第19回、北海道大学・アイヌ納骨堂イチャルパ・参加報告

報告者:oripakEsaman

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とき:2002年8月2日(金)

ところ:「アイヌ納骨堂」
札幌市北区北15条西7丁目(北海道大学医学部敷地内)

この報告に関連する新聞記事

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アイヌ民族遺骨、300体木箱に移す・北大、安置方法を改善(2003/07/05)
「児玉コレクション」の収集者,児玉教授の「業績」に関連する新聞記事・雑誌記事(1937-1982)


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私はいままで、このアイヌ民族の屈辱の歴史を証言する納骨堂に一人で訪れ、
酒を捧げた事は何度もあったが、正式にイチャルパに参加するのは初めてだった。
その時に見たもの、感じたものを報告する。





慰霊祭の日の納骨堂



青い箱



白い包み



イチャルパ








尚、ここに紹介される写真は、全て私の撮った本物である。








「アイヌ納骨堂」とは、戦前〜戦後にかけて、北大の解剖学教室(児玉作座衛門教授)が、
各地のアイヌの墓をこっそり盗掘、あるいは警官隊を伴い白昼堂々と強襲して集めて回った
1004体にも登る人骨を、現在に至るまでアイヌに返還せず保管している場所である。


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この人骨の収集に当たった児玉作座衛門教授は、墓の盗掘によって獲得した多数の人骨と
刀や首飾りなどの副葬品をまとめて「児玉コレクション」と称し、国内外の研究者達に誇示した。



1980年、この「コレクション」の中の多数のアイヌの人骨だけが、
動物実験室にずさんな形で放置されているのが、海馬沢博アイヌの手により発見された。
1982年、ウタリ協会はこれに対して抗議を行い、旭川・釧路は地元へ遺骨を奪還、
他の支部の遺骨は、1984年に駐車場脇に北海道大学資料保存庫を建設させ移動した。


1995年、北海道大学内の退官した教授の部屋から、新聞紙に包まれ、ダンボール箱に
入れられたウィルタ民族、朝鮮民族、アイヌ民族などの頭骨6体が、アイヌの手により再び発見された。
この人骨をアイヌ解放同盟の
山本一昭が保持、再三の北大の妨害を廃し、人骨の返還に奮闘した。
人骨の一体は抗日ゲリラの指導者で、事件は国際問題にまで発展した。


2000年、アイヌ文化振興財団は「児玉コレクションにみる北の民アイヌの世界」を企画、
解剖学者児玉教授の「アイヌ資料の収集者」としての偉業を称える全国巡回展を開始した。
これに対し、
Ainu puyarAのEsamanは「アイヌ特別展を考える集い」を展開し迎撃、
全国巡回は第二回の名古屋を最後に行なわれなくなった…?



だが、「児玉コレクション」の中の着物や副葬品などの物品は、未だに児玉教授の娘が「児玉コレクション」と称し、私有財産として保持し、展覧会などに貸し出して儲けている。

そして、北大アイヌ納骨堂には、いまだに969体の人骨が残っている。
戦いはまだ続いている。

また、北大による収集例が多数報告されている「死亡直後の遺体」については、
現在に至るまで、その消息は全く不明である。


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