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醜悪な妊娠・秋篠宮家 皇統を継ぐということ コメント 1〜30
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コメント

_ 田舎娘 ― 2007年02月02日 13時58分09秒

はじめまして。
たまたま検索に引っかかり、気が付いたので読ませて頂きました。
ブログにコメントを書くのは初めてなので、緊張します。
皇室のことに関しては、こういった否定的な言葉は発してはいけないと思い込んでおり、私もこの内容と同じように思っていたので、なんだかわたしの心を代弁してくれたように感じ、なんだか嬉しいというか、、。
雅子様の精神的な病気の原因について(?)発表し、一時騒がれた時も、秋篠宮様は、(確か「先ず天皇に相談すべきだった」的な)否定的なコメントをしていたように思います。私はあのときから、秋篠宮様の密かなる野望が見えたような気がして、今回の事も素直に喜べないと言うのが本音です。
私も、皇室典範は改正すべきだと思います。
長くなりましたが、感じたことをコメントさせて頂きました。失礼致しました。

_ 海外居住者 ― 2007年02月20日 09時21分30秒

はじめまして。以前から貴方が書かれたこの文章は話題になっておりました。
言いたくても言えない事をはっきりと言って下さっており、胸につかえていたものが
とれました。
書かれている事、これは常識のある日本人であれば声には出さずとも大半の者が
心中思っている事だと思います。
今回の件で秋篠宮の野望が露呈し(あのガッツポーズはさすがにどうかと思われます)皇室に対する憧れも何もかも失ってしまいました。
「秋篠宮紀子 嫌い」で検索すると同じように思っておられる方の声を聞く事が
出来ます。今でもこの宮家がテレビに出てくると複雑な胸中になってしまいます。

_ オールドリベラリスト ― 2007年03月26日 06時59分49秒

私は必ずしもそのようには思いません。こう申しては恐れ多いことですが、皇太子様ご一家は皇室の存在理由について誤解されているような気がいたします。ヨーロッパの王室とは異なります。スェーデンの国王は初代がナポレオンの武将であったベルナドット将軍で歴史は200年程度、長年、ヨーロッパでは精神的には最高位はローマ法王、世俗的な最高位は神聖ローマ皇帝、その他の国王は日本で言えば、島津家とか毛利家とか言うべきもので、皇室はローマ法王と神聖ローマ皇帝を合わせたような存在です。天皇家を継ぐということは庶民が持つ民主的な家庭的なオープンな環境を捨て去る決意が必要と思うのです。秋篠宮様のご発言はそのことを強調されたものと思いますし、深く共感いたします。

_ TAKE(管理人) ― 2007年03月26日 17時35分34秒

コメントありがとうございました。

私自身も、天皇家のあり方が庶民的になる必要があるのかどうか?と聞かれれば、多少考える必要はあると思います。
これは、日本という国のあり方(象徴天皇制のあり方)そのものとも関わってくる論議でしょう。

ただ、この時(もう1年以上前になりますが)の「妊娠」という行為について考えると、この妊娠が不必要な妊娠(というより、無用な問題を発生させる妊娠)であることは当時すでに明らかであり、本来「天皇家の一翼を担う」存在であると自分を認識しているのであれば、そのような問題を発生させることは無いように(妊娠しないように)努力することこそが基本のはずだと思います。
(「子孫を残すのが仕事」という人もいますが、それでも「皇室典範改正論議を夏までには終わらせる」という流れだったのですから、それを止めるように妊娠したのは「作為的」だとしか考えられません。)

確かに、妊娠(子孫を作る)行為自体も王家にとっては政治的役割を持ちます。しかしながら、ここまであからさまなやり方で対応策を図る。その意識・政略のレベルの低さこそが、私が今の秋篠宮を支持できない理由です。

つまり
>本来、今回のような状況では、少なくとも天皇を補佐する
>立場であり自分も第2位の継承権者ということが判って
>いるのならば、「上に立つもの」として「お家騒動」を避け
>るために、一段落つくまでの間「子供を作らないようにす
>る」のが、政治的にも立場から考えても正しい判断でしょう。

この部分を正しく処理できなかった秋篠宮家の「能力不足」が、今の皇太子一家の「能力不足」より問題なのではないかと捉えています。

(今の皇太子家のありようについては、もう一度原点に立ち戻って「天皇家とは?」という部分から構築しなおせば、十分対応可能な部分だと思います。)

_ オールドリベラリスト ― 2007年03月26日 22時19分36秒

本当にそうなのでしょうか?妊娠しても男の子が生まれる保障はありません、人工授精とか、産み分けとかがなされている、となれば話は別ですが、また、皇室典範改正の結論が短時間で出るとは考えられないのです。特に自民党の有力者に反対意見は強いですから、その間、皇族は子どもを生んではいけない、となるのかな、
紀子様は30代後半だったか、数年間生むのを控えなさいというのはもう生んではいけないというのに等しいように思います。男の子が生まれてもこの議論は続けるべき、という意見は強いですし、それがなされない責任を秋篠宮様に押し付けるのは筋が違うように思えるのですが、むしろ安倍総理の責任なのでは?また、皇位は皇族のなかでルールにのっとって継承されるべきで何が何でも皇太子家でなければならない、というのもおかしな話のように思えてならないのですが、(皇太子家にプライオリティーがあるのは当然ですが、それがすべてでもないと思うのです、徳川将軍家に適格者がいない場合、御三家、御三卿から出る、同じことではないかな?)、もしこの後、皇太子様に男の子が生まれたらやはり醜悪だ、となるのでしょうか?人の生き死には自然にまかせる、その現状を認めたうえでどのようにジャッジするか、そして皇室がどうあるべきかの議論は別のところでする、それが自然だと思うのですが、

_ TAKE(管理人) ― 2007年03月26日 22時52分22秒

このあたりの認識についてですが、

「皇位継承」の見直し=愛子様継承というわけではありません。(私自身は望んでいましたが)

「皇位継承の見直し」論議を、「妊娠という行為」によってストップ『させた』ことを問題視しているのです。

また、これは「安部総理」の問題ではなく、「妊娠当時」の状況で話す必要があると思います。

当時の状況では、総理は小泉総理であり「自分の退任前(ある程度の道筋だけにしても)にケリをつけ」総理引退の花道にする という形で動いていたと記憶しています。(新聞や世論の動きをみても15年の秋口頃から話は動いていました)
つまり、15年の冬から16年正月前後に至るまで、関係者は流れを把握しているはずです。

だから、この期間に妊娠をするということは
「話が動いていることを知っていながら」妊娠する行為に及んだ、ということです。
だから今回の妊娠が「作為的」だということです。
(妊娠は自然なものだといいますが、今回の妊娠は明らかに「不自然」です。)

これは「男の子」「女の子」という問題ではありません。
妊娠すれば「(男子の可能性があるため)生まれるまで議論が保留」となること。
そして生まれる時点では総理が交代していることは誰にでも予測できたことです。

また、産み分けはできませんが、「妊娠しないようにすること」は基本としてできます。(絶対とはいえませんが、避妊すればいいだけですので)

つまり、今回の妊娠は、
「妊娠すれば事態が流動化すると分かっていて」妊娠した。 のであれば「作為的」だ、といえますし、
「流動化すると思わなかった」のであれば、状況認識にかける。
ということです。
(男の子・女の子ではなく、議論をご破算にする(流動化する)ということが問題だと思うのです。)

妊娠するのは時の運ですが、
妊娠するための「行為」は時の運ではありません。
ここには「人の意思・行為」が介在します。

ですから、
状況を分かっていて及んだなら「醜悪」。
状況が分からないまま及んだなら「無恥・無知」。

ということなので、どちらにしても、このような時期に妊娠をしてしまうような秋篠宮家はダメだ といっているのです。

>その間、皇族は子どもを生んではいけない、となるのかな、

実際には、「15年秋から16年の総理退任まで」です。「現状維持」「完全改正」「その他」どの方式であれ、議論はされたはずです。
しかしながら、実際には、妊娠によって『保留』となった。
繰り返しますが、『保留』を招いた行為。
ここに問題があったとおもいます。

_ TAKE(管理人) 追記 ― 2007年03月26日 23時06分11秒

後、
>数年間生むのを控えなさいというのはもう生んではいけないというのに等しいように思います。

これは、立場を考えれば「YES」と言っていいと思います。

結局「天皇家」(皇位継承)を普通の一般人と同じ感覚で考えていいのか?それとも別の考えによるのか?という部分でしょう。

女性としての幸せ(かどうかは、人それぞれなので分かりませんが)として、「出産する自由」はありますが、
「一般人と同様に保証」されるというなら、その子の将来のみを「天皇家」(皇位継承)という特別な枠組みで制限することに疑問が生じます。
「天皇家」に嫁いだ以上、「出産」は権利だけでなく(天皇家の一員として)「出産・育成」に通常人と異なる義務が付加されます。
この「義務」の部分を無視したことが問題なのだと思います。

まあ、この「義務」の無視については、今の皇太子一家もあまり誉められたものではないと思います。
ただ、それを割り引いても、ちょっと秋篠宮家のやり方は強引過ぎると思います。

_ オールドリベラリスト ― 2007年03月27日 13時33分51秒

仮に妊娠が恣意的なものとした場合でも、それは天皇・皇后を含めた皇族方の、少なくとも暗黙の了解がなかったとは考えられません(もちろん、天皇・皇后がわが子皇太子様を嫌うはずはありません)、それはそれで良い、と思われたか、あるいは、皇室典範の少なくとも基本の部分はいじりたくない、の深層心理をおもちだったのではないでしょうか?もちろん天皇家は一私人ではありませんので、そのあり方についても国民の総意に基づく必要があると思います。しかし、それが皇族方の暗黙の了解を得たものだとしたら、その責任は何も秋篠宮家だけのものとは思えません。個人のバッシングはしたくありません、問題の本質は皇室典範を変えることをどう考えるか、ということだと思います。私は可能な限り避けていただきたいと考えます。理由は、天皇家は日本人の心のバックボーンだからです。米国人にとっての星条旗、聖書、プロテスタンティズム、欧州人にとってのローマ法王、キリスト教、名前だけひたすら残したローマ帝国のように、日本人の心のよりどころは八百萬の神々、つまり皇室です。その伝統を出来る限り変えるべきではないと思います。皇太子家、秋篠宮家は互いにその争いの標的になっている気がいたします。皇統が皇太子家になろうと、秋篠宮家になろうとよいではないですか、それには関係なくじっくりと国民が考えれば、(皇族方の意見も十分に聞いて)

_ TAKE(管理人) ― 2007年03月28日 02時28分00秒

この話は、どこまで言っても視点が違う以上、残念ながら、同じモノを見ても結論は異なると思われます。

ただ、私としては、「周囲の暗黙の了解」の有無に関わらず、「計画し実行した」のは秋篠宮家だと考えています。
(これが天皇が最初から示唆していたのなら別ですし、もし天皇が示唆したのであれば、私の天皇家に対する認識も変わります。)

そして、たとえ「結果が良い方向に進んだ」からといって、目的と行為を正当化してはいけないと考えます。

また、これは「周囲の意見」は関係ありません。
「周囲の意見によって、自分の責任が軽減される」というのは、自己の行為の責任を他人に転化しているだけです。
それは「上にたつもの」として、やってはいけない論理でしょう。

結局、今回の場合、初期段階において明らかに「目的」と「行為」が「不純」である。ということは否定できません。
ですから、不純な行為を「計画し実行した」 この事実がある限り、私は秋篠宮家を肯定できないのです。

「今からどうするか?」という論議も大切なのですが、
私は、この「計画・実行」という事実を無視し、「結果」のみで論ずるのは危険だと考えています。

確かに「じっくり考える」ということは大事だと思います。
ただ、その前に「事実」を認識すること、これを怠ってはいけないと思います。

今回の場合は、「秋篠宮家に男子が生まれた」
このことをもって、「秋篠宮が不自然に妊娠した」という事実を無視する。
ということは許されないと考えています。

ですので、私は秋篠宮家を肯定できないのです。
(「内心の自由」はいくらでも自由なのですが、「実行の責任」は無視できない。ということです。)

ご意見を読むと、「実行の責任」については、まったく考慮していないようですが、どのようにお考えなのでしょうか?
(「結果の責任」・「思考の背景」については論じておられますが)

_ オールドリベラリスト ― 2007年03月28日 21時23分34秒

ウーン! 困りました。私としては、この問題は、皇室典範に関する考え方の問題としたかったのですが、つまり、皇太子家が伝統を重んじないからとか、秋篠宮家が皇統を自家のものにしたいから、とかそういうことからは別の問題にしたかったのですが、純粋に現在の皇室典範をどうするべきなのか? それではだめですか?(私も醜悪の文言で多少感情的になりました。お詫び申します) 皇統が皇太子家でも秋篠宮家でも良いではないですか、

_ もりかわしみ ― 2007年04月02日 10時19分27秒

管理人さんへ。
あなたの文章は秋篠宮家に対する悪意に満ちた書き方ですね。
あなた、皇統が秋篠宮家にいくことが嫌だとおっしゃってますが、もしですよ?女系天皇が認められたとして皇位継承権のなかった敬宮愛子が皇位継承者になったとしますね。その敬宮愛子に子孫が出来なかったら嫌でもあなたが嫌っている秋篠宮家にいくことになるんですよ?なぜなら現皇太子家に最も近い皇族は秋篠宮家だからです。愛子内親王に子が出来ないままお隠れになったら最近親である眞子内親王の系統になります。それはわかっていますか?しかも、あの無識者会議(あまりにも卑劣で自己中心的なので敢えてこう呼んでます)は「皇室離脱は認めない」とまでやりました。皇室離脱が出来ないなら当然、秋篠宮家の子供たちも離脱はできません。

あと最初のほうですが、
>しかし、もし、仮にこのような野心も持たずに、偶然、妊娠したのだとしても、私は彼らを天皇家としては認めることはできません。

どういうことですか?偶然でも皇統を継がせたくないんですか?わかりやすく説明してください。


あとあなた、以前まで慎重論を支持していたとおっしゃってましたね。それで秋篠宮家には皇統を継がせたくないとおっしゃってますね。あなた自身、実は以前から秋篠宮家の皇族が嫌いだったんですか?

_ TAKE(管理人) ― 2007年04月02日 18時51分07秒

もりかわさま、コメントありがとうございました。

はっきりいって、秋篠宮家は昔から嫌いです。
それは否定しません。

ただ、皇室継承の論議については、多少感情が含まれることは否定しませんが、それとは別に冷静に判断しても、
今回の秋篠宮家の妊娠そのものが、本来、あってはならない妊娠だったと考えています。

理由は、文章中にすべて書いてありますので、
きちんと読んでから、コメントをいただきたいと思います。

>あと最初のほうですが、
>>しかし、もし、仮にこのような野心も持たずに、偶然、妊娠したのだとしても、私は彼らを天皇家としては認めることはできません。
>
>どういうことですか?偶然でも皇統を継がせたくないんですか?わかりやすく説明してください。

その次の「なぜなら」以降、および最近のコメントをお読みください。

簡単に言えば、もし「できていなくても」
当時の状況下で、「作ろうと考え避妊しなかった」意識と行為、そのものが危険であり不適格だ と言っているのです。

初期段階から書いてある通り、
「妊娠した」ということは偶然の結果(意図できない結果)だとしても、

「妊娠するためにSEXする」という行為は、行為者の(つまり秋篠宮家の)意思を必要としています。

私は、結果の責任ではなく、このような状況下での「実行」・「実行しようとする意思」が醜悪だと言っているのです。

それとも、この妊娠は「善意」または「不慮」の妊娠だとでもいうのでしょうか?
それでも、状況認識をせずに妊娠した浅慮は非難に値すると思いますが。

妊娠する時は、事前に「避妊しないSEX」が必要です。
(人工授精以外)

そして逆に言えば、SEXの時、避妊しないのは
「妊娠しようという意思」があるか、
「妊娠するなんて思わない」という、妊娠の可能性に対する意識の欠如が必要です。
(というか、どちらか以外、避妊しないSEXは存在しませんが。(レイプの場合を除き))

つまり今回の妊娠は
「妊娠しよう」とした計画妊娠 か
「避妊を怠った」不慮の妊娠 ということになります。

言い換えれば、作るつもりで「できた」か、間違って「できちゃった」のかいずれかです。

当時の状況からすれば、
秋篠宮家は「妊娠しないように心がける」がベスト です。

ですから、「積極的意思」(作りたかった)のであれば、「醜悪な意思の持ち主」ですし、
「避妊を怠った妊娠」(できちゃった)のであれば、「状況判断ができていない愚か者」といえます。

だから感情を別にしても、秋篠宮殿下が皇位継承者としては「不適格」であり、「秋篠宮家に優先して流れるような皇位継承は、望ましくない。」
という結論に達したのです。

繰り返しますが、
元々、嫌悪感情は多少含まれていても「論議は慎重に行うべし」が基本でした。
(秋篠宮家に流れても受容できる範囲)でした。

が、今回の(妊娠)「行動」から
秋篠宮家は「(悪意か愚かかは別として)皇位継承者としてはふさわしくない行為を簡単に行う方である。」
と認識しました。

もし、この妊娠が「適切な妊娠だった」といわれるならば

今回の妊娠について、どのように理解すれば、
秋篠宮家は「状況を十分に考慮し、悪気をもたず、適切に妊娠した」と考えられるのでしょうか?

教えていただきたいと思います。

_ もりかわしみ ― 2007年04月03日 00時14分07秒

>TAKE氏
俺はあなたの文章ならびにほかの方のレスすべて見ましたが?

>はっきりいって、秋篠宮家は昔から嫌いです。
それは否定しません。

それなら、以前から秋篠宮家は嫌いだと断言すればいいじゃないですか。

あと、あってはならない妊娠、愚か者などあまりにも卑劣なことがいえますね(そのうえタイトルは醜悪な妊娠)。他人の妊娠を非難するんですか?最低ですね。秋篠宮夫妻は秋篠宮夫妻で子供を作ったんですよ?男子であれ女子であれ、望んだ妊娠です(望まぬ妊娠なら公に発表せずに中○していただろう)。何も、皇統を乗っ取ってやろうという変な考えはないと思います。それをなんで皇族でもその側近でもないまったくの部外者のあなたが非難するんですか?男子であれ女子であれ、子供は授かりものです。ましてや皇室となると男子は貴重な存在です。

ご存知のように、昨年秋篠宮家に男子が誕生しました。その子の皇位継承権は第3位です。第1位は言うまでもなく皇太子です。その次は秋篠宮です。ほかにも常陸宮や三笠宮にも正統な継承権はあります。しかし、愛子内親王をはじめとする女子皇族には継承権はありません。それを法律変えてでも愛子内親王に皇位を移そうとしてるのがあの無識者会議です。このようなことを皇位簒奪というのです。つまり、正統な継承権を持つ皇族たち(皇太子を除く)から奪おうとしていたのです。今は白紙化されて、沈静化されており、自分自身としては正直ホッとしています。

もし秋篠宮妃が懐妊しなかったら皇統は本当に断絶だったかもしれないんですよ?懐妊があったからこそ、様子を見るべきという声が続出し、9月6日に生まれたのが”たまたま”男子だったから免れたんだよ(仮に女子であっても次を期待するだろう)。
俺は皇統は救われたと思ってます。奇跡です。


>もし、この妊娠が「適切な妊娠だった」といわれるならば 今回の妊娠について、どのように理解すれば、
秋篠宮家は「状況を十分に考慮し、悪気をもたず、適切に妊娠した」と考えられるのでしょうか?
教えていただきたいと思います。

十分適切です。先にも述べましたが望んで出来た子です。どこぞの異性やセフレと遊びまくって妊娠する(させる)男女とは違います。
悪気も何も、妊娠がなければ皇統は救われなかっただろう。それと秋篠宮家に男子が出来ても次代の天皇は皇太子だ。その次が秋篠宮だ。そしてその次が昨年ご降誕された親王です。そんなのみんなわかってるでしょう?勿論、皇太子家に男子が生まれたらその子は皇太子に次ぐ順位。

最後に言いますが、秋篠宮家が嫌いな理由は何ですか?教えてください。俺は秋篠宮家に非難されてしかるべきところは何もないといえますが・・・?

ついでですが、俺は1990年生まれで、断固男系維持の天皇制支持者です。旧宮家復帰も主張しています。
側室は昨今の世じゃ非現実的だが・・

メールも受け付けております。

_ もりかわしみ ― 2007年04月03日 00時43分37秒

ついでだが。

>秋篠宮家は「妊娠しないように心がける」がベスト です。

それこそ秋篠宮家に対する人格否定じゃねえか。子供を望んでいるのに産むなとは・・。秋篠宮家だって少なくとも自分の宮家の後継者が欲しかっただろうに。

妊娠そのものを問題視してるようですが、あなたの考えは卑劣極まりないです。もう1度あなたの書いたものをすべて読みましたが、非常に気分が悪いです。はっきり言って人間性がないですね。他人の妊娠に対して「醜悪、野心、愚か者」とインターネットという不特定多数の人が閲覧する場で公言するということは反社会的になります。

ホンマに気持ち悪い。吐き気しそう。夜中だから今晩寝られるかな・・

_ TAKE(管理人) 自分で書いていながら長いと思う ― 2007年04月03日 02時53分34秒

まず、以前から好きかどうかというのは、現時点ではあまり関係の無い論点だと考えます。
ですから、記述するもしないも自由な範囲でしょう。
(多少、議論に感情は含まれますが、議論においては原則「事実とその事実から類推されること」のみをもって話しているつもりですので、本論とは関係ない事項のはずです。)

後、「嫌いだからこそ」単純な好悪で判断するのではなく、冷静に「事実」を元に考えるべきだと思っています。だからこそ「慎重に」考えるべきなのではないでしょうか?

少なくとも「感情論」を前提にしてものを述べるのはどうかと考えます。


>あってはならない妊娠、愚か者などあまりにも卑劣なことがいえますね(そのうえタイトルは醜悪な妊娠)。

いいます。
「あってはならない妊娠」というのは、確かにこの世に存在します。
「妊娠はすべて祝福されるべき」という宗教・倫理感があることは事実ですが、「政治」・「歴史」・「現実(事実)」という視点においては、「妊娠」という『事実』は、古来から様々な時代変化を促す要因です。
そして、その「妊娠・出産」がすべて「良い結果を生んだ」とは限りません。

したがって、「あってはならない妊娠」というものも「政治・社会」などの上では少なからず存在します。

私はこの件については、「倫理」の話をしているのではなく、あくまで「政治・社会」等の論点から論理的に考察し話をしています。ですから「いつどこで妊娠しようと、社会・政治上の変化は無視して、すべて祝福すべし」とするのでは、この話とはそもそもの論点が外れますので、一切議論は成り立ちません。

次に、地位あるものは、「地位がある」というだけで、通常人と異なる責任が存在します。
意識・無意識に限らず、自分の行為に多大な責任を負う必要があります。
いかなる王家・貴族であれ、歴史上また現実(リアルタイム)の時点でも、その妊娠・出産は、世界において様々な影響を与えます。

それらの影響を感情・論理的思考などを含め考察することは誰でも自由に行える行為だと考えます。これを「日本の天皇家だからという理由で考察したり悪感情を持ってはいけないけない」と制限する理由はありません。
制限するのであれば、それは立派な思想統制です。

「我々の象徴たる天皇」家だからこそ、日本人はもっと考えるべきだと思います。

さて、本論ですが、何度も主張している通り、
私が問題としているのは「当時の状況下において、避妊しなかった事実」についてです。

私の意見としては、
1.「このような情勢下において妊娠すれば、議論が封殺されることは、誰にでも理解・予測できた」
2.「それなのに妊娠した」という 2点が前提となっています。

これが、まず「作為的」な妊娠行動(SEX)であれば、
「結果を予測しながらSEXした」(結果を率先して導いた)ということですので、
「(妊娠という)実力行使によって議論を封殺しよう」と考えた(実行した)ということになります。

この「妊娠という行為を用い議論を封殺しようと考える」思考・行動が、私からすれば醜悪だと考えた部分です。

また、もし仮に、そのような意図がなかったとしたら、
「あの情勢下で、自分が実力行使(妊娠)すれば、議論が封殺されることは予測できた」のに妊娠したのであれば、あまりにも浅慮ですし不用意です。

さらに、「予測できなかった」ということならば、「状況認識に欠けている」ということになります。

そして、「それでも妊娠してもかまわない」と理性をとめられなかったのであれば、「本能を理性で制御できない。」という事で問題があると考えます。

結局、どのパターンで考えても、「皇位継承に足りるべき思考・思想・理性の持ち主」といえないという結論に達します。

もし「皇位継承に足りるべき存在」というならば、この部分を反論してください。
「誰の目から見ても、当時の状況で妊娠しても議論が封殺される可能性はなかった」ということを、正しく説明してください。
その説明に正当性があれば、私も、自らの説の誤りを認め、謝罪しこの説を引っ込めます。

あなたの説明では、他の理由付けは色々あるのですが、この部分の説明・反論がいっさいありません。それでは、いくら言われても、基本前提と論理が覆らない以上「議論にならない」としかいえません。

>もしですよ?女系天皇が認められたとして皇位継承権のなかった敬宮愛子が皇位継承
>者になったとしますね。その敬宮愛子に子孫が出来なかったら嫌でもあなたが嫌って
>いる秋篠宮家にいくことになるんですよ?なぜなら現皇太子家に最も近い皇族は秋篠
>宮家だからです。愛子内親王に子が出来ないままお隠れになったら最近親である眞子
>内親王の系統になります。それはわかっていますか?

わかりません。
というのも、この話が「皇太子の血統が途絶えた場合、次の順位は秋篠宮家である」という前提を「絶対普遍のもの」とした話でしかないからです。
なぜ、仮定の段階で「宮家の皇位継承権剥奪」という可能性がないと断言しているのですか?

当時、「皇室典範の改定」を一つの方法として視野にいれていたのであれば、その内容は、皇位継承順位・皇位継承資格の喪失についてなど多岐にわたり考えられることであって、「ある行為によって、皇位継承権が剥奪される」という可能性は考えられるはずです。
(通常の民法ですら「相続人の欠格事由」が存在しているのに天皇家には必要ないという根拠はありません)なぜ仮定の段階で「欠格自由が盛り込まれる」(皇位継承の順位が変わる)可能性を視野に入れていないのですか?


ところで、もりかわしみさんや今までの反対意見の方々についてですが、
(誹謗中傷も山のように来ているのでですが、議論に値しない、単なる誹謗中傷はすべてカットしています。)

何度も書いているのですが、
私が述べた前提とそこから考察された論点。
結果、「醜悪だ」という感情に至ったこと。

この、前提>過程>結論 が間違っていれば、どこが間違っているのか指摘すれば済む話なのですが、この流れを否定する人が誰もいないのはなぜでしょう?

違う話を持ち込んでいくら否定されても、「この議論」の前提と異なる話である以上、一致する事はありえないのですが、どうしたいのでしょう?

どうも「議論をする」ということに慣れていない方が多いように思われます。

「日本人の議論下手」というのは、こういうところに現われているのかもしれませんね。

議論(ディベート)の基本は
「相手の前提・論理・結論」を切り崩すこと。
「自分の前提・論理・結論」を切り崩されないこと。
の両輪がすべての基本なのですが…。

もりかわしみさんの論点の「切り崩し」は長くなるので、
メールか別箇に書こうとでも思います。(これでも長い)

_ TAKE(管理人) ― 2007年04月03日 03時12分52秒

もりかわしみさんから、書いている途中にすでに追記が入っていたようです。

>秋篠宮家は「妊娠しないように心がける」がベスト です。

>それこそ秋篠宮家に対する人格否定じゃねえか。子供を望んでいるのに産むなとは・・。秋篠宮家だって少なくとも自分の宮家の後継者が欲しかっただろうに。

「当時」の状況下では。という前提を抜いていませんか?

後、「皇室の一員」であるなら、単なる個人的感情で動くのは許されないことだと考えます。

このあたりいかがな考えなのでしょう?

皇室を特殊な存在として考え敬っておきながら、皇室が「個人的感情で動いてもいい」とする。

その論理は、少々おかしいかと思います。

さらに、「妊娠を醜悪と論ずるのは卑劣」との事ですが、
だから何なのでしょう?
政治や社会について論じている時に、「卑劣か否か」というのは本質的に問題ではありません。

最後に採用するか否かの部分では、必要であっても、思考段階で「卑劣なことは考えない」というのは、思考の硬直化です。

「すべて人は善人の思想で論じなければならない」というのであれば、それは「夢物語」ですので、どうぞ自分のユートピアでゆっくり語ってください。

すくなくとも「現実」の話をしている「今」は役に立ちません。

後、読んで反論するのであれば、正しく反論してください。

繰り返し書きますが、
「卑劣な考え方であるか否か?」は、「議論」をする時には関係ありません。

また、「公言する事が反社会的行為」である。
というのはどういうことでしょう。

自らの意見を自ら論ずることが「反社会的行為」として許されないとすれば、それは「言論統制」です。

結局、あなたの場合は、「自分の意に沿わない意見」は「反社会的行為であり統制すべきだ」ということなのですね。

コメントを要約すると、そのようにしか解釈できません。

ネット世界で「言論統制」を持ち出す人がいるとは、驚きです。

_ もりかわしみ ― 2007年04月03日 12時02分26秒

>TAKE

あなた馬鹿ですか?本当に理解に苦しみます。呆れます。
秋篠宮妃の懐妊がなかったら本当に無識者会議の結論で改悪になってたんですよ?たまたま、懐妊があったから、救われたんだ。
状況もクソもないでしょう。結局あなたは慎重論を唱えておきながら、実は無識者会議の結論(女系容認・男女問わず長子優先)を支持して、賛成派だったんですね。
先にも言いましたがもしこのまま懐妊がなかったら本当に皇室典範改悪に至ってたんですよ?

>なぜ、仮定の段階で「宮家の皇位継承権剥奪」という可能性がないと断言しているのですか?

秋篠宮の血筋に皇位を継がせたくないと述べましたよね?もしも、皇太子の血筋が絶えたら、皇統は最近親の秋篠宮系統に移ることになるのだと言ってるんですよ。これは嘘ではないですよ?あなただって皇太子・敬宮愛子の血筋は絶対に絶えないという前提でやってるじゃないですか。

あと2つ目のレス(2007年04月03日 03時12分52秒)ですが、はっきり言いましょう。

反  論  し  よ  う  が  な  い  で  す  。

正直、あなたの意見はあまりにも無茶苦茶で意味がわかりません。結局あなたは秋篠宮という人物やその家族(子供たち含む)を忌み嫌ってるんですね。まあどう思うかはあなたの勝手ですけどね。

>結局、あなたの場合は、「自分の意に沿わない意見」は「反社会的行為であり統制すべきだ」ということなのですね。

いつそんなことをいいましたか?俺はあなたの言動や文章があまりにも卑劣で悪意に満ちてるから反社会的だといったんですよ。

>コメントを要約すると、そのようにしか解釈できません。

あなたのコメントを要約すると、日頃から皇室を攻撃している左翼のようにしか見えないですね。

>ネット世界で「言論統制」を持ち出す人がいるとは、驚きです。

あのね、ネット世界においても、言っていい事と言ってはいけないことがあるんですよ?
あなたはご存知かどうかはわかりませんが、昨年9月に秋篠宮家に男子が生まれた際に、「流○すればいいのに」とブログで書いた人がいました。その人のブログは一気に炎上し、激しい非難に晒されました。このようなことを不特定多数の人が閲覧するネットで公言するということを反社会的なんですよ。勿論、思うのは勝手です。だから、自分専用のノートなりメモ帳なり、人に見せないものに書くべきではないかと。

あなたが醜悪な妊娠と思うのは勝手です。しかし、ネットで公言するものではありません。多くの人に不快感を与えかねないような発言は控えるべきではないですか?

あともう1ついいますが、もしこの懐妊が皇太子家でも同じことが言えますか?皇太子妃の妊娠を「醜悪な妊娠!」といいますか?

_ TAKE(管理人) ― 2007年04月03日 18時27分42秒

何を話しても、前提条件が凝り固まっている以上、議論対象にはなりませんね。

あのときの議論関係を含め、
「無識者の集団である。」「改正ではなく改悪である」と決め付けている。
この時点で、自分の意見に沿わないものはすべて「悪である」と決め付けているのでしょう。

それはそれでかまいません。
どうぞご自由に。

あなたの意見は、話し合う議論ではなく、
自分の意見に「合わせる」ための話でしかありません。
他のところで炎上させた人と同じなのでしょう。

「自分の意見以外認めない」
「自分の意見と合わない意見は存在してはいけない」

思想統制・言論統制をされたいならどうぞご自由に。

ただ、後一応お答えするとしては、
>あともう1ついいますが、もしこの懐妊が皇太子家でも同じことが言えますか?皇太子妃の妊娠を
>「醜悪な妊娠!」といいますか?

皇太子家の嫡子と宮家の嫡子を「同列に並べて」いる時点で、「皇室」というものを理解していない。
「お話にならない理解と主張」しかできない人といえます。

_ T.K ― 2007年04月06日 17時46分07秒

私も皇室典範改正の審議再開を求めます。
男女関係なく皇太子家の長子相続がよいと思います。
私の疑問点は以下です。
 もし秋篠宮家が野心なく純粋にお子さんがほしかったのなら、国会通過後に発表するでしょう。
なぜ一般常識よりも早く発表したのか?
 それを受けて、安部首相は「今改正したら紀子様のお腹のお子様の皇位を奪うことになります」と言って小泉さんに改正案を白紙にするよう迫ったそうです。(新聞記事より)なぜこの時点で安部首相は子供が皇位を継げる男児とわかっていたのでしょうか?
「皇位を奪う」という感覚が違和感があります。
うまく言えませんが、皇位というのはメリットで、失ったら損になる、特権だというように聞こえます。
現代の皇位というのは、国民が総意に基づくものだと思います。だとしたら、世論に問うて論議して総意を形成していくべき問題だと思います。
秋篠宮家に子供が一人できたことと、典範の改正を見送ることの合理的な関連性は見出せません。
 なぜ典範改正案を作った審議会(?)はうやむやに解散してしまったのでしょうか?
この問題は終わっていません。まだ始まったばかりです。

_ オールドリベラリスト ― 2007年04月15日 17時31分37秒

小泉総理が皇室典範の改正を発議された理由は、このままだと皇統が絶えてしまう、という理由であったと記憶します。もちろん、一人出現されたから万全ということではありません、皇室典範の議論は進めたら良いと思います。ただし、何が何でも現皇太子家の系統が継がれていくべきであるから、その妨げになりかねない、皇室典範会議の気勢をそぐような妊娠はおかしい、という議論は話が逆のような気がしてなりません、徳川将軍家は宗家が絶えれば、御三家御三卿から選ぶ、別に正当性をうんぬんする問題ではないと、どうしても感ずるのですが、あえて言えば、天皇家は神の祝福を得たものが継ぐ、その祝福を誰が受けるのか、という問題と私は感じています。醜悪な妊娠であれば所詮、神の祝福などあろう筈はないと思っています。(申し訳ない、論理的にあまり丁寧でないとは思いますが、言わんとするところを理解してくださることを望みます)

_ オールドリベラリスト ― 2007年04月15日 18時43分38秒

追記です。私は別に皇太子家が皇統を継ぐことに異議を唱えているわけではありません。2〜3年前の皇太子様と秋篠宮様の両意見に対し、秋篠宮様を支持する考えを持っているだけです。それは皇室は前にも申しましたようにヨーロッパの王室とはあまりにも事情が異なるからです。(ローマ法王兼神聖ローマ皇帝のようなものですから)しかし、それについても、皇太子様は即位されればいろんな面で変わられると思います。現天皇・皇后のご苦労をおそばで見ておられますから、ですから、皇統がどちらになるかなどはどうでも良い(といっては申し訳ないですが)、神がお決めになることと思っています。(神様をだしたら議論になりませんが、申し訳ありません、私の思想ですので)

_ TAKE(管理人) ― 2007年04月15日 22時28分19秒

コメントありがとうございます。

私個人としては、秋篠宮個人が嫌いなため秋篠宮家に対しての批判的表現が多いことは否定しません。
ただ、それと皇室典範改正論議は別な話と捉えています。論議の結果「改正に及ばず・改正する」という結論がでれば、それに従うべきだと考えています。

ただ、今回の問題では、
「実行によって議論を封殺した」という事が問題だ、と捉えているのです。
繰り返し書きますが、あの当時の情勢からすれば「妊娠すれば論議自体がとまる」ということは誰にでも予測できる自明の理でした。
ですから、この「自明の理を判っていながら妊娠した(妊娠するよう努力した)」ことが問題だといっているのです。

これは、小泉首相や他者の問題ではなく、秋篠宮殿下らの在り方、為し方そのものの問題です。

何度も言うように、「皇室典範の議論がとまった」結果の責任ではなく、「止まる事が予測できた」のに実行した、本人らの行為の責任を問うているのです。

責任ある立ち場の人は、結果に対してだけでなく、常に「判断」「実行」の責任も問われます。「結果だけの責任」を取ればすむのは、責任ある立場にいない人、上に立っていない人です。

例えば、社長が会社が潰れることが十分に予測できるのにそのまま対策も採らずすごしていれば、潰れた時、「対策を取らなかった社長の判断は正しい」と流すことは許されません。
当然、会社をつぶした「判断の責任」を問われます。
これは法的な責任というだけの意味ではありません。
法的責任というのは「責任」の中でも一部分にしか過ぎないので、法的責任でない責任というものも世界には存在します。

今回の話も本質では同じことです。
「妊娠すれば論議がとまる」ことは予測できたのに「妊娠した」
言い換えると「実力行使で言論を封殺する」ことが予測できたのに「実力行使をした」
この「判断と実行の責任」を考えるべきだといっているのです。

ところが、多くの人が、この責任を「男子が生まれて良かった」論で流そうとする。また、「皇室典範の論議とは関係ない」と流そうとする。これが私には納得できません。
確かに男子が生まれたことは「良きこと」なのかもしれません。「皇室典範の改正」とは関係ないことかもしれません。

ですが、「実力行使で言論を封殺する」このような「判断と実行」は、天皇家ほどの地位あるものとしては当然回避すべきだったと考えます。なのに秋篠宮殿下はおこなった。この責任を問わずに「無かったこと」にすることだけはどうしても納得ができません。
だから、私は秋篠宮家を支持できないのです。

それと、妊娠するように努力しても「妊娠するかどうか」は確かに神の思し召しです。
ですが「妊娠するように努力する」のは『人の力』です。
人の力があって神の思し召しがある。これは「人事を尽くして天命を待つ」といってもいいでしょう。
この「尽くした人事」そのものが問題だ。と私は言っているのです。
秋篠宮殿下らが「尽くした人事」は「力によって言論を封殺する」努力です。
これを肯定することは「言葉を力で封殺することは正しい」と認めることになるので、私は納得がいきません。

何度も言いますが、過激な表現を抜きにすれば、今回の私の発言は
「言論を実力行使で封殺した」この一点のみです。
この事実をスルーして話を進めることはできないということです。
この事実を許すか許さないか?という事を皆さんにも考えていただきたいと思います。

_ オールドリベラリスト ― 2007年04月16日 11時16分57秒

今回のブログを見るまでは、私は単純に、伝統あるものだからあまり変えないほうが良いが、と思いつつ、あの状況ではやむをえないな、と思っていましたから、あのご妊娠でとりあえずは時間が稼げるな、と単純に思っていました。考えれば、ある程度の作為性はあったかもしれませんね、でも人間誰しも現状維持を好むから、皇族方も大半は現状維持を望んだのでは?つまり、三笠宮家であろうが、高円宮家であろうが誰か男子を、という最大公約数はあったかもしれない、こう申しては大変に失礼で文章にしたくないのですが、皇太子家自身、愛子様の即位をお望みにならなかったことも十分にありえるような気がします、制度の問題だから個人の希望は関係ないといえば関係ないのですが、当事者でもありますから、となりますと、ある種の作為性があったとしてもそれを全て秋篠宮家に押し付けるのは酷のように思いますが、憲法改正でも護憲派は直接の関係はなくても国民投票法案そのものに反対しますし、それはそれで作戦としてわかりますし、改憲派はじっくり議論を、と言われても今がタイミング、と思いますから、やむをえないような気がしますが、ただ、国民の総意として皇室がどうあるべきかは、別の問題ですから議論したら良い、と思います。繰り返しですが、尾張徳川でも紀州徳川でも良い、ただし、即位前と即位後ではまったく異なる、そこが重要と思っています。

_ TAKE(管理人) ― 2007年04月16日 17時04分54秒

言いたいことはわかるのですが…

「他の人も望んでいたから」実行した人には何ら罪がないということは、無いと思うんですよ。

オールドリベラリストさんの意見でも、まとめてしまうと「他の人も同じ気持ちだから」「みんなが言っているから」認めてもいいのではないか?
ということになってしまうのですが、私からすれば「たとえ大勢が望んでいたとしても」「やった」のは本人ですから、その「行為」の責任を本人がとらなくてはいけない。このままおざなりに流すのはいけない、と考えているのです。

実際、「みんながやっているから」「社会が同じようなことをやっているから」私がやってもいいんだ。
という論理を成立させてしまうと、今ある様々な不正も、ほとんどが「許される行為」になってしまいます。
(『赤信号、みんなで渡れば怖くない』論です)
これではいけないと考えます。

本来、地位ある人ほど規範となるべき行動をする義務があります。地位ある人ほど「みんながやっているから、みんなが良いって言ったから、私も踏み越えていいんだ」というように弁解することは許されない。私はそのように考えています。

だから、様々な誘惑や声があったとしても秋篠宮殿下は、「天皇家の一員だからこそ」(日本国の象徴であるからこそ)規範として越えてはいけない一線があったはずです。
なのに、これを不用意に越えてしまった。または作為的に越えてしまった。
だから「上に立つもの」としては失格だと、考えているのです。

単純に言ってしまえば
「王家として為すべきことを為さず、為してはならないことを為した」ゆえに「罪」がある、ということです。
本質的に、「王」とは「天皇」とは何か、という根底部分の考え方なのでしょう。
(今よく言われる言い方をすれば真の「ノブレス・オブリージュ」とは何か?ということです)

私の考えは、
秋篠宮家が行ったのは、「王道」ではなく「覇道」
だから「王たりえず」
ということです。

_ オールドリベラリスト ― 2007年04月17日 21時12分46秒

逆説的かもしれませんが、新宮様のご誕生でかえって落ち着いてじっくり議論出来るようになった気がします。あのときの状況では仮に私が有識者会議のメンバーであってもあの結論しか出せません。今の時代に側室などは論外ですし、皇統を絶やすわけにはいきませんから、でも新宮様のご誕生で、長子優先にするか、男子優先にするか、あるいはもっと、ヨーロッパの王室に近いものにするか、伝統を重んじるものにするか、選択肢が与えられたと思うのです。もちろん、愛子様、新宮様は品定めをされるようでおつらいでしょうが、それもお立場からやむを得ないと思います。いずれこの議論は起こるような気がします、ですから結果オーライのように思えますが、結果オーライというと無責任のようですが、これをあまり排除しますといわゆる原理主義になってしまうような気がします。ポルポトカンボジアのように、文革紅衛兵のように、かえって住み難い社会と思いますが、変な例ですが、靖国神社にまつられるA級戦犯、責任なしの理由に、では原爆を使ったトルーマンに責任はないのか?があります。トルーマンに責任はあると思います。でも、勝者の責任を問うことなど現実として不可能、では論理に矛盾があるから、責任を問うべきではない?それは現実的ではない、と思います。(私自身、A級戦犯の人たちの人間性あるいは人格を責めるつもりはありません、ただ、開戦責任は免れない、と思うだけですが)、つまり人間社会、あまり論理を優先するのはどうかな?と言いたいのですが、

_ TAKE(管理人) ― 2007年04月18日 03時40分23秒

原理主義に落ちいるつもりはないのですが、
やはり「上に立つ方」と「下の方(言い方は悪いですが)」については、持つべき責任や論理は元々「別のもの」と考えます。

私の考えは、
「高貴なる者」と尊敬崇拝される立場ならば
「高貴なる者」としての為すべき責任が生じる。
とシンプルです。

逆に言えば、
「高貴なる行動を取ること」によって
「高貴なる地位を得る」とも考えます。

だから、自ずから「下々の者」と「高貴なる者」が担うべき責任はまったく異なります。
秋篠宮殿下は、その「高貴なる者」の責務に反した。と考えているのです。

ですから、その後の結果はまったく関係ありません。

なので、これ以上同じ話を繰り返されてもどうしようもないというのが本音です。

「高貴なるものの責務」(王道)に反したこと。
これが秋篠宮殿下の罪であり、「高貴なる罪」は「他の行為(下々の贖罪)であがなえるものではない」とも考えます。
これが本来の「高貴なる義務(ノブレス・オブリージュ)」の基礎となる考え方だと理解しています。

なのに、話を読んでいると、どうも「下々の論理」でしか責任を問うていないように思います。
つまり「ノブレスオブリージュ」や「王としての倫理」などは存在しない(いらない)ということなのでしょうか?
では、なぜ「自分たちと同じ程度の責任や道徳しか無い人」を高貴なる者として尊敬することができるのでしょう?
私からすると不思議な話です。

私が、醜悪だと言っているのは「高貴なる責務」を放棄したことであって、それ以外の理由ではありません。
ですから、もし私がこの話を取り消すのであれば、それは『「高貴なる人」に「高貴なる責務」を負わせる必要は無い』と言う考え方を持つようになった時だけだといえます。
なので、他の理由をいくら並べられてもしょうがないのです。

後、トルーマンとA級戦犯の話では「どちらにもそれぞれ『上の者』として担うべき責任・罪がある」と考えます。

ただトルーマンは「法的に裁かれなかっただけ」です。
私の基本的な考えは『「法の上で負う責任」と「社会的に負う責任」』は違います。
世界は「法」がすべてとは考えていません。
しょせん法など、人が人の世を生き易くするために設定した「道具」にしか過ぎません。

実際、トルーマンの責任・罪は「法的に裁かれてはいません」が、「原爆を落とした者」として未来永劫「非難をあびる立場に立つ」ということで与えられています。
これは「法的に定められたこと」ではないのは、誰でもわかります。
「法が定まっていない」からといって、「トルーマンを非難することは許されない」というわけではありません。

これが「上位のものが持つ社会的責任」(社会的評価と言ってもいいかもしれません)の一つの姿だと考えます。
後、おそらく、この「社会的責任」は、どうやっても消滅することは無いでしょう。(永遠に「原爆を落とした大統領」として評価され続けるでしょう)

また、ポルポト政権や文革紅衛兵の話ですが、彼らについては、「上位階級の人」に対してだけでなく「一般民衆」にまで「多大な社会的責任」を押し付けた。
このことが間違いだと考えます。
(方法自体も間違っていると思います)

結局、
「高貴なる人」と「一般の人」をまったく同じ立場で捕らえるか、異なる存在として捉えるかということなのだと思います。

「尊敬」や「崇拝」などによって、「自分たちと異なる存在(立場)」として捉えているのに、
「行為」とその「責任」についての話になると、とたんに「自分たちと同じ存在(立場)」としてしまう。
多くの方が無意識に行っている、この切替感覚が私にはできないのでしょう。

_ TAKE(管理人) 追記 ― 2007年04月18日 04時09分58秒

私が、秋篠宮殿下を「醜悪」としているのは、
「王(家)・高貴なる者として」醜悪 だからです。

「人として」どうか? と問われたら、
「普通の人」なら「よくある話」なので、まあ許せる範囲。
となります。(尊敬はできないでしょうが)

ちなみに、私を左翼的思想と考える人が多いようですが、実はバリバリの右翼思想です。(天皇家については)

天皇家は「高貴なる存在」であり続けなければならない。
ゆえに「高貴なる者」としての責務・罪を問われ続けるお立場にあらねばならない。
と考えているのですから。

逆に言えば、「人としての在り方」を天皇家に問おうとしたことはあまり無いです。
婚姻制度についても、天皇家が「一夫一妻制である」ことが必要とは考えていません。(それは「人(というより日本国民)の家族制度」であって、天皇家に適用すべき理由はないので)

実際、昭和天皇陛下以降一夫一妻なのは、「法」で定まっているのではなくて、単純に天皇や皇太子が「側室を持つ気がなかった」だけです。

なので、私としては三笠宮殿下が言われた男系維持発言をさらに拡張して、側室を持ってもかまわない(というより側室を奨励)と考えています。

なお、これを「女性蔑視」という人がいるでしょうが、それは「一般人としての論理」にすぎず、
「天皇論に持ち込む」のは筋違いだと考えます。

_ 通りすがり ― 2007年04月24日 20時04分19秒

こんにちは。

管理人さんが「切替感覚」が分からないと仰る表裏一体として、そこまで仰る「高貴なるものの責務」(王道)「高貴なる義務(ノブレス・オブリージュ)」がどこから来たもので、なぜにそれ(管理人さんの脳内にあるもの)を絶対的なものと定義し、皇室の人に強要するのかが、私には分かりません。
もしかして、王室マニュアルとか、経典のようなものがあるのでしょうか。
一般常識として現代の日本人に求めるのは、ちょっと難しい共通認識(その「高貴…」の絶対的規定が世の中にあるとしても)だと思います。

その説明不足によって、管理人さんの理論が独善にしか見えなくなっているように思います。

_ TAKE(管理人) ― 2007年04月27日 21時59分11秒

コメントありがとうございます。

確かに、「王とは何か?」ということをあまり語らずにきていたかのように思います。これはご指摘の通りだと思います。言葉たらずといわれれば、確かにうなずきます。

ただ、「王室マニュアル」というハウツー本にはなっていませんが、中国古代の「王道」「覇道」の倫理観、西欧の王権神授説。果ては現代企業の「リーダー論」まで、
「トップとはどうあるべきか?」とか「トップの権限由来」など幾多の「トップ論」はすでに生まれています。

「王」「皇室」について語るのであれば、このいくつかは自分で学んでいておいて欲しいとも思います。また、他の本から学ばないとしても「天皇家とはこうあるべきだ(こういう存在だ)」という自分なりの理論を、ある程度構築しておいていただきたいと思います。

なぜなら、意見に「反論・批判する」ということは、相手が主張していることをある程度「理解している」ということが前提となるからです。

批判する以上は、前提となる「相手の理論」をある程度理解し、矛盾部分(間違っている部分)を指摘するか、自分なりの「理論」をもって批判する。

これが、「議論・対話」の基本原則です。

で、まず私の主張については
・「王」は「王として、通常人より高度の倫理観を要求される」
・「王」は「王道」(中国・儒教思想など)を歩むべき。
と、おそらくこの2点に集約されます。

これを理解したうえで「違う道もある」と主張されるのはかまいません。
これは、議論をする上で当然のことだと思います。

しかし、理解もせずに「文章表現が不快だから」「皇室批判をするのが不快だから」「私の意見と違うから」という理由だけで、「意見の撤回を求める」のであれば、それは単なる「思想の押し付け」です。
(しかも「自分が不快だから」という理由しか存在しない)

このような方については、議論・対話という形式自体が成立しません。

(なので、オールドリベラリストさんとの対話は、ある意味、お互いの理論・視点があるので「対話・議論」としては成り立っていると思います。
ただ、この上で、「異なる結論」となるのですが、これはお互いの視点が異なっている以上当然のことです。人は、すべて同じ意識では無いのですから。)


後、
>一般常識として現代の日本人に求めるのは、ちょっと難しい共通認識(その「高貴…」の絶対的規定が世の中にあるとしても)だと思います。

実は、これは、私も感じるところです。
ですが、「王とは何か」を考えずに盲目的に天皇家を認めることは、同時に危険な行為だとも考えます。
今、日本国憲法の改正論議などを見ても、「理解」せずに「感情」論だけで話をしている人が多いように感じられます。
日本国憲法とは何か、法とは何か、日本とは何か、国家とは何かなど、『日本国憲法』のあり方について、ある程度「理解」または「自分なりの思想」があるならかまいませんが、どうもその場の雰囲気・気分で話をしているように感じられます。

…話がずれたようです。

「書いてあることが足りない」から「理解できなかった」のは私の落ち度かもしれませんが、
「不快な文章だから」と「理解しようともしない」のであれば、それは私の責任ではありません。
「理解する」努力を放棄する人にまで「理解させてあげよう」などとは考えていませんので。


最後に、ブログは「自己の意見を主張する場」である以上、多少独善的になるのは仕方が無いのではないかと思います。
「私はこう思う(それに対して読者はどう思いますか?)」
というのが、私のブログの使い方です。

『思いついたこと、気がついたことを気の向くままに書いていく』ブログ
と書いたように。

_ オールドリベラリスト ― 2007年04月29日 19時23分26秒

絶対に言いたくなかったのですが、皇太子殿下のご発言「、、、人格を否定する動きもありました、、、」、管理人さんがおっしゃるノーブレスオブリージュとかなりかけ離れていると思っていました。(それを表に出すべきではないという意味です)。秋篠宮殿下のご発言はそれを指摘されたものと(しかも節度をもって)好感を持っておりました。しかし、皇位は継承されてこそ皇位、皇太子殿下も即位されればお立場を理解される、そう思っております。それが私の発言のバックグランドです。

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