コミュニケーションについて
VOL-5







 「交流パターン分析」

訂正箇所は下の方(本題のところ)
(前ふり)

交流分析っていうのがありましてね、人はだれでも3つの人格の要素をもってるといいます。

1・親(Parent)の部分・・・・同情したり、たしなめたりする親の部分。
          援助の手をさしのべるような養育的態度。
          価値判断、倫理観、善悪の価値観にもとづく言葉、
          人を非難したり、制限をあたえる支配的、懲罰的部分。

2・大人(Adult)の部分・・状況を観察、データを収集、分析する合理的な部分
               何事も事実にもとづいて判断し、冷静に計算する。

3・子供(Child)の部分・・・感情的で本能的な部分。自由。よく遊び、よく笑う。
           周囲の愛情を失わないために期待にそおうとするイイ子。
           野次馬にまじって騒いだりする部分。恋する部分。
           スネたり怒ったりする反抗的な部分。



たとえば交通事故を見かけたときに、それぞれの人格は何を言うでしょうか。

1・親(P)「あ〜あ、若い奴がスポーツカーなんて乗り回すからこういう
          ことになるんだよ。でも大丈夫かな。救急車呼んだかな」

2・大人(A)「どういう状況で衝突したのかな。スピードは何キロでて
            たか。でもこんなことに関わっているヒマはない。仕事!」

3・子供(C)「お〜!また派手だねこりゃ。どれどれ?」
       「おお怖!」



(ここから本題)
訂正update!


ふたりの人間がいるときに、相手と自分がどういう関係にあるか、ということを無意識に考えています。暗黙に想定している関係性が、おたがい一致しているときは、相補的交流といいます。

たとえば、おたがい親子(上下)関係であるという認識があっても、仲が良い場合もあるし悪い場合もあるように、相補的交流がいい関係とは限りません。でもお互いの関係性についての認識のズレはありません。

はしゃいでいる恋人、子供同士のような遊び仲間。


情報交換、大人同士の自立したつきあい。他人同士。


親子、相談する人&される人。上司と部下。甘えさせる人と甘える人。支配する人と従う(または反抗する)人。



お互いが暗黙に想定している関係性が違っていると、コミュニケーションに行き違いがでてきます(交叉的交流)。相手にボールをなげかけても、相手から帰ってくるのは期待していたような反応ではなく、予想外の反応になります。コミュニケーションを試みても空振りになって「???」という感じ。


教えようとする人と、自分が教えられる立場だとまったく思ってない人。



部下は上司にたいして従順でいようとしたり、反発したりするが、上司は部下を独立した大人同士として見ている。



片思い。大好きな人は、自分を子供としてしか扱ってくれない。



以上の例は、抜粋ではなく私が想像で書いた部分があるので、間違ってるかもしれません。けれど、このようにお互いの言動の奥にある「暗黙に想定している関係性」を図にあらわしてみることによって、解決するポイントがわかる場合もあります。