>●「総合」について
>やっぱり「統合」なんてしていなかった、という所で、よろしいですかな?
ええと、「総合」できるか「対立」が持続されるかは、物事によるでしょう。
わたしは、いままで、「対話したらなんでも総合や!」と、安易に考えておりまして、そこで考え込んだのです。
アイヌ社会ー和人社会、なり、マルクス主義ーイスラームなんかが例に挙げられてましたが、
そのなかで、「総合」が「まるで無い」わけでは無いと思います。
たとえば、和人社会の産物である、のんきな私と、(勝手にこんな設定して、批判があれば取り除きますが)アイヌ社会の産物である、エサマンさんの現実性が出会って、
ある意味「総合」されて、いまの少しは進歩したかもしれない川魚が居る、というようなことも、言えるんではないでしょうか。
わたしは、「意見が通じ合って、共有されること」を、「総合」、と言うています。
また、もっと言えば、「双方の立場からものを見る」というような意味です。
しかし、そうは書いても、「オリエンタリズム」とか出てきたら、難しいですね(^^;
ほんまに、わたしは、エサマンさんの立場がわかったのか、、という案件もありますが、
ほんの少しはわかったから、エサマンさんの説に納得したんやないかな、というところで勘弁してくれないでしょうか。
> ●下心について
>川魚さんが、この場所に左翼掲示板を宣伝した時に、あったであろう
>「エサマンさんと、あいつらが論戦したら楽しいやろなあ、見たいなあ」
>という部分について指摘したものです。
この件でしたか!
それなら、エサマンさんの言わはる通りです。
これは、エサマンさんが、わたしのその「期待=下心」について、いま、過去ログをひっぱってきましたが、
>私と誰かを議論させたらおもしろい、という発想は、ある意味評価ですから、いいのですが、
>誘い方があきませんなぁ。
とか書いてはるの見て、また単純に、安心してしもたから、文意に気付かなかったのです。
どうも一人で騒いでしまい、すみません。
いずみさんは、前ごろ、よくその左翼板に書きこんではったんですが、最近みないですわ。
「いずみちゃんドットコム」は最近みてないですし。
しかし、意外なところで、エサマンさんとも繋がりがあったようで、愉快です。
とはいえ、「運動界(?)」に絶対的に人が少ないからかな(笑
テレビで、5mの水深に深海魚が住む変わった海の話をやっていて、まだ起きています。
この海、タスマニア島だそうですね。
世界地図を想像するときに、とっさにその地区の先住民の話しを連想する私は、も立派な「業界人」ですな。
米沢いずみさん、一度だけ会った事あり。
トランスシェンダリズム宣言、ご当人から東京で買いました。
この本、私からすると専門用語が多くて、読破するのに疲れました。
緒川さんか話題に出していたので、ついでに書きますが、
旧レラチセのあった場所の隣に「あかね」というよくわからん店があるのですが、そこで行われたイベントでお会いしました。
レラチセかあった当時は、いつも横を通っていながら、全く入った事がなかったのですが、無くなってしまってから、こうしてイベントで来る事になるとは、不思議な物ですねェ、という話しを(みなさんに)したのを覚えています。
いすみさんとは、特に深く話しをしたというわけではありません。
HP始めて見ました。ご紹介ありがとうございます。
「あかね」についての、多分公式なページ
http://www.kylin.com/akane-info/
●「総合」について
やっぱり「統合」なんてしていなかった、という所で、よろしいですかな?
●下心について
川魚さんが、この場所に左翼掲示板を宣伝した時に、あったであろう
「エサマンさんと、あいつらが論戦したら楽しいやろなあ、見たいなあ」
という部分について指摘したものです。
…深海魚が水深5mの場所にいるのは、植物からタンニンが溶けた赤い淡水が湾に流れ込んでいて、それが上に溜まっている為に、下が真っ暗になっている為だと判明。
そんな場所もあるんてすねぇ。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
何度もどうも、
緒川剛さん、と改名してはったのですね、失礼致しました。
こんばんは、まえ、逃げ出したりしてた川魚です。
また、ここでちょくちょく生息してます(^^
ストネコさんとは、直接のお話しなど、あまりなかったと記憶しておりますが、
書き込みは、拝見しておりました。
また、これからもよろしくです。
こんばんは、哀しいかな、言われて気付くことばかりです。
とはいえ、以前は、「言われてもわからん」傲岸な和人やったので、
いまの状況を、わたしは自分で勝手に喜んでおります。
>そういう点では「マルクス主義」と「イスラーム」は、
>かなり違う物だと考えた方がいいでしょう。
了解です、これも言われてわかりました(^^;
>●総合者について
>それが「統合」になるのかどうか、やっぱり、よくわよかりません。
>異なる分野(個人)同士が接触することは、違いの発見てもあるわけで、
>それが統合に繋がるとは、限らないのではないか、と思います。
>つまり、異質な物の接触点には、決裂の可能性だってあるわけです。
>それは、お互いの自由の為に、なければならい選択肢の一つだと思います。
>川魚さんか「統合者になる」と言いつつおっしゃっていることは、「対話の実践者と>なる」という事のような気がするのですが、いかがでしょうか?
いや、ほんま、対話対話というてるわたしより、エサマンさんのほうがよくご存じ。
わたしは、貴兄の言うような意味で、「対話」とか使えてませんでしたが、
これからは、そういう視点を導入します。
「総合」についても、そうです。
いや、教えられてばかりです(苦笑
(でも、「総合」って、最近10年くらいの、世界の学会の基調スローガンなんですよ。各地の大学再編でも、「総合学部」みたいなんが、いっぱい出てます。わたしはこれには評価してませんが)
>私の興味ののある分野を無理やり表記するとしたら…
>1.フェミニズム・セクシャルマイノリティの運動における「解放」闘争
>2.「正史」に対するカウンターヒストリー
>3.街頭ライヴ・講師を設定しない会合・アンデパンダン展・インターネットなどの低コスト&「本当に交流」可能な表現方法
>といったところですか。
>特に統合の必要性は感じませんが。
これもなかなか興味深いですね。
とくに、1.にからむことでしたら、米沢いずみさんが有名ですね。
彼女は、先に紹介した、左翼板(四トロ同窓会二次会)によう登場してたので、
わたしも、少し知っています。
彼女のサイト
↓
http://www.izumichan.com/
2.も、辛そうですが、やらんとあきませんねえ。
3.は、それこそいろいろあるでしょうが、個人的には、10数年まえ乗った、
「ピースボート」が対話の提供者として、すごくアナーキーで明るくて、しかも実際に機能してて、思いで深いです。でもコスト高いですね(笑
>関係無いですか、川魚さんは、山本夜羽ってマンガ家知ってますか?
>読んだ事無いなら、お奨めします。
残念ながら知らないです、
御教示おおきにさまです、日本に帰ったとき、探してみます。
ええと、あと、わたしがエサマンさんに、
「見え見えの下心、てなんです、説明して」とうったえた件に、
お答えがないようですが、エサマンさんが言わはる気なかったら、別にええですわ。
念のため、再度申しておきますが、
わたしは、なんもそんなつもりないですよ。エサマンさんを騙したりもしてませんよ〜。
まあ、主張しても、水掛論ですかね。
とにかく、お忙しい中、いつも相手していただき、おおきにさまです!
わたしの分野でいえば、エサマンさんの提言で、
自分の主義の、「対話」について、認識が深まりました(笑
それでは。
いやあ、緒川さんしゃないですか、旧名ストネコさんですね、お久しぶりですです。
お元気でしたか?
わけのわからない請求書が沢山来たというのは、なんなんですかね?
勝手に何処かに電話してしまうヤツに引っかかっているのかも?
知らない番号に掛けるのを禁止するソフトとかもあるので、使ってみてはいかかてすか?
急遽東京行きとのこと、レラチセ行かれるんですか?
あの店は、いい所ですよ。
ま、一部、私の敵(少し前にここで暴れていたストーカーとか)も出入りしておりますので、ご用心。
とはいえ、それはアイヌ関連の店をやっていは当たり前のこどて、店が悪いわけではありませんので、誤解無く。
レラチセは、少し前にHPがあったようてすが、一瞬で消えてしまったようですね。
きっと、HP担当者がいい加減なのでしょう。
ちょいと調べてみました。
レラチセを紹介しているページ
http://www.geocities.jp/aririly/information6.html
http://www.heart-beat-nakano.com/shop/s30/30115.html
かつて私の所でやったオフ会の参加者の方のページです(一番詳しいかも)
http://shupla.hiho.jp/japan/hokkaido/ainu/reracise/
地図のアップ(結構わかりにくい場所にあるので要注意です)
http://teegee.hp.infoseek.co.jp/rera.html
手許にある情報では…
営業時間:P.M.5:00〜11:00 ラストオーダーは10:00 月曜定休
新店舗:165-0026 中野区新井1-37-12 tel03-3387-2252(00'12/2より)
となっていますが、確認の必要アリですね。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
>Esamanさん、そして皆さん
あけましておめでとうございます。
去年はワケの分からない請求書メールがいっぱい押し寄せて
しばらくネット塞いでいたんですけど
気にしてもしょうがないので復活です。
今日もなんか届いてましたけどね。エッチな動画バナー付きで(汗
さて、ホントはmintaraに書こうと思ってたんですけど
こっちのほうが見てくれていそうなんで・・・
急遽、一泊二日の東京出張が決まりまして
念願のレラチセに行けそうです。
来週の14日(水)15日(木)の二日間なんですけど
15日は15:00頃に仕事が終了で、後はフリーなんですわ。
レラチセの場所や営業時間はこれからネットで調べてます。
誰かに逢えるといいな。
では、また。
http://www3.ocn.ne.jp/~stoneco/
私は「当事者との対話が全てである」と言っている訳ではありませんので、念の為。
●マルクス主義とイスラムの違いについて
私は、マルクス主義については、そんなに詳しくありません(読みましたけど)。
しかし『主義』と付くからには、資料を読んで勉強する事も、重要なんだろうなぁとは、思います。
ただ、イスラムというのは「主義」ではないんですよ。
確かに、イスラムの考えに基づいた色々な「主義」はあります。
当然マルクスに絡んだもの、経済の仕組みについて論じた物もあります。
それらが「イスラムの●●主義」あるいは「イスラム(復興・革命・革新)主義」であるとしても、
「イスラムであること」は、イコールでは繋がらないんですよ。
(多くの「イスラム○○主義者」も、資料を読んで、師について勉強しとりますよ)
そういう点では「マルクス主義」と「イスラーム」は、かなり違う物だと考えた方がいいでしょう。
この「違う」というのは、文化や性質として異質、というよりは、
「マヨネーズ(調味料名)」と「アフリカ料理(料理のジャンル名)」のように違う、つまり、比較することが出来ないような違いである、と考えたほうがいいと思います。
●総合者について
対話の可能性を増やそう、という事には賛成です。
私と川魚さんが対話することは、アイヌの社会と和人の社会の接触の、小さな実践である、という意味でしたら、理解します。
(「社会」とは、私達個人が形成する人間関係の事ですから「私のこと」は「社会のこと」です)
そらから学ぶ事が多いにある、というのも賛成で、そもそも、そういう場を作る為に、私はここを運営しているわけですが、
それが「統合」になるのかどうか、やっぱり、よくわよかりません。
異なる分野(個人)同士が接触することは、違いの発見てもあるわけで、それが統合に繋がるとは、限らないのではないか、と思います。
つまり、異質な物の接触点には、決裂の可能性だってあるわけです。
それは、お互いの自由の為に、なければならい選択肢の一つだと思います。
「決裂も含めた選択肢の用意された、自由な接触の場所」の存在が、大きな意味で「社会の接続(統合?)」の為に機能するのだ、ということならわかるのですが、それは誰かが「統合者になる」のとは、ちょっと違うと思います。
川魚さんか「統合者になる」と言いつつおっしゃっていることは、「対話の実践者となる」という事のような気がするのですが、いかがでしょうか?
>マルクス主義者は、案外、というかなんというか、理屈ばっかりの感じがしますね。
うーん、そうですかね。
私の知っている「マルクス主義者」には、色々な意味での実践者が多数おりますが…
全国ネットでアイヌの裁判支援したり、テンノーに靴投げたり、炊き出しやったり、ハンストしたり、署名やったり…
まぁ、そういう「実践」が、全て、正しいわけでも、実り豊かなわけでも、当事者から歓迎されている、というわけでもないかもしれないので「マルクス主義者について学ぶ」のが、いいことなのか、悪い事なのか、私には判定できませんが。
でも、実際に行動する事には、失敗したとしても意味はありますよね。
>1.マルクスやアナーキストたちの「革命・解放」運動
>2.東洋史・世界史(アイヌも含む。少数民族も重視)
>3.カウンターカルチャー、まんがなど。
三つとも、興味ある分野ですね。
私の興味ののある分野を無理やり表記するとしたら…
1.フェミニズム・セクシャルマイノリティの運動における「解放」闘争
2.「正史」に対するカウンターヒストリー
3.街頭ライヴ・講師を設定しない会合・アンデパンダン展・インターネットなどの低コスト&「本当に交流」可能な表現方法
といったところですか。
特に統合の必要性は感じませんが。
関係無いですか、川魚さんは、山本夜羽ってマンガ家知ってますか?
読んだ事無いなら、お奨めします。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
「エサマンさんは、ちゃんと考えてはってんな」とかいう、失礼な感想も浮かびました。
ほとんど、ご意見受け入れますが、なんも言わんのもおかしい気がしますので、以下、、
>●学問的な云々について
>>わたしは、上記の意味で、各人間の「相互干渉」もアリ、やと考えてます。
>私は『その「相互」干渉ルートには、本当に逆があるのか』という事を、常に考えます。
ああ、言われてみたら、あたりまえですが、
言われるまでは、私には気付きませんでした。
こういう点で、わたしは、「実践的」でない、机上の空論者であるとわかりました。
>この一文から想像される川魚さんの態度は、実際のムスリムとの対話からではなくて、
>資料の中や、自分の想像力(妄想)から「なにがしかの論をなそうとしている」
>ように読めるのですが、いかがでしょうか?
+
>川魚さんのイスラムに対する姿勢からは「(論を為したいイスラム当事者との)
>各人の自由な考え同士の交流・対話」をまったく感じないのでいすよ。
これも言わはる通りです。
わたしの態度の原因みたいなものは、
マルクス主義などでは、「学ぶ」と言えば文献を読むことで、マルクス主義者に実際に就いて学ぶものではない、、
というわたしの考え(妄想か)によるもので、それをイスラームに、知らぬうちに拡大したものです。
しかし、イスラームや、場合によってはマルクス主義も、
当人から学ぶべきであることかも知れないですね。
「マルクス主義の実践」とは、あるいはこういうことやったのか??@@)とも思えてきました。
重要な事を聞いたと思いますので、これから考えていきます。
>●総合者について
>やっぱり、なにを「総合」しているのかが、よくわかんないんですが…
これは、わたしは大事にしているスタンスです。
勉強一般の方法で、個別の専門分野だけ(もしくはとりわけに、)、学ぶのでなく、
広く学ぶ(=そうして、学問内部や、学問外部、つまり日常の人々や生活の上に、
ネットを貼って、対話の可能性を増やそう、というものです。
ここでこないして、マルクスの原典もろくに読まなかった(それはそれでよくないんですが、)わたしが、
何故かエサマンさんとお話して、やはり貴重な事が聞ける、というのも、それの結果や思ております。
これで、アイヌろ和人の間に、一本の線(ほんまに、わたしは大したものではなく、ささやかな一本ですが)、
を作ったことが、その、「総合」の意味です。
この場合は、アイヌ社会と和人社会の、「一つの」総合です。
もちろん、アイヌ全般や、和人全般、とは考えておりません。
わたしが「総合」したいのは、わたしの興味が及ぶこと一般であって、これは、わたしの個人資質に関わる問題であって、
いま、具体的に「なにか」は、いえないです。
まあ、無理に単純化したら、
1.マルクスやアナーキストたちの「革命・解放」運動
2.東洋史・世界史(アイヌも含む。少数民族も重視)
3.カウンターカルチャー、まんがなど。
くらいでしょうか。
> あと、なんだか、私の「語気の強さ」を気にしておられるようですが、川魚さんのような人には、
>キツク書かないと「受け入れられた」と勘違いされそうなので、意識してこうしてるんですよ。
いや、これも理解致しました、感謝しております。
以上、相手して頂いて、ほんま、ありがたく思います。
わたしが、とりわけ甘い人間であることも理由ですが、
エサマンさんの論は、「実践的」な傾向が強いですね。
マルクス主義者は、案外、というかなんというか、理屈ばっかりの感じがしますね。
遅れましたが、今年もよろしくお願い致します。
川魚さん、今年もよろしく。
とりあえず、お返事書いておきます。
●学問的な云々について
>わたしは、上記の意味で、各人間の「相互干渉」もアリ、やと考えてます。
私は『その「相互」干渉ルートには、本当に逆があるのか』という事を、常に考えます。
本当に、相互に干渉されているなら別にいいのですが、少なくは無い場合において、一方的に干渉されていたりするんですよ。
いや、支配の過程で、支配者側も被支配者の影響を若干受けますから、
正しくは『どう干渉るする(のが正しいのか)かを決められている』といったほうがいいかもしません。
つまり『わたしは東洋を知っている。それは○○のようなものだ』という感じの物ですね(E・サイード「オリエンタリズム」参照)。
>わたしは、自分の部屋の中で、イスラームなりなんなりを、自分なりに啓発された「材料」として使って、想念をまとめ、論を成そうとしているだけです。
この一文から想像される川魚さんの態度は、実際のムスリムとの対話からではなくて、
資料の中や、自分の想像力(妄想)から「なにがしかの論をなそうとしている」ように読めるのですが、いかがでしょうか?
別に、現場で顔を合わせているからエライ、当事者に親しい人物がいるからエライ、という事は、絶対にないのですが(そういう事を降り回すのも、それに関心するのも、タダのアホです)、それを抜きにして「論を為す」というのは、当事者の無視にならんか、当事者の感覚を最初から無視してよいと扱っていないか、と思います。
川魚さんのイスラムに対する姿勢からは「(論を為したいイスラム当事者との)各人の自由な考え同士の交流・対話」をまったく感じないのでいすよ。
…いいんですかね?
いまのままでは「机上(資料)の空論」に近いのでは?
●アラビア語・ウルドゥ語について
古典アラビア語ではなくて、
クルアーンとかに使われているのに似ているフスハー(正則アラビア語)を少々分かる程度ですよ。
あくまで、よく知られているフレーズが分かる、という程度のもので、ちゃんと勉強していないので、読書きはムリです。
会話のネタとして引用する事くらいは出来ますが…
「サービスで日本語訳して」という言葉には
「正しいクルアーン詠まれるもののみ、翻訳した物は全て注釈書である」
というイスラムの考えの基本を押さえての事です。
聖典に対して、翻訳者による権力行使を許さないこの態度は、学ぶべき事が多いです。
(例えば、この法則はユカラにも当てはまります。本来はアイヌ語で語られるものであるユカラを、日本語訳して「日本の文学」などと言って発行している所もありますが…いただけませんな)
ここで小ネタを一つ。
ウルドゥー語で買い物が出来ると、ヒンディー語でも買い物くらいは出来るのですが(言葉が似ている)、本の貸し借りはできません。
何故かと言うと、ウルドゥーはアラビア文字を使いますが、ヒンディーはヒンディー語で表記するので、お互いに、全く読めないんですよね。
日常会話が通じればいいじゃないか、と思われるかもしれませんが、文献が共有できないのは影響力デカイんですよ。特に知識階級にたいしては。
NHKのアラブ語講座ですが、まともにはやっていませんよ。
少し前に、1週間ほどの間、ポイント講座のような物をテレビでやって、テキストか出ています。
その時のテキストは大変わかりやすいものですが、いかんせん短すぎです。
アラビア語をかじりたいなら、私のお奨めの本は
「日亜対訳・聖クルアーン 日本ムスリム教会発行 3000円」です。
アラビア語の発音と表記の情報を何処かで入手して、これに書いてあるアラビア語を読解する、という勉強も有効だと思います。
クルアーンの唱句なら、ウェブ上て音声が見つかりやすいし、ムスリムの多くは有名な唱句くらいは分かるので教師を探すのも、助かります(とはいえ、多くのアラビア語を母語としないムスリムは、表記法の細かいところの理解は微妙なので注意)。
普通に読んでもオモロイですし。
●「受け入れられて安心した」問題について
えー、川魚さんが誰を教師と思おうが、別に構いません、ご自由に。
ですが、誰かの言っている事を学ぶのと、その相手と同じカテゴリーに属する人達に「受け入れられる」のとは、別問題だ、という事なんですか…
この様子だと、たぶん、わかっておらると思いますが。
そういう「対話の回避」「自分の認証の拡大」をする人って、少なくないんですよね。
●総合者について
やっぱり、なにを「総合」しているのかが、よくわかんないんですが…
あと、なんだか、私の「語気の強さ」を気にしておられるようですが、川魚さんのような人には、キツク書かないと「受け入れられた」と勘違いされそうなので、意識してこうしてるんですよ。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
PIKKIさん、セクトbVさん、そして、和人のXさんを始めとする常連の方々や、ロムラーを含む、色々な来訪者の方々。
明けましておめでとうございます。
…なにがめでたいのかわかりませんが、とにかく、時計の年の表示は03から04に変わりました。
今年もよろしく。
セクトbVさん、やりましたね。
きっと、マタンプシの魔除け効果が効いたのでしょう。
さすがに年代物たけのことはありますね。
そういう使い方も、いいですな。
イラク派兵に反対する意見広告の運動のホームページ、いいですね。
この掲示板は、市民運動の宣伝などに使って頂いて、一向に構いません。
ここ、以外と見ている人が多いので、効果もあると思いますし。
張りつけていただいたアドレス、突ついただけでは飛べないみたいなので、張りなおします。
米兵・自衛官人権ホットライン
http://www.jca.apc.org/gi-heisi/index.html#label2
遅くなりましたが、慣用句として、おめでとうございます。
新年早々のマージャン大会でマタンブシをして堂々2着になりました。1回戦目、2回戦目と見せ場がなく3回戦目でマタンブシをして大暴れ、そして最終の局の私の打牌まで勝負の行方がわからない見せ場を作りました。マタンブシ マンセー!です。
それで、この板とは関係ないのですが、イラク派兵に反対する意見広告の運動があります。紹介したいのですが、よろしいでしょうか?エサマンさんの判断にお任せします。
http://www.jca.apc.org/gi-heisi/index.html#label2
未来
いつまでもみんな
未来を直視する
勇気がないから
どんな嘘の輝きにも
すがりつこうとする
誰ひとり
ほんとうの欠乏が
どんなだか知らないから
目の前の空虚を
どう満たしていいのかわからない
だからてっとりばやく
みんなで渡れば怖くないという
うす汚れた権力の犬どもの
言いなりのまま
何よりぼくは
殺されるのが嫌いだから
死者や犠牲者も
しかたないという
お前こそが
真っ先に死すべき奴ではないのか
未来はいつも
まっさらなキャンバスへの
最初の一筆だから
情けない税金天引き奴隷どもの
血税や年金や保険金を
むさぼり食らう
官僚や政治屋や大企業幹部こそが
真っ先に
死すべき奴らではないのか
いま、朝まで生テレビ見てます。
コメンテーターの一人が、
「いままで日本は侵略戦争と防衛戦争しかないと思っていた、湾岸戦争の時に、第三の戦争があるということを知った」
「第三の戦争の可能性を知らなかっのは、憲法9条のせいだ」
と言っていた。
…たぶん、前段は正しい。
しかし、それを憲法の問題に結びつけたこいつは、ただのバカ。
自衛隊派遣に反対するものも、賛成するものも、気がつくべきである。
「わが国の領土」でもない土地、領土にしたい対象でもない土地の戦争に、誰が起こした戦争であれ、兵隊を出さなければならない理由とは、一体何なのか?
同盟国アメリカが、侵略を受けたのを助けよう、
家の国が侵略を受けたときにも、助けてもらう約束だから、だから兵隊を出す…
これは、ある意味対等(つまり同盟)かもしれない(賛否は別だが)。
だが、同盟国アメリカが、何処かを侵略するときに、手伝わなければならない理由とは何か?
家の国が侵略すると気にも、助けてもらう為だろうか?
いちおう、侵略戦争はしないと言っている国に、そんな約束は必要が無いのでは?
でも、兵隊を出す?
直接の交戦国でもない国に?
そろそろ気がつこう。
それは、同盟国ではなく属領の行動である。
気がついていて、それでいいと思っているなら、別にいいんですが。
…アイヌか和人化されていく過程は、けっして「わかりやすい侵略」ばかりではなかったのも、事実なのですが。
http://www.alles.or.jp/~tariq/
「ゆきゆきて神軍」(イラク派兵兵士に贈る)
敗走するニューギニアの
道さえもない山岳地帯で
あさ目覚めると また一人と
兵のひとりが盲となって泣き喚く
そのすすり泣きの声が
立ち昇る朝霧のなか
いつまでも いつまでも
熱帯の森のあちこちに
こだまし続けていたという
「俺を連れて行ってくれ、だれか・・」
白豚が米兵で
黒豚は日本兵だったという
その食料を調達する人間が
もっとも重宝されて
それゆえに
生きのびる事ができたのだという
敗戦のすぐあとに
銃殺されたというその二等兵は
米軍に降伏してでも
なんとかして生き延びたく
脱走したのだろう
その銃殺命令を出した
中隊長の息子を銃で撃って
怪我をさせたという罪で
いまではたった一人の
神軍兵士の君が
懲役十数年間の刑から
やっと
出獄してきたばかり
そのときすでに
開戦命令を発した昭和天皇は
すでにこの世にはなく
ふたたび派兵されるのを待つ
日本低国軍隊のニュースばかり
いまではたった一人の
神軍兵士の君が
今はなき天皇に向けて発射した
幾発かのパチンコ玉が
進軍する軍靴の音を聞きながら
ゆっくり ゆっくりと
錆びついてゆくばかり
http://mypage.odn.ne.jp/home/hide71
このあいだ、わたしがエサマンさんに言うた言葉のなかに、
「わたしはホモではないので御安心を」とか、ゲイやホモの方々を、度外視することを書きました。
これについて、取り消すとともに、お詫び致します。
この文、書くの忘れてて、アップ遅れてすみませんでした。
八郎さま>
無知な者が、堂々とまちがいを主張してしまい、恥ずかしいばかりです。
いいわけですが、クイも吉烈迷も、思い出してきました。
苦夷がニブフ=ギリヤーク、と勘違いしたのは、歴史地図上で、樺太の上に、そう書いてあったからです。
これも、歴史研究にあるまじき主観的越権でした。
失礼しました〜!
川魚様へ
部外者が失礼致します。
「骨嵬」、「苦夷」ともに「クイ」または「カイ」と読み、いずれも中国王朝がアイヌ民族を指したものです。「クイ」又は「カイ」という名称自体は、ニブフがアイヌ民族をこのように呼んでおり、中国王朝はそれを直接漢字に写し取ったものと思われます。ですから、「骨嵬」、「苦夷」ともにアイヌ民族を指す呼び名を音表記したもので、現代中国語でも両者の音が似るのは当然といえます。
ところで
>ギリヤークのことを、「苦夷」と書きますが、
とありますが、出典をご存じでしたらお教えください。
ちなみにニブフ(ギリヤーク)は「吉烈迷(ぎれみ)」と表記されたりします。これはウリチやナーナイがニブフをこのように呼称していたものを、音表記したみたいです。
先日気付いたことです。
前近代の中国では、漢文表記で、アイヌのことを「骨ガイ=山かんむりに鬼」、
(おそらく)ギリヤークのことを、「苦夷」
と書きますが、この「こつがい」「と「くい」は、
現代北京語では、こつがい=gu3 wei2 、くい=ku3 yi2 と、
ほとんど同じなのです。
多分、同じ対象を指してできた名前や思います。
わたしには、その意味や、はたして対象が誰やったのか、まではわかりません。
知ってはったら、失礼致しました。
掲示版を占領してますね、すみません。
しかし、「左翼」の奴ら、鑑賞しているのかなあ(笑
>●学問的な云々について
エサマンさんの御指摘は、その通りやと思います。
たしかに、学問は、そういう意味で堕落しがちですし、抜け穴として、よう使われそうですね。
エサマンさんの指摘を、訓戒として受け止めますが、
今回のことは、なにか平行線をたどっているようです、誤解があるのや思います。
かつて、「人類の解放」 みたいな側面を持った、文化人類学が、アイヌ人やナンビクラワ人社会を崩壊させたことがあるのは事実です。
しかし、わたしは、自分の部屋の中で、イスラームなりなんなりを、
自分なりに啓発された「材料」として使って、想念をまとめ、論を成そうとしているだけです。
ですので、上記のエサマンさんの訓戒には当てはまらないと思っています。
また、わたしのイスラームに対する態度で、まえエサマンさんが、「本気でやっているか」とか
「詰問(と感じましたが)」しはりましたが、
それは、ようないと思います。
人の生き方や、学習目的は、各人の自由な考え同士の交流・対話においてなされるべき、とわたしは思うからです。
とはいえ、人間・更には「学問」は、社会的なものであり、
個人の自由に閉じ籠ったり、カクレミノにしたりはできない、とも同時に思っています。
この辺、難しいのですが、かつてわたしは「朝鮮に口出しする」というて、
龍淑女史に批判されましたが(懐かしいな(^^、あの人どこに居るのかな(笑)、
わたしは、上記の意味で、各人間の「相互干渉」もアリ、やと考えてます。
>クルアーンの一節を(サービスとして日本語訳した上で)引用
からかうようで恐縮ですが、エサマンさん、古典アラビア語ができるのですか!
以前、貴兄がウルドゥー語を自然に憶えた、と聞いて、感心した(わたしは、台湾に4年居って、あまり中国語ができない)ものですが、
クルアーンの岩波文庫訳もやってはる、井筒さん(この人は、ヘブライ、ギリシャ、サンスクリット、現代各種ヨーロッパ語など、なんでもできる語学天才)が、
「古典アラビア語には、一番難渋した」と言うてはりました。
わたしは、アラブ語までやるつもりはありませんが、いま、日本では、NHKがアラブ語講座をやってるみたいですね、
帰国したら、教材を買うて、ごく簡単なことくらいは、やりたいと思ております。
> ●川魚氏のイスラムに対する姿勢について
>イスラーム教徒=アメリカと戦っている、という認識は間違っています。
ネオコンのラムたんあたりが流しているような、「宗教戦争説」「文明の衝突説」は、わたしも唾棄しています。
しかし、アメリカ(もちろん、日本も)の世界的暴力に対して、一番「目立っている」存在なので、注目したのです。
ほんまは、チェチェン人や、アイヌ人、朝鮮人、あるいは日本人も、闘っているんでしょうけど。
> また、相手が強敵アメリカであるならば、それを支援できると思っているあなたは何者なのでしょうか?
これは、急所を、ずぶり突かれたようです。
エサマンさんは、リアリストですね、
わたしの言うたのは、「左翼的幻想」の典型です。
「世界」を相手にすると、気持ちええのですよ(笑
しかし、そろそろ、わたしも、左翼も、こういう空想からは抜け出すべき、である思います。
>あなたが、あなたの住む場所で、あらゆる手段を使って、戦う必要があるでしょう。
難しそうですが、これには、ラディカルにせんといかんですね。
>●「受け入れられて安心した」問題について
これも、全くその通りです。
わたしは、エサマンさんを、「アイヌ問題」の教師のように思っていました。
これは、エサマンさんには迷惑でしたね、常々言うておられる事やのに、気がつきませんでした。
>>●他にも、よくわからない部分があったので追記します。
>>全体の総語者であろうとしている。
> 全く理解できません。
ああ、これもすみません、「総合者」のミス打ちです。
ティーカップなので、記入者偏向できるかな、と思たけど、できませんでしたね(笑
こちらで、気を付けます。
>ジブラルタル海峡の語源(ターリク将軍の鼻先)になった、ターリク将軍のことでしょうか?
予備校で、10年くらいまえに習ったことなのですよ。
ターリク将軍が、アフリカからイベリアに遠征したときのことで、
ジブラルタル海峡を、「つい鼻先かのように渡った」と聞いたような気がしたのですが、
いま改めて書いたら、あいまいでした。
あるいは、「鼻」=「岬」=「岩」なのかな、とも思いますが、まあわかりません。
とりあえずここまでと致します。