精神世界の知恵をダウンロードするの術
VOL-3







 「普通」

もしも誰も知らないホニャララ国に旅行に行って、両替所で1万円を両替してもらうとします。1万円出していくらもどってきても、「はいそうですか」と受けとるだろうと思います。最初の両替所ではどことも比べてないので、怒ることはないし、感謝することもありません。


その後、色々な両替所に行くと、だんだんホニャララ国の平均的なレートがわかってきます。ツウになってから考えてみると「最初のところは親切だったんだ!」とか「くやしい〜」とか思うのです。


「普通こうだ」というのは、今まで自分が知ってたものの平均にすぎません。「普通」という思い込みがなければ、「損した」と怒ることも、「得した」とホクホクすることもありません。


いつも優遇されていた人が、たまたま優遇してもらえなかっただけでハラをたてることがあります。親に与えられたものに子供が感謝しないのも、それが「普通」で「あたりまえ」だからです。逆に人身売買で売られた子供が、親に怒りを感じるどころか「親に家を買ってあげるのが夢」と言う場合もあるのです。


「普通」という基準は、今までの平均や、「こうあるべきらしい」という知識でしかないので、絶対的な基準にはなりません。時代や国によってずいぶん違います。私にとっての「普通」と、皇太子の「普通」と、狼少女の「普通」はかなり違います。同じ現代の日本人同士でも、ひとりひとりの環境や体験によって違ってきます。


だから、「普通さぁ」という言葉を聞いて違和感を感じるときは、「それが普通なのか」と真に受けないでいいのです。「その人がどういう世界で生きてきたか」をあらわすキーワードとしてとらえれば、相手を理解するのに役立ちます。その人は、たまたまそういう体験が多かったのです。それが「普通」である世界に住んでいたのです。そのような思い込みはお互いにたくさんあるのです。


スピリチュアルな人たちは、「普通」が幻であることを理解しています。いろいろなことを「当たり前」とは思わないので感謝することや、不思議に思うことが増えていきます。気づかずに通り過ぎることがだんだん少なくなります。そして単に「普通っぽくない」「変わっている」「常識的でない」という理由だけで、人を責めたりはしません。

(その後、「普通こうするじゃん」と言ってる自分に気づき、「ゲ」と思った。)