コミュニケーションについて
VOL-8







 「サブパーソナリティー」

ヒプノをしていて気づいたことなのですけれど、とくに影響を受けた相手はサブパーソナリティーとして自分の一部になるみたいです。

ゼリーを型に流せば固まって、型がなくなっても形がくずれません。そこまでスピーディではないけれどサブパーソナリティーもそんな感じでできます。モロに影響を受けている間は、植えつけの時期です。

好感をもっていた人や、長く一緒にいた人は「サブパーソナリティーの素」になりやすいです。親兄弟もパートナーも「サブパーソナリティーの素」になります。

サブパーソナリティーがどういう資質を持つかは、「サブパーソナリティーの素」になった人の本当の性格というよりは、「どういう人に見えたか」という部分の影響が大きいみたい。

たとえば、優しくて面白かったおじいちゃんのイメージはいつまでも好印象として残ります。ほかの人から見れば、おじいちゃんはワガママなところがあったとしても、孫にとっては優しさのサブパーソナリティーなのです。

ヒプノでもイメージのおじいちゃんは優しくて面白いことを言います。イメージのおじいちゃん(サブパーソナリティー)が言うことは、実際のおじいちゃんが言わなかった新しいことも言います。それでも優しくて面白いという点だけは実際のおじいちゃんと同じです。亡くなった人が新しいことを言うのだから、自分自身の「優しくて面白い部分」が言っていることなのかもしれません。

おじいちゃんと出会って印象に残った優しさが、いつのまにか孫自身の資質になっていきます。孫自身が、どこかしら優しくて面白い部分がある人になります。
サブパーソナリティーができつつあっても、パッと見わかりにくいかもしれません。特に「サブパーソナリティーの素」の人からはその一面が見えません。「素」の人がいなくなったり、変わったりすると表面化しやすいです。別の場所で発揮されやすいです。

「素」の人がいないところで表面化するのはなぜかというと、もしかすると、自分の生活のなかにいつもあった要素(「優しさ」とか「面白さ」とか)がない場所では、当たり前だったバランスが乱れてついつい不足した部分の役回りをやってしまうのかもしれません。

ネガティブな要素であってもサブパーソナリティーが生まれてしまうのは同じです。虐待する親をとりこんでしまったために、自分や人に暴力的な衝動をもつ人もいます。親がいつのまにか年をとって丸くなっても、子供の心の中にいるサブパーソナリティーは相変わらず威勢よかったりします。

身近な人は、お互いそっくりのサブパーソナリティーをプレゼントしあうのかもしれません。たとえ問題のあるサブパーソナリティーを引き継ぐのだとしても、どこかに愛情があったからサブパーソナリティーが生まれたような気がします。問題の種をわかちあうのは、ひょっとしたら解決する可能性を増やすためなのかもしれません。

もし自分が「サブパーソナリティーの素」になって、相手にあんまりよくない影響を与えたあと考え方が変わったとします。そういう場合、相手のなかのサブパーソナリティーが自然に変わることを期待するよりは、行動したほうが早いです。サブパーソナリティーは「素」である自分以上に当時の自分らしくてしぶといのです。でももしも、ホントに自分の考えが変わったということが相手に心底伝われば、相手のサブパーソナリティーも連動して変わります。なぜ自分が変わったかについて話し合うのが効果的だと思います。