井戸尻遺跡発掘に取り組み、八ケ岳山麓の考古学において、先駆的な業績をあげた藤森栄一は、戦後まもなく、八ケ岳山麓から出土する考古遺物を検討するなかでこれらの文化構成は、どうしても農耕があったと考えなくては理解がつかないという考え方に達した。縄文時代は、狩猟や採集などを中心とした社会であったとする当時の学会の認識からは、到底納得しえない衝撃的な内容のものであった。これが世にいう「縄文農耕論」である。これらも今日的にみれば、論旨のなかに不十分な点や修正すべき内容のあることはいなめない。
井戸尻考古館では、この意志を受け継ぎ、縄文農耕の立証と文化内容を一貫して追求してきたが、この10年来、面目を一新するような段階に至った。中期の主要な石器群を体系的に把握することに成功したのである。石器は農作業の一連の過程を担う農具であり、その農具の組み合わせからは、常畑(じょうばた)における雑穀栽培を主とした集約的な農法があったという考えに到達している。