富士見高原の歴史案内


歴史民俗資料館の正面より富士を望む


■ 解 説

 昭和30年、富士見・本郷・落合・境の4村が合併し、新しい富士見町が誕生しました。

 「富士見」の名前の由来は、旧富士見村の名前からきていますが、明治9年に県へ提出された史料によると、「富岳巽に方(よ)り甲斐一國を距て廿里の遠望絶佳、詩客の感ずる處なり。又常には農夫耕耘の疲勞をわすれ、生涯を娯樂す、天然の風景なり、因て居民の欲する處より富士見村と號す・・・」と村名の由来が記されています。

 富士見高原が位置する八ケ岳の西南麓は、今から約5千年ほど前には縄文時代中期の文化が発展し、井戸尻遺跡をはじめとする多くの集落跡が出土しています。

 また戦国時代には、甲斐の武将・武田信玄の北信濃攻略のための拠点となり、江戸時代には、甲州道中の宿場町として蔦木宿などが栄え、本陣もおかれました。

 このほか乙事(おっこと)諏訪社や御射山(みさやま)社をはじめとする多くの史跡が今も残されています。

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富士見高原略年表





西暦




年号




主 な で き ご と





約2万年前










八ケ岳西南麓に最初の人類の足跡がみられる。




約1万年前
(紀元前8000年)







 紀元前7500年


新石器時代(縄文時代)早期
一ノ沢遺跡などに生活址が点々とみいだされる。





 紀元前4000年



前期
八ヶ岳西麓に定住村落が出現し、南麓も次第に開拓される。





紀元前3000年


中期
八ヶ岳の西南麓、とりわけ編笠山麓が中部高地から関東西南部に展開していた民族と文化の中心舞台となる。(井戸尻遺跡群)
入笠山麓にもいくつかの集落が営まれる。





紀元前2000年


後期
西岳山麓および八ケ岳西麓の集落は存続するが、編笠山麓はさびれる。





紀元前1000年


晩期
編笠山麓から西麓にかけて集落が稀になる。





紀元前300年頃


八ケ岳西南麓には小さな集落が細々と点在。





紀元後300年頃


立場川右岸の砂原地籍に小集落。
以降、平安時代の十世紀半ばまで集落の営みはみとめられない。













 







 
           







950年
(天暦 4)

この頃より八ヶ岳西南麓や西の窪の各所に牧に依拠した集落が営まれている。(足場遺跡など)
貢馬の運搬に石堂越え、法華道などの峠道が利用される。





1274年
(文永11)

下蔦木の敬冠院境内の高座石で日蓮が説法をしたと伝える





1528年
(享祿 元)

諏訪頼満、武田信虎と神戸・堺川で戦い、堺川で敗れる。(神戸合戦)





1535年
(天文 4)

諏訪頼満、武田信虎と堺川の北岸で和睦する。





1540年
(天文 9)

諏訪頼重、武田信虎の息女禰々をめとり、化粧料として境方18ヵ村を譲渡されたと伝える。





1542年
(天文11)

諏訪頼重ら信濃4将と武田信玄が瀬沢で戦ったという伝承がある。(瀬沢合戦)





1552年
(天文21)

武田信玄、甲府より諏訪への道(棒道か)の開削を命ず。





1582年
(天正10)

徳川家康、北条氏直と乙事に対陣する。(乙事陣場)
乙事の五味太郎左衛門、家康に属して活躍する。





1604年
(慶長 9)

平岡・塚平・御射山神戸に一里塚が築かれる。





1610年
(慶長15)

甲州街道が甲府から下諏訪まで延長される。
この頃、蔦木宿が取り立てられる。





1611年
(慶長16)

御射山神戸新町の開発免許証文が出される。





1647年
(正保 4)

この頃稗之底村、廃村となる。一旦村民が戻るが、寛文年間に再び廃村。





1653年
(承応 2)

大平新田の開発文書が出される。





1716年
(享保 元)

甲州街道の名称を甲州道中と改める。





1722年
(享保 7)

乙事法隆寺十一面観音堂建立。





1737年
(元文 2)

この年まで御茶壺が甲州道中を通る。





1762年
(宝暦12)

御射山神戸八幡社社殿建立。





1780年
(安永 9)

乙事村出身の三井透関、甲州道中の改修を行う。





1810年
(文化 7)

松目新田に植松自謙取り立てにより、時中舎(心学舎)創立される。





1811年
(文化 8)

乙事で諏訪社の分霊を受ける。





1826年
(文政 9)

御射山社社殿の建て替えが行われる。





1837年
(天保 8)

小六柏尾社社殿建立。





1853年
(嘉永 6)

乙事村、譲り受けられた諏訪大社上社旧弊拝殿を移築する。





1860年
(万延 元)

若宮新田に百庚申が建てられる。
先達村・栗生新田・御射山神戸村にも庚申塔が建てられる。





1864年
(元治 元)

田端天神社社殿建立。





1871年
(明治 4)

廃藩置県により諏訪高島藩は高島県となるが、同年松本・飯田・高遠・伊那そして飛騨と統合され筑摩県となる。





1874年
(明治 7)

10カ村合併して落合村となる。
10カ村合併して富士見村となる。





1875年
(明治 8)

6カ村合併して境村となる。
立沢村と乙事村が合併して本郷村となる。





1876年
(明治 9)

筑摩県、長野県へ統合される。





1880年
(明治13)

明治天皇御巡幸、上蔦木と原之茶屋で御休息、平岡で野立てが行われた。





1883年
(明治16)

本郷村が立沢村と乙事村に分かれる。





1889年
(明治22)

市制及び町村制施行される。
立沢村と乙事村が再び合併して本郷村となる。





1899年
(明治32)

富士見銀行が御射山神戸に開業。(昭和12年に廃業)





1904年
(明治37)

中央線が富士見まで開通し、富士見駅が開駅。





1912年
(明治44)

伊藤左千夫の設計により原之茶屋に富士見公園ができる。





1916年
(大正 5)

富士見村・境村・乙事に電灯ともる。(翌年に全町域)





1922年
(大正11)

鳥居龍蔵博士により坪平遺跡(別名:ドルメン類似遺跡)発掘。





1926年
(大正15)

株式会社富士見高原療養所開設。





1928年
(昭和 3)

信濃境駅が開駅。





1929年
(昭和 4)

富士見駅前が大火。





1930年
(昭和 5)

乙事諏訪社、国宝に指定。





1942年
(昭和17)

富士見分村172世帯が満州に入植。





1946年
(昭和21)

富士見村・落合村の満州開拓団からの引揚者ら南原山に入植。





1948年
(昭和23)

乙事諏訪社の社殿火災。





1950年
(昭和25)

乙事諏訪社復元され、国重要文化財に指定。
このころ入笠山の鈴蘭ハイキングコースが有名となる。





1952年

(昭和27)

釜無湖誕生。(昭和34年の台風災害で埋まるまで)





1953年
(昭和28)

藤内遺跡の発掘調査始まる。





1955年
(昭和30)

富士見・落合・本郷・境の4カ村合併して富士見町となる。





1958年
(昭和33)

井戸尻遺跡の発掘調査始まる。





1959年
(昭和34)

台風7号襲来、各所に被害続出。
井戸尻遺跡保存会による井戸尻考古資料館が境支所に開館。





1962年
(昭和37)

第1次農業構造改造事業着手。
上水道経営認可、工事着手。
藤内遺跡の特殊遺構および住居址の発掘。





1965年
(昭和40)

町内4農協合併し富士見町農業協同組合発足。





1966年
(昭和41)

井戸尻遺跡が国(史跡)の指定を受ける。





1967年
(昭和42)

農業近代化施設カントリーエレベーター建設。





1968年
(昭和43)

カゴメトマト工場操業開始。





1971年
(昭和46)

八ヶ岳保健休養地に八峯苑オープン。





1974年
(昭和49)

井戸尻考古館竣工。
富士見町民俗資料館(境連絡所内)発足。





1975年
(昭和50)

西伊豆町と姉妹町締結。
曽利遺跡より出土の土器7点、長野県宝に指定。





1977年
(昭和52)

フレンドシップセンター(町民センター)竣工。





1979年
(昭和54)

第2次農業構造改造事業完了。





1980年
(昭和55)

諏訪精工舎富士見工場操業開始。





1981年
(昭和56)

中央自動車道 諏訪南インター供用開始。





1984年
(昭和59)

富士見高原スキー場オープン。





1985年
(昭和60)

すずらんの里駅が開駅。





1986年
(昭和61)


多摩市と友好都市締結。
富士見町歴史民俗資料館竣工。





1987年
(昭和62)

富士見パノラマスキー場オープン。





1990年
(平成 2)

ナウマン象臼歯化石、落合矢ノ沢流域で発見。





1993年
(平成 5)

川崎市と友好協定締結。
リッチモンド市(ニュージーランド)と友好都市締結。





1994年
(平成 6)

コミュニティ・プラザ竣工。





1999年
(平成11)

道の駅「信州蔦木宿」オープン。





2002年
(平成14)

藤内遺跡出土品 国重要文化財に指定。





 
 





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