れたようです。チセ(萱葺き小屋)で座って話します。
…この舞台「偽エカシの筏」というもので、平成5年に上演されたものようです。
私はいままで、宇梶剛士という人の活動については、殆ど知りませんでしたが(もともと演劇に興味がない)、舞台について色々と調べてみて、大変興味を持ちました。
実際に舞台を見た訳でも、彼と話しをしたわけでもありませんが、以外とチャンネルが似ているかもしれない、と思いました。
私の知る限りでは、こういった角度のアプローチで「アイヌであること」に向き合おうとする人間にとって、アイヌであることは「ルーツ」なんていういい加減な言葉ではなくて、現在進行形の何かだと思うのですが、どうでしょうか?
打打芝居公演「偽エカシの筏」など
http://homepage1.nifty.com/mneko/play/TA/dadasibai.htm
ここで「アイヌとはなにか」というような事が話されます。
何処に住んでいようが、アイヌであるという事は精神の問題で、自分がアイヌだと思えばアイヌだ、という感じの話しが語られます。
あと、全ては神であるという価値観についてなど。
アイヌと和人の血が入っていれば、アイヌのことも和人の事も考えられるので、興味を持てる事が二つあって、得しているんじゃないか、どっちも選べるので楽。
というようなことを語っておられました。
…HP上では語り尽くした感もあるのてすが、私は、上記二つの考えはいただけないと思っています。
●現在、アイヌがアイヌであると自然に思えない状況があって、その原因の多くは、和人政権の植民地化によるものなので、歴史認識と権力関係を考えると、現在和人が「私はアイヌである」と思うことは、随分と「略奪的」でありよくない、と思います。
●「アイヌと和人の血が入っているので、どちらも自由に選択できる」かどうかは人によるし、そもそも人間は「血」で出来ているわけではないので、おかしな発想だと思います。
もっとも、宇梶さんも「その手の話し」を、今までにさんざしまわって、させられて来てて、簡単に説明するために、あるいは聴衆に逃げられない為に、そういう言い方をしているのではないか、とも思う節もありますが…
また「血の有無や濃さではなく、自分がアイヌだといえば、その人はアイヌなんしゃないか、という事を考えたかった」とコメントさていますが、これは逆にいうと、いかに「アイヌである」という事を言い難い状況がある、という事を意味しているのかもしれません。
もっとも、こういうアイヌの言葉を援用(アイヌの誰々さんがこう言った)して「自然と共生するアイヌ(を虐殺したのは和人なんですが)」などの、自分たちに都合のいいイメージだけを自分たち(和人)のものとしよう、という姿勢は、何処でもみられるのですが。
最後に「世の中で一番カッコ悪いのは、カッコをつけている奴だ」という、極めて常識的な話しをして終わりました。
番組の全体を通して「彼のルーツがアイヌで」なんて感じて、ゴテゴテした扱いではなく、彼がアイヌである事に対する姿勢は、割とあっさりとした扱いで、その点は、とてもよかったと思います。
ただ、その構成姿勢はよいとしても、見る側に「アイヌについて」の基礎知識が不足しているだろうと思われるので、わかりにくかったかもしれないなぁ、と思います。
とはいえ、これは番組構成の問題ではなく、日本社会の教育レベルの問題ですね。
また、ニ風谷に場面が移ってからは、誰の意図かしりませんが「ルーツとアイヌについて」の話題にもっていこうとしていましたが、そがかえって、話題を浅くしていたようにも思います。
個人的には、ニ風谷のチセでルーツの話しを、というサルっぽい展開ではなく、稽古小屋とか、演劇の公演を行った舞台の上などで
「あの舞台を作って、はあなたにとってどのような意味がありましたか」とやったほうが、色々とオモシロかったのではないか、と思うのですが、どうなんでしょうか?
「青い鳥」じゃないですが、探しに行った先ではなく、帰って来た所で、そういう話題をしてほしいものです。
他の方々の感想も、お待ちしています。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
明日の朝…というか、もうじき、俳優の宇梶剛士さんがテレビに出るらしいです。
宇梶剛士さんはアイヌですが、いままで出演した演劇やテレビ番組などでは、特にアイヌであるという事を積極的に話しをしていたわけではなかった様子でした。
今回は、特にアイヌであるという事に焦点を当てた番組構成になっている点が、少し違いますね。
私は、自身の実力を評価される時に「アイヌだから」という事でゲタを履かされるのは(例えプラス評価であったとしても)屈辱に感じます(*1)。
そんなところから、私は、宇梶さんが出演する際に、特にアイヌであるという事を「言って回って」いるわけではない点を、
おそらくは、俳優という実力勝負のステージで活躍する人間にとって、アイヌであるという事は、特に隠す必要も、アピールする必要もない、俳優としての実力を評価してほしいのて、いままての番組などでは大きく言ってはいなかったのではないか、と思っていたのですが、どうなのでしょうか?
mintaraにも書きましたが、以前、笑っていいともか何かに宇梶さんが出ていたとき、アイヌである事をタモリに突っ込まれていましたが、軽くかわしていたように記憶しています。
周囲の期待(またの名を圧力)によって「アイヌ云々」というネタが展開されているのだとしたら、うっとおしい展開の番組になっているかもしれませんね。
いずれにせよ、この手の番組は、企画を立案した人間(多くの場合、出演者自身ではない)がいて、枠かあって(期待される筋があって)成り立っている物なので、うのみはいけませんな。
ま、そこん所は、宇梶さんも俳優目指しているほどの人間なので、うまくハランスとりつつ、自身の波に乗せているとは、思いますけどね。
いずれにせよ、ちょっと注目ですね。
みなさんも、もと見たら感想よろしく。
*1:「立場性を伴う表現行為」と「1表現者としての表現行為」は、別物である点に注意。
この場所は私のアイヌとしての発信場所の一つですが、私も四六時中「アイヌとして表現」しているわけではありません、ご理解下さい。
***********
NHK総合 ホリデーインタビュー 10月13日(月・祝)午前6:30〜6:53
演じることは生きる証 〜俳優 宇梶剛士(うかじたかし)〜
自分の劇団を立ち上げ、脚本から演出、俳優までこなす、宇梶剛士さん(41)。
188cmの長身、彫りの深い顔立ちと鋭いまなざし。テレビのトーク番組などでは、
自らの不良少年時代の生い立ちなども絡め、教育や人間関係について熱く語る。
生まれ育ちは東京だが、母親がアイヌの人。自らのルーツに深い思いを抱き、
17才のときアイヌのおじを頼って、一時期北海道ですごした。当時は暴力事件を
起こし施設に入るなど、心が荒れていた。しかし、その北海道での生活や出会い
が、人生を大きく変える。俳優になる夢を抱
き、再び上京。そして今「演じることは生きる証。自分と同じように悩める人へ
のメッセージでもある」と語る。
宇梶さんがそのアイデンティティを模索した北海道の地で、何を考え、今、ど
んなメッセージを伝えようとしているのかを聞く。
引用元URL:https://www.nhk.or.jp/sapporo/bangumi/b_zenkoku.html#1013
http://bbs1.otd.co.jp/19250/bbs_tree?base=678&range=1
***********
http://www.alles.or.jp/~tariq/
質問希望 さん、始めまして。
質問を希望する者でも、名乗って頂けると嬉しいです。
さて、アイヌの儀礼のイヨマンテについてのご質問ですが、まず、イヨマンテが何かを簡単に説明します。
イヨマンテとは「それを送る」という婉曲表現です。
ですが、殆どの場合「それ」は熊を指します。
他にも、シマフクロウやテンなとのイヨマンテもありました。
アイヌの価値観では、動物たちは神の国から毛皮を着て肉を背負ってやってくるものです。
アイヌが獲物を仕留める事は、狩人が、神々からの贈り物を受け取って、神々をもてなす事を意味します。
簡単に言うと、毛皮とか肉とか薬などをも貰う代わりに、イナウを削ったり、酒をあげたり、祭壇を作ったりして、お礼をする訳です。
獲物となる動物によって、その送り方は違うのですが「イヨマンテ」は、狩で仕留めた獲物を送り返すのとは、ちょと違います。
昔のアイヌはよく熊狩を行ったのですが、雌熊を仕留めると、子供が遺されている事が(今も昔も)よくあるそうです。
今のアイヌ(多分、和人のハンターも)は、子供(当然生きています)を、業者に売ってしまう訳ですが、昔は「神から小熊を託された」として、連れて帰って家族と一緒に育てたそうです。
子熊は頭も良く、人間の子供のようになつくそうですが、その小熊がある程度の大きさになった時に、神ノ国江送り返す儀礼が、イヨマンテといわれるものです。
「送り返す」とは、つまり殺して食べる事です。
ですが「越して食べる」といっても、屠殺するのではなくて、盛大にお祭りをして、お土産を持たせて、祭壇を組んで、丁寧に送り返します。
このイヨマンテは、遠くからも人が沢山来て、何晩も続けてやったお祭りだったそうです。
大切な儀式であると同時に、楽しい集りでもあり、子供も大人も大変楽しみにしていたと聞いております。
さて、ここで「イヨマンテは何故禁止されたか」についてお話します。
明治の頃、日本政府はアイヌの住む地域を植民して、アイヌに対して同化政策を行っていました。
それは、簡単に言うとアイヌの住む地域を「日本の領土」とする為の民族抹殺政策でした。
昔から住んでいた土地を追い出し、アイヌ語を禁止し、髪型や衣服を変えさせる流れの中で、イヨマンテも禁止されました。
イヨマンテに対する禁止令は何度か出されましたが、実際には、すぐにはなくなりませんでした。
前にも説明した通り、熊猟をする人間が現代でも遭遇している「小熊の処遇」を理想的に解決し、民族の精神性を表す儀式が、そう簡単に消えるはずもありませんでした。
ですが、色々な禁令や、生活スタイルの変化などによって、狩猟て生計を立てるアイヌが減っていくと同時に、アイヌの住む地域も次第に都市化していき「子熊を家で養う」という事が、普通の生活をする人にとっては難しい物となってきたため、次第に姿を消していきました。
その後、戦後訪れたアイヌ観光ブーム(昭和30年代前後)の時期に、観光地での興行に取り入られたり、映画が作られたり、「イヨマンテの夜」という歌が作られたりして、全国的に「イヨマンテ」のイメージが知られる事となりましたが、その頃には、昔ながからの集落の集りとしてのイヨマンテは、アイヌの集落そのものが崩壊していった事もあって、殆ど行わなくなっていました。
イヨマンテについては、過去にこの掲示板でも、何度か話題になっていますので、時間があったo調べてみるのもいいと思います。
下に続きます。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
内容的に上の続きです。
アイヌ文化法・アイヌ文化振興財団の存在が無くても、イヨマンテは復活しています。
1985年、旭川の川村カネトアイヌ記念館において、約30年ぶりにヨマンテが行われました。
復活といっても、その頃、カネト記念館でも、家の庭で熊を飼育していたわけではないので、他から小熊を譲りうけ、ご老人から色々と教わりながら、昔ながらの笹拭きの小屋を作るところから始めて、様々な道具作りや材料採集も昔ながらの方法で行い、小熊を実際に送る(殺す)ところまで行いました。
「見物客」を入れない、本来の形のイヨマンテを復活させたといってもいいものでした。
その過程は、1年にわたるTBSの取材を受け、特別番組として全国区で放映されました。
写真集なども販売されていますので、色々とお調べ下さい。
その時のTBSの番組は、手許にビデオがございますので、もし見たい人がおられましたら、ご一報下さい。
当方が梱包や郵送の労力を割いても構わないと思う姿勢が見られる相手ならば、無償でお送り致します(個人でも団体でもかまいません)。
川村カネトアイヌ記念館:http://www.g-web.co.jp/ainu/
財団法人・アイヌ民族博物館(ここも詳しいです):http://www.ainu-museum.or.jp/index.html
さて、ここで問題になってくるのが、「イヨマンテの復活」の「復活」とは、どのような部分の復活なのか、という事です。
前述致しましたとおり、アイヌも生活習慣が変わっているので「完全に昔どおりのトヨマンテ」は、「昔ながらの鎮守の村祭り」が既に無くなっているのと同様に、復活のしようがありません。
たとえば、いまでも熊狩をするアイヌはいますが、でも、山で雌熊を仕留めたときに子グマを授かって、家に連れて帰ろうと思っても、そうはいきません。
熊は日本の法律では「猛獣」ですから(昔のアイヌは、ある程度のサイズまで一緒に寝起きしていたのですが)、簡単には飼育できません。
むかしなら日常に中にあふれていた、イヨマンテに使われる祭器の数々も、いまは相当の労力を払って、ワザワザ作らないと、材料すら手に入りません。
誰かの物ではなく、必要な時に入ってよかった山林は、現在はすべて「国有林」となっています。
日本の同化政策や日本か社会の差別により、イヨマンテに関連する知識を知る人は、非常に少なくなってしまいました。
それに、万難を廃してイヨマンテを実施し、大きくなった熊を、丁重に神の国に送り返そうとすると「野蛮な行為だ」といって避難をしてくる、無知蒙昧な人達もいます。
アイヌ文化振興法によって、「文化事業」にはカネは出るようになりましたが、それは、アイヌが木を自由に切れるようになったわけでも、クマを飼ってもいいようになった訳でも、異文化に対する理解が促進されたわけでもないのです。
あと、こので書いてきた「イヨマンテ」は、私のイメージするイヨマンテでして、参加する人によって、それは変わります。
たとえば、実際に昔のイヨマンテに参加した新の感想としては、儀礼部分についてはよく覚えていないが、お祭りとして楽しかったところを、とてもよく覚えている人もいます。
イヨマンテは、儀礼であると同時に、共同体のお祭りだったのです。
「そのような部分のイヨマンテ」を復活させるのは、どうすればよいのでしょう?
質問希望さんは、どのような「イヨマンテ」を想像して
「再開されるということはないのでしょうか?」とお聞きになったのでしょうか?
そこの所を、是非とも聞いてみたいです。
はじめまして。
南北の塔について調べているものなのですが、橋本進さんの「沖縄戦とアイヌ兵士」という本の中にでてきた「北海道高教組情報」号外(1975・4・15)の鷲谷サトさん記「南北の塔に眠るウタルに」という資料を探しています。
もし手に入る方法がありましたら教えていただけないでしょうか。
突然のお願いですみません。
宜しくお願いいたします。
はじめまして。 質問を希望する者です。
アイヌの儀礼のひとつ、イヨマンテについてなんですが、最近はほとんど執り行われていないとききました。
アイヌ新法の成立により、再開されるということはないのでしょうか?
お返事おまちしております。
イラク侵攻は、アメリカ籍メジャーが、イラクの石油権益を確保(奪還)するため、
郵政民営化は、佐川急便が合法的に郵政事業を引継ぎ、その利益を独占するため、
日本版「ヒトラー」の暗躍・・・明躍か?・・・
これで、73歳定年制を実現できたら、戦中派も一掃できてしまって、
戦争の悲惨さを知る与党議員は皆無となり、
また一歩・・・近づいていく・・・という体制となるのでしょう。
50年というインターヴァルは、のどもとを通過させる時間としては、十分すぎて・・・
いま、「戦前」になってしまうのをくいとめなければ・・・
覚醒せよ!