最悪の夜が終わって
最悪の朝が明けてゆく
ぼくのクリスマスは
むしろいつもより息苦しい
スモッグの道のジョギング
星も都会の浮かれ騒ぎも見えない
ほんのり明るいドームのかなた
夜中燃やす焼却場の煙や
もぐりの産業廃棄物業者の煙にまみれ
あんまり息苦しくて頭にくる時に
せいぜい 遠目のヘッドライトで
そいつらを照らしては逃げ出すばかり
見渡す限りの禿山や
農薬を使い放題のゴルフ場をみれば
それを野放しの腐れ役人どもには
言うだけ時間の無駄だろう
世界一美しかったモシリと
アイヌの文化を徹底的に破壊しつくし
影でコソコソと原発を作った北海道や
世界一美しい珊瑚の海を埋め立てては
農薬まみれのゴルフ場やホテルを
次々と建てては
なんら恥じる事のない沖縄よりも
まだ偽善的ではないかもしれない
誰がどう見ても
ここいらの山も空も人間も
すでにずたずたに
破壊されつくしているからだ
だから
山登りの最中に もしも
熊や猿や猪やマムシに襲われても
仕方なく殺されるしかないと思う
日本人のおごりなんかは
たかだか明治の欧米仕込みで
たかだか百年間のあいだに
世界一美しかった自然を完膚なきまでに破壊し
動物たちのすべてを
抹殺一歩手前まで追い詰めてしまった
それは「テロ」も一緒ではないのか
先祖代々受け継いできた土地や財産ばかりでなく
民族の誇りも命も
子供たちの未来さえも奪いつくされて
殺されてゆくべきだと
君は言うつもりだろうか
どうやってパレスチナ人やイラク人が
生存可能だと君は言うのか
侵略者を追い出す「テロ」しか
もはやかれらには
残されていないのではないのか
先住インディアンとのすべての約束を破り
数千万頭のバッファローを虐殺しつくし
選挙権などあらゆる権利を奪って
ゲットーに閉じ込め
そこにまたウランが出るからといっては
その土地をまた取り上げ
ほったらかしの残土で
先住民を被爆させ続けているのも
日本低国の原子力発電のためだ
自称「民主主義国家」の
アメリカと日本よ
お前達は
いったいどんな権利があって
ベトナムをアフガンを
そしてまたイラクを
破壊しつくそうというのか
なにゆえに
劣化ウラン弾の放射能やプラスター爆弾を
地球上のすべて生き物の上に
ばらまいて恥じることがないのか
なんの正義ももたず
侵略者へと変貌しつつある日本人よ
地獄の底まで
米国の軍産複合体の悪魔どものために
基地や戦費や後方支援や
悪魔の軍の旗の下で
奴隷の血を流そうというのか
彼らイラクの真の愛国者たちを
殺しつくそうというのか
http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71
「日本国の」少数民族なんでしょうか?
ウイルタについては、過去、ちょっと興味あって、網走市のジャッカドフニに行ったり、
当地ウイルタ氏のご厚意により、北川アイ子さんにインタビューしたりもしました。
(北川さんは、まだお元気なんでしょうか?何度か手紙出しましたけど)。
で、当時から、友人に説明するのにも、上記の点が、はっきりせんかったんです。
自分で考えるのは限界気味です。
もともと、樺太(この表記でよし??)にいてはったわけですから、樺太=ロシアの先住民族なのか、
大日本帝国の縁故関係で北海道にいてはるから、日本の先住民族なのか。
皆様のお知恵を、言葉そのままですが、拝借したいです。
下のl、エサマンさんの文章には、濁音が、なんかいっぱい欠落してますね?
書き間違でなければ、一種の運動でしょうか。
わたしはアイヌ語は全然知りませんが、なにかで、「アイヌ語には濁音がない」と書いてあったもので、
それと関わる運動?とか思いました。
単なるミスでしたら、妙なことを申してすみませんでした。
以前、この板を汚していた、川魚と申す者です。
ここのことは、気になっておりました。
突き上げられて、怖くなって逃げだしたり、
文章書きます、いうて、まとまらんでまた逃げたりしてました。
わたしは、弱い人間でして(だれでも弱いけど)、どうにもここでの論戦の緊張に耐えれんような奴ですが、
すこしずつ、また皆さんの意見が聞きたいし、また、自分に責任が取れる範囲で、発言もしたいものです。
わたしはいま、台湾に住んでますが、まあ、異民族の中に居ったら、自分の知らんかった社会性が見えてきますね。
わたしは、小さいころから、朝鮮人や部落の人には、「差別した記憶がない」ようなやつでしたが、
台湾では、結構、差別意識、排外意識もってまいます。
もちろん、同時に、仲良くやったり、謝ったりもしてはいますが。
でも、なんか台湾のかたは、異様に親日的ですし、わたしも、「外人としての特権」があるせいか、
こっちが喧嘩ごしになっても、鷹揚に許してくれます。
そのおかげで、首がつながってここで暮らしているというような状況です。
実をいうと、わたしは以前にも、学生のころ、中華人民共和国に居たことがありました。
そんときは、中国のやつも、またすごいやつなんで(^^;、対立はもっとありましたが、
「わしは差別してない」と、自分を誤魔化していたようです。
今回、台湾での自分を、ちょっとはちゃんと見れるようになったのは、
このサイトで、エサマンさん始め、各氏に鍛えられたからや、と思ています。
ほんま、あの当時の方々、エサマンさん、どうもありがとうございました。
また、ここに書こうと思てる、文なり書き込みは、突発的に書いたり書かんかったりでしょうが、
自分に対するレスは、頑張ってよむつもりでいます。
こんなわたしでも、諸民族がなかよく暮らす社会を夢みています。
これもエサマンさんが言うてはったことですが、「和人を変えるのは和人だけ」。
光栄ある仕事を社会から仰せつかった、と思てます。
まえまでは、わたしはマルクス主義者でしたが、最近、師匠の思想発展により、アナーキストを名乗っています。
民族問題、その他に、また、わたし特有の立場から寄与できるかな?と思うと、
その「責任(!)」の重大さに、眼もくらむ思いですが、やる気も湧く気がします。
因みに、イスラームのほうは、その文化に対する、ファン=自称「味方」止まりです。
わたしは無神論を大事にしていますから、神は信じられません。
というか、そのかわり、「人類」を信仰する立場ですから、「合理的な」「宗教」、と言うたら言えるんですけど。
では、きょうは寝ます、キリスト教徒に追随するようですが、めりーくりすます!(^^)
(イスラームでは、イーサーの誕生日は、今日ではないのかな??)
自衛隊のイラク派兵は12月26日からとの事ですね。
数日前までは、25日と云ってました。
つまり、あれだけ年内派遣年内派遣と騒いでゐたのは、小泉がブッシュに、軍隊をクリスマスプレゼントしたかったからなのですね。
小泉総理の何が何でも戦争をするぞと云ふ断固たる意志の証明に他なりません。今や、派兵に反対する者も賛成する者も、誰一人として「戦闘行為をしに行くのでは無い」と信じる者はゐません。
イラク(いや、イスラム圏か)から見れば、「日本がキリストの神の名の下に、アメリカへ侵略軍の援軍をプレゼントした」以外の何物でもありません。
これで日本が狙はれない筈は有り得ません。まさに宣戦布告そのものです。小泉総理は、戦争をする為に自分からわざわざ、最も日本が危険になるやうな事をしました。
流石に26日になりましたが、イスラム圏の人々の受取り方は変はらないでせう。
小泉は、自衛隊は、決して我々國民の命を守る事は有り得ません。それどころか我々國民を危険に晒し殺す明確な意図さへ持ってゐるのは明らかです。
「当然自然の摂理に逆らって専らトリマキ共の望む性で産まれて来る等と云ふ事は有り得ないのは当り前です。」が正しい文です。
なんでこんなミスしたんだらう……。
一度文章が飛んだので焦ってたのかも知れません。
疲れてるのかな……。
「「尊皇」と云ふ名の人名剥奪」は「「尊皇」と云ふ名の人権剥奪」の誤りです。
なんで間違ったんだらう……。
天皇誕生日と云ふ事で、天皇の話でも。(一度文が送信直前に飛んだので12時は過ぎてしまひましたが)
今の二代先の天皇の候補は、現在女性しかゐませんが、宮内庁は「女とは期待外れだ、男を産め」等と暴言を吐いてゐるやうですね。
天皇は女性であってはいけない等と云ふ決まりはどこにも無いですから、女性が天皇になってまずい事など何も無い筈です。
結局一部のトリマキ共の我儘でしか無いと云ふ事になります。
皇族と云へども人間ですから、トリマキに都合の良い事ばかり考える訳では無いですし、当然自然の摂理に逆らって専らトリマキ共の望む性で産まれて来る等と云ふのは当り前です。
「女は天皇に相応しく無い」等と言ひ放つのは、勿論「何でお前のやうな邪魔者が産まれて来たのだ」と本人の存在意義そのものをも直接否定する、人権侵害も極まる大暴言なのは云ふまでもありません。
トリマキ共が如何に皇族を物としてしか見てゐないか、本当に良く解ります。
私は神道信者なぞでは無いので、「天皇は神である」等とは毛頭思っちゃゐない訳ですが、信者はそのやうに信じてゐるやうですから、百歩譲ってまづそのやうに仮定して話をする事にします。
「天皇は神である」と仮定しても、その一方「天皇は人間である」のは歴とした事実ですから、否定する余地はありません。
つまり、天皇が神であったとしても人間で無い事にはなりません。当然、人間ですから人権は守られなければなりません。
「天皇は神である」と云ふ言葉は、天皇の人権を剥奪する免罪符にはなり得ません。
誰かが差別されてゐて、その差別が正当化される場合、 「○○は××だ(だから劣ってゐる)、だから酷い事をして良い」等と云ふやうな事が良く云はれます。
「天皇は神だ、だから人権を剥奪して良い」と云ふのは、まさにこの屁理屈と全く同一の物です。
つまり、表向き見下すかまつりあげるかの違ひはあれど、違ひはそれだけで、やってゐる事はまさに「差別そのもの」なのです。
これが「尊皇」の正体、本質です。
私は「天皇は神だ」等とは信ません。が、天皇は人間ですから、私は天皇を一人の人格を持った人間として尊重します。
天皇を特別扱ひしません。その代り、あくまで一人の人間として尊重します。
だから、皇族と云へども、何らかの功績があり尊敬する人で無ければ、敬語を乱用しません。(丁寧語や、事実上丁寧語として機能するやうな、日常使はれる敬語は除きますが)
しかし、まつりあげを言ひ訳に人権無視する事もしません。
それが私の「尊皇」です。
天皇を差別し人権剥奪する輩に「天皇への不敬はけしからん」等と罵られる筋合ひは一切ありません。
平和という課題で、アイヌ民族のことを扱ったという、黒川ななとさんの視点に、まずは感謝いたします。
なぜ感謝かと言うと、わざわざアイヌを選ぶという事は、
「平和」の質を問う行為になるのではないか、という期待からです。
平和というと、イラク攻撃とか、国家間の情勢に目が行きがちですが、爆弾が炸裂しない「平和な日常」の中にも、色々と「平和ではないもの」が含まれるんですよね。
ても、反戦運動なんかが盛り上がっている時なんか特にそうですが、
「そういう色々なもの」かなかったことのように扱われたりする。
例えば、コイズミは悪いとか、ブッシュは悪いとか、アメリカ政府は云々、などと言っている人が、日常の中では、とんてもない差別を放置していたりする事も、けっして珍しいとは言えないのが現状ですから、そういう中で「平和」というキーワードでアイヌを選択するというのは「方言可能な遠くの大問題ではなく、自分が射程となりうる、より身近な大問題」なんじゃないかな、と期待しております。
また、アイヌというと「大自然の知恵」はかりが注目されて、差別の話しをしにくくなっていて、イカンともしかたい、というのもあるんですが。
あと、黒川さんが謝る事はないでしょう。
私のプライベートな事を聞こうとした訳ではないので、特に失礼とは思いませんよ。
差別の具体的な事例を(プライバシー&繰り返し防止のため)「公には扱いにくい」理由をよく知らなかった、というだけなので、あやまってもらってもなぁ、と思います。
いずれは、そういう情報を大っぴらに扱っても、真似する人間もいない、不利益を被る人間もいない社会ができればいいのでしょうが、当分先でしょうね。
アイヌ民族の人々が民族を主張できる世の中、との事ですが、この場合の「民族」とは、どんなものなのでしょうか?
「そんなん、当事者でないのでよくわからない」とおっしゃるとすれば、そのとおりなのですが、
「当事者といっても、分かる訳てはない」というのが、実際のところなんですよね。
例えば、黒川さんにとって「民族」とはなんでしょうか?
もっと具体的に言うと、あなたは何民族?
簡単に答えは出ますかね?
「和人」は、厳密には民族名とは言えないような気もしますよ。
(つまりアイヌが自分の民族を「エゾ(和人政権の呼称)民族だ」というのと同じ)
例えば「民族を主張する」という言葉から、容易に想像できるのは…
○民族の言葉であるアイヌ語を復権させる(看板に書く・刊行物にする・日常で使う)。
○アイヌが、かつて持っていた物を取り戻す(土地・生活習慣・宗教観・etc)。
などのことですが、ます第一に、現在のアイヌは、長い和人による同化政策によって、アイヌ語を話せる人はとても少なくなっているし、生活習慣の多くも、和人とさほど変わらなくなっています。
この状況下で「アイヌ語を取り戻し、アイヌの習慣を取り戻そう」という主張は、どれだけの「アイヌ」に共有さるのか疑問です。
日本語で生活し、日本人と変わらない(第三諸国を犠牲にした)便利な生活のほうが、多くのアイヌにとって「らく〜」なわけですよ。
アイヌだって和人と同じく、怠け者で卑怯者なので「らく〜」な生活は手放さないんですよね。
私は、苦労をしたとしても、アイヌ語は取り戻したいとおもってますけどね。
学者や教師になるという方法ではなく。
しかし、私のような人は、あまり多くないようにも思います。
で、もうちょっと考えて「どうなると、より幸せか」を考えると…
○アイヌに対する偏見と差別を撲滅し、アイヌであると自然に言える社会を作る。
○アイヌが、アイヌとして子孫を教育できる環境を整える。
の2点は、実現したらいいなと思うのですが、これを「民族を主張」なのかどうかは、よくわかりません。
差別の撲滅は、なにかどうあれ当たり前のこと(難しいですよ)なので、民族固有の問題てはないはずですし、
「アイヌの子供がアイヌとして育つこと」は、これも、もともとは、当たり前のことだったものなので「主張」するようなものなのか、よくわかりません。
ただ、現状では、上記2点の「アホらしいほど当たり前のこと」が、主に和人個人と和人社会の問題で、全く出来ない現状かあるので、それは改善する必要があると思います。
下に続きます。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
内容的に上の続きです。
できない理由は、主に2点。
○日本政府は、頻発する「単一民族発言」にみらるとおり、アイヌを先住民族として認知していない。
もっと具体的に言うと、学校教育においてアイヌの子孫が「アイヌ」を(差別以外で)自覚できなくさせられている。
教科書にアイヌと和人の歴史がまともに書かれていなかったり、学校教育の現場で「(アイヌに限らず)同じ教室にいる違う民族」の存在が認知されなかったりするので、教育カリキュラム上では、自分がアイヌであると自覚できなくなる、等。
(差別があった場合は、それによって自覚する←ネカティブになりやすい。親が伝統文化などの活動をしていたら、それに励む事でポジティフになるかもしれませんが)
○この政府方針は、一般市民にもかなり浸透しているので、学校を出ても状況は困難である。
もっと具体的に言うと(北海道だけでなく)近所に、あるいは友人に「アイヌ民族」がいる可能性が自覚されてないない、アイヌであると名乗ると「でも日本人と変わらないでしょう」という、見方によっては極めて暴力的なセリフに晒される、等。
例えは、アイヌの話しをする場合「あなたの友人に・あるいは近所の人に、アイヌがいたかもしない」という話しは、何故か前提になっていない事が、少なくない。
●顔でアイヌたと分かるとは限らない(顔で分かるのは親族まででは?)。
●アイヌといっても北海道にだけ住んでいる訳ではないので、何処にでもいる(当然、名古屋や神戸にもいます)。
●アイヌが、自分がアイヌであると名乗るとは限らない(差別もあるし、面倒くさい事も少なくない)。
●あるアイヌの両親が、両方ともアイヌであるとは限らない(誰とでも結婚しうる←当たり前のことです)。
●アイヌの子孫だとしても、それを知らない可能性もある(私も生まれた当初から知っていたわけではありません)。
ですから「アイヌ(の子孫)は、何処にでもいる」のは、当然なんですが、学校てはそを教えていないし、社会も認知していませんよる?
そりゃあ、人口は多くはないので「あなたの友人に」アイヌがいる確立は、とても高いとはいえませんが、無いとする根拠もありませんよ。
そんな状況が(特に内地では)結構一般的なので、どこかのアイヌが、自分の子供に「おまえはアイヌである俺(と誰かの間に出来た)の子供だから、自分はアイヌだと思えはそうだ」と言う事は、難しいんてすよね。
親が勇気を出して言っても、子供がそう思わないかもしれないし、子供がそう思ったとしても、周囲が「その意味」を認知できなかったり、場合によっては潰しにかかる。
親が、アイヌ語とか踊りとかの「(見るからに)アイヌらしいもの」をやっていれば別かもしれませんが、そういうものをやっていないくても、アイヌだと思う自由はあるはずです。
「自分がなにものてあるのか」には、当人の意思か最も大切だから。
しかし、現実は違うんですよね。
例えは、この場所にも、私を「エセアイヌである」と勝手に決めつけて襲来しているアイヌストーカーが何人かいるのですが、
彼等の主張の根底には「誰がアイヌ(他の民族でもいい)であるのかを、他人が判定できる」という前提があります。
例えは、私が、自分を和人(つまり日本人?)であると自覚していると公言している黒川さんのことを「エセ和人(日本人)である」と言った場合、どう思われますかね?
それは、暴力以外の何物でもないでしょう。
そのような視線に、子供達が晒されたりしたら?
例えは、このHPは、小中学生も見ています。
ストーカーの一連の荒らし行為を見た、和人の子供は「エセアイヌ」という、名乗るアイヌに対する便利な攻撃方法を学習し、
ストーカーの一連の荒らし行為を見た、アイヌの子供は自分が「エセアイヌ」ではないかと悩み、そういわれる事を恐れるでしょう。
これでは、アイヌとしてのポジティブな自覚、どころの騒ぎではなくなりますね。
そもそも「民族」という微妙な問題に付いて「私は○○である」という事以上のことは、言えないはすなんですよね。
まずは、そういう暴力的な視点(民族とは自明である、色分けできる、判別できる、等)を、アイヌと和人の両方が捨て去る必要があるんだと思います。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
事業名 : 国際文化交流助成事業
区分 : 派遣
申請者名 : ×××× (エセアイヌ本名)
実施事業の概要 : 「国連先住民作業部会参加」
国連先住民作業部会に参加し、作業部会にて、北欧のサーミやオーストラリアのアボリジニを初めとする先住民族の社会状況や文化、活動状況について学ぶ。(スイス、ジュネーブ)
助成金交付予定額(千円) : 373
oripakEsaman様、はじめまして。
そしてありがとうございます。
えっと、調べているのは課題というのではなく、
大きな課題が「平和」であとは自分が調べたいことを・・・
というふうなのでどっちかっていうと個人的、になるでしょうか?
最後にサミットを開く、というのがまとめになりますね。
でもこの課題をもってるのって私だけで、
まずはアイヌ民族のことを知ってほしい、分かってほしいというのが本音でしょうか?
まずはすみませんでした。
プライバシーというのも考えずにお聞きしてしまって・・・。
やっぱり差別を繰り返す人っていうのは絶えないものなんですね。
私がめざしているのは(でかいかもしれないけれど)
アイヌ民族の人々が民族を主張できる世の中です。
これはとても難しい事なのだと思います。
一人じゃできないことだと思っています。
今の世の中は自分と少しでも違うものを避けて差別して
同じものと集まって逃げているんだと思う。
もし例えおなじ志をもっていたとしても。
私はそうはなりたくないし、周りの人になってほしくない。
「知らない」は言い訳にはならないから・・・。
・・・というのが私が思っていることです。
今回は本当にすみませんでした。
あとHPお教えくださってありがとうございました!
<でもアイヌ民族はアイヌ民族ですよね>の事・・・。
とても分かりにくい文章になってしまい、ごめんなさい。(汗)
えと、だいたいはoripakEsaman様がおっしゃっているとおりです。
やっぱりアイヌ民族と和人は違う。
でもだからって対立しなくてもいいし同化しなくてもいい。
お互いに共存していっていければ何よりだと思う。
まあ、それができなくて差別があるんだとおもいますが・・・。
多分共存できたら自然や環境も重視していけると思います。
<ハーフについて>
私は自分を和人だと思ってる。
それは韓国がきらい、というわけじゃないんです。
韓国だって誇らしく思ってる。
ワールドカップの時だってすばらしかった。
でも私は和人だって思ってる理由はわかんないんですよねぇ・・・。
でも私はハーフだって知ったとき嫌じゃなかったのは確かです。
反対になんかうれしかった。何でかな?
では、これからもよろしくお願いいたします。
また、きたとき、仲良くしてくださいね!!
by・Nnato Kurokawa
黒川ななとさん、始めまして。
「実際にアイヌ民族」のEsamanです(笑)。
学校のほうで調べられているのですか?
それは、課題のようなものでしょうか?
色々とお教え下さい。
調べている目的によって、お教えてきることも変わって来ます。
偏見と差別についての具体的情報とのことですが…
割とよく聞かれるのですが、そういう情報って、扱いが大変なんですよね。
例えば、アイヌでなくてもいいのですが、特定の民族や性的嗜好などに対する、具体的な差別的表現などは、第一に、メディア上ではしてはいけません。
それに、そういう事件があったとしても、みだりに公開するわけにはいかないのですよ。
第一には、差別をされた人のプライバシーが大切ですし、
第ニには、それを真似して差別と偏見を繰り返す人が出る事への配慮です問題です。
例えば、かつて小学校の副読本か何かに「アイヌの人達に対して、ア・イヌが来た、という差別的な罵声を浴びせてはいけません」というような事が書いてあったので、それを真似してクソガキどもが差別を繰り返した、という事もあったわけですし。
そういう情報を無制限に公開しても、そのような差別や偏見が繰り返されない社会が実現していれば、そんな心配はないのですが。現実にはまだまだという事ですね。
ですから、具体的な事例などは、簡単には閲覧てきないようになっているいと思います。
これは、そういう差別かない、という事ではなく、差別がヒドイからそうなっている、と考えてください。
差別や偏見よって引き起こされている、経済格差についての情報だったら…
北海道庁 環境生活部総務課 アイヌ施策推進室(AINU AFFAIRS OFFICE)
http://www.pref.hokkaido.jp/kseikatu/ks-soumu/soumuka/ainu/indextop.html
にある、ウタリ生活実態調査
http://www.pref.hokkaido.jp/kseikatu/ks-soumu/soumuka/ainu/jittai.html
が参考になるかと思います。
事実上唯一の、誰でも閲覧の自由な、アイヌの現在の状況についての公的統計だと思います。
この表において、産業別就業者の違い、生活保護の受給世帯の格差、進学率の格差をチェックしてください。
北海道と本州でも格差がありますが(北海道は植民地、つまり支配に成功した朝鮮半島です)
この調査は「同じ地域の住民と比較した」数字です。
大学進学率、生保の守旧家庭の数に倍の格差がある、というのは、とても大きな事です。
また、差別の実例を、とあせるばかりに「最近差別を受けた事かあるか」という調査を見て、
「12%とは低い」という暴言を吐く人がタマにいますが、
「居住地で、和人として差別を受けた事があるか」という質問に対する返答が何%か想像すれば、それがいかに酷な状況かわかると思います。
また「差別」というものの定義も曖昧で、差別を受けても苦痛に感じないように適応している人もいると思うので(波風立てるのはしんどい)この数字に、あまり左右されないほうがいいと思います。
なお、この資料の「アイヌの人口」は、極めていい加減な数字であるという事に留意してください。
この調査は、北海道に住んでいる、分かる範囲のアイヌ(ウタリ教会が協力してます←私は入ってないですよ)に調査表を送って、返答が来たものだけの統計です。
当然、調査表がこなかった家庭もあれば、返信しなかった家庭もたくさんあるので、実際の人口は、この2〜5倍はいるんしゃないかと思います。
あたりまえのことですが、0人となっている地域にもアイヌは多数おります。
とはいえ、これ以上の統計が他にあるわけでもないのですが…
>(でもアイヌ民族はアイヌ民族ですよね?)
この部分の意味がちょっと分かり辛かったのですが…
たぶん「人類はアイヌ民族の様にあるべきだと」と思うけど、それはみんなアイヌ民族になるという意味ではなのだ、かな?
たとしたら、それはそのとおりです。
アイヌ民族のような「先住民族」の生きかたは、今の世の中の問題をある程度解決できると思います。
ても、それはみんながアイヌになってしまう、という意味じゃないですよね。
和人だって、昔は「そういう生き方」していた訳ですから。
ななとさんは韓国人とのハーフてすか?
私も、そういう言い方をすれば「アイヌとのハーフ」ですね。
しかし、意識は「アイヌ民族」です。
そもそも、全ての人間は「両親のハーフ」ですからねぇ、親の民族や国籍で、半分になったり倍になったりするモノじゃないと思うんですが。
民族とは意識の問題なので、ななとさんか韓国人だと思えはそうだし、和人かだと思えばそうだし、どっちでもないなぁと思えは、そうなんじゃないかなぁと思います。
大切なのは、どう思ったとしても、それによって不利になったり過剰に得したりしない世の中を作ることですね。
それでは、これからもよろしくお願いします。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
それで僕なりに考えたのが、「日記」に書いた僕なりの「民族」観です。
一部分だけコピーして置きますが、日記のあちこちに分散しているので、興味ある人はぼくのHPの「日記」をお読み下さい。批判などもよろしく。
21世紀の人類にとって最大の難問となってきたが「民族問題」だが・・その概念は、人によってあまりにも違いすぎるのではないかと思う。具体的に言うと、真ん中に「言語」をすえた4つの分野を想定して、その分野のどれかと「言語」を共有する集団を「民族」と言ってはどうだろうかと思う。
4つの分野とはそれぞれ、@宗教を共有 A文化遺産・諸制度を共有 B交易圏・市場を歴史的に共有 C敵を共有
アイヌ民族などは・・樺太への元寇以後、激化した和人の蝦夷地への侵略への対抗というCの理由で、中世から近世にかけて急速に色々な氏族が「アイヌ民族」として成立したのではないだろうかと思う。
@は共通言語ヘブライ語を作ったユダヤ民族 Aはゲルマン民族などのヨーロッパの諸民族Bはちょっと今は適切な例をおもいだせないが・・論理的にはありえると思う。
http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71
どうもはじめまして。
黒川ななと(♀)と申します。
今、学校のほうで私はアイヌ民族への偏見と差別について、
まとめている最中です。
しかしたくさんのサイトをまわっても、
具体的情報が得られません。
・・・もしよければアイヌ民族の事を詳しく知っている方、
実際にアイヌ民族の方がいましたら、
詳しいお話をお聞かせ下さいませんか?
私は自然を神を大切とするアイヌ民族が大好きなんです。
本当は人類はアイヌ民族の様にあるべきだと思ったりもしました。
(でもアイヌ民族はアイヌ民族ですよね?)
私は和人です。(と言っても韓国人とのハーフですが・・・)
昔からアイヌ民族が受けてきた苦しみはわかりきれないかもしれない。
それでも知ってもらいたいんです。まわりの人達から・・・。
・・・・でわ、今回はこのへんで。
こんな私ですが、どうぞよろしくお願いします!!!
by.Nanato Kurokawa
andouさん=あんどうひろきさんですか?
ホストからは判断すると、多分そうだと思うのですが…
些細な事かもしれませんが、本人が主張する名前の表記に従う、というのも、いちおう人権の一部ですので、表記を変える場合は、同じ人物だと宣言してください。
andouさん=あんどうひろきさん、だと仮定してレスします。
万が一、そうでない場合は(別人物である場合)自己紹介なく話題を切り出す事を非礼であると指摘すると同時に「何物であるのか」という自己紹介を求めます。
さて、
>アイヌに方々が一般に、民俗学を否定されるのはよく分かりませんが
一般的に否定しているかどうかは、市井の1アイヌにすぎない私には判断できない事であります。
もっとも「一般的に○○」という判断や代弁は、アイヌ民族団体の代表でも不可能なんですが(私達は…であると思うは可です)。
ただ、アイヌ周辺にやってくる民俗学者達は、その名の通り「民俗」ばかりに関心を寄せて、アイヌが困っている状況(和人に責任があるばずですが)をなんとかしようとは、全くしてくれなかった人達が極めて多いばかりではなく「(和人から見た)民俗(場合によっては身体)的特徴」がある人間(だけ)を重視(厚遇)する行動パターン、あるいは(和人から見た)民俗(時にはDNA)的な価値のあるものたけを搾取して逃げる、という行動パターンの人が多かったので、好かれている人は、とても少ないように、私の経験からは思います。
あと、社会学者も、収集対象が民俗的なものから社会的に移っただけなので、似たようなものかもしれません。
>アイヌの方々が縄文を気持ち悪い何かのように感じさせているのも巧妙な植民地主義なのではないでしょうか。
「アイヌの方々」ではなくて、アイヌのEsamanは、なんでも『縄文』で括って解決してしまおうという姿勢に、脱力感を覚えています。
戦略として有効に活用していこう、としているアイヌは(つまり、ステレオタイプを体現・承認・場合によっては内面化することによって共感の拡大をは計っているアイヌ)、私の経験から判断すると、少なくはないと思いますよ。
(例えは、「我々は『本来のアメリカ人である』」という主張をするインデアンの運動など)
この文章のくだりの前提として
『アイヌ=縄文人である事は絶対的に正しく、それに対してアイヌが違和を唱えるように思わされている、その陰謀として植民地主義がある』
という発想が控えていると思うのですが、その根拠は、一体なんですかね?
残念ながら、DNA鑑定、歯の鑑定、土器の形状、住居の形態、田畑の技術レベルなどからは『同じ民族である』ということは、一切判定できません。
また、
『アイヌ=縄文人=日本人の多くの先祖』であるのならば、
同様に自明であるはずの、
『朝鮮人(あるいは弥生系とされている国の人)=弥生人=日本人の多くの先祖』
という言説も、もっと盛んに、強い立場の対象者、例えば、独立国である朝鮮半島の2つの国家の人相手に、アイヌ相手に言うくらい、バンバン言っていてもいいはずだと思うのですが、それが行われないのは、何故でしょうか?
半島からそれにの数の人達が渡ってきたのは、ある程度確かなのでしょうから、現在半島に住んでいる「弥生人の末裔」と、現日本列島に住んでいる「弥生人の末裔」とは、同じ民族ってことにならんのですかね?
私は、時間もたっているし、人間は変化するものだから『同じ先祖』からわかれた集団も、千年もたってしまったら同じ民族になるわけがないと思っていますが、その点は、縄文人も弥生人も同じであると思っています。
ここで注目しなければならないのは
『縄文人=アイヌ(沖縄人)=日本人の先祖』という図式には、アイヌ(沖縄人)が住んでいた土地を植民地化したり、アイヌ(沖縄人)の保持してきた財産(たとえは文化や言語や思想や生活スタイル)など収奪したりする事が、より簡単になる、という『日本人(和人・ナイチャ)』が利害が密接に関係しているという点です(オキナワ・アイヌには日本の原風景がある、など)。
これは、正真正銘に、植民地主義利害の代弁に他なりません。
利害の収奪を意識せずにに、そのような言説を行っている人がいたとしたら、その人に対しては正に『イデオロキーの完成』の状態にあると言えるでしょう。
で、私をそれを指摘する事に労力を使い、共犯関係を結ぶことはすまい、と思っています。
(例えば『あなたがたが最初のアメリカ人だ』との米大統領の言葉に対して「いやいや『最初のアメリカ人は』あなた方ですよ」と返したインデアンと同様)
ただしそれは『共犯関係の拒否』てあって『共闘の可能性の拒否』ではありません。
むしろ、こちらの言っている事が通じる可能性がある、と思っているから、放置せずに指摘しているわけです。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
ただの呼称の問題と思われるかもしれませんが、責任の違いは明白です。
それがたとえ、同じ親か生まれた人間であったとしても−−
内容的に上の続きです。
>あなた方アイヌより長い間植民地主義的支配の中で多くの辛酸を受けながらやってきた縄文系です。
私達は、和人の侵略を受けた、アイヌ系ではなくて、アイヌ民族という独自の言語・習慣・宗教を持つ民族でありますが、柳田氏は縄文民族なのでありましょうか?
私達は、妄想ではなくて具体的に(ここ100〜200年の間に)、独自の言語・習慣・宗教を抹殺するという製作を継続的に受けてきて、連綿と抵抗してきました。
もっと具体的に言えば、私達の曽祖父の世代は土地を追われ、祖父の世代はアイヌ語をしゃべると叩かれ、父の世代は随分日本人化したのに仕事先がなく、私の世代では自身がアイヌである事を意識することが困難になってきています。
(なんで男系の親ばかり出すかというと、女は女親の、男は男親の習慣を受け継ぐ、という伝統にのってみただけです)
柳田氏が、同様の具体的な侵略行為と、代々戦っていた民族に属する人物だとは、知りませんでした。
でも、そういう圧迫か家庭内で起こっていて、文学者になるとは、相当な努力をされたのてすね。
貧乏な仮定から見を起こすのは、大変な物です。
かの知里マシホ教授のお家も、けっして貧乏家庭ではなかったの訳ですし…
>列島に幾種類もの先住民族が板などと言うのは穴利にも雑な意見です。
いなかった、という意見も、極めて雑でしょう。
証拠は?
現段階の研究レベルでは、現行のアイヌ語と同言語である、と証明できるのは、東北地方の地名だけですよ。
あまり稚拙な意見を展開すると、反攻勢力揚げ足を取られますよ。
>アイヌの人々にとってはおそらく非常に親身な人物のように見えるのでしょうが、
他のアイヌは知りませんが、1アイヌであるところの私にとっては、特に親身な人間だとは思いません。
知り相手もないですし…取材にも所々、雑なところがありますしね。
しかし、書いているものはオモロイと思いますよ。
>一部のアイヌはアテルイ、モライの処刑地のある大阪枚方に参りにいかれたりしているようですが、青森の賽の河原へはいかれないのですか、もしくは九州の鹿児島の隼人塚へはいかれないのですか、
私もアテルイ・モレの慰霊祭に参加しましたが、主宰されている方々との縁があったから行っただけのことです。
賽の河原や隼人塚へも、機会があれば、同様の志を持って参加したいと、常々思っております。
ただし、その土地で、その塚を守っている方々のお誘いか同意があれば、という条件は、アテルイ・モレの慰霊祭参加と変わりません。
アテルイ・モレがアイヌだというと、気分を害される県人の方もいますからね。
郷土の英雄でもある両者が、アイヌであるという確たる証明を提示できいない現在、お誘いがあったら喜んで参加します(定かでないので参加しない、という逃げではない点に留意)という姿勢を崩すわけにもいきませんし。
(ま、アテルイの塚は、私の現在の居住地に物理的に近かった、というのも一つの要因ですが)
アテルイ・モレに関して言えば、彼等がアイヌであるという証拠はないが、色々なことから、アイヌである可能性、アイヌにとても使い民族であった可能性があり、かつ、共通の敵と闘った人物であるので、同志的尊敬の念を持っています。
私は、協働・連携の可能性に対して、別に、同じ民族である事には、全くこだわりませんし。
縄文人は民族ではない、だから、アイヌ=縄文人ではない。
民族かどうかも不明なのだから、同じであるという過程は無意味だし、そもそも民族的に同じであるから共闘するというのもヘンだ。
しかし、九州の隼人も、東北のエミシも、共通の敵と闘った点は同様ではないか?
その点は、縄文人を理解しよう、何かを考え様としている人も同様なのではないか?
ならば、共闘しよう。
千年前から闘っている相手に『まつろわない』為に、私達は同じ民族であるという幻想から解き放たれる為に。
この発想は、受け入れられませんかね?
http://www.alles.or.jp/~tariq/
帝国主義を批判する人間が必ずしも帝国主義ではないと言う保証はない。アイヌ語を保全すると言いながら結局まともな辞書も作らずその文法書や構文や統語法についての何の解説も理論化も行わず、誰にも分かりにくい未開であるゆえの無秩序な言語であると言う印象を与えてきたのは誰だったのだろうか。中華マフィアが中国の自由化と共に世界にあふれ、東南アジアの各地で多くの問題をもたらしてるのにそういうことは何もいってはならないと、半ば脅迫的に主張し中国共産党の利権についてや雲南省で生産されている麻薬が世界の麻薬の80%以上を占めており、それが中華マフィア−中華の新華僑の原資となっていることに批判しない左翼が何なのであると言うのだろうか
一方で、日本帝国主義的な古代の文脈での文化帝国主義が、縄文人に何の抑圧にもならないと言っているのである。民俗学を帝国主義の手先だと言っている連中が実は中華帝国主義の手先なのかもしれない、ちなみに、坂上田村麻呂は、当時の漢民族系の植民氏族集団つまり今日でいう中華マフィアのような存在だったのである。天皇制ができる以前から朝鮮人や漢民族系の侵略植民者は西日本では好き放題な侵略行為を行ってきたのである。そういう連中にとっては天皇もただの共犯者か道具に過ぎないのであろうし、天皇制を帝国主義だということによって広い意味での植民地主義の一部分を批判しているのに過ぎないのである。そのほかには帝国主義的野心はまったくないのだと思わせるのが巧妙さと言うものではないのか。在日朝鮮人は植民者の一部とはいえないのか。
アイヌに方々が一般に、民俗学を否定されるのはよく分かりませんが一部の左翼系ジャーナリズムたとえば日本のノーベル賞作家のことを不当に中傷するような人物に関係する問題ではないのでしょうか。確かに、その種の左翼系ジャーナリストはアイヌ問題に昔から関わり萱野氏をノーベル賞に推薦しようとした経緯はあります。アイヌの方々が縄文を気持ち悪い何かのように感じさせているのも巧妙な植民地主義なのではないでしょうか。植民地主義とはイデオロギーであり儒教や皇国史観がそうであるような意味でのイデオロギーでしょう。実践される行為の中に無意識化されているものをイデオロギーつまリ主義だと言えるのかと言えばでっかいどう北海道などと言うのはイデオロギーでしょうし、古代天皇がうまし国を討ち取るべしなどというのと同じことでしょう、近代の植民地主義は王権の論理ではなく民主的体裁をしているのです。柳田国男は縄文系の人物であり
ある種の朝鮮系の課を生理的に受け付けないとまで言っています。あなた方アイヌより長い間植民地主義的支配の中で多くの辛酸を受けながらやってきた縄文系です。ゆえにそういう体験上抵抗と言うものの大切さや相手の本質をより正確に知っているのかも知れなせん、アングロサクソンに抵抗してきたアイルランドの歴史もそのひとつでしょう。中国や朝鮮に対する謝罪や罪の意識を持つことに抵抗を感じる縄文人にあなたは抵抗を感じているのかも知れませんが侵略がつい最近の話である場合とのタイムラグだと考えてもらえればよいでしょう。一部に平和な弥生時代なる幻想を持つ人もいますが、弥生人つまり古代の朝鮮人はあなた方と同じ言語を使い同じような生活をする古代のアイヌ人を侵略し集団殺戮してきたのです。それは主に九州などの西日本に限定された地域の歴史なのかもしれませんが、アイヌをひとつの民族と考えることは正しいことですが列島に幾種類もの先住民族が板などと言うのは穴利にも雑な意見です。漢民族の帝国の中には現在中国政府が公式に少数民だと指定している人々の数はおよそ55民族あり、基本的にはそれより多くの少数民族が民族を抑圧されていると言われています。ある民族学者はかなり多い数を出していますがわたしはひかえめにみて100くらいだといっているのです。かつて、中国への侵略についての論議もありなしたが日本側も中国側もすこぶるいいかげんな主張で終わっていました。その手の歴史的に嘘を平気でつく人々は信用していません。もちろん、本多勝一氏もそのひとりです。アイヌの人々にとってはおそらく非常に親身な人物のように見えるのでしょうが、長い歴史で考えることには現実性がないと言いますがでは一体どの時代区分に限定しろと言うのでしょうか、アイヌ問題が関わっている時代区分に限定してくれと言う権利はないはずです。一部のアイヌはアテルイ、モライの処刑地のある大阪枚方に参りにいかれたりしているようですが、青森の賽の河原へはいかれないのですか、もしくは九州の鹿児島の隼人塚へはいかれないのですか、そんなことをすると柳田国男や折口信夫や山本常一のようではないかと左翼から批判されそうですか、朝鮮、漢系の左翼のことです。わたしは、アイヌのエカシ山本多助さんの熱意や民族的な同胞愛とでもいえそうなものに惹かれてアイヌ語を研究するようになったのです。北海道はただ寒いだけっだたというわけではありませんが。沖縄では広い意味での縄文民族への同胞的カテゴリーとしてシマンチュということばをもちいているようです。列島はモシリ・シマンチュではないでしょうか。
日本も立派な帝国ですよね。
そして少なくとも、沖縄と北海道との関係を見れば、現在進行形でも『帝国』ですよね。
わかりやすく『帝』までまだいるし(笑)。
中華帝国は、近代の列強闘争の中では、むしろ帝国日本に植民地化された国ですよね。
もちろん、そもそも「国」の無い先住民の問題とは、立場は致命的に違いますが。
>漢民族は一説によるとこの3000年間ほどの歴史の中で100以上の少数民族をその帝国の内部に同化してきたと言われています。
そうかもしれませんね。
ですが、時代のスパンを「3000年」という、随分な長さでとってしまう事に、ムリがあると思います。
そんなに大昔の事は証明できないような気が…
同様の言い方をすると、
「日本民族は1000年ほどの歴史の中で300以上の少数民族をその帝国の内部に同化してきたと言われています」
という言説も可能ですが、どう思われますか?
縄文主義者の方々には、弥生人という単一民族集団が、縄文人という単一集団を同化していった、という、とても単純な話しを想定する方が少なくないという気がするのですが、私としましては、
江戸時代末期において、少なくとも日本国内には276もの異なる「独立小国家(藩・国家というのは言い過ぎかもしれませんが、氏族共同体という意味では部族というのは可でしょう)」があってそれぞれに言語も違えは季候も違い、習慣も違う人達が割拠していた事を考えますと、廃藩置県&明治維新とは、各藩ごとに分かれていた違う民族を、一部の藩が主導権を握って「日本人」として統合していく侵略行為だった、という言い方も可能なんですよね。
で、戊辰戦争・西南戦争・秩父事件などは、その侵略行為に対する戦いだったと。
まぁ、多少大げさに言い過ぎの感もありますが『侵略の過程』で、言語の強制同化(標準語の設定)を行ったり、旧来の集団(部族・民族・氏族)の解体を行ったり(廃藩&俸禄の停止&解放令)したので、侵略同化とも言えなくも無いてすよね。
で、明治の時点で、それだけ「日本人」も、バラバラのものだったのだから、縄文の頃は、もっとバラバラたったのではないだろうか?
つまり「縄文人」と、今の人が骨や器や集落形態で、おおざっぱに呼称している人達は、内実は、100以上の色々な民族が含まれていたのではないのか?
と思うんですが、どうなんでしょうね?
>柳だ国男を植民地主義者扱いするのは、在日朝鮮人を先住民扱いするのと同じく無理があります。
「植民地主義者」って、具体的にどういう人のことを言うんでしょうかね?
主義者であってもなくても「植民地的利害を体現している」という点は、なんもかわらないと思うのですが?
自分の行動が植民地的利害を体現していることを自覚していたら(あるいは推進・擁護していたら)主義者、していなかったら体現者、程度の違いしかないようにも思うのですが、どうでしょうか?
なお「植民地的利害を体現」しているのは、宗主国(現日本人)の人間、植民地の人間(例えば沖縄人)、共にかなり「フツー」なことたとおもうので、柳田が、とてつもなく特別に悪い、という事は無いと思いますけどね。
あと「先住民(族)」というのは、近代国家成立の過程で損(例えば、言語を奪われたり同化されたり生活できなくなったり)をした、地域に根付いて生活している人達のことらしいですよ(つまり、ここ100〜200年ぐらいの出来事の話しのようです)。
在日朝鮮人の方々は「小数民族」であって先住民(族)ではないでしょう。しかし、立場の成立過程が多少違うだけで、日本社会の中で被っている被害には、とても似ているなものか、沢山ありますよね。
柳田国男が植民地主義者かどうか、という話しとは、まったく違うものだと思うのですが?
在日が先住民ではない、という、ただの定義の問題と同列に「無効化」するのは、随分セコくありませんかね?
http://www.alles.or.jp/~tariq/